今週の読書は興味深い経済書のほか合わせて計5冊!!!
今週の読書感想文は以下の通り計5冊です。
まず、ダニエル・サスキンド『World without Work』(みすず書房)は、マシンの能力が人間に追いついて超えるとどうなるか、という思考実験の場を与えてくれます。「特異点=シンギュラリティ」という言葉こそほとんど使っていませんが、その後の経済や労働についてのヒントが得られます。パラグ・カンナ『移動力と接続性』上下(原書房)は、気候変動と地球温暖化が進み、内陸部であれば高地、あるいは、北方の未開の地に移住する可能性を示唆しています。ただし、移民は現地に「同化」することが前提の議論のような気がしますので、多様化やダイバーシティとは少し違う気もします。塩田武士『朱色の化身』(講談社)はグリコ・森永事件を扱った『罪の声』の作者の手になるミステリです。ガンで闘病中の父からの依頼により女性を探す中で、さまざまな社会問題を含めて事実関係が明らかになります。最後に、ジョン・メイナード・ケインズ『ケインズ 説得論集』(日経ビジネス文庫)はインフレとデフレ、あるいは、金本位制などについて論じています。100年近い昔の議論とはとても思えないほど、現在のマクロ経済にも通ずる慧眼に驚かされます。
なお、今週の5冊を含めて、今年に入ってから新刊書読書は計106冊となりました。6月半ばで100冊を越えましたので、何とか、年間200冊を少し超えるレベルには達するのではないかと考えています。これら新刊書読書のほかに、先週書いておくのを忘れたのですが、6月に入ってから、東野圭吾『美しき凶器』(光文社文庫)を読みましたのでFacebookでシェアしておきました。
まず、ダニエル・サスキンド『World without Work』(みすず書房) です。著者は、英国オックスフォード大学のエコノミストであり、AI倫理研究所の研究者でもあります。英語の原題はそのままに World without Work であり、2020年の出版です。3部構成となっていて、第1部が背景、第2部が脅威、第3部が対策を扱っています。ということで、とても秀逸な経済書です。現状分析にやや偏って、対応策が少し弱い気もしますが、私なんかはもっとそうです。まずもって、いわゆるシンギュラリティ、すなわち、マシンの能力が人間を超える、という意味を本書の著者は正確に理解してます。もちろん、本書でも的確かつ明確に指摘しているように、シンギュラリティが突然やって来て、今日からは昨日までとまったく違う、というわけではなく、徐々に切り替わっていくのでしょうが、要するに、機械が人間の能力を超える、ということは、人間が何もしなくていい、というか、何も出来なくなってしまう、ということなのです。機械がすべてをやってくれて、特に、機械が機械を作り出したり、修理したり出来る、という意味なのです。ですから、本書の第2部で指摘しているように、機械は徐々に人間のタスクを侵食してきて、すなわち、人間労働や芸術活動までを代替してきて、そして、シンギュラリティからはすべてを代替することになります。シンギュラリティまでは、スキル偏重型の技術進歩の下で、マシンを扱える高スキル高賃金労働とマシンではなく従来型の人間労働に依存する低スキル低賃金労働に二極分解していましたが、シンギュラリティ以降、人間はマシンを扱う能力がマシンよりも低くなるわけですので、マシンを扱うのはマシンであって、人間はすること、というか、労働という名の活動は不要になります。より高性能なマシンを作るのは現在あるマシンであり、人間ではありません。ですから、馬が自動車に取って代わられたのと同じです。今でも馬はいて、何らかの活動にいそしんでいるわけですが、もはや、自動車が現れる前に馬が運送や移動で果たした役割はほぼほぼなくなっているのは広く知られている通りです。あるいは、猫の親子を考えれば、子猫が怪我をすると親猫は舐めて傷の治りを早くしようと試みる場合がありますが、人間の獣医が出現すれば、おそらく、親猫は相変わらず子猫を舐め続けるとは思いますが、そういった行為はそれほど必要ではなくなります。それと同じと考えるべきです。この点を理解しているエコノミストは極めて少ない、というか、個人としてのエコノミストにせよ、経済書にせよ、この点を理解して明記明言している例は不勉強にして私は知りません。ただ、私自身は本書の著者に賛同していて、この意味でのシンギュラリティは、2045年や2047年ではないかもしれないですが、やって来ると思っています。ただ、アセモグルとレストレポのように、マシンが人間労働を代替すると、さらに複雑な人間労働が生み出されて、永遠に、ではないとしても、かなり先までシンギュラリティは来やしない、と見なす向きも少なくありません。そのあたりは経済学的見地というよりも工学的な見方であろうと私は考えています。ただ、このシンギュラリティの後で行うべき本書第3部の対策がやや貧弱です。学校教育や職業訓練を鼻でせせら笑うのはOKとしても、ユニバーサルなベーシックインカム(UBI)ではなく、条件付きのベーシックインカム(CBI)で対応、というのは、まあ、それしかないのかもしれませんが、やや疑問なしとしません。というのは、経済政策運営でも、ひょっとしたら、人間よりもマシンの能力が上回る可能性があると私は考えており、そうなると、チンパンジーを動物園に入れたような扱いをマシンが人間に対してする可能性は否定できないと想像しています。ユヴァル・ノア・ハラリ『ホモデウス』と似た見方かもしれません。
次に、パラグ・カンナ『移動力と接続性』上下(原書房) です。著者は、インド出身のグローバル戦略家だそうです。同じ出版社から『「接続性」の地政学』を出版しており、これまた同じ出版社から『アジアの世紀』上下を出版していて、私は2020年2月15日付けの読書感想文をポストしています。英語の原題は Move であり、2021年の出版です。上の表紙画像に見られるように、日本語のサブタイトルは「文明3.0の地政学」となっていますが、大雑把に文明1.0とは放牧を含む農耕社会であり、文明2.0は製造業中心の工業社会、そして、本書の第13章のタイトルとなっている文明3.0が現在の世界であり、移住が繰り返されながらも、接続性も保たれる、という意味なんだろうと思います。しかし、ここで「移住」とは二重の意味を持たされており、積極的によりよい環境を求めて移住する場合と何かの厄災から逃れるべく移住する場合の両方を含んでいます。ですから、移住先として好まれるのは、いうまでもなく、人口動態のバランスが良く、政治的に安定しており、経済的にも繁栄し、環境も安定している場所、ということになります。本書ではこういった移住先について、いろんな観点から議論を進めていますが、気候変動が進む結果として地球は温暖化し、内陸部であれば高地、あるいは、北方の未開の地に移住する可能性を示唆しています。ロシアによるウクライナ侵攻の前の出版ですので、シベリアなんかがターゲットのひとつになっているわけです。そうした中で、本書の著者は世界人口が21世紀半ばに減少に転じるというシナリオを基本としています。このため、若年層の奪い合いが生じる可能性もありますし、いずれの観点からも移住や移民が増加するトレンドは不動のものとして前提されています。でも、欧州諸国で、あるいは米国でもネオナショナリストによる移民に対する嫌悪感の拡大が見受けられるのですが、著者はこういった勢力は高齢世代に指示されているだけであり、時間とともに支持を失う、と考えているようです。そうかもしれません。従って、世界の対立軸は若者対年長者となる未来が描かれています。その後、長々と世界各地の移住先としての魅力が取り上げられており、日本では沖縄にスポットが当たっています。ただし、こういった移住の魅力を語る大前提が、いわゆる移民の「同化」に置かれています。すなわち、半ば多様性を否定しているように私には見受けられます。もしも、移民が同化せずに母国の文化を守り続けるのであれば、本書の議論は半分くらい否定されそうな気すらします。ただし、私の直感では移動=移住出来るのは、移住のための十分な資金を持っている富裕層が中心となるように見受けられ、こういった富裕層は容易に同化しない可能性が高いのではないかと考えています。いずれにせよ、本書の著者の議論でもっとも感心したのは、移動=移住により大きな混乱がもたらされることは否定できないながら、それが進化というものである、と指摘している点です。悪く評価すれば「開き直り」とも見えかねませんが、私はかなりの程度に同意します。単なる安定であれば中世に人類は達成しているわけで、その後の産業革命以降の人新世は混乱しつつも進歩していた、と考えるべきなのかもしれません。
次に、塩田武士『朱色の化身』(講談社) です。著者は、ミステリ作家あであり、特に、私の印象に残っているのはグリコ・森永事件について解き明かそうと試みた『罪の声』です。確か、私は見ていませんが、昨年映画化されています。ということで、主人公はライターの大路亨です。物語は、その主人公がガンを患う元新聞記者の父から辻珠緒という女性を探すように言われるところから始まります。この女性は、かつては、一世を風靡したゲームの開発者として知られた存在だったのですが、突如として姿を消しました。そして、ほぼほぼストーリーは主人公がこの女性を探す中でインタビューした相手、すなわち、辻珠緒の元夫や大学の学友、銀行時代の同僚などが語る言葉、ということになります。それらから浮かび上がるのは、昭和31年1956年の福井あわら温泉の大火が何らかのきっかけとなっているという点でした。チェーン・インタビューという言葉があるのかどうか私は知りませんが、辻珠緒の生涯を追って次々とインタビューを重ね、バブル初期の男女雇用機会均等法、もちろん、バブル期の銀行活動、そして、ゲーム開発車となってからのゲーム依存症などなど、女性個人の動向とともに社会問題を浮き彫りにしつつ人探しは進みます。ですから、最後の最後に山場があるのはミステリの常套手段ですが、私の好きなタイプのミステリであり、タマネギの皮をむくように徐々に真実が明らかにされてゆきます。ただし、難点はいくつかあって、まず、海外ミステリのように登場人物が多すぎます。まあ、私が読んだ範囲でも仕方なく、というか、必要あってインタビューしているのですが、もう少し要点をかいつまんでコンパクトに仕上がらなかったものか、という気はします。もうひとつは、社会的な問題点をミステリに入れ込もうとした松本清張以来の我が国ミステリ界のひとつの潮流ではありますが、やや社会問題の質が異なりすぎて、バブルや男女雇用機会均等法までは1980年代半ばから後半にかけて社会的に広く認識されたことは事実ですが、ゲーム依存症については、私なんかがそうで、それほど広く国民一般に関係するわけではなく、逆に、関係ない人は関係ないのではないか、という気もします。ただ、ジャーナリスト的にひとつひとつ事実を明らかにした上で、それらのリンケージを考え、論理的に必然な結論を導く、という意味では上質のミステリに仕上がっています。ただし、考え方にもよりますが、ラストがやや物足りないと感じる読者はいそうな気がします。私もそうです。繰り返しになりますが、ジャーナリスト的にひとつひとつ事実を積み上げるプロセスは大いに評価しますが、そのプロセスに対して結果がショボい、と感じてしまうのは私の読み方が未熟で浅いのかもしれません。でも、劇的な幕切れが欲しいという読者は、私以外にも少なくないのではないか、と想像しています。
最後に、ジョン・メイナード・ケインズ『ケインズ 説得論集』(日経ビジネス文庫) です。著者は、いうまでもなく、偉大な英国人エコノミストであり、マクロ経済学の創始者といえます。基本的に、5部構成を取っていて、インフレとデフレ、金本位制、自由放任の終わり、未来、繁栄への道、を取り上げています。学術誌ではなく、一般メディアへの投稿を中心に収録していて、判りやすくはなっていますが、それなりに昔の文体だという気がします。邦訳の時点で工夫されているのだとは理解しますが、40年ほど前に私が大学生だったころに読んだ経済書とはこんなものだったか、と思い起こさせるものがありました。ということで、小説を読んだのではないので文体に関してはともかく、マクロ経済学に関して現時点でも通用する立派な理論が集められています。というのは、本書に収録された記事をケインズが書いたのは1920年代から30年代にかけてであり、第2部で論じられているように、金本位制が世界的なスタンダードとなっている経済社会です。そういった時代の制約があるハズなのですが、それを感じさせません。インフレとデフレについては、現時点でも同じ議論が通用します。インフレとデフレのどちらもストックとしての富や資産への影響を及ぼし、単純化すれば、インフレは負債のある人に有利で、資産や債権のある人に不利に作用します。デフレは反対です。ただし、インフレが生産刺激的であるのに対して、デフレは生産を抑制する方向で作用します。こういったマクロ経済学の面で、今でも十分に理解されているとは言い難いポイントを極めて正確に指摘しています。そして、金本位制や自由放任については経済政策運営の観点からとても否定的な議論を展開します。少なくとも、その時点の英国でトピックとなっていた第1次世界対戦後の英国の金本位制復帰における為替レートについては、現在でも通用する議論です。広く知られたように、実は、我が国でも従来レートでの金本位制復帰を目指したがために、ひどいデフレを経験したのは英国と同じです。現時点でも、円安が金融政策の湿性のように報じるメディアがいくつかありますが、というよりも、そういった論調での報道の方が多いくらいですが、おそらく、ケインズであれば為替レートについては現時点での我が国のメディアとは違う方向の議論を展開したものと私は想像します。ケインズが明らかにしたのは、不況期ないし景気後退期に需要が不足するのであれば、政府が需要を創出するのか、それとも、民間経済でコストを削減するのか、のどちらかが必要となる中で、前者の方がいいのではないか、という点を説得しようとしているのだと思います。円安が短期的に家計や企業といった国内経済主体の実質所得を低下させるのは事実ですが、円安をいかに所得増加につなげるか、を考えるのがエコノミストの役割です。まあ、いずれにせよ、戦後経済社会では、特に1950-50年代は米国のニクソン大統領がいうように "We are all Keynesians now" だったわけですから、ケインズは説得に成功したんだろうと思います。
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