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2022年8月13日 (土)

今週の読書は行動科学の心理学書をはじめとして計6冊!!!

今週の読書感想文は以下の通り、厳密には経済書はなしで計6冊です。ただし、最初の2冊上下巻は心理学的な観点から書かれているのですが、経済心理学や行動科学も含めた意味では経済書ともみなせるかもしれません。
まず、そのスティーブン・ピンカー『人はどこまで合理的か』上下(草思社)は、合理性の観点からフェイクミュースやポスト真実についての見方が参考になります。続いて、あさのあつこ『舞風のごとく』(文藝春秋)は、小舞藩シリーズの第3作であり、城下の大火の後始末から重大な真相が突き止められます。続いて、文藝春秋[編]『秋篠宮家と小室家』(文春新書)は、昨秋にご結婚されニューヨークに移られたご夫妻に関する『文藝春秋』や『週刊文春』の記事を編集しています。最後に、ジェフリー・ディーヴァー『フルスロットル』と『死亡告示』(文春文庫)は、2014年の英語版では1冊の短編集を邦訳の際に2冊に分割していて、この作者のリンカーン・ライムやキャサリン・ダンスといった有名なシリーズを含む短編集です。
なお、今週の6冊を含めて、今年に入ってから新刊書読書は計121冊となりました。年間200冊のペースを少し超えているのではないか、と思います。Facebookのアカウントが回復すれば、また、シェアしたいのですが、そうすると、またまたアカウントを止められるかもしれません。悩ましいところです。

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まず、スティーブン・ピンカー『人はどこまで合理的か』上下(草思社)です。著者は、米国ハーバード大学の心理学者であり、おそらく、私が知る限り、世界でももっとも影響力の強い心理学者の1人です。英語の原題は Rationality であり、2021年の出版です。ということで、私が興味をもつのは、ここ数週間で何冊か読みましたが、経済学的な合理的選択に関する考え方を明らかにするためです。著者は、合理性とは何かについての定義を下巻第6章p.16から7つの公理として上げています。第1に共約可能性、と称していますが、要するに完備性です。選好に関して、A>B、A<B、あるいは、AとBは無差別のいずれかが成り立つわけです。第2に推移率です。A>B、B>CならばA>Cなわけです。そして、いつも指摘しているように、マイクロな個人の合理的選択であれば、この推移率は成り立つのですが、社会的には推移率は成り立ちません。じゃんけんのグー、チョキ、パーのように3すくみ、4すくみ、あるいは、もっと、になってしまうわけです。第3に閉包、すなわち、選択の確率と余事象の確率が明らかとなる必要があります。第4に連結、すなわち、入れ子の確率となる可能性です。本書では、一定の確率で当たる宝くじの商品が、また一定の確率で当たる宝くじのようなもの、と表現しています。第5に独立性であり、これは明らかです。第6に一貫性で、少し難しいのですが、上巻で登場するリンダの職業のようなものです。すなわち、AとBの選択の際に、A>Bの選好であれば、100%確実にBを得ることよりも、Aを手に入れる1%とBになる確率99%であれば、後者の選択の方が選好される、ということです。最後の第7は交換可能性です。選好の順がA>B>Cである時、100%確実に中間選択のBを得られるケースに対して、AになるかCになるかが確率的に与えられた際に、100%確実のBと同じ効用水準のAとCの得られる確率の組合せが存在する、ということです。そして、独立性の公理を緩めたトベルスキー=カーネマンノプロスぺクト理論などが紹介されたりするわけです。大雑把に、上巻では合理性にマイナスとなるバイアスを説明し、特に、上巻から下巻にかけての第3章から第9章で合理性を発揮させるためのツール、相関関係と因果関係などを取り上げ、第10章から結論について言及しています。特に、第5章のベイズ推論の解説はとても判りやすくオススメです。結論としては、結論として合理性や何かの進歩により人類のwell-beingが向上したわけではない、としていて、合理性についての客観的な見方を示しています。また、本書がとても現代的だと私が感じたのは、フェイクニュースやポスト・トゥルース、というか、本書では「ポスト真実」と訳していますが、こういったものについて、メルシエの直感的 intuitive 信念と反省的 reflective 信念の分類、あるいは、ロバート・アベルソンらの説を援用した検証可能な信念 testable belief 遠い信念 distal berief などから「神話ゾーン」と「現実ゾーン」を考えている点です。オカルト、都市伝説なども含めて、フェイクニュースやポスト・トゥルースは「神話ゾーン」にあるのであって、そうでない合理的な思考の結果たどり着く結論、私がしばしば「健全な常識」と呼ぶものを「現実ゾーン」に置いて分類します。2016年の米国大統領選挙の際に、ヒラリー・クリントン上院議員がピザ店を拠点に児童売春をしている、というフェイクニュースは大いに流布されましたが、実際に銃器を持って当該のピザ店に児童の救出に向かったのは1人だけで、警察に届けた人は皆無だった、といった根拠などから、コノフェイクニュース、なのか、何なのか、はほぼほぼすべての米国民が「神話ゾーン」に置いて、日本語的には「眉につばして」聞いていたのだろうということです。都市伝説やオカルトについてはエンタメとして楽しむ向きが少なくない一方で、こういったフェイクニュースやポスト・トゥルースをエンターテインメントとしてのみ受け取っていたわけではないと想像しますが、それでも、エンタメではないとしても、遠いところにあって自分には関係ない情報として処理していたのかもしれません。それが、合理的な情報処理なのだろうという気はします。強くします。

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次に、あさのあつこ『舞風のごとく』(文藝春秋)です。著者は、小説家であり、「バッテリー」の青春小説のシリーズが有名ではないかと思います。この作者の作品の中では、私はどちらかというと時代小説をよく読んでいて、弥勒の月シリーズや小舞藩シリーズなどです。この作品は『火群のごとく』、『飛雲のごとく』に続く小舞藩シリーズの3冊目に当たります。シリーズの最初は元服前の12歳の少年だった新里林弥が、山坂半四郎とともに、前作では筆頭家樫井家の後嗣である透馬の側近として取り立てられるところで終わりました。この作品では、小舞藩における大火から始まります。新里林弥は前作で元服し、烏帽子親である元大目付の小和田から名をもらい、この作品では新里正近と名乗っています。妻を娶ったものの、この作品ではすでに離縁した後、という設定です。繰り返しになりますが、主人公の新里正近は山坂半四郎とともに筆頭家老家の後嗣の樫井透馬の側近であり、大火の後始末の領民救済に対して藩の執政の動きが鈍い点に立腹するとともに、理由を探ります。同時に、新里正近の兄嫁であった七緒は、新里家当主の結の丞の死後に落飾して尼寺である清照寺に入って恵心尼として、大火で焼け出された人の世話をしています。恵心尼の生家の姪に当たる千代も清照寺で罹災者の救済に当たっています。そして、この大火の原因が付け火=放火である疑いが持ち上がり、新里正近と樫井透馬らは調査を行います。小和田正近が隠居して遠雲に名を変えた元大目付を訪問して町方から情報を収集したり、派閥争いの敵方の生き残りの中老と接触したり、そして、最後には重大な事実を突き止めます。藩の執政の動きが鈍かった原因も明らかにされます。

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次に、文藝春秋[編]『秋篠宮家と小室家』(文春新書)です。タイトルからして、秋篠宮家のご長女であった眞子さまと小室圭さんのご結婚にまつわるトピックと理解できますが、まさにその通りであり、月刊誌の『文藝春秋』や『週刊文春』に掲載された記事や対談などを収録しています。初期にはご結婚に前向きで、結婚とは両性の合意によってのみ成り立つと規定している憲法に則った判断であった秋篠宮と宮妃両殿下の考えが、いわゆる「400万円の借金」なる小室家の金銭問題や国民の見方、あるいは、ご結婚相手の小室圭さんの経済力、はたまた、皇統の行方などに影響を受けたのか、また、何らかの疑問を感じたのか、徐々に反対に傾くとともに、妹宮の佳子さまが一貫して強く姉宮の眞子さまを支持していた点が明らかになっています。特に、姉妹宮の眞子さまや佳子さまが皇族からの離脱が結婚に基づく降嫁よって可能である、とお考え点などにつき、とても興味深く読みました。最後の章には「日本の女性には結婚以外の"飛び道具"がないから。」という言葉にも、やや悲しいものを感じてしまいました。でも、実は、私自身としては民主国家に王族はそれほど必要ではない、と考えています。左派リベラルの中でもかなり極左に近い考えかもしれませんが、然るべき段階で天皇は退位し、宮家は廃止するのも一案、そして、その天皇家や宮家の動向については国民の意見により判断する、ということです。さすがに、国外追放やましてや死刑、なんて極論は持っていません。あくまで国民の判断、ということですから、国民の支持に基づいて天皇制は存続、という結果もアリだと思います。ただ、こういった宮家のゴタゴタを見ると、あるいは、本書のスコープの外ながら、英国王室のサセックス公爵ヘンリー王子ご夫妻なんかの動向を見るにつけ、やっぱり、王族なんて民主主義国家には必要ないんではないか、という気にさせられることも確かです。ただ、私なんぞの支持ではなく、もちろん、天皇皇后両陛下や上皇上皇后をはじめとするその他の天皇のご家族や宮家の方々の意思や意見などではさらさらなく、国民の支持が天皇家の唯一の存続理由である点は、何度でも強調しておきたいと思います。

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最後に、ジェフリー・ディーヴァー『フルスロットル』『死亡告示』(文春文庫)です。著者は、米国のミステリ作家であり、現時点で世界でもっとも売れているミステリ作家の1人だと思います。2冊とも短編集なのですが、どうして、この2冊をいっしょにしたかといえば、もともと英語の原書は1冊だからです。原題は Trouble in Mind であり、2014年の出版です。ということで、この作者の短編集で邦訳され出版されているのは、前作の『クリスマス・プレゼント』と『ポーカー・ゲーム』であり、私はどちらも読んでいたりしますが、いずれも文春文庫から出ていて、英語の原題が TwistedMore Twisted であり、まさに、この著者のミステリの特徴である「どんでん返し」を大きな特徴としていました。逆に、この『フルスロットル』と『死亡告示』はそれほどのどんでん返しはありません。まったくないわけではないのですが、大きな特徴ではない、というわけです。収録作品は、『フルスロットル』では、キャサリン・ダンスの登場するタイトル編「フルスロットル」、「ゲーム」、「バンプ」、リンカーン・ライムの「教科書どおりの犯罪」、ジョン・ペラムの「パラダイス」、そして、「30秒」であり、『死亡告示』では、「プロット」、「カウンセラー」、「兵器」、「和解」、ライムの登場するタイトル作の「死亡告示」、そして、「永遠」です。ややネタバレ気味なのですが、収録短編のうちでタイトル作品としている「フルスロットル」と「死亡告示」はいずれも犯人に対する反則気味の騙しを含んでいます。私の感想としては、『フルスロットル』ではリンカーン・ライムの「教科書どおりの犯罪」が面白かったです。ライムが書いた犯罪捜査の教科書をなぞるような事件をライム自身が解決に導きます。『死亡告示』では最後の「永遠」を評価します。文庫本ながら200ページをラクに超える長さであり、もはや長編ミステリとしても通用するくらいです。数学オタクの刑事とクマのような大男の刑事のデコボコ刑事コンビがありえないような確率で発生する心中事件を殺人として立件します。ほかにも、ややオカルト的な、というか、ホラーのような要素を含んだミステリもあり、評価は分かれるところですが、私のようにこの作者のミステリのファンであれば、控えめにいっても、読んでおいてソンはないと思います。

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