今週の読書はポパー『開かれた社会とその敵』だけ?
今週の新刊書の読書感想文は、別途ポストします。
カール R. ポパー『開かれた社会とその敵』(未来社)を読みました。著者は、ドイツ出身の英国の社会科学者であり、ユダヤ人ですからナチスから逃れて、ニュージーランドに滞在している時に本書を書いています。1945年刊で、邦訳の底本は1950年の改訂版です。上巻=第1部は「プラトンの呪文」、下巻=第2部は「予言の大潮」と題されています。
内容は、よく知られたように、ファシズムと共産主義をいわゆる「左右の全体主義」として批判しています。すなわち、部族的・呪術的でタブーに満ちた「閉じた社会」と批判的な思考を持ち合理性による非暴力的改良を目指す「開かれた社会」とを対置し、上巻=第1部は「プラトンの呪文」においてプラトン、下巻=第2部は「予言の大潮」においてヘーゲルやマルクスに代表される歴史主義的な哲学が「閉じた社会」から「開かれた社会」への移行を阻害する、と主張しています。
専門外である私が読んだ印象では、哲学が時の政権に「阿諛追従」するという意味では、ファシズムにつながった、というのは真実としても、ヘーゲルやマルクスといった歴史主義的な哲学が共産主義につながるというのも、ある意味で、真実ながら、ファシズムと共産主義とを同列で集産主義として捉えるのは間違いだと考えます。共産主義はその前段階の社会主義で集産主義的であることは同意しますが、ファシズムが独裁主義という意味での集産主義であるかどうかが疑問だからです。ただ、この点は自信がありません。
第2に、歴史主義が共産主義につながるのは真実だと思います。しかし、本書が歴史主義を決定的に論破しているとはとても思えません。私は基本的に歴史主義に同意していて、生産力が向上する限り、経済学的な意味での希少性が減じるため、将来的には共産主義に移行します。伝統的な経済学でいうところの定常状態がこれに当たると考えています。ただし、その共産主義に至る前段階で、プロレタリア独裁の下でのマルクス主義的な社会主義が必然かどうかは不明です。
古典的な学術書であり、学術書らしく、注釈が多いです。上巻なんて、本文と同じくらいのページ数が私はそれなりに学術書は読み慣れているので、それほど注意深くではないとしても、注釈はちゃんと読みます。しかし、さすがに、「プラトンの『xx』も参照」くらいの注釈は読み飛ばしました。
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