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2022年10月29日 (土)

今週の読書はいろいろ読んで計6冊!!!

今週の読書感想文は以下の通り、経済学ではなく社会学的に消費を分析した学術書、ダニエル・ミラー『消費はなにを変えるのか』(法政大学出版局)をはじめとして計6冊です。水越康介『応援消費』(岩波新書)は消費の関連で読み、岡崎守恭『大名左遷』(文春新書)と浅田次郎『大名倒産』上下(文春文庫)は、廣岡家文書をひも解いた先週の読書『豪商の金融史』に触発されて読んでみました。リサ・ガードナー『噤みの家』(小学館文庫)は海外ミステリです。
今年の新刊書読書は、1~3月期に50冊、4~6月期に56冊、従って、今年前半の1~6月に106冊、そして、7~9月の夏休みに66冊、10月に入って先週までで19冊、今週が6冊ですので、今年に入ってから197冊となりました。200冊に達するのにカウントダウンに入った気がします。カウントダウンに入ったから、というわけでもないのですが、少し経済書をお休みして、ミステリを中心とした小説が図書館の予約で届き始めています。少しコチラの方の読書も進めたいと思います。

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まず、ダニエル・ミラー『消費はなにを変えるのか』(法政大学出版局)です。著者は、英国のユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)の人類学の研究者です。英語の原題は Consumption and Its Consequences であり、2012年の出版です。出版社から受ける印象ほどには学術書ではありません。ビジネスパーソンにも十分理解できると私は考えています。ということで、繰り返しになりますが、著者は人類学者であって、エコノミスト=経済学者ではありません。ですから、消費について考えるにしても、経済学的な観点よりも、人類学的な観点から分析しているのはいうまでもありません。経済学的には、おそらく、マイクロな経済学では個人ないし家計が予算制約下で効用を最大化するように市場において消費財を選択する、というだけで終わりかもしれません。しかし、実際に、一般的に「消費」という用語を用いる際には、市場での選択ではなく、辞書的な意味で、「費やしてなくすること。つかいつくすこと。」といった使い方をするのではないでしょうか。本書では、まさにそういった消費を考えています。実は、経済学でも基本は同じです。家計は効用を最大化し、企業は利潤を最大化するという目的で行動しています。他方で、政府の経済運営の目的はマクロ経済の安定化だったりするわけですが、マイクロな経済においては、将来に渡る消費の現在割引価値を最大化することがひとつの目的とされています。迂回生産のための投資は、あくまで、その後の消費の最大化のためです。ただ、この消費の中身を経済学がややおろそかに扱ってきたという批判は、まあ、あり得るような気がします。私が読んだ限りでは、最初と最後のクリス、グレース、マイクの3人による会話、特に、最後の気候変動=地球環境問題と消費に関する議論については、ほとんど理解できなかったのですが、フィールドワークから得られたトリニダード島の消費社会、著者のホームグラウンドであるロンドンでのショッピング、ブルージーンズが消費者に好んで買われる理由の考察など、とても示唆に富んでいます。購入した後の使用についての文化的、あるいは、人類学的な分析、もちろん、購入する前の検討段階での経済学的ならざる分析などなど、加えて、購入されたものがマイクロに使われるだけではなく、マクロ社会の中でいかに文化を作り出してゆくものなのか、私のような底の浅いエコノミストにはとても勉強になりました。経済学では、あくまで市場における交換、あるいは、取引を考えるのですが、その背景にある何らかの財に対する欲求とか、そして、その購入された財がどのように使われるのか、そして、その使われ方の理由は何なのか、興味は尽きません。ただ、2点だけ指摘しておくと、経済学的な観点からは消費財は耐久性に応じて3分類されます。すなわち、食料などのすぐに使い尽くす非耐久財、衣類など一定期間はもつ半耐久財、かなり長期にわたる効用をもたらす耐久財の3累計です。この分類は人類学的に有効な分類なのかどうか、知りたかった気がします。加えて、同じことのように見えますが、財だけではなくサービスについての消費をどうみるべきなのか、本書ではスコープ外に置いているような気がします。実は、この著者の前作は『モノ』 Stuff であり、サービスがどこまで考慮されているかが不安な気がします。すなわち、現代社会の消費であれば、モノを買うよりもサービスに費やす比率の方が高いケースも少なくなく、また、古典的なサービスである理美容とかはファッションとの関係で文化的行動であると私は考えます。でも、こういった点を別にしても、消費に対するとても有益な読書でした。

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次に、水越康介『応援消費』(岩波新書)です。著者は、東京都立大学の研究者であり、専門はマーケティング論です。ですから、本書では消費についてマーケティングの観点から分析していますが、その消費の中で、応援消費に付いて焦点を当てています。ということで、応援消費は本書によれば2011年の東日本大震災の後に東北地方に対する応援目的で始まった、と指摘しています。逆に、1995年の阪神・淡路大震災においては応援消費は生まれなかった、ということです。この応援消費の対象は、震災の被災地から始まって、好きなブランドはもちろん、推しのアイドルなどに及びます。『推し、燃ゆ』の世界かもしれません。また、本書のスコープ外ながら、私が時折チェックしているニッセイ基礎研究所のリポートでも、「おひさしぶり消費」とか、「はじめまして消費」といった耳慣れない消費が現れているようです。このリポートでは「推し活とステイホームは相性が良かった」と分析していたりします。こういった新しい、かどうかは別にして、消費の中でも、本書では応援消費が個人の購買力の向かう先のひとつとして注目しているわけです。そして、本書では、まあ、データがないので仕方ないとは思いますが、実際の市場における消費の中の応援消費ではなく、地方自治体に対する「ふるさと納税」を主として分析しています。ちょっと違う気がするのは、私だけではないと思います。でも、著者の専門分野らしく、マーケティングをいかに応援消費に結びつけるか、特に、欧米的な寄付文化が十分に育っていない日本社会における応援消費を、倫理的な意味でも、マーケティング手法を用いつつ広げることは決して理由のないことではない、と私も思います。特に、推しのアイドルなどではなく社会的責任を果たそうという消費は何らかの推進力が必要な場合がありそうな気がします。いわゆるボイコットの反対概念である「バイコット」も同じです。日本におけるバイコットについてネット調査をしている分析も本書に収録されています。最後の方で、マーケティングの統治性を持ち出して、英米的な新自由主義=ネオリベとドイツ的なオルド民主主義を対比させているのは、私の理解が及びませんが、決してマーケティングの対象にはならないものの、新自由主義=ネオリベとオルド民主主義を対比させるのではなく、消費に対比するに投資を考えるのも理解がはかどるような気がします。すなわち、投資の分野では、すでに明らなように、ESG投資という概念がかなりの程度に確立していて、すかも、ESG投資はパフォーマンスがいいという実証分析結果もいくつか出始めています。応援消費の場合は、まあ、印象だけかもしれませんが、やや価格競争力の面からは劣位にある可能性ある商品を「応援」の目的で効用が追加されて消費につながる、という結果が生まれるわけで、したがって、何らかのマーケティングによるプッシュが必要となる一方で、投資については、純粋に経済合理的にリターンがいいのでESG投資を選択する、という経済行動が現れているわけです。応援消費がESG投資のように、むしろコスパがいい、という時代が近づいているのかもしれません。

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次に、岡崎守恭『大名左遷』(文春新書)です。著者は、日経新聞のジャーナリストなのですが、歴史エッセイストとしても江戸期を中心にいくつかの出版物を上梓しています。本書では、まさに、タイトル通りに、織豊政権期から江戸期における大名の改易=取潰しを含めた転封について焦点を当てています。ただ、転封ですから、必ずしも「左遷」ばかりではなく、当然に、「栄転」も含まれています。もちろん、大名ですから上は老中や大老までのそれなりのお役目もあって、ソチラの左遷や栄転を取り上げているのではなく、あくまで所領地の交代や変遷といった改易・転封を取り上げています。8章省構成であり、最初の章の棚倉に着目した章だけが所領地の地理的な位置を軸にしていり、2章以降は大名の家を軸にしています。第2章以下では、高取藩植村家、津山藩森家、福知山藩稲葉家、松本藩水野家、松平大和守家、堀江藩大沢家、そして、最後は明治維新とともに将軍家から一大名に大きく格下げされた静岡藩徳川家、となります。水野家と田沼家の失脚からの失地回復のストーリーなどは、まあ、サラリーマン社会に近いものがあるかもしれませんが、やっぱり、私が定年までお勤めしたサラリーマン社会とは大きく異なります。当然です。一代の間に5回も転封されて映画の「引っ越し大名!」の元ネタにもなった実例も面白かったです。タイトルからして、大名や大名家を中心にお話が進みますが、お引越しですから、お殿様が直接に引越し準備や作業をしたわけでもないと思います。家老以下の家臣の苦労もしのばれます。

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次に、リサ・ガードナー『噤みの家』(小学館文庫)です。著者は、米国のミステリ作家です。英語の原題は Never Tell であり、2019年の出版です。本書は、ボストン市警のD.D.ウォレン部長刑事が主役となる『棺の女』と『完璧な家族』のシリーズの続編であり、私の知る限り、邦訳は3冊なのですが、米国内では1ダース近く出版されていると聞き及んでいます。なお、本書は、ミステリというよりはサスペンス小説と米国内で評価されているようです。小説の舞台はボストンで、銃声に気づいた地域住民からの通報により警察が駆けつけると、部屋には頭を撃ち抜かれた男性の遺体と大量の弾丸を受けたラップトップ、そして銃を手にした被害者男性の妻イーヴィ、という状況でした。拳銃から発射された15発の弾丸のうち、3発が男性に、12発がラップトップに打ち込まれています。当然、D.D.ウォレン部長刑事が捜査に当たります。銃を手にしていた女性イーヴィは32歳なのですが、16年前にも銃の暴発により自分の父親を撃って死なせています。その際は事故ということで罪には問われていません。その16年前と同じ刑事弁護士が今回の事件でも弁護に当たります。父親は数学の天才といわれてハーバード大学教授を務めていて、弁護にあたった刑事弁護士は古くからのイーヴィの両親の友人でした。捜査が進むと、射殺された男性の偽造された身分証明書が数種類見つかります。さらに、D.D.ウォレン部長刑事に対する秘密情報提供者のフローラからの情報が寄せられたりします。フローラは6年前に472日間にわたる誘拐・監禁から生還者した女性なのですが、その犯人に連れられて行ったバーで、一度だけイーヴィの夫、すなわち、被害者の男性に会っていました。この射殺された男性は、一体、何者なのか。また、今回の事件は16年前の銃の暴発事故とどんな関係があるのか。いろんな謎が解き明かされます。謎自体はかなりシンプルで、決して、凝ったミステリに見られるような難解な謎解きではないのですが、人間関係がやや入り組んでいる印象でした。

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最後に、浅田次郎『大名倒産』上下(文春文庫)です。著者は、著名な小説家です。私もいくつか作品を読んだ記憶があります。本書では、幕末期第13大将軍徳川家定のころの江戸と越後を舞台にした時代小説です。主人公は丹生山松平家13代当主であり、次男三男を飛び越えて庶子の四男から21歳独身のまま大名となります。しかし、その裏では、先代第12代の当主がタイトル通りに大名倒産を企んでいるわけです。というのは、天下泰平260年の間に借金が累積して合計25万両に膨れ上がり、その利払いだけでも年3万両となることから、3万石の領地で年間1万両の収入しかない藩財政は借金の返済のしようもなく、いわゆる「雪だるま式」に借金が増える構造となっています。しかるに、事情をよく理解していない第13代当主を藩主に立てて、先代第12代藩主は計画的に蓄財を進めて、最後は藩財政が悪化して幕府から取潰しになることを覚悟の上、第13代藩主の切腹をもって藩を倒産させるというムチャな策に出ます。しかし、9歳になるまで足軽の下士の倅として育てられていた第13代藩主は融通がきかない真面目一辺倒で、襲封後に初のお国入りをし、倹約に継ぐ倹約、名物の鮭を使った殖産興業、国家老や大商人を巻き込んでの金策、などなど藩財政の立て直しにこれ努めます。そこに、何と、この作者らしくファンタジーで神様が絡んできます。貧乏神が、また、七福神が、はたまた、間接的ながら薬師如来が、この藩財政の立て直しに助力し始めるわけです。最後の結末までなかなか面白く読めたエンタメ時代小説でした。それにしても、神頼みは別にして、巨額の債務を残して後世代に負担を押し付けようとするのは、まさに、現在の日本の財政の姿をそのまま引き写しているような気すらしました。

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