今週の読書は中国に関する経済書のほか計3冊にとどまる
今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、李立栄『中国のシャドーバンキング』(早稲田大学出版部エウプラクシス叢書)はタイトル通り、中国のシャドーバンキングを3分類してその活動の規模や規制当局の方向性などについて取りまとめています。宮本弘曉『51のデータが明かす日本経済の構造』(PHP新書)では、日本の賃金が上がらない理由について、極めて陳腐にも、生産性と結びつけた上で労働の流動性を促すといった的外れな議論がなされているように見えます。小谷賢『日本インテリジェンス史』(中公新書)は戦後日本のインテリジェンス史を概観し、いくつかの興味深い事件についてその裏側を解説しようと試みています。
今年の新刊書読書は、1~3月期に50冊、4~6月期に56冊、従って、今年前半の1~6月に106冊、そして、夏休みを含む7~9月に66冊と少しペースアップし、10月には25冊、11月に入って先週5冊で今週は3冊ですので、今年に入ってから205冊となりました。また、本日の読書感想文で取り上げる以下の3冊のほかに、今週は太田愛『天上の葦』上下(角川文庫)を読んでいます。新刊書読書ではありませんから、別途、Facebookでシェアしたいと思います。さすがに、『ハヤブサ消防団』と『嫌いなら呼ぶなよ』はなかなか図書館の順番が回ってきません。
まず、李立栄『中国のシャドーバンキング』(早稲田大学出版部エウプラクシス叢書)です。著者は、亜細亜大学の研究者であり、本書は著者が早稲田大学に提出した博士学位請求論文が基になっています。タイトル通りに中国における銀行ならざる金融仲介業を営むシャドーバンキングを分析しています。ただ、博士学位請求論文にしては、仮説の提示とその検証という学術論文ではなく、基本的に、中国のシャドーバンキングに関する情報を網羅的に収集した上で整理しています。ですから、というか、逆に、難解な計量分析などは少なく、一般ビジネスパーソンにも判りやすい内容になっている気がします。ということで、中国におけるシャドーバンキング業者をSB①、SB②、SB③の3種類に分類し、分析を進めています。p.20に簡単に分類が示されていますが、少し詳しく見ると、第1に、SB①については米国のシャドーバンキングや日本のいわゆるノンバンクと同じように、規制当局の監督対象となり、米国ではMMF、あるいは、日本の信託会社や証券会社、保険会社やファンド会社などが該当します。主たる業務は銀行の貸出債権をオフバランス化して理財商品に転換することですから、満期転換機能や流動性転換機能などを発揮します。ただし、預金を受け入れる銀行よりも当局からの規制は緩やかとなっています。第2に、SB②は中国の金融システムが近代化される前から存在する投資組合や質屋などの伝統的な個人間貸借から派生した業態です。そして、第3に、SB③はSB②の逆で超近代的、というか、フィンテックを活用した業態であり、P2Pレンディング、クラウドファンディングなどが該当します。そして、これらの業態ごとに、規模、特徴、性質、金融における役割、などが分析されていますが、SB②とSB③については、本書ではしばしばいっしょくたに議論されている恨みはあります。読ませどころは後半の第5章の潜在的なリスクの分析、さらに、第6章の規制当局の対応に関する現状分析と今後の方向性、などが私には大いに参考になりました。特に、SB②への規制については、その昔の日本における消費者金融の金利上限規制を思わせるものがありましたし、SB③については、逆に、過剰な規制がフィンテック企業の成長を阻害しかねない危惧が示されています。まあ、日本でも同じなのでしょう。米国との比較などは理解を進める点で役立っています。最後に、著者の中国語に関する語学力が大いに生かされています。私はやや専門外なのですが、それでも、これだけの情報に接することが出来るのは有り難く感じます。研究だけでなく、通常のビジネスにも役立てられそうな気がします。ただ、難点を上げれば、シャドーバンキングをシャドーバンキングとして分析しています。すなわち、シャドーバンキングをほかの経済活動との関係性から理解しようとはしていません。ですから、日本でも米国でもシャドーバンキングでは土地や不動産との関係が深く、中国でも同じなわけですので、シャドーバンキングを単なる金融業として分析するだけではなく、不動産との関係でもう少し深く掘り下げて欲しかった気もします。銀行やシャドーバンキングが単独で金融危機を引き起こすことは稀ではないでしょうか。
次に、宮本弘曉『51のデータが明かす日本経済の構造』(PHP新書)です。著者は、東京都立大学の研究者なのですが、労働経済がご専門と記憶しています。私が役所にいたころにコンファレンスに来ていただいた記憶があります。ということで、賃金や雇用を切り口にして、賃金が下落し続ける日本経済の現状について、その原因を国民が平等に貧しくなる「未熟な資本主義」に求めて、いくつかの、というか、51のデータから解き明かそうと試みています。ただ、結論を先取りすれば、典型的な主流派エコノミストと同じで、個別の労働者の生産性が上がらないから賃金が上がらない、という極めてありきたりな結論で終わっています。この点は残念です。章立ては、物価、賃金、企業経営と労働、そして、「未熟な資本主義」を脱却する方法、と4章構成です。日本経済が低迷し低賃金が継続しているのは、一言でいえば、p.12にあるように、企業が安価な非正規社員や技能実習生などの人件費の安い外国人労働力に頼り、「また、デジタル化などの必要な投資を怠った結果であり、そのために、生産性が低下した、と結論しています。そして、賃金上昇のためには量的な人で不足や失業率の低下などではなく、労働市場の構造的な問題の解決が必要とし、長期雇用や年功賃金といった硬直的な雇用慣行を改革し、労働市場の流動化の必要性を唱えています。しかし、同時に、賃上げが進まない背景として労働組合の役割の低下も視野に入れています。まあ、私から見ればガッカリというしかありません。長期雇用や年功賃金といった「硬直的」な雇用システムを流動化させて、派遣雇用の適用範囲を広くし、安価な外国人労働者を技能実習生という名目で入国させたりして、雇用の流動化をここまで進めたために賃金が上がらない、という現実がまったく見えていないようです。こういった本書のような論調を持ち上げて、非正規雇用の拡大に歯止めをかけなければ、賃金はさらに下落を続ける可能性すらあります。
最後に、小谷賢『日本インテリジェンス史』(中公新書)です。著者は、日本大学の研究者です。本書の内容はタイトル通りなのですが、ここで、インテリジェンスとは、インフォメーションの情報という中立的な用語ではなく、諜報とか、機密の印象に近く、国家の政策決定のための、特に、安全保障上の情報という意味で使われています。そして、その歴史は本書では終戦後から始めています。ただし、戦前・戦中のインテリジェンス活動にも軽く触れており、交換評価されているほど日本政府や軍はインテリジェンスを軽視していたわけではなかった、と評価しています。実は、私も同じような考えを持っていて、戦前・戦中もインテリジェンス活動はそこそこ行われていて、それが軽視されていた、とする方がホントのインテリジェンス活動には有利だからなのだろう、と解釈しています。ということで、占領期のインテリジェンス活動、組織の創設から始まって、やっぱり、読ませどころはソ連崩壊までの冷戦期のインテリジェンス活動史であることは明らかです。結局、モノにならかった秘密保護法制、ソ連のスパイ事件、ソ連からのベレンコ亡命事件、KAL機の撃墜事件、などなど、私でも聞いたことがあるくらいのエポックをなす出来事について詳しく解説されています。そして、さいごは、第2時安倍内閣での特定機密保護法、国家安全保障会議(NSC)と国家安全保障局(NSS)の創設と活動、米英などとの連携、などなど、これまた、エポックとなるイベントを網羅しています。分析や記述対象がインテリジェンス活動ですから、どこまで明らかにできるか、明らかにするべきか、といった議論はあるとしても、国民の支持がなければこういった活動は成り立ちませんから、少しタイミングが遅れてもかまわないので、インテリジェンス活動についても情報開示が進むことを願っています。
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