今週の読書は経済書とミステリと新書を合わせて計5冊
今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、島倉原『MMT講義ノート』(白水社)は、異端ながら話題の経済理論である現代貨幣理論(MMT)の解説書です。荒木あかね『此の世の果ての殺人』(講談社)は、第68回江戸川乱歩賞受賞作です。そして、安倍元総理の銃撃・暗殺事件に関連して、島田裕巳『新宗教と政治と金』(宝島社新書)、文藝春秋[編]『統一教会 何が問題なのか』(文春新書)、福田充『政治と暴力』(PHP新書)の新書3冊です。
ということで、今年の新刊書読書は、1~3月期に50冊、4~6月期に56冊、従って、今年前半の1~6月に106冊、そして、夏休みを含む7~9月に66冊と少しペースアップし、10~11月に合わせて49冊、12月に入って先週6冊に今週5冊を合わせて、今年に入ってから232冊となりました。やっぱり、年250冊はムリそうです。
まず、島倉原『MMT講義ノート』(白水社)です。著者は、クレディセゾンの研究者です。研究費で購入した記憶がないにもかかわらず、なぜか研究室にあったので読んでみました。基本的に現代貨幣理論(MMT)の概説で、かなり忠実にMMTの理論概要を伝えるとともに、著者独自の観点も提供されています。たぶん、コンパクトに論文を読みたいのであれば、我が勤務校の起用論文が一番と考えるのですが、まあ、短い起用論文では抜けがあるかもしれませんので、これくらいのボリュームの本を読むのも一案です。たぶん、元祖のレイ『MMT現代貨幣理論入門』よりも日本人的には判りやすいような気がします。ということで、MMTの理論的な柱はいくつかあって、(1) Knapp の State Theory of Money に基づく貨幣理論、(2) Lerner の Functional Financial Theory に基づく財政理論、(3) Job Guarantee Program を中心とする構造政策、をメインとして、ほかにも、Monetary Circuit Theory と Debt Hierarchy (Pyramid)、などです。ただ、Stock-Flow Consistent Model については、部門別の貯蓄投資バランスが相殺されてゼロになる、と言うのは主流派でも同じだと思います。私はこういった柱となる理論のうち、かなりのものに賛同するわけですが、必ずしもすべてのMMT理論に合意するわけではありません。まず、MMTではほぼほぼ金融政策を無視していて、まるで、Real Business Cycle (RBC) 理論みたいだと初期に感じましたが、せっかくある政策ツールを使わないのはもったいないと考えています。いわゆるティンバーゲンの定理から政策目標の数だけ政策ツールが必要なわけですし、金融政策は決して有効性が低いわけではありませんから、「使えるものは親でも使え」の精神でOKだと考えています。第2に、Job Guarantee Program (JGB) がもっとも怪しいと感じていて、政府が現在の最低賃金と変わらない賃金水準で、しかも、かなりフレキシブルな雇用量を確保できるような decent job があるのかどうか、それを運営できる主体があるのかどうか、やや疑問です。日本でやれば、またぞろ、多額の委託金で持って電通あたりが運営することになりかねないと危惧しています。最後に、本書を好ましいと私が感じた点は、MMT理論を決して鵜呑みにすることなく、同時に、決して強く否定するわけでもなく、ビミョーなバランスでこれから先のMMTの理論的な彫琢の方向を示している点です。例えば、私が読んだ中で、昨年出されたフランス銀行のワーキングペーパーでは、MMTについて "a more that of a political manifesto than of a genuine economic theory" と評価しています。まあ、その昔の「共産党宣言」と同じ意味合いなのかもしれません。私もMMTの今後の理論的展開に期待しています。
次に、荒木あかね『此の世の果ての殺人』(講談社)です。著者は、デビューしたてのミステリ作家であり、本作は第68回江戸川乱歩賞受賞作です。ということで、ややトリッキーな設定ながら、地球滅亡前夜の殺人事件の謎解きが展開されます。すなわち、小惑星「テロス」が日本の九州に衝突することが2022年9月に発表され、半年後の2023年3月には地球上の生物の大部分が絶滅する、人類も生き延びられない、ということで世界は大混乱に陥ってしまいます。当然です。ムダだといわれていても、日本から離れた南米に向かって逃げる人も少なくなく、特に九州ではほぼほぼすべての人が脱出し、警察や消防といった公共サービスも機能せず、事実上の無法地帯となっています。そんなパニックをよそに、主人公の20代女性である小春は、淡々とひとり太宰府で自動車の教習を受け続けていたりします。もちろん、小春を教えている教官のイサガワも九州を脱出せずにいるわけで、刑事を退職した女性だったりします。タイミング的に、あるいは、状況的に、なぜ自動車教習所に通うのかという疑問はありますが、かの名作『渚にて』でも、タイピストを目指してモイラは学校に通い続けるわけですし、少なくとも私はこういった心情は理解できます。そして、年末になって教習を受けるためにトランクを開けると女性の刺殺死体を発見してしまいます。もはや、警察もほとんど機能していない中、女性2人で殺人事件の解決を目指して独自捜査が始まります。交通手段としては、まだガソリンが残っている自動車教習所のクルマしかなく、ほぼほぼすべての人が九州から脱出してしまっていますが、まだ、ごく一部のコミュニティには集団で身を寄せ合って生活している数人単位のグループが北部九州には残っています。そういった出会いがあったり、イサガワが刑事だった時の後輩警察官がまだ活動していたり、それほど不自然ではない状況が作り出され、その中で、おそらく同一犯によるであろう第2,第3の死体も発見されます。人類が絶滅して、そもそも、地球が滅び、社会秩序はほぼほぼ完全に崩壊している中で、いったい誰が殺人に走り、しかも、それを捜査して真相を突き止めようとする人がいる、というのか、とても特殊な設定といえます。もちろん、殺人犯も操作する小春やイサガワなども、滅亡する地球の中で、真っ先に消えてなくなる日本の九州に、それを知りつつ残っている人たちですから、メンタルが強いというよりは、むしろ、冷めているというか割り切って覚悟を決めている人たちです。ただ、謎解きはかなり本格的であり、誰が殺されて、同時に、誰がなぜ殺したのか、がキチンと論理的な回答として示されます。
次に、島田裕巳『新宗教と政治と金』(宝島社新書)です。著者は、日本女子大学教授などを歴任した宗教研究者です。ヤマギシ会に入ったご経験もあるようです。ということで、本書のモチーフは、当然ながら、旧統一協会信者の2世が安倍元総理を銃撃暗殺した事件となっています。そして、本編は、1948年のクリスマスイブに岸信介、笹川良一、児玉誉士夫の3人が釈放されたところから始まり、岸~安倍家の統一協会とのつながりなどを示唆しつつも、この方面はそれほど深く分析検討がんされているわけではありません。他方で、私が考えるに、20世紀半ばからのお話でなくても、また、日本に限らなくても、その昔は祭政一致だったわけで、政治と宗教は一体であった期間が長いのはいうまでもありません。もちろん、時代が下って、祭政一致でなくても、江戸期には寺請制度で戸籍を仏教寺院が把握していたわけですし、明治期には国家神道が昭和に入って暴走した面があったりもします。そして、本書では昭和期の創価学会から始まって、生長の家や今もいくつかの選挙に挑戦していると聞き及ぶ幸福の科学などの新宗教の実態を明らかにしようと試みています。そして、タイトル通りに、政治に食い込んできた宗教団体の代表として創価学会が取り上げられています。そして、創価学会とは関係なく津地鎮祭訴訟から政教分離が進んだ経緯を解説し、でも、政治と宗教の分離に議論が進み、最後には、政教分離はともかくも、ホントに日本人的な無宗教はいいことなのかどうか、という議論がなされています。じつは、本書冒頭で著者ご本人のヤマギシ会の経験が明らかにされていて、やや引っかかるものがあったのですが、読んでみると、とてもニュートラルで一方的な偏りのないバランスの取れた内容の良書です。新宗教を考える基礎的な知識を得る上でとてもオススメできる内容です。フランスにおけるカルト規制についても取り上げています。最後に、本書の最終章は「『無宗教』であることの問題」と題されていて、無宗教について議論しています。実は、私が家族とともに海外暮らしをしたインドネシアでは無宗教は許容されません。役所への届出では、家族4人ともに仏教徒であると明記しておきました。なぜ、無宗教が許されないか、というと、無宗教は共産主義者に近い存在と見なされるからです。その基本的な論点は本書でも共有されています。そして、旧統一協会の別働隊、というか、同一なのかもしれませんが、勝共連合というのがあります。韓国本拠ですから、北朝鮮都の関係で共産主義への意識が高いのかもしれませんが、日本では宗教に縁薄い人たちが共産主義に近いかといえば、決してそうではありません。そのあたりの日本の実情についても、本書ではしっかりとスポットを当てています。
次に、文藝春秋[編]『統一教会 何が問題なのか』(文春新書)です。本書のモチーフもご同樣で、旧統一協会の2世信者による安倍元総理の銃撃・暗殺事件に基づいて、月刊誌の「文藝春秋」2022年9月号と10月号の特集記事を基に、8編のルポと論考、最後は座談会という構成で新書として編まれています。本書のタイトルに基づいて、冒頭の記事で、旧統一協会の中核となる宗教行為、すなわち、伝道と強化の方法、献金と物品購入の強制、合同結婚式への勧誘の3点がすべて違法であるとする判例が確定していることが明らかにされています。この冒頭章に続いて、「山上容疑者はなぜ安倍元首相を狙ったのか」がもっともボリュームがあり、実に詳細に渡る山上容疑者の意識や行動が明らかにされています。さらに、献金問題にもスポットが当てられていて、信者の高額献金により苦しむ家族の姿も浮き彫りにされています。また、献金だけでなく、合同結婚式で海を渡った日本人花嫁の実態も取材に基づいて明らかにされています。最後の座談会の前には、教義を解明しつつ、その中で、創始者の文鮮明の位置づけも言及されています。最後の座談会では元信者も含めて、いろんな意見が交換されています。本書は、タイトル通りに、新宗教一般ではなく、安倍元総理との関係で旧統一協会だけにスポットを当てています。ただ、その見方はかなり冷めていて、旧統一協会の主張が自民党に取り入れられたのではなく、むしろ、イベントの盛上げ役、あるいは、そういう表現はありませんが、「人寄せパンダ」としての有名政治家の価値を明確に認めた上で、むしろ、旧統一協会の方で家族観などについては自民党の方にすり寄ったのではないか、との見方が示されています。もっとも、考えるべきポイントとしては、旧統一協会については、宗教という側面からアクセスする政治家よりも、むしろ、勝共連合との関係で反共の立場からつながりを持つ政治家も少なくないのではないか、という点です。加えて、選挙における固定票というのは政治家にとって魅力的であったろうというのは私にも理解できます。逆に、昨今のように投票率が大きな低下を示して、固定票としての宗教票が投票の中で占めるウェイトが結果として高まってきている、というのが実態でしょう。もしも、政治に宗教団体の意見を持ち込ませるのを阻止したいのであれば、直接に宗教団体に批判・非難をするのではなく、宗教団体の意向ではなく自分の判断で投票する有権者を増やすことが必要だと思います。最後に、ネトウヨの世界で、ハングルを駅などの街中で見かけるだけで気分を害するような嫌韓・嫌中の人たちが、どうしてここまで旧統一協会に寛容なのか、私には謎です。
最後に、福田充『政治と暴力』(PHP新書)です。著者は、日本大学の研究者であり、専門は危機管理学とリスク・コミュニケーション、テロ対策です。本書では前の2書と違って、宗教は無関係にタイトル通りに政治と宗教の関係について、特に、テロ防止の観点から議論を展開しています。まあ、安倍元首相の銃撃・暗殺事件をモチーフにしながらも、「テロリズムとはなにか?」と題された第3章から、ほぼほぼ、一般的なテロのお話に終止している印象があります。ということで、第3章ではテロリズムの定義や分類などに言及され、プロパガンダ機能を持った心理的な武器であり、その意味で政治的なコミュニケーションの一種であることが明らかにされます。第4章では日本でのテロリズムの歴史が解き明かされ、そもそも、大化の改新につながる乙巳の変、すなわち、中大兄皇子と藤原鎌足による蘇我入鹿の暗殺がテロリズムであるとされ、日本では歴史的に要人が暗殺されてきた歴史がある、ということになります。まあ、私も5.15や2.26は正規陸軍部隊による武装蜂起とはいえ、決して内戦ではなくテロリズムだとは思いますが、いわゆる「拡大自殺」的な大量殺人、京アニ事件とか、大阪のクリニック放火事件とか、これらまでテロリズムというのであれば、あまりにも幅広くテロリズムを拡大しているような気がしないでもありませんでした。自分の専門分野ですから大きく考えるのは通常のバイアスだろうとは思います。経済学についても、極めて幅広い適用を志向する経済学帝国主義のような傾向は否定できません。ただし、仇討ちが一種の文化的伝統となっている点は、私も否定できません。そのために復讐心が強くて、先進国の中では数少なく死刑を廃止できない国民性であることは確かです。こういった議論の上で、第7章と第8章のテロリズム対策が議論されて、本書を締めくくっています。すなわち、オール・ハザード対応としてのテロリズム対策としては4点あり、(1) 情報の収集・分析・共有からなるインテリジェンス、(2) 事前対策のリスク・マネジメントと事後対応のクライシス・マネジメントを合わせたセキュリティ、(3) 対応に必要な物資、人員、組織の整備といったロジスティックス、最後に、(4) 社会一般に情報を伝達し、共有することで合意形成を図るリスク・コミュニケーション、となります。ただ、本書でも十分に意識されていますが、テロリズムへの根本的な対応、というかテロリズムの根絶のためには、民主主義がキチンと機能する基礎が必要です。正しく確実な民主主義の運営こそがテロリズムの芽を摘み取るもっとも重要な事前予防策であろうと私は考えます。
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