萩尾望都『百億の昼と千億の夜』(小学館プチコミックス)を読む
萩尾望都『百億の昼と千億の夜』(小学館プチコミックス)を読みました。1967年に出版された光瀬龍の同名のSF小説を原作として萩尾望都が漫画化しています。原作の小説にせよ、漫画にせよ、いくつかのバージョンがあるのですが、今回、私が読んだ漫画は小学館のプチコミックスから1985年に出版されたものでした。でも、この漫画が『少年チャンピオン』に連載されていたのは1970年代後半だと思います。どうでもいいことながら、1985年なんて大昔という印象がありますが、私はすでに公務員として働き始めていましたし、この年に阪神タイガースがセ・リーグで優勝し、日本シリーズも制しましたので、役所で祝勝会をやった記憶もあります。
ということで、なぜ読んだのかというと、先週の読書感想文ブログで、井上智洋『メタバースと経済の未来』(文春新書)を取り上げた際に、人類は肉体を棄てる、という結論を紹介しました。同時に、この『百億の昼と千億の夜』の漫画では、「A級市民はコンパートメントが提供されて、実体の肉体は惰眠するだけの存在になっていた」と不確かな記憶を引いておきました。その私の記憶を確認するために読みました。はい。私の記憶が正しかったです。ゼン・ゼン・シティではでっぷりと太ったA級市民はコンパートメントで眠っており、B級市民がコンパートメントを欲しがる、という部分があります。
またまた、どうでもいいことながら、いくつか不確かな知識を並べておくと、第1に、この1970年代から1980年代前半くらいまで、このころの日本の上流階級、というか、今でいうところの富裕層というのはゼンゼン・シティのA級市民のように、でっぷりと太っていた記憶があります。北朝鮮や中国の政権トップの体型は今でもそうなっているという気がします。40-50年くらい前までは日本の政権トップも似たようなものでした。ひょっとしたら、ある種のステータスであったのかもしれません。別のトピックながら、三島由紀夫が「人間というのは豚になる傾向をもっている」と予言したと、適菜収『日本人は豚になる』(KKベストセラーズ)では指摘しています。何かの関連があるかもしれません。ないのかもしれません。第2に、呼び方はともかく、A級市民とB級市民への階級分化については、ほかにもいろんな小説や映画などで扱われています。中でも、強烈に私の印象に残っているのが、貴志祐介『新世界より』(講談社文庫)です。人間とバケネズミの関係などで言及されています。さらに、どうでもいいことながら、この小説も及川徹が漫画化しています。
まったく新刊書読書でもなんでもないのですが、大学の授業や定期試験監督が一段落して、ややココロにゆとりがある週末の前に、冗長ながら、取り上げておきたいと思います。
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