今週の読書は経済書や人類学書のほかミステリも合わせて計5冊
今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、ジェフリー・ガーテン『ブレトンウッズ体制の終焉』(勁草書房)は、1971年8月の米国ニクソン政権による金ドルの交換停止を決定したキャンプ・デービッドでの会議をルポしています。続いて、里見龍樹『不穏な熱帯』(河出書房新社)は、ソロモン諸島におけるフィールド・ワークに基づき、人類学の新しい方向などにつき論じています。続いて、鵜林伸也『秘境駅のクローズド・サークル』(東京創元社)は、正面からのプロット勝負の本格ミステリの短編5話を収録しています。続いて、半藤一利『昭和史の人間学』(文春新書)は、昭和期の主として第2次世界対戦前後の陸海軍の軍人を中心とする人物評伝を編集しています。最後に、ウィンストン・グレアム『罪の壁』(新潮文庫)は、後にゴールドダガー賞として親しまれる英国推理作家協会 (The Crime Writers' Association)最優秀長篇賞の第1回受賞作品であり、兄の死の真相を弟が解明するものです。
ということで、今年の新刊書読書は、今年の新刊書読書は、先月1月中に20冊、そして、2月に入って先週まで9冊、今週の5冊を含めて計34冊となっています。
まず、ジェフリー・ガーテン『ブレトンウッズ体制の終焉』(勁草書房)です。著者は、米国イェール大学経営大学院の名誉学長ということですが、この著書からはジャーナリストなのかと思わせるものがあります。副題が「キャンプ・デービッドの3日間」となっているように、米国ニクソン政権において米ドルの金との交換停止を決断した会議のルポとなっています。エコノミストの間ではよく知られているように、1944年に米国東海岸の保養地であるブレトンウッズにおいて議論・決定された国際金融体制が崩壊し、終焉したわけです。ブレトンウッズ体制とは、本書では米ドルを金にリンクさせ、35ドルと1オンスの金との交換を保証しつつ、米ドルと各国通貨の間に固定為替相場制を敷いたものです。他方、こういった国際金融制度をサポートするために、世界銀行や国際通貨基金(IMF)といった組織を設立しているのですが、コチラの方は本書ではほぼほぼ無視されています。もちろん、同時に戦後経済体制を形作ったGATTについても、ここまで米国の貿易収支に注目しながらもほぼほぼ無視しています。ですので、本書は4部構成で、幕開け、配役、その週末、終幕、となっています。中心となる読ませどころは第3部でクロノロジカルに詳述されるルポだと思いますが、第2部ではエコノミストはほとんど注目しない会議参加者のパーソナリティなどが紹介されています。逆に、貿易収支以外の客観的な経済情勢はかなりの程度に省略されています。私と同じように、物足りないと感じるエコノミストは少なくないと思います。もちろん、エコノミストが注目していない点で、いくつか興味をそそられる事実も明らかにされています。そのひとつは、このニクソン政権の決定、訪中とその結果としての米中の国交樹立と並んでニクソン・ショックと称されるブレトンウッズ体制の崩壊、あるいは、一連の経済政策、すなわち、金ドル交換停止以外にも物価と賃金の凍結などが、米国民から熱狂的に支持された、という点は私も知りませんでした。その支持の強さは「パールハーバー以来」と表現されています。もっとも、私は1971年当時は中学生でしたので、言い訳しておきます。株式市場は株高で支持を表明し、米国以外の、特に日本の株価市場が大きく下げたのとは対象的です。加えて、1971年8月15日の当時のニクソン大統領のスピーチが、かなり詳細な脚注を付して紹介されているのは、それなりの資料的な価値もあると私は考えます。私が本書を読んで不可解なのは、著者が金ドル交換に大きな重点を置いている点です。ブレトンウッズ体制が終焉したのは、金ドル交換が停止されたからではなく、固定為替制が崩壊したからです。スミソニアン合意という一時しのぎではどうしようもなく、変動相場制に移行したのは歴史的事実です。その点まで、どうも、著者の理解が進んでいない気がします。経済学的な理解を基にするのではなく、むしろ、ジャーナリスティック、というか、インナー・サークルのセレブしか知りえない事実に対するのぞき見趣味的な満足感を得ようとするのは、私はどうも違和感あります。むしろ、巻末の「解題」が経済学的な興味を満たしてくれるような気がします。しかし、解題が判りやすいのは本文が判りにくいともいえ、いく分なりとも邦訳がそれほど上質ではない点は指摘しておきたいと思います。
次に、里見龍樹『不穏な熱帯』(河出書房新社)です。著者は、早稲田大学の研究者であり、専門は文化人類学です。本書は3部構成であり、他者、歴史、自然、から構成されています。2011年7~9月における著者のフィールドワーク、ソロモン諸島マライタ島におけるフィールドワークを中心に、幅広く人類学の方法論や学説史にまで言及されています。タイトルは、当然ながら、レヴィ-ストロースによる Tristes Tropiques を念頭に置いているんだろうと思います。「不穏な熱帯」だったら、"Inquiétantes Tropiques" とでもなるんでしょうか。私はスペイン語はともかく、フランス語はサッパリですので、自信はありません。なお、私の専門は、もちろん、経済学なのですが、経営学なんぞよりも人類学などの方が、より、経済学に近い隣接領域だと考えています。終章「おわりに」のエピグラフにあるように、精神分析と文化人類学は人間という概念なしで済ませられる、といいますが、経済学はもっとです。人間が出てきません。合理的な経済活動を営むのであれば、人間でなくても動植物やロボットでもOKです。そういう意味で、本書もとても刺激的でした。例えば、民族誌的な記述と自然概念についての哲学的な思索という両極端を本書の中で統合させようとした著者の試みは、高く評価されるべきだと考えます。しかし、いかに隣接領域とはいえ、私は人類学にはトンと専門性がありませんので、人類学の方法論について、少し論じたいと思います。すなわち、本書で「存在論的転回」と称されている人類学の転換とか、自然/文化の二分法については、私はマイクロな学問/観察とマクロな学問/観察の違いではないか、と考えています。自然科学は別にして、社会科学ないし人文科学で学問領域をマイクロとマクロに分割する二分法が明快に確立しているのは経済学と心理学であると私は受け止めています。経済学ではモロにミクロ経済学とマクロ経済学が併置されています。心理学でも、フロイト的な個人を対象とする臨床心理学とツベルスキー=カーネマンに代表される社会心理学が並立しています。おそらく、人類学でも従来の民族誌的なエキゾチシズムに立脚する多文化の研究、という側面と、もっとマクロに自然と人類の間のインタラクティブな関係を考察する学問領域が出来るのではないか、という気がしています。本書でいうところの「岩が育つ」、「岩が死ぬ」といった自然を外部と考えるのではなく、人類の活動の内なる対象と考える人類学がありそうな気がします。というのは、ごく当たり前に考えている労働について、経済学では自然に対する働きかけ、と定義する場合が少なくありません。もちろん、英語表現で2種類ある "made of" と "made from" の違いはあるとしても、少なくとも製造業においては、自然に存在する原料や燃料を基にして、労働という人間作業を加えて製品を作り出す過程であると考えられます。サービス業で少し製造業とは違う側面があることは否定しませんが、ごく一部の例外を除けば、自然にはあり得ないサービスの提供であることは間違いありません。例えば、理美容というサービスについて考えると、こういったサービスなしに自然のままでは髪の毛は伸び放題だったりします。そして、いうまでもなく、労働という人間作業がサービスを生み出しているわけです。本書の幅広い論点をカバーし切るだけの能力が私にはありませんが、少なくとも自然/文化の二分法については、人類学よりは経済学の方が新たな論点を提供できる可能性が高い、と考えています。最後の最後に、数多くのソロモン諸島とおぼしき写真が収録されていますが、何の説明もなく、ランドスケープの横長写真がポートレートの縦長に回転させて配置されています。何とかならなかったものでしょうか?
次に、鵜林伸也『秘境駅のクローズド・サークル』(東京創元社)です。著者は、ミステリ作家です。そして、昨年の芥川賞受賞の高瀬隼子、今年の直木賞受賞の千早茜と同じように、というか、何というか、私の勤務校の卒業生です。3人とも文学部のご主審であり、経済学部ではありませんが、私は実は文学部や法学部などでも授業を持っていたりします。琵琶湖キャンパスから京都の衣笠キャンパスに週イチとはいえ、通勤するのはなかなかタイヘンだったりします。ということで、本書は、5編の短編が収録されていて、堂々の王道ミステリです。ホラーの要素はほぼほぼなく、倒叙ミステリや叙述ミステリでもって、表現で読者をミスリードするわけではなく、正面からプロットでもってパズルを解こうとします。不勉強にして、この作者の作品は初めて読んだので、ほかの作品もそうなのかは不明です。あらすじを収録順に追うと以下の通りです。「ボールがない」は、そこそこ名門、というか、古豪の高校野球部の新入生を主人公とし、上級生が対外試合に出かけた際の居残り練習で、練習開始時に100個あったボールが練習終了時には1個不足し、消えたボールを探し出そうと論理的に考えます。記念ボールの扱いが上手です。「夢も死体も湧き出る温泉」は、ひなびた温泉の食堂の倅が主人公で、川原の手掘り温泉で突如として死体が発見され、その犯人はもちろん、死体出現のトリックについても解き明かそうと試みます。この作品と最後の表題作は行きずりの旅人っぽい登場人物が謎解きをします。「宇宙倶楽部へようこそ」は、10年前を振り返るという形で、その当時の高校の宇宙倶楽部=天文部を舞台に、相談に来た高校新入生を主人公に、主人公宛てに届いたナゾのメールについての解明が天文部員によって試みられます。なかなか、カッコいい終わり方です。「ベッドの下でタップダンスを」は、会社社長の奥さんに間男をする従業員を主人公に、社長が思わぬ時刻に帰宅したためベッドの下に逃げ込んだものの、見張りをしている社長がいるために抜けでられないうちに居眠りしてしまいますが、何と、その居眠りの間にベッドを見張っていたハズの社長が撲殺され、その犯人と方法が主人公によって解明されます。「秘境駅のクローズド・サークル」は大阪にある大学の鉄道研究会の新歓イベントで土讃線の秘境駅を旅行している新入生を主人公に、周囲に何もない秘境駅のクローズドサークルで先輩の女性部員が殺される事件を、これまた、通りすがりの別の鉄道オタクが解明します。繰り返しになりますが、正面から堂々のトリック勝負の本格ミステリです。すべてではありませんが、最初の作品の記念ボール、あるいは、最後の表題作の鉄研OB/OGの登場などのように、短い作品ながら、キチンと伏線が張られている作品もあり、それなりに読み応えはあります。5篇の短編のうち、いかにもミステリらしい殺人は3話、高校生の日常の謎解きが2話、まあ、バランスも考えられています。ただ、高校生や大学生、あるいは、社会人でも若い主人公が多いことは確かです。いずれにせよ、私の勤務校の卒業でもあり、これからも応援したいと思います。
次に、半藤一利『昭和史の人間学』(文春新書)です。著者は、昨年なくなった『文藝春秋』の編集者であり、昭和市に関する書籍も多数出版しています。まあ、昭和史の研究者といっていいかもしれません。本書は、タイトルが人間学ですから、多くの人物が議論されています。ただ、年代としてはタイトルにある昭和全体というよりは、第2次対戦前後に限定されています。ですから、本書の構成は7章構成なのですが、最後の章の政治家と官僚を別にして軍人で占められています。すなわち、卓抜、残念、その他の3カテゴリーかつ陸軍と海軍で2×3の6章となります。もちろん、著者はすでに亡くなっているわけですので、既発表の雑誌記事などを編集しています。私自身は本書に取り上げられている人物については、もりとん、あったこともなければ、それほど評伝のようなものを読んでいるわけでもないので、本書の人物評については何とも評価し難いのですが、巷間いわれている評価にかなり近い、というか、本書の著者などの評価が広く人口に膾炙している、という気がします。ただ、軍人については軍事作戦や軍事行動に関しては、何とも評価は難しいのだろうと想像しています。卓抜の軍人について褒めちぎるわけではありませんが、残念な軍人については容赦なく批判を加えています。中には、戦争が終わってからインタビューをした対象者もいますが、それほどインタビューの有無が人物評の中心となっている印象は読み取れませんでした。ただ、私の直感としては、ある意味で、異常な状態だった戦時ではなく、歴史として戦争を振り返る時点でのインタビューに、それほど大きな意味があるようには思えません。もちろん、粉飾のおそれもありますから、むしろ、古文書のような考えで資料をひも解くのが一番かという気もします。本書は、それほど取りまとめられた文献とは思えませんが、だんだんと遠ざかる昭和、特に、戦争に関するひとつの見方を提供してくれる貴重な資料だと思います。
最後に、ウィンストン・グレアム『罪の壁』(新潮文庫)です。著者は、英国人作家であり、本作品は後にゴールドダガー賞として親しまれる英国推理作家協会 (The Crime Writers' Association=CWA)最優秀長篇賞の第1回受賞作品です。しかも、出版社の宣伝文句では本邦初訳のオリジナル作品、ということです。1950年代なかば、戦争の影がまだ残り、同時に東西冷戦の対立が厳しい英国から欧州大陸、オランダとイタリアを舞台にしています。主人公は、ターナー兄弟末弟3番めのフィリップです。米国カリフォルニアで航空機の開発の仕事をしていましたが、考古学者としてジャカルタで発掘作業をしていた次兄グレヴィルが帰国途上のオランダで死んだと知らされて、家業を継いだ長兄のもとに帰国します。兄グレヴィルは優秀な物理学者であったにもかかわらず、マンハッタン計画の原爆開発に関与することから逃れるために考古学に転じています。しかし、フィリップはグレヴィルがオランダの運河に身を投げて自殺したと知らされて、到底信じることが出来ず、自ら真相を解明すべくオランダに乗り込みます。その際、レオニーという謎の女性とバッキンガムという英国人が関係している疑いがあると聞き及び、バッキンガムを知ると紹介されたコクソンに動向を依頼します。コクソンはスコットランド貴族の血筋の英国人です。そして、当地警察で、レオニーという名の女性との恋愛に敗れて自殺したらしい、と聞き込みます。さらに、レオニーがイタリアに滞在しているとの情報があり、事情で同行できないコクソンと別行動し、単身でイタリアに向かいます。もちろん、最後に兄グレヴィルの死の真相を解明します。いかにも、大時代的ではありますが、驚愕の真相です。思っても見なかった人物がバッキンガムだったりします。また、繰り返しになりますが、1950年代半ばの時代背景ながら、古さをまったく感じさせません。どうしても、電報での連絡が出て来たりしますが、飛行機での移動などは現在と同じです。ただ、オランダとイタリアの違いがどこまで書き分けられているのか、やや疑問がありました。ジャカルタでの考古学の発掘作業、ということで、旧宗主国のオランダということになったのでしょうが、せっかくですから、国情や警察の対応の違いなんかも言及した方がいいような気もしないでもありませんでした。私の知る範囲では、同じラテンの国でスペインとイタリアならよく似ているのに、とついつい思ってしまいました。
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