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2023年7月22日 (土)

今週の読書は経済書2冊のほか計6冊

今週の読書感想文は以下の通り、難解な学術論文である経済書と軽めの経済書のほか、生成型AIのリスクに関する新書など計6冊です。
まず、マーク・フローベイ『社会厚生の測り方 Beyond GDP』(日本評論社)は、フランスのエコノミストがGDPに代わる経済指標を模索し等価所得アプローチを提唱しています。森永卓郎『ザイム真理教』(フォレスト出版)は、財務省による財政均衡主義について強い批判を展開しています。平和博『チャットGPT vs. 人類』(文春新書)は、生成型AIと人類の関係についてプライバシーの侵害や雇用の消失を例に考えています。佐伯泰英『荒ぶるや』と『奔れ空也』(文春文庫)は、「空也十番勝負」の締めくくりの第9話と第10話であり、坂崎空也が武者修行を終えます。最後に、夏山かほる『新・紫式部日記』(PHP文芸文庫)は、平安期におけるとても上質な宮廷物語に挑戦しています。
ということで、今年の新刊書読書は交通事故前の1~3月に44冊でしたが、6月に19冊、7月に入って先週までに17冊の後、今週ポストする6冊を合わせて86冊となります。今年は年間150冊くらいかもしれません。
なお、新刊書読書ではないので、本日の読書感想文では取り上げませんが、三浦しをんのエッセイ『のっけから失礼します』(集英社)と松本清張『砂の器』上下(新潮文庫)を読みました。『砂の器』は再読ですし、まあいいとしても、『のっけから失礼します』は相変わらずおバカなエッセイ炸裂で楽しめましたので、Facebookあたりでシェアするかもしれません。

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まず、マーク・フローベイ『社会厚生の測り方 Beyond GDP』(日本評論社)です。著者は、フランスのパリ・スクール・オブ・エコノミクスの研究者であり、本書は学術論文である Fleurbaey, Marc. (2009) "Beyond GDP: The Quest for a Measure of Social Welfare." Journal of Economic Literature 47(4), December 2009, pp.1029-75 の全訳に訳者の解説などを加えた出版となっています。その昔から主張されているように、GDPは市場で取引される財の付加価値を集計したものであり、市場取引だけでは計測できない経済的厚生をどう扱うかは経済統計の大きな課題となっています。本書では、等価所得アプローチを取り、経済的厚生の個人間比較を行って、分配に配慮した経済社会的評価を行うことを推奨しています。と簡単にいうと、それだけなのですが、これだけで理解できる人はかなり頭がいいということになります。ハッキリいって、かなり難解な学術論文を邦訳していますので、訳者の解説やコラムがあっても、もちろん、そう簡単に理解できるものではありません。一般のビジネスパーソンを読者に想定するには少しムリがあるような気がします。例えば、判りやすい例でいうと、p.69の確実性等価があります。確率½で100万円、残りの確率½でゼロのギャンブルと、100%確実にもらえる50万円は、合理的な確率の上では等価と考えるべきですが、実際の人々の選択では、後者の確実な50万円が選択されます。ですから、後者は例えば30万円のディスカウントすれば等価と考えることができますが、こういった個人間で評価の異なる比較をどこまで可能なのかが、私には疑問です。ただ、本書では、環境などを考慮に入れた補正GDPについても、あるいは、セン教授の提唱した潜在能力アプローチも、そして、もちろん、国民総幸福量といった指標も、すべて否定的に取り上げています。私も基本的にこれらの点は同意するのですが、本書をはじめとして抜け落ちている視点をひとつだけ指摘しておきたいと思います。それは、雇用の視点です。現在のGDPは批判が絶えませんが、雇用との関係は良好です。例えば、本書ではストックが喪失した場合に、例えば、地震で道路が損壊した場合など、そのストックの修復に費やす市場取引がGDPに計上される計算方法に対して疑問を呈していますが、私は道路が地震で損壊したら、その修復のためにGDPが増加するわけで、そして、そのGDPの増加は雇用と結びついているわけですから、経済指標を雇用との関係で考えるとすれば、決して、GDPが有用性を失うことはない、と考えています。何か宙に浮いたような社会的な厚生を議論するのもいいのですが、雇用を重視する私のようなエコノミストには、GDPは雇用との連動性が高いだけに、まだまだ有用な経済指標であると強調しておきたいと思います。

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次に、森永卓郎『ザイム真理教』(フォレスト出版)です。著者は、テレビなどのメディアでもご活躍のエコノミストです。本書は、財政均衡主義に拘泥する財務省について強い調子で批判を加えています。まず、著者が当時の専売公社、今のJTに入社した当時の財務省との折衝から始まって、ザイム真理教を宗教的な教義、でも、カルトと指摘しています。特に興味深いのは第4章でアベノミクスの失敗の原因を消費税率の引上げと指摘している点です。私もまったく賛成です。さらに、強力なメディアなどのサポーターを得て、公務員をはじめとするザイム真理教の「教祖」や幹部の優雅な生活を暴き、最後に、現在の岸田内閣は財務省の傀儡であると糾弾しています。これまた、私もほぼほぼ大部分に賛成です。残念ながら、理論的な財政均衡主義に対する反論はほとんどありませんが、インフレで持って財政の規模をインプリシットに考える、という点は現代貨幣理論(MMT)と通ずるものがあると私は理解しています。そして、実は、私が戦慄したのは最後のあとがきです。pp.189-90のパラ4行をそのまま引用すると、「本書は2022年末から2023年の年初にかけて一気に骨格を作り上げた。その後、できあがった現行を大手出版社数社に持ち込んだ。ところが、軒並み出版を断られたのだ。『ここの表現がまずい』といった話ではなく、そもそもこのテーマの本を出すこと自体ができないというのだ。」とあります。著名なエコノミストにしては、失礼ながら、あまり聞き慣れない出版社からの本だと感じたのは、こういった背景があったのかもしれません。安倍内閣から始まって、現在の岸田内閣でも政権批判に関して言論の自由度が大きく低下していると私は危惧しているのですが、コト財政均衡主義に関してはさらに厳しい言論統制が待っているのかもしれません。というのは、日本に限らず世界の先進国の多くで、財政均衡主義というのは、右派や保守派ではなく、むしろ、左派やリベラルで「信仰」されているからです。政府の規模の大きさとしては、確かに、右派や保守派で「小さな政府」を標榜するわけで、左派リベラルは「大きな政府」を容認するように私は受け止めていますが、その政府の規模ではなく財政収支という点では、むしろ、左派リベラルの方が財政均衡主義を「信奉」し、逆に緊縮財政を志向しかねない危うさを私は感じています。それだけに、本書のような財政均衡主義に対する反論は左派からも右派からも批判にさらされる可能性があります。ただ、最後に、本書で指摘している点、まあ、公務員に対する批判はともかくとして、財政均衡主義がほとんど何の意味もない点については、広く理解が進むことを願っています。

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次に、平和博『チャットGPT vs. 人類』(文春新書)です。著者は、ジャーナリスト出身で、現在は桜美林大学の研究者です。実に、タイトルがとても正確なので、私もついつい手に取って読み始めてしまいました。本書では、GPT-2くらいのバージョンから話が始まって、GPT-3、GPT-3.5、そして現在のGPT-4くらいまでをカバーしています。AIの影響が大きいのは、軽く想像されるように、学校とメディアです。特に、私が勤務する大学教育のレベルでは、例えば、リポート作成にAIが活用されると、学習の達成度は測れませんし、果たして、人類が頭を使ってAIを使いこなすという教育と、人類がAIに回答を作成するよう依頼する教育と、どちらを実践しているのか、まったく不明になります。ここは混乱するのですが、何かの目標に向かって、例えば、売上げ目標達成のためにAIを活用して戦略を練る、というのはOKなのですが、その目標が授業のリポート作成だったりすると困ったことになるわけです。今年から急に持ち上がった点ですので、大学教育の現場でも試行錯誤で決定打はなく、しばらく混乱は続きそうな気もします。ということで、私自身の身近な困惑は別にして、果たして、AIは人類とどのような関係になるのか、という点が本書の中心です。ただ、やや本質からズレを生じている気はしました。すなわち、AIが「もっともらしいデタラメ」、あるいは、はっきりとしたフェイクニュースを作成し始める、という事実はいくつかありますし、プライバシーが侵害されるという心配ももっともです。そして、こういった観点から本書で指摘されているプライバシーの侵害、企業秘密の漏出、雇用の消失、犯罪への悪用といったリスクだけではない、と覚悟すべきです。すなわち、こういった本書で指摘されているリスクは、あくまでAIが悪用されるリスクであって、例えば、ウマから自動車に交通手段が切り替わった際に、交通事故が増えた、という点だけに本書は着目している危惧があります。私はむしろAIの暴走がもっとも大きなリスクだと考えています。今までの技術革新では、自動車や電話やテレビが、自分から暴走することはなく、それらを製造する、あるいは、利用する人類の不手際がリスクの源泉だったわけですが、AIの場合はAIそのものが暴走してリスクの源泉となる可能性が十分あります。人類のサイドからすれば「暴走」ですが、AIのサイドからすれば「進化」なのかもしれませんが、それはともかく、その暴走あるいは進化したAIに人類は太刀打ちできない可能性が高いと私は考えています。その上、本書では経済社会面だけに着目していますが、軍事面を考えると暴走・進化したAIが人類を滅亡させる、そこまでいわないとしても、人類がその規模を大きく縮小させる可能性も私は否定できないと考えています。

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次に、佐伯泰英『荒ぶるや』『奔れ空也』(文春文庫)です。著者は、小説家であり、この2冊は「空也十番勝負」のシリーズを締めくくる第9話と第10話となっています。出版社も力を入れているようで、特設サイトが開設されていたりします。時代は徳川期の寛政年間、西暦でいえば1800年前後となり、主人公の坂崎空也は江戸の神保小路で剣道場主をしている坂崎磐音の嫡男であり、その坂崎家の郷里がある九州から武者修行に出ています。まず、薩摩に入り、九州を北上して長崎から、何と、上海に渡ったりした後、山陽道を西へ向かい、京都から武者修行の最終地と決めた姥捨へと向かいます。第9話となる『荒ぶるや』では、京都の素人芝居で、祇園の舞妓さん扮する牛若丸・義経に対する武蔵坊弁慶を空也が演じたりします。最終第10話『奔れ空也』では、京都から奈良に向かう途中で小間物屋のご隠居とともに柳生の庄を訪ねたりします。そして、サブタイトルになっている「空也十番勝負」が繰り広げられ、もちろん、空也は勝負に勝って生き残ります。私は空也の父の坂崎磐音を主人公にした「居眠り磐音江戸草紙」のころからのファンで、磐音を主人公にするシリーズは全51話を読み切っています。この空也のシリーズは、何となく、もう読まないかも、と思っていたのですが、やっぱり、時代小説好きは変わりなく全話を読み切りました。なお、どうでもいいことながら、作者はもともとが時代小説の専門ではないのですが、こういったシリーズに味をしめたのか、あとがきで続編がありそうな含みを持たせています。

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最後に、夏山かほる『新・紫式部日記』(PHP文芸文庫)です。著者は、本書の巻末の紹介では短く「主婦」とされているのですが、学歴としては九州大学大学院博士後期課程に学んでいますし、本書で日経小説大賞を受賞して作家デビューを果たしています。本書は2019年に日本経済新聞出版社から単行本で出版され、今年になってPHP文芸文庫からペーパーバックのバージョンが出版されています。ということながら、広く知られている通り、『紫式部日記』というのは存在します。本家本元の紫式部ご本人が書いています。当然です。なお、私自身は円地文子の現代訳で『源氏物語』を読んでいますが、本書の基となった『紫式部日記』は読んでいません。そして、紫式部というのは『源氏物語』の作者であり、来年のNHK大河ドラマで吉高由里子を主演とし「光る君へ」と題して放送される予定と聞き及んでいます。何と、その新板の『新・紫式部日記』なわけです。ストーリーはもう明らかなのですが、本書では紫式部ではなく、多くの場合、藤原道長より与えられた藤式部で登場しますが、紫式部は学問の家にまれ育って漢籍にも親しみながら、父が政変により失脚して一家は凋落します。しかし、途中まで書き綴った『源氏物語』が評判となって藤原道長の目に止まり、お抱えの物語作者として後宮に招聘され、中宮彰子に仕えることになります。帝の彰子へのお渡りを増やそうという目論見です。まだまだ、亡くなった先の中宮の定子の評判が高い中で彰子を支えて、さらに、物語の執筆も進めるという役回りを負い、さらに、紫式部自身が妊娠・出産を経る中で、藤原道長が権謀術数を駆使して権力を握る深謀に巻き込まれたりします。もちろん、この小説はフィクションであって、決して歴史に忠実に書かれているわけではない点は理解していますが、実に緻密かつ狡猾に練り上げられています。フィクションであることは理解していながらも、かなり上質の「宮廷物語」ではなかろうか、と思って読み進んでいました。

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