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2023年7月 8日 (土)

今週の読書は日本の経済成長に関する経済書をはじめ計6冊

今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、平口良司『入門・日本の経済成長』(日本経済新聞出版)は、標準的なマクロ経済学を基に成長論の基礎とその日本への応用を試みています。中島京子『やさしい猫』(中央公論新社)は、スリランカ人に対する入管当局の差別的・非人道的な扱いを直木賞作家が取り上げています。堤未果『デジタル・ファシズム』(NHK出版新書)と『堤未果のショック・ドクトリン』(幻冬舎新書)は、気鋭の国際ジャーナリストがデジタル化の推進に置いて、あるいは、震災やコロナといった惨事に便乗してネオリベな政策で国民が犠牲にされる様子を的確な取材でルポしています。現代ビジネス[編]『日本の死角』(講談社現代新書)は、日本や日本人について常識とされていたり、固定観念になっている理解を改めて考え直そうと試みています。最後に、辻田真佐憲『「戦前」の正体』(講談社現代新書)は、神話であって実在しない神武天皇や神功皇后などのナラティブから戦前とは何だったのかを考えています。なお、中島京子『やさしい猫』(中央公論新社)と堤未果『デジタル・ファシズム』(NHK出版新書)については、2年ほど前の出版なのですが、まあ、新刊書読書として含めています。
ということで、今年の新刊書読書は交通事故前の1~3月に44冊、6月に19冊の後、7月に入って先週は5冊、さらに今週も6冊、ということで、合わせて74冊となります。今年は交通事故による入院で、新刊書読書はたぶん例年の200冊には達しない気がします。

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まず、平口良司『入門・日本の経済成長』(日本経済新聞出版)です。著者は、明治大学の研究者であり、専門はマクロ経済学です。経済成長に関してのタイトル通りの入門書であり、3部構成となっています。特に、第3部では日本経済の現状から高齢化、教育、マクロ政策、環境の4つの課題をから解明しようと試みています。しかし、こういった4課題だけに着目しているわけではなく、第1部では、コブ-ダグラス型の生産関数を基に、ソロー-スワンの新古典派成長理論、マンキューらの定量分析、また、ローマーらの内生的成長理論と幅広く、かつ、標準的な成長論を取り上げています。続く第2部では、特に生産性や格差の議論がよく取りまとめられている印象です。ただし、金融については Arcand らによる有名な "Too much fimance?" という金融過剰の問題はバブル経済との関係で、次の第3部の日本経済との関連で手短に触れられているに過ぎません。そして、最終第3部では最初の4課題に即して日本経済の成長について論じられています。私は、大学の授業でGDPの3ステージと称して、GDP=人口×(労働者数/人口)×(GDP/労働者数)の要因分解を示し、GDPとは人口と人口当たり労働者数と労働者当たりGDP=労働生産性の積であり、人口が増え、専業主婦や高齢者が労働に参加する割合を高め、労働生産性が上がればGDPの成長も促進される、と教えています。しかし、他方で、経営者がいうように、賃金が上がらないのは労働生産性が伸びないからである、ということはあるとしても、本書でも指摘しているように、労働生産性が伸びないのは投資が進まずに労働者あたりの資本ストックが増えないという要因も大いに関係しています。そして、投資が進まず資本ストックが増えないのは、元に戻って、賃金が上がらず相対的に資本よりも労働のほうが安価であるからです。賃金と生産性と投資が悪循環を来しているわけです。その当たりの突破口をどこに見出すか、本書では必ずしも明確ではありません。もちろん、生産性は需要の伸びに大いに依存しますので、経済政策によってGDPギャップを埋めて労働生産性を上げる、というのがひとつあります。金利を下げるなどによって投資を促して労働生産性を上げる、という手もあります。ややトリッキーですが、賃金を上げて相対的に有利になった投資を促進する、という手すら考えられます。さまざまな方策が考えられる中で、本書p.219から指摘している通り、脱成長論には疑問もいっぱいあります。ということで、やや取りとめありませんでしたが、基本的に、本書では主流派的な経済成長論をしっかりと論じています。その意味で好著、良書と考えられます。ただ、影付きの数式がやたらと日本語になっていて、かえって見にくい、という点は減点材料かもしれません。学部3-4年生くらいからビジネスパーソンまで幅広くオススメできます。

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次に、中島京子『やさしい猫』(中央公論新社)です。著者は、小説家であり、2010年に『小さいおうち』で直木賞を受賞しています。本、というよりも、今年2023年6月24日(土)を第1回として夜の10時から同名のタイトルでNHKドラマとして放送されています。全5回だそうです。実は、本書は2年前の出版であって、私の基準からする新刊書とはいいがたいのですが、ドラマで話題になっていることも考慮して、新刊書読書として取り上げました。悪しからず。ということで、本書では、我が国の入管制度についての鋭い批判が展開されています。もちろん、バックグラウンドとして、名古屋入管の施設でスリランカ人女性ウィシュマ・サンダマリさんが亡くなった事件を思い浮かべる読者も多いと思います。物語は、東京で決して豊かではないながらも穏やかな生活を送っていた母子家庭において、大震災のボランティア活動から知り合ったスリランカ男性との家庭生活を守るための入管当局との闘いです。主人公は保育士ミユキさんの娘であるマヤさんで、この主人公が小学4年生の時に、震災ボランティアで現地入りしたミユキさんが、8歳年下の自動車整備工でスリランカ人のクマさんと知り合ったところからストーリーが始まります。ストーリーは主人公のマヤが誰かに語りかける形を取っています。最後にこの点は謎解きされます。なお、マヤの父親はマヤが3歳の時に病没して、震災ボランティアからいろいろあって、保育園でのスリランカデーといった催しもあって、ミユキさんとクマさんが同棲して結婚することになりますが、その6月に予定されていた結婚式の直前にクマさんの勤める工場が倒産してクマさんが失業し、そのあたりからおかしくなり始めます。クマさんは4月に失業しながら、ミユキさんに打ち明けることができず、就労機会を求めたアルバイトしたりします。そうこうしているうちに、クマさんのビザが9月に失効します。それでも、ミユキさんとクマさんは12月に結婚を役所に届けます。そして、入管当局に配偶者としてのビザ申請に行こうとして、品川駅から入管に向かうところで警官に職務質問され、オーバーステイの不法滞在で逮捕されてしまいます。ミユキさんとクマさんの結婚はビザ取得のための偽装ではないか、という見方に基づいています。そして、クマさんが入管に収容され強制送還が決定されながら、ミユキさんは主人公のマヤがハムスター先生と呼ぶ恵弁護士を雇って裁判に訴え、もちろん、ハッピーエンドで滞在許可を取り付ける、というストーリーです。主人公のマヤは高校3年生になっています。本書の中でほぼ10年近くが経過するわけです。とても心温まるとともに、日本の入管当局に対する大きな疑問が発生します。入管当局だけでなく、日本人にあまねく広がっている外国人差別、特に、白人の欧米人はいいとしても、アジア人に対する大きな差別というのは、私の心を暗くしました。最後に、どうでもいいことながら、クマさんのする頭の動きで、本書で「スリランカ人のイエス」と呼ばれている動きは、私の知る限り、スリランカ人というよりは、Indian Nod として知られているものではないか、という気がしています。ちゃんとドラマを見ていないので不明です。

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次に、堤未果『デジタル・ファシズム』(NHK出版新書)です。著者は、気鋭の国際ジャーナリストです。本書では、コロナ禍の下でデジタル化の推進という美名に隠れて、怒涛のような「売国ビジネス」が進んでいる実態を明らかにしようと試みています。その「売国ビジネス」3項目に基づいて、行政、金融、教育の3部構成としています。デジタル庁の創設からデジタル化が進められ、現在のマイナンバーカードにつながっている点は広く知られている通りだと思います。さらに、健康保険証の廃止と相まって大混乱を来しそうな予感がするのは私だけではなかろうと思います。地方再生やスマートシティの推進でも、国内の巨大資本とともに外資の暗躍が見られます。金融でも、キャッシュレス化の推進という名目を上げて、クレジットカードはもちろん、QRコード決済などが進められようとしています。もちろん、高額紙幣が犯罪に悪用されかねないのは可能性としてあるとしても、IT企業がこぞってQRコード決済に乗り出す現状を不思議に感じている人も少なくないと思います。さらに、教育については、タブレットを生徒や学生に配布してオンライン教育を進める必要がどこまであるのか、それよりも過酷な教員の働き方を見るにつけ、タブレットを購入するよりも教員増の方に予算を振り向ける方がいいんではないか、と思うのも私だけではないと感じています。そして、こういったデジタル化の裏側に巨大な利権があり、しかも、国内企業だけではなく、海外資本にこういった利権を提供しようとしている政府の姿が本著で浮き彫りになっています。ネオリベな政策の下で、ポジな面だけが強調されて進められているデジタル化について、ネガな面も含めて評価し、デジタル化の推進が国家統制やファシズムにつながらないように監視する必要性が痛感されました。なによりも、国家や国家の運営をあずかる政府のシステムは「三権分立」に象徴されるように、性悪説に立った制度設計がなされる必要があり、デジタル化についても、事故の可能性を含めて、国民に不利益をもたらさないような方向性が求められることは再確認しておきたいと思います。なお、本書の次に先週取り上げた『ルポ 食が壊れる』が来て、そして、さらに次に『堤未果のショック・ドクトリン』が公刊にされています。

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次に、堤未果『堤未果のショック・ドクトリン』(幻冬舎新書)です。著者は、前所前書と同じで注目の国際ジャーナリストです。本書にもあるように、「ショック・ドクトリン」とはカナダ人ジャーナリストのナオミ・クラインの著書のタイトルに基づいており、テロや大災害などの惨事が発生した際に、恐怖で国民が思考停止しているところに政府や巨大資本が、どさくさ紛れに過激なネオリベ政策を推し進める悪魔の手法のことで、日本語訳としては「惨事便乗型資本主義」と訳されることもあります。ということで、我が国でも2011年の大震災、そして、2019年末、というか、本格的には2020年からの新型コロナウィルス感染症(COVID-19)パンデミックなどに乗じてネオリベな政策が推し進められ、現在では、その総仕上げとして防衛費=軍事費の倍増やマイナンバーカードの健康保険証との紐づけなどが着々と進行していることは、広く報じられているとおりかと思います。本書ではp.43で、死産災害などに加えて、政府自らがショックを起こすという観点も含めて、以下の5段階で示しています。すなわち、① ショックを起こす、② 政府とマスコミが恐怖を煽る、③ 国民がパニックで思考停止する、④ シカゴ学派の息のかかった政府が、過激な新自由主義政策を導入する、⑤ 多国籍企業と外資の投資形が、国と国民の試算を略奪する、という具合です。そして、こういった手法で日本を絡め取る具合的な動きが3章に渡って展開されています。マイナンバーカードによる国民監視、コロナ・ショックに乗じた外資製薬会社の丸儲け、そして、SDGsや環境重視の先に見えるディストピア、です。最後のSDGsなんかは反論の難しいところなのだという気がしますが、キチンとした取材に基づいて法外な利権の存在を浮き彫りにしています。ただ、本書で強調されすぎているのは「日本vs外資」という構図です。どうしても、我が国支配層の対米従属が強いので、こういった見方になりがちですし、私も部分的にはしょうがないとは思うのですが、「国民vs巨大資本」という見方に早く修正することが必要です。この巨大資本の典型、というか、一部が外資なだけであって、国内巨大資本も含めた国民収奪の構図を見逃すリスクがあると思ってしまいました。

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次に、現代ビジネス[編]『日本の死角』(講談社現代新書)です。編者は、201年創刊のビジネスメディアだそうです。タイトルは「死角」となっていますが、むしろ、日本に関する固定観念や常識に対する疑問を提示し、必要に応じて反論することを趣旨としているようないがします。その固定観念の一例が本書冒頭のpp.3-4にあり、日本の集団主義、衰退、非婚、移動しない、学校のいじめ、などなどとなっています。簡単に編者のサイトからコピペで内容を羅列すると以下の通りです: 「日本人は集団主義」のウソ 中国で見た「日本衰退の理由」 なぜ若者は結婚しないのか? 「ハーバード式・シリコンバレー式教育」の落とし穴 日本の学校から「いじめが絶対なくならない構造」 地方で拡大する「移動格差」 「死後離婚・夫婦別墓」の時代 「中国の論理」に染まるエリート学生たち 若者にとって「個性的」が否定の言葉である理由 なぜご飯は「悪魔」になったのか? 「ていねいな暮らし」ブームと「余裕なき日本社会」 災害大国の避難場所が「体育館」であることの違和感 女性に大人気「フクロウカフェ」のあぶない実態 性暴力加害者と被害者が対面したらどうなるのか? アフリカ人と結婚した学者が考える「差別とは何か」 “褐色肌・金髪・青い眼”のモデルが問う「日本社会の価値観」、となります。まあ、何と申しましょうかで、精粗区々という表現がピッタリなのですが、私が秀逸と感じた分析は、移動に関して「『移動できる者』と『できない者』の二極化が進んでいる。かならずしも地方から出る必要がなくなるなかで、都会に向かう者は学歴や資産、あるいは自分自身に対するある種無謀な自信を持った特殊な者に限られているのである。」といった部分とか、中国に関する見方で「そしてこの国(引用者注: 中国を指す)は、身体を動かせる若い労働力にあふれている。つまり、老齢をむかえて思うように身体が動かなくなった日本がいまの中国から新しく学べることは、おそらく何もない。」といったところでしょうか。加えて、若者考で、空気を読んで周囲から浮きたくないセンチメントとか、いじめ考で、学校というものの定義の変化なども読んでおくべきポイントだという気がします。ただ、そうでなくて参考にもならないパートもいっぱいありますので、そのあたりは読者のセンスが試されるところかもしれません。

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最後に、辻田真佐憲『「戦前」の正体』(講談社現代新書)です。著者は、評論家・近現代史研究者、となっています。本書中で半藤一利のことが歴史研究者と出てきますので、大学などの研究機関の研究者というわけではないのかもしれません。ということで、やや期待外れでしたが、「戦前」について神話から解き明かそうと試みていて、まさに神話の範囲で実在の疑わしい神武天皇とか神功皇后とかにさかのぼって、さらに、徳川期末期の国学などの「研究成果」を基に、日本が神国であって世界を統べるべき、という思想がどのように生まれたのか、についていろいろと事実関係を集めてきています。それを総称して、本書冒頭のp.7では、「いうなれば本書は、神話を通じて『教養としての戦前』を探る試みだ。」ということになっています。まあ、何と申しましょうかで、私にも何となく、教養としての明治維新、とか、教養としての大正デモクラシー、というのは理解できる気がしますが、「教養としての戦前」というのは、本書p.253の八紘一宇が「時代をあらわしたことば」とされて、中身がはっきりしないわりには反対しづらい、といったふうに受け止められる用語としてチェ維持されているような、同じ感触の言葉、ということになりそうな気がします。でも、ひとつだけ残念だったのは、冒頭にタモリの「新しい戦前」を引いておきながら、「教養としての戦前」を探る最後の結論として、現在の「新しい戦前」という見方が当てはまるのかどうか、あるいは、当てはまるのはどの点で、当てはまらないのはどの点か、といった考察は欲しかった気がします。本書では「上からの統制」とともに、「下からの参加」についても目配りしており、実に、今の政府の強引なネオリベ政策の展開と、それを「下から」支えるネトウヨの動きは、まさに「新しい戦前」と言い得る要素を持っている、と私は見ていますので、私の見方が適当なのかどうか、気にかかるところです。

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