今週の読書は歴史から見た本格的な経済書やミステリをはじめとして計6冊
今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、バリー・アイケングリーン & アスマー・エル=ガナイニー & ルイ・エステベス & クリス・ジェイムズ・ミッチェナー『国家の債務を擁護する』(日本経済新聞出版)は、歴史的な観点から国家の債務の有用性について、戦費の調達やインフラ整備、あるいは、福祉国家の構築などの観点から論じています。なお、監訳者は東京大学経済学部で経済史を担当する岡崎哲二教授です。三上真寛『景気把握のためのビジネス・エコノミクス』(学文社)は、初学者ないし一般ビジネスパーソン向けに日本経済の景気動向の把握に関する実務的な情報を提供してくれます。方丈貴恵『アミュレット・ホテル』(光文社)は、我が母校の京大のミス研出身のミステリ作家の作品であり、犯罪者ご用達のホテルで生じる殺人事件の謎解きをしています。伏尾美紀『数学の女王』(講談社)は、第67回江戸川乱歩賞を受賞してデビューしたミステリ作家の受賞後第1作で、札幌の新設大学における爆破事件の謎解きなのですが、ハッキリいって期待外れの駄作でした。稲田和浩『落語に学ぶ老いのヒント』(平凡社新書)では、必ずしも落語からの出典に限らず、幅広い古典芸能から高齢気に入る生活上のヒントなどを解き明かします。最後に、エリカ・ルース・ノイバウアー『メナハウス・ホテルの殺人』(創元推理文庫)は、アガサ賞最優秀デビュー長編賞受賞のミステリで、エジプトの高級ホテルにおける殺人事件の謎解きをします。6冊の新刊書読書のうち、3冊がミステリであり、夏休みに向けてミステリの読書が増えそうな予感がしています。
ということで、今年の新刊書読書は交通事故前の1~3月に44冊でしたが、6月に19冊、7月中に今日の分まで含めて29冊となり、合計92冊となります。今年は年間200冊には届きそうもありません。
まず、バリー・アイケングリーン & アスマー・エル=ガナイニー & ルイ・エステベス & クリス・ジェイムズ・ミッチェナー『国家の債務を擁護する』(日本経済新聞出版)です。著者は、メディアなどでも人気の歴史研究者と国際通貨基金(IMF)の現役及びOG/OGの研究者です。監訳者は東京大学経済学部で経済史を担当している岡崎哲二教授です。ということで、ほぼ1か月前の6月24日の読書感想文で取り上げたオリヴィエ・ブランシャール『21世紀の財政政策』とおなじように、政府債務について経済厚生などのポジティブな面を歴史的観点から後付けています。すなわち、中世のハプスブルグ家の没落から始まったオランダや英国の勃興とともに、その近世、いわゆるアーリー・モダンの時期の戦費調達に国債発行や借入れの果たした役割から始まって、産業革命前後からのインフラ、特に鉄道の整備に政府債務や借入れが資金調達に用いられ、また、20世紀前半は再び戦費調達の必要が生じた後、第2次世界大戦後の福祉国家の構築にも国家債務が役立った、と歴史を後付けています。一般に、日本ではメディアのナラティブで政府の債務は好ましくないものとされ、国債残高が積み上がるとデフォルトの可能性が示唆され、果ては、ハイパー・インフレ、資本の国外逃避(キャピタル・フライト)、極端な円安の進行などなど、とても否定的な視点が提供されています。しかし、先週取り上げた森永卓郎『ザイム真理教』もそうですし、もちろん、ブランシャール『21世紀の財政政策』も同じですが、政府債務は十分有用性があり、決していたずらに忌避する必要はない、という考えが浸透しつつあります。私も基本的には同じであり、検図経済学の基本にある需要不足の場合は政府支出でGDPギャップを埋める、というのは合理的な経済学的結論だと受け止めています。本書でも、第7章補遺で経済学におけるドーマー条件と同じような、というか、ドーマー条件に外貨建て国際を評価する際の為替調整などを含む調整項をつけて、3条件で債務のサステイナビリティを分析しています。すなわち、ドーマー条件と同じ基礎的財政収支(プライマリー・バランス)、及び、利子率と成長率の差、そして、本書独自の調整項です。日本では、7月27日に公表された内閣府による「中長期の経済財政に関する試算」でも、基礎的財政収支の黒字化を政府の財政運営の目標のひとつとし、これに偏重した政策が実行されています。本書では違う視点を提供しており、例えば、1990年代初頭のバブル崩壊後の債務の積み上がりについては、財政政策への過度の依存ではなく、経済が回復の兆しを見せるたびに政府は緊縮財政に走ったため、成長が低迷して歳入が落ち込んで、債務残高のGDP比が上昇した、との分析を示しています。今では、この理解がかなり多くのエコノミストに浸透していると私は考えています。加えて、国債発行や債務残高の積み上がりに関して、現代貨幣理論(MMT)を持ち出して、主権国家として通貨発行権を持つ中央銀行があり、変動相場制を採用している国では政府債務は無条件にサステイナブルである、という考えも示されていますが、私はこのような異端の経済学(heterodox economics)を持ち出さなくても、現在の主流派経済学の枠内で、十分に国債発行や政府債務の有用性を指摘できる理論的な枠組みは整っていると考えています。いずれにせよ、国債発行や債務のパイルアップに関する間違った志向を正すべきタイミングに達しているのではないでしょうか。
次に、三上真寛『景気把握のためのビジネス・エコノミクス』(学文社)です。著者は、明治大学の研究者です。所属は経営学部とのことですが、本書ではタイトル通りにビジネス・パーソンや大学の学部性向けの入門編の経済学を解説していると考えてよさそうです。2部構成となっていて、前半では日本における景気動向の現状把握など、後半で経済政策に関して論じています。私は大学の授業で、日本経済における企業の役割を考える際に、極めて大雑把ながら、供給サイドあるいはミクロ経済学的にはイノベーションの実現などの能動的な役割が期待されている一方で、需要サイドあるいはマクロ経済学的には景気動向に売上げが左右されルド度合いの強い受け身的な存在、と教えています。本書では前者の供給サイドやミクロ経済学ではなく、後者のパッシブな需要サイドやマクロ経済学に焦点が当てられていると考えています。その意味で、基礎的なマクロ経済学を学んだ経済学部生やビジネスの初歩について理解できているビジネス・パーソンなどには、なかなか判りやすくて、さらに、実用的な良書だと思います。さすがに、日本経済にも大きな影響を及ぼす米国や欧州などの海外経済動向には目が向いていませんが、初歩的なマクロ経済学についてもていねいに解説されている上に、政府や日銀が公表するマクロ経済統計についても多くの紙幅が割かれており、新聞などのメディアでは不十分な理解しか得られない点も十分に考慮されている印象です。私は大学で「日本経済論」を教えていることから、こういった参考文献的な書籍も目を通しておきたい方なもので、本書などにも興味があります。本書については、大学の授業における教科書としてはやや物足りないかもしれませんが、学生や若い世代のビジネス・パーソンが独学する上では有益な教材と受け止めています。最後の最後に、とっても好ましい良書であるという前提で、ひとつだけ難点を指摘すれば、第5章冒頭の雇用量の決定要因いついては、あまりにもマイクロ経済学的な説明に終止しています。家計サイドにおける収入を得る労働と効用を得られるレジャーの間の代替関係で家計からの労働供給を説明するのは古典派経済学からの伝統であり、それはそれでいいのですが、それだけではケインズ経済学的な非自発的失業が抜け落ちることになります。マクロ経済学の視点からの失業は同じ章の少し後に出て来ますが、少し整合性にかける説明であり、本書で独習するとすれば混乱を来す可能性がある点は忘れるべきではないと感じました。
次に、方丈貴恵『アミュレット・ホテル』(光文社)です。著者は、京都大学ミス研ご出身のミステリ作家であり、その意味で、かなり年齢は離れていますが、綾辻行人や法月綸太郎や麻耶雄嵩などの後輩ということになります。京都大学出身という点では私の後輩でもあります。ですので、私はやや極端なまでにこの作者を強く強く推しています。長編作品としてはすでに3冊を出版しており、鮎川哲也賞を受賞したデビュー作から順に『時空旅行者の砂時計』、『孤島の来訪者』、『名探偵に甘美なる死を』ということになります。この作品に至るまでの3作品はすべて東京創元社からの出版であり、三部作とでもいうべきで、竜泉家の一族シリーズとして独特の特殊設定ミステリに仕上がっています。すなわち、タイムリープにより過去が改変されて、いわゆるタイム・パラドックスが起こったり、時空の裂け目から変身ができる極めて特殊な異次元人が殺人を実行したり、VRで事件解決に当たったり、といったものです。しかし、この『アミュレット・ホテル』は犯罪者ご用達の特殊なホテル、ただし犯罪者の中でも大物の上級犯罪者だけが使える会員制の高級ホテルを舞台にしているものの、21世紀における物理学の成果を無視するような特殊な設定はありません。その舞台がタイトルとなっているアミュレット・ホテルです。4章構成で、長編というよりは連作短編集とみなした方が自然です。第1章のエピソード1の次に、その事前譚であるエピソード0が第2章に配されていて、後は、普通に第3章と第4章なのですが、第4章ではホテル開業のころの事件の解決も示されてます。ということで、前置きが長くなりましたが、本書の舞台となるアミュレット・ホテルのルールは2つだけ、すなわち、(1) ホテルに損害を与えない、(2) ホテルの敷地内で傷害・殺人事件を起こさない、ということです。まあ、第2点を考慮すれば窃盗や詐欺などは構わない、ということなのだろうと思います。しかし、犯罪者ご用達ですので殺人事件が起こるわけです。そして、第2章エピソード0に結果としてホテルに探偵として採用された桐生が謎解きをします。私は60歳の定年まで長らく国家公務員として働いていましたので、犯罪者の世界は皆目見当がつきませんし、ミステリにネタバレは禁物ですので、これ以上は詳細は控えますが、少し酷かもしれませんが、この作家の作品の中では全3作からは少し落ちる気がします。というか、私には前作の『名探偵に甘美なる死を』の方がよかったと思います。謎解きの質に加えて、登場人物のセリフにも、また、地の文にも説明調が多過ぎる気がします。最後に、冒頭の第1章エピソード1は芥川龍之介の短編「薮の中」を踏まえたミステリです。というか、もっといえば、芥川作品が典拠とした『今昔物語』の巻29第23話「具妻行丹波国男 於大江山被縛語 (妻を具して丹波国に行く男、大江山において縛らるること)」を踏まえています。最近、あをにまる『今昔奈良物語集』を読んだところでしたので、私はすぐに判りました。この点を指摘している書評があれば、もしあれば、かなり教養ある書評者だと思います。と、自分で自慢しておきます。
次に、伏尾美紀『数学の女王』(講談社)です。著者は、「北緯43度のコールドケース」で第67回江戸川乱歩賞を獲得し、デビューしたミステリ作家です。私はこのデビュー作を読んでいて、今年2023年3月4日付けの読書感想文でチラリと紹介しています。でも、読んだ時点で新作ではなかったので読書感想文はFacebookでシェアしただけです。この『数学の女王』は江戸川乱歩賞受賞後の第1作、ということになります。結論からいうと、前作からは大きく落ちます。前作では数年前の女児誘拐事件と絡めて、実に見事な謎解きがなされ、ミステリとしては上質の出来に仕上がっていましたが、何せ、若年性痴呆症まで含めて、いっぱいのトピックを詰め込み過ぎたので、謎解きを主眼とするミステリ小説としてはいいとしても、書物、というか、小説としてはそれほど評価できなかったのですが、最新作の本書はジェンダー・バイアスなどの社会性あるトピックはうまく処理されているものの、ミステリとしての謎解きは実に低レベルといわざるを得ません。主人公は前作と同じで、社会科学の博士号を持ち、北海道警察に勤務する警察官である沢村依理子です。そして、本作品の事件は札幌市内の新設大学院大学で発生した爆弾爆破事件です。何が起こったのか、という事件に関する whatdunnit は爆破事件ということで明らかで、howdunnit についても鑑識などの科学捜査から明らかですので、ミステリとしては whodunnit と whydunnit が焦点となります。そして、ミステリとしては、余りに登場人物が少なく、犯人候補がほとんどいませんから、whodunnit はそれほど考えなくてもすぐに判ってしまいます。その点で何ら意外性はありません。著者の方にも読者をミスリードしようとする意図は感じられません。ですから、whydunnit を中心にしたミステリと受け止めるべきなのですが、冒頭からジェンダー・バイアスが声高に盛り込まれていて、まあ、そうなんだろうという理解に達するには大きな障害はありません。これも、伏線を張っているつもりなのかもしれませんが、あるいは、ネタバレに近い伏線の張り方に見る読者もいそうです。私にとっての読ませどころは、むしろ、爆破事件やミステリの謎解きとは関係なく、主人公の大学院のころの恋人の回想であった気がします。次回作に期待します。
次に、稲田和浩『落語に学ぶ老いのヒント』(平凡社新書)です。著者は、大道芸能脚本家と紹介されていて、本文中に落語の新作噺も扱っているような記述があります。本書は6章構成であり、第1章 <ご隠居>になるには、第2章 働く老人たち、第3章 女たちの老後、第4章 人生の終焉、第5章 最期まで健康に生きるには、第6章 第二の人生における職業、第7章 大江戸長寿録、となっています。タイトル通りに落語から題材を引いているのは第5章までで、最後の2章は落語とはあまり関係ありません。でも、第5章までは落語ですので、長屋の八つぁん、クマさんとご隠居がいろいろと会話を交わす場面が想像され、なかなかに示唆に富む内容となっています。第6章は伊能忠敬、歌川広重、大田南畝(蜀山人)、清水次郎長が取り上げられ、第6章は文字通りに男女別に長寿だった人々のリストとなっています。老後とは、私の考える範囲では、時間を持て余すことであって、何をするのか、どこに行くのかで老後生活の豊かさが決まるような気がします。実は、我が家でも、私はまだ正規雇用の身分を保持していて、それなりに労働時間があって、お給料も公務員のころから考えれば見劣りするものの、来年3月の2度めの定年まではそれなりに正規職員のお給料をもらっています。しかし、我が家では気軽に東京から京都、そして現在の大学至近地まで引越したウラには事情があって、子供たちが2人とも独立しているわけです。ですから、専業主婦のカミさんは掃除や洗濯や料理といった私の世話はなくもないのですが、ものすごく自由時間を持て余しています。その上で、知り合いもなく、土地勘にも欠ける地で、少し前までのコロナの時代には気ままな外出もできず、時間を持て余していたりして、私も自分自身の老後を考えて反面教師的に観察していたりします。本書では「人生100年時代」を標榜していますが、さすがに、私はそこまで長生きはできないと予想するものの、現実として長い老後をいかに過ごすのか、少しずつ考えを進めたいと思います。
最後に、エリカ・ルース・ノイバウアー『メナハウス・ホテルの殺人』(創元推理文庫)です。著者は、軍隊・警察に続いて、高校教師を経験した後に作家となり、この作品でアガサ賞最優秀デビュー長編賞を受賞しています。この作品では、1920年代半ばのエジプトの首都カイロの郊外にあるメナハウス・ホテルを舞台としています。ストーリーとしては、米国人未亡人が主人公で、22歳で戦争未亡人となった現在30歳の主人公はアパー・ミドルの階層に属しているのですが、結婚により上流階級の仲間入りをした叔母の付添いでメナハウス・ホテルに滞在して、リゾートライフを堪能しています。でも、ミステリですので、当然、殺人事件が起こり、第1発見者となった主人公は、現地警察の警部から疑いをかけられ、真犯人を探すべく奔走する、ということになります。助力してくれるのは同じホテルに滞在している自称銀行家です。しかし、そうこうしているうちに、主人公への殺人疑惑は薄れたものの、第2の殺人事件が起こったりします。そして、ストーリーが進行していくうちに、次々と主人公や主人公の叔母の黒歴史が明らかにされていきます。どうして、エジプトが舞台に設定されているのかについても明快な理由が明かされます。どうも、明確な名探偵は存在せず、ストーリーの展開とともに少しずつ謎解き、というか、真相が明らかになっていくタイプの、いわば、私の好きなタイプのミステリで、最後の最後に名探偵が推理を展開してどんでん返しがある、というタイプのミステリではありません。ミステリとしてはかなり上質の出来栄えであり、約100年ほど前の遠い異国の地を舞台にしていることから生ずる違和感もありません。なお、すでに同じ作者の第2作『ウェッジフィールド館の殺人』も邦訳・出版されていますので、私は楽しみにしています。
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