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2023年9月16日 (土)

今週の読書は経済書3冊をはじめとして計8冊

今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、宮本弘曉『日本の財政政策効果』(日本経済新聞出版)では、我が国の財政政策の影響について、特に労働市場にも焦点を当てつつ実証的な分析がなされています。佐藤寛[編]『戦後日本の開発経験』(明石書店)では、開発社会学を用いて戦後日本の経済開発/発展について、特に、炭鉱・農村・公衆衛生の3分野に焦点を当てつつ分析されています。前田裕之『データにのまれる経済学』(日本評論社)では、現在の経済学の研究が理論研究ではなくデータ分析に偏重しているのではないか、という危惧が明らかにされています。荻原博子『マイナ保険証の罠』(文春新書)では、政府の推進するマイナ保険証にさまざまな観点から強く反対しています。飯田一史『「若者の読書離れ」というウソ』(平凡社新書)では、主として10代の若者は決して読書離れしていないと統計的に明らかにしつつ、読書の傾向などを分析しています。エドガー・アラン・ポー『ポー傑作選1 ゴシックホラー編 黒猫』、『ポー傑作選2 怪奇ミステリー編 モルグ街の殺人』、『ポー傑作選3 ブラックユーモア編 Xだらけの社説』(いずれも角川文庫)では、ポーのホラー、ミステリ、ユーモアといった短編を浩瀚に収録しています。
ということで、今年の新刊書読書は交通事故前の1~3月に44冊、交通事故による入院の後、6~8月に76冊の後、9月に入って先週先々週合わせて14冊、今週ポストする8冊を合わせて142冊となります。

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まず、宮本弘曉『日本の財政政策効果』(日本経済新聞出版)です。著者は、東京都立大学の研究者です。国際通貨基金(IMF)などの勤務経験もあるようです。本書は2部構成になっていて、第Ⅰ部が財政政策効果の決定要因、第Ⅱ部が財政政策と労働市場、ということで、いずれにせよマクロ経済学の分析です。本書はほぼほぼ学術書と考えるべきであり、それなりに難解な数式を用いたモデルが提示された上で、そのモデルに沿って然るべく定量分析がなされています。定量分析に用いられているツールは、構造VAR=SVARとDSGEモデルです。ただ、DSGEモデルには失業を許容する変更が加えられています。分析目的からして、当然です。ですので、大学院生から研究者や政策当局の担当者などを対象にしていると考えるべきで、一般のビジネスパーソンには少し敷居が高いかもしれません。本書では、財政乗数について分析した後、第3章の高齢化と財政政策に関するフォーマルな定量分析では、高齢化が進んだ経済では財政政策の効果が低下すると結論しています。当然ながら、経済活動に携わる、という意味での現役世代の比率が低いのが高齢化社会ですので、財政政策に限らず、高齢化社会ではおそらく金融政策も含めて政策効果は低下します。景気に敏感ではない年金を主たる所得とする引退世代の比率が高くなると政策効果は低下します。公共投資の分析でもガバナンスと労働市場の柔軟性が重要との結論です。ひとつ有益だったのは、財政政策の効果はジェンダー平等に寄与する、という結論です。p.102から4つの要因をあげていますが、私は3つ目のピンクカラー職と呼ばれる職種への労働需要増が財政ショックによりもたらされ、4番目のパートタイム雇用を通じた労働需要増が女性雇用の拡大をもたらす、という経路が重要と考えます。ただし、本書では何ら考えられていないようですが、逆に、財政再建を進める緊縮財政が実施されて、ネガティブな財政ショックが生じた場合、女性雇用へも同様にネガな影響が発生し、あるいは、ジェンダー平等が阻害される可能性も、この分析の裏側には存在する、と考えるべきです。その観点からも、たとえ公的債務が大きく積み上がっているとしても、緊縮財政は回避すべきと私は考えています。第Ⅱ部では財政政策と雇用や労働市場に関する定量的な分析がなされていて、理論的には、というか、実証的にも、離職や就職がない静的であるモデルを用いるのか、あるいは、そうでないのか、が少しビミョーに結果に影響します。おそらく、現実の経済社会ではほぼほぼすべての労働市場における決定や選択が内生的に行われると考えるべきですので、分析結果にはより慎重な検討が必要です。最後に、本書p.172で指摘されているように、失業分析に関しては両方向のインパクトがあり得ますので、DSGEモデルを用いる場合、パラメータの設定がセンシティブになります。通常、理論的なカリブレーションや定評ある既存研究から設定されるわけですが、場合によっては、恣意的な分析結果を導くことも可能かもしれません。私は役所の研究所でDSGEモデルではなく、もっと旧来型の計量経済モデルを用いた分析にも従事した経験がありますが、「モデルを用いた定量分析の結果」というと、無条件に有り難がる、というか、否定し難い雰囲気を出せるのですが、それなりに批判的な視点も持ち合わせる必要があります。

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次に、佐藤寛[編]『戦後日本の開発経験』(明石書店)です。編者は、アジア経済研究所の名誉研究員ということでアジ研のOBの方かもしれません。ということで、本書は開発経済学ではなく、開発社会学の観点から戦後日本の開発/発展を後付けています。分野としては、炭鉱・農村・公衆衛生の3分野に焦点を当てています。私は高度成長を準備した経済的な条件としては、日本に限らず、二重経済における労働移動と資本蓄積であると考えていて、一昨年の紀要論文 "Mathematical Analytics of Lewisian Dual-Economy Model : How Capital Accumulation and Labor Migration Promote Development" でも理論モデルで解析的に分析を加えています。本書は、私の論文のようなマクロ経済ではなく、もう少し地域に密着したマイクロな観点から日本の戦後経済発展を分析しています。ただ、本書では戦後日本は、自動詞的に、途上国から先進国に発展し、それには、他動詞的に、GHQをはじめとする米国による開発援助があった、との背景を考えています。私も基本的に同じなのですが、私の論文では自動詞的な発展を分析しています。他動詞的な開発については、本書でも言及されているロストウの経済発展段階説におけるビッグプッシュに先進国からの援助がどのように関わるか、という見方になると思います。ただ、ロストウ的な発展段階としては、一般的に、(1) 伝統社会、(2) 過渡期、(3) テイク・オフ、(4) 成熟期、(5) 高度大衆消費時代、をたどるということになっていて、日本は20世紀初頭にはテイクオフを終えている、という見方もあることは確かです。その意味で、戦後日本の経済発展を途上国としての出発点に求めることはムリがある、という本書ケーススタディのインタビュー先のご意見も理解できます。でも、やっぱり、終戦直後の日本は援助を必要とする途上国であった、というのは、大筋で間違いではないと思います。その前提に立って、21世紀の現時点でも途上国から先進国に発展を遂げた国が少ない点は留意されるべきかと思います。すなわち、戦後の極めて典型的な例では、いわゆる西洋諸国、欧米以外のアジア・アフリカなどでの経済発展の成功例は日本くらいしかないという見方もできます。その意味では、本書に欠けている視点として、日本の成功例をいかにアジア・アフリカなどの途上国に応用するか、という点があります。和葦は経済学的に発展や開発を考えれば、日本の成功例は労働移動と資本蓄積にある、と考えているのですが、残念ながら、本書ではそういったスコープが見えません。

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次に、前田裕之『データにのまれる経済学』(日本評論社)です。著者は、日経新聞のジャーナリストから退職して経済関係の研究をされているようです。ということで、タイトルからも理解できるように、経済学の研究をざっくりと理論研究と実証研究に二分割すると、かつての理論研究中心から現在は実証研究、というか、データ分析が中心になっているが、それでいいのか、という問題意識だろうと思います。はい。私もそれに近い感覚を持っていて、特に、経済学においては第がウインレベルでプログラミングを勉強する必要があまりにも高く、それだけに、私のような大学院教育を受けていないエコノミストには難しい面がある点は認識されるべきです。でも、私自身はかなり初歩的な計量分析しか出来ませんが、それで十分という面もあり、現在の経済学研究がデータ偏重であるとまでは思っていません。ただ、私の場合はマクロ経済学の研究で、マクロ経済データ、ほとんどは政府や中央銀行の統計を用いていますが、あまりに独自データを有り難がる向きが少なくないことは確かにあります。ですから、一般にはまったく利用可能性がない政府統計の個票を活用するというのはまだしも、本書で指摘しているように、RCT(ランダム化比較実験)への偏重、特に、マイクロな開発経済学の援助案件の採択などにおけるRCTへの偏重はいかがなものかと思わないでもありません。もちろん、ヨソにないデータを集めるために、独自アンケートの実施については、WEBの活用でかなりコストが低下したことは確かです。しかし、RCTについては時間も金銭もかなりコストが高く、個人の研究者では大きな困難を伴います。本書で取り上げている順とは逆になりますが、因果関係についても本書の指摘には考えるところがあります。おそらく、現在の大学院教育では修士論文レベルでは、それほど因果関係を重視するわけではなく、むしろ相関関係でかなりの立論ができると思いますが、博士論文となれば外生性と内生性を厳密に理解し、因果関係を十分立証しないといけない、という雰囲気があることも確かです。私は困っている院生に対して、ビッグデータの時代なのだから因果関係も重要だが、相関関係で十分な場合もある、と助け船を出すことがあります。いかし、あまりに理論研究に偏重するのも好ましくないのは事実です。以前に取り上げた宇南山卓『現代日本の消費分析』にもあったように、消費の決定要因としてライフサイクル仮説モデルを信頼するあまり、フレイビン教授らの過剰反応の実証を否定するような方向は正しくないと考えます。ですから、本書でも認識されているように、経済学に限らず、理論モデルをデータで実証し、実証結果に沿ってモデルを修正する、というインタラクティブな研究が必要です。私もそうですが、大学院教育を受けていないエコノミストにはデータ分析やプログラミングのハードルが高いのは事実で、そういった難しさを著者が感じているのではないか、と下衆の勘ぐりを働かせてしまいました。しかし、繰り返しになりますが、理論研究と実証研究のどちらに偏重しているのかは、現時点では私はそれなりにバランスが取れていると理解しています。ただ、実証研究に沿った理論モデルの修正という作業を多くのエコノミストが苦手にしているのも事実かもしれません。

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次に、荻原博子『マイナ保険証の罠』(文春新書)です。著者は、経済ジャーナリストであり、引退世代に深く関係する年金や相続などに詳しいと私は理解しています。今年2023年7月には、老齢期に健康を維持する経済効果について論じた『5キロ痩せたら100万円』(PHP新書)を読書感想文で取り上げています。ということで、本書のタイトルから理解できるように、著者は強くマイナ保険証に反対し、現在の保険証の存続を求めています。私もまったく同感です。まず、私も知りませんでしたが、マイナンバーとマイナンバーカードは異なるものであるという点は、おそらく、ほぼほぼ国民に知られていないと思います。マイナンバーは国民もれなく付与し、政府が管理し、トラブルには政府が責任を持つ、という一方で、マイナンバーカードはあくまで取得は任意であり、本人に希望に応じて持ち、トラブルは自己責任、ということになります。こんなことを知っている国民は少ないと思います。私は60歳の定年まで国家公務員をしていて、役所に入る入館許可証、というか、その情報はマイナンバーカードに記録する、ということになっていましたので、マイナンバーカードを強制的に取得させられ、国家公務員としての関連情報をマイナンバーカードに記録し、役所の建物に入るための入館許可としてマイナンバーカードを出勤時は持って来なくてはなりませんでした。もう役所を辞めて随分経ちますが、たぶん、今でもそうなのだろうと想像しています。加えて、マイナンバーカードは任意取得ですので、「立法事実がない」点も本書では指摘しています。私は1990年代前半という大昔の30年前ですが、在チリ大使館勤務の外交官として3年余りチリで過ごした経験があります。チリでは身分証明書の携行が義務つけられていて、少なくとも私のような外交官は不逮捕などの外交官特権を有することを明らかにするために身分証明書を常に携行していました。でも、現在の日本国内においては、私のようなペーパードライバーであれば、運転免許証を携行することすらしていない人も決して少なくないと思います。私は大学のIDカードも研究室に置きっぱなしです。というのも、大学のIDカードには図書館の入館証の機能があって、それ以外にはキャンパス外で必要ないものですから、私のような図書館のヘビーユーザには家に忘れた時のダメージの方が大きいもので、研究室に置きっぱなしにしています。話を元に戻すと、マイナ保険証にしてしまうと介護施設で大きな混乱を生じる可能性があるとか、英国では国民IDカードがいったん2006年に法律ができながら、2010年には早々に廃止されたとか、一般にも広く報道されている事実が本書には詳しく集められています。私はほぼほぼ本書の著者に賛成で、マイナ保険証には強く反対です。ただ、1点だけ、やや踏み込み不足な点があります。というのは、政府がマイナ保険証をここまで強引に推進しようとするウラ事情です。おそらく、なにか巨大な利権が絡んでいるのか、それとも、政府に国民無視の姿勢が染み付いてしまっているのか、そのあたりも知りたい気がします。

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次に、飯田一史『「若者の読書離れ」というウソ』(平凡社新書)です。著者は、編集者の後に独立し、現在ではWEBカルチャーや出版産業などの論評をしているようです。本書を読んだきっかけは、実は、先週読んだ波木銅『万事快調 オール・グリーンズ』の主人公の北関東の田舎のJKである朴秀美がアトウッドの『侍女の物語』を読んでいて、大いにびっくりして、最近の中高生の読書事情を知りたくなって図書館から借りた次第です。本書では、著者は「当事者の声」を聞くインタビューというケーススタディに頼ることなく、マクロの統計を中心に中高生の読書について論じています。私はこういった姿勢は高く評価します。というのも、マーケティングなどの経営学の成功例のケーススタディを集めた本はいっぱいあるのですが、その裏側で失敗例が成功例よりケタ違いに多いのではないか、というのが私の疑問だからです。ということで、統計的な事実から2点上げると、第1に、本書のタイトルの疑問は否定されています。すなわち、中高生の読書は平均的に毎月1冊台であって、少なくともここ20年ほどで読書離れが進んだという事実はありません。他方で、この読書量が「読書離れではない」とまでいえるのかどうか、すなわち、その昔からずっと読書離れだったんではないか、という疑問は残ります。第2に、大人も含めて、日本人の不読率は40%から50%の間、というか、50%を少し下回る程度、というのも、ここ20年ほどで大きな変化はなく、繰り返しになりますが、中高生だけでなく、大人も同じくらいの不読率がある、ということになります。つまり、「近ごろの若いモンは、本を読まない」なんていっている人がいたとしても、実は、大人も若者と同じくらいに本を読まない人がいる、ということです。その上で、10代の小学校上級生から中高生くらいまでによく読まれている、あるいは、受け入れられやすい本の属性を分析しています。それは、第2章で読まれる本の「3大ニーズ」と「4つの型」で明らかにされています。その内容は読んでみてのお楽しみ、ということで、この書評では明らかにしませんが、第3章ではこの観点から、児童文学/児童書、ライトノベル、ボカロ小説、一般文芸、短篇集、ノンフィクション、エッセイの7つのカテゴリー/ジャンル別に、よく読まれている本が分析されています。ボカロ小説というジャンルは不勉強にして知りませんでした。初音ミクとポケモンがコラボして、「ポケミク」なんてハッシュタグの付いた画像がツイッタに大量にポストされているのは見かけました。ツインテールならざる初音ミクもいたりしました。それはともかく、ボカロが小説になっているのは初耳でした。最後の章で、今後の方向性や中高生のひとつ上の大学生の読書などが論じられています。結局、当然ながら、アトウッド『侍女の物語』はまったく言及されていませんでした。いくつか、私の視点を加えておくと、しつこいのですが、アトウッド『侍女の物語』のような海外文学がまったく取り上げられていません。それは、実際に中高生が読んでいない、ということもあるのだろうと思います。というのは、韓国エッセイなどはよく読まれているとして取り上げられているからです。他方で、もう10年とか15年も昔のことですが、我が家の倅どもが小学校高学年や中高生だったころ、『指輪物語』とか、その発展形ともいえる「ハリー・ポッター」のシリーズがよく読まれていた記憶があるのも事実です。現在、こういった中高生向けの海外文学がどうなっているのか、私はよく知りませんが、まったく息絶えたとも思えません。第2に、マンガとの関係が不明でした。いくつか、マンガからのノベライズ、例えば「名探偵コナン」のシリーズなどが言及されていましたが、マンガと文字の読書の間の関係が少し判りにくかった気がします。それにしても、10年ほど前に赴任した長崎大学では、『リアル鬼ごっこ』などの山田悠介作品が全盛期だった気がするのですが、今はすっかり下火になったとの分析もあり、時代の流れを感じました。

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次に、エドガー・アラン・ポー『ポー傑作選1 ゴシックホラー編 黒猫』『ポー傑作選2 怪奇ミステリー編 モルグ街の殺人』『ポー傑作選3 ブラックユーモア編 Xだらけの社説』(角川文庫)です。著者は、エドガー・アラン・ポーであり、私なんぞから紹介するまでもありません。邦訳者は、河合祥一郎であり、各巻末の作品解題ほかの解説も執筆しています。私の記憶が正しければ、ほぼ私と同年代60歳過ぎで東大の英文学研究者であり、シェークスピアがご専門ではなかったかと思います。ということで、3冊まとめてのズボラなご紹介で失礼します。3冊まとめてですので、どうしても長くなります。悪しからず。繰り返しになるかもしれませんが、各巻の巻末に詳細な作品解題が収録されており、私のような頭の回転が鈍い読者にも親切な本に仕上がっています。ものすごくたくさんの短編が収録されていて、いわゆる小説だけではなく、詩や評論・エッセイもあります。出版社のサイトからのコピペ、以下の通りの収録作品です。『黒猫』ポー傑作選1の収録作品は、「赤き死の仮面」The Masque of the Red Death (1842)、「ウィリアム・ウィルソン」William Wilson (1839)、「落とし穴と振り子」The Pit and the Pendulum (1842)、「大鴉」* The Raven (1845)、「黒猫」The Black Cat (1843)、「メエルシュトレエムに呑まれて」A Descent into the Maelstrom (1841)、「ユーラリー」* Eulalie (1845)、「モレラ」Morella (1835)、「アモンティリャードの酒樽」The Cask of Amontillado (1846)、「アッシャー家の崩壊」The Fall of the House of Usher (1839)、「早すぎた埋葬」The Premature Burial (1844)、「ヘレンへ」* To Helen (1831)、「リジーア」Ligeia (1838)、「跳び蛙」Hop-Frog (1849)となります。『モルグ街の殺人』ポー傑作選2の収録作品は、「モルグ街の殺人」The Murders in the Rue Morgue (1841)、「ベレニス」Berenice (1835)、「告げ口心臓」The Tell-Tale Heart (1843)、「鐘の音」* The Bells (1849)、「おまえが犯人だ」Thou Art the Man」 (1844)、「黄金郷(エルドラド)」* Eldorado (1849)、「黄金虫」The Gold Bug (1843)、「詐欺(ディドリング)- 精密科学としての考察」Diddling (1843)、「楕円形の肖像画」The Oval Portrait (1842)、「アナベル・リー」* Annabel Lee (1849)、「盗まれた手紙」The Purloined Letter (1844)となります。そして、最後の『Xだらけの社説』ポー傑作選3の収録作品は、「Xだらけの社説」X-ing Paragrab (1849)、「悪魔に首を賭けるな - 教訓のある話」Never Bet the Devil Your Head: A Tale with a Moral (1841)、「アクロスティック」* An Acrostic (c. 1829)、「煙に巻く」Mystfication (1837)、「一週間に日曜が三度」Three Sundays in a Week (1841)、「エリザベス」* Elizabeth (c. 1829)、「メッツェンガーシュタイン」Metzengerstein (1832)、「謎の人物」* An Enigma (1848)、「本能と理性 - 黒猫」** Instinct versus Reason: A Black Cat (1840)、「ヴァレンタインに捧ぐ」* A Valentine (1849)、「天邪鬼(あまのじゃく)」The Imp of the Perverse (1845)、「謎」* Enigma (1833)、「息の喪失 - 『ブラックウッド』誌のどこを探してもない作品」Loss of Breath: A Tale neither in nor our of 'Blackwood' (1833)、「ソネット - 科学へ寄せる」* Sonnet - To Science (1829)、「長方形の箱」The Oblong Box (1844)、「夢の中の夢」* A Dream Within a Dream (1849)、「構成の原理」** The Philosophy of Composition (1846)、「鋸山奇譚」A Tale of the Ragged Mountains (1844)、「海中の都(みやこ)」* The City in the Sea (1831)、「『ブラックウッド』誌流の作品の書き方/苦境」How to Write a Blackwood Artilce / A Predicament (1838)、「マージナリア」** Marginalia (1844-49)、「オムレット公爵」The Duc de L'Omlette (1832)、「独り」Alone (1829)となります。日本語タイトル後につけたアスタリスクひとつは詩であり、ふたつは評論ないしエッセイです。全部はムリですので、有名な作品だけ簡単に紹介しておくと、『黒猫』ポー傑作選1ではゴシックホラー編のサブタイトル通りの作品が収録されています。詩篇の「大鴉」では、各パラグラフの最後が "nevermore" = 「ありはせぬ」で終わっています。タイトル作の「黒猫」は、冥界の王であるプルートーと名付けられた黒猫と殺した妻を壁に塗り込めますが、当然に露見します。「アッシャー家の崩壊」ではアッシャー家の一族が息絶えて、語り手がアッシャー家を離れた直後に、文字通りに屋敷が崩壊します。『モルグ街の殺人』ポー傑作選2では怪奇ミステリー編ということで、ホラー調のミステリが収録されています。タイトル作である「モルグ街の殺人」は密室ミステリといえますが、事情聴取でイタリア語がどうしたとか、いろいろと情報を散りばめつつも、犯人がデュパンによって明らかにされると、大きく脱力して拍子抜けした読者は私だけではないと思います。「黄金虫」では、暗号トリックが解明されます。『Xだらけの社説』ポー傑作選3はブラックユーモア編であり、ホラーと紙一重のストーリーも収録されています。タイトル作である巻頭の「Xだらけの社説」は出版物で活字が足りなくなるとXの活字を代替に使い、まるで伏せ字のような社説を掲載する新聞を揶揄しています。「一週間に日曜が三度」では、金持ちの叔父が結婚を認める条件として、1週間に日曜日が3度ある週に結婚式を上げるよう申し渡された甥が、日付変更線を利用したトリックを思いつきます。ウンベルト・エーコの『前日島』と同じような発想だと記憶しています。評論の「構成の原理」では、知的・理性的・合理的に作品を構成すべきと考え、人間を超越した絶対的な価値を直感的に把握しようとする超絶主義に反対するポーの姿勢がよく理解できます。繰り返しになりますが、各巻に収録された作品の解題がとても詳細に各巻末に収録されていて、収録作品の出版年を見ても理解できるように、ポーの作品は200年ほど前の19世紀前半の社会背景の下に書かれているわけですので、こういった解説はとても読書の助けになります。また、各巻末の作品解題の他にも、第1巻『黒猫』の巻末には、「数奇なるポーの生涯」と題する解説や「エドガー・アラン・ポー年譜」が、また、第2巻『モルグ街の殺人』巻末には、「ポーの用語」と「ポーの死の謎に迫る」といった解説が、さらに、第3巻『Xだらけの社説』の巻末には、「ポーを読み解く人名辞典」と「ポーの文学闘争」と題する解説が、それぞれ置かれています。作品解題も含めて、すべて邦訳者である河合祥一郎氏によるものです。東大の英文学研究者による解説ですので、とても有益です。この3巻を読めば、私のような手抜きを得意とする読書ファンなら、いっぱしのポー作品のオーソリティを気取ることができるかもしれません。

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