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2023年10月28日 (土)

今週の読書は経済書2冊をはじめ計6冊

今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、水野勝之・土居拓務[編]『負効率の経済学』(昭和堂)は、コスパやタイパに代表される効率性の絶対視に対して負の効率である負効率の用途や重要性を説きます。ジョナサン・ハスケル & スティアン・ウェストレイク『無形資産経済 見えてきた5つの壁』(東洋経済)は、現在の停滞を脱して無形資産経済に進む上での重要な方策について何点か指摘しています。エリカ・チェノウェス『市民的抵抗』(白水社)は、非暴力で政治や社会を変革することを目的とする市民的抵抗について膨大なケーススタディの成果を取りまとめています。リチャード・オスマン『木曜殺人クラブ 逸れた銃弾』(ハヤカワ・ポケット・ミステリ)は、シリーズ第3作であり、10年ほど前にテレビの報道番組のサブキャスターが亡くなった事件の解決を木曜殺人クラブの高齢者集団が目指します。山口香『スポーツの価値』(集英社新書)は、筑波大学の研究者であり柔道のオリンピック・メダリストでもある著者が、混迷する日本スポーツ、スポーツ界について辛辣な批評を加えています。最後に、桜井美奈『私が先生を殺した』(小学館文庫)では、全校集会のさなかに校舎屋上から飛び降りた人気ナンバーワン教師の謎を解明します。
ということで、今年の新刊書読書は交通事故前の1~3月に44冊、退院した後、6~9月に104冊を読み、10月に入って先週までに20冊、そして、今週ポストする6冊を合わせて174冊となります。今年残り2月で、どうやら、例年と同じ年間200冊の新刊書読書ができるような気がしてきました。
また、新刊書読書ではあるのでしょうが、マンガということで本日の読書感想文には含めなかった山岸凉子『鬼子母神』と『海の魚鱗宮』、いずれも文春文庫の自薦傑作集の第4集と第5集を読みました。そのうちに、Facebookでシェアしたいと予定しています。

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まず、水野勝之・土居拓務[編]『負効率の経済学』(昭和堂)を読みました。著者は、明治大学と農林水産研究所の研究者です。先日レビューしたジェレミー・リフキン『レジリエンスの時代』の主張にもありましたが、従来の効率を重視する経済社会は、本書でも、どうやら終わりつつあるようで、『レジリエンスの時代』ではレジリエンスの重要性が増していると強調されていますし、本書では「負効率」も考え合わせることが必要という意見です。本書でいう「負効率」は非効率よりもゼロに近い、あるいは、ゼロの効率から、一歩進んで、というか、なんというか、効率がマイナス、すなっわち、効率としては逆であっても、結果として望ましい結末を迎える例がある、という点を強調しています。世間一般では、「コスパ」を重視し、最近ではコストの中でも、万人に等しく配分されている時間を節約する「タイパ」の重視も広がってきていますが、そういった世間一般の傾向に真っ向から対立しているわけです。それを経済学の視点から、マイナスの効率であってもプラスの効用が得られるケースを考えています。章別で論じられているのは、企業経営、経済効果、英語学習、大相撲、プロ野球、歩行、タクシー業界、地方/都会、PTAのそれぞれの負効率を論じています。ただ、「負効率」という目新しい用語を使っているだけで、途中からは伝統的な「急がば廻れ」といいだして、要するに、コスパやタイパを追認しているようにも見えます。すなわち、直線で行くよりも迂遠に見えても別の「効率的」な処理方法がある、というわけですから、結局は、本書の主張も形を変えているだけで、効率至上主義の別の現れであろうと私は考えています。もしも、マイナスをマイナスのままで価値あるものと考える、というのであれば、それは一定の方向性ある主張だと私も思いますが、結局、小手先で別の方法を取れば、マイナスをプラスに転じて、同じ目標をさらに「効率的」に達成できる、という点を強調しているだけに見えます。私の読み方が浅いのかもしれませんが、私の考える「負効率」、すなわち、マイナスをマイナスのままに受け入れる、とは大きく違って、さらに、リフキンのレジリエンスのような効率に対する代替案も提示されていなくて、とってもガッカリしました。読書の候補に上げている向きには、ヤメておいた方がいいとオススメします。

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次に、ジョナサン・ハスケル & スティアン・ウェストレイク『無形資産経済 見えてきた5つの壁』(東洋経済)を読みました。著者は、いずれも英国の研究者であり、インペリアル・カレッジ・ビジネススクールと王立統計協会に所属しています。英語の原題は Restartng the Future であり、2022年の出版です。私は、3年半前の2020年3月に同じ著者2人による『無形資産が経済を支配する』をレビューしています。前著では、無形資産が重要性を増す無形経済になれば、格差の拡大などを招いたり、長期停滞につながったり、経営や政策運営の変更が必要となる可能性を議論しています。本書では、そういった格差拡大などのネガな影響ではなく、そもそも、現状の経済社会について、経済停滞、格差拡大、機能不全の競争、脆弱性、正統性欠如という5つの問題点を指摘し、それが邦訳タイトルになっているわけです。そして、重要なポイントは、現在のこういった問題点は過渡期の問題であると指摘していることです。すなわち、アンドリュー・マカフィー & エリック・ブリニョルフソンによる『セカンド・マシン・エイジ』と同じで、新しい「宝の山」、すなわち、『セカンド・マシン・エイジ』では人工知能(AI)など、本書では無形資産を十分に活かしきれていないことが現在の停滞の原因のひとつである、という認識です。ですので、本書に即していえば、無形資産をさらに積極的に活用するための方策、特に制度面に焦点を当てた方策が取り上げられています。主要には4点あります。第1に、無形資産のスピルオーバーに対する政策的な知的財産権保護の強化あるいは補助金が必要としています。第2に、無形資産は担保として使えないことから負債ファイナンスに向かず、金融的な措置が必要と主張しています。第3に、無形資産のシナジー効果を発揮するには都市が最適であり、ゾーニング規制などの撤廃を求めています。そして、第4に、GAFAのようなテック企業をはじめとして競争政策の緩和から生まれた巨大企業の例を考えれば、無形資産経済では過度の競争政策は無用と強調しています。はい。私も理解できなくもないのですが、特に第4の競争政策なんて、無形資産経済とは何の関係もなく、単に、企業を巨大化させるためだけに主著されているような気がします。大企業の独占力の弊害も決して無視できません。まあ、前著についても、私はそれほど高い評価はしていませんが、本書についてもm,右傾資産経済とは何の関係もない点をシラッと入れ込んでいたりして、疑問に思わない点がないでもありません。ただ、山形浩生さんの邦訳はスムーズで読みやすいのは評価できます。

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次に、エリカ・チェノウェス『市民的抵抗』(白水社)を読みました。著者は、米国ハーバード大学の研究者であり、政治的暴力やテロリズムを研究しており、非暴力で政治・社会を変えることを目指す市民的抵抗に注目していたりします。英語の原題は Civil Resistance であり、2021年の出版です。邦題はほぼほぼ直訳です。本書は、いわゆる「3.5%ルール」を提唱した研究者による学術書であり、膨大なケーススタディから的確な結論を抽出しています。特に重要なポイントは非暴力であり、他の人を傷つける、あるいは、傷つけると威嚇することなく目的を達成する市民的抵抗を論じています。すなわち、非暴力運動は弱々しく見える、あるいは、効果も乏しいように感じられがちですが、実はそうではなく、1900年から2019年の間に非暴力革命は50%以上が成功した一方で、暴力革命はわずか26%の成功にとどまる、といった実証的な根拠を示しています。斎藤幸平+松本卓也[編]『コモンの「自治」論』のレビューでも指摘しましたが、少なくとも、教条的マルクス主義に基づく暴力革命なんてシロモノは、非暴力の市民運動よりも成功の確率低いことは明らかですし、かといって、その昔の統一教会よろしく選挙にすべてを賭けるのも、少し違う気がして、私はコモンの拡大と自治、あるいは、本書で取り上げているような市民的抵抗が、暴力的な運動と選挙一辺倒の間に位置して、それなりに重要性を増している気がしています。市民レベルの暴力的な抵抗は、少なくとも近代的な軍隊の前にはまったく無力でしょうし、同時に、他の市民の批判や反対を招くことになるとしか私には考えられません。ただ、私に不案内だったのは、何をもって市民運動の成功とみなすのか、という点です。本書で指摘しているようにマキシマリスト的に政権交代とか分離独立とかであれば、成功の基準は明らかです。さらに、定性的、質的な制度要求に基づく市民運動、例えば、私が熱烈に支持する市民運動のカテゴリーで、マイナ保険証反対、インボイス制度撤回、などについても、それなりに制度変更が勝ち取れれば成功といえますが、池袋西武百貨店のストライキをどう評価するのか、あるいは、労働組合の賃上げ要求が満額でなかった場合はどうなのか、といった点は私には不案内です。それぞれの市民運動を担ったご本人たちに自己評価を任せると、やや過大評価の方向に流れそうな気もします。その昔に、私の大好きなデモ参加者の数が主催者発表と警察発表でケタ違いだったのを思いまします。それはともかく、現在の日本では民主主義が崩壊の危機に瀕していて、第2次安倍内閣あたりから、権力を握ってしまえば、ウソをついても、不正をしても、やりたい放題という面が垣間見えます。ですので、暴力的な市民運動はNGで、選挙だけに集中するのもいかがなものかと考える私のような市民は、それでも民主主義の根幹をなす選挙を重視しつつ、同時に、車の両輪として、本書に見られるような的確な分析に基づく市民運動にも積極的に参加して、民主主義の危機に対応する必要があると思います。大いに思います。

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次に、リチャード・オスマン『木曜殺人クラブ 逸れた銃弾』(ハヤカワ・ポケット・ミステリ)を読みました。著者は、テレビ司会者、コメディアン、ミステリ作家であり、本書はシリーズ第3作に当たります。私は第1作の『木曜殺人クラブ』、第2作の『木曜殺人クラブ 2度死んだ男』はともに読んでいます。英語の原作は The Bullet That Missed であり、ハードカバー版は2022年、ペーパーバック版は2023年の出版です。以前のシリーズと同じで、舞台は高齢者施設クーパーズ・チェイスであり、そこに住む4人の年金生活者が結成した「木曜殺人クラブ」の活躍を描いています。この作品では、地元の報道番組の女性サブキャスターであったペサニー・ウェイツの殺人事件です。この女性が殺された、というか、死体は見つかっていませんが、失踪した10年ほど前の事件です。死体が見つかっていなのに殺人事件と見なされるのは、彼女の自動車が海岸から転落したからで、死体は発見されていません。その時、この女性サブキャスターはVAT(付加価値税)にまつわる詐欺事件を調査しており、木曜殺人クラブのメンバーはこの報道番組や詐欺事件の関係者などにツテを頼って事情を聞いたりして事件を追求します。しかし、元諜報部員のエリザベスはやや認知症気味の夫スティーヴンとともに拉致され、スパイ時代の因縁浅からぬ旧友である元KGBのヴィクトル大佐を殺すことを強要されたりし、それができないなら、エリザベスの親友ジョイスを殺す、と脅されます。もちろん、最後は謎が解決されて、事件は無事にハッピーエンドの結末を迎えますが、段々とこのシリーズはミステリというよりはエンタメの傾向が強くなっています。相変わらず、物語の展開も登場人物の話し方や作者の描写など、すべてにおいてコミカルです。すでに、第4作が英国では出版されているやに聞き及びますが、シリーズ第3作にして、段々と面白くなっています。ただ、繰り返しになりますが、その逆から見てミステリとしての完成度はやや低下している気もします。最後に、このシリーズは第1作から順を追って読むことを強くオススメします。私自信は順を追って読んでいるのでOKなのだろうと思いますが、たぶん、あくまでたぶんながら、少なくともこの第3作から読み始めると理解が追いつかないと思います。その点は注意が必要です。

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次に、山口香『スポーツの価値』(集英社新書)を読みました。著者は、筑波大学の研究者ですが、おそらく、柔道のオリンピック・メダリストとしての方が名が通っているような気がします。表紙画像の帯に、エッセイストの酒井順子が「ここまで書いてしまっていいの?」という評価を寄せていますが、全般的に、かなり鋭くも辛辣な内容です。ただ、一部には及び腰の部分もあることは確かです。ということで、本書では最近のスポーツ界の諸問題、すなわち、部活動での体罰や、勝利至上主義、もちろん、東京オリンピック組織委員会の森会長の女性蔑視発言とその後の辞任、などなど、なぜか、本書で取り上げられていない日大アメリカンフットボール部の一連の不祥事を除いて、さまざまな日本のスポーツ界に潜む病根を忖度なく指摘していて、スポーツの真の価値を提言しようと試みています。まず、スポーツによって磨かれるのは、論理的かつ戦略的な思考、コミュニケーション能力、そして何より忖度なくフェアにプレーする精神であるとし、その一義的な価値を示しています。まったく、その通りです。私なんぞは自分の健康目的、すなわち、体力面とともにストレス解消などのメンタル面も含めて、自分に利益ある範囲でスポーツを楽しんでいますが、トップレベルのアスリートの行うスポーツは、観客を引き寄せて経済効果あるだけではなく、見る人に感動を与えるわけです。そして、こういったスポーツの価値により社会の分断を乗り越え、スポーツはコミュニティを支える基盤ともなリ得ますし、また、スポーツによって鍛えられる分析力や行動力、戦略性は、学業やビジネスにも役立つと、本書では主張しています。さらに大きく出ると、スポーツには社会を変革する力がある可能性を秘めているという指摘です。まあ、そこまでいかないとしても、スポーツや文化の価値を認めない日本人は少ないと思います。しかし、現在の日本におけるスポーツは勝利至上主義、ジェンダー不平等、そして、何よりも汚職事件に代表されるような東京オリンピックの失敗などにより、こういった価値を、真価を発揮できないでいます。札幌の冬季オリンピック招致断念が象徴的と考える人も少なくないことと思います。ただ、勝利至上主義を批判しつつも、著者個人の経験からオリンピックのメダルの大切さ、というか、ご本人の誇らしさみたいな指摘もあり、しょうがない面もあるものの、その昔の総論賛成各論版たんになぞらえれば、本書は日本のスポーツ、スポーツ界に対して、総論批判各論擁護に議論を展開しているような部分もあります。しかし、私の感想からすれば、発言すべき有識者による思いきった発言であり、すべてのスポーツ愛好家からすれば、読んでおく価値はあると思います。

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次に、桜井美奈『私が先生を殺した』(小学館文庫)を読みました。著者は、ミステリ作家であり、私はこの作者の『殺した夫が帰ってきました』を読んだ記憶があります。ということで、このミステリは、トップ校ではないまでも、そこそこの進学校である才華高校を舞台に、全校生徒が集合する避難訓練中、学校でナンバーワンの好感度を誇る人気教師の奥澤潤が校舎屋上のフェンスを乗り越え飛び降り自殺します。しかし、奥澤が担任を務めるクラスの黒板に「私が先生を殺した」というメッセージがあったことで、自殺ではなく殺人事件の可能性が浮かび上がるわけです。実は、この前段階で、奥澤が校内で女生徒と「淫らな行為」に及んでいる動画がSNSにアップされていて、自殺であれば、その一因とも目されます。そして、この自殺/他殺の謎が解かれるわけです。各章は、何らかの動機があって、奥澤を殺した殺人犯の可能性ある4人の生徒の1人称で語られます。当然ながら、すべて、奥澤の担任クラスの生徒です。まず、授業態度が悪くて、勉強が進まず大学進学を諦めかけている砥部律です。クラスでも孤立気味で、親身になって接してくれる奥澤のことを逆に嫌っています。勉強もせずにSNSにのめり込み、動画を拡散して奥澤を追求します。続いて、勤勉で成績もよい生徒で、特待生として才華高校に通う黒田花音です。しかし、彼女は大学進学に当たって特待生として推薦入学の学校枠が確実といわれながらも、奥澤から推薦候補から外された旨を知らされます。もちろん、奥澤はその理由を明かすことはしません。続いて、素直で明るい性格で、奥澤のことを恋愛感情で見ている百瀬奈緒です。特定されませんでしたが、動画に奥澤と写っているのはこの女生徒です。最後に、進路について病院経営する父親や研究者の母親と意見があわず、奥澤に相談を持ちかける小湊悠斗です。しかし、黒田花音に代わって大学特待生の推薦枠を与えられたのがこの小湊悠斗で、しかも、その事実を黒田花音に知られてしまいます。ストーリーが進むに連れて、徐々に真相が明らかになる私の好きなタイプのミステリだと思って読み進むと、何と、最後の最後に大きなどんでん返しが待っていました。軽く、宮部みゆきの『ソロモンの偽証』の影響を読み取ったのは私だけでしょうか?

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