今週の読書は幅広く経済をとらえる本から時代小説やエッセイまで計7冊
今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、ヘイミシュ・マクレイ『2050年の世界』(日本経済新聞出版)は、経済などの指標を用いて2050年の世界像を明らかにしようと試みています。ジェレミー・リフキン『レジリエンスの時代』(集英社)では、効率を尊ぶ進歩の時代から、自然界と共存するレジリエンスの時代への変化を説きます。石井暁『自衛隊の闇組織』(講談社現代新書)では、謎の自衛隊のスパイ組織に迫るジャーナリストの取材結果が明らかにされています。大村大次郎『日本の絶望 ランキング集』(中公新書ラクレ)は、日本の世界におけるランキングを統計的に明らかにしてグローバルな地位低下を示しています。酒井順子『処女の道程』(新潮文庫)は、性体験のない処女が時代とともにどのように異なった扱いを受けてきたのかに何するエッセイです。青山文平『江戸染まぬ』(文春文庫)は、江戸期の侍を中心にした義理人情の時代小説の短編7話を収録しています。最後に、津村記久子『サキの忘れ物』(新潮文庫)はアルバイト先に忘れられていたサキの小説を読んで人生が変わっていく高校中退の女性を主人公にする短編ほか計9話を収録しています。また、新刊書読書ではないので、この読書感想文のブログには含めていませんが、瀬尾まいこ『戸村飯店 青春100連発』(文春文庫)も読んで、軽くFacebookでシェアしていたりします。
ということで、今年の新刊書読書は交通事故前の1~3月に44冊、その後、6~9月に104冊を読み、今週ポストする7冊を合わせて155冊となります。
まず、ヘイミシュ・マクレイ『2050年の世界』(日本経済新聞出版)を読みました。著者は、英国『インディペンデント』紙経済コメンテーターなどを務めていますので、ジャーナリストなのだろうと思います。30年ほど前には本書でも何度か言及されている『2020年 地球規模経済の時代』を出版しています。英語の原題は The World in 2050 であり、2022年の出版です。ネタバレはしたくないのですが、アマゾンのサイトに「2050年の世界の10の展望」として明記されていますので、それを引用しておくと以下の通りです。すなわち、(1) 世界人口の約⅔が中間層と富裕層になる、(2) アメリカの先行きは明るい、(3) アングロ圏が台頭する、(4) 中国が攻撃から協調に転じる、(5) EUは中核国と周辺国に分かれる、(6) インド亜大陸の勢力が強まり、世界の未来を形成する、(7) アフリカの重要性が高まり、若い人材の宝庫となる、(8) グローバル化は<モノ>から<アイデアと資金>にシフトする、(9) テクノロジーが社会課題を解決する、(10) 人類と地球の調和が増す、ということになります。(8)なんてのは、論じるまでもなく当然ではないか、という気もします。本書でも引用していたかと思いますが、GDPで計測した経済規模だけで考えれば、ゴールドマン・サックス証券のリポート The Path to 2075にもあるように、我が日本は2022年には米中に次ぐ3番めの大きさでしたが、2050年には6位、2075年には12位までランクを落とします。それでも十分な経済大国だと私は考えていますが、本書のスコープである2050年には、私は命長らえていても90歳を超えますし、2075年ということになれば軽く100歳を超えます。ですので、私よりも15歳も年長である本書の著者のスコープに感激しつつ、なかなか責任ある見通しを語る残り寿命も、見識も私にはなかったりします。ただ、本書については、やや人口動態に重点を置き過ぎているのではないか、という気がしてなりません。中国が一度経済規模で世界のトップに躍り出ながら、そのトップは短命でインドに追い抜かれる、というのは、ほぼほぼ人口動態だけを根拠にしているように見えます。高等教育という観点で、世界トップクラスの大学がそろっている米国が量的な人口動態以外の質的な人材面で、まだまだトップクラスの影響力を持ち続ける、という点に関しては私も同意見です。本書の特徴のひとつはボリュームとなっていて、決して枚数をいとわないようで、通常であれば、欧米を中心にアジアでは中国とインドと日本くらいに焦点を当てる気がするのですが、アフリカにも目が行き届いており、私が3年間外交官として暮らして愛着あるラテン・アメリカも忘れてはいません。そういった広い視野で、まさに、世界を対象にしてボリューム豊かに議論を展開しています。ただ、人口動態に重きを置き、しかも、ほぼほぼ現状からの静学的な予想に徹している気がします。すなわち、「このまま歴史が進めばこうなる」というに尽きます。その意味で、意外性はありません。まったくありません。最後に、別の読書の影響もあって、2045年にシンギュラリティを迎えるというカーツワイル説もありますところ、ひょっとしたら、2050年には現在の人類は滅亡している可能性もゼロではありません。まあ、ゼロに近いとは思いますが…
次に、ジェレミー・リフキン『レジリエンスの時代』(集英社)を読みました。著者は、経済社会理論家と本書で紹介されていますが、まあ、私から追加すべき情報はないと思います。英語の原題は The Age of Resilience であり、2022年の出版です。なお、本書は集英社から「シリーズ・コモン」の一環として出版されており、シリーズ2冊めとなります。1冊目は『人新世の「資本論」』で有名な斉藤幸平・松本拓也[編]『コモンの「自治」』だったりします。ということで、本書で示される著者のモットーは、地球を人類に適応させる「進歩の時代」から、人類が地球に適応し自然界と共存する「レジリエンスの時代」へ、という方向転換です。しかし、本書では「レジリエンス」という言葉を、通常の「ショックからの回復」という意味ではなく、変化への適応という意味で使っています。ですから、今までの進歩の時代は効率を重視し、ムダを省くことに重点が置かれていたのに対し、レジリエンスの時代には適応力が重視されます。20世紀的に効率を重視した経済活動は、本書でも指摘されているようにテイラー主義による工程管理などです。しかし、ムダを省き過ぎれば適応力が低下することは容易に想像されるところであり、トヨタのジャストインタイムの在庫システムなどは本書の用語でいえばレジリエンスが十分ではい、という可能性があります。そして、経済学でいえば制度学派的に所有権を重視し、エンクロージャーによる囲い込みでエネルギーをはじめとする資源を収奪すれば、当然に資本以外の労働者や自然界は疲弊し貧困化します。あるいは、マルクス主義が正しいのかもしれませんし、はたまた、マルクス主義的なイデオロギーとは無関係に事実としてそうなっているのかもしれません。本書では、こういった方向転換の4つの要素を第4部で上げています。すなわち、インフラ、バイオリージョンに基づく統治、代議制民主主義から分散型ピア政治への転換、そして、生命愛=バイオフィリア意識の高まり、となります。それぞれの詳細については本書を読んでいただくのがベストと考えますが、エコノミストとしては経済面の将来像にやや物足りなさを感じます。統治論や政治学的なパースペクティブはとても重要であり、先ほどの第4部の4要素でかなりイイセン行っている気がしますが、マクロの経済政策として何が重要なのかが浮かび上がってきません。生命愛=バイオフィリア意識の高まりという要素については、いつも私が繰り返し主張しているように、「意識」でもって経済を動かすにはムリがあります。もっとも、私の認識や読み方が浅いだけなのかもしれませんが…
次に、石井暁『自衛隊の闇組織』(講談社現代新書)を読みました。著者は、共同通信のジャーナリストです。ついつい、興味本位で「VIVANT」に影響されて読み始めてしまいました。本書は、陸上自衛隊の非公然秘密情報部隊「別班」の実体に迫ろうと試みています。このスパイ組織は、文民統制=シビリアン・コントロールのまったく埒外にあって、総理大臣や防衛大臣ですら存在を秘匿していて、例えば、p.73では共産党が政権を取ったら、「躊躇なくクーデターを起こします」と関係者が言い放っていたりします。身分を偽装した自衛官に海外でスパイ活動をさせ、ロシア、中国、韓国、東欧などにダミーの民間会社を作り、民間人として送り込ん自衛隊員がヒューミントを実行している、と本書では指摘しています。おそらく、どんな組織でも何らかの情報収集活動はしていて、エコノミストも新聞やテレビやインターネットから経済情報を得ています。ヒューミントをしているエコノミストも少なくないものと想像します。そして、エコノミストの中には、それらの情報を基に何らかのアクションを取る人もいると思います。シンクタンクでリポートを取りまとめたり、所属する企業の金融市場での行動にアドバイスして、例えば、国債や株式の売買に影響を及ぼすことはありえます。でも、本書で指摘しているスパイ組織については、情報収集だけではなく、いわゆる謀略活動をしているわけです。その昔、旧関東軍では張作霖爆殺事件や柳条湖事件を独断で実行したわけですが、そこまで大規模な軍事活動ではないとしても、文民統制の利かない場面で謀略活動をしているわけです。本書では、まず、文民統制が利いていない点を問題に上げています。すなわち、外国の中でも米国の国防情報局(DIA)のように、ヒューミントの情報収集や、あるいは、実働部隊の軍事的行動を含む謀略活動を行う場合があっても、シビリアン・コントロール下にあるわけで、自衛隊のこのスパイ組織は独断専行している点に怖さがあります。ただ、私はホントの実態を知らないので何ともいえませんが、共産党政権を倒すべくクーデターを起こすまでの実効性ある行動を取れるかどうか、というのは疑問に思わないでもありません。このスパイ組織は、どこまで影響力があるのでしょうか。首相や防衛大臣にも知らされていないわけですし、おそらく、自衛隊の大部分も知らないこういった部隊が自衛隊の大きな部分を動かせるとはとても思えない、ましてや、政権に対するクーデターを起こすだけの実力があるかどうかは疑わしい、と私は考えています。もしも、私の見方が正しいとすれば、自衛隊内での単なる自己満足である可能性すらあります。実態に謎が多いだけに、私も詳細には判りかねます。悪しからず。
次に、大村大次郎『日本の絶望 ランキング集』(中公新書ラクレ)を読みました。著者は、国税局に10年間、主に法人税担当調査官として勤務し退職後、ビジネス関連を中心にフリーライターをしています。本書では、6章に渡って日本が世界で占めるランキング、というか、ポジションを明らかにしています。6章は、インフラ、病院と医療、経済、格差、対外債権、少子化対策や教育、となっています。従来から指摘されていて、それなりに人口に膾炙している事実も少なくないですし、国民が誤解しているためにびっくりするような新事実があるかといわれると、決してそうではありませんが、いろんなところから実際のデータを集めて実証的に統計で明らかにしている点は好感が持てますし、ある意味で、実用的でもあります。従来から広く知られている事実としては、無電柱化率が低いとか、人口あたり医師数や集中治療室の数が少ないとか、格差が大きいとか、非正規雇用比率が高い、なんてのはひょっとしたら、意識の高い高校生なら知っている可能性もあると思います。ただ、生産性が低いというのはエコノミストとしては誤解があるという気もします。最終章の少子化の進行やそのバックグラウンドとなった諸要因については、よく取りまとめられています。日本の合計特殊出生率が低い、したがって、少子高齢化や人口減少が進行している、という点については広く認識がされている一方で、教育政策が極めて低レベルにある点はそれほど意識されていないような気がします。特に、大学などの高等教育の学費がものすごく高い点は見逃されている気がします。本書ではお気づきでないようですが、高い教育費のバックグラウンドは年功賃金にあります。よく知られているように、日本の長期雇用における生産性と賃金の関係を見ると、働き始めたばかりの比較的若い時期には生産性に比べて賃金が低く抑えられている一方で、中年くらいから後の時期になると賃金が大きく引き上げられて生産性を超える水準となります。これは生活給として必要、すなっわち、教育費などのライフステージに合わせてお給料が支払われているためであり、逆に、政府が手厚い政策で教育費を抑制しなくても、企業の方がお給料を弾んでくれる、ということです。ですから、これだけ国民負担率が高い先進国であるにもかかわらず、教育費がここまで高いのはめずらしいといえます。しかし、非正規雇用で昇進カーブがフラットな労働者が増えると、こういった教育費負担が大きく感じられます。今後の大きな課題と考えるべきです。
次に、酒井順子『処女の道程』(新潮文庫)を読みました。著者は、エッセイストです。なかなかお行儀のいいエッセイをいくつか出版していますし、性に関するエッセイも少なくありません。ということで、本書は、性に開放的だった古典古代のころから説き起こして、儒教の貞操観念が浸透した封建社会、明治維新から純潔が尊ばれた始める大正期、そして、子供を産む機械みたいに出産を国に推奨された戦時下、さらにさらにで、「やらはた」のような性的な経験不足ないし未経験が恥ずかしかったくらいの1980年代を経て、芥川賞作家の村田沙耶香の生殖と恋愛を切り離す『消滅世界』を引きつつ、性交渉しない自由を得た令和へと、古今の文献から日本の性意識をあぶり出す画期的な性に関するエッセイです。私自身は、10歳も違いませんが著者より少し年長で、1970年代に中学生・高校生から大学生でした。でしたので、著者のいう「やらはた」に近い感想を持っていたりしました。特に、高校の雰囲気に大きく影響されますが、男子単学ながら制服のない高校に私は通っていて、質実剛健・バンカラというよりはチャラついた派手めの高校でしたので、そういった性体験は周囲も含めて早かった気がしないでもありません。ですので、性体験ナシという意味での「処女」を重視するような文化とは無縁です。さらに、20代半ば後半からバブルの時代に入りましたので、チャラついた派手めの性行動が増進された気すらします。しかし、他方で、「処女」とか、男性の「童貞」も含めた「純血」を重視していた時代背景も理解できなくもありません。おそらく、本書でも指摘されているように、処女や純血の推奨は男性のサイドの勝手な要求だろうと思います。すなわち、よほどのことがない限り、生まれてきた子供の母親は同定できるのに対して、父親の方は推定されるだけであり、妻女に貞操や純潔を求めないと遺伝子の伝達が確実ではない、と男性の側が考えて権力や暴力に任せて女性に押し付けたモラルなのではないか、という気もします。もちろん、男女間のパワーバランスも大いに反映されています。ただ、完全否定するには難しい考えであることも確かで、少なくとも排除すべき思考とも思えません。まあ、要するに、時代による流行り廃りはあるとしても個人の自由の範疇であろうと思いますので、逆に、こういった行き届いたエッセイで歴史を振り返るのも有益ではなかろうか、と考える読後感です。
次に、青山文平『江戸染まぬ』(文春文庫)を読みました。著者は、時代小説作家であり、『つまをめとらば』で直木賞を受賞しています。謎解きを含んで、少しミステリのような味付けをした時代小説作品も少なくありません。私は直木賞受賞の『つまをめとらば』とともに、ミステリっぽい『半席』を読んでいたりします。ということで、本書は江戸期を舞台とする時代小説短編を7話収録しています。収録順に、「つぎつぎ小袖」、「町になかったもの」、「剣士」、「いたずら書き」、表題作の「江戸染まぬ」、「日和山」、「台」の各短編となります。「つぎつぎ小袖」では、娘の肌を守るため疱瘡除けのつぎつぎ小袖を親類7家に依頼する母親を主人公に、いつも快く引き受けてくれる「仏様」の家からの借金の無心を断ったことなど、江戸期の下級武家の慎ましい暮らしぶり、母親の娘を思う気持ちなどが垣間見えます。「町になかったもの」では、月に6回も市が立つ六斎市を源にしている大きな町の上問屋の晋平が町年寄の願いで御番所への訴えで江戸に出他経験を基に、故郷の町になかった書肆を帰郷して開きます。「剣士」では、部屋住みの厄介叔父として年齢を重ねた主人公が、同じ境遇の幼馴染と川釣りで出会って、お家の口減らしのために立会いに及びます。「いたずら書き」では、藩主側近の1人である御小姓頭取の主人公に、藩主が内容を知る必要はないといわれた書状を評定所前箱に投函するよう命じられたものの、藩主のためにどうすればいいかを考え続けます。「江戸染まぬ」では、主人公は1年限りの武家奉公の主人公が、隠居した前藩主のお手がついて子をなした女中の宿下がりに付き添い、下女のために資金調達を志してスキャンダルを売ろうとします。「日和山」では、婿入り先が見つかったばかりの旗本家の次男が、戯作の書写で重追放となった父親や嫡男と別れて、太刀を打って中間奉公しながら、伊豆の賭場の用心棒に収まり、新しい時代の到来を見ます。「台」では、これも武家の次男が主人公となり、嫡男が惚れているのではないかと疑った下女をモノにすべく家に戻って学問に励みますが、その下女が祖父の子をなしてしまい、学問に励んだ挙げ句、優秀な成績で取立てられてしまいます。表題作の「江戸染まぬ」を基に長編『底惚れ』ができたらしく、中央公論文芸賞と柴田錬三郎賞をダブル受賞しています。ただ、私は不勉強にして『底惚れ』は未読です。本書に収録された短編は謎解きやミステリめいたところはそれほどなく、むしろ、時代小説の純文学、というところがあって、それほど明確な落ちのある短編は少なかった気がします。でも、時代小説の黄金期である江戸の徳川期を舞台に、侍を主人公に据えた短編も多く、私好みといえます。
次に、津村記久子『サキの忘れ物』(新潮文庫)を読みました。著者は、『ポストスライムの船』で芥川賞を受賞した純文学の小説家です。不勉強な私でも『ポストスライムの船』は読んでいたりします。本書は9話の短編が収録された短編集です。収録作品は順に、表題作の「サキの忘れ物」、「王国」、「ペチュニアフォールを知る20の名所」、「喫茶店の周波数」、「Sさんの再訪」、「行列」、「河川敷のガゼル」、「真夜中をさまようゲームブック」、「隣のビル」となります。短編小説のご紹介が続いて、少し疲れてきたのですべての短編ではなく、印象的だったのをいくつか取り上げます。まず、表題作の「サキの忘れ物」では、高校を中退して病院内の喫茶店でアルバイトをする主人公が、喫茶店の常連客の女性が忘れていった「サキ」の作品を読むことにより人生が変化してゆきます。「王国」を飛ばして、「ペチュニアフォールを知る20の名所」では、旅行先を探す主人公に対して、旅行代理店のガイドが観光名所案内の形式をとりつつ、穏当を欠くペチュニアフォールの歴史を展開して、最後の落ちがお見事です。「Sさんの再訪」では、大学時代には「S」のイニシャルの友人がおおく、しかも、日記をイニシャルでつけていたために混乱する主人公のコミカルな思い出と現実が交錯します。「行列」では、美術館らしいが、実のところ何を目的にしている行列なのかが明確でない中で、主人公と同じ行列に並ぶ人びとのあいだに起こる不協和音のような出来事を綴っています。とってもシュールです。「河川敷のガゼル」では、小さな町の河川敷に迷い込んだガゼルを見守る警備員のアルバイトをしている休学中の大学生を主人公が、ガゼルや自然保護のために何が必要かを考えます。「隣のビル」では、トイレ休憩の長さにまで文句をいいだす常務のパワハラに悩まされている主人公が、ある日、隣のビルは実は手を伸ばせば届きそうに近いという事実に気づいて、パアハラ常務のいる職場の日常から一歩踏み出すことを考えます。たぶん、真っ当な読者であれば、冒頭に収録されている表題作の「サキの忘れ物」とか、最後の「隣のビル」が一番印象的なのでしょうが、私のようなひねくれた読者は、「ペチュニアフォールを知る20の名所」や「行列」といった不自然極まりない不穏当な作品も大好きだったりします。
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