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2023年10月14日 (土)

今週の読書は経済史の学術書2冊をはじめとして計6冊

今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、マーク・コヤマ & ジャレド・ルービン『「経済成長」の起源』(草思社)では、先進国だけとしても、世界の多くの国が豊かになった歴史をひも解き、まだ豊かになっていない国の分析を展開しています。玉木俊明『戦争と財政の世界史』(東洋経済)は、戦費を調達しては平和を取り戻して公的債務を返済するという財政と戦争の繰り返しの歴史を議論しています。笹尾俊明『循環経済入門』(岩波新書)は、単なる廃棄物処理ではなく、循環型経済への転換について経済学的な分析を加えています。村上靖彦『客観性の落とし穴』(ちくまプリマー新書)では、客観的あるいは数値的なエビデンスを求める姿勢が困窮者への支援の抑止につながりかねないリスクを考察しています。小川和也『人類滅亡2つのシナリオ』(朝日新書)は、AIと遺伝子編集というホモサピエンス滅亡につながるリスクを論じています。潮谷験『スイッチ』(講談社文庫)では、「純粋の悪」が存在するかどうかを検証しようとするマリスマ心理コンサルタントの実証実験を取り上げたミステリあるいはホラー小説です。
ということで、今年の新刊書読書は交通事故前の1~3月に44冊、その後、6~9月に104冊を読み、10月に入って先週の7冊と今週ポストする6冊を合わせて161冊となります。今年残り10週間で、ひょっとしたら、例年と同じ年間200冊の新刊書読書ができるかもしれません。

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まず、マーク・コヤマ & ジャレド・ルービン『「経済成長」の起源』(草思社)を読みました。著者たちは、いずれも米国にあるジョージ・メイソン大学とチャップマン大学の研究者です。専門は経済史や経済発展史です。本書は世界経済がテイクオフを経て、どのように豊かになったのか、また、現在でも豊かな国や地域とそうでない国や地域があるのはどうしてか、さらに、持続的な経済成長を達成した諸条件について、かなり制度学派的な発想から解き明かそうと試みています。もちろん、制度学派に偏っているわけではなく、かなり幅広い経済史を概観しています。その意味では、産業革命前後の経済史をサーベイしているわけです。私は専門外なもので、現時点まで西洋、というか、欧米が経済的な覇権を握っていたのは、イングランドで産業革命が始まり、それが欧米諸国で広まったからであって、どうしてイングランドで産業革命が始まったのかについての決定的な議論はまだ確定していない、と考えていましたが、本書を読んで新たな視点を得られた気がします。すなわち、従来は、欧米と中国やインド、という視点だったのですが、14世紀くらいから欧州の中での覇権の動きに本書は注目しています。まあ、何と申しましょうかで、経済史のご専門の研究者では当然のことだったのかもしれませんが、私は中国やインドで産業革命が始まらず、どうして欧州で始まったのか、について考えるあまり、イングランドの前に欧州で覇権を握っていたポルトガル、スペイン、オランダ、特にオランダで製造業の産業革命が起こらず、イングランドで始まった、という点はそれほど重視していませんでした。でも、本書でそういった視座も手に入れた気がします。ただ、相変わらず、産業革命については極めて複雑な要因が絡み合ってイングランドで始まった、というだけで、制度学派的に所有権が明確であるがためにエンクロージャーがイングランドで実行された、という以上の根拠は見い出せませんでした。少なくとも、ウェーバー的な「プロテスタンティズムの倫理」が資本主義における欧州の興隆を支えたわけではなく、識字率に代表される教育とかの成果である、という点は確立された議論のようです。そして、本書の特徴のひとつは、単に経済史をさかのぼって眺めるだけではなく、現在まで欧米の経済水準にキャッチアップしていない国や地域について、かつての制度や文化だけではなく、人口増加の抑制が効かなかったのか、植民地時代の収奪に起因するのか、といった視点で現代経済を捉え直そうとしている点であり、これは評価できます。少なくとも、現在の先進国から途上国への国際協力や援助が、それほど経済発展を有効にサポートしていないように見えるだけに、いろんな複雑な要素要因を考える必要があるのだと実感します。とてもボリューム豊かな本で、400ページを大きく超えますが、とても読みやすくて読了するのにそれほど時間はかかりません。邦訳もいいのだろうと思います。

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次に、玉木俊明『戦争と財政の世界史』(東洋経済)を読みました。著者は、京都産業大学の研究者であり、ご専門は経済史です。本書では、序章のタイトルを「国の借金はなぜ減らないのか」として、アイケングリーンほかの『国家の債務を擁護する』を意識しているのか、と思わせつつも、中身はあくまで歴史であって財政プロパーについては重視されていない印象です。ということで、先ほどの本書の序章のタイトルの問いに対する回答は早々に示されており、その昔の欧州などでは戦争のために国が借金をして、イングランド銀行などの画期的な財政金融イノベーションによって、戦時に公債を発行して資金調達する一方で、戦争が終われば償還する、という古典派経済学が対象にした夜警国家の財政運営であったのが、現在の福祉国家では戦費ではなく社会福祉に財源をつぎ込んでいますから、on-going で続く福祉が終わってから国債を償還するという段取りにはならないわけです。そして、コヤマほかの『「経済成長」の起源』から続いて本書を読むと、現在のオランダに当たるネーデルランドが州ごとに公債を発行して戦費を調達していたのに対して、イングランドではイングランド銀行を設立して国債でもって資金調達していた点が、両国でビミョーに異なるという主張があります。ひょっとしたら、オランダで産業革命が始まらず、イングランドで始まったのと何か関係があるかもしれません。ないかもしれません。本書は終章で、ウォーラーステインのいうような近代的な世界システムがフロンティアの消滅により終焉する可能性を示唆しています。ただ、私自身の直感、そうです、あくまで直感としては、フロンティアが消滅すれば、主権の及ぶ範囲としての国境内で税を取り立てる余地が狭まるだけであって、中世的な低成長の時代にあってはフロンティアの獲得は死活問題であったでしょうが、技術革新で成長が期待できる近代社会では領土的な拡大は成長には不要だと考えています。むしろ、近代社会を支える持続的な成長に成約となるのは、その技術革新の停滞、あるいは、経済外要因、すなわち、気候変動や地球温暖化の進行、はたまた、武力衝突といった要因ではなかろうかと私は考えています。

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次に、笹尾俊明『循環経済入門』(岩波新書)を読みました。著者は、立命館大学経済学部の研究者、すなわち、私の同僚です。研究室も同じフロアで近かったりします。本書では、従来の廃棄物処理対応の延長線上で循環型経済社会を考える日本式の政策ではなく、欧州的なサーキュラー・エコノミーを展望し、持続可能な経済社会のための方向を明らかにしようと試みています。ただ、意図的なものかもしれませんが、SDGsという用語はほとんど出てきませんでした。ということで、SDGsについてはついつい2050年カーボンニュートラルに目が行くのですが、私はこの目標は、控えめにいっても、極めて達成が難しいと考えています。ハッキリいえば、ムリです。ムリとまでいわないまでも、少なくとも現時点で2050年カーボンニュートラル達成のトラックには乗っていません。まあ、2050年といえば、私がもしも生きているとしても90歳を超えていますので、たぶん、カーボンニュートラルの目標達成を見届けることができません。ですので、ついつい、SDGsやサステイナビリティに関しては別の目標を見てしまいます。毎年1本しか書かない今夏の論文のテーマは財政のサステイナビリティでした。そして、この本はサステイナビリティの中でも廃棄物ないし循環型経済社会をテーマにしています。第4章では、経済的インセンティブに焦点が当てられていて、私も常々の主張とも整合的に、意識や気持ちでは限界がある点を強調した後、ごみ処理有料化やビン・カンなどのデポジット制度が経済学的な理論を使って、実に見事に説明されています。私の不得意な分野ですので、このあたりのグラフは授業にも使わせていただこうと考えていたりします。そして、本書後半では、循環経済の重点分野として、第7章でフードロス、第8章でプラスチックの2点がクローズアップされています。どちらも注目されている論点であり、後者のプラスチックについては、2020年7月からスーパーやコンビニのレジ袋が有料化されて、大学生でも何らかの体験を持っています。今さら、「入門」とタイトルにあるの岩波新書を研究費で買うのもためらわれたのですが、専門外の私にも判りやすい良書です。とってもオススメです。

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次に、村上靖彦『客観性の落とし穴』(ちくまプリマー新書)を読みました。著者は、大阪大学の研究者であり、専門は現象学的な質的研究となっています。これだけでは私には理解不能です。本書の視点はかなり明確で、客観性とか数値的なエビデンスを求める姿勢は、かなりの程度に、困窮者に対する差別的な姿勢と共通するのではないか、という疑問を出発点にしています。私はこの視点はかなり的を得ていて客観的で明確なエビデンスを、まあ、ハッキリいえば、ムリやりに求めて、困窮者への支援の妥当性に疑問を投げかける、という方向に進む可能性があるからです。ただ、もしもそうであるならば、タイトルはミスリーディングです。客観性に対応する概念が主観性であるというのは、たぶん、気の利いた小学生なら理解しています。でも、本書の議論はそうではありません。その上に、やや若年者向けの本であることを承知しているつもりながら、かなり上から目線で「君たちは間違っている。私が教えてやる。」という雰囲気が濃厚です。もちろん、第3章のタイトル「数字が支配する世界」とか、第4章の「社会の役に立つことを強制される」とかは、経済社会的な何らかの病理のようなものであるという主張は十分理解しますが、客観性とは違うのではないかという疑問は生じます。本書の著者が主張したい社会的な病理のようなものは、客観性や明確なエビデンスを求める姿勢ではなく、何らかの原因に基づいて困窮する人たちへの共感を欠く態度、そして、その一環として、困窮する人たちへの支援の根拠を過剰に求める態度ではなかろうか、と私は想像します。タイトルや表紙の帯などで、売上を伸ばすためのやや軽度のフェイクがあるような気がしてなりません。

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次に、小川和也『人類滅亡2つのシナリオ』(朝日新書)を読みました。著者は、グランドデザイン株式会社という会社のCEOであり、人工知能を用いた社会システムデザインを業務としているようです。本書では、表紙画像に見えるように、AIと遺伝子操作を人類滅亡のリスクと考えています。まったくもって同感です。ただ、本書の著者がよく考えている点は、人類=ホモサピエンスであって、滅亡とは人類が死に絶えることだけではなく、新たな段階に生物学的に進化することも「滅亡」とされています。直感的には、ホモサピエンスによってネアンデルタール人が滅亡したとかいった場合、もちろん、ネアンデルタール人は死に絶えたのでしょうが、遺伝子的にはホモサピエンスにかなりの程度残っていますし、まあ、それをいいだせば、チンパンジーだってホモサピエンスの遺伝子と大部分は共通するわけですから、少し「滅亡」を違う意味で捉える向きもありそうな危惧は持ちます。私は新たな段階に進化するのも滅亡でいいと考えていますので、申し添えます。繰り返しになりますが、表紙には「悪用」という文字がありますが、これは正確ではありません。特に、AIについてはホモサピエンスの誰か、マッドサイエンティストのような人物が悪用する、というよりは、AI自らが、ホモサピエンスから見て「暴走」する、ということなのだろうと思います。でも、ホモサピエンスから見た「暴走」はAIから見ればまったくもって当然の合理的行動なのだろうという点は忘れるべきではありません。私は基本的に本書の議論に同意します。すなわち、ホモサピエンスはそれほど遠くない将来、たぶん、数世代のうちに滅亡する可能性が十分あります。ただ、今夏の気候などを考慮すると、本書で取り上げるリスクが現実化する前に、気候変動というか、地球温暖化で滅亡するほうが早いかもしれません。また、ロシアのウクライナ侵略を見ていると、何らかの武力衝突もありえます。ということで、覚えている人は覚えていると思いますが、その昔に英国オックスフォード大学のグループだったか、誰かだったかが、12 Risks That Threaten Human Civilization という小冊子を出しています。ネット上でどこかにpdfファイルがアップロードされていると思います。これを、最後の最後にリストアップしておくと、以下の通りです。世に出たのは2015年だったと記憶していますが、コロナのずっと前にパンデミックとかが上げられています。もちろん、AIも含まれています。何ら、ご参考まで。

  1. Extreme Climate Change
  2. Nuclear War
  3. Global Pandemic
  4. Ecological Catastrophe
  5. Global System Collapse
  6. Major Asteroid Impact
  7. Super-volcano
  8. Synthetic Biology
  9. Nanotechnology
  10. Artificial Intelligence
  11. Future Bad Global Governance

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最後に、潮谷験『スイッチ』(講談社文庫)を読みました。著者は、京都ご出身のミステリ作家であり、この作品でメフィスト賞を受賞してデビューしています。表紙画像に見えるように、副題が「悪意の実験」とされています。ということで、どう考えても、龍谷大学としか思えない大学が舞台となっていて、大学出身のカリスマ心理コンサルタントの実験にアルバイトとして加わる女子大生が主人公です。このカリスマ心理コンサルタントは、「カリスマ」だけあって資金が豊富なもので、中書島にあるパン屋に援助していますが、6人のアルバイト大学生を集めて、意味なくスイッチを押すと、そのパン屋への援助を打ち切って、パン屋の経営が成り立たなくなる、という仕組みで、スイッチを押す人がいるのか、いないのか、また、押すとすればいつ押すのか、といった観点から心理実験をするわけです。心理コンサルタントはこれを「純粋な悪」と呼んでいたように思います。アルバイトは大学生6人で、期間1か月で、アルバイトには毎日1万円が支払われ、実験終了後に毎日の1万円に加えて100万円が支払われます。誰かがスイッチを押したとしても、実験は中断されることなく継続され、報酬は全員に全期間分、すなわち満額130万円ほどが支払われます。そして、重要なポイントは、誰がスイッチを押したかは雇い主の心理コンサルタントにしかわからない、ということになります。少し趣向は違いますが、タイトルといい、山田悠介の『スイッチを押すとき』を思い出させます。結果は、アルバイト期間最終日にスイッチが押されます。しかし、そのスイッチは主人公が目を話したスキに誰かに押されてしまったので、実際に誰が押したのかは不明です。スイッチを以下に押すかというハウダニットを軽く済ませた上で、誰がスイッチを押したのかのフーダニット、もちろん、もっとも重要なポイントで、どうしてスイッチを押したのかのホワイダニットの2点が主要に解明されるべきポイントとなります。そして、見事に論理的にこれらの謎が解明されます。しかし、バックグラウンドに新興宗教、カルトではなさそうなのですが、とにかく、新興宗教があって、やや不気味さを漂わせます。新興宗教は私の苦手な展開です。ややホラーがかっているものの、謎解きミステリとしては一級品だと思います。でも、大学生なのに僧侶、とか、飲んだくれて留年を繰り返している女性とか、作者としてはキャラを極端なまでに書き分けているつもりなのでしょうが、どうもすんなりと頭に入りません。まあ、私の頭が悪いだけかもしれません。その上、カリスマ心理コンサルタントの会話がかなり軽いです。ですから、アルバイトの大学生と変わりない「水平的」な会話が交わされてしまいます。もう少しメリハリをつけるのも一案か、という気がします。でも、繰り返しになりますが、謎解きミステリとしては一級品だと思います。世間で話題になっていることもありますから、読んでおいてソンはないと思います。

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