今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、高端正幸・近藤康史・佐藤滋・西岡晋[編]『揺らぐ中間層と福祉国家』(ナカニシヤ出版)では、世界的に格差が拡大し中間層=ミドル・クラスが縮小する中で、福祉国家が向かう方向について財政学や公共経済学あるいは政治学の視点から分析を試みています。ジョエル・コトキン『新しい封建制がやってくる』(東洋経済)は、新自由主義的な経済政策によって格差が拡大し、中世的な身分制社会が再来する可能性を危惧し、そうならないような方向性について論じています。夕木春央『方舟』(講談社)は、大いに話題を集めたミステリであり、クローズド・サークルの犯人探しの後に、とてつもないどんでん返しが待っています。泉房穂『日本が滅びる前に』(集英社新書)は、3期12年の明石市長の経験を元に日本の経済社会の活性化について論じています。倉本一宏『紫式部と藤原道長』(講談社現代新書)は、歴史学の観点から紫式部の『源氏物語』とそのバックアップをした藤原道長の関係を解明しようとしています。繁田信一『『源氏物語』のリアル』(PHP新書)は、『源氏物語』の小説の世界の登場人物や出来事のモデルと考えられる実際の平安時代のリアルについて紹介しています。最後に、佐藤洋一郎『和食の文化史』(平凡社新書)では、さまざまな歴史と地域における和食の文化について、おせち料理などの「ハレの日」の食文化だけでなく、日々の庶民の暮らしで受け継がれてきた文化についてスポットを当てています。
ということで、今年の新刊書読書は交通事故前の1~3月に44冊でしたが、6~10月に130冊を読みました。11月に入って、先週5冊、今週ポストする6冊を合わせて185冊となります。今年残り2月足らずですが、どうやら、例年と同じ年間200冊の新刊書を読めそうです。
最後に、今年も「ベスト経済書」のアンケートが経済週刊誌から届きました。たぶん、ノーベル経済学賞を受賞したゴールディン教授の『なぜ男女の賃金に格差があるのか』で今年は決まりだと思うのですが、私は別の本を推したいと思います。
まず、高端正幸・近藤康史・佐藤滋・西岡晋[編]『揺らぐ中間層と福祉国家』(ナカニシヤ出版)を読みました。編者及び各章の執筆者は、すべて大学の研究者であり、専門分野は財政学や公共経済学ないし政治学が多い印象です。本書では、日本のほか、米国と英国というアングロサクソンの公共政策レジームの両国、ドイツとフランスという大陸保守派の公共政策レジームの国、そして、スウェーデンという北欧ないし社会民主主義レジームの公共政策レジームの国を取り上げて、世界的に格差が拡大し中間層=ミドル・クラスが縮小する中で、福祉国家が向かう方向について財政学や公共経済学あるいは政治学の視点から分析を試みています。国別には、日本に4章が割り当てられていて、ほかの5か国については2章ずつが割り振られています。したがって、計14章からなっています。バックグラウンドとなっているモデルは、ホテリング-ダウンズらの中位投票者定理、そして、Meltzer and Richardによる不平等と再分配に関するMRMモデルとなります。このあたりは、私の専門ないし関心分野に近いのでコンパクトに説明しておくと、要するに、前者は左派と右派の真ん中あたりの中間派がキャスティングボードを握る、というもので、後者は所得が平均を下回れば再分配を支持するという、当たり前のモデルなのですが、これが含意するところは、所得分布が高所得者に偏っている不平等な経済社会ほど再分配を支持する国民が多くなる、というか、支持する国民の比率が高くなる、という点が重要です。その上で、日本において小泉内閣の構造改革以来のステージで福祉縮減改革が人気を集め、特に生活保護に対するバッシングが高まった2012年の分析が秀逸でした。これは、芸能人の親が生活保護を受給している事実を、国会でも報道でも集中豪雨的に取り上げ、一気に生活保護の給付水準の1割削減を実現してしまいました。最近では、「生活保護は国民の権利」という当然の見方が浸透しつつありますが、いまだに生活保護に対する何らかの嫌悪感のような認識が広く残っているのは、多くの国民が感じているところではないでしょうか。そして、財政赤字や国債の累増を背景に、福祉縮減がさらに進められようとしている政策動向が現時点まで継続している点は忘れるべきではありません。また、福祉国家における選別主義と普遍主義については、エスピン・アンデルセンの福祉レジームの自由主義と社会民主主義レジームにかなり近いのですが、その中間に保守主義レジームがあり、大陸欧州、ドイツやフランスが該当します。選別主義的な米国の福祉政策では、給付が低所得層に偏っているため、幅広い国民の支持を得られないとの分析し、あるいは、英国ではニューレイバーでさえ選別的に「救済に値しない」貧困層を想定した政策を打ち出した背景などの分析が勉強になりました。また、大陸欧州のうちのフランスについては、福祉財源が日本のような保険料から1990年代初頭に創設された一般社会税という税財源に移行しつつあり、それが少なくとも当初は累進度が極めて低い比例税であったものが、徐々に税率が引き上げられたことから、公平な負担を求める「黄色いベスト運動」につながったと分析されています。高福祉で知られていた北欧のスウェーデンでも、福祉政策の重点が給付から就労支援の重点を移しつつある点が紹介されています。いずれにせよ、先進各国政府はコロナ禍を経て財政赤字が大きくなっています。いわゆる「野獣を飢えさせろ」starve-the-beastに基づいて福祉政策が縮減されていく可能性に対して、国民はどのような判断を下すのでしょうか?
次に、ジョエル・コトキン『新しい封建制がやってくる』(東洋経済)を読みました。著者は、米国チャップマン大学都市未来学プレジデンシャル・フェローと本書では紹介されています。私はこれだけでは理解できませんが、本書冒頭の訳者解説によれば、都市研究の専門家とされています。英語の原題は The Coming of Neo-Feudalism であり、2020年の出版です。邦訳書タイトルはほぼ直訳のようなのですが、昨年暮れにタモリの発言になる「新しい戦後」にもインスパイアされているような気がします。私自身もご同様で、本書を手に取るきっかけになりました。本書は7部構成であり、タイトルだけ列挙すると以下の通りで、第Ⅰ部 封建制が帰ってきた、第Ⅱ部 寡頭支配層、第Ⅲ部 有識者、第Ⅳ部 苦境に立つヨーマン、第Ⅴ部 新しい農奴、第Ⅵ部 新しい封建制の地理学、第Ⅶ部 第三身分に告ぐ、となります。各部に3章あり、計21章構成です。s新自由主義的な経済政策によって格差が拡大し、中世的な身分制社会が再来する可能性を危惧し、そうならないような方向性について論じています。その昔の、例えば、フランスなどにおける中世封建制の身分構成は、祈る人、戦う人、働く人の3分割であり、第1身分が聖職者、まあ、カトリックの神父さんで、第2身分が貴族、第3身分がそのたの平民のサン・キュロット、ということになります。スタンダールの小説になぞらえれば、第1身分が黒で、第2身分が赤、そして、第3身分から第1身分や第2身分に移行するのは極めて困難、ということになります。本書でも同じ3つの身分を以下のように分析しています。第1身分は現代の聖職者であり、コンサルタント、弁護士、官僚、医師、大学教員、ジャーナリスト、アーティストなど、物的生産以外の仕事に従事し、高度な知識を有し支配体制に正当性を与える有識者の役割を担います。さらに重要なのは、市場のリスクにはさらされていません。そして、第2身分は新しい貴族階級であり、GAFAなどの巨大テック企業などの超富裕層であり、本書ではテック・オリガルヒと呼んでいたりします。第3身分はそのたです。中小企業の経営者、熟練労働者、民間の専門技術者などなのですが、本書ではヨーマンと呼ばれています。この身分は2つの集団から成っていて、土地持ちの中産階級で、その昔のイングランドのヨーマンと同じような独立精神を持ていますが、現在のヨーマンはテック・オリガルヒの下で苦しめられています。もうひとつの集団は労働者階級です。21世紀のデジタル農奴とか、新しい奴隷階級をなしていて、例えば、AIの命ずるままに低スキル労働を受け持ったりします。そして、中世封建制と同じように第3身分から第2身分や第2身分に上昇することは極めて困難です。第1身分は新しい宗教を生み出していて、ソーシャル・ジャスティス教は、まあ、ポリティカル・コレクトネス(ポリコレ)を思い出させますし、グリーン教に基づいて、第2身分の富豪は温室効果ガスをまき散らしながらプライベートジェットでダボス会議に参加し、環境保護を訴えたりします。私が経済的に興味を引かれたのは、第2身分が第3身分を監視している、という下りです。昨年の日本でも経済書のベストセラーにズボフ教授の『監視資本主義』が入りましたし、そういった監視がジョージ・オーウェルの『1984』との連想で語られていると理解する人が多いのではないか、と私は危惧していますが、ハッキリと違います。ここでテック・オリガルヒが監視しているのは独裁政権が反対勢力を監視しているのではなく、データ駆動経済としてデータを収集しているのです。私の知る限りで、監視資本主義と収益のためのデータ収集を明確に結びつけたエコノミストは少ないと感じています。
次に、夕木春央『方舟』(講談社)を読みました。著者は、ミステリ作家です。話題のミステリです。出版社が開設したサイトで、ミステリ作家の大御所である有栖川有栖などによるネタバレ解説があります。私ごときの読書感想文を読むよりは、ソチラの方が参考になるかもしれません。ただし、読了者を対象にしているようで、真犯人の名前と真犯人のセリフの最後の4文字をユーザメイトパスワードに設定する必要があります。ということで、作品は一言でいえばクローズド・サークルにおける殺人事件の犯人探し、のように見えるように書かれています。「のように見えるように書かれています」というのは、最後の最後にとんでもないどんでん返しがあるのですが、ミステリですので、これ以上はカンベン下さい。登場人物とあらすじは、主人公の越野柊一はシステムエンジニアでワトソン役です。周辺地理に詳しい従兄弟の篠田翔太郎とともに、大学時代のサークル仲間と遊びに来て、地下建築に閉じ込められます。この篠田翔太郎がホームズ役で謎解きに当たります。大学のサークル仲間は5人で、名前だけ羅列すると、西村裕哉、絲山隆平と絲山麻衣の夫婦、野内さやか、高津花、となります。なお、篠田翔太郎と大学のサークル仲間のほかに、途中から両親に高校生の倅という矢崎家3人が加わり、計10人です。この10人が地震があって地下建築に閉じ込められます。さらに困ったことに、地下水の浸水があって、脱出できなければ1週間ほどで水没、すなわち全員溺死するおそれがあります。そのクローズド・サークルの中で、連続殺人事件が起こるわけです。そして、ホームズ役の篠田翔太郎が実に論理的に犯人を割り出します。ただし、論理的であるがゆえに犯人の動機については確定しません。そして、最後に大きなどんでん返しが待っているわけです。評価については、高く評価する向きと物足りないと考える向きに二分されているような印象を私はもっています。私自身は基本的に高く評価します。私自身はミステリの謎解きというよりはサスペンスフルな展開を評価します。そして、何といっても、最後の最後に大きなサプライズが待っているのが一番です。本書が評価されるの最大の要因のひとつといえます。ただし、物足りないという見方にも一理ある可能性は指摘しておきたいと思います。というのは、本書の図書館の予約待ちの間に、この作者の第1作『絞首商會』と第2作『サーカスからの執達吏』を借りて読んで判った欠点が含まれているからです。すなわち、第1作の欠点のひとつはキャラがはっきりしない点です。第2作の欠点は謎解きや謎解きに至るプロセスが余りにシンプルな点です。ただ、こういった部分的な欠点を考慮しても、よくできたミステリ・サスペンス小説だと思います。
次に、泉房穂『日本が滅びる前に』(集英社新書)を読みました。著者は、3期12年に渡って兵庫県明石市の市長を務め、大きな注目を集めて、最近引退したばかりです。その前は民主党の国会議員に選ばれていたと記憶しています。冒頭の第1章がシルバー民主主義から子育て民主主義へ、と題されていて、それだけで好感を持ち読み始めました。ただ、安心して子育てができる環境を最初から目指しているのはいいとしても、子育ての前に子作りがあり、さらにその前に、婚外子が極端に少ない日本では結婚がある点が見逃されているような気もしました。もちろん、地方公共団体の首長の場合、住民とともに妙に企業誘致に力を入れるケースが少なくないことから、特に建設会社などに向けた企業目線をより少なくして住民目線を重視するのは好感が持てます。現在の岸田内閣が国民の支持をまったく失ってしまって、メディアで調べている内閣支持率は最低ラインにあることは広く報じられている通りであり、その大きな原因は国民目線を無視して企業目線で政治や行政を進めている点であると私は考えています。典型的には物価対策であり、エネルギー価格を抑制するために大企業である石油元売り各社や電力会社に補助金を出しまくっていますが、消費税率を変更すればより効率的に解決できると私は考えています。ただ、本書で主張している明石市の子育て支援については、私は少し疑問を持ちます。繰り返しになりますが、子育ての前の子作り、そして結婚を軽視するわけにはいきません。そして、もうひとつ、明石市でできることは他の自治体でもできる、まではいいのですが、「国でもできる」かどうかは判りません。エコノミストの目から見ると、現在の少子化は婚外子の極端に少ない日本の現状から考えて、結婚しない/できない男女が多いからで、結婚しない/できない最大の要因は低所得にあります。詳細は、10月29日付けの President Online の記事「『年収300万円の男性の63%が子どもを持たずに生涯を終える』交際への興味、性経験がない人の衝撃データ」にある通りで、巷間いわれている「恋愛離れ」は低所得が原因です。記事によれば、「交際相手がなく異性との交際に興味がないと答えた男性の内訳を見ると、年収300万未満で75%を占めており、年収800万円以上は0.1%しかいない。」ということです。まず、所得を上げて結婚を促す、という政策が必要で、地方公共団体でも進めつつ、政府レベルの取組みが必要なハズなのですが、今の内閣は企業に補助金を配ることに集中しているように見えます。パソナや電通がいい例です。加えて、明石市の子育て支援政策は他の自治体の結婚促進政策にフリーライドしている可能性があります。すなわち、結婚⇒子作り⇒子育て、との3段階を進むに当たって、近隣の市町村が結婚に向けたマッチングを進めても、通常、結婚する際には引越をするものですから、『他市町村で結婚マッチングをしたあげくに明石市に新婚さんが住み始める、ということになれば、成果が上がりません。本書で特筆大書している明石市の「所得制限なしの5つの無料化」はすべて子供を作ってからの政策的支援です。その前の結婚、そして結婚をする/できるようになる所得の拡大が必要です。その意味で、少しがっかりしました。
次に、倉本一宏『紫式部と藤原道長』(講談社現代新書)を読みました。ご案内の通り、来年のNHK大河ドラマは「光る君へ」であり、紫式部が主人公、藤原道長はそのソウルメイト、とされていますので、読書意欲が湧いて読んでみました。著者は、国際日本文化研究センターの研究者であり、専門は日本古代史です。「光る君へ」では時代考証を担当したようです。著者が文学者ではなく歴史学者ですので、本書はノッケから1次史料で確認できる確実な歴史、歴史学で通用する歴史から成っている、と宣言されています。その意味で、『枕草子』を書いたといわれる清少納言はまったく1次史料に出てこないので、その実在は確認できない、などという書出しから始まっていたりします。私なんかの感触では、花山天皇の出家入道、というか、騙されて出家した事件なんかは重要そうに漏れ聞いていたのですが、本書では扱いが小さく、まあ、歴史学からすればそうなのだろう、などと感じていたりしました。また、歴史学の観点からは、一条天皇の生母である藤原詮子、すなわち、藤原道長の姉が、ここまで藤原道長の権力獲得に重要な役回りをしたのは不勉強にして知りませんでした。そういった歴史学の方面はともかく、当時の朝廷政治と貴族の家族制度、もちろん、紫式部の父である藤原為時の家族などをかいつまんで開設した後、藤原道長による権力の掌握、そして、その藤原道長の繰り出す作に必要不可欠な要素だった『源氏物語』などについて、極めて詳細に解説が加えられています。よく知られたように、清少納言が仕える中宮定子は藤原道隆の子、藤原伊周の妹であり、彼女に対抗して、藤原道長は彰子を一条天皇に嫁がせます。そして、一条天皇の彰子へのお渡りの一助として紫式部が『源氏物語』を書くわけです。まあ、一条天皇は『源氏物語』読みた差に彰子の元に通う、という要素もあったわけなのでしょう。ですから、紫式部は彰子のお世話もしたのかもしれませんが、小説執筆のために宮中に入るわけです。料紙や墨、筆、硯といったは小説執筆に不可欠な文具は最高品質のものが与えられ、おそらく、静かな個室で小説執筆に適した環境も整えられていたことと想像します。そして、表紙画像に特筆大書されているように、藤原道長と紫式部は持ちつ持たれつの関係であり、紫式部の『源氏物語』がなければ藤原道長の栄耀栄華はなかったでしょうし、藤原道長の政権によるバックアップがなければ世界最高峰の小説としての『源氏物語』もなかったであろうと結論しています。最後の最後に、やっぱり、『権記』や『小右記』は歴史資料として重要なのだということを実感しました。
次に、繁田信一『『源氏物語』のリアル』(PHP新書)を読みました。ご案内の通り、来年のNHK大河ドラマは「光る君へ」であり、紫式部が主人公、『源氏物語』も当然にクローズアップされますので、読書意欲が湧いて読んでみました。著者は、神奈川大学の研究者であり、明記してありませんが、専門は文学ではなく歴史学ではなかろうかと思います。しかし、本書では、歴史学の立場からの『源氏物語』の解説とはいえ、たぶんに俗っぽい、といっては失礼かもしれませんが、光源氏、頭中将、六条御息所、弘徽殿女御など、『源氏物語』における主役、準主役から脇役、敵役まで、小説のモデルに措定される可能性のある人物、あるいは、物語にある事件を紹介しつつ、宮廷や貴族たちのリアルな政治や日常を解説してくれています。まず、本書で確認している点は、『源氏物語』が日本国内、というか、都でものすごい人気を博した流行小説であったと同時に、おそらく、世界でも一級の文学作品だという歴史的事実です。誰から利いたのか、何を見たのかは、私も忘れましたが、11世紀初頭にノーベル文学賞がもしあれば、『源氏物語』が文句なく受賞したであろう、ということは従来から聞き及んでいます。逆に、本書冒頭でも指摘されているように、本朝では流行小説であったがゆえに、『源氏物語』に没頭していたりすれば、決して評判はよくなかったであろう、ともいわれています。でも、紫式部が仕えた彰子のとついた一条天皇は『源氏物語』を高く評価する読者であったのも事実です。本書では、なかなか現代日本では理解しがたい存在の貴族について開設していて、よく男性の中でいわれる「どうして女性たちは、ああまで光源氏を受け入れたのか」という素朴な疑問に答えています。すなわち、天皇の皇子を拒むことなど当時の女性にはできなかった、というのが正解のようです。光源氏が見目麗しく立ち居振る舞いも立派だったのであろうことは容易に想像できますが、それだけではなく、身分をかさにきて女性を口説いていたわけです。まあ、 光源氏に限らず高貴な男性はみなそうだったのだろうと思います。時代は違って、徳川期に盗賊が岡っ引きや同心に囲まれて「御用だ、御用だ」と現行犯逮捕されるシーンなんかも、当時であれば、盗賊が抵抗するなんて考えも及ばず、お上に素直に逮捕されていたハズ、というのも聞いたことがあります、でも情報は不確かです。念のため。話を戻して、六条の御息所や弘徽殿女御などといった強烈なキャラも理解が及ばないところながら、まあ、現在日本でも強烈なキャラの女性は決していないわけではありません。私が本書で面白く読んだのは、そういったリアルなキャラや実際の事件だけでなく、『源氏物語』が言及しない不都合な出来事です。そういったエピソードは巻末にまとめて置いてあり、火災に遭わない、強盗に襲われない、疫病に脅かされない、陰陽師を喚ばない、などが上げられています。
ついでながら、やや見にくいですが、NHKのサイトにある「光る君へ」のキャストの相関図は以下の通りです。
最後に、佐藤洋一郎『和食の文化史』(平凡社新書)を読みました。著者は、農学博士ということで、食について農学の面から研究しているのではないかと想像します。1年ほど前に同じ著者の『京都の食文化』(中公新書)を私は読んでいます。本書はタイトル通りに、和食について、特におせち料理や何やの「ハレの日」の和食ばかりではなく、「ケの日」の日々の暮らしの中で供される和食にもスポットを当てて、いろんな時代やさまざまな地域に成立した和食について、その文化としての歴史をひも解こうと試みています。まず、第2章では和の食材に注目し、伝統的な植物性の食材を紹介しつつ、明治以前にも動物性の食材が十分豊かであったと主張しています。また、和食独特の発酵食品や出汁についても紹介を忘れていません。第3章では和食文化の東西比較も試みていて、食材の中の動物性食材、すなわち、肉はといえば伝統的に関西では牛肉、関東では豚肉、といった常識的な見方に加えて、おせち料理では京風の丸餅+白味噌に対して、東京では角餅+すまし、などを比較しています。器の配置についても、汁物を左右どちらに置くかで東西の違いを論じたりしています。第4章では都会と田舎の食文化を対比し、都会の排せつ物を肥料として田舎の農村に売り、農村で収穫された野菜や果物を都会が買う、という究極の循環経済の成立について言及しています。いつの時代も都会と田舎は持ちつ持たれつであり、共存共栄の関係にあったといえます。第5章では江戸と髪型を対比し、徳川期の江戸は侍の街で、参勤交代に随行して江戸に来た単身赴任の侍などのため、男性比率が極めて高く、江戸の外食は今のファストフードと同じ役割を果たしていた、と主張しています。そうなのかもしれません。それに対する当時の大坂で始まった粉モンも、やはり、ファストフードの要素があったということを紹介しています。残りは軽く流して、第6章では太平洋と日本海を対比し、第7章では海と里と山を対比し、第8章では武家・貴族・町人の和食を論じ、第9章でははしっこの和食として、今ではもうそれほど残っていないクジラやイルカの食についても取り上げています。決して食に限るわけではなく、衣類は住まいやといった他の面も含めて、日本位は日本独特のそれぞれの衣類の文化、住まいの文化があります。自然条件や国民性に従って、あるいは、時代の流れとともに独特の分化が興っては変化していくわけです。それらをすべて残すわけにはいきませんが、逆に、グローバルスタンダードに合わせるだけではなく、それぞれのいい面を取り入れて生活を豊かにし、文化を育む強さやしたたかさを日本人は持ち合わせているのではないでしょうか。
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