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2023年12月 2日 (土)

今週の読書は雇用や賃金に関する読書を中心に計6冊で年間読書200冊に達する

今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、梅崎修・南雲智映・島西智輝『日本的雇用システムをつくる 1945-1995』(東京大学出版会)では、高度成長期に成立した長期雇用(終身雇用)と年功賃金などの日本的な雇用システムをオーラルヒストリーにより歴史的に後づけようと試みています。首藤若菜『雇用か賃金か 日本の選択』(筑摩選書)では、コロナの時期に需要が激減した航空運輸業界のケーススタディにより日本と欧米、特に米国での賃金と雇用の調整につき分析しています。高島正憲『賃金の日本史』(吉川弘文館)では、経済史の観点から古典古代の賃金や雇用に始まって、明治期までの超長期の賃金の推移とその背景にある分業について分析を試みています。米澤穂信『栞と嘘の季節』(集英社)は、北八王子の高校の図書委員である堀川と松倉を中心として、高校図書室の貸出本の忘れ物の栞が猛毒トリカブトの押し花であった謎を解明します。下村敦史『アルテミスの涙』(小学館文庫)では、自動車事故の入院患者で閉じ込め症候群により身動きひとつ出来ない若い女性患者の妊娠発覚から謎解きが始まるミステリです。瀬尾まい子『傑作はまだ』(文春文庫)では、引きこもり作家が誕生以来顔を合わせたこともない25歳の倅と一時的ながら共同生活を始める物語です。
ということで、今年の新刊書読書は交通事故前の1~3月に44冊でしたが、6~10月に130冊を読みました。11月には23冊を読み、先週までに197冊となっています。12月最初の今週も6冊を読みましたので203冊となりました。例年と同じ年間200冊の新刊書読書ができました。

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まず、梅崎修・南雲智映・島西智輝『日本的雇用システムをつくる 1945-1995』(東京大学出版会)を読みました。著者は、それぞれ、法政大学・東海学園大学・東洋大学の研究者です。出版社からも軽く想像できるように本格的な学術書なのですが、タイトルから理解できるように小難しい計量分析ではありませんから、企業の人事担当とかのビジネスパーソンにも十分読みこなせる内容ではないかと思います。本書は3部構成であり、第Ⅰ部は1945~1995年を対象に日本的雇用システムの基礎を明らかにし、第Ⅱ部は1955~1995年を対象に日本的雇用システムの構成要素を分析し、最後の第Ⅲ部では企業の枠を越えた労使関係を幅広い視点から分析しています。ということで、タイトルに示された期間の戦後日本の雇用システムの特徴は3-4点あり、まず、長期雇用、その昔は終身雇用とさえ呼ばれた長期に渡る雇用関係があります。私なんかもそれに近いのですが、高校や大学を卒業して新卒一括採用で就職し、そのまま55歳ないし60歳の定年まで同じ企業や役所で働く、ということです。次に、長期雇用と相互に補完的な年功賃金です。若い時は生産性よりも低い賃金を受け取り、年齢とともに賃金が上昇して生産性よりも高い賃金が支払われるようになる、というものです。そして、企業内組合です。欧米のような職能による労働組合組織ではなく、企業単位で職能横断的な労働組合の組織により、企業への帰属意識が高くなる効果があります。こういった、戦後すぐくらいからバブル崩壊直後の1990年代半ばまでの日本的雇用システムの形成に関する歴史的な論考です。こういったかなり漠たるシステムの形成に関する歴史ですので、実証的な数量分析は難しいのでしょうが、オーラルヒストリーという手法を取っています。対応するのはドキュメント・ヒストリーとでもいうのか、文書の史料に基づく通常の歴史学的な分析なのだと思います。歴史学では史料の分析が中心になりますが、著者は労働経済学ないしは経済史の専門ですので、オーラルヒルトリーすなわち、インタビューや証言に基づく分析手法を取っています。そして、この日本的雇用システムの連鎖プロセスを、著者たちはカギカッコ付きの「企業内民主化」の過程として理解しようとしています。というのも、戦後も1950年代の近江絹糸ストライキでは、仏教信仰の強要反対、結婚の自由、寄宿舎での信書無断開封への反対、などなど、現在では考えられないような待遇があったという点も明らかにしています。戦後すぐはホワイトカラーの職員とブルーカラーの行員の身分問題の解決から始まって、日本的雇用システム形成に至る基本的な分析結果は、内部労働市場、すなわち、配置転換や人事異動などの人事施策が企業内で発達し、それに伴って長期に渡る雇用が実現され、同時に年功に従って上昇する賃金体系が取られるようになった、という結論かという気がします。この内部労働市場の発達していない米国などでは外部労働市場に依存するわけで、企業内で完結しない転職や人事コンサルタント、あるいは、派遣会社の活用につながることになります。そして、内部労働市場が発達していればスキルアップはOJTを中心とし、長期雇用とも相まって企業特殊的なスキルで十分なのですが、外部労働市場の活用の際には、社内だけで通用する企業特殊的能力ではなく、例えば、経済学部生に当てはめれば、語学力や簿記会計といった資格で明らかに外部に示せるような能力が必要とされます。そして、転職する際にはリカレント教育を受けるチャンスがあったりもします。ですから、どちらがいいか悪いかは何ともいえませんが、日本は内部労働市場を発達させて、転職ではなく企業内の配置転換で雇用者のスキルを活かす道を選んだということです。

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次に、首藤若菜『雇用か賃金か 日本の選択』(筑摩選書)を読みました。著者は、立教大学の研究者であり、専門は労使関係論や女性労働論だそうです。実は、本書についてはよく理解していなくて、というか、情報がなくて、ある経済週刊誌のベスト経済書アンケートのリストに入っていたもので、大学の図書館から借りて読みました。何を分析しているのかといえば、コロナ禍で需要が激減した航空運輸業界のケーススタディを行い、日本や米国、あるいは、ドイツなどの労使関係を量的な雇用の確保か賃金水準の維持かのトレードオフと考えられる関係に焦点を当てています。従来の雇用や労働に関する経済的な分析では実証分析に基づき、日本では賃金は伸縮的で雇用の量的な変動が小さいイポ腕、欧米、特に米国では賃金が硬直的、特に下方硬直的であって、レイオフなどの手法で雇用が量的に変動するという意味で流動性が高い、と考えられて来ました。基本的な分析結果は従来の通説を覆すものではないものの、日本でも量的な調整が過去よりも大きくなってきている、という結果が示されています。そして、高給運輸業界だけでなく、接客業という観点からは同じようにコロナ禍に見舞われた百貨店についても、食品販売という観点でコロナの影響が小さかったスーパーなどへの出向や転籍により量的な雇用維持に努力する労使関係を描き出しています。ただし、量的な調整に対する圧力も強まっており、短期的には従来からの縁辺労働者である非正規雇用が雇用の調整弁となって変動が大きい、という事実は広く観察される一方で、実は、長期的には中核労働者とみなされてきた中高年の男性労働者が量的な雇用調整のファクターになっている、という姿が明らかにされています。そして、最後の結論として、日本においては賃金調整はボーナス制度などの伸縮的な給与体系に基づいて、スピードも速ければ規模も大きい一方で、雇用の量的調整が米国と比較すれば3-4か月遅い、と指摘し、加えて、海外と比較すれば日本においては企業レベルでの雇用の保証はかなり高いといえるが、すべての雇用が守られているわけではないことは明らかであり、社会レベルでの雇用の保証、すなわち、労働の地域的、産業間などの移動を円滑にし、その労働移動のための支援策を充実させることが重要、という結論となっています。
なお、ついでながら、著者ご本人による財務省でのセミナー資料が公開されています。私の書評なんぞよりも的確な解説だと思いますのでご参考まで。
https://www.mof.go.jp/pri/research/seminar/fy2023/lm20230530.pdf

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次に、高島正憲『賃金の日本史』(吉川弘文館)を読みました。著者は、関西学院大学の研究者です。経済の歴史である経済史の研究者の場合、稀に文学部の歴史学のご出身の研究者がいます。本書の著者の場合は経済学部のご出身のようです。通常は、経済学の研究者の場合、せいぜいが産業革命以降の近代経済を対象にしているのですが、本書では我が国古典古代のころから近代少し前の近世徳川期を中心に明治期くらいまで、上の表紙画像に見られるように1500年という超長期を視野に収めています。ということで、本書は正倉院に保管されている我が国最古の賃金記録から説き起こしています。なお、タイトル通りに、賃金が主たる解明の対象となりますが、極めて関連の強い物価や家族構造・職業構造、労働時間・余暇時間などの幅広い観点から分析しています。私ははなはだ疑問で、賃金の歴史で賃金という場合、いわゆる職人の手間賃とは違って、一定の雇用関係が必要そうな気がします。そして、本書の書き起こしでは、写経生というお経の書写を業務とする学問僧のお給料から始めています。こういった写経を業務とする学問僧の採用には一定の試験があり、今でいうところの国家公務員であったと指摘し、まあ、要するに雇われているわけです。そのお給料を史料から明らかにしています。ハッキリいって、はなはだお安いものとなっています。こういった古典古代の賃金については、国立歴史民俗博物館が提供するデータベースれきはくからデータを取っています。かなり劣悪な労働環境と低い賃金から逃亡する写経生も少なくなかった、と結論しています。その後、律令官人の間では格差が極めて大きいとか、したがって、蓄銭叙位令などによって富裕層から売位・売官の代価を得ることは貧富の格差解消の一助として所得再配分に役立っていた点などを指摘しています。中世に入ると職人という階層が成立します。その背景には、生産性工場により農業に従事する人手がそれほど必要でなくなった、という事情があります。貴族や社寺などに雇われた職人の賃金データがその雇い主の収支から明らかになるわけです。日本に限らず、世界的に中世というのは停滞していた時期ながら、未熟練労働の賃金は上昇しなかった一方で、熟練動労の賃金には一定の上昇が見られた点を本書では指摘しています。そして、安土桃山時代から徳川期は天下統一がなされて天下普請の時代に入り、生産性の向上したことから、賃金を受け取るさまざまな職業が文化されます。スミス的な分業が成立するわけです。猫のノミ取りから始まって、本書でもいろんな職業が紹介されています。徳川期にはそういった職業の序列を並べてすごろくで遊んだり、といったことも明らかにしています。明治維新後も、後半に前近代的な労働市場が残り、NHKドラマの「おしん」のような奉公の慣習が残ったり、有名な『日本之下層社会』に収録されたような貧困が広範に存在していたわけです。経済学的なエッセンスを加えつつ、歴史学のように極めて長い期間を概観し、とても興味深い分析がなされています。

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次に、米澤穂信『栞と嘘の季節』(集英社)を読みました。著者は、ミステリ作家であり、この作品は図書委員シリーズの第2作です。前作の『本と鍵の季節』が連作短編集だった記憶がありますが、この作品は明らかに長編と考えるべきです。同時に、『黒牢城』で直木賞を受賞後の第1作だそうです。ということで、舞台は東京郊外の北八王子市の高校であり、図書委員は主人公の堀川二郎と友人の松倉詩門です。この2人は、同じ作者の古典部シリーズの折木奉太郎と福部里志を思い起こさせると私は受け止めています。前作では、松倉の困りごとが明らかとなって、堀川はやや距離を置いて図書室で静かに待つところで終わっていて、その前作ラストから2か月を経て松倉が無事に、というか、何というか、図書委員の職務に復帰したところからお話が始まります。前作承けはこのあたりまでで、この作品では、返却された図書に押し花の栞が挟んであり、というか、忘れてあって、それが実は猛毒のトリカブトであったところからミステリとしての謎が始まります。その忘れ物をした生徒を探すうちに、写真コンテストで金賞を取った写真にトリカブトが栽培されている現場が映り込んでいて、それが校舎の裏庭だと図書委員の2人が気づいて現場に行くと、超美少女の瀬野麗がトリカブトを処分しているところに出くわします。そして、トリカブトの被害者、死にはしなかったが救急搬送されたのは、生徒から嫌われている教師だったりして、この3人のによる謎の解明が始まります。どうも、姉妹団と称するグループでトリカブトの押し花の栞を配布しているらしく、受け取った人物は「お守り」とか、「切り札」として周遊している、という事実をつかみます。これから先はネタバレになりかねないので、ここでストップします。タイトルの栞にはそういった意味が込められてますし、タイトルのもうひとつの要素である嘘については、何と、松倉でさえ堀川にウソ、というか、隠しごとをしていたりします。最後には、謎は解明され、おそらく事件は無事に終了します。この作者の古典部シリーズや小市民シリーズと同じで、高校生くらいの未成年を主人公とした青春ミステリ作品であり、重大な殺人事件ではありません。ミステリとしては些細とも受け止められる日常の謎を解くシリーズなのですが、この作品だけは殺人につながりかねないトリカブトをストーリーに持ち込んでいますので、やや趣が異なると感じる読者もいるかも知れません。私はさほど違和感なかったのですが、やや重いストーリーに仕上がっていることは事実だろうと思います。

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次に、下村敦史『アルテミスの涙』(小学館文庫)を読みました。著者は、『屍人荘の殺人』で鮎川哲也賞を受賞しデビューしたミステリ作家です。この作品は、医療ミステリに分類されるのかもしれませんが、単なる謎解きや犯人探しのミステリではなく、医療に関連して人生観やもっと大きな価値観、そして、倫理観の琴線に触れるような作品と考えるべきです。主人公は病院の産婦人科医師をしている女性であり、エマージェンシーコールを受けて脳外科病室の入院患者を診ます。自動車事故によって四肢麻痺、身動きひとつできなくなってしまった閉じ込め症候群の若い女性患者の不正出血なのですが、何と、身動きひとつ出来ず、意思疎通も困難であるにもかかわらず、妊娠10週目であることが判明します。病院としては、あるいは、政治家であるこの入院女性の両親からしても、明らかな性的暴行による妊娠であろうと結論されます。もちろん、通報されて駆けつけた警察官もそう考えます。そして、この入院患者の両親が病院外の精神科医に依頼して、私にはよく理解できなかった催眠術で妊娠させた人物が突き止められ、その人物も否定せずに警察に逮捕されます。もちろん、両親は中絶を主張しますが、主人公の産婦人科医がなかなかに複雑なまばたきによる方法で妊娠している入院患者と意思疎通を取ったところ、出産を希望している事実が判明します。政治家の父親と母親の両親には理解ないが、祖父母であれば理解して出産後の子供の面倒を見てくれる、とも主張します。ということで、ミステリですので、あらすじはここまでとします。警察に逮捕された犯人、というか、妊娠させた人物についての whodunnit、どうしてそうなったのかという howdunnit の謎も読んでいただくしかありません。しかし、それほど社会性は高くないレアケースのような気がするものの、人間としての人生や生命や愛情などについての価値観・倫理観といったとても重大な問題を提起している可能性があります。私のようなエコノミストであれば、結婚や出産というのは経済的なバックアップをいくぶんなりとも必要としている、という理由で、こういったケースの出産はオススメしない可能性が高いと思いますが、まあ、そういったエコノミストの観点は、この小説を読む場合は野暮の極みなんだろうと思います。ハイ、それくらいは理解しています。

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次に、瀬尾まい子『傑作はまだ』(文春文庫)を読みました。著者は、小説家であり、ベストセラーとなった『そして、バトンは渡された』の次に書かれたのがこの作品です。前作では血のつながらない家族をテーマとし、この作品では同じように家族の大切さがテーマとなっているようなのですが、血はつながっていても疎遠、というか、生まれてから25年間まったく交流のなかったに等しい父と倅の関係に焦点を当てています。ということで、父親の方は50歳になる引きこもりの作家であり、そこそこ売れているので生活には困らず、それなりに広い一軒家で一人暮らしをしています。そこに、私から見て不自然でヘンな理由をつけて、25歳になる息子が現れて短期間ながら同居を始めます。父親は「おっさん」と呼ばれます。父親の方も倅を「君」と呼びます。この息子が確かに血のつながった倅である点は疑いの余地はなく父親の作家から受け入れられます。というのは、過去20年間に渡って毎月10万円の養育費を送り続けていたて、その見返りに毎月写真が1枚送られてきていたからです。ただし、それは倅が20歳になるまでで最近5年間はまったくの没交渉というわけです。25歳の倅はコンビニのアルバイトという極めてありがちな設定にされています。しかし、父親の方が近所付き合いもせず引きこもっていた一方で、この倅は社交的であって積極的にご近所の主としてお年寄りと接触して、近所付き合いを開始します。町内会に入会して、いくつかのイベントに参加したりします。まあ、一般論をいえば、父親と倅の世間一般での役割が逆転しているわけで、そのあたりのストーリ作りというのは作者の力量を感じます。そして、ある時点でストーリーが急展開します。私はこのあたりで少し不自然さを感じたのですが、まあ、それほど大きく気になる部分ではありません。読者によっては十分スムーズなストーリー展開であると感じる向きも少なくないものと思います。そして、最後は、倅が父親と同居を始めた理由が明かされ、母親や作家の両親も含めたハッピーエンドが待っています。そのあたりは読んでいただくしかないのですが、私はこの作品はオススメだと思いますし、その私の評価からすれば、決して期待は裏切られないものと思います。

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