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2024年1月20日 (土)

今週の読書は開発経済学の専門書をはじめとして計5冊

今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、熊谷聡・中村正志『マレーシアに学ぶ経済発展戦略』(作品社)は、「中所得国の罠」から脱しつつあるマレーシア経済について、歴史的な観点も含めて分析しています。多井学『大学教授こそこそ日記』(フォレスト出版)は、優雅なのか、そうでなくて過酷なのか、イマイチ不明な大学教授のお仕事について、実体験を基に取りまとめています。井上真偽『アリアドネの声』(幻冬舎)は、地震でダメージ受けた地下の構造物から視覚や聴覚に障害ある要救助者をドローンで誘導しようと試みるミステリです。西野智彦『ドキュメント 異次元緩和』(岩波新書)は、昨春に退任した黒田日銀前総裁の金融政策の企画立案や決定の舞台裏を探ろうと試みています。ホリー・ジャクソン『卒業生には向かない真実』(創元推理文庫)は、英国を舞台に高校を卒業して大学に進学するピップを主人公にしたミステリ三部作の最終作であり、それまでの単なる犯罪のリサーチを越えた大きな展開が待っていました。
ということで、今年の新刊書読書先週までの10冊に加えて、今週ポストする5冊を合わせて計15冊となります。なお、これらの新刊書読書の他に、藤崎翔『OJOGIWA』を読みましたので、そのうちにFacebookでシェアしたいと予定しています。

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まず、熊谷聡・中村正志『マレーシアに学ぶ経済発展戦略』(作品社)を読みました。著者は、お二人ともアジア経済研究所の研究者です。私は20年ほど前にインドネシアの首都ジャカルタにある現地政府機関に勤務していて、それほどマレーシアに詳しいわけでもないのですが、アジアにおける経済発展のロールモデルとしては、欧米諸国ならざる国の中で最初に先進国高所得国になった日本が筆頭に上げられるのですが、マレーシアやタイなども東南アジアの中では経済発展モデルのひとつと考えられます。しかし、やや物足りないのは、本書で考えている「中所得国の罠」をマレーシアがホントに脱して現時点で高所得国入りしたわけではない、という点です。本書でも、この点はハッキリしていて、マレーシアは高所得国ではなく、「高所得国入り間近」と表現されています。まあ、そうなんでしょう。基本的に、学術書というよりは一般向けの教養書・専門書に近い位置づけではありますが、「中所得国の罠」に関して世銀が出した基本文書である Gill and Kharas による An East Asian Renaissance ではなく、アジア開銀(ADB)の Felipe らのワーキングペーパーを基に議論しているのも、見る人が見れば違和感を覚えかねません。ただ、そういった点を別にすれば、よく取りまとめられている印象です。すなわち、「中所得国の罠」についてはルイス的な二部門モデルを基に資本と労働を資本家部門で活用するところから始まって、要素集約的な成長から全要素生産性(TFP)による成長への転換、そして、より具体的には産業の高度化がキーポイントになる、というのはその通りです。その上、「中所得国の罠」を離れて、マレーシアの政治経済的な歴史を振り返るという点においては、私のような専門外のエコノミストにはとても参考になりました。二部門モデルに関しては、マレーシアではルイス的に生存部門と考えられる農村部におけるマレー人労働力を、都市部における資本家部門と考えられる商工業、多くは華人によって担われている商工業に移動させることにより経済発展が始まります。その過程で、マレーシア独自のプリブミ政策が導入され、人種間での均衡が図られることになります。この点は、いろいろな議論あるところですが、インドネシアにおいて反共産主義の立場から華人経営に対する、やや非合理的とも見える制限を課した政策に比べれば、まだマシと考えるエコノミストもいそうな気がします。ただ、現時点で考えれば、本書でもマレーシアが高所得国入りしたと結論しているわけでもなく、少し前までは、マレーシアこそが典型的に「中所得国の罠」に陥っている典型的な国、とみなされていただけに、本書で指摘するような外需依存が強い経済発展から内需主導の経済発展への転換が、この先成功するかどうかという、より実証的・実践的な検討が必要そうな気がします。マレーシアは、本書でも指摘しているように、インドネシアと比較すれば明らかですし、タイなどと比べても人口が少なくて国内市場の制約が大きいだけに、それだけに注目されるのは当然です。加えて、同じように「中所得国の罠」に陥っているように見える中国が、人口という点ではマレーシアと対極にありながら、どのように「中所得国の罠」を逃れるか、という観点からもマレーシアが注目されるところかもしれません。

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次に、多井学『大学教授こそこそ日記』(フォレスト出版)を読みました。著者は、関西の私大の現役教授だそうです。その1点では私と同じだったりします。もう少し詳しくは、大手銀行を経て、S短大の専任講師として大学教員生活をスタートし、以降、T国立大を経て、現在は関西の私大KG大に勤務している、と紹介されています。本書については、正体を隠すことで、学内外からの反発を気にせず、30余年にわたり大学業界で見聞きしたことを思う存分、表現したかったので執筆した、といった旨の執筆動機が記されていました。加えて、本書の内容はすべて著者の実体験だそうです。繰り返しになりますが、関西の私大の教授職にある、という1点だけで私と共通点があるわけですが、本書の著者は、銀行勤務経験があるとはいえ、大学院に進みいわゆる学術コースを経て大学の研究者になっているのに対して、私の場合は実務家コースで、60歳の定年までサラリーマンをした後に大学に再就職しているという大きな違いがあります。ですので、私は大学内の学務や教務と称される学内行政を担当したことはほとんどありません。講師から准教授そして教授へと昇進するために熱心に研究に取り組むほどでもありません。年に1本だけ紀要論文を書いておけばそれでOKと思っているくらいで、査読論文もほとんどありません。まあ、有り体にいって、私はすでにテニュア=終身在職権のある教授職についてしまったわけですし、性格的にも、また、年齢的にも上昇志向はまったくありませんので、釣り上げた魚に餌はやらない、と似通った対応になってしまう可能性も十分あるわけです。ですので、経済学部ですから、どうしてもマルクス主義経済学と主流派経済学が共存しているわけですが、私については学内の派閥活動なんかも関係薄く、人事についても双方から推薦者の連絡を受ける、といった状態となっています。しかも、まもなく定年に達して教授会の構成員ですらなくなります。勤務校は著者とそれほど大きなレベルの違いない関関同立の一角ですので、学生の就学態度やほかの何やも大きな違いはないと思います。ただ、私の場合は、大学生ともなれば18歳成人に達しているわけで、よくも悪くも独立した人格として接し、逆から見れば、それなりの自己責任を求めます。ですので、授業中の居眠りや私語を禁止したり、といった授業態度をの改善を要求するようなことはしません。「学び」は自己責任でやって下さい、ある意味で、演習生を甘やかしますから、後になって、「先生が厳しくいってくれなかったから勉強しなかった」といった逆恨みはしないようにお願いするだけです。たぶん、経済学部というのは、私の経験からしても、多くの大学でもっとも少ない勉強で卒業できるような気すらしますので、それなりの自覚が必要です。勉強する学生にはご褒美があり、勉強しない学生も卒業は問題ないとしても、授業料相当の成果を手にできるかどうかは自覚次第です。高校生までであれば、「よくがんばった」でOKなのかもしれませんが、大学生であればそれなりの結果も必要でしょうし、多くの経済学部生は卒業後は就職するわけで、仕事に就く準備が必要な一方で、仕事に就くまでの息抜き的な部分も必要そうに見える学生もいます。ただ、本書に収録された多くの著者のご経験は、たしかに、大学教授であれば多かれ少なかれ経験しそうな気もします。その意味で、荒唐無稽な内容ではありません。

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次に、井上真偽『アリアドネの声』(幻冬舎)を読みました。著者は、昔風にいえば覆面作家であり、年令や性別すら明らかにされていない作家で、基本的にミステリやサスペンス色の強いエンタメ小説をホームグラウンドにしているように感じますが、私はひょっとしたら初読かもしれません。ということで、あらすじです。主人公は高木春生という20代半ばくらいの男性、小学生のころに中学生の兄を事故で亡くしたトラウマがあります。その贖罪のためにということで、災害救助用の国産ドローンを扱うベンチャー企業に就職します。その業務の一環で障害者支援都市WANOKUNIを訪れます。これは、会社が参加しているプロジェクトで地下に都市が建設されています。まあ、都市というくらいの規模ではありませんが、集合住宅やショッピング街、リクリエーション施設や学校まである、というものです。そこで大地震に遭遇するわけで、所轄の消防署に勤める消防士長とともに、ドローンをオペレーションして、まさに、災害救助用ドローンの出番となるわけです。その要救助者が、WANOKUNIのアイドルである中川博美です。彼女はヘレン・ケラーのような三重苦、というか、三重障害者であって、視覚聴覚に加えて唖者でもあります。加えて、WANOKUNIのある県の県知事の姪というA級市民であったりもします。でも、障害のためにドローンから話しかけることが不可能なわけです。しかし、彼女がドローンの誘導に従ってシェルターに向かう中で、目が見えるのではないか、声や音が聞こえるのではないか、といった、まあ、何と申しましょうかで、障害者ではない、というか、障害を偽装している可能性を示唆する行動に出ます。結末は読むしかないのですが、軽く想像されるのではないかという気もします。私は、どうして要救助者の中川博美が視覚や聴覚を持っているかのような行動を示すのか、という謎を早々に気づいてしまいましたので、その分、私の感想はバイアスがかかっている可能性がある点をご注意下さい。ということで、視点が地上の安全地帯でドローンを操作する主人公の高木春生に限定されますので、それほど緊迫感を感じることができませんでした。まあ、視覚と聴覚のない要救助者の中川博美の視点が使えませんから、仕方ない面は理解します。、また、トリックの都合上、ドローンのカメラ機能が早々に壊れて、要救助者の様子が判らない、というのも緊迫感を欠きます。元々、ドローンのオペレーションなんて、ゲームをプレーするような感じではないかと想像していますが、それがさらに緊迫感を欠く結果となってしまいました。暴露系のユーチューバーも登場しますが、何のために出てきたのか、私にはサッパリ意味が判りませんでした。謎です。要救助者の中川博美の視点が使えないのと同じ理由で映像化も難しそうな気がします。その意味も含めて、ちょっと世間一般の高評価に比べると、私の見方は厳しいかもしれません。でも、要救助者の中川博美は、最後の最後ながら、とっても行動力あり爽やかでいいキャラだったんだと気づきました。ほかの読者が衝撃を受けたラストとは違うポイントに目が行っているかもしれません。繰り返しになりますが、どうして要救助者の中川博美が視覚や聴覚があるかのような行動を示すのか、という謎を早々に気づいてしまいましたので、その分、私の評価は厳しい目に振れるバイアスあると思います。悪しからず。そして、最後の最後に、ややアサッテを向いた感想ながら、これだけ地震が多くて活断層もアチコチに走っている日本で、この小説にあるような地下構造物はヤメておいた方がいいんではないかと思います。まったく同じことが原子力発電所についてもいえます。

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次に、西野智彦『ドキュメント 異次元緩和』(岩波新書)を読みました。著者は、時事通信のジャーナリストです。タイトルから判る通り、昨春に退任した黒田日銀前総裁の金融政策を振り返っています。世界でも前例の少ない異例の政策であったことは、本書のタイトルからもうかがい知ることが出来ます。逆にいえば、日本のマクロ経済が古今東西でも類例を見ないデフレにあった、ということです。よく、経済学には人間が出てこないといわれますし、私もその通りと考えているのですが、本書では金融政策をはじめとする経済政策の企画立案や決定などの背景にある人の動きがよく理解できます。特に、トップクラスの政府・中央銀行の人事については、私のようなキャリア官僚でありながらサッパリ出世しなかった者からすれば、目を見張るような驚きに満ちています。政策的には、黒田前総裁は白川元総裁からのゼロ金利を引き継ぎつつ、金利ターゲットから量的緩和へのレジームチェンジを果たすとともに、舞います金利やイールドカーブ・コントロール(YCC)などの非伝統的な手法を次々と導入しました。ただ、どうしても、黒田総裁の政策を評価する際には、本書では眼科医があるように思えてなりません。すなわち、私はアベノミクスの3本の矢の第1の金融政策、もちろん、第1であるだけでなく、圧倒的な重点が置かれていた金融政策とはいえ、アベノミクス全体での評価が必要と考えるからです。金融政策でデフレ脱却が十分でなかった大きな要因は、本書でも指摘されているように、3党合意に基づくとはいえ、2014年の消費税率引上げだろうというのが衆目の一致するところです。浜田先生なんかは、デフレ脱却のための財政政策の必要性について、考えを変えたと公言していたほどです。ただ、それでも黒田前総裁の異次元緩和を評価するとすれば、本書の最後の方にある雨宮前副総裁と同じ感想を私は持ちます。批判する向きには何とでもいえますが、この政策しかなかったという気がします。そのうえで、アベノミクスの評価が芳しくないのは、圧倒的に分配政策を欠いていたからであると私は考えています。よくいわれるように、アベノミクスではトリックルダウンを想定し、景気回復初期の格差拡大を容認していて、その後も分配政策の欠如により格差が拡大し続けた、と考えるべきです。特に、企業向け政策は株価を押し上げた一方で、国民向けの分配政策が欠如していたものですから、賃金引上げにつながる動きが企業サイドにまったく見えず、政策でも考慮されずで、国民が貧しくなっていったと私は考えています。ただ、この格差拡大について金融政策の責任を問うのは不適当です。私は異次元緩和に適切な分配政策が加わっていれば、デフレ脱却は可能性が大きかった、と考えています。もちろん、政策の重点の置き方に関する誤解や無理解に対する批判はあろうとは思います。ただ、繰り返しになりますが、異次元緩和だけではなく、より幅広くアベノミクス全体を評価することは忘れてはなりません。

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次に、ホリー・ジャクソン『卒業生には向かない真実』(創元推理文庫)を読みました。著者は、ミステリ作家です。この作品は三部作の3作目となっていて、1作目は『自由研究には向かない殺人』、2作目は『優等生は探偵に向かない』となります。この作品の最初の方は、当然ながら、2作目とのつながりが強いのですが、読み進むと1作目の方が直接的な関係が強い気がします。ややジュブナイルなミステリと見なす読者がいるかも知れませんが、まあ、立派な長編ミステリ作品です。ということで、簡単なストーリーは、主人公は相変わらずピップです。舞台は英国のリトル・キルトンというやや小さな街です。日本の高校、それもそれなりの進学校に当たるグラマー・スクールを卒業して大学に進学する直前の時期です。ピップはストーカーされているらしく、無言電話、首を落とされたハト、道路に描かれたチョークの人形、などに悩まされます。警察のホーキンス警部だったかに、相談しますが、まったく頼りになりそうもありません。というところからスタートします。2部構成ですが、ミステリですので、後は読んでみてのお楽しみ、ということになります。1作目も2作目も、基本的に、主人公のピップは犯罪行為、あるいは、犯罪行為とみなされた事件のリサーチを進めます。相棒はピップの恋人だったが1作目の発端となる自殺を遂げたサルの弟のラヴィです。そして、特に1作目ではかなり強気にリサーチを進めます。違法スレスレ、というよりも、ほぼほぼ違法な調査手段なわけです。この3作目でも基本は同じです。ただ、この3作目ではリサーチの枠を超えます。メチャクチャ大きく超えます。その意味で、第1部のラストは衝撃です。第2部はこの衝撃の第1部のラストの後処理となります。おそらく、この第1部ラストの出来事は評価や感想が大きく分かれると思います。私は否定的な評価・感想です。ただ、明らかに著者は警察や裁判をはじめとする英国の法執行機関や体制に対する大きな失望、というか、批判や不信感を持っていて、このような行動をピップにさせるのだろうという点は理解します。経済学の割と有名な論文に、2007年のノーベル経済学賞を受賞したハーヴィッツ教授の "Who Will Guard the Guardians?" というのがあります。本書を読んでいて、私はこれを思い出してしまいました。加えて、そのピップをとことんサポートするラヴィの姿勢には大きな共感を覚えます。出版順としてはこの3作目の後に、三部作の前日譚となるスピンオフ作品がすでに出ているようですが、明らかに、このシリーズはこれで打止めだと思います。主人公のピップに、従来通りの強気で違法スレスレのリサーチを続けさせるのはムリです。多くの読者の納得は得られないだろうと思います。最後に、三部作それぞれの出来ですが、1作目が一番だったと思います。その続きで2作目を読むと大きくガッカリさせられ、繰り返しになりますが、この3作目は評価が分かれそうです。私は共感しませんが、読者によっては1作目よりも高く評価する人がいても、私は不思議には思いません。

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