今週の読書は重厚な経済書や専門書をはじめとして計6冊
今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、マーティン・ウルフ『民主主義と資本主義の危機』(日本経済新聞出版)は、経済的な不平等の拡大がポピュリズムにつながって民主主義の危機をもたらすと主張しています。ジョン・メイナード・ケインズ『平和の経済的帰結』(東洋経済)は、第1次世界大戦後のベルサイユ条約の交渉過程や結論において、ドイツに対するカルタゴ的な平和がもたらされる危険を指摘しています。志駕晃『そしてあなたも騙される』(幻冬舎)は、SNS上で客を集める個人間融資の「ソフト闇金」で騙す人と騙される人を取り上げた小説です。小塩隆志『高校生のための経済学入門[新版]』(ちくま新書)は、高校生に経済学の初歩を学んでもらうための入門書です。ホリー・ジャクソン『受験生は謎解きに向かない』(創元推理文庫)は、ピップを主人公とする三部作の前日譚であり、ピップと同級生たちが犯人当てゲームに挑みます。石持浅海『男と女、そして殺し屋』(文春文庫)は、経営コンサルタントの男の殺し屋と通販業者の女の殺し屋が、場所や日付を特定した殺人依頼の謎を明かそうと試みます。
ということで、今年の新刊書読書は1~3月に77冊の後、4月に入って先週までに13冊をレビューし、今週ポストする6冊を合わせて96冊となります。順次、Facebookなどでシェアする予定です。なお、葵祭の斎王代が決まったというニュースに刺激されて、別途、本多健一『京都の神社と祭り』(中公新書)も読みました。これは2015年出版であって新刊書ではないので、このブログでは取り上げませんが、Facebookやmixiでシェアしたいと思います。
まず、マーティン・ウルフ『民主主義と資本主義の危機』(日本経済新聞出版)を読みました。著者は、英国の Financial Times 紙のジャーナリストです。英語の原題は The Crisis of Democratic Capitalism であり、2023年の出版です。ということで、別の機会に書いたような気がしますが、経済史的に考えて民主主義と資本主義には親和性があったとみなされていました。ただし、人々が平等な参加権を持つ民主主義と人々が持てる所得や富などに基礎を置く購買力に基づいた不平等が存在する資本主義とは、必ずしも親和性はありません。すなわち、本書で著者がノッケから主張しているように、資本主義は一定の平等性があるという前提のもとで民主主義と親和的であっただけであり、中産階級が崩壊の危機に瀕して格差が拡大する中では、民主主義と資本主義の間の親和性は薄れます。そして、私もそうですが、著者の主張は資本主義というよりも民主主義を重視すべきであって、民主主義にもっとも重要なプライオリティを置くべきである、というものです。この点については大きな反対は、少なくとも表立ってはないものと私は考えています。他方で、民主主義ではなく資本主義的な不平等に基礎を置く政治体制を志向する人々も無視し得ないボリュームで存在することも事実です。ただ、英語の原題にある通り、本書では民主主義と資本主義を邦訳タイトルのごとく別物として扱っているわけではありません。民主的な資本主義が危機に瀕している、というのが根本的な問題意識であり、邦訳タイトルに見られるように民主主義が危機に瀕して権威主義に取って代わられようとしているとか、資本主義から社会主義に移行する動きがあるとかといった2つのフェーズを論じようとしているわけではありません。あくまで、民主的な資本主義が権威主義的な資本主義に変質しないように警告を発しているのだと私は認識しています。資本主義はそれ自体としてはミラノビッチ博士のいう通り盤石で生き残っています。そして、資本主義的な所得や富の分配の不公平を残したままでは民主主義が機能しにくくなる点は、1980年代の新自由主義政策がもたらした現在の格差社会のもとで実感されている通りです。本来、古典派経済学の「完全競争」の用語に示されているように、資本主義においては大きな不平等ないとの前提で、個人の自由や権利を守り、契約の遵守などの一定のルールを守り、相互の信頼関係を尊重する市場が運営されていれば、民主主義と親和性高く存続します。しかし、所得や富の大きな不平等があれば、ルールがねじ曲げられたり信頼関係が損なわれたりするのは日本の例を見ても明らかです。裏金を受け取った国会議員は税務申告の必要がない一方で、昨年10月からはインボイス制が幅広く敷かれて、最後の1円まで所得をあからさまに把握される中小業者が続出しています。社会的地位の高い人々と一般市民の間が分断されて、「上級国民」は一般国民とは異なる権利を持って、異なるルールに従っているかのような印象すらあり、そこにつけ込んでポピュリズムが支持を獲得し始めています。そして、こういったポピュリズムが移民や外国人を敵視し、保護主義を正当化し、民主主義を侵食していると私は考えています。本書では、ポピュリズム台頭の理由として経済的な失望を重視しています。今まで、ややもすれば、宗教的な要因も含めて社会的地位を失うおそれや民族差別などの文化的な側面が重視されてきましたが、本書は違います。そして、具体的な処方箋には乏しいものの、新自由主義的、ネオリベな政策ではなく、経済的な格差を縮小し、中間層を分厚くするような方向性が模索されています。たぶん、我が国の官僚に実際の政策具体化を指示すれば、立派な政策ができるような気がします。
次に、ジョン・メイナード・ケインズ『平和の経済的帰結』(東洋経済)を読みました。著者は、20世紀の偉大な経済学者です。英語の原題は The Consequences of the Peace であり、1919年の出版です。邦訳者は山形浩生さんです。巻末の邦訳者による解説もなかなかのものです。もう100年を経過した大昔のパンフレットですので、すでにパブリックドメインになっていて、Project Gutenberg のサイトで英文全文を読むことが出来ます。邦訳は山形浩生氏による新約です。本書はケインズ卿の著作物のうちで、もちろん、『貨幣論』や『貨幣改革論』や『確率論』などもあるとはいえ、おそらく、『雇用、利子及び貨幣の一般理論』に次いで人口に膾炙したものではないか、と考えます。一言でいえば、第1次世界大戦後の平和条約であるベルサイユ条約の交渉過程を振り返り、ドイツに対するカルタゴ的な平和を強く批判しています。構成は7章から成っており、第1章で序論、第2章で戦争前のヨーロッパを概観し、第3章で会議、第4章で条約、第5章で賠償をそれぞれ論じ、第6章で条約後のヨーロッパ、最後の第7章で修正案を提示しています。よく知られたように、ケインズ卿は単にアカデミックな世界で活躍しただけではなく、そもそも、ケンブリッジ大学卒業後は高級公務員としてインド相で勤務したりしていますし、本書で明らかなように、当時の英国大蔵省の代表団の一員として、第1次世界大戦後にはパリでのヴェルサイユ条約交渉に参加し、第2次世界大戦後にもブレトン-ウッズ会議に出席して議論をリードしています。これまた、よく知られたように、ヴェルサイユ条約の交渉においては、議論の方向性や条約の素案について大きく失望し、辞表を出して本書を取りまとめています。ですので、本書はエコノミストとして精緻な分析を示しす、というよりも、政府代表団や広く一般国民を対象に訴えかけることを目的としたパンフレットであり、ボリュームはそれなりにあるものの、それほど難解な議論を展開しているわけではありません。そうです。マクロ経済学を一瞬にして確立した『雇用、利子及び貨幣の一般理論』などと比べると、格段に判りやすい内容といえます。欧州における戦後の生産能力の低下を粗っぽく試算し、ドイツが英仏をはじめとする連合国相手に賠償できる範囲を示した上で、その支払い能力も粗っぽく試算しています。その上で、最終的にヴェルサイユ条約ではドイツの賠償額は1320億金マルクと決定したわけですが、ケインズ卿はドイツの支払い能力を400億金マルク=20億ポンド=100億ドル、と試算しています。歴史的な事実として、ドイツの賠償額は削減され続け、ドーズ案を経てヤング案では358億金マルクにまで低下しているわけですので、ケインズ卿の試算結果の正確性が証明されたといえます。本書では、余りに多額の賠償がドイツの政情不安を惹起する、とまでは指摘していませんが、これまた歴史的事実として、世界でもっとも民主的と称されたワイマール憲法下であっても、民主的な投票に基づいてナチスが政権を奪取し、最終的には独裁体制が成立し、第2次世界大戦の原因のひとつとなったのは、広く知られている通りです。ケインズ卿が提示した、あるいは、本書で展開された的確な経済分析が第2次世界大戦を防ぐことが出来なかったのは、エコノミストならずとも痛恨の極みといえましょう。
次に、志駕晃『そしてあなたも騙される』(幻冬舎)を読みました。著者は、映画化もされた『スマホを落としただけなのに』でデビューしたミステリ作家です。この小説は、「騙される人」と「騙す人」の2章建てになっています。主人公は、夫のDVから逃れて7歳の娘を育てるシングルマザーの沼尻貴代です。そして、テーマはソフト闇金、個人間融資です。主人公は、適応障害でコールセンターのクレーム処理の仕事を辞めざるを得なくなり、いろんな料金を延滞し始め、アパート家賃を払えなくなって住居を失うリスクに直面しながらも、親戚をはじめとしてどういった貸金業者からも融資を受けられなくなります。追い詰められた主人公が最後の頼みの綱として期待したのがSNS上で客を集める個人間融資の「ソフト闇金」でした。「未奈美」と名乗る見知らぬ貸主が、子育て中のシンママということで、やたらと親切に借金返済を猶予してくれる上に、新たな就職先や子育てなどプライベートな相談にも乗ってくれるます。そういった背景で、主人公はギリギリで風俗への就職を思いとどまったりするわけです。親切な貸主ということもあって、主人公の借金は雪だるま式に膨れ上がり、とうとう返済のメドが立たなくなったところで、「騙される人」の章が終わって、主人公は貸主の未奈美から資金調達して貸す方に回り、「騙す人」の章が始まります。そして、当然ながら、個人間金融を始めた主人公が返済を滞りがちな顧客に苦労する、というストーリーです。ミステリですので、出版社の紹介文や章立てなどから容易に理解できるので、あらすじなどはここまでとします。まず、エコノミストとして指摘しておきたいのは、日本は貧困の3要因として従来から上げられているのは、母子家庭、高齢家庭、疾病です。最近ではこれに非正規雇用という要因も加わっているのかもしれませんが、本書の読書の範囲ではシングルマザーというのが貧困の大きな原因となっていることは明らかです。そして、新自由主義的な棄民政策、「自助、共助、公助」の順を強調しつつ、実は、ほとんど公助が欠けている中で、生活に苦しむ母子家庭が舞台となっています。もちろん、DVも大きな要素です。その意味で、いかにも経済的側面からはありそうなストーリーだというふうに私は受け止めました。加えて、2章建てとなっていて、闇金から借りる方で返済ができなくなったら、闇金サイドで働いて、いわば、貸す方に転換する、というのは、すっかり忘れましたが、ほかの小説でも見た気がしますので、これまた、あり得るストーリーなのかもしれません。最後の最後に、出版社の宣伝文句で「2度読み必至」と書かれています。もともと、ミステリは読者を何らかの意味で騙そうとするものですし、そういった宣伝文句を与えられたミステリは少なくありません。でも、確かに、騙される読者もいるのかもしれませんが、それほど深い騙し方ではありませんし、私自身も、ひょっとしたら騙されたのかもしれませんが、2度読みは必要なかったです。
次に、小塩隆志『高校生のための経済学入門[新版]』(ちくま新書)(ちくま新書)を読みました。著者は、私と同僚でもあった官庁エコノミストから早々に学界に転じて、現在は一橋大学の研究者です。[新版]と銘打っている通り、2002年版があるのですが、今年2024年になって新しい新版が出版されています。4月で私の勤務校でも大量に新入生を迎え、現時点で、失礼ながら、大学1年生なんて高校生と大きな違いはないわけで、特に、私は理工学部生や文学部生なんぞに日本経済を教えているわけですから、高校生に教えるのと大きな違いない部分も少なくなく、本書を手に取ってみました。タイトル通りに、本書冒頭で「高校生に経済学の初歩を学んでもらうための入門書」と明記されています。対象は基本的に高校生であって、たぶん、私は読者に想定されている対象外ということになります。ということで、経済学ですので、需要曲線と供給曲線の交点で価格と需要量=供給量が決まる、という広く知られた関係から始まります。すなわち、本書で取り上げられている順に、需要と供給、市場メカニズム、金利、格差、効率と公平、景気、物価、GDP、人口減少と経済成長、インフレ、金融政策、税金と財政、社会保障、円高と円安、比較優位、貿易と世界経済、ということになります。私は、カプラン教授の『選挙の経済学』などから経済学では想定しないような間違い、例えば、ロックフェラー一族とアラブの王様が結託して石油価格を釣り上げて庶民を苦しめている、といった反市場バイアスに対して、価格は市場で分散的に決まり、競争的市場で決まった価格シグナルによる資源配分は厚生経済学的に最適である、といった世間一般の誤解を解くとともに、経済学部生も含めて、もちろん、他学部生にも、経済や経済学であるので世間一般の常識をそのまま当てはめて理解することも十分可能である、と強調しています。例えば、学生でもスーパーで安売りをするのは量をたくさん売りたいという意図に基づいている、ということくらいは理解できますから、価格低下と販売量の増加が相関していて、逆は逆である、とかです。ですから、本書をテキストにして経済学を教えることも可能かもしれませんが、私は日本の経済事情というものを教える必要があるので、まあ、大学の授業に「高校生のための」という明記があるのを取り上げるのは少しはばかられます。最後に、1点だけ指摘しておくと、第5章の金融に関してミクロ経済学の視点がなく、マクロ経済学の観点だけからの説明しかないように感じました。すなわち、金融や金融機関、例えば、銀行のもっとも重要な役割は決済であり、支払いを滞りなく済ませるという観点が抜けていて、マクロの金融仲介機能とか、日銀の役割だけが取り上げられている気がします。したがって、「システミック・リスク」を防止する、といった観点もありません。その点だけは、もしも、3版が出るなら付け加えてほしい気がします。でも、トータルとしていい入門書だと思います。
次に、ホリー・ジャクソン『受験生は謎解きに向かない』(創元推理文庫)を読みました。著者は、英国のミステリ作家であり、本作の前に同じピップを主人公とするの『自由研究には向かない殺人』、『優等生は探偵に向かない』、『卒業生には向かない真実』の三部作があり、本作はこの三部作の前日譚となっています。ですから、主人公のピップはまだ高校生です。ただし、三部作の最初の方で明らかにされている通り、ピップの通っているのは英国のグラマー・スクールですから、日本式にいえば「進学校」と位置づけて差支えありません。事実、ピップはオックスブリッジに進学しています。ということで、本作品では、架空の殺人事件の犯人探しゲームにピップが招待されます。そのゲームの舞台はスコットランド西方海上に浮かぶ小島のマナハウスで、時代設定は1924年、黄金の20年代、となっています。なお、招待された人たち、というか、ゲームの参加者はピップの高校の同級生たちとその兄の計7人です。ゲームの開始早々にマナハウス=富豪の豪邸の主人が殺害されて、その犯人探しが始まります。もちろん、ゲームですし、実際にスコットランド西方の島に行くわけでもなく、いろんな手がかりがブックレットに挟まれているメモによって明らかにされます。殺害された大富豪はカジノとホテルの会社を経営していて、息子が2人います。兄は会社経営に加わらないものの、父親から生計費を得ていて自由気ままに暮らしている一方で、弟の方は会社の後継者とみなされています。マナハウスの主人とソリの合わなかった執事も容疑者リストに入ります。最初のころは、適当にみんなと合わせているだけだった主人公のピップも段々とゲームに熱中し始め、最後は、ゲーム提供者の正解に対して、心の中で異議を唱えたりもします。私は読者として、先の三部作をすべて読んでレビューしたつもりで、最後の作品の終わり方からしてシリーズの続きはないと確信しています。ただ、こういった前日譚はあり得るわけで、いかにも「無邪気」とすら表現し得るような高校生たちの爽やかな青春ストーリーです。読者によっては、『自由研究には向かない殺人』の次に上げ、『優等生は探偵に向かない』や『卒業生には向かない真実』よりも高く評価する人がいても私は不思議に思いません。もっとも、三部作を最後まで読んだからそう感じるだけで、単体として独立して読めば評価は変る可能性があります。
次に、石持浅海『男と女、そして殺し屋』(文春文庫)を読みました。著者は、ミステリ作家です。本書は、『殺し屋、やってます。』と『殺し屋、続けてます。』に続く、シリーズ第3弾です。最初の『殺し屋、やってます。』では殺し屋は経営コンサルタントとして表の顔で働く富澤允だけが登場して、第2作の『殺し屋、続けてます。』では新たな殺し屋としてインターネット通信販売業を偽装する鴻池知栄が登場します。そして、本作は、当然ながら、というか、何というか、豪華にもこの2人とも登場する短編集です。私は、たぶん、前2作を読んでいると思うのですが、いずれも本作と同じように短編集だったという以外には、ほぼほぼ中身の記憶がありませんから、ひょっとしたら、再読するかもしれません。それはさておき、前2作と同じで、殺し屋が殺人を請け負うわけですが、その殺人は謎解きもヘッタクレもありませんから、情報が分断されている依頼者と殺害対象者の関係、あるいは、オプションで指定される殺害地域や日程などを謎解きの対象にしています。収録されている短編のあらすじは、順に、「遠くで殺して」は富澤允が請け負います。依頼者と殺害対象者のそれぞれの自宅の間では殺害しない、という地域のオプションの謎を解きます。「ペアルック」は鴻池知栄が請け負います。殺害対象者がジャグリングなどの大道芸を趣味にしていて、そのペアとなっているもう1人の男性の2人が、ほぼほぼ同じような服装をしている謎を解きます。「父の形見」は富澤允が登場します。無農薬有機野菜の販売を父親から引き継いだ男性が雇っていた営業担当者が殺された過去の事件の謎を解きます。「二人の標的」は鴻池知栄が請け負います。2人の友人YouTuber農地のどちらかを殺害するという風変わりな依頼の謎を解き、依頼人の意思に沿った殺人であるかどうかを確認します。最後に表題作の「女と男、そして殺し屋」は鴻池知栄と富澤允が2人とも登場し、別途の殺人依頼を受けます。文庫本で100ページを越える中編くらいの長さです。殺害日程を指定され、先の日程だった鴻池知栄の殺人が終わった後、富澤允の依頼は取り消されます。背景となった高齢者の運転ミスによる交通事故死、そして、その交通事故死から残された遺児の大学受験などの要素を突き合わせて謎が解かれます。いずれも殺し屋が殺人を請け負うわけですから、警察などの法執行機関が介入しての全面的な謎の解明にはならないのはいうまでもなく、情報収集に動き回るとはいえ、決定的な証拠物件を発見するわけでもなく、安楽椅子探偵の要素が強いミステリです。ですから、警察がやるような明示的な事実関係などの解明は提示されませんが、おそらくそうなんだろうという論理的な謎解きが披露されます。
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