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2024年4月 6日 (土)

今週の読書は日本の企業や経済に関する経済書2冊のほか計7冊

今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、伊丹敬之『漂流する日本企業』(東洋経済)は、従業員重視から株主重視に経営姿勢を転換し、設備投資に対して非常に消極的になった日本企業を論じています。櫻井宏二郎『日本経済論 [第2版]』(日本評論社)は、江戸時代末期からの日本経済の特徴を歴史的に後付けています。森見登美彦『シャーロック・ホームズの凱旋』(中央公論新社)では、ホームズはヴィクトリア朝京都で大変なスランプに陥っています。天祢涼『少女が最後に見た蛍』(文藝春秋)は、社会派ミステリの仲田蛍シリーズ第4弾、初めての短編集であり、主人公の仲田蛍が高校生や中学生の心を想像します。結城真一郎『#真相をお話しします』(新潮社)も5話の短編から編まれていますが、コミカライズされていてマンガ版も出版されています。ラストのどんでん返しが各短編の特徴を引き立てています。田渕句美子『百人一首』(岩波新書)は、「百人一首」を編纂したのは藤原定家であり、小倉山荘の時雨亭で編まれた、とする通説に挑戦しています。東川篤哉『もう誘拐なんてしない』(文春文庫)は大学生が暴力団組長の娘を狂言誘拐する際の殺人事件の謎解きが鮮やかです。
ということで、今年の新刊書読書は1~3月に77冊の後、4月に入って今週ポストする7冊を合わせて84冊となります。順次、Facebookなどでシェアする予定です。
なお、新刊書読書ではないので、本日のレビューには含めませんでしたが、有栖川有栖の国名シリーズ第7弾『スイス時計の謎』と第10弾『カナダ金貨の謎』(講談社文庫)も読みました。そのうちに、Facebookなどでシェアする予定です。

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まず、伊丹敬之『漂流する日本企業』(東洋経済)を読みました。著者は、長らく一橋大学の研究者をしていました。専門は経営学です。私の専門の経済学とは隣接分野であろうと思います。本書では、財務省の「法人企業統計」などからのデータを基に、バブル崩壊意向くらいの日本企業の経営姿勢が大きく変化したことを後付けています。ズバリ一言でいうと、冒頭第1章のp.51にあるように、「リスク回避姿勢の強い経営」ということになります。一言ではなく二言でいえば、従業員重視から株主重視に経営姿勢を転換し、設備投資に対して非常に消極的である、ということです。後者については、バブル崩壊後、特にリーマン・ショック後に利益を上げつつも、株主への配当を増やす一方で設備投資がへの積極性が失われています。反論もいくつか取り上げていて、人口減少などから国内経済の成長が望めないから設備投資に消極的かというとそうでもなく、海外投資にも消極的である、と批判しています。ただ、海外投資に消極的なのは海外人材の不足も上げています。これは企業だけではなく、大学でもそうです。私は大学院教育は受けていませんし、大足の単なる学士であって収支や博士の学位は持っていませんが、海外経験が豊富だということから大学教員に採用されているような気がします。おそらく、私の直感では、大学にせよ企業にせよ、東京や首都圏であればまだ海外要員はいなくもないのでしょうが、いっぱしの都会である関西圏ですら海外人材は不足しています。おそらく、もっと地方部に行けば海外人材はもっと足りないのだろうと想像しています。ついでながら、同様に大きく不足しているのはデジタル人材であると本書では指摘しています。これは、ハッキリいって、教育機関たる大学の問題でもあります。リスク回避の強い経営に立ち戻ると、本書では「メインバンク」という言葉は使っていませんが、要するに、銀行に頼れなくなったからである、と指摘しています。かつては、メインバンクならずとも資金提供してくれる銀行が、同時に経営のチェック機能も果たしていたのですが、そういったいわゆる間接金融から直接金融に移行し、そのために株主に対する配当が膨らんでいる、という結論です。ただし、こういった過大な配当や設備投資の軽視は大企業だけに見られる現象と本書では考えていて、中小企業にはこういった動きは少ないとも結論しています。どうしてかというと、大企業のほとんどは株式を公開しており、官製のコ^ポレートガバナンス改革とか、海外投資家のうちのアクティビストへの対応などが必要になるというわけです。ですから、設備投資を抑制し、私も同意するところで、設備投資が不足するので労働生産性も高まらず、したがって、賃金が上がらない、という結論です。本書では明示していませんが、おそらく、企業の利益を投資だけでなく、賃金に分配することについても抑制的な経営がなされてきた結果であろうと私は考えています。ついでに、それをサポートするように政治や行政が暗に労働組合を弱体化させてきたことも寄与している可能性があります。そして、著者の古い著書である『人本主義企業』に立ち返って、注目企業のキーエンスを取り上げています。その詳細は本書を読んでいただくしかありませんが、1点だけ指摘しておくと、配当を増やすのではなく、株価を上げることで株主に還元している姿勢を指摘しています。最後に、私のようなマクロエコノミストの目から見て理解できなかった点なのですが、設備投資をすれば労働者の資本装備率が上がって生産性を向上させるだけではなく、特に大規模な設備投資であれば企画段階から大きな人材へのインパクトがあると主張します。企画段階における人的能力の向上や形成はいうに及ばず、心理的エネルギーが高揚し、意識や視野が広がる、との指摘です。ここは経済学ではなく経営学独自の視点で、私も勉強になった気がします。

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次に、櫻井宏二郎『日本経済論 [第2版]』(日本評論社)を読みました。著者は、日本政策投資銀行ご出身のエコノミストであり、現在は専修大学の研究者です。本書では、冒頭の第1章で日本に限定せずに経済を見る目や経済学の基礎や景気循環などについて解説をした後、日本経済をかなり長期に渡って歴史的に後付けています。すなわち、江戸時代の遺産と明治維新から始まって、殖産興業や戦時経済、敗戦後の戦後改革と高度成長、石油危機を転機とする高度成長の終焉と1980年代後半のバブル経済、バブル崩壊後の日本経済の低迷やアベノミクスの展開、そして、コロナのショックと最後は人口減長や高齢化などを論じています。長々と書き連ねてしまいましたが、私は大学で本書のタイトルと同じ「日本経済論」の授業を学部生向けと大学院生向けに担当していて、前の長崎大学でもやっぱり同じことでした。ただ、3月末で定年退職して特任教授になってからは大学院の方の日本経済論は担当から外れてました。ですので、こういった日本経済を論じた経済書はなるだけ読むようにしています。本書の特著は、繰り返しになりますが、歴史的に日本経済を解説していることです。ですので、学生はもとより一般的なビジネスパーソンにも取り組みやすい気がします。私が授業で教科書に指定しているのは有斐閣の『入門・日本経済[第6版]』で、前任の長崎大学のころに第3版を教科書に指定して以来、長々と使っています。冒頭の3章ほどで戦後の日本経済を振り返った後、制度部門別に、企業、労働、社会保障、財政、金融、貿易、農業などにおける日本経済の特徴について解説しています。私が授業をするのはこういった制度部門別の教科書のほうが使いやすい、というか、学生の学習には適していると考えています。ただ、本として、読み物として考えると、本書のように歴史を後付けるのも私はいい方法だと評価しています。ただ、現在の大学生は、10年余り前に私が長崎大学で教え始めたころと違って、ほぼほぼ今世紀の生まれ育ちですから、ハッキリいって、バブル経済の実感はまったくありません。今の大学生が生まれた時から、ずっと日本経済は低迷を続けているわけです。私自身はさすがに高度成長期の記憶はほぼ持っていませんが、今の大学生は高度成長期は完全に歴史の中の出来事であり、バブル経済もそうなりつつあります。ですので、逆に、高度成長期やバブル経済期の日本経済の姿を客観的に把握することができるような気すらします。もはら、高度成長期やバブル経済期の日本経済というのは、自国のことではなくて世界のどこかヨソの国の経済のような感覚だと思います。ですので、本書の弱点は日本経済の教訓を別の国で活かす方向性に乏しい点です。アジア諸国の経済開発の観点からすれば、江戸時代までさかのぼってしまうとどうしようもない点がいっぱいあり、戦後日本経済をより詳しく見た方が有益ではないかと考えています。というのも、日本経済の大きなひとつの特徴は、欧米以外のアジアの国で唯一の近代的かつ欧米的な経済発展を遂げて先進国を果たした点にあると考えられます。例えば、1人当たり所得で見て、日本よりもシンガポールの方が豊かなわけですが、日本は欧米的な農業国から工業国へ、そして、サービス経済化、という西欧的な経済発展の流れに乗っていますが、シンガポールは少し違います。ひょっとしたら、唯一の国というよりも韓国や台湾を考えれば、アジア最初の国という方が正確かもしれませんが、いずれにせよ、西欧的な経済発展の観点からは、韓国や台湾を含めてアジアの先頭を切ってきたわけで、これらの国に続くASEAN諸国や、あるいは、南アジアや中央アジアも含めて、今後の経済発展のロールモデルになる観点から日本経済を見ることもひとつの視点だと考えています。その意味で、日本経済を学ぶには開発経済的な視点も欠かせません。

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次に、森見登美彦『シャーロック・ホームズの凱旋』(中央公論新社)を読みました。著者は、エンタメ小説の作家です。この作品は、タイトル通りに、シャーロック・ホームズの探偵譚を相棒のワトソン医師が書き記しているというパスティーシュなのですが、ノッケから、ホームズやワトソンがいるのはヴィクトリア朝京都で、ワトソンはすでに結婚してメアリー・モースタンと新婚家庭を構えている一方で、ホームズはベイカー街ならぬ寺町通221Bのハドソン夫人のフラットに住んでいます。ただ、ヴィクトリア朝京都のホームズは決して名探偵ではありません。「赤毛連盟事件」で大失敗をしてスランプに陥って、鬱々と日々を過ごしているので、ワトソンが何とか元気づけて元の名探偵に復帰できるように、いろいろと気を使って、そのあげくにワトソン家の結婚生活が危機にさらされていたりします。ついでながら、「京都警視庁」に「スコットランドヤード」のルビが振ってあり、そのスコットランドヤードのレストレード警部も、難事件はホームズに解決してもらっていたわけですから、ホームズにシンクロする形でスランプだったりします。また、本来のホームズ物語ではロンドンの悪の巨頭であり、ホームズの宿敵であるモリアーティ教授は、寺町通221Bのホームズの部屋の上階に住んでいて、これまたスランプで研究も進んでいません。ほかに、「ボヘミアの醜聞」に登場するアイリーン・アドラーがヴィクトリア朝京都では名探偵の役割を果たして、ホームズに代わって難事件を解決します。ほかに、原典に基づいて登場するのはマスグレーヴ家の当主だったりしますし、ヴァイオレット・スミスはまったく原典から異なる役割を与えられていて、「ストランド・マガジン」の編集者を務めていたりします。原典には見当たらない霊媒師リッチボロウ夫人がヴィクトリア朝京都では重要な役割を果たします。まあ、ホームズの物語ですから、ネタバレを避けてあらすじはここまでとしますが。おそらく、本書を読むと作者の『有頂天家族』などといったファンタジーを連想して、本書もファンタジーではないか、と考える読者がいそうな気がしますが、そのようにファンタジーにも読めることを私も認めはしますが、ひょっとしたら、メタ構造になっているのではないか、そのようにも読めるのではないか、という気がします。あまりに突っ込んだレビューをするのはネタバレにつながりかねないので、ここまでとしますが、既読の方がおられれば、本書は『有頂天家族』などのようなファンタジーなのか、いやそうではなく、近代物理学や生物学に矛盾する部分は決してなくて、ファンタジーのように感じられるのはメタ構造の内部構造として読むべき、なのか、ご意見をお聞きしたく思います。

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次に、天祢涼『少女が最後に見た蛍』(文藝春秋)を読みました。著者は、ミステリ作家であり、本書は社会派ミステリの仲田蛍シリーズ第4弾、初めての短編集です。このシリーズは神奈川県警生活安全課少年係の仲田蛍を主人公に、第1弾『希望が死んだ夜に』、第2弾『あの子の殺人計画』、第3弾『陽だまりに至る病』と、未成年による数々の事件を取り上げています。本書に収録された5話の短編を収録順に紹介すると、まず「17歳の目撃」では、決して豊かではない家庭環境ながら弁護士を目指す高校生が、地元の登戸で頻発しているひったくり事件を目撃します。高校のクラスメイトが犯人でしたが、波風を立たせないためにその目撃情報を警察には伝えず、ウヤムヤに終わらせようとします。仲田蛍がいつもの「想像」によって証言引き出します。「初恋の彼は、あの日あのとき」では、アラサーに達した仲田蛍が同窓生の女子会に出席し、小学校のころの思い出を4人で語り合います。物静かなイケメンスポーツマンとして人気がありながら、5年生の終業式の日に転校していった男子についてのお話が弾みます。でも、仲田蛍はその実態について鋭く考えます。「言の葉」では、元アイドルながら過激な発言でもってSNSを炎上させることでも有名な野党の女性議員の事務所のガラスにリンゴが投げつけられた事件で、防犯カメラの映像などから早くから犯人と特定されていた中学生男子に仲田蛍が相対します。こども食堂を助けるのがいいのか、それとも、こども食堂が不要になる社会を目指すべきなのか、社会派の真骨頂が伺えます。「生活安全課における仲田先輩の日常」では、同じ生活安全課の後輩である聖澤真澄が、あまりにも顔色の悪い先輩の仲田蛍の守護神として活躍します。有名進学校の防犯教室で仲田蛍に代わって説明役を引き受けたりします。最後の表題作「少女が最後に見た蛍」では、夜の男女トラブルで女性の事情聴取を行うことになった仲田蛍と聖澤真澄なのですが、その女性とは仲田蛍の中学校のクラスメートで仲田蛍の友人であった桐山蛍子を自殺に至らしめたいじめの張本人でした。仲田蛍は桐山蛍子をいじめから守りきれなかった、という後悔があります。このシリーズはミステリとしては少しずつクオリティが落ちてきて、特に第3作の『陽だまりに至る病』は謎解きとしては少し疑問があったのですが、本書に収録された短編はミステリとしてもいい出来だと思います。特に、仲田蛍の過去が語られる「初恋の彼は、あの日あのとき」と「少女が最後に見た蛍」は過去の出来事の謎解きですから、いわゆる安楽椅子探偵の役割を仲田蛍が果たし、本格的な謎解きに仕上がっています。もちろん、このシリーズの真髄である社会派として、単純な家庭の問題だけではなく学校におけるいじめについても取り上げられており、このシリーズ本来の姿である社会派ミステリを十分楽しめます。

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次に、結城真一郎『#真相をお話しします』(新潮社)を読みました。著者は、『名もなき星の哀歌』で新潮ミステリー大賞を受賞してデビューしたミステリ作家です。本書は、5話の短編から編まれていますが、コミカライズされていてマンガ版も出版されています。私はマンガの方は見ていませんが、直感的には文章だけの小説よりもマンガの方が売れそうな気がします。それはともかく、収録順に各短編のあらすじを紹介すると、まず、「惨者面談」では、家庭教師派遣業者の営業のアルバイトをしている御三家卒東大生が主人公で、営業活動で訪れた家の母親と子どもと面談しますが、玄関先で長々と待たされた上にどうもチグハグでかみ合わない面談です。ウラで何かが起こっています。「ヤリモク」では、マッチングアプリで娘とよく似た女性をお持ち帰りする中年男性が主人公です。同時に娘がパパ活して高価なアクセなんかを買ってもらっていることも懸念しています。そして、いわゆ美人局に遭遇して大きく物語が展開し始めます。「パンドラ」では、高校生の娘がいるものの、以前に不妊で悩んだ経験から妻の同意を得て精子提供をしている男性が主人公です。そして、中学生の女子からホントの父親の自分に連絡がきてしまいます。「三角奸計」では、大学のころの仲間3人でリモート飲み会を楽しむ社会人が主人公です。ただ、3人のうち1人はテキストチャットだけでの参加です。3人お家の1人のフィアンセが浮気しているということから話が大きくなります。最後に、「#拡散希望」では、YouTuberになろうと憧れながら長崎県五島列島に住む男女4人の小学生が主人公です。もっとも、4人のうち島で生まれ育ったのは1人だけで、後の3人は家族ともに移住してきています。移住組はややキラキラネームだったりします。そして、島にやってきたYouTuberの田所という男性が子どもたちと接触するのですが、島から去った後に殺害されます。そしかも、小学生4人のうち、1人の女子が崖から転落死してしまいます。ということで、ミステリですので消化不良気味のあらすじ紹介ですが、いずれも最後の最後にちゃぶ台返しのどんでん返しが待っているミステリです。しかも、多くの短編で殺人事件が起こります。ただし、途中まで読んでいて、なんとなく真相も明らかになるくらいで、一部には底の浅いトリックも見られますが、それなりにグロいところがあって、決して一筋縄では行きません。5話のうち、圧倒的に最後の「#拡散希望」の出来がよく、最後に真相が語られる部分はかなりの緊張感があります。めずらしくも私はついつい最初に戻って2度読みしてしまいました。

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次に、田渕句美子『百人一首』(岩波新書)を読みました。著者は、早稲田大学の研究者であり、ご専門は日本中世文学・和歌文学・女房文学だそうです。本書では、タイトル通りに「百人一首」を題材に取り上げています。当然です。特に、私は書道をやっていた経験があって、大学の職を終えればもう一度習いたいと考えているので、色紙歌には興味があって、書道や美術品の観点からも「百人一首」は興味をそそられます。他方で、従来から、私のようなフツーの日本人は、「百人一首」あるいは「小倉百人一首」とは、勅撰和歌集ではないとしても、かなり著名な和歌の撰集であって、藤原定家が嵯峨野の小倉山荘の時雨亭で編んだものと考えられています、というか、伝えられています。しかし、著者の最近の研究成果でこういった一般日本人の「常識」が改めて考え直されていたりします。本書の考察のポイントは、「百人秀歌」と「百人一首」を比較衡量して、その異同から何が見えてくるかを考え、さらに、「百人一首」の配列を考え、当然ながら、権力史などの歴史をひも解き、和歌の解釈にまで考えを及ばせています。そして、考察における決定版としては、藤原定家の日記である「明月記」との比較衡量、日付の検討なども行っています。特に、「明月記」における文暦2年・嘉禎元年(1235年)5月27日の条の障子歌、色紙歌などを参照して、「百人一首」は藤原定家の撰になるものかどうかに、大きな疑問を呈しています。まず、配列については、勅撰和歌集にも見られるように、和歌は一首単独で考えられるべきものではなく、前後の配列の中、あるいは、巻の塊の中で鑑賞されるもの、という視点です。そして、歴史的な視点としては、いくつかの和歌に詠まれた「末の松山」というのは、津波ではないか、というものです。ほかにもいっぱいありますが、こういった歴史や文学の視点は、私のような専門外の読者にとっては目新しいものばかりで、それなりに勉強にはなりました。でも、だからどうした、という読者もいるように思わないでもありませんが、それが「教養」というものです。その意味で、ためになった読書でした、さすがは岩波新書、と感激しました。

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次に、東川篤哉『もう誘拐なんてしない』(文春文庫)を読みました。著者は、「謎解きはディナーのあとで」のシリーズなどで売れているユーモアミステリの作家です。本書も基本的にユーモアミステリのカテゴリの作品といえます。単行本が2008年に文藝春秋から、2010年には文庫本は文春文庫から、それぞれ出版されていますが、本書はさらにエピローグを加えて今年2024年1月に出版されています。出版社の宣伝文句として「斬新なカバーデザイン」というのもあったりしますが、前の表紙は不勉強にして私は知りません。ということで、舞台は基本的に下関なのですが、関門海峡を渡って北九州は門司にも行ったりします。基本的な地図は壇ノ浦古戦場や巌流島などとともに、本書冒頭に示されています。主人公は夏休み中の大学生と門司を地場にする暴力団組長の娘です。それに、人物相関的にはほとんど関係しませんが、印刷会社での偽札もからんできたりします。主人公の垂井翔太郎は夏休みのアルバイトで大学の先輩の甲本一樹からたこ焼きの屋台の軽トラを借りて、門司でアルバイトを始めます。その門司で、ヤクザから逃げる花園絵里香を助けます。花園絵里香は、門司港から発祥したバナナの叩売りを起源とするテキ屋系の任侠一家である暴力団花園組の組長の娘、正確には次女だったりします。なお、花園組の実権は組長ではなく、組長の長女である花園皐月が握っていたりします。その花園皐月と花園絵里香の母親が組長の父と離婚した後にできた妹の手術費用をせしめるために、狂言誘拐を企んで花園絵里香の父親、というか、花園組の組長から身代金を脅し取ろうとします。その身代金受渡しの過程で、花園組ナンバーツーの若頭である高沢裕也が失踪した上に、死体となって発見される謎を花園組の実権を握る花園皐月が探偵役となって解き明かすわけです。ミステリですので、あらすじはここまでとしますが、まあ、このあたりの山口・広島・岡山の瀬戸内ご出身の作者らしく旅情あふれる、というか、ローカる情報を満載したユーモアミステリです。しかし、同時に、関門海峡で船を使うなどの身代金の受渡しや偽札との関係、さらに、身内の裏切りなどの要素がふんだんに盛り込まれている本格ミステリでもあります。ただ、私から2点だけ付け加えます。第1に、実は、殺人事件は若頭の高沢裕也が殺される前に、偽札を印刷していたと思われる印刷会社、というか、正確にはすでに倒産したハズの元印刷会社でも起こっていますが、ソチラの殺人事件はまったく謎解きがありません。私はヘーキなのですが、読者によっては少しモヤモヤするものを感じるケースがありそうな気がします。第2に、本書を原作としてフジテレビ系列でドラマ化されています。主演の樽井翔太郎役に嵐の大野智、花園絵里香役に新垣結衣の配役でした。これはご参考まで。

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