今週の読書は経済書2冊をはじめ小説はなく計5冊
今週の読書感想文は以下の通り計5冊です。
まず、二宮健史郎・得田雅章『金融構造の変化と不安定性の経済学』(日本評論社)は、ミンスキー教授の理論によるポストケインジアンのモデルに基づいて経済の不安定性を論じた学術書です。日本地方財政学会[編]『マクロ経済政策と地方財政』(五絃舎)は、編者の学会総会のシンポジウムや研究論文などを収録した学術書です。鈴木貴宇『「サラリーマン」の文化史』(青弓社)は、明治・大正期からの職業としての「サラリーマン」の成立ちやその文化を論じた教養書です。前野ウルド浩太郎『バッタを倒すぜアフリカで』(光文社新書)は一連のアフリカにおけるバッタ研究を取りまとめつつ、現地生活も振り返っています。橋本健二『女性の階級』(PHP新書)は、女性自身と配偶者の組合せによる30パターンのケースについて女性階級の格差を検証しています。
ということで、今年の新刊書読書は1~4月に103冊の後、5月に入って先週までに14冊をレビューし、今週ポストする5冊を合わせて122冊となります。順次、Facebookやmixiなどでシェアする予定です。
まず、二宮健史郎・得田雅章『金融構造の変化と不安定性の経済学』(日本評論社)を読みました。著者2人は、立教大学と日本大学の研究者ですが、それぞれの前任校の滋賀大学で研究者をしていたようです。本書は、出版社からも軽く想像される通り、完全な学術書です。税抜きで6000円を超えますし、一般ビジネスパーソンはもちろん、学部学生では少しハードルが高いかもしれません。専門分野を学んでいる修士課程の大学院生くらいの経済学の基礎知識を必要とします。私は大学院教育を受けたことがありませんし、専門外ですので、かなり難しかったです。十分に理解したかどうかは自信がありません。なお、著者ご自身が明示しているように、非主流派に属するポストケインジアン派の経済学の中のミンスキー教授が示した経済の不安定性を、実践的には2008年のリーマン証券の破綻以降の金融危機に適用しようと試みています。ミンスキー教授の理論は、ヘッジ金融から投機的金融、そして、最終的には、ポンジー金融に至る金融構造の脆弱化が進めば、実物要因が安定的であっても経済は不安定化する、というものです。そして、この理論は現代貨幣理論(MMT)へとつながりますので、本書で直接にMMTへの言及はありませんが、MMT研究者にも有益な学術書かもしれません。ということで、本書を一言でいえば、Taylor and O'Connell (1985) "A Minsky Crisis" の議論をS字型の貯蓄関数と結びつけ、Hopfの分岐定理を適用して金融的な循環を論じている、ということになります。これで理解できる人はとっても頭がいいわけで、ひょっとしたら、本書を読む必要すらないのかもしれません。本書では、非線形の構造VAR(SVAR)を適用して、金融構造の変化と経済の不安定性の関係を実証的に分析しようと試みています。バックグラウンドのモデルや方法論については、以上の通り、かなり難しいので、得られた結論だけに着目すると、Taylor and O'Connell (1985) の結論通りということですので、特に新規性はないのですが、利子率が長期正常水準を下回る期間が長くなれば、それだけ確信の状態が上昇し、そして、確信の状態が高まれば所得が上昇しているにもかかわらず、利子率がさらに低下する可能性がある、ということにつきます。本書ではそれを実証的に示しています。確信の状態が高まって、いわゆるユーフォリアが生じてバブルが発生する可能性が高まるのは、我が国の1980年代後半のバブル経済期に観察されている通りです。経済学的には、緩和的な金融政策の継続が資産価格を上昇させてバブル経済をもたらした、と政策オリエンテッドな理解が一般的ですが、経済に内在的な要因から不安定化がもたらされる可能性が示唆されているわけです。最後の最後に、どうしてもこの学術書のエッセンスに接したいという向学心旺盛な向きには、この両著者による学術論文「構造変化と金融の不安定性」が2011年に経済理論学会から『季刊 経済理論』第48巻第2号に掲載されています。web検索すれば発見できると思います。何ら、ご参考まで。
次に、日本地方財政学会[編]『マクロ経済政策と地方財政』(五絃舎)を読みました。著者は、名称通りの学会組織です。本書は昨年2023年6月に名古屋市立大学で開催された学会第31回総会のシンポジウムや発表論文などを取りまとめています。第1部がシンポジウム、第2部で研究論文を収録し、第3部は書評、第4部は学会の活動報告となっています。第1部と第2部を簡単にレビューしておきたいと思います。第1部のシンポジウムは本書と同じテーマ、というか、シンポジウムのテーマがそのまま本書のタイトルに採用されているわけです。シンポジウムのメンバーは、なぜか、総務省の財政課長とか愛知県の副知事とかの行政官が登壇し、アカデミアの貢献は少ない印象です。でも、マスグレーブ的な財政の3機能、すなわち、資源配分機能=公共財の供給、所得再分配、マクロ経済安定、については、米国のような連邦制に基づく分離型の地方財政を前提とすれば成り立つ一方で、日本をはじめとする融合型の地方財政においては判然としない、といった見方が示されています。そうかもしれません。論文は3編掲載されています。まず、地方税に法人税が含まれていて、しかも、後年度に損金算入ができる制度を持つ国は少ない中で、この制度に基づく超過課税について分析した研究が示されています。当然ながら、超過課税は増税であり、同時に、利子率の上昇も招くことから企業の投資を阻害する要因となりかねない点が示されています。したがって、設備投資の資金調達の中立性を確保するために、法人税率の引下げの必要性を示唆しています。続いて、中国の政府間財政関係の論文が示されています。中国は政治的にはかなり高度に中央集権的である一方で、財政制度については地方分権が進んでいるという不整合が、ある意味で、地方間の格差是正につながっている可能性を示唆しています。最後の論文は、財政構造の変化が、いわゆるティボー的な「足による民主主義」を促すとすれば、公共財の供給などによる地域住民が享受する便益が地価や住宅価格などの不動産価格に反映する可能性があると指摘し、この資本化仮説に基づく実証的な分析を行っています。実際には、公共財の供給を地方財政費目で代理し、注目すべき結果としては、土木費は政令指定市ではすでに過大供給となっていてマイナスの便益を示している一方で、中核市では過小供給であり増加させることが望ましいと結論しています。書評は2冊を取り上げています。最後に、シンポジウムの収録はテーマからして、私にも興味引かれるものだったのですが、登壇者が盛んに言及しているスライドがどこにも見当たりません。学会の総会ホームページにもありません。会員サイトにあるのかもしれませんが、一般向けに書籍を販売している以上、やや疑問がある対応であると私は考えました。大いに改善の余地ありだと思います。
次に、鈴木貴宇『「サラリーマン」の文化史』(青弓社)を読みました。著者は、東邦大学の研究者であり、ご専門は日本近代文学、日本モダニズム研究、戦後日本社会論といったところだそうです。本書の内容はタイトル通りであり、明治期の近代化から先進国に近い産業化が進み、それに伴って「サラリーマン」が我が国にも誕生しています。その歴史を後づけています。ただ、歴史的なスコープは明治期から戦後昭和の高度成長期までです。ということで、産業構成の発展方向としてペッティ-クラークの法則というのがあります。付加価値生産、だけでなく、本書が焦点を当てている労働者の構成が、第1次産業から第2次産業、そして第3次産業へとシフトする、というものです。徳川期には圧倒的多数を占めていた農民から、明治期に入って第2次産業や第3次産業のシェアが高くなり、サラリーマンという人々が雇用者の中で生まれます。当初は都市住民であって、比較的学歴が高く、したがって、所得も高いアッパーミドル層でした。ただ、本書では第1次産業従事者と対比させるのではなく、「丁稚上がりと学校出」という勤め人の間での対比を取っています。さらに、経済的な側面ではなく、タイトル通りに文化史に焦点を当てています。基本的には、都市住民が想定され、現在のような会社勤めをはじめとして、官吏や教員、銀行員などが代表的な存在です。官吏の中でも下級職員の昔ながらの「腰弁」と洋館に住んで洋服を着て自動車で通勤する高級官僚を区別しています。そして、特に後者では旧来の地縁や門閥による登用ではなく、出身階級の桎梏から逃れて学歴、勉強により立身出世を目指す向きが主流となります。知識階級とか、インテリゲンチャというわけです。そのサラリーマンが時代を下るにつれて、明治期のインテリやアッパーミドル層から、高度成長期後半にはごく普通の国民である「ありふれた一般人」となり、「一億総中流」を形成するわけです。もちろん、男性だけではなく、大正デモクラシー期には高等教育が女性にも開かれるようになり、女性の社会進出も始まります。ただし、本書で詳細に触れられていませんが、20世紀半ばの敗戦まで国民の半分近くは農民だったわけであり、農作業は夫婦共同作業が一般的であった点は本書のスコープ外とはいえ忘れるべきではありません。そして、高度成長期になって労働力不足から雇用者の囲い込みをひとつの目的として長期雇用、あるいは終身雇用が成立し、それを補完する制度として年功賃金も支給されるようになります。そして、サラリーマン家庭では専業主婦の形で女性が家庭を守る役割を与えられるようになります。ただ、こういった経済史は本書では詳しく取り上げられていません。そして、家庭内での専業主婦の役割や多くの家庭では子供が2人といった文化的な同質性が形成されることになります。こういった文化史を文学作品や戦後は「君の名は」といっらラジオドラマや映画などに基づきつつ、詳細に論じています。経済的な基礎の上に文化を考える私にはとても参考になりました。
次に、前野ウルド浩太郎『バッタを倒すぜアフリカで』(光文社新書)(光文社新書)を読みました。著者は、バッタ博士と自称する研究者であり、アフリカのサバクトビバッタの研究がご専門です。本書の前編となるのが同じ光文社新書の『バッタを倒しにアフリカへ』であり、2017年の出版です。なお、同じ著者からほかにも同じようなバッタ本が出版されています。私は『バッタを倒しにアフリカへ』は読んでいて、レビューもしていたりします。新書ですし、著者ご本人も本書は「学術書」であると位置づけています。ですので、それなりに難解な部分もあります。したがって、ここでは現地生活や現地での人的交流を中心にレビューしたいと思います。ということで、私も2度ほど海外生活を送りました。30過ぎの独身のころに南米チリの大使館勤務、そして、その10年後にインドネシアへの国際協力のため家族4人でジャカルタに住んでいました。それぞれ約3年間です。ですので、私はエコノミストでもあり、基本的に首都住まいでしたので、本書の著者のようにバッタのいる砂漠に野営する生活ではありませんでした。本書の著者がアフリカで活動した中心はモーリタニアだそうで、本書冒頭ではスーパーで売っているモーリタニア産のタコが取り上げられていたりもします。私の場合は南米とアジアですので、アフリカほど文化的な違いは大きくないのでしょうが、やっぱり、日本とは違います。当然です。私が滞在していたのはいずれも先進国ではありませんでしたから、やっぱり、時間の流れが緩やかであったように感じました。要するに時間がかかるのです。ただ、この点は役所を定年退職した後に関西に来た際にも、東京よりも時間がかかる、というのは感じました。現地での人的交流という点に悲しては、本書では「学術書」といいつつも、著者の運転手だったティジャニなる人物にスポットが当てられています。そうなんですよね。私もチリでは運転手ではなく自分で自動車を運転していました。外交官ナンバーの治外法権の自動車でしたが、ジャカルタではもっとも人的交流が多かったのはやっぱり運転手さんでした。ラムリーさんといいます。ラムリーさんのご自慢は「プリンセス紀子」をお乗せした、ということでした。すなわち、私が担当していた国際協力プロジェクトの前任者として川嶋教授が働いていたのか、あるいは、講演会などで短期的にジャカルタにいらしたのか、そのあたりはハッキリしませんが、いずれにせよ、私の担当のインドネシア開発企画庁(BAPPENAS)の国際協力プロジェクトに川嶋教授がいらして、そのご縁で紀子さまが、当然秋篠宮に嫁ぐ前に、ジャカルタにお出ましになって、その際、私の送迎を担当してくれたラムリーさんが運転した、ということのようです。ブックレビューもさることながら、私の海外生活のレビューの要素が多くなってしまいました。悪しからず。
次に、橋本健二『女性の階級』(PHP新書)を読みました。著者は、早稲田大学の研究者です。ご専門は経済学ではなく、社会学なんだろうと思います。本書では「社会階層と社会移動に関する全国調査」、すなわち、SSM調査のデータを用いて、女性の階級につき、資本家階級、新中間階級、労働者階級、旧中間階級を考え、さらに、労働者階級を正規と非正規で分割し、さらにさらにで、女性ご自身だけではなく配偶者の階級も考慮し、無配偶も入れて、本書冒頭のpp.10-11で示されたように30のグループに分割して分析を進めています。第2章では女性の賃金の低さを考え、おそらく、私も推計したことのあるミンサー型の賃金関数により、学歴、勤続年数、年齢などの属性を取り除いても、なお男女間に賃金格差が残るとの分析結果を引用しています。資本主義的生産様式が男女間の賃金ほかの格差を生み出している根本原因とするマルクス主義的なフェメニズム観も示しつつ、家事労働などの無報酬の女性労働の存在も指摘していたりします。特に、女性の場合、いわゆる専業主婦という無職も少なくない上に、ご本人の所得のほかに配偶者の所得を考慮する必要があり、かなり細かな分類をしています。男性の所得が、資本家階級>新中間階級>旧中間階級≥労働者階級、とシンプルであるのに比べて、とても複雑になっています。例えば、男性が非正規雇用の労働者階級であれば、ほぼほぼアンダークラスなのですが、女性の場合は配偶者が新中間階級で、ご本人がパート勤務であれば、アンダークラスでないケースがほとんどであろうというのは容易に想像できます。その分析結果の読ませどころが第4章であり、30グループの女性たちに適切にネーミングを施した上で、詳細な分析結果が示されています。例えば、ご本人が資本家階級であり、かつ、配偶者も資本社会級であるケースは「中小企業のおかみさん」と名付けられ、消費行動や余暇活動などの特徴を明らかにしています。そのあたりは、30グループすべてを取り上げるわけにも行きませんから、読んでいただくしかありません。私が興味深いと感じたのは、独身女性が両親と実家暮らしをしていたりすると、かつては、親に養ってもらって自分のお給料はお小遣い、という「パラサイトシングル」を想像していたのですが、今では、年齢が進行して逆に独身女性が親を養っている、というケースも少なくないと報告しています。本書では、特に、相対的な格差だけではなく、絶対的な貧困についても、アンダークラスを中心に詳細な分析が行われています。第4章に続く第5章において、アンダークラスに陥りやすい女性についての分析がなされています。最後の第7章では格差に関する意識についても論じられていて、その第7章のタイトルは「格差と闘う女性たちが世界を救う」となっています。私も強く同意します。ただ、最後に、本書で分析されているのは相関関係であって因果関係ではない、という批判はあるかもしれません。しかし、私はこれだけのデータをそろえれば、相関関係で十分と考えます。
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