今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、村田治『大学教育の経済分析』(日本評論社)は、人的資本理論とシグナリング理論などにより大学教育に関する経済分析を試みています。高野剛『就職困難者の就労支援と在宅就業』(大阪市立大学出版会)は、障害者やひとり親などの就職困難者の在宅就業に関して支援団体や就労者個人に対してとてもていねいな聞き取り調査を行っています。コロナのパンデミックで在宅ワークが普及する前の貴重な研究成果です。背筋『近畿地方のある場所について』(角川書店)は近畿地方のダム近くの山などを舞台とするホラー小説です。飯田泰之『財政・金融政策の転換点』(中公新書)は、統合政府における需要主導型の経済政策に関して、極めて斬新な政策論を展開しています。橘木俊詔『資本主義の宿命』(講談社現代新書)は、市場に基礎を置く資本主義では必ずしも十分に解決されない貧困や格差・不平等の問題の歴史的、あるいは、学派を超えた分析を試みています。佐野晋平『教育投資の経済学』(日経文庫)は、幅広い教育の効果や学校のあり方などに経済学的な手法による分析を試みています。秋木真『助手が予知できると、探偵が忙しい』(文春文庫)はヤングアダルト向けの軽いミステリ作品です。
ということで、今年の新刊書読書は1~5月に128冊の後、6月に入って先々週と先週に合わせて12冊をレビューし、今週ポストする7冊を含めると147冊となります。順次、Facebook や mixi などでシェアする予定です。
まず、村田治『大学教育の経済分析』(日本評論社)を読みました。著者は、すでに退職しているのかもしれませんが、関西学院大学のエコノミストであり、学長もお務めになったと記憶しています。ご専門は公共経済学や財政学です。私も何度か、このエコノミストの論文を引用した記憶があります。なお、本書は出版社からしても、完全に学術書であり、一般ビジネスパーソンや教育関係者が読みこなすのは少し難しいかもしれません。本書は3部構成となっていて、第Ⅰ部で人的資本理論とシグナリング理論のそれぞれについて考え、第Ⅱ部では大学進学の決定要因を分析し、第Ⅲ部がメインとなっていて大学教育の経済効果を分析しています。ということで、マクロ経済学的に見た大学教育について経済学の視点から分析を試みています。本書の冒頭で明らかにされているように、大雑把に大学教育については人的資本、すなわち、生産性を高めるという観点からの分析がある一方で、シグナリング機能、すなわち、どこの大学を出ているかという情報を付加するのが主たる効果であって、それほど生産性には寄与していない、とする見方もあります。特に、長らく日本の大学教育は「レジャーランド化」した大学のイメージが強く、生産性には寄与していない可能性が取り沙汰されてきました。また、この2つの理論については政策インプリケーションが正反対であるのも指摘されている通りです。すなわち、人的資本の蓄積に効果があって生産性を高めるのであれば、補助金を出してでも多くの学生を大学で学ばせることが望ましい、という結論となります。でも、シグナリング機能が中心ということになれば、希少性を減じるような政策、多くの大学生を教育するような政策はそれほど価値がなく、むしろ、大学生は少なくてもOKという結論が導かれる可能性があります。ただし、第Ⅱ部と第Ⅲ部で分析されていて、一般にも広く理解されているように、大学教育の恩恵にあずかれるのが比較的所得の高い階層の子弟である、ということになれば、格差との関係がクローズアップされます。私自身は、政策対応という観点からは真逆の可能性のある2つの理論ながら、どちらのモデルも現実をよく説明している可能性があるとかんが得ています。すなわち、シグナリング機能というのは、裏付けのない純粋なシグナルを発信しているわけではなく、過去の実績から考えて、十分な人的資本を蓄積し生産性高い人材を輩出しているからこそシグナリング機能を発揮するわけで、人的資本に裏付けられたシグナリングとなっているハズです。ですから、というわけでもないのですが、関西私大の雄である関関同立の一角とはいえ、私の勤務校からは超優良企業、実例としては、トヨタと三菱商事にはここ10年ほどでまったく採用がないと聞き及んでいます。パナソニックは地域性からして何人か就職しているようですが、トヨタと三菱商事はまったく採用してくれないらしいのです。加えて、その昔に、ソニーが大学名の記入を求めない採用を始めたのですが、フタを開けてみると結果として、有名なブランド大学の学生ばかりの採用になってしまった、という都市伝説めいたウワサも聞き及んでいます。では、政策対応はどうするか、という問題となります。私自身は、単なる生産性という観点だけではなく、例えば幅広い外部経済効果があることから、大学教育に対しては何らかの助成措置が必要、と考えています。経済的な生産性への寄与にとどまらず、高学歴化が進めば、犯罪の減少や公衆衛生に関する効果、そして、何よりも貧困の回避のためには大学教育は有益だと考えます。ですから、シグナリング機能を重視して希少性を保とうとするがために新設大学の認可を凍結する、といったその昔の文部科学大臣のやり方には批判的です。
次に、高野剛『就職困難者の就労支援と在宅就業』(大阪市立大学出版会)を読みました。著者は、立命館大学経済学部の研究者であり、すなわち、私の同僚教員です。私はとても尊敬しています。ということで、新型コロナウィルス感染症(COVID-19)パンデミック前の2019年までを研究対象として、タイトル通りの就職困難者への支援と在宅就業について分析しています。本書は3部構成であり、第Ⅰ部で障害者を、第Ⅱ部でひとり親家庭を、第Ⅲ部で被災地域と過疎地域を、それぞれ対象としています。対象者と地域で分類しているので、やや重複感がないでもないのですが、いずれにせよ、何らかの要因により通常の工場やオフィスや商店などにおける労働に就職することが困難なケースに焦点を当てて、就職支援や在宅就業の実態について考えています。まず、雇用者と違う形態での在宅就業ですから、本書では「フリーランス」という言葉は使っていませんが、一部の例外を別にすれば、フリーランスと同じく雇用契約ではなく請負契約という形が無視できない割合を占めていて、もしも請負なのであれば、労働者保護の適用を受けませんし、最低賃金も適用されません。もともとが研究の対象とされているのが就職困難者なわけですので、就労、あるいは、就労の結果得られる所得についても不利な条件が重なります。ですので、適切な支援が必要とされるわけで、本書では、非常にていねいに支援団体の活動内容について調査を実施ています。例えば、Ⅰ部の障害者、第Ⅱ部のひとり親家庭のそれぞれに対する支援団体については、ビジネス志向型、当事者設立型、サポート型の3類型に分類し、それぞれの特徴を浮き彫りにしています。そして、支援の対象となっている障害者やひとり親についても、スノーボール・サンプリングというややトリッキーな、というか、統計局勤務経験のある私から見てのお話ですが、母集団が不明なケースに非確率的な抽出をするのは仕方ない気もしますが、各個人にていねいな聞取り調査を行っています。被災地域と過疎地域での在宅勤務についても、非常に多くの対象に対してヒアリング調査を実施ています。在宅就労ということであれば、私のような年代の人間からすれば、内職という言葉が思い浮かびます。京都であれば、今はもう考えられもしない任天堂が花札を作る過程で内職を発注していたことがありました。でも今はパソコン作業が中心になります。データ入力とか、ホームページ作成とか、DTPとかです。また、特にひとり親家庭の場合は洋服リフォームというのもあるようです。しかし、本書では洋服リフォームの職業訓練の講座には訓練手当が目当てだったり、また、高級外車で通う人とかを指摘して、やや批判的な見方も示しています。最後のあとがきで著者が記しているように、COVID-19パンデミックによりテレワーク・リモートワークは急速に普及しました。したがって、パンデミック前の在宅就労についての聞き取り調査はほぼほぼ不可能になってしまいました。それだけに、貴重な記録として本書の価値はとても高いと私は考えます。しかし、それだからこそ、残念な点を2点だけ指摘しておきたいと思います。第1に、ひとり親家庭、特に母子家庭の考察において、「母親に親権を認めないで父親に親権を認めるようにすれば、母子家庭の貧困問題は解決するという意見もある」(pp.231-232、p.383)とか、「夫婦の共同親権を認める方法も検討する必要があるだろう」(p.232、p.383)との指摘は、貧困と親権をここまでリンクさせるのはあまりにも軽率だとの批判は免れません。特に、共同親権については、実際に民法「改正」がなされてしまい、私を含めて非常に強い批判を持つ人は少なくないものと認識しています。第2に、クラウドソーシングについては、メアリー L. グレイ & シッダールタ・スリ『ゴースト・ワーク』などで、これまた、とても強い批判が展開されています。典型的には、アマゾンのメカニカル・ターク(Mターク)などです。本書ではこれを踏まえているのでしょうか。私が読んだ範囲では疑問なしとしません。最後に、強い疑問ではありませんが、ひとり親家庭、特に母子家庭で在宅就労を選択する理由として、「子どもといっしょにいたいから」といった趣旨の理由が少なからずあるような印象を受けましたが、保育所不足の問題はどこまで考慮されているのでしょうか。強い疑問ではありませんがやや気にかかるところです。
次に、背筋『近畿地方のある場所について』(角川書店)を読みました。著者は、ホラー作家、というか、この作品でデビューしています。モキュメンタリー・ホラーといわれています。モキュメンタリー・ホラーとは、実録風に作られたフィクションのことで、ホラーの分野では小野不由美、三津田信三、芦沢央らの作品が有名です。ということで、繰り返しになりますが、この作品はモキュメンタリー・ホラー小説です。Twitterではやっていた掌編を書籍化しています。いろんなパターンの短編、文字起こし、ネット情報、記事、インタビューなどなどの形で収録していて、それがだんだんと謎に迫っているように見えて、何とも怖いです。表紙画像からして、我が家からほど近い琵琶湖を想像してしまいましたが、どこかのダム貯水池のようです。県名としては、滋賀県ではなく、奈良県が頻出します。極めて単純なあらすじで紹介すると、まっしろさん、ましらさま、山の神などは、私が読んだ限りでは同一の何か恐ろしいオカルト的な存在を指している存在が、人間の女性を嫁にしたがって、あるいは、柿で人を誘う、とかします。新種のUMAという説も紹介されています。はたまた、「赤い女」とか、「あきらくん」もご同様です。カルト教団かもしれないと示唆する部分もあります。そして、小沢くんが山へ向かうわけです。近畿地方のある場所は●5個で「●●●●●」と表記されます。ちゃんと数えていませんが、たぶん、ネットで短く公開されていた20余りの短文から構成されているのですが、それぞれの短文がとても緻密に表現されていて、その上、各短文の順番、というか、配置が絶妙にな。れています。逆に、どこかで大きく話が途切れることがないので、どこでひと休みするかのタイミングが図り難くなっていて、その上、モキュメンタリーだと理解して、フィクションなのだと判り切っているのですが、私のように近畿地方在住の読者の中には、一気に読み切るファンも少なくなさそうな気がします。フィクションであるにもかかわらず、ホントはどこかにこういった場所があるような気すらして、虚構と現実の境目が危うくなってしまいました。最後に、何ら、ご参考までなのですが、最後の袋とじになっている「取材資料」と称する画像は、私は見て失敗した気がします。見ない方がよかったかもしれません。でも、そんなわけには行かない読者ばっかりだと思います。
次に、飯田泰之『財政・金融政策の転換点』(中公新書)を読みました。著者は、明治大学のエコノミストです。本書は4章構成であり、第1章で交際の負担に関する理論的な整理をし、需給ギャップがあり需要が潜在供給力を下回るのであれば、国債発行による財政支出拡大は、現在世代だけでなく、将来世代に対しても決して負担にならないと主張しています。第2章では、金利操作による伝統的な金融政策とそれ以外の非伝統的な金融政策の違いについて否定的な見方を示し、金融政策に対する効果をか投げれば、財政政策も同時に必要との結論に達しています。そして、第3章が決定的に重要なのですが、財政政策と金融政策の両方の政策手段の連動により長期的な成長の達成が可能となる政策運営を明らかにしています。すなわち、狭義の政府と中央銀行を合わせた統合政府の債務総額は財政政策で決定され、その内訳、というか、構成を決めることに対して金利を割り当てる、という政策論議です。そして、最後の第4章では、従来は短期的には需要を、長期的には供給を重視し、長期的に生産性を向上させる構造政策の重要性が指摘されてきましたが、本書では、生産性向上や供給サイドの強化をもたらすのは需要であると結論しています。はい。私も従来から需要サイドを重視するエコノミストでしたが、何分、頭の回転が鈍いので、ここまでクリアに議論を展開する能力にかけていました。その意味で、本書で展開されている議論に感激したところです。少し前までの私も含めて、本書で指摘するような高圧経済はサステイナビリティがないような意見が主だったと思いますが、本書ではタイトル通りに経済政策の転換を主張しています。特に、本書第3章で示されている統合政府による経済政策のモデルは極めてクリアであり、サムエルソン教授のような新古典派総合の easy money, tight budget とか、シムズ教授のような物価水準の財政理論(FTPL)なども視野にれつつ、逆に、現代貨幣理論(MMT)の財政政策に関するマニフェスト的な理論も必要とせず、主流派経済学の枠内で今後の財政政策と金融政策の連動による統合政府の政策の方向性を示しています。特に、第3章のごくごく簡単な数式を展開した統合政府モデルは鮮やかとすらいえます。加えて、ムリな中央集権に基づく政府の産業政策的な産業選別政策、まさに、経済産業省が志向するような政策のリスクについても的確に指摘されています。ともかく、1年の半分もまだ経過していませんが、ひょとしたら、今年の年間ベスト経済書かもしれません。新書といった一般に判りやすい媒体も結構なのですが、野口旭教授の『反緊縮の経済学』に次ぐような学術書に仕上げて欲しい気がします。大いに期待しています。
次に、橘木俊詔『資本主義の宿命』(講談社現代新書)を読みました。著者は、京都大学をたぶん退職したエコノミストであり、貧困や格差の是正に重点を置いた研究をしています。ということで、本書ではピケティ教授の研究成果を踏まえて、効率性の重視に基礎を置く成長と公平性の重視に基礎を置く分配の重視のトレードオフについて議論を展開しています。同時に、この著者のいつもの論理ですが、市場の重視が行き過ぎている市場原理主義的な保守派の経済学と、ケインズ卿のマクロ経済学に始まる福祉国家的な方向と、さらに、マルクス主義経済学を対比させています。どこまで意味があるのかは不明ですが、某労働組合ナショナルセンターのトップは執拗に反共の姿勢を見せていますから、同じ志向を持っているのかもしれません。ただ、著者の理解は私も共有していてます。それは、日本はもはや「一億総中流」の格差が小さく、均質性の高い経済社会ではなく、先進国の中でも格差や貧困が大きい国のひとつとなっている、という事実認識です。そのうえで、もうひとつ共有しているのが、私だけではなく多くのエコノミストに共通して、市場では格差や貧困は解消されず、政府のマクロ経済政策による所得再分配が必要である、ということも同様です。そして、本書の結論は日本は福祉社会を実現できるし、そういう方向に進むべきである、というものです。ただ、ハッキリいって、本書ではその方向性を目指すべき理由、というか、判断材料がやや乏しい気もします。著者も手を変え品を変え、本書では経済史や経済学史まで引っ張り出して、従来からの主張を繰り返しています。したがって、本書の見方を支持するかどうかは、本書内で決まるのではなく、本書を読む前に決まっているような気がします。すなわち、新自由主義のネオリベな人は格差や貧困に関する本書の史的を読んだとしても、とても意見を変えそうにありません。逆に、私も含めてですが、もともとリベラルな平等感を持っている人は、本書を読まなくても貧困や格差に対する批判的な見方をしていることと思います。それにしても、本書では著者の漸進主義があまりにも徹底していてびっくりします。欧州が福祉国家で、そのうちの北欧が高福祉国家、中欧とフランスが中福祉国家、南欧が低福祉国家、そして、米国と日本は非福祉国家、というのはいいとしても、日本は「中福祉・中負担」から始めて、徐々にに「高福祉・高負担」を目指すというのは、どのくらいのタイムスパンでお考えになっているのかを知りたい気もします。少なくとも、そういっている間に生活困難者がさらに困窮することは、著者の視野に入っていないのかもしれません。マクロの集計量として中福祉だ、高福祉だというだけではなく、喫緊に必要な政策課題がどこにあるかも考えた方がいい気がしてなりません。
次に、佐野晋平『教育投資の経済学』(日経文庫)を読みました。著者は、神戸大学のエコノミストです。文庫ということなのですが、やや縦長で、形はどう見ても新書だという気がします。それはともかく、本書では、大学教育だけではなく、広く子どもの教育一般についてのデータ分析の結果をサーベイしています。例えば、本書冒頭では、「いい大学を出ると給料は高いのか」、「幼少期にどんな習い事をすると子どもは伸びるのか」、「クラスサイズを小さくすることは効果があるのか」、「なぜ教員不足が生じているのか」、「授業料無償化はいいことなのか」といった例を上げています。ただ、私の目から見て最後の問いだけは価値判断を問うていますので、それは人により考えが違う、という気もします。本書は5章構成となっていて、第1章で教育投資のリターンを分析し、第2章ではスキル形成のための学校と家庭の役割を考え、第3章では学校の仕組みを経済学で解き明かし、第4章は教育政策を評価し、第5章で経済社会の変化に対応した教育のあり方を考えています。第1章は、基本的に、村田治『大学教育の経済分析』(日本評論社)と同じ問であり、人的資本形成とシグナリング理論で分析が進められています。私自身も、直感的に、子どもへの教育投資と自分への健康投資はリターンが高い、と認識しています。本書でも1年あたりの教育のリターンは10%に達する(p.38)と主張していたりします。銀行預金よりはよっぽどリターンが高いと考えるべきです。加えて、大学教育の普及率が高まると、教育を受けた人のリターンだけでなく、例えば、犯罪率の低下などの社会に広くスピルオーバーをもたらすので、教育の普及は望ましいと考えています。ただ、高度な教育を子どもに受けさせるためには家庭の条件がそれなりに必要です。東大生の家庭の平均所得が1000万円を超えているという統計もあります。その点で、どのような家庭のサポート、所得と資産が考えられるのかを分析しています。家庭における「しつけ」とかのお話ではありません。学校教育を経済学で考える場合、クラスサイズについて分析されることが多いのですが、日本でも縮小化の方向にあるものの、世界標準からすればまだ大きく、さらなる分析が求められている分野です。ただ、世界でもクラスサイズがテストスコアに及ぼす明確なエビデンスは少ないようです。教員の質の計測は難しい課題であり決め手に欠けますが、経験年数というのがひとつの代理変数の候補となります。本書では、教員の労働市場についても経済学的な分析を試みています。最後に、男女格差の縮小に向けた教育の課題や高齢化に対応した教育のあり方なども論じられてます。学校教育だけでなく、最近公表された政府の「骨太の方針」などにも示されている成人教育、リカレント教育なんかはこれから日本に根付くんでしょうか。
次に、秋木真『助手が予知できると、探偵が忙しい』(文春文庫)を読みました。著者は、もちろん、作家なのですが、私は「怪盗レッド」のシリーズを知っているだけで、基本はヤングアダルト向けの作品が多いと受け止めています。この作品もそうで、大学祖卒業した後2年ほど会社勤めをしてから辞めて探偵を始めた、たぶん、20代の探偵である貝瀬歩とその探偵事務所のアルバイトの高校1年生のJKである桐野柚葉が主人公となったミステリの謎解きです。実は、このシリーズ第2弾が来月の7月の出版されることになっているらしいです。そこで少しシリーズ物ですので全体像を明らかにしておくと、まず、本書は連作短編3話から成っています。貝瀬探偵事務所があるのは所沢です。貝瀬歩は叔父の貝瀬泰三が2年前に亡くなって探偵事務所を引き継いでいます。叔父の後輩であった探偵で、今は探偵事務所の所長をしている谷原、また、貝瀬歩の大学時代の友人で今は埼玉県警の刑事をしている坂倉豊などがサポート役です。そのうち、タイトル通りに、アルバイトの桐野柚葉に予知能力があります。ということで、前置きナが長くなりましたが、まず、最初の第1話は、桐野柚葉がその能力により、自分自身が殺される場面を予知し、貝瀬探偵事務所に駆け込んできます。ストーカーの可能性を見据えて貝瀬歩が推理し、桐野柚葉が殺害されるのを防止しようと奮闘します。この第1話デ探偵への支払いが滞ることになるので、桐野柚葉が貝瀬探偵事務所でアルバイトとして働くとこになります。第2話では、アパートの隣人が怪しい会話をしているとの調査依頼を受け、桐野柚葉の予知能力も活用し、また、谷原の助力も得て、貝瀬歩が事件を解決します。第3話では、2年前の高校生のころに友人を交通事故で亡くした女子大生が、その死んだはずの友人、あるいは、その幽霊を見たという調査依頼を貝瀬歩が受けます。事故現場で再び幽霊が現れて、もう1度事故が起こりそうになりますが、貝瀬歩が謎を解決します。登場人物はいかにもヤングアダルト作品らしい年齢ですし、ミステリではあっても本格とはいい難い謎解きです。でも、時間つぶしにはピッタリかと思います。
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