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2024年6月22日 (土)

今週の読書は経済学の学術書をはじめ計6冊

今週の読書感想文は以下の通り計6冊です。
まず、西村和雄・八木匡[編著]『学力と幸福の経済学』(日本経済新聞出版)では、大学生の学力低下を実証的に分析し、あわせて、学力と幸福度との関係についても考えています。細田衛士『循環経済』(岩波書店)は、Sraffa-von Neumann-Leontirf的な分析アプローチに基づき、循環経済のモデルを数式で表現してモデル分析を試みています。杉山大志[編著]『「脱炭素」が世界を救うの大嘘』(宝島社新書)は、SDGs、特に、脱炭素に強い疑問を呈しています。酒井敏『カオスなSDGs』(集英社新書)は、乱雑さが増していくというエントロピーの法則から考えて、そもそも、自然界はサステイナビリティを欠いている可能性も指摘します。有田芳生『誰も書かなかった統一教会』(集英社新書)は、安倍元総理の暗殺事件をモチーフに、統一教会と北朝鮮との関係、米国フレイザー委員会報告、「世界日報」編集局長襲撃事件、「赤報隊事件」の疑惑、を取り上げています。銀座百点[編]『おしゃべりな銀座』(文春文庫)は、1955年に日本で初めて発刊されたタウン誌『銀座百点』に掲載された47編のエッセイを加筆修正して収録しています。
ということで、今年の新刊書読書は1~5月に128冊の後、6月に入って先週までに19冊をレビューし、今週ポストする6冊を合わせて153冊となります。順次、Facebookやmixi、あるいは、経済書についてはAmazonのブックレビューなどでシェアする予定です。なお、新刊書読書ではないので、本日の読書感想文では取り上げてありませんが、米澤穂信『巴里マカロンの謎』(創元推理文庫)も読んでいます。米澤穂信による小市民シリーズの春夏秋冬四部作の完結編として『冬期限定ボンボンショコラ事件』が出版されて図書館で予約しているところ、直前刊で春夏秋冬から外れる『巴里マカロンの謎』もおさらいの意味で読みました。Facebookとmixiでシェアする予定です。

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次に、西村和雄・八木匡[編著]『学力と幸福の経済学』(日本経済新聞出版)を読みました。著者は、神戸大学と同志社大学の研究者です。本書では、現状における大学生の学力のレベルを測定し、ゆとり教育をはじめとする教育政策の帰結について分析し、また、幸福との関係について考えています。いくつか、ネット調査なども活用して独自データを収集し、フォーマルな定量分析をしている章もありますが、基本的に、私の専門分野である経済や本書が焦点を当てている教育は国民からみてとても身近なものであり、広く一般向けに判りやすい研究成果を収録しています。本書は4部構成であり、まず、第Ⅰ部で大学生の学力低下、特に数学力の現状を把握しようと試みています。結果として、数学力の低下が著しく、それはいわゆる文系学部だけでなく、理系学部においても数学力は大きく低下していることを実証しています。pp.32-33に学力調査で使用した21問の問題が掲載されています。小学生レベルから高校レベルまで、どのような正答率の分布かが示されています。そして、この学力低下の大きな原因がゆとり教育にあることが実証的に確認されています。そうかもしれません。ゆとり教育原因説は別にして、私も大学の授業で学生諸君の数学力については大いに悩まされています。第Ⅱ部では、数学をはじめとする学力が人生をかなり左右する、という結果が示されています。すなわち、数学の学力が高い人の所得が高い、とか、一般に認識されているのとは逆に、理系の大学卒の方が文系よりも所得が高い、とか、物理学への興味が高いと仕事ができる、とか、いろんな研究成果が示されています。加えて、一般入試以外の推薦入試、AO入試などの入試の多様化の成果に大きな疑問を呈しています。ただ、私自身はこの第Ⅰ部と第Ⅱ部の結論には少し疑問と異論があります。私の疑問と異論は後にして、第Ⅲ部では幸福度と家庭教育、広い意味での家庭教育について考え、子育てを支援型、厳格型、迎合型、放任型、虐待型に分類したうえで、子供の将来がどのようなものになるかを実証的に分析しようと試みています。最後の第Ⅲ部では、最近の行動経済学の成果も取り入れつつ、思考と行動のメカニズムを解明しようと試みています。コロナ期の外食や旅行についてガマンするか、ソーシャル・ディスタンスを取って実行するか、気にせず実行するか、における忍耐力の重要性などを論じています。分析の結果、自己決定の重要性がクローズアップされています。いろんな教育や学力に関する身近なトピックについて、ネット調査などを活用しつつ、さまざまな独自データを収集して定量分析がなされています。どこまで再現性があるかどうかについて、私はやや疑問なしとしませんが、とても貴重な分析結果であることは間違いありません。ただ、先に言及した第Ⅰ部に対する疑問は、OECDの実施するPISAとの関係です。PISAは3年おきにOECDが15歳の義務教育終了に近い時点の生徒の学力を国際比較を含めて把握するもので、国立教育政策研究所のリポート「PISA2022のポイント」なんかを見る限り、日本のスコアは決して悪くありません。数学なんかはトップクラスといえます。もちろん、PISAの高スコアと大学生の学力低下、すなわち、クロスセクションで日本の15歳の生徒の好成績と大学生の時系列的な学力低下は、決して大きく矛盾するものではありません。可能性としては4つほど考えられます。第1に、日本以上に先進各国の大学生が学力を落としている可能性です。第2に、15歳時点では世界のトップクラスでも、高校の3年間と大学の初期で大いに学力を落とす可能性です。第3に、15歳時点で低スコアだった生徒が多く大学に進学して、逆に、高スコアの生徒が大学に進学しない可能性です。第4に、PISAか本調査か、どちらかが間違っている可能性です。まず、第1の可能性は低かろうと推察されます。第3と第4も、取りあえずは除外することが出来るような気がします。問題は第2の可能性です。というのは、私の勤務校における実感にも合致し、かつ、国際比較した日本の労働者の生産性が低いという事実はかねてから指摘されている通りであり、義務教育を終えた優秀な日本の15歳に対して高校・大学、そして、職場で学力や生産性を上昇させないような何かがある可能性は排除できません。ただ、この点は私の専門外であり、指摘するにとどめておきます。さらに、第Ⅱ部の結論に関する異論は、相関関係と因果関係を、どうやら故意に混同した記述にしているような気がします。数学の学力が高い人が高所得になるのはあくまで相関関係であり、数学の学力が高いことが原因となって高所得をもたらしているのかどうかは、実証されているわけではありません。別の何らかの第3の要因があって、それが数学の学力を高め、同時に所得も高めている可能性があります。たぶん、そうだろうと思います。私は授業の中でいくつか質問をし、すでに授業で教えたハズの点とか、高校で習っていることとかを質問し、正答した学生には加点しています。加点を多く得る学生はリポートや定期試験でもいい点を取って、高い評価を得る場合が少なくないです。これは、加点を得るから最終的な評価点が高くなる、という因果ではなく、おそらく、もともと優秀だったり、授業に高い関心を持って臨んでいたりする学生が、教員である私の質問に正答して加点を得て、最終的にも高評価を得るんだろうと考えています。本書第Ⅱ部の数学や物理の学力と所得や仕事の能力の関係は、この順の因果関係ではなく、別の何らかの要因が数学や物理学の学力を高めていて、同時に、所得や仕事の能力も高くしているんだろうという気がします。それが何かを解明することなく、表面上の数学や物理の学力や好き嫌いだけを論じ得ることにも、意味がないことはありませんが、もう少し深い分析が必要そうな気がします。強くします。

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まず、細田衛士『循環経済』(岩波書店)を読みました。著者は、慶應義塾大学の研究者を経て、現在は東海大学の教授です。タイトルから明らかですが、一直線の生産-消費-廃棄ではなく、リサイクルやリユースの循環型経済に関するモデル分析に関する学術書です。学術書ですので、専門分野に詳しい学生ないし大学院生レベルの基礎知識は必要とし、一般ビジネスパーソンにはハードルが高く感じられる可能性があります。本書では、廃棄物については、結合生産物、すなわち、長期的な競争均衡において使用目的の明確な生産物とともに、長期的には使用を終えた段階で廃棄物が発生するという意味で、スラッファ的な結合生産物を考え、フォン-ノイマン的な鞍点均衡として不動点定理を用いた線形一般均衡モデルにより競争的な市場分析を行い、さらに、レオンティエフ的な線形の波及を考える、という意味のSraffa-von Neumann-Leontirf的な分析アプローチに基づき、循環経済のモデルを数式で表現してモデル分析を試みています。これだけでスンナリと理解できる人はとても頭がいいわけで、本書を読む必要すらないのかもしれません。ただ、基本は線形モデルですので、行列式の解法が多用されている一方で、微積分を用いた解析的な解法は出現しません。ですので、逆行列などが考えますが、まあ、極論すれば加減乗除の四則の範囲の数学ともいえますから、非線形の微分方程式の解法は必要ありません。まあ、それでも、ほぼほぼ数式を解くことによってモデルの解を求めますので、数式はいっぱい出てきます。ということで、本書は冒頭3章で、このSraffa-von Neumann-Leontirfモデルを理論的な基礎を提示しています。特に、第2章では産業系の廃棄物、第3章で家庭系の廃棄物について理論的基礎を明らかにしています。第4章以降では、こういった理論的基礎の上に、資源の循環利用に関する応用問題を散り上げています。まず、資源循環政策の同値性ということで、廃棄物の処理やリサイクルにかかるコストの負担については、生産物連鎖の上流で生産者が負担しても、下流で消費者が負担しても均衡条件に変わりはない、という点が示されます。ただ、これは合理的な生産者=企業や消費者を前提にしているわけで、少なくとも、消費者にコスト負担を求める方が不法廃棄が生じやすい、という点は広く合意があるものと思います。更に進んで、環境負荷の小さな財と大きな財の間の技術的選択において、コストミニマムの原則下で生産者=企業の選択と消費者=家計の選択が一致しないケースが分析されます。ただ、生産者にコスト負担を求めることにより、この矛盾は解消可能であることが明らかにされます。最後の方の章では環境配慮設計やいわゆるエコデザインの効果が分析されています。各章の結論の直前の節には数学付録が置かれている章もあり、ていねいに読み進む向きには大いに助けになりそうです。もちろん、一般常識で緩やかなコンセンサスある判断が多くを占めていて、それでも、理論モデルを用いた確認がなされているのは重要なポイントといえます。ホントは、データを用いて実証的な確認も欲しいところですが、それはないものねだりのような気がします。ただ、実践的には市場は長期に渡る財使用に基づく価格づけには失敗する可能性が高い、と私なんかはマイクロ経済学に疎いながらも想像していますので、市場均衡をここまで長期に引っ張ることが比較静学としても、どこまで可能なのかは疑問なしとしません。もちろん、それも分析対象としているモデル次第、といわれればそれまでです。最後に、どうでもいいことながら、スラッファの Production of Commodities by Means of Commodities は、その昔に京都大学の菱山教授による邦訳書があったと記憶している、というか、私は持っていたのですが、今はもう絶版になっているのでしょうか?

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次に、杉山大志[編著]『「脱炭素」が世界を救うの大嘘』(宝島社新書)を読みました。編者は、キャノングローバル戦略研究所の研究者です。実は、同じ出版社から池田清彦『SDGsの大嘘』が本書のほぼ1年前の2022年に出版されていて、私は2022年9月に読んでレビューしています。その続編というわけでもありませんが、やっぱり、SDGs、特に、脱炭素に強い疑問を呈しています。SDGsについて正面切って反対は難しいと私は感じているのですが、本書などでも強調されているのは、経済と環境のトレードオフです。SDGsは環境だけがコンポーネントになっているわけではなく、17のゴールと169のターゲットには、ゴール5のジェンダー平等、ゴール8の働きがいや経済成長、ゴール9の産業と技術革新の基盤などなど、モロに矛盾しかねないトレード・オフの関係にあるいくつかのゴールやターゲットが含まれています。ですので、本書ではカーボン・ニュートラルという、ある意味でもっとも人口に膾炙した目標、ゴール13の気候変動に焦点を当てています。ただ、相変わらず、陰謀論的な色彩が強くなっています。というのは、もっぱら、ステークホルダーのうちで「誰が得をするか」のトピックに終止している気がするからです。科学的に脱炭素が必要かどうかについて議論することなく、現在の脱炭素の方向性についての損得勘定で議論しても、私は底の浅い議論にしかならない気がしてなりません。というのも、私が知る限り、米国 Committee to Unleash Prosperity のリポート "Them vs. U.S.: The Two Americas and How the Nation’s Elite Is Out of Touch with Average Americans" というのがあるのですが、一般国民とElite1%とIvy League Graduatesで気候変動に対する考え方にかなり乖離があります。これは、2016年の英国のEU離脱、いわゆるBREXITの国民投票と同じで、一般国民と高学歴層の間に乖離がありました。米国の気候変動に関するアンケート調査では高学歴層が気候変動に強い関心を示し、$500のwill to payでも高い比率を示すなど、生活や経済に犠牲があっても気候変動に対処すべき、という考えが強いことが示されています。英国のBREXIT国民投票でも年齢が低いほど、また、学歴が高いほど、leaveではなくremainに投票しているとの結果がLSE blog "Would a more educated population have rejected Brexit?"などで明らかにされています。ですので、カギカッコ付きの「意識の低い一般国民」に対しては、我が国でもSDGs、特に、脱炭素については反対意見が強い影響力を持つ可能性があります。私も、かねてより、省エネとかで経済的な利得を得られるのであればSDGsや脱炭素が進むのは当然なのですが、$500のwill to payなどといった何らかの敬愛的な犠牲やロスを受けてでも脱炭素を進めようという意見がどこまで一般国民の間で支持されるかは、何とも自信がありません。ただ、一昔前であれば、間接民主制というのは国民の意見、すなわち、民意にバイアスあるのであれば、民意をそのまま単純に国政や外交などに反映させるのではなく、専門家の知見に基づいて一定のバイアスの是正も考慮すべきと、私は考えています。経済政策においては金融政策がある程度そういった考えで中央銀行の独立性を認めているわけです。気候変動についても、本書の見方は国民一般にはあるいは受入れられやすいかもしれませんが、一定のバイアスあるような気がしてなりません。

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次に、酒井敏『カオスなSDGs』(集英社新書)を読みました。著者は、京都大学の研究者から現在は静岡県立大学の副学長です。ご専門は地球流体力学だそうです。まず、本書でも表紙画像に見える副題からして、SDGsに対する疑問を出発点としています。例えば、SDGsは巷間注目されている脱炭素などの地球環境だけがコンポーネントになっているわけではなく、17のゴールと169のターゲットには、ゴール5のジェンダー平等、ゴール8の働きがいや経済成長、ゴール9の産業と技術革新の基盤などなど、モロに矛盾しかねないトレード・オフの関係にあるいくつかのゴールやターゲットが含まれています。といった観点をはじめとして、SDGsに対する疑問は、京都大学卒業生である筆者から、少しナナメ目線で「ルールは破られるためにある」という京都大学のよき伝統に従って指摘されています。まず、一般にも広くウワサされているように、SDGsとは先進国の都合を途上国や新興国に押し付けているだけではないのか、という疑問を呈しています。はい、この見方は私も判らないでもありません。人によっては、特に脱炭素などは、先進国をもっと絞り込んで西欧の見方であって、米国は必ずしも強く同意しているわけではない、という意見を持つ人も見かけたことがあります。さらに、著者は自然界のエントロピーの法則、いわゆる乱雑さが増していくという点から考えて、そもそも、自然界はサステイナビリティを欠いている可能性も指摘します。すなわち、自然界は本来サステイナブルではなく、そこの人類からサステイナビリティを持ち込む不自然さがある、ということなのかもしれません。ただし、私のようなシロートからすれば、自然界もサステイナブルであってくれた方が人類には好ましいわけで、本来サステイナブルでない自然界にサステイナビリティを無理にでも持ち込むのは一定の理由があるような気もします。本書では、さらに、複雑系やカオスの考えを持ち込んで、部分部分の相互作用によって、経済学、特にケインズ経済学で強調されるような「合成の誤謬」が生じる可能性も指摘しています。ただ、カオスに何らかの秩序をもたらすスケールフリーネットワークの考えも同時に指摘し、それでも、フィードバックループにより格差や不都合な部分が積み重なっていく可能性を指摘するのも忘れてはいません。また東西の文明論的な議論も示し、西洋人は自然をコントロールしようとする一方で、東洋人は変化する自然に適用しようとする、など、やや私には受け入れがたい部分もあります。でも、科学は因果関係により未来を予測することが出来るとはいっても、本書の著者も諦めているように、遠い未来を予測することはカオス理論からして出来ないことは明らかです。最後に、SDGsの中でもっとも注目度の高い脱炭素について、今年2024年6月4日に閣議決定された「エネルギー白書2024」 第3章 GX・カーボンニュートラルの実現に向けた課題と対応の 第1節 各国における気候変動対策・エネルギー政策の進捗と今後の対応 では、環境省の中央環境審議会第151回地球環境部会の資料1「国内外の最近の動向について」を引用して、我が国では2050年カーボンニュートラルの目標達成に関して、「日本では、温室効果ガスの削減が着実に進んでいる状況(オントラック)です」(p.60)と指摘する一方で、英国・ドイツ・フランス・EUについても進捗を評価していますが、ホントにこの脱炭素は実現可能なのでしょうか。気候変動は+1.5℃に抑えられるんでしょうか。

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次に、有田芳生『誰も書かなかった統一教会』(集英社新書)を読みました。著者は、国会議員も務めたジャーナリストです。タイトル通りの内容だと思いますが、私はこのテーマにそれほど詳しくないので、今まで誰も書かなかったのかどうかについては不明な部分を残しています。当然、現在は世界平和統一家庭連合と称している統一教会=勝共連合=原理研は一体であり、霊感商法などで集めた資金を基に、政界工作や何やに使っているわけですが、その統一協会をめぐるトピックとして、第1章から第3章まで、軽く歴史や安倍元総理との関係、日本の政界工作などについて解説した後、第4章から第7章までは日本の政界への侵食、北朝鮮との関係、米国フレイザー委員会報告、「世界日報」編集局長襲撃事件、「赤報隊事件」の疑惑、を取り上げ、最後の第8章で締めくくりとして安倍元総理との関係を再考しています。ほぼ2年前の2022年7月、山上徹也被告による安倍元総理の暗殺がモチーフになっていますので、第1章はその大和西大寺駅前での事件から始まります。そして、本書では安倍元総理の「家庭の価値を強調する」統一教会へのビデオメッセージに対して、家族が崩壊した山上被告が強く反応した可能性を指摘しています。北朝鮮との関係については、文鮮明教祖が当時の金日成主席の後、中曽根総理も屈服させた、という表現を使っています。私からすればおぞましい限りです。米国下院の調査に基づく報告書では、統一教会は宗教団体ではなく、準軍事組織に似た国際政党の特徴を備えた「Moon organization=文鮮明機関」と見なしているとしています。そして、この調査を率いたフレイザー下院議員の自宅は放火され、犯人は不明だそうです。また、統一教会の機関紙ながら、1980年に経営立直しのために編集局長に就任した副島局長の下で一般紙に舵を切って調査報道で売上を伸ばしたものの、1983年には世界日報本社ビルが襲撃され他事件について「文藝春秋」の記事などをもとに、フレイザー委員会報告の結論を裏付けています。赤報隊事件は1987年5月3日に朝日新聞阪神支局が襲撃され、小尻記者が死亡、犬飼記者も大ケガを負った事件です。本書では、この赤報隊事件の前に、英国下院の報告書で統一教会が小型の銃器さえ製造しているという旨の分析がなされていたり、統一教会の関係団体である幸世物産が散弾銃を2500丁も日本に輸入するという事実があり、国会でも質疑が行われ、当時の通産省が輸入貿易管理令に基づいて問題ないと答弁した一方で、警察庁の後藤田長官からは通産省とは異なるトーンの答弁があったと本書で指摘しています。これらの銃器と赤報隊事件との関連は何ともいえませんが、少なくとも、統一教会=勝共連合=原理研が赤報隊事件クラスの襲撃事件を起こす「能力」があった可能性を指摘しています。最後の第8章の安倍元総理と統一教会との関係については、もう、本書を読んでいただくしかありません。何とも、裏に潜む闇の部分が大きいと実感します。最後に、本書では統一協会の信者は公称の60万人にははるかに及ばず、数万人との推定を示していますが、これだけの信者数で国政選挙に大きな影響を及ぼすことが出来るのは私には大きな驚きです。

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次に、銀座百点[編]『おしゃべりな銀座』(文春文庫)を読みました。編者は、1955年に日本で初めて発刊されたタウン誌です。本書はそのタウン誌に掲載されたエッセイを加筆修正して収録しています。収録しているのは47編のエッセイであり、著者の50音順に収録されています。ただ、掲載されたのがもっとも遅いものでも2017年ですので、かなり年季を経ています。新型コロナウィルス感染症(COVID-19)のパンデミックのずっと前であり、今ではなくなってしまったお店もいくつか言及されています。執筆者は作家や小説家が多い印象です。地方在住の方もそれなりに含まれています。そして、場所柄か、ファッションと食べ物の話題が多い印象です。私自身に引きつけていえば、大学を卒業して就職してから東京に住み始めましたので、学生時代やさらにさかのぼった少年時代には銀座とは何の縁もありませんでした。今でも、私は基本的に「着るものと飲み食いするものにはこだわりがない」とうそぶいていますので、それほど銀座とは強い縁があるとは考えていません。60代も半ばに達した現在、ファッションはユニクロがあれば十分で、ほぼ上から下までユニクロで取りそろえていたりしますし、食べるものはカミサンの料理で満足しています。しかし、国家公務員として役所に勤め始めた20代のころは住んでいたのが西武新宿線沿線でしたので新宿駅から地下鉄の丸の内線に乗って霞が関に通っていました。判る人には判ると思うのですが、丸の内線で新宿から乗って、霞が関の次の駅が銀座です。ですので、一時期、私の人生からすればごく短い一時期ながら、定期券を霞が関までではなく銀座まで買って、銀座に出歩いていた時もありました。本書ではほとんど出てこなくて、たった1か所だけですが、文具の伊東屋への言及がありますが、私の銀座といえば、伊東屋と山野楽器とヤマハと機械時計のオーバーホールです。ファッション店とレストランはほぼほぼ興味の対象外でした。伊東屋だけに的を絞りつつ長々と脱線すると、大学を卒業た後、公務員として働き始め、何といっても、私自身は、事務官と技官に分ければ事務官ですし、文官と武官に分ければ文官ですので、やっぱり、筆記具には興味がありました。たぶん、クロム張りの一番安いクロスのボールペンを使い始めたころではないかと思います。その後、長い間、ウォーターマンのペンケースに3種類のペンセットを入れて使い回していました。まずはパーカーのインシグニアのほか、クロスのエボナイト張りのセットと欧州代表のモンブランです。10年ほど前に、現役出向で長崎大学に勤務していたころ、どこかのブランドの消せるボールペンを学生に教えてもらって使い始めてから、こういったブランド筆記具から離れていった気がします。60歳を超えて最近では生協の売店で研究費で買った使い捨てのボールペンで満足しています。脱線が長くなりましたが脱線を終えて、本書でも何人かから指摘されている通り、洋服やアクセサリーやといったファッション、あるいは、食べ物や飲み物などのハードだけではなく、雰囲気などといった意味のソフトを楽しむ場であることはいうまでもありません。そういった銀座の魅力を満喫できるエッセイ集です。

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