今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、北尾早霧・砂川武貴・山田知明『定量的マクロ経済学と数値計算』(日本評論社)は、EBPMに基づく政策分析に欠かせない数値計算による定量的な経済分析の理論と実践について解説しています。林岳彦『はじめての因果推論』(岩波書店)は、因果推論の基本的考え方や方法などを取り上げています。金本拓『因果推論』(オーム社)は、ビジネスシーンでの因果推論の実践的な活用を目指し、Pythonのプログラム・コードや分析結果のアウトプットなども豊富に収録しています。今野敏『一夜』(新潮社)は、竜崎と伊丹を主人公とする「隠蔽捜査」シリーズの第10弾です。神奈川県警管内の誘拐事件と警視庁管内の殺人事件の謎が解き明かされます。中山七里『有罪、とAIは告げた』(小学館)は、「静おばあちゃん」シリーズの主人公の孫が東京地裁判事として、中国から提供された「法神」と名付けられ、裁判官の役割を果たすAIの運用と評価を命じられます。清水功哉『マイナス金利解除でどう変わる』(日経プレミアシリーズ)は、日経新聞のジャーナリストが引締めに転じた日銀の金融政策の影響につき、住宅ローンなどの身近な話題を基に取材結果を明らかにしています。相場英雄『マンモスの抜け殻』(文春文庫)は、北新宿の巨大団地にある老人介護施設のオーナーが殺された事件の謎が解明されます。夏休みの研究論文のために因果推論の分厚な本を3冊も読んだのですが、実は、今もって読んでいるPythonの入門書も含めて、どうも、不発に終わってしまいました。この夏休みの研究はどうしようかとこれから考えます。
ということで、今年の新刊書読書は1▲6月に160冊を読んでレビューし、7月に入って今週ポストする7冊を合わせて167冊となります。目標にしているわけでも何でもありませんが、年間300冊に達する勢いかもしれません。なお、Facebookやmixi、あるいは、経済書についてはAmazonのブックレビューなどでシェアする予定です。
まず、北尾早霧・砂川武貴・山田知明『定量的マクロ経済学と数値計算』(日本評論社)を読みました。著者は、経済学の研究者であり、それぞれ所属は政策研究大学院大学、一橋大学、明治大学です。本書は、学部上級生レベルの経済学に関する基礎知識を前提に、おそらくは、修士論文に取り組む院生を対象にした学術書です。ですので、一般ビジネスパーソンは読みこなすのはハードルが高そうな気がします。ただ、プログラミングに興味ある向きは一読の価値あるかもしれません。巻末付録には本書で使用したプログラム・コードを収録したwebサイトが紹介されていて、MatLab、Python、Julia、R、Fortranのソースコードがダウンロードできます。本書ではマクロ経済分析だけでなく、EBPMに基づく政策分析に欠かせない数値計算による定量的な経済分析の理論と実践について明らかにしています。本書は2部から構成されていて、第Ⅰ部の基礎編では数値計算の基礎的な理論を展開し、動学的計画法や時間反復法について解説しています。第Ⅱ部の応用編ではより実践的な数値計算の方法を議論し、代表的個人ではなくビューリー・モデルに基づく異質な個人を導入した格差分析、世代重複(OLG)モデルによる世代間の異質性の導入、時間反復法を応用し金利のゼロ制約を考慮したニューケインジアン・モデルによる最適コミットメント政策の評価、また、ビューリー・モデルを拡張した数値計算のフロンティアなどを取り上げています。私の理解なので間違っているかもしれませんが、本書のテーマであるマクロ経済学の数値計算とは、基本的に、時系列に沿ったマクロ変数、GDPとか、物価とか、金利とかの変化を相互の関係を微分法適式で表した上で、シミュレーションにより分析・解析しようと試みる学問領域です。もっとも、本書では「シミュレーション」という用語は出てきません。ほぼほぼ同じような使い方で、再帰的(ricursive)あるいは反復的(itarative)な解法、ということになります。すなわち、経済学をはじめとして多くの科学におけるモデルは数学的な表現として、各変数の関係を微分方程式体系で表します。しかしながら、中学校の連立方程式とは違って、その微分方程式体系を解析的に、すなわち、式のままエレガントに解くことがほぼほぼ不可能なわけです。その昔の大学生だったころ、微分方程式を解こうと思えばベルヌーイ型に持ち込む、といったテクニックがありましたが、宇宙物理学の数々の天体の運行とか、マクロ経済学の経済成長と失業率と物価の変動とかは、式のままでは絶対といっていいほど解けないわけです。特に、経済学の場合は時系列変数で時間の流れとともにGDPや失業率や物価指数が変動します。ですから、再帰的に数値を当てはめてたり、繰返し法により反復的に解くことになります。厳密には違うのかもしれませんが、モデルをシミュレーションするわけです。経済学では、その昔の1940年代にクライン-ゴールドバーガー型のモデルがケインズ経済学的な基礎による計量経済モデルとして提唱され、ガウス-ザイデル法を用いて解いていたりしたわけです。そういったマクロ経済学における数値計算についての計量経済学の学術書です。最後に感想として、私は1980年代終わりのバブル経済期まっ盛りのころに米国の首都ワシントンDCで連邦準備制度理事会(FED)に派遣され、クライン-ゴールドバーガー型の計量経済モデルをTrollでシミュレーションしていたついでに、BASICを勉強した記憶があるのですが、本書の付録のプログラム・コードにはBASICのソース・コードはありません。Fortranがまだ生き残っている一方で、BASICのコードが提供されていないのは少しばかりショックでした。PythonとかRはフリーで提供されている上に、その昔にサブルーチンとよんでいたライブラリなんかが豊富にあって便利なのかもしれません。まあ、計量経済学の初歩的なアプリケーションであるEViewsやSTATAがないのは理解できるのですが...
次に、林岳彦『はじめての因果推論』(岩波書店)を読みました。著者は、国立環境研究所の研究者です。タイトルから本書を初心者向けの入門書だと思いがちですが、私のレベルが低いだけかもしれないものの、あまり初心者向きともいえません。そもそも、因果推論そのものが学問的にそれほど容易に理解されているわけではありませんし、本書を読み進むには、それなりの科学的な素養を必要とします。また、バックグラウンドのお話であって、特に、明示はされていませんが、因果推論のためのプログラムはRでエンコードされているように私は感じました。本書は3部構成であり、第Ⅰ部では因果推論の基本的な考え方の理解を進めるべく工夫されています。DAG=Direct Acyclic Graphによって因果の方向を直感的に確認するとともに、処置変数と結果変数の両方に影響するような要因のないバックドア基準を満たす変数セットを取る必要性が強調されます。第Ⅱ部では因果効果の推定方法につき解説されています。共変量を用いた識別、傾向スコア法によるマッチング、さらに、共変量による調整ができない際に用いる差の差分析(DiD)や回帰不連続デザイン(RDD)、また、操作変数(IV)法や媒介変数法などが取り上げられています。そして、最後の第Ⅲ部では因果効果が何を意味して、逆に、何を意味していないのかについて解説を加えています。経済学の範囲でいえば、EBPMによる何らかの政策効果の実証のためには、本書p.233でもエビデンス・ヒエラルキーが示されていますが、最上位のもっとも強力な因果関係を確認するための方法はランダム化比較試験(RCT)のメタアナリシスです。それに続いて、少なくとも1回あるいはそれ以上のRCT、さらに、ランダム化されていない準試験、すなわち、本書の範囲内でいえば、自然実験や差の差分析、そして、観察研究としては回帰分析やコーホート研究があり、最後の方ではケーススタディなどの記述的研究となります。しかし、従来から十分自覚しているように、私は因果関係を重視するタイプのエコノミストではありません。経済データを用いた実証的な研究はもちろんやりますが、時系列分析に取り組む場合も少なくありません。GDPでも、失業率でも、物価でも、univariate=単変数で時の流れとともに確率的に変化・変動すると考えることも可能です。本書でも、因果関係と相関関係を識別することの重要性を強調していますが、因果関係とはそれほど単純なものではありません。少なくとも、一方向=unilateralな因果関係だけが存在するわけではなく、双方向=bilateralな因果関係もあれば、多角的=multilateralな因果関係すらあると考えるべきです。私がよく持ち出す例は、喫煙と肥満と低所得の3要因です。この3要因は複雑に絡み合って、お互いに因果関係を形成している気がしてなりません。もちろん、適切な分析目的に合致したモデルを構築して数量分析すれば、それなりの因果関係は抽出できる可能性が十分ありますが、そうなると、モデルの識別性にも立ち入った考察が必要になると私は考えます。もうそうなると、果てしない確認作業が必要です。そのあたりは、漠然と因果の連鎖、あるいは、ループで考えるのも一案ではないか、と私は考えています。また、論理的な因果関係があるにもかかわらず、無相関という稀なケースもあります。すなわち、人間の場合なら、統計的に、性行為と妊娠はほぼほぼ無相関です。しかし、性行為が原因となって妊娠という結果をもたらすことは中学生なら知っていることと思います。ビッグデータの時代には相関関係で十分であり、因果関係の必要性が薄れた、という議論も聞かれます。でも、エコノミストにとってはEBPMの要請は極めて強く、因果推論はこれからも必要になりそうな気がします。
次に、金本拓『因果推論』(オーム社)を読みました。著者は、コンサルティング会社を経て現在は製薬会社にてご勤務だそうです。本書はかなり実践的な内容で、Pythonのプログラム・コードや分析結果のアウトプットなども豊富に収録しています。加えて、因果推論の中でも、ほぼほぼ経済や経営に関する分野に限定していて、純粋理論的な解説は数式の展開でなされている一方で、自然科学はほぼ含まれておらず、アルゴリズムの樹形図も数多く示されています。因果推論を経済・経営のex-anteな意思決定やex-postな評価に用いるという考えかもしれません。たただ、Pythonのプログラム・コードが示されているということは、本書冒頭でも明示しているように、基本的なPythonのコードの理解を有している必要があります。もっとも、私はBASICだけでPythonのプログラムを組んだ経験はありませんが、ある程度の理解は可能でした。逆にいえば、それほどPythonに関して深い理解を必要としているわけではありません。ということで、本書では冒頭第1章の次の第2章と第3章で因果推論の基礎理論や手法を展開しています。もちろん、第3章の手法の中には因果推論で多用される傾向スコア法、回帰不連続デザイン(RDD)、操作変数(IV)法、差の差分析(DiD)、といったところが網羅されています。そういった理論や手法の後、単なる因果推論だけではなく、さらに派生して機械学習を第4章で取り上げ、第5章では因果推論と機械学習の融合による因果的意思決定を議論しています。これも因果推論によく用いられるCausal Forestなんかはこの第5章で取り上げられています。機械学習まで範囲を広げるとは、私はちょっとびっくりしました。また、第6章ではセンシティビティ・アナリシス=感度分析を取り上げ、機械学習による感度分析の実行手順まで示しています。そして、私が特に興味を持ったのは第7章であり、因果推論のための時系列分析に焦点を当てています。因果推論では状態空間表現を用いることが少なくありませんが、本書第7章ではそこまで複雑な表現は多用されておらず、季節変動、トレンド、外因性変動、異なる時点での自己相関などの時系列解析の概要を説明した後、データの準備から始まって、検証から将来予測までを解説しています。最後の第8章では因果関係の構造をデータから推計する因果探索について取り上げています。時間整合的なものと時間に関する先行性を考慮した時系列モデルも解説されています。全体として、繰り返しになりますが、数式などで基礎理論の解説は十分なされている一方で、Pythonコードやアウトプットが幅広く示されていて実践的な印象です。感覚的に理解できる概念図やグラフも豊富に収録されていて、因果推論の各ステップが明示されているので理解がはかどります。特に、DAG=Direct Acyclic Graphをいちいちチェックするように各ステップが組み立てられており、関係性の確認が容易にできるように工夫されています。Pythonにはライブラリがいっぱい用意されていて、因果推論などには実践的に便利そうだという気がしました。私もBASICだけではなくPythonにもプログラミングを拡張しますかね、という気になってしまいました。
次に、今野敏『一夜』(新潮社)を読みました。著者は、警察ものを得意とするミステリ作家であり、本書は幼なじみでともに警察庁キャリアの竜崎伸也と伊丹俊太郎です。竜崎は神奈川県警刑事部長、伊丹は警視庁刑事部長です。本書はこの2人を主人公、というか、主人公はたぶん竜崎ですが、この2人が登場する「隠蔽捜査」シリーズの第10弾と位置づけられています。ちなみに、出版社では特設サイトを解説しています。ということで、竜崎の管轄内である小田原で有名作家の北上輝記が行方不明との一報が舞い込みます。そこに、北上の友人で、同じく作家の梅林賢が面会を申し込み、誘拐とは断定されていない段階で誘拐ではないかと指摘します。なお、北上輝記は純文学作家、梅林賢はミステリを得意とするエンタメ作家で、神奈川県警の佐藤本部長は北上のファン、伊丹が梅林のファンだったりしますが、主人公の竜崎は小説を読まず、2人の作家を知りもしません。それはともかく、梅林は実に理論的に北上が単なる行方不明なのではなく、誘拐であると指摘します。そして、捜査への協力を示唆し、竜崎も参考意見としてミステリ作家の意見を聞くというオープンな態度を示します。他方、伊丹の警視庁管内では警備員が殺害されるという事件が発生していました。この誘拐事件の自動車の走行ルートが警備員殺害事件の現場に近接していることから、伊丹が神奈川に乗り込んできたりします。他方で、竜崎の家庭内でも問題が発生します。息子の邦彦が留学先のポーランドから帰国したのはいいのですが、せっかく入った東大を中退して、かねてからの希望であった映画製作の道に進むといい出します。ミステリですので、あらすじはここまでとします。まあ、小田原に端を発する有名作家の北上の誘拐と警視庁管内における警備員殺害が何らかのリンクを有していることは容易に想像される通りです。エンタメのミステリですので、詳細は言及しませんが、有名作家の誘拐事件の解決、警備員殺害事件の解明、さらに、邦彦の東大中退騒動の決着、と読みどころ、読ませどころが3点あるわけです。最後に、この「隠蔽捜査」シリーズはミステリとしての謎解きとともに、竜崎の非伝統的ながら合理的極まりないマネジメント能力の発揮も読ませどころなのですが、シリーズ第10弾の本作品にして、どちらもほぼほぼ最低レベルに落ちています。ミステリとしての謎解きは、別段、何の面白みも意外性もなく終わってしまいます。竜崎のマネジメントも、ミステリ作家の意見を聞くという非伝統的なやり方は目につく一方で、いつものキレはありません。ただ、さすがによく考えられた表現力、リーダブルな文章でスラスラと読み進めます。やっぱり、大森署のころのヒール役だった第2方面本部管理官の野間崎とか、大森署の刑事だった戸髙なんかの竜崎周辺にいるキャラの立った脇役がゴッソリと抜けると、こんな感じなのか、と受け止めています。脇役として、竜崎・伊丹の同期でハンモックナンバー1番の八島は本作品にも登場しますが、野間崎のようなヒール役としての登場ではありませんし、戸髙の役割を担う人物は私にはまだ見えません。
次に、中山七里『有罪、とAIは告げた』(小学館)を読みました。著者は、多作なミステリ作家です。この作品もミステリであり、主人公は東京地裁の新人裁判官である高遠寺円です。姓から容易に想像される通り、同じ作家の「静おばあちゃん」シリーズの主人公で、日本で20人目の女性裁判官であった高遠寺静の孫に当たります。作品中では伝説となっている高遠寺静はすでに退官どころか、亡くなっています。当然です。高遠寺円は「静おばあちゃん」シリーズの初期の作品では、法律を学ぶ20歳前後の大学生であったと記憶していますが、司法試験に合格し判事任官しているようです。ということで、主人公は日々多忙な業務に追われていたところ、東京高裁総括判事の寺脇に呼び出され、AI先進国である中国から提供された「法神」と名付けられ、裁判官の役割を果たすAIの運用と評価を命じられます。地裁判事を高裁総括判事が呼び出して業務を指揮命令するのは、裁判官の世界だけに私はちょっと違和感を覚えるのですが、それはさておいて、「法神」を実際に運用すると、現場でとても重宝されます。実績としてすでに出されている過去の裁判記録をインプットすると、「法神」は一瞬にして判決文を作成してしまいます。それも、裁判官の持つ何らかのバイアスまで克明に再現した判決文を提供してくれます。そこに、主人公の高遠寺円は18歳の少年が父親を刺殺した事件を陪席裁判官として担当することになります。18歳という年齢、失業していた父親の行動などを勘案した犯行様態などから、裁判官として判断の難しい裁判が予想されます。しかも、東京地裁で裁判長を務めるベテラン判事は厳罰主義で臨む裁判官として知られています。裁判員裁判において、裁判長のベテラン判事は、自分の判決の傾向をインプットした「法神」の判断結果を裁判員に対して開示するというトリッキーなやり方で、裁判員にバイアスをかけようと試みます。といったあらすじでストーリーが進むのですが、繰り返しになりますが、この作品はミステリです。謎解きが含まれています、というか、重要な構成要素となります。ですので、あらすじはここまでとします。昨年2023年の東大の第96回五月祭では「AI法廷の模擬裁判」と題して、ChatGPT-4を裁判官役とする模擬裁判のイベントが開かれ、いくつかのメディアの注目を集めました。ですので、近い将来にこのような裁判が実行される可能性も否定できません。ただ、現時点では作者の取材が十分であったかどうかという点も含めて、やや消化不良の部分が残る作品と私は受け止めました。まず、AI裁判官たる「法神」を提供するのが中国というのがあざといです。その上、売込みに来る中国人も怪しげでうさんくさい人物です。ミステリとしての謎解きもありきたりで意外感はありません。AI裁判とか、AI裁判官、というものを一般国民が想像すれば、こんな感じ、という最大公約数的なストーリーやラストになっています。小説としてもいわゆる「生煮え」の部分が少なくなく、繰り返しになりますが、消化不良を起こしかねない作品です。まさか、読者のレベルを過小評価しているわけではないでしょうから、もう少し専門的な知識を調べて書いて欲しかった気がします。
次に、清水功哉『マイナス金利解除でどう変わる』(日経プレミアシリーズ)を読みました。著者は、日本経済新聞のジャーナリストです。ですので、日銀による金融引締め、金利引上げ、あるいは、マイナス金利解除などは大賛成というメディアのジャーナリストで、タイトルのマイナス金利解除をはじめ、金利引上げなどの金融引締めを歓迎し、日銀に対する提灯本となっています。序章では私なんかがどうでもいいと考えている金融引締めへの転換を決めた時期について、どうして4月ではなく3月だったのかの解説から始まっています。私は本書の解説よりは、政府との関係であったのだろうと考えています。すなわち、その昔は予算案審議中の公定歩合操作は行わない、という不文律がありました。金利が変更されると予算の組替えが必要になる場合があるからです。しかし、1998年の日銀法改正から日銀の独立性が強化された一方で、今回の異次元緩和の終了、金融引締めへの転換などなどは政府の意向を大いに忖度した金融政策変更であったと考えるべきです。というか、そういった政府の意向を受けた総裁人事に基づく政策変更であったことは明らかです。政府の意向に基づく金融引締めという色彩を減じるための予算案審議中の金融政策変更ではなかったか、と私は勘ぐっています。その序章を受けて、第1章では、金融政策の引締めへの転換の内容をジャーナリストらしく解説しています。特に、ETF購入による株価の下支えを終了し、▲2%の株価下落に対応する「2%ルール」も終了するなどの株価への影響を詳述しているのが印象的です。この株式市場と対峙した日銀の金融政策については第4章でさらに詳しく掘り下げられています。今世紀に入ってからくらいの四半世紀の金融政策の歴史を振り返り、旧来の日銀理論に立脚して「金融政策の限界」を強調しています。第2章では、日銀による追加的な利上げについて、いつになるかの時点、判断要素、取りあえずは25ベーシスの引上げとしても、結局のところ、どの水準まで引き上げるのか、などなどを考えています。第3章では、一般国民の関心の高い住宅ローンへの対応を中心に、家計が取るべき対応に着目しています。このあたりは読んでいただくしかありません。第4章はすでに書いたように、日銀と株式市場との関係を考えており、第5章は、現在進行形のインフレの要因などを分析しようと試みていますが、むしろ、デフレからインフレへの転換で必要な対応策、というか、資産運用について考えています。つねに、資産運用に関するジャーナリストや専門家のアドバイスには眉に唾をつけて見る癖のある私にはそれほどのものとも思えませんでした。
次に、相場英雄『マンモスの抜け殻』(文春文庫)を読みました。著者は、社会派ミステリ作家です。本書は2021年コロナまっ最中の作品でしたが、このほど文庫本で出ましたので読んでみました。ということで、主人公はこの巨大団地で少年時代を過ごした警視庁刑事の仲村勝也です。そして、この巨大団地で老人介護施設のオーナーで、ほど近い歌舞伎町の顔役でもある老人の藤原光輝が団地の上階から転落死します。防犯カメラの画像から、被害者に最後に接触したのは美人投資家で知られる松島環で、また、被害者の藤原光輝が経営する老人介護施設で働く石井尚人も捜査線上に浮かびます。そして、この松島環と石井尚人は、ともに、同じ団地で少年少女時代を過ごした仲村勝也の幼なじみであり、仲村勝也は彼らの無実を信じて操作を続けます。ということで、ミステリですのであらすじはここまでとします。タイトルにある「マンモス」というのは大規模な集合住宅、有り体にいえば団地のことであり、作中の「富丘団地」とは、明らかに新宿区の戸山団地です。私が3年近く勤務していた総務省統計局から大久保通りをはさんで斜向かいに広がっていました。その巨大団地が団塊の世代の高齢化をはじめ、団地内に老人介護施設が出来るほどの高齢化の時代を迎えています。ただ、こういった新宿近くの都心の団地だけでなく、多摩ニュータウンなどの戦後早い段階で開発された住宅地は一気に高齢化が進んでいることは事実です。そして、本書ではそういった老人介護施設の闇の部分が大きくクローズアップされています。老人介護施設ではなく障がい者施設ではありますが、「恵」が運営している障害者グループホームで食材費の過大請求などが発覚し、事業所としての指定取消しなどの処分が講じられたことは広く報じられ、情報に接した読者も多いと思います。でも、本書に登場する老人介護施設もものすごい闇の部分を持っています。その闇の部分に主人公の幼なじみであり、容疑者にも目されている石井尚人も巻き込まれていたりします。同時に、事件とは直接関係ないながら、主人公の仲村勝也の母親が独居していて、少し認知症の症状が出はじめ、主人公の妻が義理の母親の世話で精神的にも肉体的にも大きな疲労が蓄積している点も小説に盛り込まれています。本書は、ミステリというカテゴリーとしては、それほど凝った内容ではないかもしれませんが、高齢者介護の実態をフィクションとして描き出し、社会派ミステリとして読み応えある内容に仕上がっています。
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