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2024年7月27日 (土)

今週の読書は経済書をはじめとして計6冊

今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、森川正之[編]『コロナ危機後の日本経済と政策課題』(東京大学出版会)は、コロナ禍を経た日本経済の課題を考えていますが、ややタイミングを失したかという気がします。小野寺拓也・田野大輔『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』(岩波ブックレット)は、ナチスを評価しかねない最近の動向を強く批判し、ナチスの政策を広い観点から評価すると、決して「良いこと」をしたエビデンスは見い出せないと結論しています。村木嵐『まいまいつぶろ』(幻冬舎)は、江戸幕府の9大将軍徳川家重の言葉を唯一理解した大岡忠光との関係をやや過剰に美談として描き出しています。八重野統摩『同じ星の下に』(幻冬舎)は、家庭で虐待されている女子中学生が誘拐された事件について取り上げています。甚野博則『実録ルポ 介護の裏』(文春新書)は、破綻寸前の我が国介護制度を裏側から見ています。秋谷りんこ『ナースの卯月に視えるもの』(文春文庫)は前回が望めない病棟の看護師が「視える」物や人から物語が始まります。
ということで、今年の新刊書読書は1~6月に160冊を読んでレビューし、7月に入って先週までに計20冊、今週の6冊を合わせて、今年になってから合計186冊となります。目標にしているわけでも何でもありませんが、年間300冊に達する勢いかもしれません。なお、Facebookやmixi、あるいは、経済書についてはAmazonのブックレビューなどでシェアする予定です。また、今週は、若竹七海の『プレゼント』(中公文庫)と『依頼人は死んだ』(文春文庫)も読みました。新刊書ではないので、本日のブログでは取り上げませんが、別の媒体で、Facebookやmixiにポストしたいと予定しています。

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まず、森川正之[編]『コロナ危機後の日本経済と政策課題』(東京大学出版会)を読みました。編者は、経済産業省の官庁エコノミストご出身で、一橋大学の研究者であり、経済産業研究所の所長も務めています。本書は、出版社から考えても学術書なのですが、経済産業研究所(RIETI)における研究成果を取りまとめており、そのため、というか、何というか、新たな実証分析結果を提示していたり、あるいは、難解な理論モデルを数式で展開していたり、といった部分はなく、それだけに難易度は高くなさそうな気もします。ただ、既存研究のサーベイに近い研究成果ですし、テーマはタイトル通りに、ややコロナに偏った印象ですので、現在のインフレ=物価上昇、円安、金融引締めなどといったテーマはほとんど取り上げられていません。加えて、マイクロかつサプライサイドの面からの日本経済の課題の分析が中心で、マクロ経済や需要サイドやといった部分にはそれほどの注意が払われていないような気がします。第1章ではPCR検査の不足についても考えていますが、これなんかは現時点から将来に渡って参考になる部分は少なそうな気がします。第2章では、コロナを経た後のサプライチェーンの変容についての分析を試みていますが、ウクライナ戦争や大いにあり得る近い将来のトランプ米国大統領が通商政策に及ぼすショックなどのほうが気にかかるエコノミストの方が多そうに私は受け止めています。ただ、コロナ禍を経てオンライン就業が大いに普及し、働き方が変化した点は特筆すべきでしょうし、最後の第9章で議論されているようなEBPM研究についても、コロナとは関係薄いながら、今後の日本経済の大きな課題であろうという認識は多くのエコノミストが共有しているものと考えるべきです。私自身は、コロナ・ショックはサプライ・ショックであり、したがって、サプライサイドからのマイクロな分析が重要であると考えています。その意味で、本書はとても有益な分析を集積していると考えますが、いかんせん、コロナ禍の中ではあってもウクライナ戦争、そして、それに伴うエネルギーや食料の値上がりに起因するインフレの方の経済的インパクトが強かったのも事実です。コロナは産業別にインパクトの大きさが一様ではなく、例えば、宿泊業や飲食業などで大きなダメージを受けました。それだけに、単純なマクロ経済政策では対処することが難しかった面もあります。例えば、国民1人あたり一律の特定給付金というのも、緊急性が必要とされた場面では有効でしたが、マクロ政策での対応は雇用に限られていた印象すらあります。それに、コロナのずっと前から日本経済の大きな課題であったサステイナビリティやグリーン経済化、あるいは、デジタル経済への対応などがコロナ禍により浮き彫りにされたという側面もあります。その意味で、本書の分析も限定的ではありますが、将来過大に無得て役立つものもあるのではないか、と私は考えます。

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次に、小野寺拓也・田野大輔『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』(岩波ブックレット)を読みました。著者は、東京外国語大学と甲南大学の研究者であり、ともにご専門は現代ドイツ史です。昨年7月の出版で、ほぼほぼ1年を経過していますが、話題になった本です。私はナチスはほとんど「良いこと」はしていないと考えていますが、このタイトルからして、いわゆる「悪魔の証明」を要求されているような気がして、少し読書を躊躇していた面があります。すなわち、おばけなんてものはいない、宇宙人はいない、といった否定の「xxはない」というのは証明が極めて難しいわけです。ですので、ナチスがやったことをすべて網羅的に検討して「良いこと」が何ひとつなかった、と証明することは、ハッキリいってムリです。ですから、エコノミストは100%ではなく5%の棄却水準で勝負しているわけです。本書では、ナチスのすべての活動結果を精査するのではなく、ネトウヨなどの間で話題になった「ナチスの功績」を取り上げて、ていねいに分析した上で反論を加えています。特に、私はエコノミストですので、第4章の世界恐慌からの景気回復、第5章の雇用保護、第6章の家族支援などに注目していましたが、アウトバーン建設などの公共事業が米国のTVAに比較される場合もありますが、決して評価できる内容ではない、というのは私も同感です。ただ、これらの章における評価基準として、(1) 歴史的経緯として、ナチスのオリジナルかどうか、(2) 歴史的文脈としての目的、(3) 歴史的結果としての政策効果、の3点を強調していますが、エコノミストからすれば第3の点がもっとも重要であると私は考えています。本書では、ナチスのオリジナルではなく、イタリア・ファシストに由来するという批判が加えられている政策がいくつかありましたが、私自身はオリジナルを尊ぶ考えはなく、「良い政策」であれば取り入れることは評価すべきと考えます。日本人の経済活動が、戦後、モノマネならまだしも、「サルマネ」と評価されたことがありましたが、別にオリジナルではないマネであっても私は評価を落とすべきとは思いません。政策目的としては、何といっても、ナチスの場合は戦争目的であった政策が少なくなく、その点は評価を下げるのは私も同感です。ただし、プロパガンダのため、というのは現在の民主主義的な政党やグループでも投票により決定する部分があるわけですので、ある意味で、これを否定されては民主主義が成り立たないケースすら考えられます。戦争目的の否定にとどめておいて欲しかった気がします。いずれにせよ、私自身がナチスの政策のうちのいくつかを否定する理由は普遍的ではないからです。本書でも強調しているように、家族主義であるのはいいとしても、ユダヤ人はもちろん、非アーリア人が排除されている、あるいは、アーリア人でもナチスが好ましくないと考えたグループ、例えば共産主義者などが排除されているという側面は、決して忘れるべきではありません。政策は企業ではなく国民に向けて、ユニバーサル=普遍的である方がいい、というのが私の政策一般論です。

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次に、村木嵐『まいまいつぶろ』(幻冬舎)を読みました。ようやく図書館の予約の順番が回ってきたのですが、すでに続編=完結編の『まいまいつぶろ 御庭番耳目抄』も出版されている始末だったりします。著者は、もちろん、小説家なのですが、司馬遼太郎の最晩年の内弟子のような役回りをしていたと聞いたことがあります。ただ、私は不勉強にして、この作者の作品は初めてでした。ということで、この作品はそれなりに話題になった時代小説だと思います。紀州藩主から江戸幕府の8代目将軍となり、享保の改革を推し進め、幕府の中興の祖とも称される徳川吉宗の嫡男であり、吉宗の後を継いだ9代将軍である徳川家重と家重に使えた側近の大岡忠光の物語です。徳川家重は、吉宗の嫡男でありながら廃嫡を噂された人物です。というのも、口が回らず誰にも言葉を理解されず、しかも、半身不随で筆談も出来ないことから、周囲との意思疎通が困難であったからです。さらに、小便を我慢できずに漏らしてしまい、歩いた後には尿を引きずった跡が残ることから、「まいまいつぶろ」=カタツムリと呼ばれて暗愚と馬鹿にされ蔑まれます。しかし、そこに、唯一徳川家重の言葉を理解できる大岡忠光(幼名は兵庫)が見出され、側近として仕えることになります。ただ、幕府ではそのころ、側用人制度を廃止し、将軍が直接老中などとコミュニケーションを取りつつ政を行うようになっていたことから、大岡忠光が正しく徳川家重の言葉を伝えているのか、という疑念がついて回ります。大岡忠光は町奉行として名高い大岡忠相の親戚筋に当たり、大岡忠相からは徳川家重の口に徹して、目や耳になってはならないと厳命されます。すなわち、将軍の発する言葉を正確に通訳して老中などに伝えるだけであって、徳川家重は老中などの言葉を十分に理解でき、また、書類も読めるわけですから、決して、大岡忠光から将軍に対して情報を上げてはいけない、というわけです。その上、賂とみなされるため誰からも懐紙1枚も受け取ってはならない、とまで命じられます。ただ、耳目の代わりとして御庭番の青名半四郎こと万里が、父の徳川吉宗から、家重を助けるように差し向けられます。タイトルから考えて、この万里が次作の完結編で重要な役回りを担うことになるのだろうと想像しています。ということで、将軍就任からの徳川家重の公私に渡る活動、公の部分では、宝暦治水工事や田沼意次の抜擢など、また、私の部分では朝廷から輿入れした此宮との夫婦生活、また、此宮が出産により亡くなってからの生活も含めて、大岡忠光と陰ながら万里が徳川家重をサポートするわけです。とても評価の高い時代小説ながら、徳川家重と大岡忠光の関係をここまで美談にするのは、かえって盛っている部分が大きいのではないか、と私は疑わしく読みました。フィクションである小説とはいえ、あまりにも美談過ぎて疑わしさや怪しさまで出てしまっているように感じます。もう少し、真実に近い部分を盛り込んだ方がよかったのではないかとすら思えます。そのあたりは続編=完結編を楽しみにしたい、と考えています。続編=完結編では解決できないのが、徳川家重と此宮の侍女であり、結果として、10代将軍徳川家治の母となる幸との関係が余りに淡白に語られている点です。作者として重点を置くところではない、と判断されたのでしょうが、少し気にかかります。

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次に、八重野統摩『同じ星の下に』(幻冬舎)を読みました。著者は、北海道ご出身の小説家なのですが、私の勤務校の卒業生と聞き及んでいます。ただし、経済学部ではなく、経営学部だそうです。ということで、この作品の舞台は12月の北海道の札幌近郊であり、主人公は両親から虐待されている女子中学生の有乃沙耶です。作品中の記述は少し前後しますが、有乃沙耶は両親から夜釣りに誘われて、生命の危機を感じて児童相談所に電話し、近くカウンセリングを受けることを勧められますが、結局、カウンセリングには行きませんでした。そして、中学校からの帰り道で、その電話対応をしたという渡辺に声をかけられて、そのまま誘拐され監禁されてしまいます。監禁当初こそ猿轡や手足の拘束もあったのですが、すぐに片足を鎖でつながれるだけになり、しかも、両親の下の家庭生活よりも待遇が大きく改善されます。すなわち、広々とした部屋には暖房が快適に効いており、食事もレストラン顔負けのメニューが出てきたりするわけです。下着を含めて清潔な着替えが用意されており、家ではお湯のシャワーも使わせてもらえないにもかかわらず、入浴させてもらえたりもします。他方で、渡辺と名乗る誘拐犯は2000万円の身代金を、こともあろうに、手紙で警察に送りつけます。北海道警捜査1課特殊班捜査係の進藤係長と女性刑事の相良が有乃の家に駆けつけて、操作を開始します。しかし、有乃沙耶の両親は3日前の金曜日から沙耶が帰宅していないといいつつ、それほど心配もしておらず、逆に、最近入った生命保険が手に入るかもしれないと期待を示したりする始末です。その上、母親は最近DNA検査をして、夫が沙耶のDNA、上の父親ではないとの結果を知っていたりします。有乃沙耶の方は、すっかり渡辺の家での生活に慣れて、いわゆるストックホルム症候群ではなく、純粋に監禁生活を快適に過ごしていたりします。ただ、発熱して体調を崩したりはします。そして、本の帯にあるように、「この誘拐犯が、わたしの本当のお父さんだったらいいのに」と思い始めたりしますし、そう信じようとしたりもします。ミステリ小説ですので、あらすじはこのあたりまでとします。誘拐犯がどういった人物で、どういった目的で誘拐したのかについて、といった大筋の謎はそれほど難しくなく、意外性もありません。ただ、最後の最後に1点だけ、主人公の有乃沙耶と両親の間で生命の危機に関して、とてもびっくりすることがあります。それは、読んでみてのお楽しみ、ということになります。

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次に、甚野博則『実録ルポ 介護の裏』(文春新書)を読みました。著者は、週刊文春の記者の経験もあるジャーナリストです。本書では、著者自らの経験も基にしつつ、介護については崩壊の危機にあると指摘しています。私自身の個人的事情を考えれば、私もカミさんもすでに親は亡くなっていて、次に死ぬのは日本人の平均寿命通りだとすると私になります。しかし、7月26日付けの朝日新聞の記事「介護事業者の倒産81件、上半期で過去最多 訪問介護が約半数占める」では、東京商工リサーチのリポート「2024年上半期(1-6月)『老人福祉・介護事業』の倒産調査」に基づいて、介護事業者の現状を報じていますが、今年上半期の倒産が過去最高に達した点から考えても、介護事業の先行きを危ぶむ見方が出そうです。本書でも視点は同じなのですが、高齢化がどんどん進む中で介護の先行きをどう考えるのかは重要です。その上、介護保険のシステムはとっても複雑です。親の介護があるとすれば、取りあえずは、地域包括支援センターに駆け込めばいい、というのはみんな知っているところだとおもいます。ただ、医療が自由診療であるのに対して、私も授業で教えていますが、介護保険は勝手なマネは許さず、ケアマネさんが介護について等級や必要なサービスを決めるわけです。そういった介護の表側、まさに、私が授業で極めて大雑把に教えているような介護の表はいいのでしょうが、問題は本書のタイトルにあるような介護の裏です。本書でも、介護施設やケアマネさんが介護対象者を囲い込んで、介護サービスの供給についてはすべて関連企業で調達するように仕向けたりするのは、ある意味で経済合理的とすらいえます。問題は、介護保険という制度により介護サービスのレンジが決められているがために、必要に応じてではなく、介護保険で許容される上限まで提供しようとする介護業者の姿勢です。要不要にかかわりなく、介護保険で決められている上限のサービス提供にしてしまうと、財政上の負担も去ることながら、そうでなくても人手不足の業界でさらに労働力が不足してしまう可能性すらあります。そういった介護保険の複雑かつ不合理な仕組みや私利私欲だらけの介護業界の実態などとともに、さらに裏の現実の介護の実態、老人への虐待、などなど、裏の情報が満載です。行政は見て見ぬふりをするんでしょうから、第4の権力としてのジャーナリズムの出番ではないでしょうか。

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次に、秋谷りんこ『ナースの卯月に視えるもの』(文春文庫)を読みました。著者は、作家ですが、本書あとがきでは実際に13年ほど看護師の経験があると記述しています。ただ、私はよく知りません、初読の作家さんでした。本書がデビュー作ではないかと思います。本書は6話の短編から編まれており、主人公は横浜郊外にある青葉総合病院に勤務する看護師の卯月咲笑です。完治の望めない人々が集う長期療養型病棟に勤めています。タイトル通りに、この主人公に「視えるもの」があるわけで、それは作品の中では「患者の思い残し」と呼ばれています。コトもヒトもどちらもありのような気がします。6話の短編のうち、最初の2話「深い眠りについたとしても」と「だれでもきっと1人じゃない」は患者の思い残しを主人公が視ることにより、極めて重大な事件が解決されます。その意味で、ミステリといえます。他の短編作品もそうなのですが、タイトルから想像されるようにホラーがかったストーリーはありませんし、すべての短編がミステリしたてというわけでもなく、主人公の年齢や性別といった属性から考えられるようなチャラチャラしたお話でもありません。看護師という職業倫理や病因という生死に深く関係する職場をしっかりと描写することによってストーリーが進められます。その意味で、とても骨太で深刻さいっぱいの考えさせられる連作短編集です。私のように表紙を見ただけで時間潰しのために手に取ると、失敗だったと思うかもしれません。

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