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2024年8月10日 (土)

今週の読書は経済経営書のほか計4冊にとどまる

今週の読書感想文は以下の通り4冊です。
8月に入って、年1本の論文を書くために参考文献をかなり大量に読み始めました。全部を完読しているわけではなく、サマリと結論部分だけで勝負している論文も少なくないのですが、それでも40本近い論文をリストアップしていて、たぶん、全部で参考文献は100本を超えると思います。ほとんどが英文論文ですので、まあ、サマリと結論だけでもそれなりの時間がかかるわけです。
ということで、今年の新刊書読書は1~6月に160冊を読んでレビューし、7月に入って計20冊をポストし、合わせて180冊となります。目標にしているわけでも何でもありませんが、年間300冊に達する勢いかもしれません。なお、Facebookやmixi、あるいは、経済書についてはAmazonのブックレビューなどでシェアする予定です。それから、この読書感想文のほかに、クイーン『ダブル・ダブル』を読みました。というのは、新刊書の『境界の扉-日本カシドリの秘密』の予約が回ってきそうで、これに先立つ『フォックス家の殺人』と『10日間の不思議』はすでに読んでいるのですが、『ダブル・ダブル』と『靴に棲む老婆』を新訳で読んでおこうと考えています。Facebookやmixiでレビューする予定です。たぶん、来週は『靴に棲む老婆』を読むのだろうと思います。

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まず、デロイト・トーマツ・グループ『価値循環が日本を動かす』『価値循環の成長戦略』(日経BP)を読みました。著者は、会計に軸足を置く世界的なコンサルティング・ファームです。2冊とも、「価値循環」というキーワードを設定していますが、『価値循環が日本を動かす』の方は一般的なマクロ経済分析も含めた日本経済の概観を捉え、昨年2023年3月の出版です。そして、『価値循環の成長戦略』の方は、本来の、というか、何というか、企業向けの成長戦略のような指針を示そうと試みています。どちあも、キーワードの「価値循環」のほかに、お決まりのように「人口減少」を日本経済停滞の原因に据えています。まあ、私も反対はしません。企業経営者から見れば、ある意味で、私のようなエコノミストは気楽なもので、GDPの規模が人口減少に応じて縮小しても、国民の豊かさである1人当たりGDPが増えていればOKであろう、という考えが成り立ちます。すなわち、GDPが成長しなくても、例えば、ゼロ成長の横ばいであっても、人口が減れば自動的に1人当たりGDPは増加します。GDPが縮小するとしても、人口減少ほどの減少率でなければ、これまた、1人当たりGDPは増加します。しかし、企業経営者からすれば、従業員1人当たりの売上が伸びているというのは評価の対象にはならないそうです。というのは、企業の経営指標はあくまで資本金とか資産当たりの売上とか利益であって、人口減少と歩調を合わせて資本金や資産が減少するわけではありません。資本金は自社株買いにより減少させることが可能ですが、企業資産、あるいは、そのうちの資本ストックは増加する一方です。ですので、企業業績もそれに従って増加させないといけないわけです。ということで、まず、『価値循環の成長戦略』において、価値循環の基本的な枠組みとして、4つのリソース、すなわち、ヒト、モノ、データ、カネを効果的に循環させる必要があると説きます。代表例として、ヒトの循環として、交流型人材循環、回遊型人材循環、グローバル型人材循環の3つ、モノの循環として、リペア・リユース・アップサイクルと地域集中型資源循環の2つ、データの循環として、顧客志向マーケティング、デマンドチェーンの構築、地域コミュニティの構築の3つ、カネの循環として、社会課題解決型投資とスタートアップ投資の2つをそれぞれ上げています。詳細は読んでいただくしかありませんが、社会課題解決型投資の一例として、気候変動に対処し1.5℃目標を達成することによる経済効果は388兆円と試算していたりします。続いて、『価値循環の成長戦略』では、4つのリソースを循環させる壁を取り払う点にも重点が置かれます。組織間の壁や意識や思い込みの壁としての「新品崇拝」などです。また、高成長企業の分析から、売上を数量×単価に分解し、共通化による頻度向上に基づく数量効果を得るためのライフライン化、そして、差異化による高価格化を得るアイコン化、そして、その中間を行くコンシェルジェ化の3つの成長戦略の方向を示します。それを実際に適用する市場として、7つの成長アジェンダを掲げます。すなわち、モビリティ、ヘルスケア、エネルギー、サーキュラーエコノミー、観光、メディア・エンターテインメント、半導体、となります。これも詳しくは読んでいただくしかありません。最後に、私の方から2点だけ指摘しておきたいと思います。まず第1に、いつもの主張ですが、こういったコンサルティングについてはどこまで再現性があるのかが不明です。本書に書いてあることは、成功企業からの抽出例で、それはそれでいいのですが、すべてのリンゴは木から落ちる一方で、本書の成功企業の実践例を試みたすべての企業が成功するかどうかは不明です。第2に、本書でも何度か指摘されている人材についてですが、私が従来から指摘しているのは、全体的な人的資本のレベルアップもさることながら、特に重要な3分野の人材、すなわち、グローバル人材、デジタル人材、グリーン人材の重要性です。そして、これらの人材が首都圏、特に東京に偏在していることの良し悪しを考える必要があります。私は東京で国家公務員として60歳の定年まで勤務していて、これらのグローバル人材、デジタル人材、グリーン人材は日本にはいっぱいいると考えてきました。でも、関西も京阪神から外れる地で暮らすと、大学教員にすらこういった人材が十分ではない恐れを感じています。東京にこういった人材が集中していることをどう評価するかについては、私自身でも今後もっと考えますが、少なくとも、東京以外にはグローバル人材、デジタル人材、グリーン人材が大きく不足している点は忘れるべきではありません。

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次に、染井為人『黒い糸』(角川書店)を読みました。著者は、『悪い夏』で第37回横溝正史ミステリ大賞優秀賞を受賞して作家デビューしています。ですので、ミステリ作家であろうと思います。本書も基本的にミステリであるのですが、横溝ばりにとても怖いお話に仕上がっています。舞台は主として千葉県松戸市です。はい、私もジャカルタから帰国した直後に何年か住んでいたことがあり、それなりに土地勘はあるのですが、もちろん、地理に詳しい必要はまったくありません。ストーリーは交互に2人視点から進められます。すなわち、松戸の結婚相談所でアドバイザーとして働くシングルマザーの平山亜紀とその息子である小太郎が通う旭ヶ丘小学校の6年のクラス担任の長谷川祐介です。時期は、小学6年生が卒業を控えた年明けから卒業式のある3月くらいまでなのですが、実は、この小学校ではその前年にクラスメイトの小堺櫻子という女児が失踪するという事件が起きていて、事件後に休職してしまった担任に替わって長谷川祐介が小太郎のクラスの担任を引き継いでいます。当然ながら、失踪した女児の両親から小学校へのプレッシャーは大きいといえます。平山亜紀の方の結婚相談所などに関連する主要登場人物は、DVが理由で別れた元夫とともに、なかなか成婚に至らない女性会員がいて、強いプレッシャーを受けていたりします。職場の同僚には土生謙臣がいて、この女性会員の担当を引き継いでくれます。ただ、結婚相談所の所長はそれほど業務上で頼りになるわけではありません。長谷川祐介の周辺や小学校サイドの主要登場人物は、まず、小学6年生のクラスの倉持莉世で、母親が熱心な信者という宗教2世かつ父親は左翼という複雑な家庭に育ちながら、とても大人びた考えをするしっかりものでクラス委員です。それから、長谷川祐介と同居している兄はたぶんポスドクで遺伝に詳しいという設定です。小堺櫻子に続く被害者は倉持莉世で、殺害されるわけではなく襲撃されて意識不明の重体で入院することになります。そして、小堺櫻子が行方不明になった際も、倉持莉世が襲撃された際も、どちらも直前までいっしょに行動していたのはクラスメイトの佐藤日向なのですが、倉持莉世は新たに担任になった長谷川祐介に対して襲撃される前に「小堺櫻子の事件の犯人は佐藤日向の母親の聖子」といわれたりしていました。何とも、やりきれない驚愕の真相でした。まあ、こういう結末もアリなのかと思いますが、小説中でもそうですが、ワイドショーでいっぱい取り上げられるのは当然な結末という気もします。ただ、意外性という観点からはとってもいい小説でした。小説の舞台となっている季節は冬から春先なのですが、この酷暑の季節に読むにふさわしいホラー調のミステリであり、最後はサスペンスフルな展開が待っています。本書がよかっただけに、デビュー作の『悪い夏』を読んでみたいと思います。強く思います。

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次に、三宅香帆『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書)を読みました。著者は、文芸評論家だそうです。本書では、タイトル通りの問いに対して回答を試みています。ただ、歴史的にかなりさかのぼって、日本が近代化された明治維新からの読書について考察しています。すなわち、江戸期までは出自によって職業選択や立身出世が決まっていたのに対して、近代化が進んだ明治期から出自ではなく、教育、広い意味で職業訓練も含めた自己研鑽が職業選択や立身出世の大きな要因になり、その結果として、もともと日本では識字率が高かったわけですから、読書が盛んになった、と説き起こします。図書館が整備され、さらに、昭和期に入って改造社の円本「日本文学全集」が大いに売上げを伸ばしたりする経緯を解説します。そして、戦後になって、1950年代から教養ブームが始まり、文庫本や全集の普及、さらに、60年代に入って、源氏鶏太によるサラリーマン小説の流行、カッパ・ブックスなどの実用的な新書の登場などを概観し、ハウツー本や勉強術のベストセラーを紹介し、本が階級から開放され、広く読まれるようになった歴史的経緯を明らかにします。1970年代に入ると司馬遼太郎の本がブームになり、まさに代表作のひとつである『坂の上の雲』のように、国としての日本と自分自身の発展・成長のために読書も盛んとなります。ただ同時に、1970年代にはテレビ、特にカラーテレビも大いに普及し、読書の時間が削られるような気もするのですが、逆に、「テレビ売れ」の本もあったそうです。まあ、今もあるような気がします。さらに、首都圏や近畿圏では通勤時間が長くなり、電車で文庫本をよく習慣もできつつあったと指摘しています。1980年代には、ややピンボケ気味の解説ながら、カルチャーセンターに通う女性が増え、『サラダ記念日』や『キッチン』といった女性作家の作品が売れた、と解説しています。繰り返しになりますが、このあたりはややピンボケの印象で、私は少し疑問を感じないでもありません。1990年代はさくらももこと心理テストから概観し始め、私としてはピンボケ度がますます上がったようで心配したのですが、バブル経済の崩壊を経て、自己啓発書が売れたり、政治の時代から経済の時代へ入ったりといった経済社会的な背景を強調します。そして、読書は労働に対するノイズであると指摘し、ただ、自己啓発書はこのノイズを取り去る働きをすると主張しています。2000年代に入って、労働や仕事で自己実現、というのがキーワードになり、仕事がアイデンティティになる時代を迎えたと主張しています。私は、前からそうではなかったのか、という気もします。そして、本書の本題としては、インターネットの普及や仕事の上でのITCの活用などが急速に進んだ2000年代からインターネットは出来るが、読書はしないという流れが始まったということのようです。2010年代になり、1990年代から始まっていた新自由主義的な流れが強まって、ますます労働者に余裕がなくなった、という流れで本が止めなくなったと結論しています。このあたりは、長々とレビューしてしまいましたが、本書p.239にコンパクトなテーブルが掲載されています。終章では「半身社会」を推奨して、全身全霊をやめようと主張し、最後のあとがきで働きながら本を読むコツをいくつか上げています。私の感想ですが、読書という行為と日本の経済社会における勤労や立身出世を結びつけtなおは、当然としても、いい着眼だったと思います。ただ、インターネットがここまで普及した世の中で、読書が何のために必要なのかをもう少しじっくりと考えて欲しかった気がします。それだけに、やや上滑りの議論になってしまったかもしれません。

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