今週の読書も経済書なしで小説に絵本を加えて計5冊
今週の読書感想文は以下の通り、経済書なしで小説と絵本で計5冊です。
今年の新刊書読書は1~7月に186冊を読んでレビューし、8月に入って先週と先々週で計11冊をポストし、今週の5冊を合わせて計202冊となります。200冊を超えました。目標にしているわけでも何でもありませんが、年間300冊に達する勢いかもしれません。今後、Facebookやmixiなどでシェアする予定です。また、エラリー・クイーン『靴に棲む老婆』(ハヤカワ・ミステリ文庫)とサキ『けだものと超けだもの』(白水Uブックス)を読んで、Facebookとmixiでシェアしていますが、新刊書ではないと思いますので、本日の読書感想文には含めていません。
まず、青崎有吾『地雷グリコ』(角川書店)を読みました。著者は、ミステリ作家です。ですので、本書はミステリに分類していいのだろうと私は解釈しています。もっとも、本書はゲームを中心に据えた連作短編集となっていて、タイトルを列挙すると、表題作の「地雷グリコ」に始まって、「坊主衰弱」、「自由律ジャンケン」、「だるまさんがかぞえた」、「フォールーム・ポーカー」となります。短編タイトルからある程度は想像できると思いますが、「地雷グリコ」はジャンケンをして勝った手に従って階段を登るグリコの変形で、特定の段の地雷があるわけです。「坊主衰弱」は百人一首かるたを使った坊主めくりの変形、「自由律ジャンケン」はグー/チョキ/パーにプレイヤーが違う手を加えたジャンケン、「だるまさんがかぞえた」はだるまさんが転んだの変形、「フォールーム・ポーカー」は3枚の手札を元にスートごとの部屋に入ってカード交換をするポーカーです。まあ、レビューで詳細に説明できるとも思えませんから、このあたりは読んでいただくしかありません。主要登場人物を敬称略で、主人公は都立頬白高校1年生のJK射守矢真兎です。勝負事やゲームにやたらと強いです。射守矢真兎の友人で同じ1年生の鉱田の視点でストーリーが進みます。ホームズ譚でいえば、ワトソン役です。頬白高校の生徒会から、最初の表題作「地雷グリコ」で射守矢真兎の相手プレイヤーとなり、その後、ゲームの審判を務めたりする3年生の椚迅人と会長の佐分利錵子もいます。そして、ラクロス部の塗辺はゲームをプレーするわけではありませんが、最初の「地雷グリコ」で審判を、最後の「フォールーム・ポーカー」でゲーム考案と審判をします。頬白高校以外では、第2話で主人公の射守矢真兎と勝負するかるたカフェのオーナーもいますが、もっとも重要なのは、射守矢真兎や鉱田と中学校の同級生で、首都圏屈指の名門校である星越高校に進んだ雨季田絵空です。ストーリーは、要するに、射守矢真兎がゲームに勝っていくということで、それはそれで単純です。各ゲームの設定については、おそらく、私よりも適切な解説者がネットにいっぱいいるのだろうと思いますので、ここでは省略します。私が本書のレビューでもっとも強調したいのは、第171回直木賞に関して一穂ミチ『ツミデミック』との対比です。私は、一穂ミチ『ツミデミック』が直木賞のレベルに達しているかどうか疑問だと考えていて、それは今も変わりありません。ただ、第171回直木賞の候補作の中で、私が聞き及んだ範囲での下馬評からすれば、本書の青崎有吾『地雷グリコ』が最有力、と考えていましたが、それはやや過大評価であったかもしれません。すなわち、本書で主人公の射守矢真兎がゲームに勝っていくのは、必ずしも論理的に、ロジカルな解決で勝っていくわけではなく、多分に心理戦を勝ち抜いた、ということなのだろうと思います。その上、ゲームが余りにマニアックです。ですから、こういったマニアックな作品が好きな読者は、メチャクチャ高く評価する気がします。ただ、一般的な読者はそうではないかもしれません。その意味で、本書が直木賞の選外となった可能性に思い至りました。繰り返しになりますが、だからといって、『ツミデミック』が直木賞のレベルに達していると考えるわけではありません。文学賞選考の難しいところかもしれません。ということで、文学賞を離れてゲームや勝負事の方に戻って、経済学にはゲーム理論というものがあります。そして最後に心理戦とは何の関係もなく、ジャンケンの必勝法、というか、ジャンケンにもっとも確率高く勝つための方法がゲーム理論から明らかにされています。さて、その意味で、すなわち、もっとも確率高くジャンケンに勝つための戦略とはいかに?
次に、白川尚史『ファラオの密室』(宝島社)を読みました。著者は、マネックスグループ取締役兼執行役と本書で紹介されていますが、本書は第22回『このミステリーがすごい!』大賞における大賞受賞作です。ですので、というか、何というか、出版社では特設サイトを開設したりしています。ミステリなのですが、タイトルから容易に想像できるように、舞台は古代エジプトであり、いわゆる特殊設定ミステリです。何が特殊設定かというと、主人公の死者が蘇って謎解きをするわけです。ということで、あらすじは、主人公である神官書記であるセティの死後審判から始まります。すなわち、紀元前1300年代後半の古代エジプトにおいて、ピラミッドの崩落によりセティが亡くなるのですが、セティの死体にはナイフが胸に突き刺さっていました。そして、心臓に欠けがあるため冥界に入る審判を受けられない、といいわたされます。セティは自分自身で欠けた心臓を取り戻すために地上に舞い戻るのですが、当然ながら、生命力が十分ではないため、期限は3日しかありません。セティが調査を進める中で、もうひとつの大きな謎に直面します。というのは、棺に収められた先王のミイラが、密室状態であるピラミッドの玄室から消失し、外の大神殿で発見されます。これは、先王が唯一神アテン以外の信仰を禁じたため、その葬儀が否定したことを意味するのか、あるいは、アテン神の進行が間違っているのか、王宮でも、巷でも、信仰に基づく大混乱が生じます。タイムリミットが刻々と迫るなか、セティはピラミッド作りに駆り出されている奴隷の異国人少女カリなどの助力を得つつ、エジプトを救うため奮励努力するわけです。そして、先王のミイラが玄室から消失して外部に現れた謎は、何と申しましょうかで、まあまあそれなりに解けるのですが、セティ自身がナイフを突き立てられて死んだ謎には大きなどんでん返しが待っています。ちょっと私もびっくりしました。繰り返しになりますが、特殊設定ミステリであり、そのために少しファンタジーっぽい仕上がりになっています。そして、古代エジプトが舞台ですし王宮を巻き込んだ壮大なドラマともいえます。そういった要素が好きなミステリファンに大いにオススメします。
次に、津村記久子『水車小屋のネネ』(毎日新聞出版)を読みました。著者は、小説家であり、2009年に「ポトスライムの舟」で第140回芥川賞を受賞しています。もう15年も前ですが、「ポトスライムの舟」は私も読みました。この作品は毎日新聞丹連載されていたものを単行本に取りまとめています。ということで、物語は1981年に始まり、1991年、2001年、2011年、2021年と10年おきに40年間を追います。最初の1981年、山下理佐は高校を卒業したばかりで、その10歳年下の妹である山下律は小学2年生から3年生に進級するところ、この2人の姉妹が家を出て独立した生活を始めるところからストーリーが始まります。どうして2人が家を出たかというと、それまで姉妹は離婚した母親と3人で暮らしていたのですが、母親に婚約者が現れて、山下理佐の短大進学のための入学金をその婚約者の事業資金に充てて、理佐が進学できなくなってしまった上に、妹の律が母親の婚約者から虐待されるからです。そして、山奥のそば屋で理佐が働き、住居も斡旋されて引越すわけです。そば屋では挽きたてのそば粉を使ってそばを作っているという評判で、そのそば粉を石臼で挽いている水車小屋があり、貴重な石臼が空挽きにならないように、そばの実が尽きると「空っぽ!」と叫ぶ賢いヨウムが飼われていて、そのヨウムがタイトルのネネです。ヨウムは50年ほど生きるといわれているらしく、姉妹が引越した時に10歳くらい、そして、エピローグの2021年には、ほぼほぼヨウムの平均寿命である50歳くらいに達している、という設定です。ある意味、とても奇妙に見えかねない姉妹が田舎の方で地域に溶け込み、姉は結婚し、妹がいったん大学進学を諦めながらも、働いて大学進学に必要な金額を貯めて大学進学を果たして就職する、などなど、必要な場面はとてもていねいに表現し、逆に、不必要なシーンは適当にカットし、決してストーリーを追うだけでなく、表現の美しさも含めて、とても上質な小説に仕上がっています。特に、カギカッコを使った直接話法と間接話法の書分け、律が幼少時にはひらがなで表現し、長じては漢字にする話法、などなど、表現の巧みさには舌を巻きました。ストーリーとしては、決して恵まれた家庭環境にない姉妹、また、類似の境遇の登場人物に対して、周囲の心温かな人々がさまざまな面から支援し、家族のあるべき形、あるいは、まあペットというには少し違うのかもしれませんが、ネネも含めた家族や仲間の重要性、緩やかな時間の流れ、都会にない自然の美しさ、などなどとともに、大学教員の私からすれば、教育と学習の重要性を深く感じさせる作品で、繰り返しになりますが、とても上質の仕上がりです。最初に書いたように、10年おきのストーリーですが、一見して理解できるように、最後の方は2011年は東日本大震災、2021年はコロナ、とまだ記憶に新しい時代背景も盛り込まれています。この作者特有のやや皮肉の効いたところ、不自然あるいは不穏当なところが影を潜めているのは、私には少し残念ですが、それを逆に評価する読者もいるかも知れません。私にとっての最大の難点は、ネネの好きな音楽がいっぱい登場するのですが、モダンジャッズ一辺倒の私にはほとんど馴染みがなかった点です。でも、私の大したこともない読書経験ながら、今年の純文学のナンバーワンの作品でとってもオススメです。
次に、藤崎翔『みんなのヒーロー』(幻冬舎文庫)を読みました。著者は、芸人さんから小説家に転じたミステリ作家です。あらすじは、かつては特撮ヒーローのテレビ番組で主役を演じた主人公の堂城駿真は、今ではすっかり落ちぶれた俳優となっています。ある日、大麻を吸わせる店でセフレの女優と大麻をキメた後、帰り路で泥酔して道路に寝ていた老人を轢いて逃げてしてしまいます。警察の追求におびえていましたが、彼の熱狂的なファンである山路鞠子がその現場の動画を撮影していて、それを基に結婚を迫られます。その熱狂的なファンの山路鞠子が、何とも、ルッキズムに否定的な世の中とはいえ、飛び切り見た目が悪いわけです。でも背に腹は変えられず、堂城駿真は山路鞠子と結婚します。その歳の結婚に至るストーリーを山路鞠子が創作するわけですが、それを世間が評価してしまって、カップルでテレビ番組に出演したりして、まあ、芸人と同じパターンで堂城駿真が山路鞠子とともに売れ出してしまいます。コマーシャルも含めて収入も激増したりします。当然、結婚したわけで子供が出来ることになります。そのころ、堂城駿真は芸人枠ではない俳優として売れ出します。しかし、それほど人生が甘いわけでもなく、いろんな紆余曲折を経て、この作者らしくストーリーが二転三転します。ミステリですので、あらすじはこのあたりまでとします。この作者らしく、ストーリーが「波乱万丈」するだけでなく、表現も軽妙でスンナリと耳に入ってきます。実は、図書館の予約の関係で、出版順では同じ作者の『お梅は呪いたい』の前に、この作品を読んでしまいましたが、まあ、読む順はそれほど関係なさそうな気がします。時間潰しの読書にはぴったりです。
次に、マーク・コラジョバンニ & ピーター・レイノルズ『挫折しそうなときは、左折しよう』(光村教育図書)を読みました。著者として上げておきましたが、文章をマーク・コラジョバンニが、絵をピーター・レイノルズが、それぞれ担当しているようです。そして、ついでながら、邦訳は米国イェール大学助教授の成田悠輔です。はい、お聞き及びの読者も少なくないと思いますが、昨年あたりに日本の少子高齢化問題をめぐって、「高齢者は老害化する前に集団自決、集団切腹みたいなことをすればいい」などの発言を繰り返し、ニューヨーク・タイムズなどの海外メディアも含めて、大いに批判されたのは記憶に残っている人も多いと思います。なお、英語の原題は When Things Aren't Going Right, Go Left であり、2023年の出版です。挫折と左折を組み合わせたタイトルですが、秀逸な邦訳だと思います。絵本の主人公、というか、たった1人の登場人物はやや年齢不詳ながら小学校高学年から中学生くらいの男の子です。うまくいかない時、その原因として心理的なものをいくつか上げています。すなわち、モヤモヤする悩み、オロオロする心配、ビクビク、イライラ、の4つです。それらを地面に置きてきたのですが、家への帰り道で左折し続けるとイライラが小さく、ビクビクは静かで、オロオロは落ち着いて、モヤモヤはいないも同じ、という状態になっていたので連れて帰ることにします。大きな教訓はタイトル通りであり、「挫折しそうになったら左折する」、あるいは、「電源オフ」という表現も使っていたりします。私が知る範囲では、昨年から今年にかけてそこそこはやった絵本だと思います。絵本ですから対象年齢層は低いのかもしれませんが、私のような60歳を大きく超えた大人でも十分楽しめ、また、タメになる絵本です。
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