8月最初の今週の読書は小説ばかりで計7冊
今週の読書感想文は以下の通りです。
何と、経済書や教養書はまったくなく、小説ばかりで計7冊です。新訳の『老人と海』や新版の『百年の孤独』も読みました。
今年の新刊書読書は1~7月に186冊を読んでレビューし、8月に入って今週は7冊を取り上げたので、合わせて193冊となります。目標にしているわけでも何でもありませんが、年間300冊に達する勢いかもしれません。なお、Facebookやmixiのブックレビューなどでシェアする予定です。
まず、夕木春央『サロメの断頭台』(講談社)を読みました。著者は、ミステリ作家です。現代モノの『方舟』で注目され、続く『十戒』は、私にはピンと来ませんでしたが、本書は大正時代を舞台とし、蓮野と井口のコンビを主人公とするシリーズです。ハッキリいって、私が高く評価する方のシリーズといえます。知っている人は知っていると思いますが、蓮野がホームズの役回りで探偵として謎解きをこなし、井口がワトソン役でストーリーは主として井口の視点から記述されます。あらすじは、その昔に井口の祖父が購入した置き時計を買い戻す件で、来日していたオランダ生まれで米国在住の大富豪のロデウィック氏から、井口の未公表の作品とそっくりな絵画を米国で見たと知らされます。井口が所属する芸術家グループである白鷗会のメンバーによる組織的な贋作政策の疑いがかかる中で、その問題の井口の作品のモデルとなった舞台女優が演じたワイルドの戯曲「サロメ」に見立てた連続殺人事件が起こります。ミステリですので、あらすじはここまでとします。謎解きは2段階に設定されていて、まず、殺人者は誰なのかの whodunnit があり、そのバックグラウンドとなる動機 whydunnit も、ともに蓮野が解明します。私は頭の回転が鈍いので、whodunnit も whydunnit も考えもつきませんでしたが、おそらく、後者のほうが謎、というか謎やその背景となる闇が深そうな気がします。とても大がかりで複雑なプロットの連続殺人であると感じましたし、ラストは凄惨です。タイトル通りに断頭台=ギロチンも登場したりします。
次に、東野圭吾『ブラック・ショーマンと覚醒する女たち』(光文社)を読みました。著者は、日本でも有数の売れっ子のミステリ作家であり、湯川教授を主人公とするガリレオのシリーズが有名なのですが、本書は米国でも活躍したという元マジシャンの神尾武史を主人公とするシリーズ第2弾です、ちなみに、第1弾は『ブラック・ショーマンと名もなき街の殺人』でした。コチラも私は読んでいます。前作が長編であったのに対して、本書は6話からなる短編集です。主人公の神尾武史は恵比寿の近くで「トラップハンド」というバーのマスターをしています。前作でも登場した姪の神尾真世も随所に登場しますが、ややソンな役回りをさせられています。収録順にあらすじを紹介します。まず、神尾武史がマスターを務めるバーの名と同じ「トラップハンド」では、第6話でも登場する陣内美菜は婚活サイトで知り合った男性の「査定」を神尾武史にしてもらうべく、その男性とトラップハンドに来たのですが、神尾武史の機転、というか、適確な査定のお陰でとんでもない出来事から逃れます。「リノベの女」では、後妻に入った後、莫大な遺産を相続した上松和美がリノベを建築士の神尾真世に依頼し、トラップハンドを打合せの場所とします。しかし、そのリノベ依頼者の兄が打合せに乱入し、とんでもない事実が明るみに出たりします。「マボロシの女」では、妻子ある歯科医でジャズのウッドベース奏者でもある高藤智也と不倫関係にあった火野柚希なのですが、高藤智也が交通事故で亡くなります。その後、不倫相手ロスに陥った火野柚希が訪れたトラップハンドで、神尾武史から智也の知られざる過去を聞かされることになります。「相続人を宿す女」では、老夫婦の冨永夫妻から神尾真世に対して、交通事故で亡くなった息子の富永遥人が住んでいたマンションのリノベの依頼があるのですが、富永遥人の元妻が妊娠していてお腹の子に相続権がある可能性が示唆されます。「続・リノベの女」では、老人ホームのスタッフである石崎直孝が、入居者の末永久子から自殺したと聞き及んでいる娘の奈々恵を見たという知人の連絡を基に、その娘をを探して欲しい、と依頼を受け、知人が目撃した近くのトラップハンドを訪れます。最後の「査定する女」では、IT起業家の栗塚正章からリノベの依頼を受けた神尾真世が高級家具のショールームを訪れると、婚活サイトで知り合った男性の査定を繰り返している陣内美菜がスタッフとして現れ、無事に神尾武史の査定でも高評価を得た栗塚正章が陣内美菜を誘って結婚までたどり着くかと思われましたが、大きなどんでん返しが待っていました。ということで、大がかりなトラップがお好きな読者には最後の「査定する女」がオススメです。他方、何ともいえない人間的な温かみのあるストーリーを愛する読者には「相続人を宿す女」がオススメです。東野圭吾作品のうちガリレオのシリーズも短編と長編が混在しますが、このブラックショーマンのシリーズも短編と長編があり、あくまで私の好みながら、どちらのシリーズも私自身は短編作品が好きです。
次に、一穂ミチ『ツミデミック』(光文社)を読みました。著者は、ミステリもモノにする小説家です。この作品は、ご存じの通り、第171回直木賞受賞作です。全部で6話から編まれている短編集です。コロナの時期をカバーしていて、タイトル通りに、罪に関する短編が多いのですが、必ずしも違法行為や犯罪とは限りませんし、私から見て罪には当たらない、あるいは、罪というよりはファンタジーに近いと感じる作品もありました。モロの幽霊が主人公の作品も含まれています。ということで、収録順にあらすじは以下の通りです。まず、「違う羽の鳥」では、大阪出身で大学を中退して居酒屋の呼び込みバイトをしている20歳の及川優斗が主人公です。バイト中に派手な格好の女性から逆ナンされるのですが、その女性は死んだはずの中学校の同級生である井上なぎさを名乗ります。「ロマンス☆」では、4歳の子供さゆみを持つ母親のゆりが主人公です。さゆみを連れて歩いていると、自転車に乗ったフードデリバリーサービスのイケメンとすれ違います。フードデリバリリーを無駄遣いであるとして好意的でない夫に隠れて、百合はイケメンと再会しないかと心待ちにして、ゲームでガチャを引くようにフードデリバリーを頼み続けます。「憐光」では、15年前の豪雨による水害で死んだ当時の女子高校生である松本唯の幽霊が主人公です。白骨が発見されたことを期に、高校の同級生の友人と担任の先生が実家を訪れるのに、幽霊としてついて行きます。そして、自分の死に関する真実を知ることになります。「特別縁故者」では、コロナ禍で失業した料理人の卜部恭一が主人公です。息子の隼が近所の金持ちのおじいさんに世話になったきっかけで、そのじいさんの特別縁故者になり、大金を得ることを目論みます。「祝福の歌」では、17歳の高校生の娘である菜花が妊娠したことに心を悩ませる父親の達郎が主人公です。実家の母親からマンションのお隣さんについて相談されます。妊娠して大きなお腹で、近く子供を産む予定だった奥さんの様子がおかしくなっていきます。「さざなみドライブ」では、SNSで知り合って自殺を図るグループの一員となった「キュウリ大嫌い」なるハンドルネームの男性が主人公です。自殺決行予定の場所にグループが着くと、すでに自動車が駐車していてドアに目張りまでしていたりします。結局、自殺を思いとどまることになります。ということで、私の読解力が不足しているのかもしれませんが、ハッキリいって、直木賞の水準の達しているのかどうか、やや怪しい気がしました。ここ数年の直木賞の中では、私は『熱源』が出色の出来であったと考えていますが、本書はとうていそのレベルには達しません。しかも、この作者の小説の中にはもっといい出来の作品があるような気がします。
次に、石田祥『猫を処方いたします。』と『猫を処方いたします。 2』(PHP文芸文庫)を読みました。著者は、小説家なのですが、この2冊は私は初読でした。しかも、遅読の私では当然なのですが、すでにシリーズ3作目も出版されていたりします。ちなみに、1冊目の『猫を処方いたします。』は2023年度の京都本大賞受賞作です。ですので、舞台は京都です。中京こころのびょういんにまつわる、実に不思議な物語、短編集です。シリーズ第1冊目には5話、シリーズ2作目には4話の短編が収録されています。中京こころのびょういんは、30前後の男性医師がニケ先生、20代半ばの女性看護師が千歳さん、ということになります。ニケ先生は心療内科ではないと否定していますが、心療内科に行くような、少し心を病み加減の人が行くびょういんです。そして、患者にはタイトル通りに猫が処方されます。猫を処方された患者はびっくりしますが、猫のあまりの可愛さに戸惑いながらもお世話をして癒やされ、少しずつ自分達も問題を解決できたり、場合によっては、周囲も巻き込んだ形でよい方へ変わっていく、という短編が収録されています。ただ、中京こころのびょういんが謎につつまれています。少しずつ明らかにされていくのですが、第2巻まででは全貌はまだ知れません。名前にヒントがあるようで、ニケというのは保護猫センターで働いている副センター長が飼っている猫の名前です。千歳というのは祇園の芸妓さんが飼っていて行方不明になった猫の名前です。未読はありますが、第3巻以降で謎解きがなされるのかも知れません。ということで、この小説にちなんで、猫の飼い方について少し考えました。すなわち、私は東京では集合住宅に住んでいたのですが、今では、東京だけでなく関西でも、そこそこのマンションでは小動物を飼うことは許容されているところが多いような気がします。ただ、本書にも見られるように、一戸建てでない集合住宅では、部屋飼いで外には出さない場合が多いような気がします。私は大学を卒業するまで暮らしていた両親の家では猫を飼っていた経験があります。一戸建てでしたので部屋飼いではなく、自由に外を行き来していました。私は、実は、猫を飼えるとすれば、こういった猫の自由に家の内外を行き来できるような環境の方が好ましいのではないか、と考えています。その根本はJ.S.ミルの『自由論』です。『自由論』では、あくまで、ナチュラルに生きることを重視していて、例えば、植物を剪定したトピアリーなどに対して大いに批判的です。私には、どうしても、現在の日本の特に集合住宅での猫の飼い方、外に出さない部屋飼いで、例えば、ノミなんかも完璧に駆除してあり、往々にしてメス猫については避妊手術すら済ませているような飼い方が、このトピアリー的でやや不自然な飼い方であるように思えてなりません。でも、現実問題として、そういったトピアリー的な飼い方の方が、猫の方も飼い主の方も幸福度が高いのだろうという点は理解していて、決して、こういう飼い方をしている飼い主さんを批判する気はありません。ただ、逆に、そういうトピアリー的な飼い方しか出来ないのであれば、私は諦らめた方がいいのだろうと受け止めています。本書を読んでいて、現代的な猫の飼い方についてまで考えが及んでしまいました。
次に、ヘミングウェイ『老人と海』(角川文庫)を読みました。著者は、世界を代表する小説家です。英語の原題は The Old Man and the Sea であり、1952年の出版です。本書の功績により1953年にピュリツァー賞を受賞し、本書ほかの文学的な貢献により1953年にノーベル文学賞を受賞しています。本書は越前敏弥さんによる新訳であり、今年2024年1月に出版されています。登場人物はわずかに2人だけといえます。老漁師サンティアーゴと彼を慕う若者、マノーリンです。舞台は地上ではキューバのハバナですが、サンティアーゴが漁に出て多くの時間を過ごすのはカリブ海です。前半はマノーリンとサンティアーゴを中心とするハバナでの活動を追います。後半は、長らく、というか、84日間も魚が獲れなかったサンティアーゴが大物カジキと長時間に渡る格闘の末に釣り上げますが、漁港への帰路に次々とサメが襲撃し、銛やナイフも失い、カジキのほとんどを食い荒らされて帰港します。訳者あとがきで、今回の新訳では、ヘミングウェイの使った "boy" の訳に心を砕いたと表明しています。どう訳されているかは読んでみてのお楽しみですが、従来の邦訳本では「少年」とされていたようです。越前さんは年齢の想定とともに新訳語を充てています。私は邦訳者である越前さんの見方に賛成で、それは何かというと、ヘミングウェイのこの作品のバックグラウンドにはスペイン語の表現があるのだろう、という想定です。英語の "boy" をスペイン語に直訳すれば "muchacho" ということになりますが、少し年齢の想定を上げれば "joven" という可能性もあります。"joven" に当たる英語は私は不勉強にして知りません。あえていえば、"young man" かもしれませんが、そんな英語は聞いたことがありません。でも南米スペイン語圏では "muchacho" も "joven" もどちらもよく使います。ただ、絶対的な年齢のレンジで使うのではなく、相対的な年齢差でも使うような気がします。小中学生から高校生くらいまでであれば "muchacho" でしょうし、単純に絶対年齢を当てはめれば、20代なら "joven" となります。でも、私くらいの60歳をとうに過ぎたジーサンからすれば、30代やアラフォーに対しても "joven" でよさそうな気もします。難しいところです。でも、この越前訳の『老人と海』はオススメです。ぜひ、多くの方に手に取って読んでいただきたいと願っています。
次に、ガブリエル・ガルシア=マルケス『百年の孤独』(新潮文庫)を読みました。著者は、コロンビア生まれの小説家であり、主として本書による文芸上の貢献により1982年のノーベル文学賞を受賞しています。原書はスペイン語、原題は Cíen Años de Soledad であり、1967年の出版です。邦訳書は最初に1972年に新潮社から出版されています。今年2024年6月に新潮文庫から新装版が出版されました。おそらく、古今東西オールタイムベストの100冊に入ると考えるべき古典的名作小説です。私はすでに、新潮社の邦訳版とスペイン語の原書を読んでいます。30年以上も前の1990年代初頭に、在チリ大使館書記官を拝命して、日本橋丸善で高価な洋書を買ってチリに持ち込みました。でも、現地では非常に廉価なペーパーバックが1ケタ違いの安価な価格で売られていてガッカリした記憶があります。ということで、コロンビアの、おそらく、架空の集落であるマコンドを舞台にするブエンディア一家の物語です。すなわち、ホセ・アルカディオ・ブエンディア大佐とウルスラ・イグアランを始祖とするブエンディア一族が、コロンビアであろうと想定される南米のある場所に蜃気楼の村マコンドを創設します。そして、マコンドはさまざまな紆余曲折がありながら、もちろん、一時は隆盛を迎えながらも、やがて滅亡に至ります。その100年間を鋭い筆致で描き出しています。宗主国であるスペインに、そして、本国政府に、そういった権威に対して反逆し、抵抗を続けながらも、繁栄する街を築き上げ、しかし、結局は、権威筋に滅亡させられるわけです。私は南米に3年間住んで外交官の仕事をしていましたが、私が勤務していた大使館のあるチリには、当時1990年代初頭までに2人のノーベル文学賞受賞者がいました。1945年戦後直後にノーベル賞が復活した際の最初の受賞者は、チリの情熱的な女性詩人であるガブリエラ・ミストラルです。まあ、日本でなぞらえれば与謝野晶子のような存在です。この女性は別としても、1971年にノーベル文学賞を受賞し、ピノチェト将軍によるクー・デタ直後の1973年に亡くなったパブロ・ネルーダは、アジェンデ大統領から駐仏大使に任命されており、明らかに左翼連立政権支持者でした。ネルーダの死因については、毒殺されたとも報じられています。本書の作者のガルシア=マルケスもそうです。バリバリの反逆者、反体制派の左翼といえます。そして、本書では、都市としてのマコンドの盛衰とともに、ある意味で反逆者のカテゴリーに入るホセ・アルカディオ・ブエンディア大佐の一族から、何と、法王を輩出するという夢の実現を目指す物語でもあります。私の勝手な解釈でよければ、現在のフランシスコ法王はこれを実現した、と考えるカトリック教徒がいても不思議ではありません。繰り返しになりますが、世界を代表する名作小説です。私のようなラテンアメリカでの勤務経験者ではない多くの日本人には難解な部分もありますが、ぜひ、多くの方に手に取って読んでいただきたいと願っています。
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