今週の読書は経済書からホラー小説まで計6冊
今週の読書感想文は以下の通りです。
今年の新刊書読書は1~6月に160冊を読んでレビューし、7月に入って計20冊をポストし、合わせて180冊となります。目標にしているわけでも何でもありませんが、年間300冊に達する勢いかもしれません。なお、Facebookやmixi、あるいは、経済書についてはAmazonのブックレビューなどでシェアする予定です。
まず、北村周平『民主主義の経済学』(日経BP)を読みました。著者は、大阪大学感染症総合教育研究拠点特任准教授ということらしいのですが、学位の方はストックホルム大学国際経済研究所で経済学のPh.D.を取得していますので、まあ、エコノミストと考えてよさそうです。本書では、新しいタイプの政治経済学を取り上げていて、それが民主主義を分析しています。本書が解き明かそうと試みている民主主義のうちの決定についてはとてもわかりやすく上手に解説しています。数式がかなり多くて、数式を見ただけでアレルギーを起こしかねない読者には不向きかもしれませんが、ちゃんと読めば数式もそれほど難解なものではありません。政治の決定プロセスを経済学的手法を用いて分析しようとしていますので、経済学に関心ある向きにも、政治や民主主義、あるいは、広く市民運動などに関心ある向きのも、どちらにも安心しておすすめできる良書です。ということで、私なんかの狭い了見では、政治経済学といえばかなりの確度でマルクス主義経済学に軸足のある経済学であり、特に、国際政治経済学となればほぼほぼマルクス主義経済学確定、というカンジなのですが、本書はそうではなく主流派経済学の分析手法により民主主義を考えようと試みています。ですので、民主主義における決定の基本となる選挙を考える際に根幹となるのは、どうしても、ダウンズの「中位投票者定理」になります。政策についても、本書では登場しませんが、ホテリングのアイスクリーム・ベンダー問題のような解決策と考えて差し支えありません。すなわち、ここでは単純に左翼と右翼という表現を用いるとすれば、選挙では真ん中あたりの中道に位置する中位投票者がキャスティングボードを握る、ということです。左翼と右翼でなくても、プランAに強く賛成のグループと強く反対のグループを考えても同じです。明確に賛成と反対のどちらかが賛同者大きいとすればともかく、賛成でも反対でもどちらでも大きな利害関係内容なグループの動向が決定権を持ちかねないわけです。これに加えて、本書でが因果推論の成果を取り入れて、因果関係から政策評価を試みる方法を解説しています。それ自体はありきたりですが、ランダム化比較実験(RCT)、回帰不連続デザイン(RDD)、操作変数法(IV)、差の差法(DID)です。ほぼほぼ完全に経済学の手法といえます。というか、私はそう考えています。本書では、こういった経済学の考えや手法を基本にして民主主義の決定について分析しています。ただ、注意すべきは、決定過程であって、議論の展開と関係ない最終的な投票行動の分析が中心になります。ですので、ディベートで相手の議論を否定したり、といった点は本書には含まれていません。もうひとつ、私が重要と考えているのは民主主義と経済の関係です。すなわち、前世紀末から今世紀初頭に中国のWTO加盟を議論した際、中国を世界貿易に取り込むことから中国は経済的に豊かになることが軽く予想され、この前段は達成されたといえます。そして、後段では経済が豊かになると権威主義から民主主義的な要素がより受け入れられやすくなる、という予想がありました。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)パンデミックによる撹乱があったとはいえ、現在の習体制は民主主義からむしろ遠ざかっているようにすら見えます。民主主義と経済の関係については、同じ中国語圏でもシンガポールや台湾については経済発展とともに民主化が進んでいるように見えますが、メインランド中国ではそうなっていません。ロシアも権威主義的傾向を強めている印象がありますし、南米のいくつかの国でも民主主義が後退している可能性があると私は受け止めています。日本では、明らかに経済の停滞とともに民主主義が後退しています。安倍内閣のころから権力者は法の支配の外に置かれて、何をやっても問答無用であり、虚偽発言を繰り返しても国民がそのうちに忘却する、という流れが続いています。直近では兵庫県知事がそうです。こういった民主主義と経済の関係は、基本的に無相関であると考えるべきなのか、本書では正面から議論していませんし、私にしても理解が進みません。
次に、南彰『絶望からの新聞論』(地平社)を読みました。著者は、朝日新聞政治部ご出身のジャーナリストであり、現在は朝日新聞を退職して沖縄の琉球新報の記者です。ということで、1年半ほど前の昨年2023年2月に鮫島浩『朝日新聞政治部』(講談社)を読んでレビューしていますが、基本的に同じようなラインのノンフィクションです。まず、印象的だったのが、朝日新聞経営陣の腰の引けた報道・編集方針です。政権に楯突く反対論に対して、ネットでの炎上を警戒して極度に慎重姿勢を取り、政権や権力に対して融和的な編集方針を本書では強く批判しています。まさに、メディアのサイドでの「忖度」といえます。さらに進んで、朝日新聞だけでなく、というか、むしろ、朝日新聞は国内メディアの中でも政権との緊張感高い方のメディアだと私は考えるのですが、その朝日新聞だけではなく国内メディアの政権や権力者との距離感についても強い疑問を呈しています。本書タイトルにある「絶望」は私を含めて多くの日本人も共有しているのではないかと思います。この「絶望」は朝日新聞だけではなく、メディアにとどまることだけでもなく、すべての日本人に関係する「絶望」なのだと思います。私自身は、ミレニアムの2000年紀が明けてからの日本は、少なくとも、民主主義や政治という面で確実に劣化していると考えています。大きな原因は経済の停滞です。経済が停滞する中で経営者サイドから労働者や組合に対する支配の強まりが始まり、それが民主主義を劣化させて政治の迷走を生み出していると思います。もちろん、政治家リーダーとして総理大臣を経験した小泉・安倍といった政権担当者の名を上げることも出来ますが、そういった総理や権力者が独走して日本を劣化させたのではないと私は考えています。経済的な停滞にもかかわらず、利潤追求という経済学的な合理性に基づく行動を取る中で、労働組合組織率に端的に現れるように雇用者サイドの力量が弱まり、同時に、政治のサイドでも雇用者に振りで経営者に有利な派遣労働に関する制度的な変更がなされたこともあって、雇用者が過酷な労働条件を行け入れざるを得なくなり、一定割合の雇用者が正社員のステータスを失って非正規に移行してしまったことから、民主主義を支えるための時間的な余裕がなくなり、もちろん、心理的な圧迫感とともに民主主義の劣化につながったのが基本的なラインであると私は考えています。加えて、議会における反対党勢力も劣化しています。一度は政権交代に成功しながら、誤った、あるいは、不十分な政策対応で総選挙1回という短期間で政権を手放しただけでなく、野党政権に対する極めて不面目な印象を国民に植え付けてしまいました。メディアの劣化については本書で詳しく展開されています。現在の政権与党では政治改革がホントにできるかは不透明ですし、少なくとも経済政策を国民目線で策定する能力はほとんどなく、大企業に有利な方向でしか経済政策は運営されないおそれが高いと私は危惧しています。本書は、日本の国としての劣化をメディアのサイドから追っているオススメの本だといえます。
次に、丸山正樹『夫よ、死んでくれないか』(双葉社)を読みました。著者は、小説家です。ミステリが得意分野なのかもしれません。30代半ばの女性3人、主人公の甲本麻矢、大学時代の友人の加賀美璃子と榊友里香が主要な登場人物です、まず、甲本麻矢は大手の不動産会社勤務、結婚後5年を経過して寝室を別にしたセックスレスで夫婦の間は冷え切っています。加賀美璃子はフリーランスの編集者・ライターで、離婚を経験したバツイチです。榊友里香は結婚7年目の専業主婦で、3人の中で唯一の子持ちで娘がいます。亭主の榊哲也を「ガーベ」=garbageと呼んでいます。まあ、いろいろとあるのですが、榊友里香が亭主のガーベを突き飛ばして亭主の榊哲也が「逆行性健忘」という記憶障害になってしまいます。榊友里香は甲本麻矢と加賀美璃子を呼び出して、亭主の榊哲也を殺害しようと試みますが、結局、決行には至りません。他方、榊哲也は最近10年ほどの記憶を失っただけではなく、人格的にも穏やかな好人物になるのですが、記憶障害が回復する可能性はあると医師から告げられます。そして、主人公の甲本麻矢の方でも事件が起こります。夫の甲本光博が失踪してしまうのです。香水の香りなどから不倫している女性の存在が疑われます。甲本麻矢の勤務先には失踪の事実を伏せていたのですが、職場の後輩の鳥居香奈から雰囲気が少し変わったのではないか、と指摘を受けてしまいます。鳥居香奈はバリキャリの甲本麻矢に憧れていて、仕事でも目標にされています。他方、失踪中の甲本光博から甲本麻矢にメールが送られてきて、何と、甲本光博と加賀美璃子のツーショットの写真が添付されていました。しかし、甲本麻矢が加賀美璃子に確認して、不倫ではないと判断します。そこで、甲本麻矢は亭主の失踪の原因を探るためにパソコンのパスワードのロックを解除して起動したところ、甲本麻矢の亭主の甲本光博と榊哲也のつながりが浮かび上がります。そうこうしているうちに、榊哲也が逆行性健忘から回復し、すべてを思い出して、殺害の決行は思いとどまったものの、救急への連絡をひどく遅らせた点などから、甲本麻矢と加賀美璃子に慰謝料を請求しようとします。そのころ、甲本麻矢は業界トップ企業にヘッドハンティングの誘いがあり、榊哲也にまつわるスキャンダラスな出来事を考慮して断ります。で、最後の最後に、こういった一連の出来事の謎が解き明かされます。ということで、あくまで一般論ながら、本書のように夫に死んでほしいと考えている妻がいっぱいいる一方で、逆に、妻に死んで欲しいと願っている夫もかなりいるんではないか、という気がしています。
次に、マイク・モラスキー『ピアノトリオ』(岩波新書)を読みました。著者は、米国のセントルイス生れで、今年2024年3月まで早大の研究者をしていて、現在は名誉教授です。同じ出版社から、昨年2023年に『ジャズピアノ』上下巻を上梓し、第74回芸術選奨文部科学大臣賞を受賞しています。ご当地には県立図書館で所蔵していて、私も興味分野だけに読もうかと考えないでもなかったのですが、諦めた記憶があります。ということで、ややお手軽な新書版で本書を読んでみました。第1章の導入部分のピアノトリオの聞き方から始まって、やっぱり、第2章からがメインとなり、モダンジャズ初期の名演から最近時点までの演奏が網羅的に取り上げられています。ただ、本書でも明記しているように、あくまでピアノトリオですので、ソロやカルテットより大きなコンボでの演奏が主となっているピアニストは入っていません。例えば、セロニアス・モンクとか、ハービー。ハンコックです。私も50年をさかのぼる中学生や高校生のころからモダンジャズを聞きはじめ、いかにも日本人的に最初はコルトレーンから入りました。しかし、いつのころからか、コルトレーンを聞くには前日から十分な睡眠を取って体調を整え、気合十分の体制でないと聞けなくなってきて、今ではピアノトリオ中心に聞くようになっています。私自身の音楽の聞き方としては、リラックスや癒やしではなく、緊張感を高めて仕事やスポーツなんかに臨む、というカンジで聞いています。知り合いとお話していて、そういう音楽の聞き方はレアケースではないか、と指摘され、確かに、以前はそういう聞き方をするのは軍歌ぐらいと思わないでもなかったのですが、テニスプレーヤーの錦織圭がヌジャベスの音楽を試合前に聞いているとインタビューで答えたりしています。試合に対する集中力を高めるというよりは、心穏やかに落ち着くためのようですが、緊張感を高める音楽の聞き方があってもいいと私は考えています。コルトレーンはまさにそういうアルバムを多く残しています。ピアノトリオのモダンジャズも、決してBGMとして流すだけではなく、いろんな聞き方ができるという点を本書でも強調しています。第1章では、ユニゾン奏法、ブロックコード、ロックハンド奏法などのピアノテクニックにも言及しています。誠に残念ながら、日本人ピアニストは小曽根真や上原ひろみに言及ありますが、演奏は取り上げられていません。後、モダンジャズですので、どうしても米国中心になるのは理解できますが、欧州のジャズももう少し取り上げて欲しかった気もします。エンリコ・ピエラヌンツィなんて、いい演奏をいっぱい残しています。最後に、ピアノではありませんが、先週の9月7日にテナーサックス奏者のソニー・ロリンズが誕生日を迎えています。1930年生だそうです。本書でも言及されていますが、ジャズプレーヤーには薬物使用や荒れた生活で早世する人が少なくなく、自動車事故でなくなる人もずいぶんといます。そういった中で、90歳を大きく超えているのは少しびっくりです。
次に、スティーヴン・キング『死者は嘘をつかない』(文春文庫)を読みました。著者は、私なんぞがいうまでもなく世界のホラー小説の大御所です。本書は、作家活動を開始してから50周年を祈念した第3弾となります。文庫オリジナル長編だそうです。なお、第1弾が『異能機関』上下、第2弾が『ビリー・サマーズ』、そして、本書に続く第4弾の日本独自中篇集『コロラド・キッド 他2篇』も今月9月に入って刊行されています。まあ、私はキングをコンプリートに読むほどのファンではありませんから、暑い時期の怪談話というわけではないものの、適当につまみ食いして読んでいるわけです。なお、英語版の原題は Later であり、2021年の出版です。ということで、ニューヨーク、ないしその近郊を舞台とし、本書の主人公のジェイミー・コンクリンが22歳の時点で、9歳ころからの自分を振り返るというホラー小説です。語り手のジェイミー自身が何度も、これはホラーストーリーであると繰り返しています。そして、ジェイミーには死んだ人が見えて、会話を交わせたりするわけです。ジェイミーの家族はシングルマザーの母親であるティア・コンクリンだけであり、ティアの兄でありジェイミーの叔父であるハリーが若年性認知症を発症して、ティア・コンクリンが文芸エージェントの仕事を引き継いでいます。ティアの同性のパートナーはニューヨーク市警の刑事であるリズ・ダットンです。主人公のジェイミーは死者が見えて、会話が交わせますので、大人の事情によりその「能力」が利用されてしまったりします。すなわち、隣室の老夫婦の奥さんが亡くなった折に、亡くなったミセス・バーケットの指輪のありかを聞き出したりするまではよかったのですが、徐々に少年には荷の重い死者との対面を強いられるようになります。まず、文芸エージェントである母親のティア・コンクリンの収入の大きな部分を占めていたクライアント、作家のレジス・トーマスがシリーズ最終巻を書き残して亡くなった直後、すでに死んだ作家から最終巻のあらすじを聞き出すよう母親から要求されます。死者から聞き出した内容を、作家が遺稿を残したことにして、実は、エージェントの母親がジェイミーの聞き出したあらすじからシリーズ最終巻を自分で書いて出版するという運びなわけです。こういった死者と話す際に、なぜか、死者はジェイミーに対して、というか、他の人に対してはいざ知らず、ジェイミーに対しては嘘をつけずに、しかも、どうやら、黙秘を貫く権利もないようです。そして、母親のパートナーである刑事は、結局、不祥事により警察を解雇されるのですが、警察勤務中に、あるいは、警察解雇後に死者から聞き出すよう要求され、大きなトラブルになるというホラーです。最後の最後に、ジェイミーは自分の父親が誰なのかを知ることにもなります。『It』なんかでも感じたのですが、キングがこういった若者や子供を描写するのがとても上手だと思ってしまいました。私は青春小説が好きなのですが、キングは青春小説に優れた作家だと実感できます。
次に、入江敦彦『怖いこわい京都』(文春文庫)を読みました。著者は、京都は西陣で生まれ育った京都人であり、作家、エッセイストです。現在はロンドン在住だそうです。ということで、本書は2010年に新潮社から刊行された単行本に加筆して文庫化されています。かなり加筆して、百物語よろしく99話を収録しています。9章から構成されていて、異形の章では、闇の狛犬、魔像、人喰い地蔵など、伝説の章では、丑の刻参り、狐塚、清滝トンネルの信号など、寺院の章では、血天井、釘抜きさん、化野など、神社の章では、七野神社、天神さん、呪歌など、奇妙の章では、御札、エンササンザ、千躰仏など、人間の章では、京女、タクシー、イケズなど、風景の章では、墓池(一応、念のためですが、「墓地」ではなく「墓池」であって、タイプミスではありません)、古井戸、鬼門など、幽霊の章では、幽霊街道、公衆トイレ、四辻など、妖怪の章では、鵺、土蜘蛛、天狗などが、それぞれ取り上げられています。一部に例外はありますが、基本的にほぼほぼすべてのテーマで具体的な場所や施設が明記されています。例えば、風景の章の墓池は西方寺などです。何といっても、1200年前からの古都であり、神社仏閣、あるいは、それに付随するお墓なんかもいっぱいありますので、京都の怪談話は尽きません。菅原道真なんて讒言により左遷されて怨霊になって京都に舞い戻るわけですから、由緒正しき歴史の深さを感じます。私が公務員をして東京に住んでいたころ、子供たちを卒業させた小学校は南青山にあって、ボーイスカウト活動は乃木神社を拠点とした港18団でしたし、少し歩いて明治通りに出れば東郷神社なんてのがあって、その親分格の明治神宮何かとともに、ひどく新しい神社な気がしました。上野の寛永寺なんてのも、東叡山という山号に示されているように、比叡山延暦寺が京の都の辰巳の鬼門を守るのと同じ趣旨でお江戸の鬼門を守るために、徳川期初期に創建されているのはよく知られた通りです。もちろん、京都にも平安神宮なんてミョーに新しい神社があるのも事実ですが、東京都京都の歴史の長さの違いを実感できます。それだけに、恨みつらみのたぐいも歴史を経て強大化している可能性を和は感じます。もっとも、他方で、本書でも取り上げられている京都の心霊スポットとして、清滝トンネルや東山トンネルは近代に入ってからのスポットです。明らかに、逢坂の関なんかは東海道の一部であって、京都の三条通りからつながっていますので、トンネルではなく山道です。まあ、昔はトンネルなんて掘れなかったわけです。いずれにせよ、私は本書の著者と同じで、いわゆる霊感なんてものをまったく持たず、しかも、基本的に近代物理学で解明できる範囲で生活や仕事をこなしていて、超自然的な現象や存在は視野に入りませんが、こういった歴史を感じる怪談話は決して嫌いではありません。まだまだ暑い日が続く中で、冷気を感じさせる読書をオススメします。
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