今週の読書は経済書をはじめとして計6冊
今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、蓮見雄・高屋定美[編著]『欧州グリーンディールとEU経済の復興』(文眞堂)は、カーボンニュートラルからサーキュラーエコノミーを目指す欧州グリーンディールのファクトをいくつか取りまとめています。森永卓郎『新NISAという名の洗脳』(PHP研究所)は、政府の新NISA=少額投資非課税制度に関する批判とともに、老後のライフスタイルなどを論じています。東野圭吾『架空犯』(幻冬舎)は、『白鳥とコウモリ』に続く五代刑事を主人公とするミステリです。間宮改衣『ここはすべての夜明けまえ』(早川書房)は、100年後の九州の山奥の小さな家に1人で住んでいる主人公が家族史を書くというSF小説です。坂本貴志『ほんとうの日本経済』(講談社現代新書)は、人口減少による日本経済について雇用や職業や仕事の観点から分析しています。ローレンス・ブロック『エイレングラフ弁護士の事件簿』(文春文庫)は、刑事事件専門のエイレングラフ弁護士が依頼人を裁判にかけることなく、破天荒な方法で無罪放免を勝ち取り法外な料金を要求するミステリです。
今年の新刊書読書は1~10月に265冊を読んでレビューし、11月に入って先週までに計28冊をポストし、合わせて293冊、本日の6冊も入れて299冊となります。目標にしているわけでも何でもありませんが、年間300冊を超えるペースであることは明らかです。なお、Facebookやmixi、あるいは、経済書についてはAmazonのブックレビューなどでシェアする予定です。
まず、蓮見雄・高屋定美[編著]『欧州グリーンディールとEU経済の復興』(文眞堂)を読みました。著者は、立教大学経済学部教授と関西大学商学部教授であり、各チャプターの執筆者も大学の研究者となっています。タイトルを目指したご執筆のようですが、前半の欧州グリーンディールについてはEU文書を取りまとめている一方で、後半のEU経済の復興には十分には取り組めていない印象です。前半部分も、一応、欧州グリーンディールそのものが日本的なカーボン・ニュートラルで一息つく中途半端なものではなく、サーキュラー・エコノミーまで見通した演題は成長戦略であるわけですから、もう少し違う取りまとめ方があってもよかったのではないかという気がします。でも、それだけに欧州グリーンディールの全体像を適切に示すのは極めてハードな課題であることを認識させられます。欧州経済の専門家とともに環境経済学の見識も大いに問われるところです。ひょっとしたら、こういった全体像をビジュアル化しつつ適切に取りまとめるのは、大学の研究者とともにコンサルなどが向いているような気がしますが、コンサルの方ではビジネスチャンスがそれなりに適切な規模で確保されないと取り上げないでしょうから、そういった場合に大学の研究者が公共財的な情報取りまとめを行うのは適切なことだろうという気がします。ということで、私が注目したのは第4章の産業戦略としての観点からの分析なのですが、自動車産業の事例については、やや物足りない印象です。EU文書から適宜抜き刷っただけの取りまとめでは、学術書としては不十分と考えるべきです。加えて、ファイナンス関係でも、ECB文書を中心とした取りまとめに終止していて、機関投資家によるグラスゴー金融アライアンス(GFANZ)などには注目していないようです。おそらく、量的にも質的にも、公的機関からの資金というよりも、機関投資家による投資の影響力が無視できないと私は考えていますので、繰り返しになりますが、EUなどの公的機関の文書取りまとめだけでは不十分だと考えるべきです。その上、おそらく、こういった研究書はこれからも出版されることと思いますが、本書はほぼほぼdescriptiveな内容に終止していて、私としてはもっとanalyticalに掘り下げた分析も欲しいと考えます。例えば、本書ではファイナンス行動におけるサステイナブル基準という意味でのタクソノミーの動向を重視していて、それはそれでいいのですが、タクソノミーが割合と注目されたGATTウルグアイ・ラウンドの農業補助金の例なんかと比較しつつ、分析的な視点を提供していただきたいと考えます。しかし、他方で、ほとんど経済学的な小難しい分析、特に計量経済学を駆使した数量分析が含まれておらず、記述的な内容に終止しているだけに、学術書ではなく、さまざまな事実関係を情報として把握したいと考えるビジネスパーソンや実務家にはオススメであり、十分な価値がありそうな気もします。
次に、森永卓郎『新NISAという名の洗脳』(PHP研究所)を読みました。著者は、経済アナリスト・エコノミストです。本書はタイトル通りに、新NISA=少額投資非課税制度に関する批判や警告を主たる中身としていますが、老後生活やライフスタイルに関しても幅広く論じています。私も共感するところが多く、レビューしておきたいと思います。まず、第1章では投資に関する6つの神話を否定しています。その中のひとつについて、私も考えるところがあります。すなわち、分散投資が投資のリスクを回避ないし低下させるかどうか、という論点です。本書では実に的確にも、金融商品2つを持つリスクは単純に2つの金融商品のリスクの積ではなく、さらにその2つの相関係数をかけ合わせた積になる点を強調しています。ですから、相関係数が小さければ、金融商品を2つ持つとリスクが低下するわけです。ただこれには以下のような落とし穴があります。私も授業で取り上げたことがあります。例えば、株価を例に取ると、コカコーラとペプシコーラの株価の相関関係をどう見るか、です。コーラ全体への需要はそう大きな変化なく、コカコーラからペプシコーラに需要がシフトするだけであれば、両社の株価の相関は逆相関となります。ただ、清涼飲料としてのコーラから別の何か、例えば紅茶飲料にシフトするとすれば、両社の株価は順相関で連動します。ではどう考えるか、の問題となります。本書では、多くの株価は一定の条件のもとで連動すると指摘します。すなわち、バブル崩壊の際はそうなります。バブルが崩壊して株式をはじめとする資産価格が下落する際には、すべての資産価格が順相関していっせいに落ちます。そして、深く議論を展開されているわけではありませんが、本書ではバブルは崩壊し、資本主義は終焉を迎えると指摘しています。繰り返しますが、この点について本書では深く議論されていません。資産運用編のレビューを終えて、ライフスタイルや老後生活の部分について考えると、ここでも私の賛同する見方が示されています。特に賛同するのは東京にこだわらない、という論点です。著者は所沢在住で、いわゆる「トカイナカ」に住むことを推奨し、あるいは、トカイナカと東京の2拠点生活を実行しています。私は国家公務員の定年とともに東京から500キロ以上も離れて関西に引越して、トカイナカどころか、関西でも京阪神ではなく、しかも県庁所在市でもない場所で生活しています。ハッキリいって、大きな不便はありませんし、東京に住み続けることが「勝ち組のステータス」あるいはみえでしかない、という本書の主張は納得できます。まあ、ホントのところは東京に未練がないわけでもないのですが、それはさておき、本書でも指摘しているように、老後生活は投資で稼ぐという拡大均衡的な収入増路線よりも、むしろ生活コスト削減でもって豊かな暮らしを目指す、とい方向性に大きく賛成です。定年を迎えて第一線を退いたからには、"Small is Bueautiful." の生活をしたいものだと思います。本書では、いわゆる「最後は金目でしょ」のお話が大きな部分を占めていて、その前段階の健康に関するトピックには深入りしていません。余命宣告された著者ですので、仕方ないかもしれません。最後に、本書で推奨するようなアーティストになるのは、私の場合は少し難しい可能性があることは自覚しています。
次に、東野圭吾『架空犯』(幻冬舎)を読みました。著者は、我が国でも有数の売れっ子のミステリ作家です。出版社も売上を期待しているのか、特設サイトを開設したりしています。本書は同じ出版社の『白鳥とコウモリ』の続編であり、したがって、警視庁の刑事である五代努が主人公となって謎解きを繰り広げます。本書冒頭でも、「先の清洲橋事件を解決した」という形容詞を付けられており、本書の中でも上司から五代刑事がしばしばご下問を受け、推理能力が高く評価されていることがうかがえます。ということで、ストーリーは東京の高級住宅街にある一軒家が火事になり、焼け跡から2人の死体が発見されます。住宅は都議会議員の藤堂康幸とその夫人で元女優の恵利子の夫婦が住んでいて、死体はその2人と特定されます。しかし、死因は焼死ではなく、出火前に絞殺されていたことが捜査の結果明らかとなり、要するに、殺人事件としての捜査が早い段階から開始されます。殺された夫婦は、40年近く前に東京都西部にある都立昭島高校で教師と生徒という間柄であった点が明らかになり、捜査は昭島コネクションを中心に進められます。40年近く前の高校生の自殺、恵利子の卒業後から女優デビューの間の謎の空白期間、恵利子が支援していた児童福祉施設、色んな要素が絡まり、しかも、極めて意外な人物が犯行を自供したりして、事実関係だけでもとても複雑な様相を呈しています。その上に、小説の登場人物の心理についても細かな描写が当てられていて、さらにその上に、都議会議員の死亡事件だという点を割り引いても文体そのものが濃厚で、それに輪をかけてストーリー展開も重厚な作品に仕上がっています。途中から、私のような頭の回転の鈍い読者でも、徐々に犯人像がクリアになっていきます。最後の最後に名探偵が関係者を一堂に集めた上で、アッと驚く犯人を指摘するタイプのミステリと違って、お話が進むにつれてひとつひとつ玉ねぎの皮をむくように真相が明らかになるタイプのミステリです。たぶん、シリーズ前作である『白鳥とコウモリ』とともに、何らかの形で映像化されるのではないか、と思いますし、引き続き、五代努がガリレオこと湯川学や五代と同じ警視庁刑事の加賀恭一郎などとともに、新たなシリーズの主人公となるのだろうという気がします。
次に、間宮改衣『ここはすべての夜明けまえ』(早川書房)を読みました。作者は、もちろん、作家なのですが、この作品が第11回ハヤカワSFコンテスト特別賞を受賞し、デビューしています。ですので、この作品は当然SF小説です。しかも、とてもエモいポストヒューマンSFです。舞台設定はほぼほぼ100年後の九州です。すなわち、主人公は九州の山奥の小さな家に1人で住んでいて、おしゃべりが大好き、という設定です。一応、1997年生まれで人間であったころは女性ということになっています。その主人公が、2123年10月1日、これまでの人生と家族について振り返るため、自己流で家族史を書き始めます。それは約100年前、身体が永遠に老化しなくなる融合手術を受ける時に、時間が余るだろうからと父親から提案されたことでした。主人公は両親の4人目の子どもであり、三女として生を受けましたが、主人公の出生の際に母親は亡くなってしまいます。上の兄姉と年齢が離れていて、成長するに従って亡くなった母親と容貌が似てきたので父親からは溺愛されますが、主人公が物心つくころには離れて住んでいた兄姉からは、母親の死の「責任」の一端めいた感情と父親から受ける扱いに反発して少し疎まれます。一家は裕福で働く必要もありませんでしたが、25歳の時に体調不良から合法化されていた安楽死を希望します。でも、父親に強く反対され、逆に、不老不死のサイボーグのような肉体となる融合手術を受けます。そして、主人公以外の手術を受けない人間のままの家族は、父親から始まって兄や姉は死んで行き、主人公が家族を看取るわけです。もっとも年齢の若い家族はすぐ上の姉の子供であり、主人公から見ると甥に当たる新(あらた)、主人公は「シンちゃん」と呼ぶ赤ん坊であり、彼は融合手術と同じ日に生まれ、2人は近親相姦的とも見えかねない恋人になります。そして、主人公は家族史をシンちゃんにおしゃべりするのですが、そのシンちゃんも死んでしまったため、文章で家族史を綴ってゆくことになるわけです。3章構成となっている本書の第1章はこのようなストーリーで、一応、主人公が紙に手書きで書いたということになっています。そして、第2章の多くの部分は口述の記録、さらに、第3章はこれも口述によるシンちゃんへの呼びかけのような形を取っています。あらすじは第1章までとしますが、この第1章はとてもひらがなが多くなっています。その昔に読んだ『アレジャーノンに花束を』に似た印象ですが、誤字脱字はありません。最後の方では、主人公は長い距離を歩いて旅をし、いかにもSF的な人々、というか、グループに出会います。その時点での日本の状況、例えば、気候変動が進みまくった100年後の日本をはじめとするあたりについては読んでみてのお楽しみ、ということになります。SFなのですが、架空の存在や出来事ばかりを並べるのではなく、Orangestarの「アスノヨゾラ哨戒班」とか、永瀬拓矢が将棋電王戦FINAL第2局でコンピューターソフトのSeleneと対局して勝利したことなど、21世紀初頭の歴史的事実をうまく織り込んで、実に巧みな構成としていると感じました。人間とは、愛情とは、家族とは、いろいろと考えさせられますし、繰り返しになりますが、読み進んでいくうちに何ともいえないキツい感情がこみ上げてきました。エモいです。読者によっては短い小説ながら投げ出してしまう人がいるかもしれません。ある程度の「覚悟」を持って読むべき小説かもしれない、と感じました。
次に、坂本貴志『ほんとうの日本経済』(講談社現代新書)を読みました。著者は、リクルートワークス研究所の研究者です。本書は3部構成であり、第1部で人口減少経済における10の変化を上げ、第2部で労働現場における機械化と自動化を論じ、第3部で人口が減少する日本経済の方向について未来予測を8点上げています。まず、最初に第1部では、バブル崩壊後のいわゆる「失われた30年」における労働需給の緩みが人口減少とともに大きく減退し、足元から先行きはむしろ人手不足となり、労働時間減少が進むこともあって、急速に労働参加率が高まっても、経済学でいう生産関数のインプットである労働が不十分な状態となる点を強調しています。人手不足なのですから、賃金は最近時点での春闘の賃上げ率を見ても理解できるように、いよいよ上昇し始めているわけです。そして、バブル崩壊後長らく続いた需要不足から供給制約が強まる経済へと進むことを見通しています。もちろん、要素間代替により設備投資が進んで省力化は進むのでしょうが、第2部では、機械化や自動化が進んでもエッセンシャルワークといわれ、人が自ら労働しなければならない部分は、少なくともそれほど早期にはなくならず、人手不足から人件費高騰、そしてインフレが引き起こされる可能性を論じています。第2部ででは、ほかにも、サービス化が進んだ日本経済において、今まで無償で提供されていたサービスが有料化したり、あるいは、提供されなくなったりする可能性を指摘しています。はい、私もそう思います。というのは、サービスにおいては、提供されるサービスの量や質とそのサービス価格が日本では不釣り合いな印象があって、いわば、無償での過剰サービスがしばしば見られる、と私は感じていました。たとえば、ホテルなんかでは適切な料金を取ることなく無償のサービス提供が日本では多くて、海外ではそこまでしない、というか、有料のサービスとなるような気がしていました。ただ、何だかんだで、医療や介護の場においては最後は人手に頼らざるを得ないシーンが多くなります。しかも、医療や介護は典型的に情報の非対称が大きいサービスであり、すべてを市場に委ねることが不適当で公的な規制や政府介入の必要性が高い分野であることから、ご予算制約などから、サービスを提供する雇用者サイドでは賃金が、サービス利用者サイドでは料金が、それぞれ低く抑えられがちであることも事実です。すなわち、提供されるサービスの質と量に見合った価格設定がなされにくい分野であると考えられます。最後の第3部の将来予測については、読んでみてのお楽しみなのですが、人口減少とともに「小さな経済社会」に向かう中で、どのような方向性を探るか、ひとつには人口減少を緩和する意味も含めて、雇用や仕事に重点を置く本書の方向性がよく現れています。本書はあくまでリクルートワークス研究所の研究員が、日本経済を雇用や職業・仕事といった切り口で分析した結果ですので、輸出競争力や何やといった観点はありません。その意味で、タイトルはやや大きく出ている印象です。でも、雇用や仕事やといった身近な日本経済について改めて考えさせられるトピックを扱っています。
次に、ローレンス・ブロック『エイレングラフ弁護士の事件簿』(文春文庫)を読みました。著者は、犯罪小説をメインとするミステリ作家です。私は初読だと思います。本書には『エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン』に収録された作品を中心に短編12作品が収録されています。すべての短編に「エイレングラフの」がつくのでその部分を省略すると、「弁護」、「推定」、「経験」、「選任」、「反撃」、「義務」、「代案」、「毒薬」、「肯定」、「反転」、「決着」、「悪魔の舞踏」となります。なお、最初の作品は1976年、そして、最後は2014年となっていて、40年間近くに渡って書き続けられているようです。すべての短編作品のあらすじを紹介すると長くなりますので、いくつかのエッセンスを取りまとめておきます。まず、主人公は刑事弁護士なのですが、冒頭の作品で「法廷での丁々発止のやりとりとか、反対尋問の妙技とかは、世のペリー・メイスン諸氏にまかせておけばいい」という主人公の言葉があり、法廷シーンは皆無です。要するに、起訴されることなく依頼者を無罪放免にすることをモットーとしています。そして、その料金はかなり高額で、ご本人が「法外」という表現を使っているケースもあります。どうして依頼人が無罪放免になるかといえば、例えば、最初の短編「エイレングラフの弁護」では、大学生の母親が駆け込んできて、大学生の息子はオックスフォード大学に留学した経験があって、大学のキャドモン会のメンバーになっていたのだが、その息子の恋人、というか、元婚約者がそのオックスフォード大学キャドモン会の独特のネクタイで絞殺された、というシチュエーションです。そんな極めてめずらしいネクタイは周囲数キロに渡って所有している人はいなさそうなのですが、エイレングラフ弁護士が弁護を引き受けた後になって、同様の殺人事件が3件起こって依頼人の息子の大学生は釈放されます。何が起こったのかは読んでみてのお楽しみですが、エイレングラフ弁護士がとんでもないことをやった可能性が示唆されます。お決まりのルーティンとして、エイレングラフ弁護士の出で立ちが詳細に語られます。そして、エイレングラフ弁護士が法外な成功報酬をふっかけます。そして、エイレングラフ弁護士が引き受けると、とんでもないことが起こったり、別の真犯人らしき容疑者が見つかったり、なんてことがあって、依頼人や容疑者は裁判にかけられることなく無罪放免となります。そして、ほぼお決まりのラストは依頼人は法外な料金を支払うことをためらいます。最後に依頼人は支払いに応ずるケースがほとんどですが、ひとつだけ、実際に支払わなかったと思しき事件があり、その依頼人はたいへんな目に遭います。ほぼワンパターンでストーリーは進みますし、多くの事件が殺人事件です。でも、エイレングラフ弁護士の役回りは殺人事件の真犯人を明らかにするのではなく、あくまで依頼人の無罪放免です。そして、ことごとく、そのミッションは成功裏に終わります。繰り返しになりますが、フレッド・ダネイ、すなわち、エラリー・クイーンのうちの1人が編集者として、これらの作品を『エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン』に収録していますので、型破りなものが多いながら、一応、ミステリなんだと思います。
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