今週の読書はミクロ経済学の学術書をはじめ計6冊
今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、安達貴教『21世紀の市場と競争』(勁草書房)では、20世紀までの伝統的な経済学における競争だけではなく、というか、それを基礎にしつつも、21世紀の競争、デジタル経済やプラットフォームに関する競争理論を展開しています。ジェイコブ・ソール『<自由市場>の世界史』(作品社)では、冒頭で、自由市場、というか、自由市場思想とはフリードマン教授から引いて政府による介入か皆無であること、としてます。そして、歴史的にはキケロから説き起こして、欧州中世から近代の市場を考えています。自由市場とともに自由市場の思想の歴史も重要なポイントとなっています。櫻田智也『六色の蛹』(東京創元社)は、出版社の宣伝文句によれば、チェスタトンのブラウン神父や泡坂妻夫の亜愛一郎などのように、一種とぼけた雰囲気を持つ探偵役の魞沢泉を主人公とするミステリのシリーズ第3作の連作短編集です。前田裕之『景気はどうして実感しにくいのか』(ちくま新書)は、エコノミストの思考と国民の実感とのズレを考えていますが、経済学にも出来ることと出来ないことがあり、かなり的外れな印象を持ちました。林真理子『李王家の縁談』(中公文庫)は、皇族や朝鮮の李王家の縁談や結婚をテーマにしています。主人公、というか、視点を提供するのは美貌と聡明さで知られる梨本宮伊都子妃です。旧佐賀藩鍋島家の出身で、皇族の梨本宮守正王に嫁いでいます。有栖川有栖『砂男』(中公文庫)は、前口上とあとがきを別にすれば、単行本未収録の短編が6話収録されていて、学生アリスのシリーズ2話、作家アリスのシリーズ2話、そして、ノンシリーズも2話、となっています。
今年の新刊書読書は年が明けて先週までに23冊を読んでレビューし、本日の6冊も合わせて29冊となります。Facebookやmixi、あるいは、経済書についてはAmazonのブックレビューなどでシェアする予定です。
まず、安達貴教『21世紀の市場と競争』(勁草書房)を読みました。著者は、京都大学経済学部の教授であり、ご専門は産業組織・競争政策などのマイクロな経済学ではないかと思います。本書は、冒頭で高校の社会科の教科書を引いたりていますが、完全な学術書ですので、その点は理解しておくべきです。ということで、本書では20世紀までの伝統的な経済学における競争だけではなく、というか、それを基礎にしつつも、21世紀の競争、上の表紙画像の副題にあるようなデジタル経済やプラットフォームに関する競争理論を展開しています。なお、知っている人は知っていると思いますが、昨年2024年10月ころから今年1月にかけて慶應義塾大学出版会から、慶應義塾大学グローバルリサーチインスティテュート(KGRI)の研究成果として、「怪獣化するプラットフォーム権力と法」の4巻シリーズが刊行されています。経済学ではなく政治学などが中心になった学際分野の研究成果だと思いますが、私はまだ手を伸ばせていません。取りあえず、本書でマイクロな競争政策について基礎的な勉強をしているところです。というのも、私はそもそも経済学においても深い専門的な学識があるわけではなく、基本的に、オールラウンダーなのですが、それでも本来の専門はマクロ経済学であり、マイクロな経済学はやや苦手としています。ですので、本書を読んで、もっとも感銘を受けたのは「競争市場」についての本書の見方です。すなわち、競争とは勝ち負けの競争とか、優劣的な印象を持たせた競争力とかではなく、市場支配力、もっといえば、市場価格への支配力を持たないくらいのスケールの経済主体がウジャウジャ存在している状態、と私は授業で教えており、本書も第1章で同じことを書いています。その上で、21世紀の市場、プラットフォを介した市場とは、日本的には楽天を思い起こせばいいのですが、楽天は基本的に自ら売買をしているわけではなく、いろんな業者にECサイトを提供し、そういった業者が楽天の会員となっている消費者に販売する場、すなわちこれがプラットフォームなわけで、その場を提供しているに過ぎません。楽天の場合はモノが多い気がしますが、もちろん、音楽配信サービスのApple MusicやSpotifyも同じだろうと思います。「思う」というのは、私はこれらのサービスを実は利用していないからです。楽天でも買い物をしたことがありません。それはさておき、こういったプラットフォームでは、業者と消費者の両面で競争を分析するというRochet and TiroleらのTwo-Sided Marketsの競争理論がすでに確立されていて、本書では、基本的にこれらをなぞりつつも、消費の外部性を取り入れた分析が展開されています。消費の外部性とは、他人の消費や社会的な消費に自分の消費が影響されることです。ですから、ECサイトで高評価の商品がさらに販売を伸ばす、なんてのは消費の外部性に基づいて分析可能なわけです。加えて、消費サイドでの規模の経済も分析しています。私自身はデフレ経済における価格の硬直性について少しだけ聞きかじったベッカー教授の逆需要曲線の理論、すなわち、超過需要があるにもかかわらず供給サイドが価格を引き上げようとしない理由が本来のマイクロな競争理論で活用されていて、プラットフォームやデジタル経済への活用が考えられている点が印象的でした。こういったプラットフォーム市場における競争政策に関して、私なんかは競争とともに消費者保護の観点から規制強化を念頭に考えるのですが、本書で展開されている議論はやや違っているように感じました。市場における自由意志による交換行為について、私なんかよりはやや過剰に重視している気がします。逆に、行動科学に基づいて企業が消費者に購買行動を誘導する可能性がやや軽視されている可能性があります。その意味で、政府の競争政策を考える上で少し気にかかります。私自身はは本書でいう「新ブラダイス派」のエコノミストなのかもしれません。最後に、繰り返しになりますが、本書は完全に学術書です。大学教員とはいえ、私ごときでは理解が及ばない部分もありました。高校の社会科教科書からお話を始めているからといって、決して軽く考えるべき読書対象ではありません。
次に、ジェイコブ・ソール『<自由市場>の世界史』(作品社)を読みました。著者は、米国の南カリフォルニア大学の教授です。ただし、博士号は英国のケンブリッジ大学で取得しています。本書の英語の原題は Free Market であり、2022年の出版です。邦訳タイトルは本書の歴史分析の観点を入れていtるのだと思います。ですので、冒頭で、自由市場、というか、自由市場思想とはフリードマン教授から引いて政府による介入か皆無であること、としてます。そして、歴史的にはキケロから説き起こして、欧州中世から近代の市場を考えています。典型的にはオランダ、英国あるいはイングランド、そしてフランスです。ただ、自由市場とともに自由市場の思想の歴史も重要なポイントであり、本書でも思想史的な側面を取り上げている部分が少なくありません。その意味で、本書の目的のひとつとして、古代の自然や農耕に対する信念が、近代的な自由市場の理論にどのように発展したのかを後付けようと試みています。私自身は経済や市場を分析する際、まあ、そこまでさかのぼる必要はないと考えています。資本主義の大きな特徴として市場における交換、価格に基づく自由な市場における交換による資源配分の効率性を重視する場合が往々にしてありますが、私は単に価格に基づく市場における資源配分だけではなく、資本蓄積の進行による生産面も重視すべきだと考えています。ですから、その意味では、資本主義の出発点は産業革命である、と私は考えています。でもまあ、そうはいいつつも、本書のように西欧近代の幕開けとなったオランダの勃興、イングランドにおける産業革命の開始、そして、フランスにおける産業資本経済を基盤とした市民革命、などなどの歴史は重要です。オランダ、イングランド、フランスにおいて政府によりいかにして市場が整備され、資本主義経済が発展したのかは、それなりに読み応えがあります。ただ、私には本書第13章のアダム・スミスの登場により、道徳によって交換が支えられる市場という考えが、近代以降現在までの市場観を形成していると考えます。本書では、ハイエクとの対比においてスミス的な市場を「紳士的なプロセスの産物」(p.260)とも表現していて、私にはとても受け入れやすい市場観に見えます。最後に、本書では国家が市場に組み込まれている(たぶん、embedded)としていますが、市場を適切にマーケット・デザインするのは政府です。そう考えるのは、21世紀になってポストトゥルースの見方が現れているからで、市場とは情報であり、不適正な情報が出回るのを監視するのは政府の重要な役割のひとつだと私は考えています。
次に、櫻田智也『六色の蛹』(東京創元社)を読みました。著者は、「サーチライトと誘蛾灯」で第10回ミステリーズ!新人賞を受賞し、受賞作を表題作にした連作短編集でデビューしており、本書は、出版社の宣伝文句によれば、チェスタトンのブラウン神父や泡坂妻夫の亜愛一郎などのように、一種とぼけた雰囲気を持つ探偵役の魞沢泉を主人公とするミステリのシリーズ第3作となります。私は3冊すべて読んでいたりします。主人公の謎解き探偵役の魞沢泉は昆虫好きで正体不明の青年です。本書もシリーズ前2作と同じように連作短編集で6話を収録しています。収録順にあらすじは以下の通りです。「白が揺れた」では、へぼ獲り名人について魞沢が寒那町の山中でへぼと呼ばれるクロスズメバチを追っていたところ、ハンターの串路と遭遇し、緊急事態を知らせるホイッスルを聞いて2人で駆けつけます。ホイッスルを吹いた三木本が見つけたのは、ライフルで撃たれたベテランハンターの梶川の死体でした。ちょうど、前日に梶川は誤射事件の講義を行っていたところでした。「赤の追憶」では、翠里が営むフラワーショップ「フルール・ドゥ・ヴェール」に季節外れのポインセチアがあるのを40代半ばの女性客が見つけます。しかし、それは1年前の予約の品であり、売れないと翠里は断ります。その後、「ミヤマクワガタ入荷しました」という張り紙を見てやって来た魞沢に対して、翠里が1年前に季節外れのポインセチアを探していた女子高生の話をします。「黒いレプリカ」では、函館市の工事現場で土器らしきものと人骨らしきものが発掘され、噴火湾歴史センター職員の甘内がアルバイトの魞沢とともに現地に赴きます。しかし、甘内が警察に通報したにもかかわらず、上司の作間部長が現場を荒らすようなマネまでします。「青い音」では、古林が文具店で懐かしいインク瓶を見つけたにもかかわらず、先に誰かに取られてしまいます。それがきっかけで魞沢と立ち話が始まり、偶然にも、2人とも同じコンサートに行くことを知り、近くのカフェでお茶しながら、古林が自分の生立ちや半生について語ります。「黄色い山」では、へぼ獲り名人が亡くなり、魞沢が三木本から連絡を受けて通夜と葬式にやって来ます。名人の希望により棺に名人自身が彫った木製の仏像を入れることになり、通夜の夜は魞沢と三木本と役所の錦課長の3人で名人の家で夜を過ごします。「白が揺れた」の続編です。「緑の再会」は、「赤の追憶」の後日譚であり、謎解きのミステリではありません。魞沢がフラワーショップ「フルール・ドゥ・ヴェール」を訪れますが、店主は前回訪れた時の店主から娘に交代していました。ということで、最後に、繰り返しになりますが、本書は魞沢泉を主人公とするミステリのシリーズ第3作となりますが、謎解きとしてもストーリーとしても段々とよくなっている気がします。相変わらず、短編にもかかわらず「人死に」が多くて、それほど「日常の謎」ではないのですが、読者をミスリードする作者のテクニックが向上しているのか、私の読み方が雑になっているのか、そのあたりは定かではないものの、私の評価は段々と上がってきています。ただし、難点とまではいえないのですが、昆虫や虫との関係が薄くなってきている気がします。私はそれでもOKなのですが、ビミョーに評価基準が異なる読者はいる可能性はあります。
次に、前田裕之『景気はどうして実感しにくいのか』(ちくま新書)を読みました。著者は、日経新聞のジャーナリストから退職して経済関係の研究をされているようです。本書では、タイトルからして、私が末席に連なっているエコノミストや経済学者と呼ばれる専門家の考えと国民の実感の間にズレがあり、国民の幸福度とまではいわないにしても、満足度を高めることにエコノミストは失敗しているのではないか、という問題意識を基にしているのではないかと思います。はい、そういう部分は少なくないでしょうし、経済学というのはその意味で未成熟な学問分野であることは当然ですが、ただ、経済学にも出来ることと出来ないことがあります。景気循環を完全に安定化させることはムリ、というか、ひょっとしたら出来そうな気もしますが、コストが高すぎるでしょうし、「夢よ再び」で高度成長期のような10%成長を現在の日本経済がサステイナブルに継続できると考える人は少ないと思います。そもそも、経済学とは何らかの制約条件下で、あるいは、トレードオフある条件の下で、最適化を図るにはどうすればいいか、というミクロ経済学と、加えて、そういった制約条件を可能な範囲で緩和したり、最適化を図るための安定的な条件を整備したりするマクロ経済学から成っていて、自然科学が課された条件とそれほど変わりない制約がかかります。例えば、1日24時間という制約はどうしようもない場合がほとんどです。私はこの著者のご著書を何冊か読んだ記憶があり、最近では、3年前の2022年に『経済学の壁』(白水社)、そして、一昨年2023年に『データにのまれる経済学』(日本評論社)などをレビューしていて、何か、経済学に対する思い込み、私にはなかなか理解しにくい思い込みを持っている方だと感じてきましたが、本書も同じ印象です。経済学は経験科学であると同時に政策科学であって、後者の視点からは国民生活を豊かにすることができる学問分野です。ほかの自然科学も、基本的には同じなのですが、物理学や何やよりも経済学はもっと直接的に国民生活に安定や豊かさをもたらすものと期待できます。しかし、宇宙物理学がどれほど発達しても、ガンダムに登場するシャアではありませんが、小惑星が地球と衝突軌道にあっても、それを回避する方策は物理学ではなく、工学とか別の分野に求める必要がある点は理解すべきです。経済学は経済の現状を分析するとともに、経済をより国民のためによくなる方向に仕向けることが出来ます。しかし、制約条件はありますし、サステイナビリティも考慮せねばなりません。場合によっては、エコノミストの考えと採用される政策の間にもズレがある可能性は否定できません。エコノミストの思考を国民実感に近づけようとする試みはとても有益なものであるとともに必要であることは理解しますが、本書の指摘はかなり的外れです。
次に、林真理子『李王家の縁談』(中公文庫)を読みました。著者は、マルチな才能を発揮している作家なのですが、現時点ではご出身の日大理事長としてお忙しいのかもしれないと勝手に想像しています。本書は、タイトル通りに、皇族や朝鮮の李王家の縁談や結婚をテーマにしています。主人公、というか、視点を提供するのは美貌と聡明さで知られる梨本宮伊都子妃です。旧佐賀藩鍋島家の出身で、まあ、いうまでもないですが、皇族の梨本宮守正王に嫁いでいます。そして、学習院女学院に通う長女の方子は、皇太子のお妃候補に上がっているのですが、皇太子妃には梨本宮の兄である久邇宮の長女の良子に決まります。後の昭和天皇皇后、香淳皇后なわけです。伊都子妃は方子の嫁ぎ先を大急ぎで探します。というのも、方子の結婚を皇太子と良子よりも先に整えなければ、方子が皇太子のお妃に選ばれなかった皇女というレッテルが張られてしまうからです。ですので、梨本宮伊都子妃は李王家の王世子である李垠との縁談を進めます。最初は渋った方子なのですが、周囲の説得もあって縁談に前向きになります。そして、結婚に至り、さらに、世間一般としては戦争が始まって終戦を迎えるわけです。ということで、私のような一般庶民には想像もできないような高貴な方々の日常生活や結婚について、小説とはいえ、垣間見ることが出来ます。「政略結婚」といえそうな気がしますが、戦国時代や武士の世の中であった当時の敵と味方に分かれて争ったり、あるいは、人質のような扱いを受けたりという意味での政略結婚ではありません。当時の朝鮮の李王家は皇族に次ぐ格を保持し、宮廷費も莫大なものであったとされています。本書に登場する紀尾井町にあった李王家の邸宅は、私が知る限り、赤坂プリンスの旧舘ではなかったかと記憶していますが、お屋敷の中でスキーが出来たと本書にあります。最後に、梨本宮伊都子妃は1976年に没するまで90歳超の長命ですので、戦後の皇室や李王家の様子もそれなりに取り上げられています。宮廷費の支給がかなり細ったのはいうまでもありませんし、昭和天皇の皇太子であった現在の上皇のご成婚についても、当然ながら皇族としての見方が提供されています。なお、昨年2024年12月に出版された『皇后は闘うことにした』が本書の続編のような位置づけで、やはり皇室に取材した小説、というか、短編集となっています。そのうちに、気が向いたら読みたいと考えています。ご参考まで。
次に、有栖川有栖『砂男』(中公文庫)を読みました。著者は、本格ミステリ作家であり、大学の推理研部長である江神が謎解きをする学生アリスのシリーズと火村が事件解決に当たる作家アリスのシリーズが有名です。本書には、前口上とあとがきを別にすれば、単行本未収録の短編が6話収録されていて、学生アリスのシリーズ2話、作家アリスのシリーズ2話、そして、ノンシリーズも2話、となっています。順にあらすじを紹介すると、「女か猫か」は学生アリスのシリーズであり、したがって、江神が謎解きの探偵役となります。女子大生3人のガールズバンドの作詞を担当する男性が、バンドの1人の家で3人の女性陣とは別に離れ一晩過ごした際に、密室状態の離れで頬にネコの引っかき傷を作ってしまう謎を推理します。「推理研VSパズル研」も学生アリスのシリーズであり、同じ大学のパズル研から出題された論理的な思考で解けるパズル問題に、江神たち推理研のメンバーが面目をかけて挑み、正解を得るのはもちろん、単なる正解を超えてストーリーを完成させようと試みます。「ミステリ作家とその弟子」はノンシリーズであり、出版社の編集者の女性が作家の家を訪れ、作家と住み込みの弟子との間に交わされる会話、というか、問答、特に『ウサギとカメ』の謎について聞いたりしますが、最後に大きな事件が待っています。「海より深い川」は作家アリスのシリーズであり、したがって、火村が謎解きの探偵役となります。タイトルは海に身投げして死んだ男性が残した言葉であり、これに込められた男性の思いや男性の死から展開される謎を火村が解き明かします。それほどボリュームはありませんが、深くて切ない社会性を含んでいます。私はこの作品にもっとも感銘を受けました。表題作の「砂男」は、口裂け女の次に広まった砂男の都市伝説のようにして社会学の大学教授が殺害されます。都市伝説通りに、死体には砂がかけられていて、さらに、後日、殺害された自宅の周囲にも砂がまかれました。火村がこの殺人事件を解決します。「小さな謎、解きます」は、祖母が占いを廃業したスペースで街角探偵社という名で探偵業を始めた青年が、小学4年生の甥っ子とともに、大学生が持ち込んだ引っかけに満ちた推理小説同好会の問題に取り組んだり、名曲テネシー・ワルツを怖いと感じる女性の謎を考えたりします。
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