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2025年2月 1日 (土)

今週の読書は米国経済の学術書をはじめ計5冊

今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、渋谷博史『アメリカ「小さな政府」のゆくえ』(勁草書房)では、米国の伝統的な「小さな政府」の観点からオバマ政権によるオバマ・ケアや世界の警察官からの撤退について財政政策とともに議論しています。レイ・カーツワイル『シンギュラリティはより近く』(NHK出版)では、冒頭の各章はAIの研究開発の現状について詳説し、続く章では生活面での大きな変化や雇用などの経済面へのAIの関わり、そして、最後にはリスクを考えています。村木嵐『まいまいつぶろ 御庭番耳目抄』(幻冬舎)は、前作『まいまいつぶろ』の続編であり、徳川家重と大岡忠光の主従から少し離れて、前作にも登場していた御庭番の万里こと青名半四郎が見聞きしたことについて取りまとめたという形式を取った5話の連作短編集となっています。水野和夫・島田裕巳『世界経済史講義』(ちくま新書)は、13世紀以降の経済の歴史を取りまとめていますが、経済活動をリターンを生む投資に限定しているようで、生産や流通、また、消費などの経済活動に視点が及んでいません。有栖川有栖『日本扇の謎』(講談社ノベルズ)では、京都府北部の舞鶴で中学校教師の藤枝未来が記憶喪失の武光颯一を見つけます。この青年は京都市内洛北の素封家一家、父親が著名な日本画家であるとの身元が判明し、実家に帰宅した後、出入りの女性画商である森沢幸恵が刺殺され住んでいた離れで発見され、武光颯一も失踪する、という謎を火村英生が解き明かします。
今年の新刊書読書は年が明けて先週までに10冊を読んでレビューし、本日の6冊も合わせて16冊となります。なお、Facebookやmixi、あるいは、経済書についてはAmazonのブックレビューなどでシェアする予定です。

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まず、渋谷博史『アメリカ「小さな政府」のゆくえ』(勁草書房)を読みました。著者は、東京大学教授なのですが、経済学部ではなく社会科学研究所をホームグラウンドとしたエコノミストであり、ご専門は福祉国家論やアメリカ財政論などです。本書は、出版社からして、ほぼほぼ完全に学術書と考えるべきです。ですので、専門外の私には少し難しかった点があるのは確かです。ということで、本書では、米国の伝統的な「小さな政府」の観点からオバマ政権によるオバマ・ケアや世界の警察官からの降板について財政政策とともに議論しています。すなわち、建国以来米国が構築し、維持してきた「小さな政府」が21世紀の現在、特に、明示的にはリーマン・ショック後の2009-17年のオバマ政権、2017-21年のトランプ政権、さらに、すでに終了した2021-25年のバイデン政権でどのように変容し、世界的な構造変化の中で対応してきたのか、について国家や政府を主として財政の観点から分析しようと試みています。いうまでもなく、「小さな政府」の基本にあるのは、国家や政府ではなく個人の自由を守るという米国建国以来の観点です。ただ、本書ではそれほど注目していませんが、連邦政府は小さくとも、州政府はそれなりのサイズを有する場合が少なくない、という連邦制国家についてももう少し言及が欲しかった気がします。そういった「小さな政府」の伝統の中で、本書で注目するのは、第1にオバマ政権期のいわゆるオバマ・ケア、すなわち、高齢者や障害者向けのメディケアと低所得者向けのメディケイドです。次いで、第2に、世界の警察官としての治安維持のための公共財の供給です。まず、第1の点に関して、現在のつい2週間ほど前に大統領に就任して開始された第2期トランプ政権では、議会の承認の必要なく大統領令で実行可能な政策が次々と矢継ぎ早に打ち出され、早々にバイデン前政権のリベラルな諸政策が否定されようとしていますし、新たな関税障壁などの導入も始まっています。ただ、決して忘れるべきでないのは、本書で注目しているオバマ・ケアについては、第1期トランプ政権で否定されなかったばかりではなく、現在まで寿命を長らえています。この理由として、本書ではオバマ・ケアは米国の自由の基盤に反するものではないとし、当時のオバマ大統領のスピーチから引用して「家族を養えるような仕事」に従事し、「病気になったからといって破産せずにすむ」制度の必要性をポイントに上げています。第2の点として、もはや「世界の警察官ではない」に関しては、もちろん、米国の相対的な国力の低下はあるとしても、オバマ政権期の国連常任理事国5か国間の平和的な外交に力点を置きつつ、そのバックグラウンドとして米国の軍事力を位置づける、という論理構成であると分析しています。ただ、この点については、現在の第2期トランプ政権では、報道ベースで私が知る限りでは「軍事費のGDP比5%」という主張もあるようですし、私にはまだよく整理がついていません。現在のトランプ政権では関税引上げを政策手段、というか、脅しや恫喝に近い取引材料として提示し、相手国からの譲歩を引き出す、という姿勢のように見えます。私は専門外ながら、関税引上げという政策手段は経済合理的な結果を得るためには、ひょっとしたら、一定の有効性ある可能性は否定しませんが、軍事行動については経済合理性の外にある可能性が高く、ロシアに対して関税引上げをテコにしてウクライナ侵略という目的を達成できるのかどうか、はなはだ疑問です。最後に、本書は現在の第2期トランプ政権はスコープに収めていませんが、今後の米国を考えるうえでとても参考になります。学術書としてハードル高いながら、それでもオススメです。

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次に、レイ・カーツワイル『シンギュラリティはより近く』(NHK出版)を読みました。著者は、Google者の主任研究員であり、AI研究開発の世界的権威だそうです。本書は、2005年に出版された Singularity Is Near の続編ともいうべきもので、英語の原題は Singularity Is Nearer であり、2024年の出版です。なお、Singularity Is Near の邦訳書タイトルは『ポスト・ヒューマン誕生』だそうです。勉強不足にして、私はこの前書は読んでいません。ということで、AI研究開発の世界的権威らしく、冒頭の各章はAIの研究開発の現状について詳説し、続く章では生活面での大きな変化や雇用などの経済面へのAIの関わり、そして、最後にはリスクを考えています。誠に不勉強ながら、特に本書の最初の方では専門外の私には理解が及ばないところが多かった気がします。そして、第4章の生活を取り上げたあたりから理解が進みます。以下、第5章は雇用や労働、第6章は健康と医療、そして、第7章と第8章では潜在的なリスクについて着目しています。繰り返しになりますが、本書冒頭の3章くらいまでは私の理解が及びませんでしたが、ほのかに、あくまで「ほのかに」ではありますが、「共創造」という用語を用いている点などから、埋込み型や接続型のAI活用が先行き想定されている、という点は理解したような気がします。ですので、埋込み型AIないしは接続型AIであれば、第6章の健康や医療は伊藤計劃の『ハーモニー』の世界に近くなるように想像しています。さかのぼって、第4章の生活に関しては、もはや大きな変化が生じていることは明らかです。それを現時点のGDPで計測しきれていないことも明白です。経済学的にいえば、ヘドニック型の測定ができていない、すなわち、性能の向上に見合った市場価値、というか、付加価値の計測に失敗している、ということになります。その昔のメインフレーム・コンピュータよりも格段に進歩した情報処理能力を持った携帯デバイスが、せいぜい数万円で買えるのですから、能力に比較して市場価値が大きく過小評価されているのは明らかであり、市場取引の価格に応じて積み上げられるGDPについても、それだけの生活の向上に見合った統計を弾き出していない点も認めざるを得ません。第5章の雇用については、基本的に英国オックスフォード大学のフレイ-オズボーンの研究成果に基づいた分析が展開されており、多くの雇用が失われる点は、これまた、明らかです。ただ、新たな雇用が生み出されたという歴史的な経験から、本書はそれほど悲観していません。新しい雇用が何かについては言及がありません。その昔に、馬車のタクシーで必要だったスキルと現在の自動車を運転するタクシーのスキルは、道路事情を把握するという限定的な一部は別にして、おそらく大きく異なりますし、将来的に自動運転が可能になった際のスキルはさらに大きく違ってくることは明らかで、現時点では想像できない、というのは理解すべきです。最後の第7-8章ではリスクについてリストアップしています。もっとも大きなリスクは、明らかに、グレイグー(英語ではgray goo)といえます。すなわち、本書で重視しているナノマシンのレベルのお話しながら、自己増殖するナノマシンがすべてのバイオマスを使ってメチャクチャに増殖して地上を覆い尽くす、というリスクです。私はどこまで現実性があるのかは判断できません。それよりも、人類よりも格段に知能が発達したAIが人間をペットにする、現在の人類とイヌ・ネコと同じような関係を個人的に想定しています。同じことながら、一昔前まで人類の役に立っていた輸送手段としてのウマと人類の関係です。ですので、想像力乏しい私にはイメージできないながら、AIの役に立つ人類の一部がAIに飼ってもらって生存のための食料ほかをAIから与えられる、という将来です。SNSで見る限り、私はいい飼い主のAIのペットになるのは悪くないと受け止めています。ただ、AIの役に立たなければ、野良イヌや野良ネコならぬ野良人間になって、保健所で殺処分される可能性は否定できません。AIは人類よりも慈悲深いとは思いませんが、殺処分なんかよりもずっと効率的な野良人間の処分を考えてくれることを期待するばかりです。

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次に、村木嵐『まいまいつぶろ 御庭番耳目抄』(光文社)を読みました。著者は、小説家であり、同じシリーズ前作の『まいまいつぶろ』でデビューしています。司馬遼太郎家の家事手伝い、とか、司馬遼太郎夫人である福田みどり氏の個人秘書を務めていたそうです。本書は、繰り返しになりますが、前作『まいまいつぶろ』の続編であり、徳川家重と大岡忠光の主従から少し離れて、前作にも登場していた御庭番の万里こと青名半四郎が見聞きしたことについて取りまとめたという形式を取った5話の連作短編集となっています。さすがに、前作と同じようなトピックも散見され、前作と比較すればかなり落ちると覚悟して読んだ方がいいと私は思います。第1話「将軍の母」では、タイトル通りに、8代将軍徳川吉宗の母である浄円院が主役となりなす。紀州から江戸に向かう浄円院に同行する青名半四郎は御庭番と見抜かれ、江戸到着後は孫の長福丸(後の徳川家重)を思う浄円院の心と行動が描かれます。第2話「背信の士」では、将軍徳川吉宗の享保の改革を推進した老中松平乗邑が主役となります。幕政改革には邁進した一方で、最後まで徳川家重廃嫡の立場を崩しませんでした。私はこの短編がもっとも評価高いと思います。第3話「次の将軍」は後の10代将軍、すなわち、徳川家重の嫡男竹千代、早くに元服した徳川家治が主人公となります。徳川家重の将軍就位にこの徳川家治の果たした役割は極めて大きく、この短編の眼目となります。8代将軍徳川吉宗は幼少の孫竹千代を可愛がり、その聡明さを見抜く一方で、徳川家重の実力にも気づいていて、その姿から学ぶように徳川家治を導きます。他方、徳川家重は徳川家治に対して祖父徳川吉宗から学ぶようにと申し渡します。第4話「寵臣の妻」では、タイトル通り、徳川家重の口となり通辞に専心してきた大岡忠光の妻の志乃が主人公となります。大岡忠光が禄高5000石に出世した翌年、志乃と13歳となった嫡男の大岡兵庫の母子2人が大岡越前守忠相の役宅に初めて招かれ、大岡忠光が江戸城内でどのような働きをしているのかを知ります。そして、紙1枚も受け取ってはならないという厳しい大岡忠光のいいつけを課された家の実情を明らかにしています。最後の第5話「勝手隠密」では、万里本人も主人公となります。やや複雑な短編ながら、後に大名や老中まで上り詰める田沼意次が登場し、その能力の高さが明らかにされ、大岡忠光が徳川家重の通辞役を辞する決意をした際、将来への伏線とした最後の行動、というか、訪問先も注目です。そして、タイトル通り、御庭番として徳川吉宗の死後にも、勝手隠密と自称して、さまざまなコトの成り行きを見つめてきた万里自身が浅草箕輪の寺社町の一隅に仕舞屋を借りて晩年の姿を明らかにして物語が終了します。当然ながら、本書だけを単独に評価するのは難しく、前作に続いて読むことは最低条件です。でも、これまた繰り返しになりますが、前作の裏話的な位置づけであり、前作からはやや落ちる、と覚悟して読むべき作品だと思います。

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次に、水野和夫・島田裕巳『世界経済史講義』(ちくま新書)を読みました。著者は、エコノミストと宗教家です。本書は、朝日カルチャーセンター新宿教室のオンライン講義を取りまとめたものです。対談ですので、ボリュームありますが、それほどの中身はなく、経済史の専門家による教養講座でもありませんし、軽く世界史の講義を経済の観点から流している、という印象です。近代歴史学を開始したランガー的な歴史学ではなく、ここ何年かの流行のグローバル・ヒストリーで地理的な連関を重視しているわけでもなく、聴講生のいろんな関心に沿ったトピックについて通俗的な歴史が語られています。ですので、学問的な正確性には欠ける気がしますが、とても一般教養としてはいいのではないかと思います。ただし、本書では、13世紀以降の経済の歴史を取りまとめていますが、経済活動をリターンを生む投資に限定しているようで、生産や流通、また、消費などの経済活動に視点が及んでいません。私は、経済学部生ならざる他学部生に対して大学で経済学を教える機会が多々あります。その際には各セメスターのなるべく早い回の授業で、経済とは何か、経済学とは何か、について解説しておくことにしています。本書では、冒頭第1章で経済の始まりとして13世紀を想定し、なぜそうなのかの解説に、「投資という概念を意識した経済活動」として、利子がつく、という観点から、経済とは投資に対するリターンを得る活動であり、経済学とは投資に対するリターンを考える学問である、というふうに私は読んでしまいました。まあ、それでも一般向けにはいいのでしょうが、せめて、生産や流通、あるいはその先にある消費についても目を配って欲しかった気がします。私が考えるに、経済学とは制約条件下での最適化行動の分析、典型的には1000円の予算で1個100円のミカンと1個200円のリンゴをどういった組合せで買うのが効用最大化という最適化をもたらすか、というミクロ経済学を基本とします。アダム・スミスらの古典派経済学者以来の業績です。ですので、最適化行動という観点から、結婚する・しない、あるいは、誰と結婚する、いつ結婚する、といったベッカー的な分析も可能です。もちろん、2人の相手とは結婚できない、という制約条件が課されるわけです。その上で、マクロ経済学では、制約条件をいかにして緩めることができるか、先ほどの例でいうと、予算制約1000円ならば所得を増やして1200円とか1500円とかにして、その分、豊かな消費生活ができるようにする、あるいは、予算制約が時とともに大きく変動せずに安定的な消費生活が計画できるようにする、はたまた、ミカンやリンゴの単価が合理的な経済行動を考えるする際に混乱をもたらすほど大幅に上昇や下落しないように物価の安定を図る、などといった観点を持込みました。主として、マクロ経済学の観点を切り開いたのはケインズ卿の業績といえます。ですので、帝国と国民国家との関係にそれほど目を向ける必要はないように私は思います。生産・流通・消費、あるいは、生産能力の拡大という観点での投資といった経済活動の歴史をもう少していねいに見るべきであって、金融活動、そして、金融の観点からの投資とそれに対するリターンだけが経済ではありませんし、その歴史が経済史というわけでもありません。ただ、繰り返しになりますが、経済学や学問としての経済史ならざる一般教養、あるいは、時間つぶしの読書としてはいいセン行っていると思います。

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次に、有栖川有栖『日本扇の謎』(講談社ノベルズ)を読みました。著者は、本格推理作家であり、自身のペンネームを主人公とする学生アリスと作家アリスのシリーズが有名です。本書は後者の作家アリスの国名シリーズ最新作であり、謎解きの名探偵は英都大学准教授の火村英生となります。国名シリーズ第10作ということのようです。たぶん、私は国名シリーズはすべて読んでいると思います。忘れているのもいくつかありそうですが、一応、すべて読んでいるのだろうと思います。ということで、本書は、京都府北部の舞鶴で中学校教師の藤枝未来が記憶喪失の武光颯一を見つけます。この青年は京都市内洛北の素封家一家、父親が著名な日本画家であるとの身元が判明し、実家に帰宅した後、出入りの女性画商である森沢幸恵が刺殺され住んでいた離れで発見され、武光颯一も失踪する、という謎を火村英生が解き明かします。まず、藤枝未来が発見した際に、武光颯一の唯一の所持品が日本扇であり、亡くなった父親の富士山の絵があしらってあり、そこから身元が判明します。本書のタイトルの所以です。武光颯一は一浪した後の大学受験の直前に家出し、6年8か月に渡って行方不明となっていて、しかも、舞鶴で発見された時は記憶喪失状にありました。洛北の実家に戻って離れで生活していましたが、著名な日本画家であった父親の存命のころからの出入りの画商である森沢幸恵が刺殺されて、その離れで発見されます。しかも、その離れは密室状態でした。しかもしかもで、その上に、せっかく家出した失踪状態から実家に戻ったばかりの武光颯一が再び行方不明になってしまいます。しかも、またまた、日本扇もいっしょになくなっています。ほとんど、何の手がかりもないながら、武光颯一が家出していた6年半余りの間を知る関係者が現れ、後半は急展開でストーリーが進みます。もちろん、最後はすべての謎を火村英生が解き明かします。当然です。でも、ミステリ作品でもありますし、そのあたりは読んでみてのお楽しみです。最後に、この国名シリーズではないのですが、同じ火村英生の作家アリスのミステリ作品で、前作の『捜査線上の夕映え』あたりでも感じたことながら、論理的な決定性に欠けるミステリ作品のように思う読者がいそうです。私はエコノミストですから5%の統計的有意水準で帰無仮説が棄却されればOKなのですが、本格ミステリ作品のファンの中には物足りなさを感じる読者もいるかもしれません。本書では、特に、火村英生が一堂を集めて謎解きを開始するに当たって明示的に「つじつまを合わせる」という表現をしています。ですので、火村英生が提示するのは、逆から考えて、もっとも蓋然性が高い事件の真相であり、100%の論理性は犯人の自白などからしか得られない、ということになります。繰り返しになりますが、私はエコのミストですので、これでOKです。例えば、宇宙人の存在、というか、正確にはホモ・サピエンス誕生以降の宇宙人から地球や人類へのコンタクトはなかったと私は考えていますが、100%の確度での証明は事実上不可能です。存在や可能性をゼロとするのは、いわゆる「悪魔の証明」ですからムリがあり、確率的に5%とかで有意に帰無仮説が棄却されれば十分と考えます。その意味で、本書も私的にはOKなのですが、物足りないと感じる読者がいる可能性は否定できません。

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