今週の読書は政治経済学の学術書をはじめ計5冊
今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、和田淳一郎『一票の平等の政治経済学』(勁草書房)では、憲法で保証されている法の下での平等や個人としての尊重などを基本原理とする「一票の平等」に関して理論的に解明するとともに、制度的な保障まで幅広く議論を展開している学術書です。山口未桜『禁忌の子』(東京創元社)は、本屋大賞4位となっています。救急医の下に運び込まれた溺死体は、当の救急医に極めて肉体的条件が類似していました。生殖医療の光と闇を通して謎を解明するミステリです。今井悠介『体験格差』(講談社現代新書)では、子どもの体験格差についてアンケート調査から浮かび上がる事実を明らかにし、所得や障害などにより体験が不十分な子供に対する社会情動的スキルの育成などについて議論しています。田中秀征・佐高信『石橋湛山を語る』(集英社新書)では、戦前に「小日本主義」を提唱し戦争や植民地支配に反論を加え、戦後は短期間ながら内閣総理大臣にもなった石橋湛山の考えや戦後日本の政治に関する対談です。深木章子『闇に消えた男』(角川文庫)は、『消人屋敷の殺人』に登場したフリーライターの新城誠と文芸編集者の中島好美の2人が、行方不明になったノンフィクション作家の稲見駿一の調査と謎解きを行います。
今年の新刊書読書は先週までの1~3月に75冊を読んでレビューし、4月に入って先週は5冊で計80冊、さらに今週の5冊と合わせて85冊となります。これらの読書感想文については、Facebookやmixi、mixi2でシェアしたいと考えています。また、最近は大いにサボっていますが、経済書はAmazonのブックレビューにポストするかもしれません。なお、本日の5冊のほかに、北村薫のベッキーさんシリーズの3冊『街の灯』、『玻璃の天』、『鷺と雪』(すべて文春文庫)も読んでいます。すでに、いくつかのSNSにてブックレビューをポストしていますが、新刊書ではないと考えるべきですので、本日の感想文には含めていません。
まず、和田淳一郎『一票の平等の政治経済学』(勁草書房)を読みました。著者は、横浜市立大学国際商学部教授であり、選挙制度や定数配分などを研究のキーワードにしているようです。本書では、憲法で保証されている法の下での平等や個人としての尊重などを基本原理とする「一票の平等」、英語では "One Person, One Vote, One Value." に関して理論的に解明するとともに、制度的な保障まで幅広く議論を展開しています。はい、完全な学術書であり、難解な数式がいっぱい用いられています。私のような専門外のエコノミストには理解が及んでいない部分が多々ありそうですし、一般的なビジネスパーソンにはそれほどオススメできないかもしれませんが、それでもテーマに興味を持つ向きには読んでおく値打ちがある本だと思います。まず、高校生でも理解できることながら、小選挙区制は候補者が乱立した場合に、いわゆる「死票」が大量に生じる可能性があります。私の記憶する範囲で、衆議院小選挙区の法定有効得票数は有効得票総数の1/6です。ですから、極端な場合、5/6近い死票が出る可能性があります。ですので、本書ではほぼほぼ比例代表制でもって議論を進めています。比例代表選挙の場合、端数処理が問題となりますが、日本では、いわゆるドント方式で端数切上げです。閾値の上限で判断しているともいえます。それに対して、端数切捨てで閾値の下限で判断するアダムズ方式、また、ドント方式とアダムズ方式の中間、というか、端数を四捨五入して閾値の平均を取るサンラグ方式、などの計算方法が紹介されます。ただし、こういった方式を考える場合の不都合、というか、パラドクシカルな状況を生じるケースとして2点に言及していて、総定員を増やすと定員配分が減る選挙区がある、あるいは逆に、総定員を減らすと定員配分が増える選挙区がある、というアラバマ・パラドックス、さらに、総定員を固定して再配分した場合、人口増加率、すなわち、人口総数ではなく人口の増える割合が高い選挙区から人口増加率の低い選挙区に定員が移されてしまう、という人口パラドックス、これらの不都合を避ける必要について分析を加えています。数式をいっぱい並べた理論的な分析です。ですので、このあたりは、私も十分理解した自信がありませんし、ご興味ある向きには読んでいただくしかありません。そして、こういった不平等について、一般に人口に膾炙した「格差」という用語ではなく、「較差」という用語を用いて、報道でも取り上げられることが少なくないジニ係数やほかの指標を紹介しています。ただ、結論の前の章で経済学者の視点から、都市部の賃金が地方の賃金より高いと仮定すれば、地方の政治的影響力を都市部よりも大きくする余地がある、とも指摘しています。本書の著者は都市部と地方のそれぞれの賃金=経済的利益と政治的影響力の和を均衡させることが解決策となる可能性を示唆しています。本書のタイトルが政治経済学となっているゆえんの一端ではないかと思います。最後の最後に、私からひとつだけ指摘しておくと、「一票の平等」は極めて重要なのですが、その平等な投票に基づいて選ばれた国会議員が、憲法改正や参議院否決後の衆議院の再議決などを例外としつつも、そのたの多くの議案に関して、はたして、単純過半数で法律や予算を議決していいものかどうか、こういった視点も本書のスコープの外ながら気にかかる点です。
次に、山口未桜『禁忌の子』(東京創元社)を読みました。著者は、医師なのですが、昨年2024年本作品みより第34回鮎川哲也賞を授賞されてデビューしています。有栖川有栖の創作塾のご出身であるとの報道を見かけたことがあります。本書は今年の本屋大賞の4位に入っています。ということで、本書の主人公は兵庫県の芦屋と神戸の間にある病院の救急医である武田航です。33歳です。4月初旬に「キュウキュウ12」とコードをふされた溺死体が運び込まれてきます。なんと、その溺死体は、見た目はもとより、身長・体重、さらに体毛の生え方まで武田航とソックリ瓜二つでした。どう見ても遺伝子上の類似性が想定されるので、武田航の中学校のころの同級生で同じ病院に勤務する消化器内科医の城崎響介とともに調査を始めます。この城崎響介が謎解きの探偵役を務めるわけですが、この人物のキャラが何とも独特で、この人物造形だけでも新人作家が文学賞に入選するだけの値打ちがあるような気がします。ただ、このキャラについては、読んでみてのお楽しみです。武田航の両親はすでに亡くなっており、一家には双子どころか兄弟もおらず、戸籍を調べても双子であった形跡はなく、母子手帳にも「単胎」と記載されているばかりです。ただ、さすがに警察の調査により、「キュウキュウ12」は岐阜県在住の中川信也という人物であることが判明します。調べを進めるうちに、大阪にあるリプロダクティブ医療のクリニックに武田航の母親が妊娠のごく初期に通っていたことが判明し、武田航と城崎響介の2人はその生島リプロクリニックの生島京子理事長から「知る権利がある」といった趣旨の返事を受け取って話を聞く機会を得ますが、そのアポイントの直前に生島京子理事長は密室状態の鍵のかかった理事長室のドアのノブにかけられたベルトで首を吊って亡くなってしまいます。他殺か自殺か、警察とともに武田航と城崎響介の2人も独自に調査を進めます。といったあたりから、生殖医療による何らかの医療的な措置により、武田航と中川信也の2人は極めて類似した、あるいは、同一の遺伝子を有する、との暫定的な結論が導かれます。後の謎解きは、城崎響介のキャラとともに、読んでみてのお楽しみです。最後にいくつか私の方から指摘しておくと、まず、テーマからして重いです。生殖医療の倫理性、そして、犯罪行為の倫理性、そういったものを含めて重くて暗いストーリーです。まあ、その分、考えさせられる部分もありますが、私のような生殖医療などに専門性ない読者が考えてもどうなるものでもありません。そして、ミステリとしては、ストーリーの展開とともに徐々に真相が明らかになるタイプのミステリであり、名探偵が最後の最後にどんでん返しの真相を明らかにするタイプのミステリではありません。ですから、私も途中で真実に気づいてしまいました。その意味で、タイトルがあまりにもダイレクトに結末を暗示していて私は好きになれません。でも、謎解き役の城崎響介のキャラは大好きです。
次に、今井悠介『体験格差』(講談社現代新書)を読みました。著者は、チャンス・フォー・チルドレンという団体の代表だそうで、これだけでは何のことやら判りませんが、この団体は生活困窮家庭の子どもの学びを支援しているということです。本書では、タイトル通りに、「子どもにとっての必需品」、すなわち、その社会に生まれたすべての子どもが享受できて然るべきものとしての体験について、第1部でアンケート調査の結果を、また、第2部でインタビューの概要などを明らかにするとともに、第3部では体験格差の縮小や解消に向けた取組みを論じています。なお、本書では年間所得300万円に満たない家庭を低所得としています。ということで、軽く想像されることですが、低所得家庭においては小学生などの体験が少なく、体験格差が存在することが明らかにされています。特に、体験ゼロの割合は300万円未満家庭では約30%であり、600万円以上の10%あまりの約3倍となっている事実を明らかにしています。子供たちの想像力の幅はもとより、長じての人生の選択肢の幅まで、大なり小なり人生における体験に依存している部分があるとか、小学校4年生くらいまでは学習よりも体験の方が重要といった主張がなされています。特に、本書では意図してか、意図せざるかは別にして、母子家庭をはじめとするシングルペアレントの家庭に一定の焦点が当たる形となっていて、低所得で金銭的な負担が出来ない上に、子どもの体験をサポートするための時間的な余裕もない姿が浮き彫りにされています。第2部のインタビューでは低所得に加え、障害などのマイノリティ、また、多子の家庭の実情が明らかにされています。体験が少ないと、社会情動的スキル、というか、学力などの認知能力に対比して忍耐強さややり抜く力などの非認知能力と呼ばれるスキルを伸ばす機会が限定されるおそれを指摘しています。最後の第3部では、p.164から5項目の提案がなされています。このあたりは読んでいただくしかありません。最後に、我が家の場合ですが、やや突飛にめずらしい体験としては、大雑把に子どもたちの幼稚園のころ、というか、小学校に上がる少し前くらいの3年間を私の仕事の関係で海外で過ごしています。南の島のジャカルタで3年間を過ごし、定期的にメディカルチェックでシンガポールを訪れ、年末年始休みや夏休みといったまとまった休暇では、日本に一時帰国することもありましたし、インドネシア国内のバリ島などや近隣国のタイのプーケット、マレーシアのペナンなどといったリゾートは満喫しました。はたまた、オーストラリアのパースまでカンガルーやコアラを見に行ったこともあります。帰国してからは普通だと思うのですが、夏休みの海水浴はよく行きましたし、水泳教室なんてのも行かせましたが、でも、今となっては何の役にも立っていないように見えなくもありません。長じてからは、レクリエーション活動が減った裏腹に、塾などで学校学習を補助することもしましたし、それなりに、本書でいうところの体験は、通り一遍ながら、いろいろとさせたつもりです。でも、本屋大賞にもノミネートされていた『アルプス席の母』のような強烈な親のサポートを必要とする体験は、どこまで役立つんでしょうか。少し謎です。
次に、田中秀征・佐高信『石橋湛山を語る』(集英社新書)を読みました。著者は、元衆議院議員の政治家と評論家、なんだろうと思います。「語る」というタイトル通りに対談なのですが、軽く想像されるように、著者のうちの佐高信が聞き手になって、元衆議院議員の政治家である田中秀征が語り手になっている部分が多い印象です。なお、出版は昨年2024年10月なのですが、現在の石破内閣については何の言及もなく、出版の時期からして石破内閣、あるいはその前段階の石破自民党総裁が決まる前の時点での対談ではないか、と私は想像しています。まず、本書p.12に石橋湛山の略年譜がありますが、経済評論家というか、『東洋経済新報』のジャーナリストであり、戦後は内閣総理大臣に就任するも急性肺炎のために3か月ほどで辞任しています。ということで、冒頭の対談では石橋湛山の「小日本主義」を取り上げています。戦前昭和期の世界的にも帝国主義の時代に、我が日本は本州ほかの4島だけでやっていける、したがって、満州や朝鮮や台湾は不要などを主張し、石橋湛山は「小日本主義」として論陣を張っています。結果として、ヤルタ宣言だか、ポツダム宣言だか、を受け入れて、日本は戦後4島の基盤のもとで戦後復興や高度成長といった経済発展を成し遂げたわけで、先見の明を見ることが出来ます。この「小日本主義」の背景に、アダム・スミスの自由放任経済、J.S.ミルの功利主義、グラッドストンの植民地経営に対する見方などがあるといった議論を対談では展開しています。そして、その「小日本主義」を成り立たせる条件を4点上げていて、国際的には、自由な通商とブロック経済への批判、高度な科学技術を基礎とする魅力的な財の供給、国内的には、積極的な経済拡大を支援する財政政策、そして、まっとうな倫理観に支えられた経済政策運営、と指摘しています。やや本書のオリジナルな表現とは異なりますが、私の理解した限りでの本書の主張を私の表現にしたがって展開すれば以上の通りとなります。ここまでが第1章であり、残りの2章から6章は読んでいただくしかありませんが、1点だけ私の方から疑問を呈しておくと、本書では現在の自民党、というか、日本ではリーダーが不在であり、小選挙区制のために世襲議員が増加している、と主張しています。私はこの点は疑問です。すなわち、タイミングの点から本書でカバーしきれなかった現在の石破自民党総裁、石破内閣を見ても明らかですが、自民党総裁選における発言と総理総裁に就任してからの発言が大きく異なっています。メディアではもう忘れているようですが、いろんな総裁選当時の発言を反故にしているのは明らかです。意図的に虚偽の公約を掲げていた可能性は否定しませんが、逆に、まあ、好意的に解釈するとすれば、党総裁選の際に掲げていた公約は総理総裁に就任してからは実現が不可能であったわけで、それは石破総理のリーダーとしての力不足に起因するものではありません。すなわち、自民党、というか、公明党も含めて現在の与党体制の中で、リーダーとしての力量にはそれほど関係なく、システムとして制度疲労を起こしているのだと考えるべきです。ですから、強力なリーダーが必要なのではなく、本書で主張しているような政策、あるいは、広い意味でのシステムを実現するためには、政権交代が必要、という点は理解すべきです。
次に、深木章子『闇に消えた男』(角川文庫)を読みました。著者は、60歳にして弁護士を引退して小説を書き始めたミステリ作家です。私は、この作家さんは『消人屋敷の殺人』しか読んだことがないのですが、本書はそこで登場したフリーライターの新城誠と、文芸編集者の中島好美の2人が謎解きに当たる作品、というか、2人で調査し新城誠が謎解きをする長編ミステリです。ですが、シリーズをなしているというよりも独立したミステリであり、前著をすっ飛ばして本書だけでも十分楽しめます。ストーリーは、ノンフィクション作家の稲見駿一が取材旅行に出かけて、そのまま行方不明となって3か月が経過し、妻の稲見日奈子から出版社の粂川を通じて2人に調査の依頼があります。稲見駿一は資産家の跡取りであり、多額の不動産収入があることから、コストを気にせずに徹底した取材で作品を仕上げる主義で、寡作だが定評あるライターでした。仕事に関しては秘密主義というか、家族にも何も知らせず、何日も帰宅しないことがあるということです。でも、さすがに3か月というのは今までになく長期間である上に、仕事で借りているマンションのメールボックスに「地獄に堕ちろ」で始まる脅迫状めいた怪文書が投函されていて、調査の依頼につながっています。そして、まあ、いろいろあって調査が進んで謎解きがなされるわけです。はい、驚愕のラストといえます。最後に、2点だけつけ加えておきたいと思います。第1に、本書は5章から構成されていますが、奇数章では中島好美から見た1人称の視点でストーリーが進められている一方で、偶数章では稲見日奈子の視点ながら3人称で進められます。これは、性別としては同じ女性ですので、ひょっとしたら、混乱をきたす読者がいるかもしれませんが、まったく気づかない読者も多そうな気がします。何と申しましょうかで、ひとつの趣向であることは明らかなのですが、作者が何を意図していて、読者がどういった受止めをするかは私には不明です。もうひとつは作者に関して、60歳にしてデビューというのは、年齢だけを考えると、幼稚園教諭と幼児教育教材会社勤務を経てミステリ作家となった天野節子を思い出してしまいました。天野作品も、デビュー当時の『氷の花』と『目線』くらいまでは興味深く読んだのですが、不勉強にして、その後はご無沙汰しています。
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