今週の読書は計5冊
今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、中山淳雄『キャラクター大国ニッポン』(中央公論新社)では、IP(知的財産)ビジネスに着目し、日本で1980年からIPビジネスに成功した25のキャラクターについて取り上げています。最大規模の経済圏は私の大好きなポケモンです。ポケモン経済圏は15兆円に上るとしています。呉勝浩『法廷占拠』(講談社)では、前作『爆弾』の裁判が拳銃を持った立てこもり犯に占拠され、警視庁特殊犯捜査第1係の係長である高東柊作が立てこもり犯と交渉に当たりますが、被告人となっているスズキタゴサクが拉致されます。続編があることが示唆されています。木村元『学校の戦後史 新版』(岩波新書)では、デジタル化、少子高齢化、多様化・多文化化が大きく進んだ最近の教育現場を戦後史の中で考え、単に質の高い労働力を供給する機関としてだけでなく、学校の果たすべきさまざまな役割について議論しています。C.S. ルイス『ナルニア国物語6 魔術師のおい』(新潮文庫)は、ナルニアの天地創造の物語であり、人間界の時代としてはペベンシー家の4人きょうだいがナルニアを訪れた20世紀初頭からさかのぼること約50年の19世紀半ばとなっています。ロンドンから異世界を訪れたディゴリーとポリーがライオンによる新しい国の創造に立ち会います。小池壮彦『幽霊物件案内』(文春文庫)は、この季節にふさわしい怪談集であり、場所につく地縛霊の幽霊についての短編やショートショートを収録しています。私は霊感もなく幽霊に遭遇したことはありませんし、超常現象にも縁がないのですが、季節の風物詩として怪談を楽しんでみました。
今年の新刊書読書は1~6月に164冊を読んでレビューし、7月に入って先週と先々週の13冊に今週の5冊を加えて、合計で182冊となります。これらの読書感想文については、Facebookやmixi、mixi2などでシェアしたいと考えています。
まず、中山淳雄『キャラクター大国ニッポン』(中央公論新社)を読みました。著者は、エンタメ社会学者、Re entertainment 代表取締役だそうです。本書では、IP(知的財産)ビジネスに着目し、日本で1980年からIPビジネスに成功した25のキャラクターについて取り上げています。まず、本書冒頭ではIP(知的財産)ビジネスについて、日本では2002年の当時の小泉内閣において「知的財産立国宣言」が打ち出されたころから始まった一方で、米国では1980年代から始まっており、最初はハリウッド映画の世界展開である、と指摘しています。ディズニーなんて戦前から活動していますし、直感的にもっと早いような気がしていましたが、IPビジネスとしてはそうなのかもしれません。本書では、冒頭3章で昭和のキャラクター史、平成キャラクター史の漫画編とゲーム編をそれぞれ展開し、2例だけ欧米IPのグローバル展開を取り上げ、その後のメディアミクスにおけるユーザー発見・共創型のIPや戦略的IPビジネスとして、編年体の1-3章と同じように、いくつかのキャラクターに着目しています。まず、日本で最初のIPビジネスとして、1954年の『ゴジラ』を位置づけています。『鉄腕アトム』は1952年スタートなのですが、アニメ化されたのが1963年で、『ゴジラ』が先行しているようです。昭和では、『ゴジラ』に続いて、『ウルトラマン』、『仮面ライダー』、そして、『アンパンマン』、さらに、『ドラえもん』、『ハローキティ』、『ガンダム』と続きます。平成以降の生まれであっても、これらのキャラクターを耳にしたことはあるのではないかと思います。そして、平成キャラクターでは、漫画編で『ドラゴンボール』、『クレヨンしんちゃん』、『One Piece』、ゲーム編で『スーパーマリオ』、『ファイナルファンタジー』、『ポケモン』、『妖怪ウォッチ』、『ベイブレード』と続きます。最後の『ベイブレード』は電子ゲームではない、いわゆる玩具、おもちゃです。我が家の子どもたちの世代によく流行しましたので、基本、日本ではなくジャカルタで遊んだ記憶があります。私は前々から日本の比較優位はものづくりの製造業ではなく、漫画などのサブカルにあると考えています。まさに、本書で取り上げられているようなキャラクターを中心に据えた知的財産ビジネスです。その中でも、特に、『ポケモン』という巨大な存在を改めて感じました。もう25年ほども前に一家でジャカルタに赴任していた際、まだ未就学児だった子どもたちがポケモンに接して虜になりました。未就学児ですから文字を読めるわけではないので、『コロコロコミック』に連載されていたような漫画は楽しむことができず、もっぱらアニメでした。サトシがピカチュウを連れてアチコチでバトルを挑み、ロケット団が妨害工作をする、というきわめてワンパターンなアニメだったのですが、その年齢の子どもには十分に楽しめる内容でした。帰国して小学生になって携帯ゲーム機でゲームを楽しむようになり、そのうちにポケモンからは子どもたちが卒業し、親の私だけがまだ熱中しているような次第です。それにしても、15兆円経済圏とはびっくりです。
次に、呉勝浩『法廷占拠』(講談社)を読みました。著者は、ミステリ作家であり、前作が『爆弾』ですから、本書のサブタイトルは『爆弾2』となっているのは表紙画像の通りです。ただ、ストーリー的には前作を特に読んでおく必要はなさそうな気がします。スズキタゴサクのキャラについて慣れておくために前作を読んだ方がいい、という程度の前作とのつながり、と私は考えています。ということで、タイトル通りに法廷が舞台になっていて、スズキタゴサクが被告人となっている裁判が東京地裁104号法廷で開廷中に、傍聴席の中の遺族グループから拳銃を持った青年が立ち上がり、被告のスズキタゴサクはもちろん、100人ほどの傍聴人や裁判官・検事、あるいは、ほかの裁判関係者を人質にして立てこもります。こういった裁判で見かけることもある遺影とともに持ち込まれた骨壺に拳銃や爆弾が隠されていたのではないか、との疑惑です。青年の名は柴咲奏多であり、彼の要求は「ただちに死刑囚の死刑を執行せよ」というものです。スズキタゴサクの事件のあった警視庁野方署から、前作でも登場していた倖田沙良が証言のために出廷しています。そして、警視庁特殊犯捜査第1係の係長である高東柊作が立てこもり犯である柴咲奏多との交渉に当たります。ということで、出版社のサイトでは、「籠城犯vs.警察vs.スズキタゴサクが、三つ巴の騙し合い」というキャッチフレーズとなっているのですが、三つ巴はやや誇大表現ではないか、と私は考えています。冒頭はテンポよく進行している一方で、スズキタゴサクは法廷が占拠されている段階では特に動きを見せていません。ですから、通常通りに、立てこもり犯の柴咲奏多 vs 警視庁、という対立的な構図で進みます。この構図に収まらないスズキタゴサクは前作と同じ人を食ったような飄々としたキャラクターを続けているだけで、特に、何か目立つ存在感を示したわけではありません。もちろん、いつまでも法廷占拠を続けるのは常識的にムリがありますので、何らかの段階で脱出が図られるわけですが、その詳細については読んでみてのお楽しみです。フィクションのエンタメ小説ですから、現実にはほぼほぼありえないような展開を楽しめます。加えて、さらに続編があることを十分示唆する結末になっています。私の感想としては、こういったシリーズについては、例えば、ホリー・ジャクソンの『自由研究には向かない殺人』からのシリーズとか、夕木春央の『方舟』と『十戒』が典型的です。段々とクオリティが落ちていくシリーズが少なくありませんが、本書はめずらしく前作と同等のクオリティを保っています。
次に、木村元『学校の戦後史 新版』(岩波新書)を読みました。著者は、青山学院大学コミュニティ人間科学部特任教授、一橋大学名誉教授であり、ご専門は教育学と教育史のようです。本書は「新版」であり、10年前に旧版が出版されています。したがって、2015年以降についての分析が新たに加えられています。最近10年で教育の現場は大きく変わり、特に、デジタル化、少子高齢化、多様化・多文化化が大きく進んだのは衆目の一致するところだと考えられます。日本の学校については、本書でも指摘されているように、近世江戸期に庶民向けの寺子屋、また、各領主の下に藩行政を支える藩士の教育をつかさどる藩校などの整備が進み、明治期に義務教育としての学校設置が一気に広がっています。義務教育黎明期のご苦労がしのばれるエピソードもいくつか本書には収録されています。そして、学校では設立当初は独自カリキュラムに沿った特色ある教育活動が実践されていったのが、段々と統制色を強めて教員の教育指導の画一化が図られます。その基礎として、学校が経済社会に対して労働力、質の高い労働力を供給する機関として重視された点が指摘されています。はい、この点は私も同意しており、いつまでも勉強を続けているのではなく、いつかは経済社会に出るわけですから、学校とはある種のその準備機関とも考えられます。もちろん、単に経済社会における生産性を高めるだけではなく、有意義で楽しい人生を送るための準備機関でもあります。ただ、1984年中曽根内閣の時に設置された臨時教育審議会(臨教審)が大きな転機となって、そういった市場性を求める新自由主義的な教育政策の色彩が強まったのは、まさに、本書で考察している通りです。同時に、このころ1980年代から格差の拡大が始まり、学校におけるスクール・カーストが形成され、それ以前からあったであろういじめがひどくなった点も見逃せません。加えて、最近数年で教育のデジタル化が大きく進み、GIGAスクール構想なんかは、私はむしろ格差を拡大しかねないおそれがあると考えています。格差だけでなく、現在の教育にはいくつかの批判がつきまとっており、そういった批判を考える上でもこういった歴史的な分析が必要です。学校や教育の戦後を考える上でとてもいオススメの1冊です。
次に、C.S. ルイス『ナルニア国物語6 魔術師のおい』(新潮文庫)を読みました。著者は、アイルランド系の英国の小説家であるとともに、長らく英国ケンブリッジ大学の英文学教授を務めています。英語の原題は The Magician's Nephew となっています。1955年の出版です。本書も、小澤身和子さんの訳し下ろしにより新潮文庫で復刊されているナルニア国物語のシリーズであり、第6巻となります。広く知られている通り、次の第7巻『さいごの戦い』でシリーズ終結ということになります。とはいえ、第6巻であるのは著者によって出版されたのが6番目という意味で、本書の時代背景は第1巻『ライオンと魔女』のずっと前であり、ナルニアの天地創造の物語となっています。人間界の時代としてはペベンシー家の4人きょうだいがナルニアを訪れた20世紀初頭からさかのぼること約50年の19世紀半ばということになります。ナルニアが創生される前の異世界を訪れるのはポリー・プラマーとディゴリー・カークであり、ロンドンに住んでいるお隣同士の遊び友達です。ディゴリーの伯父で錬金術師のアンドリュー・ケタリーが魔法の指輪を作り出し、ディゴリーとポリーが異世界に飛ばされるわけです。異世界の滅びの都チャーンの女王ジェイディスを目覚めさせて、何と、シリーズ初の新機軸なのですが、ディゴリーとポリーがロンドンに戻る際に、女王ジェイディスがついて来てしまい、ロンドンはちょっとした混乱を生じます。そして、ジェイディスを元の世界に戻そうとディゴリーとポリーが奮闘するのですが、また別の異世界に迷い込んでしまいます。そこでは、ライオンが新しい国を創造しようとしているところでした。また、ディゴリーとポリー以外にも、アンドリュー伯父さん、また、ロンドンから別の人物がナルニア創世記の異世界に迷い込みます。そして、後のペベンシー家の4人きょうだいがナルニアを訪れた20世紀初頭に洋服箪笥のある家に住んでいたカーク教授、さらに、たぶん、ナルニアのカスピアン王子のご先祖と考えられる初代の王と女王が本書で明らかになります。
次に、小池壮彦『幽霊物件案内』(文春文庫)を読みました。著者は、作家・ルポライター・怪談史研究家だそうです。本書は2000年に出版された単行本に、いくつかの追加をして、25年を経て文庫化されています。タイトルから軽く想像される通り、この季節にふさわしい怪談であり、ホテルやアパートといった場所に関係する怪奇を取り上げています。すなわち、各章で、ホテル、住居、学校、会社、病院、飲み屋、喫茶店、他、の7章構成となっています。さらに、巻末に「東京近郊怪奇スポット」十選が添えられています。基本的に、短編集、というか、中には数行で終わるようなショート・ショートよりもさらに短い小編も含まれています。幽霊の本質がどういうものかについて、私はまったく見識を持ち合わせませんが、どうも、少なくとも本書での基本は地縛霊のようです。すなわち、病院に住み着いていた幽霊が、病院が建替えをして別の場所に移って、元の場所が駐車場になった際、転地した後の病院に出るのではなく、病院のあった同じ場所の駐車場で何かしているらしいです。いずれにせよ、私は科学の一領域である経済学を専門とする大学教員であり、幽霊などの存在はまったく信じていませんし、したがって、なのかどうか、霊感のようなものは持ち合わせておらず、70年近くなった人生で幽霊に遭遇したことはありませんし、金縛りにあったなどの超常現象にも縁がありません。でも、この季節にはこういった怪談を楽しむくらいの心の余裕は持ちたいものだと思っています。
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