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2025年7月26日 (土)

今週の読書は気候変動の本をはじめ計7冊

今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、東京大学気候と社会連携研究機構[編]『気候変動と社会』(東京大学出版会)は、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の報告書の解説にとどまらず、幅広く気候変動の社会的な影響について議論しており、特に、第3章の将来シナリオで用いられているモデルは、私の興味を強く引きつけました。雨宮純ほか『社会分断と陰謀論』(文芸社)では、日本をはじめとする国別の分断と陰謀論、さらに、テーマ別でトランスヒューマニズム、シンギュラリティなどに基づく分断と陰謀論を考えた後、日本への提言と、トランプ時代以降に顕在化した分断・陰謀論の社会心理への影響を総括しています。長迫智子・小谷賢・大澤淳『SNS時代の戦略兵器陰謀論』(ウェッジブックス)では、安全保障の観点から、米国大統領選挙をはじめとして陰謀論がどのように国家の意思決定を脅かす存在となっているか、そして、中露が陰謀論を戦略的に利用して我々の認知を攻撃している現状を明らかにしようと試みています。井上伸『民主主義のためのSNS活用術』(日本機関紙出版センター)では、Q&Aの形式により、労働組合運動をはじめとする民主的な運動や組織においてSNSをいかに活用して若い世代をはじめとするさまざまな国民各層の関心を引き付けることが出来るかについて、基礎から解説を加えています。物江潤『SNS選挙という罠』(平凡社新書)では、金の匂いを嗅ぎつけたインフルエンサーや動画配信者がバズるために何でもする、というSNSの本質を明らかにしつつ、フェイクや陰謀論が拡散しやすい構造、極端な言説が群れをつくる危険性を指摘しています。後半の戦後思想家・吉本隆明に関する部分はパスでいいと思います。松岡圭祐『タイガー田中』と『続タイガー田中』(角川文庫)は、ともに、イアン・フレミングの007シリーズのパスティーシュであり、1960年代前半の日本を舞台に、公安調査庁トップの田中虎雄ことタイガー田中と娘の田中斗蘭が007ボンドとともに、スペクターの首領ブロフェルドらと対決します。
今年の新刊書読書は1~6月に164冊を読んでレビューし、7月に入って先週までの18冊に今週の7冊を加えて、合計で189冊となります。今年も年間で300冊に達する可能性があると受け止めています。これらの読書感想文については、Facebookやmixi、mixi2などでシェアしたいと考えています。

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まず、東京大学気候と社会連携研究機構[編]『気候変動と社会』(東京大学出版会)を読みました。編者は、東京大学に2022年に設置された学術分野横断型の連携研究機構であり、機構とサステイナビリティの観点から自然科学・社会科学・人文学にまたがる教育研究を展開しているようです。チャプターやセッションごとの著者は巻末に収録されています。東京大学出版会の出版物ということで、かなりの程度に学術書の色彩が強いのですが、気候変動というテーマで一般向けにも難解にならないように工夫されているようで、基礎的な知識さえあれば読み進むことはそう難しくないと思います。ただ、かなり多数の著者が執筆に参加していて、それだけに、統一性のない仕上がりになっている面はあります。必ずしも、章ごとで相矛盾する内容を含むわけではありませんが、もともとの気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の報告書について、私はそれほど整理されたものではないという印象を持っていて、その大元に起因する部分もあります。それにしても、冒頭のはじめにp.ⅲに並べられた問いの多さには少しびっくりした、というか、的を絞りきれていないんではないかという気がします。まず、用語の点で、私も授業では日本で用いられる「地球温暖化」は国際的には狭い範囲しか認めていないようにみなされるので「気候変動」の方が格段にいいとオススメしていますが、本書ではさらに「気候変化」の方が好ましい、なんて主張を展開していたりします。私がもっとも興味を持ったのは第3章の将来シナリオの分析であり、特に、モデルについてはよく解説してあった気がします。例えば、その昔に私が読んだ名古屋大学大学院環境学研究科・名古屋学院大学(2011)「自立的地域経済・雇用創出のための CO2大幅削減方策とその評価手法に関する研究」において、地域気候政策・経済分析モデルの作成を論じていますが、私もモデル研究者として参考にしたい気がします。その昔に役所で研究官をしていたころには、こういった概括的なテキストを読み込んだ上でデータを集めてプログラムを組んで、簡単な推計数本で結果を出して論文を書いていたのですが、本書はそんな目的にはピッタリだという気がします。学術書ですから参考文献も豊富にリストアップしていて、一般読者はそこまで見ていないかもしれませんが、さすがに、東京大学出版会の本だという気がしました。最後の最後に、実は、私は二酸化炭素削減、というか、カーボンニュートラルには懐疑的で、日本や先進国では可能でも世界全体で見れば、CCS(二酸化炭素回収・貯留)やCCU(二酸化炭素回収・利用)が低コストで実現できないとムリだろうと思っているのですが、本書ではCCS/CCUについて、第5章の5.5でチョッピリ言及されているだけです。この点だけは違和感を感じましたが、たぶん、CCS/CCUなしでもカーボンニュートラルが可能であると考えているのだろうという気がします。その意味では、将来見通しに少し楽観的なバイアスがありそうです。

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次に、雨宮純ほか『社会分断と陰謀論』(文芸社)を読みました。著者は、ジャーナリストが1人のほかは研究者が多い印象です。ただ、いわゆる陰謀論や安全保障の研究者をはじめとして、地域研究の専門家も含まれています。本書は、3章から構成されていますが、各章が1人のチャプター執筆者だけに委ねられているわけではなく、章の中の各節ごとに執筆担当者で分割されていたりします。ただ、編者というものを置いていないようなのですが、それほど相矛盾する内容であったとは思えません。統一性が取れている、とまではいかないものの、同じ方向を向いている気はします。ということで、第1章では各国の分断と陰謀論に着目していて、日本、韓国、米国、フランス、トルコ、レバノンなど複数国家の政治的分断と陰謀論の関係を論じています。各国それぞれの文化的・歴史的背景から、どのようにして陰謀論が現地の政治対立や社会的不信と結びつき、差異化されて拡散されているかを分析しています。第2章では、テーマ別論考として、分断と陰謀論について議論しています。トランスヒューマニズム、シンギュラリティ、新世界秩序、シミュレーション仮説など、世界観を巡る陰謀論を取り上げています。また、アフリカにおける偽史と秘密結社説や、選挙不正や支配 Elite に関する陰謀論など、分断を煽る具体的テーマを体系的に整理。特にQアノンのグローバル展開と中国・ロシアとの関係にも注目しています。第3章では、今後の展望と対策として、日本社会における陰謀論の動向とその対抗策を検討しており、情報リテラシー教育やメディア環境整備による防御策に加え、アメリカの分断経験から得られる教訓として、集合的無意識と日常化した陰謀論現象への統合的アプローチが示されています。ごく簡単に、今後の影響予測と危機管理的視座も含めた総括的展望についても議論されています。どうして、一般大衆がついつい陰謀論を信じてしまうかについては、烏谷昌幸『となりの陰謀論』(講談社現代新書)を以前に取り上げた際に、人間の中にある「この世界をシンプルに把握したい」という欲望と、何か大事なものが「奪われる」という感覚、と指摘されていましたが、基本はその通りで、ツベルスキー&カーネマンの経済心理学などでいうところのシンプルに説明できるヒューリスティックに飛びつく人間心理、そして、これもツベルスキー&カーネマンのプロスペクト理論で明確にされたネガのロスを回避することが、ポジのゲインを獲得することよりも重要、という人間のマクロの心理現象なのだろうと私は考えています。

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次に、長迫智子・小谷賢・大澤淳『SNS時代の戦略兵器陰謀論』(ウェッジブックス)を読みました。著者は、順に、情報処理推進機構(IPA)サイバー情勢研究室研究員、日本大学危機管理学部教授、中曽根康弘世界平和研究所主任研究員であり、基本的に、研究者と考えてよさそうです。本書の冒頭p.5では「アメリカ大統領選挙をはじめとする各国事例において陰謀論がどのように国家の意思決定を脅かす存在となっているか、そして、中国やロシアといった安全保障上の懸念国が、陰謀論というナラティブを戦略的に利用して我々の認知を攻撃することで、どのように我々の自由民主主義的価値観を脅かしているかを示し、さらにはその脅威が日本までをも侵食していることを明らかにする。」と明記していて、外交や安全保障の観点から、SNSに流されているさまざまな陰謀論を認知銭暢樹として捉えて分析しています。本書は4章構成であり、第1章では、2020年と24年の米国大統領選挙を中心に、SNSを通じた陰謀論の拡散と民主主義への影響を分析し、Qアノンや選挙不正説などが、どのようにして信念体系となり、政治的分断を深めたかを考察しています。さらに、第2章が本書の核心であり、陰謀論を「認知戦」の観点から捉え直しています。すなわち、フェイクニュースやボットを用いた拡散により、国家や非国家アクターが意図的に世論を操作し、民主社会の信頼を揺るがす過程を分析しようと試みています。第3章では、中国とロシアの情報戦略を歴史的背景とともに分析していて、プロパガンダや情報攪乱、サイバー攻撃が国家戦略として組み込まれている中露の情報戦では、国内世論に対してあたかも内部から影響を浸透させるようにして、武力ではなく情報線で優位に立つ重要性を強調しています。第4章では、日本社会の情報空間の脆弱性に焦点を当てており、海外発の陰謀論や偽情報が日本国内で無批判に拡散される状況を指摘し、情報リテラシーの欠如がもたらすリスクと対応の必要性を強調しています。この第4章の最後のポイントは、つい最近の参議院選挙における極右勢力の伸長に結びついている可能性があり、今後も注視するべきと私は考えています。

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次に、井上伸『民主主義のためのSNS活用術』(日本機関紙出版センター)を読みました。著者は、国家公務員労働組合連合会(国公労連)の書紀であり、本書冒頭でも紹介している2019年の全労連パンフレット『労働組合活動におけるSNS活用のススメ』は私もダウンロードして持っています。また、著者ご本人がnoteで冒頭のはじめにと目次を公開していますので参考になります。本書は、Q&Aの形式を取っており、Q.19まであるのですが、最初の2/3くらいはいわゆる「そもそも論」で、SNSの基礎を初心者向けに解説しています。アカウント作成から始まって、一般論として、中高年はFacebookで、若年層はX(Twitter)などです。そして、核心のバズるポストのコツがQ.13に置かれています。Q.19のうち、ほぼほぼQ.12までが初心者向けといえます。その後、Q.15でエックスデモ(旧ツイッターデモ)でトレンド入りする方法、Q.16エックスでポストする有効な時間帯、などなどの実践的な内容が続きます。そういった中身については読んでいただくしかりません。今まで、SNSについては労働組合運動の立場からはネガな見方しかされてこなかったように私は受け止めていて、むしろ、労働組合に敵対的な姿勢を示したり、あるいは、右派的な見方を示すポストが多い印象があり、特に、ツイッタがイーロン・マスクによって買収されてからは、そういう見方が強まった気がしています。でも、ある意味で、SNSは言論の自由を保証するひとつの手段であり、労働組合や左派リベラルでも活用が広がっていいというのは当然です。特に、若者の労働組合離れが進んでいる現状では、若年層にリーチする手段としてSNSが一層重視されるべきだと私は考えています。本書に収録されているQ&Aで、Q.11に炎上が怖くて投稿できない、というのがあり、それに対する回答では、もしも炎上されて注目されたらむしろラッキー、といった趣旨の回答があります。まったくその通りです。でも、私が知る限り、公務員のお勤めする役所の労働組合とか、教職員で組織されている学校の労働組合とか、もともとが保守的な組織で、おそらくお勤めの方々も慎重姿勢でしょうから、こういった新しい教宣手段には手を出しにくい面があることは理解できます。でも、会議室で会議を開いたり、ホールを借りてシンポジウムを開催したりしても、関心ある人しか集まらず、多くの国民に訴えるには別の仕組みが必要です。それが、その昔はデモ行進でシュプレヒコールを上げたり、街頭宣伝だったりしたのですが、今ではそういったことがオンラインのSNSで広く訴えかけることが可能になっています。活用しないという手はありません。

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次に、物江潤『SNS選挙という罠』(平凡社新書)を読みました。著者は、東北電力、松下政経塾を経て執筆活動をしているらしいです。私はこの著者の本は同じ出版社の平凡社新書で『デジタル教育という幻想』を読んでいます。本書では、おそらく、直接の契機は昨年2024年11月の兵庫県知事選挙ではないかと私は想像します。常識的な範囲で斉藤知事が再選されると考えていた人は少なそうな気がしますが、それでも再選されて、現在も知事の職に居座り続けているのは広く知られている通りです。そういった選挙におけるSNSの利用については、本書では既存の大手マスメディアに嫌われるところから話を始めていますが、少しズレがあると感じます。しかも、SNS選挙を称して、ストーリー参加型というのはいいとしても、ハッキリいって、SNSというのは選挙であれ、何であれ、バズった者勝ちの世界だという認識は薄いようです。ですから、下品であろうと、猥褻であろうと、注意を引き付ける、すなわち、自由競争の下でのアテンション・エコノミーの世界である点は認識されるべきです。本書で、p.25で「『反マスコミ』『金もうけ』『政治思想』の三つがないまぜになった奇妙な風は、確かな得票数をもたらしていきます」という中で2つ目の「金もうけ」だけでが正しいのではないかという気がします。特に、この第1章では、金の匂いを嗅ぎつけたインフルエンサーや動画配信者が、思想の自由市場でバズるために何でもする、という本質に関する議論が、ちょっと違う表現ながら、なされています。それをストーリー形成に持っていくのは難があります。要するに、繰り返しになりますが、バズればそれでいいわけで、バズるためには下品であっても、ポリコレから大きくハズレていようとも、何の問題もないというのがSNSのひとつの特徴です。ですから、フェイクや陰謀論が拡散しやすい構造、極端な言説が群れをつくる危険があるわけです。。後半では戦後思想家・吉本隆明それを見極めるのが国民の民度や品位であるハズなのですが、経済力などといった量の退潮ともに、そういった国民のクオリティが大きく落ちているのは確かです。なお、後半で吉本隆明を持ち出していますが、この吉本隆明以下の後半はそれほど読む価値がありません。最後に、SNSは単に情報を流通させる場というだけではなく、分断にも、連帯と共感にも用いることができます。それは、あたかも、包丁が料理に使える一方で、使いようによっては、殺傷能力を持ちかねないのと同じです。そのSNSをエンタメだけではなく、いかに民主主義に活用できるかを考える時が来ているような気がします。

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次に、松岡圭祐『タイガー田中』『続タイガー田中』(角川文庫)を読みました。著者は、えんため小説家なのですが、経歴そのほか顔写真まで非公開で謎の作家さんです。本書は、イアン・フレミング原作の007ジェームズ・ボンドのシリーズの『007は二度死ぬ』に登場する公安調査庁トップの田中虎雄ことタイガー田中と娘の田中斗蘭、もちろん、ボンド本人の3人を主人公とするドンパチのスパイ小説です。『タイガー田中』の方は、『007は二度死ぬ』の後日譚であり、ボンドと同じように2度死ぬブロフェルドが生きていて、ボンドが田中父娘とともに対決します。『続タイガー田中』の方は、『黄金の銃を持つ男』の後日譚であり、これまた2度死ぬドクター・ノオが生きていて田中父娘やボンドと対決します。舞台はいずれも日本国内、ないし、まだ米国から返還されていない沖縄であり、時代は1960年代前半、1回目の1964年に開催された東京オリンピックをはさむ時期です。私自身は在外公館で情報収集活動にあたった経験から、スパイ小説としては007シリーズのような派手なアクション、というか、オペレーション=作戦行動のあるスパイよりも、柳広司ジョーカー・ゲームのシリーズに親近感を覚えるのですが、やっぱり、映画化などのビジュアライズを考慮に入れると、こういったドンパチものもいいと思います。秀逸だったのは、小説の中のフィクション部分と歴史的な事実の部分を重ね合わせているところです。ただ、逆に残念だったのは、日本が舞台になっているので、Q課の作成したマシンがまったく登場しないところです。なお、私は映画はいくつか見ていますが、イアン・フレミングの原作はまったく読んでいません。でも、この2冊は十分楽しめます。もっとも、007シリーズに何の基礎知識もなければ苦しいかもしれません。さらに、007のパスティーシュとしては、私はジェフリー・ディーヴァーの『白紙委任状』を読んだことがありますが、007パスティーシュとして松岡作品は完全にディーヴァーを超えていると思います。ホロヴィッツの『逆襲のトリガー』は読んだことがないので、何ともいえません。

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