今週の読書は経済書をはじめとして計8冊
今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、徐一睿・宮嵜晃臣[編]『パンデミックが映し出す経済と社会』(専修大学出版局)は2部構成となっていて、第Ⅰ部がパンデミックと財政・経済システム、第Ⅱ部が危機管理体制と社会変容を分析しています。第Ⅱ部については、行政対応、沖縄県の事例研究、医療や教育などに焦点を当てています。野口悠紀雄『戦後日本経済史』(東洋経済)では、戦後日本の経済を振り返り、高度成長期に大規模な労働力移動が生じてルイス転換点を迎えたという本書の主張は正しいと思いますが、バブル経済以降では、個人的な主張をかなりムリして理論付けているところがあり、批判的な読書が必要です。潮谷験『名探偵再び』(講談社)では、かつて祖父母のきょうだいだった大叔母が名探偵として活躍した学園に功績あった親族の枠で入学した女子高校生が、大叔母とは真逆のキャラで、ラクして他人に頼る手法によりながらも、謎を解き明かし事件を解決します。橋本健二『新しい階級社会』(講談社現代新書)では、かつて「1億総中流」と考えられていた日本で大きく拡大した格差について、新たな5階級にカテゴライズして定量分析を進め、特に、非正規雇用労働階級のアンダークラスに焦点を当て、孤立し健康不安におびえ、政治から見捨てられたかのごとき現状を分析しています。烏谷昌幸『となりの陰謀論』(講談社現代新書)では、陰謀論について、非常識な個人が撒き散らしているというマイクロな視点ではなく、マクロの社会全体を鳥瞰して、「陰謀論が支配する社会」という最悪のシナリオを回避するための分析を進めています。藤崎翔『逆転ミワ子』(双葉文庫)では、『逆転美人』と共通して様々な暗号的な情報、暗号解読がテーマとなります。すなわち、芸人のミワ子が行方不明になり、エッセイやショートショートを収録した彼女の本を題材にして、その失踪の真相を解明するというストーリーです。香坂鮪『どうせそろそろ死ぬんだし』(宝島社文庫)では、余命宣告された者だけが招待された山荘に、元刑事の主人公も招待され、助手の運転で参加しますが、翌朝になって招待客の1人が死体となって発見され、病気による自然死なのか殺人事件なのかが死体の検案で決めかねることになってしまいます。川上未映子『春のこわいもの』(新潮文庫)では、コロナ禍の時期の暗い世相を背景に、孤独な女性たちの決して順調ではない人生を考えさせる短編6話が収録されています。ダークなのですが、その後の『黄色い家』のようなイリーガルな要素は含まれていません。
今年の新刊書読書は1~6月に164冊を読んでレビューし、7月に入って先週の6冊に今週の7冊を加えて、合計で177冊となります。今年も年間で300冊に達する可能性があると受け止めています。これらの読書感想文については、Facebookやmixi、mixi2などでシェアしたいと考えています。
まず、徐一睿・宮嵜晃臣[編]『パンデミックが映し出す経済と社会』(専修大学出版局)を読みました。編者は、専修大学経済学部教授です。ご専門は、それぞれ、財政学と日本経済論だそうです。本書の出版は今年2025年なのですが、収録されている論文は割合とコロナ初期の2020-21年の時点で書かれたものが多い印象です。2部構成となっていて、第Ⅰ部がパンデミックと財政・経済システム、第Ⅱ部が危機管理体制と社会変容です。第Ⅱ部については、行政対応、沖縄県の事例研究、医療や教育などに焦点を当てていますが、特に、沖縄県を取り上げたチャプターでは「離島」という特徴ばかりが強調されており、コロナ禍に関しては米軍基地の集中という観点が抜けているので、少し分析がアサッテの方向に行っている気がしました。私がエコノミストとして興味を持ったのは第Ⅰ部、特に、第3章で現代貨幣論の視点からパンデミック期の財政を分析した論文です。もともと、コロナ前から我が国財政は巨額の公的債務を抱えていて、コロナ対応でさらに財政収支が悪化したわけですが、日本財政はまったく盤石であって、いわゆるクラウディングアウトによる金利急騰はもちろん、財政破綻の兆しすらありません。2022年のロシアによるウクライナ侵攻に伴うコストプッシュに起因するインフレが始まるまで、少なくとも需要サイドからのディマンドプルインフレは生じていませんでした。失業率はポストコロナの現時点でも低いままですが、フィリップス曲線に沿ったインフレが生じているわけではありません。したがって、というか、何というか、日銀の黒田総裁が始めた異次元緩和による総需要管理やマネタリズムに基づくリフレ政策は効果が限定的であったといわざるを得ません。これらは、本書第3章では現代貨幣理論(MMT)的なフレームワークの妥当性を示唆していると論じています。本書では言及ありませんが、インフレについては、シカゴ大学のフリードマン教授による "Inflation is always and everywhere a monetary phenomenon." というのが人口に膾炙していて、ネガティブなインフレであるデフレもご同様と理解されていたのですが、本書第3章の議論では、もっと財政についてもMMT的なインフレに基づく限界を考慮すべきであり、貨幣的な思考ではなく、実物的な分析を必要とする、と結論しています。本書の中でも、この第3章が私にはもっとも印象的でした。
次に、野口悠紀雄『戦後日本経済史』(東洋経済)を読みました。著者は、一橋大学名誉教授であり、現在の財務省の前身である大蔵省ご出身のエコノミストです。本書に先立って、10年前に『戦後日本経済史』(新潮選書)が出版されており、本書は10年後のアップデートということになります。ですので、80年間の戦後日本経済史を網羅的に記述しているわけではなく、旧著にあるので省略されている部分もあります。そして、注意すべきは、戦後日本の経済史をトータルに捉えているのではなく、著者のパーソナルな個人史の部分も少なくありません。まず、戦後史ですので "starting from scratch" から始まります。そして、高度成長期については、著者独自の視点で「1940年体制」すなわち、戦争中に取られた政策、第1に直接金融から間接金融への転換、第2に終身雇用と年功賃金をテコとした雇用の定着化、第3に間接税から法人税と所得税への直接税への税制改革、を上げています。私が認識する限り、この3点は戦後の改革であって、高度成長期入口の労働力不足、ほぼほぼ高圧経済と同じ労働力不足に時期に完成したと考えるべきです。こういった経済システムの起点がどこにあったかではなく、完成したのが高度成長期である点はもっと強調されて然るべきです。ただ、高度成長期に大規模な労働力移動が生じてルイス転換点を迎えたという本書の主張は正しいと思います。そして、バブル経済以降では、個人的な主張をかなりムリして理論付けている気がします。特に、アベノミクス批判については、結論ありきで低金利を槍玉に上げ、かなりムリのある立論に見えます。典型的には、経済学でいうところの一般均衡と部分均衡を都合よく使い分けています。例えば、賃金引上げについてはコスト増などの否定的側面を重視して、国民一般の所得増の面を無視しており、また、独特の視点である高金利政策についても、投資の抑制要因と成る点を無視した部分均衡で見ている一方で、一般均衡的に考えている部分もあります。典型的な謬見を引きずっている部分として、生産性向上論に特化して、円安と低金利を否定し円高と金利引上げを志向する理論を展開しているのですが、他方で、高齢者や女性の労働参加を促すわけですから、マクロで生産性向上を阻害しかねない点には目が行き渡っていない印象です。しかも、労働分配率の低下を否定するなど、あり得ないミス、というか、偏見もいくつか散見されます。いずれにせよ、「夢よもう一度」なのか、あるいは、現実的な将来の日本を考えるのか、そのビジョンを欠いたままの歴史的な見方を示されても、それほど参考にはならないと考えるべきです。このエコノミストの著書は、かなり批判的な視点で読む必要がありそうです。
次に、潮谷験『名探偵再び』(講談社)を読みました。著者は、ミステリ作家です。私はデビュー作の『スイッチ』と本書の前作に当たる『伯爵と三つの棺』を読んでいます。シリーズではなく、作品ごとにまったく異なる舞台設定のミステリを書き続けていることでも注目されています。ということで、この作品の主人公は女子高生である時夜翔です。舞台は私立雷辺女学園高等学校です。功績あった親族の枠で入学しています。功績あった親族とは祖父母のきょうだいに当たる大叔母の時夜遊であり、学園の名探偵のみならず、警察からも助言を求められた存在だったという設定です。しかし、学園で起こった事件を裏で操っていた理事長のMと対立し、雷辺の滝に落ちて亡くなってしまった、という伝説的な存在の大叔母がいるわけです。はい、学園名の「雷辺」とは、ホームズとモリアティ教授が落ちたとされているライヘンバッハの滝を強く示唆していることは明らかです。しかし、主人公の時夜翔には名探偵としての能力はまったくなく、自らを「その場しのぎで嘘を重ね、他人に頼る」と評価していて、他人を使ってラクして生きようというグータラな志向が強いキャラです。しかし、周囲な許してくれないわけで、いろんな事件が起こっては時夜翔に解決を求めに来るわけです。そして、非常に特殊な設定により時夜翔は見事に周囲の期待に応えて、謎を解明し事件を解決します。こういったグータラなキャラの主人公が、どのように謎を解いて事件を解決するかは、読んでみてのお楽しみです。連作短編であり、第1話の「消えたポラロイド」では、大浴場の更衣スペースでふざけて撮影したポラロイド写真の消失は howdunnit の謎、第2話の「悪王の死」では、美術準備室で部員が撲られて意識不明の重体になる事件は whodunnit の謎、第3話の「無意味な足跡」では、足跡に説明がつかない密室殺人の謎、とミステリの主要な謎解きパターンを網羅しようと試みています。そして、第4話の「密室毒薬遊戯」で、とうとう恐るべき黒幕と毒薬の入ったグラスを理論的に選択することで対決します。最後に私の感想ですが、主人公のキャラからして少しユーモア・ミステリの要素を取り込んで、とても上質なミステリに仕上がっています。howdunnit と whodunnit と密室といった重要なミステリの要素を短編各話に盛り込み、しかも、最初の短編ではホームズの「ボヘミアの醜聞」を思わせる写真を探すミステリです。前作の『伯爵と三つの棺』では近代初期だか、中世末期のの大陸欧州という形で、時代も地理的にも取っつきにくいミステリでしたが、この作品は現在に日本を舞台にしていますので読みやすさも十分です。謎解きは、ややトリッキーな方法を使いますが、本格的かつ論理的な謎解きです。ひょっとしたら、今年のミステリの中でもベストに近い作品かもしれません。ただ1点だけ、年齢的な不自然さが気にかかります。まず、大叔母の時夜遊と主人公の時夜翔の年齢の関係がいかにも不自然です。祖父母のきょうだいである大叔母と主人公が30歳ほどしか離れていません。ついで、大叔母の時夜遊のライバル、というか、黒幕だった学園の理事長Mが当時20代であったとされているのも、常識的に考えて不自然です。どうして、こういう年齢設定にしたのか、私は不思議でなりません。30年前ではなく、50年前とか60年前に活躍した大叔母でもよかったのに、と思ってしまいました。
次に、橋本健二『新しい階級社会』(講談社現代新書)を読みました。著者は、早稲田大学人間科学学術院教授であり、ご専門は理論社会学だそうです。日本の経済社会というのは、かつては「1億総中流」と称されていて、格差の小さいことがひとつの特徴でしたが、時を経て格差は大きく拡大し、現在ではOECDの指標などから見ても世界の先進国の中で格差が大きく貧困も著しい国に属しています。そういった認識の下、本書では著者を中心とするグループによる独自調査に基づく「2022年3大都市圏調査」から得られたデータとSSM調査データ、すなわち、「社会階層と社会移動に関する全国調査」のデータを用いて、可能な範囲で定量的な分析を試みています。その結果得られた現代日本の新しい階級社会の構造が p.28 に示されています。日本の経済社会における階級を5グループにカテゴライズしています。すなわち、企業経営者や役員などから成る資本家階級が250万人、3.9%、専門職や管理職や事務職の正規労働者などから成る新中間階級が2051万人、32.1%、自営業者やその家族従業員などから成る旧中間階級が658万人、10.3%、事務職などの新中間階級に属する以外の正規労働者階級が1753万人、27.4%、そして、この新中間階級と正規労働者階級の男性の配偶者などから成るパート主婦が788万人、12.3%、最後に、パート主婦以外の非正規雇用労働者などから成るアンダークラスが890万人、13.9%となります。もちろん、これら以外にも学校で学ぶ児童・生徒・学生や高齢無職者などはいますが、まあ、別枠なのでしょう。そして、パート主婦を別にした資本家階級、新中間階級、旧中間階級、正規労働者階級、アンダークラスについて、経済格差、配偶関係、仕事の世界、階級帰属意識、生まれ育った家庭環境、学校での経験や職業への以降、かつて「住宅双六」と呼ばれた住宅事情消費活動と政治参加や支持政党、などなどが定量的に分析されています。そして、5つの新しい階級とは別に男女の性別格差、あるいは、コロナ禍が格差にどのような影響を及ぼしたか、などにも分析を加えられています。詳細はお読みいただくしかありませんが、特に、スポットを当てられているのは非正規雇用労働者階級であるアンダークラスです。孤立し、健康不安におびえ、政治から見捨てられたかのごときアンダークラスについて詳細に分析されています。階級の固定化に関しても、資本家階級の固定化が進んでいるなど、とても実感によく合致する結果が定量的に示されています。日本の階級や格差に関して偏りのない定量分析が示されており、とてもオススメです。
次に、烏谷昌幸『となりの陰謀論』(講談社現代新書)を読みました。著者は、慶應義塾大学法学部政治学科教授です。参議院選挙が始まって、SNSなんかにもフェイクニュースではないかと思わせる怪しげな情報が飛び交っているのを目にした人も少なくないと思います。こうした中に、いわゆる陰謀論というのがあります。その陰謀論を本書では取り上げているのですが、本書冒頭では、陰謀論は非常識な個人が撒き散らしているというマイクロな視点ではなく、マクロの社会全体を鳥瞰して、陰謀論はタイトル通りにすぐ隣りにあるし、誰もが何らかの影響を受けているのではないか、と指摘しています。結論的にいうと、本書では、陰謀論を生み出し増殖させるのは、人間の中にある「この世界をシンプルに把握したい」という欲望と、何か大事なものが「奪われる」という感覚ですあり、これらの欲望や感覚は一部特定の人間だけが持つというよりは、社会状況に応じて誰の中にも芽生えてくる、と指摘しています。経済学、というか、経済心理学ではヒューリスティックという解決方法があることが知られており、日本語では発見的手法とも呼ばれており、今までの経験則や社会的常識的な直感に基づいて、ある程度正解に近い答えを素早く見つけ出すための思考方法や手法、と理解されている場合が多いと思います。シンプルな把握と似通った概念かもしれません。もちろん、本書ではナチスが持ち出した偽書の「シオン賢者の議定書」とか、秘密結社とされるフリーメイソンとか、ケネディア暗殺についても言及して、この分野に詳しくない私でも判りやすい解説がなされています。p.31 の陰謀論の境界線、すなわち、常識的な陰謀論とバカバカしい話や誤情報の間に引かれる境界線なども、理論的というよりも実践的な気がします。いずれにせよ、詳細は読んでいただくしかありませんが、本書の指摘の中で「ナチスの全体主義的支配は、少数の狂信的陰謀論者と多数の無関心によって支えられていました」(p.152)という指摘は心しておくべきですし、本書の目的は「陰謀論が支配する社会」という最悪のシナリオを回避する点にあるのだろうと思います。陰謀論に関して志を同じくされる方にはオススメです。
次に、藤崎翔『逆転ミワ子』(双葉文庫)を読みました。著者は、芸人差kなら小説家に華麗なる転身を果たしたミステリ作家です。たぶん、本書も暗号解読という観点からミステリなんだと思います。暗号解読ですから、同じ作者による『逆転美人』と共通しています。未読なので自信はありませんが、たぶん、『逆転泥棒』も同じなのだろうと思います。「逆転」シリーズ3作目ですのでこの2文字は外せないような気もしますが、どちらかというと本書は「逆転」ではなく「逃げ切り」の方がタイトルとしていいような印象を持ちました。芸人のミワ子が行方不明になり、エッセイやショートショートを収録した彼女の本を題材にして、その失踪の真相を解明するというストーリーです。ですので、本書は文庫版で200ページあまりのコンパクトな中身ですが、過半の150ページあまりが前半パートであり、主人公の芸人ミワ子のエッセイとショートショートとなります。その前半部分に暗号、というか、明示的な形ではなくメッセージが隠されていて、数十ページの後半部分がミワ子の担当編集者からの解説、となる構成です。そして、これもたぶん、『逆転美人』と共通するところで、紙の本でないとこの謎解きは成立しないような気がします。もちろん、暗号解読はコナン-ドイルの「踊る人形」や江戸川乱歩の「二銭銅貨」の主要なテーマであり、犯人探しとか犯行方法の解明などとともにミステリの重要なパーツのひとつであることは当然なのですが、私の場合、パッパッとかなりのスピードで本を読み飛ばす場合が少なくなく、そういった読書方法に比較すれば、少しやっかいなミステリの分野になります。ただ、時間をかけてじっくり読み込んで、もちろん、何度か既読の部分に戻って読み返す向きには、とても充実した読書時間を提供してくれると思います。
次に、香坂鮪『どうせそろそろ死ぬんだし』(宝島社文庫)を読みました。著者は、ミステリ作家なのですが、2025年第23回『このミステリーがすごい!』大賞・文庫グランプリ受賞作を本書で受賞していますが、循環器内科の現役医師だそうです。ついでながら、第23回『このミス』大賞受賞作は『謎の香りはパン屋から』であり、本書と同じ第23回『このミス』大賞・文庫グランプリ受賞作が『一次元の挿し木』となります。本書は、余命宣告された人々が招待される「かげろうの会」に出席する2人が主人公となります。警察で刑事をしていた経験のある探偵の七隈昴、そして、その助手の薬院律です。七隈昴は「かげろうの会」に招待され公演をする予定で、助手の薬院律の運転により会場の「夜鳴荘」なる山荘に向かいます。「夜鳴荘」のオーナーは「かげろうの会」の主催者である茶山であり、招待客には医者が何人か含まれています。そして、ミステリですので、当然、人が死ぬわけです。翌朝になって招待された参加者の1人が遺体となって発見されます。死んだ人について、死因や死亡時刻などを特定するために検案が行われますが、余命宣告されていることもあって、自然死なのか殺人なのか、判然としません。殺人であったと仮定しての動機についても、余命宣告されている老人を急いで殺す理由も不明です。しかも、フツーであれば、人が死ねばすぐに救急車なり警察なりが呼ばれると思うのですが、死体は山荘に留め置かれます。このあたりはやや不自然さを感じる読者もいるかもしれません。そして、ラストには驚愕の結末が示されます。この作品については、評価が分かれるという気がします。私自身はフツーに時間つぶしで読んでいるだけですが、やや低い評価が多そうな気もします。謎解きがつまんないです。他方で、そう多くはないでしょうが、プロットに感激して高く評価する読者もいそうな気がします。
次に、川上未映子『春のこわいもの』(新潮文庫)を読みました。著者は、純文学の小説家、芥川賞作家です。本書は2022年に出版された単行本を文庫化したものです。2022年ですから、今から思えばコロナ禍の後期でしたが、当時はまっさいちゅうという感覚だったかもしれません。そういった社会的背景で、孤独な女性たちの決して順調ではない人生を考えさせる短編6話が収録されています。男子高校生の主人公の短編もありますが、まあ、例外的なものです。あらすじは収録順に、「青かける青」は、入院中の女子大生が恋人と思われる相手に宛てた手紙で語る手紙の形で進みます。「あなたの鼻がもう少し高ければ」では、ギャラ飲みのアルバイトに応募した女性の面接シーンら始まります。美容整形や顔の見た目がすべてというルッキズムについて考えさせられます。「花瓶」では、しゃべることすらままならなず、死ぬのを待つだけの寝たきり老女が思い出すのは、自分がまだ女で40歳前に夫以外の男性との関係についてです。「淋しくなったら電話をかけて」では、主人公の女性がある小説家の自殺をニュースで知り、自らが小説家のSNSに書き込んだ誹謗中傷のせいだと慌てて自分のアカウントを削除し、喫茶店に入って電話をしている女性に話しかけます。どこにもつながりがない孤独な存在を感じさせます。「ブルー・インク」では、主人公の高校生男子は仲良くなった女子から手紙をもらうのですが、2通目を失くしてしまい、2人で手紙を探して夜の高校に忍び込みます。巻末の「娘について」は、ボリューム的にもっとも長く、母子家庭で育った主人公の女子高校生と同級生で恵まれた家庭に育った女子の2人が親友となったものの、約10年の時を経て、相手の無神経さや家庭の豊かさに苛立ちを募らせて友人関係は終わってしまいます。ということで、全体としてコロナ禍の時期の暗い雰囲気を感じさせる作品です。しかし、その後の『黄色い家』に現れるような阻害された孤独感は一部に感じられるものの、あそこまでイリーガルな領域に進む内容を含んだ短編は見かけません。まあ、夜の高校に忍び込むのが精一杯です。たぶん、あくまでたぶん、ながら、私なんかよりも女性読者に訴えかけるものが多そうな気もします。
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