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2025年8月16日 (土)

今週の読書はお盆休みでいろいろ読んで計7冊

今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、小塩隆士『健康の社会的決定要因』(岩波書店)では、所得要因などの経済ではなく、社会的な決定要因、特に「つながり」と地域に焦点を当てて、かなり大きなサンプルを有するデータを基にした定量分析を実施しています。大湾秀雄『男女賃金格差の経済学』(日本経済新聞出版)では、先進国の中でも男女格差の是正の点でもっとも遅れた我が国の男女の賃金格差について、単に、経済学の最新の研究成果だけでなく、企業の人事部門の対応についても、いわば、コンサルタント的なアドバイスも含めています。ナオミ・ザック『民主主義』(白水社)では、古典古代のギリシアは参加型の民主主義、ローマは代表型の民主主義といった歴史から始めて、中世からルネサンス期、さらに、近代における社会契約論に加えて、市民革命からマルクス主義まで民主主義が拡大してきた議論を展開しています。長沼伸一郎『世界史の構造的理解』(PHP研究所)では、基本となっている視座は、ルソーの一般意志と全体意志を、長期的願望と短期的願望に置き換えて、短期的願望を抑えつつ長期的願望を実現させる方策を考えようとしていますが、完全に失敗していて、歴史的なイベントを恣意的に解釈することに終止しています。伊坂幸太郎『パズルと天気』(PHP研究所)は5話から構成された短編集であり、凝った伏線やその伏線回収などはそれほどでもありませんが、ファンタジーに仕上げてあったり、あるいは、とても意外な終わり方や温かみある物語だったり、伊坂幸太郎作品らしく広くオススメできます。成田悠輔『22世紀の資本主義』(文春新書)では、AIとブロックチェーンによって政府の再配分機能が市場で代替される可能性が議論されるとともに、完全情報に基づく市場ではなく個人ごとの信用や行動分析に基づく差別価格が普及して、一物一価が崩壊する可能性も示唆しています。星友啓『なぜゲームをすると頭が良くなるのか』(PHP新書)では、世間一般の常識に反して、ゲームについて肯定的な研究成果を引いて、脳科学的には、アクションゲームやシューティングゲームが海馬の活性化や増大、ワーキングメモリー・短期記憶・空間認識能力の向上などに寄与すると指摘しています。
今年の新刊書読書は1~7月に189冊を読んでレビューし、8月に入って先々週5冊、先週7冊に今週の7冊を加えて、合計で208冊となります。今年も年間で300冊に達する可能性があると受け止めています。これらの読書感想文については、Facebookやmixi、mixi2などでシェアしたいと考えています。また、アンソニー・ホロヴィッツ『007 逆襲のトリガー』(角川文庫)も読んでいて、すでにいくつかのSNSでシェアしていますが、新刊書ではありませんので、本日の読書感想文には含めていません。

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まず、小塩隆士『健康の社会的決定要因』(岩波書店)を読みました。著者は、経済企画庁から一橋大学に転じたエコノミストです。はい、私も面識あったりします。本書は「一橋大学経済研究叢書 68」として出版されています。タイトル通りに日本における健康について、所得要因などの経済ではなく、社会的な決定要因に応じて定量的な分析を試みています。ただ、そうはいっても、著者自らが言及しているように、今まで山のように研究上の蓄積があるわけで、本書では社会的な決定要因のうちで、サブタイトルにあるように「『つながり』と地域」に焦点を当てて分析を進めています。まず、つながりについては、社会参加活動という観点からLavasseurらの先行研究で示された6段階の活動を上げ、大規模データを基にした定量分析を試みています。そして、地域属性については、Wilkinsonの先行研究により所得格差の大きな地域属性が平均寿命のが短かさと相関しているというのと同じ形で、個人レベルの健康が所属する社会属性と相関している点を取り上げ、これまたかなり大きなサンプルを有するデータを基にした定量分析を実施しています。とても興味ふかい結果だと私は受け止めています。しかも、社会的活動が健康によい影響を及ぼすとしても、どうやら、趣味やレジャー的な活動だけのようで、社会貢献活動はそれほど効果的ではないようだというのは、まさに、人間としての本質をついているような気がします。ただ、地域の属性の研究からは、そこまで人間としての利己的な側面が出ているわけではなく、おそらく、代理変数をもってしても計測できないような外部効果があるんだろうと私は想像しています。例えば、失業率が低いという地域属性が個人の健康によい影響を及ぼすのは、失業率が低いという事実に共感しているというよりは、治安や所得の点から経済活動が活発化するとか、そういったほかの社会的なあり方が迂回して個人の健康によい影響を及ぼしている可能性があります。また、パンデミック期に孤立していた個人が感染症に神経をとがらせていたという分析結果もあり得ることだという気がします。最後に、分析方法として、いくつかの調査でリッカート・スケールを取っているにもかかわらず、バイナリの2値変数、すなわち、「よい」か「悪い」の2値に変換して定量分析しているものがいくつか見かけました。そういった2値変換しないと統計的有意性が出ないんだろうとは思いますが、少し疑問に感じます。私が大学院生を指導した際には、リッカート・スケールを指数化して、例えば、「とてもよい」を5点、「まあよい」を4点、「普通」を3点、「少し悪い」を2点、「とても悪い」を1点、とかで数値化するような処理をさせて分析してみたことがあります。2値変換ではなく、そういった指数化はどういう結果をもたらすのかは少し気にかかります。それと、データの制約上仕方ないのかもしれませんが、主観的な健康のソフトデータと実際の入院日数や罹患率などのハードデータの関係をどう考えるかは少し悩ましいところです。また、社会的なつながりや参加とSNSの関係については発展途上の研究課題なのだろうという気がします。

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次に、大湾秀雄『男女賃金格差の経済学』(日本経済新聞出版)を読みました。著者は、早稲田大学政治経済学術院教授であり、ご専門は、人事経済学、組織経済学、労働経済学だそうです。本書のテーマはタイトル通りに男女の賃金格差なのですが、日本ではジェンダー・ギャップがきわめて大きく、その意味で、先進国の中でも男女格差の是正の点でもっとも遅れた国のひとつである事実は広く認識されていることと思います。本書では、この男女の賃金格差について、単に、経済学の最新の研究成果だけでなく、企業の人事部門の対応についても、いわば、コンサルタント的なアドバイスも含められていて、その意味で、学術書よりも幅広い読者を対象に意図している印象です。私は、最初の序章の脚注がパーセントとパーセントポイントの違いを解説しているのを見て、学術書ではなく一般向けという判断を下したくらいです。ということで、冒頭で、政府が2020年7月に男女賃金差の開示義務化を発表した点に言及して、単に、男女の平均賃金だけを比較しても、実態把握や改善方策にはつながらないと指摘しています。はい、その通りで、本書では男女の属性の差、すなわち、年齢、勤続年数、学歴、などなどによって要因分解して回帰分析するミンサー型の賃金関数を紹介しています。私も、役所に勤務して官庁エコノミストをしていた時に、「ミンサー型賃金関数の推計とBlinder-Oaxaca分解による賃金格差の分析」というディスカッションペーパーを書いたことがありますし、それのは男女間の賃金格差分析も含まれていますので、そのあたりの理解は十分あるつもりです。その上で、ゴルディン教授がノーベル経済学賞を授賞された功績として、時間的な制約が厳しい、というか時間的に柔軟な働き方が難しい職種に男性の比率が高く高賃金であるという点を上げています。加えて、社会的あるいは企業におけるジェンダー・バイアスの存在、AIやアルゴリズムの活用によって増幅されかねない統計的差別の実態、女性のリスク回避度が高く、交渉や自己アピールのスキルが不足している点などを紹介しています。加えて、男性中心の「オールド・ボーイ・ネットワーク」の存在など、構造的・行動的要因が複合的に格差を生んでいる背景に注目し、かつ、各企業における男女格差解消の行動指針などを上げています。私は、本書でも指摘しているように、性別も含めた多様性の拡大が日本企業の生産性向上の大きな手段であると考えており、本書についても、エコノミストが学術的な観点から参考にするというよりは、企業の人事部門で参照されるべき内容を多く含んでいると考えています。加えて、環境への配慮は典型的にグリーン・ウォッシュでごまかされかねないのですが、男女格差については、かなり定量的に把握できる指標があり、本書でもKPIの適切な設定を解説していて、ホントに企業がヤル気になれば解決可能な課題だと思っています。環境配慮やサステイナビリティの向上と違って、おそらく、男女が不平等な方がトクをする人がいっぱい、というか、マジョリティなので進んでいないんだろうと私は考えています。はい、ひょっとしたら、私も属性的にはそのグループに入るかもしれません。

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次に、ナオミ・ザック『民主主義』(白水社)を読みました。著者は、訳者によるあとがきによれば、米国ニューヨーク市立大学リーマン校哲学教授です。ご専門は、批判的人種理論、アイデンティティ哲学、フェミニスト理論だそうです。本書は、英国オックスフォード大学の Very Short Introduction (VSI) のシリーズの1冊であり、英語の原題は Democracy: A Very Short Introduction となっていて、2023年の出版です。本書冒頭では、まず、民主主義について、抽象的な概念と具体的な構想の両方を指すと指摘し、後者の構想には多様性があるとしています。はい、ノッケから難しいです。民主主義には多様性がありますから、直接もしくは参加型民主主義と間接もしくは代表型の民主主義がありますし、連邦制か中央集権型か、はたまた、その他さまざまな違いがあります。それをまずは歴史的に概観し、古典古代のギリシアは参加型の民主主義、ローマは代表型の民主主義とし、中世からルネサンス期に市民と政府の関係が再構築されるという流れを考えています。その上で、近代における社会契約論、さらに、実際のフランス革命や米国の独立革命、加えて、マルクス主義的な社会運動を通じた進歩主義を考えて、民主主義が拡大してきたと議論しています。民主主義は投票に限定されるものではありませんが、投票の権利を見ても、近代初期には財産の制約がありましたし、そして、女性が投票権を持つのは早くても20世紀を待たねばなりませんでした。米国の民主主義とはいっても、アフリカ系米国人が参加できるようになったのは、せいぜいがここ数十年のことです。私は知り合いのアフリカ系米国人から、1960年代までバスでは白人に席を譲らねばならず、遠くてキャパも小さい有色人種向けトイレで用を足す必要があるのに、それでも生産性が低いと見なされていた不平等を嘆く親を見てきたといわれて、大いに納得した記憶があります。そして、現在は欧米にとどまらず日本でもポピュリズムの台頭、社会的分断と排外主義的傾向の広がりといった民主主義の危機的な状況が現れてきています。本書の第8章のテーマです。本書でも言及していますが、民主主義とは民主主義に反対する言説や勢力を許容するシステムであり、ワイマール共和国で民主主義からファシズムに移行したという歴史的事実もあります。本書では、そういった民主主義の危機に対して、古典古代から中世やルネサンス期を経て近代に至る歴史的な時間軸を明らかにしつつ、民主主義の理念と拡大の両方の議論を展開し、未来へのヒントを得ようと試みています。

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次に、長沼伸一郎『世界史の構造的理解』(PHP研究所)を読みました。著者は、組織には属さず仲間といっしょに研究生活を送っている、と紹介されています。本書は、物理学の観点から世界史を構造的に読み解こうと試みている、ということになっています。というか、出版社ではそう考えているようです。そして、最後の第10章のタイトルは「日本の出口はどう拓かれるか」となっていて、日本の経済社会を何らかの意味で進歩ないし前進させようという考えが垣間見えます。もしもそうだとすれば、その試みは失敗しているか、私の理解が及んでいないか、のどちらかだと思います。本書で基本となっている視座は、ルソーの一般意志と全体意志を、長期的願望と短期的願望に置き換えて、短期的願望を抑えつつ長期的願望を実現させるパスを考えることであり、どうも、イスラムはそういうことを上手にやっているように見ているフシがあります。加えて、短期的願望が大きくなりすぎるとコラプサー化が起こり、人類は快楽カプセルに閉じこもり世界史が終焉を迎える可能性も指摘しています。私の見方からすれば、まず、イスラム教については、たぶん、ラマダンの時期における断食や礼拝の回数などからストイックな印象を持って誤解を生じているような気がします。宗教的な意味でストイックな方法により経済的に成功しているのは、私はイスラムではなくユダヤだと思います。たぶん、著者はほとんどユダヤに関する情報がないのではないかと想像しています。長期的願望と短期的願望についても、アセモグル教授らが『自由の命運』でいう Power of State と Power of Society の間の Narrow Corridor「狭い回廊」的な発想なのかと思って読み進むと、どうも違うようです。歴史観としても、私は西欧的な、あるいは、マルクス主義的な一直線に進む歴史観を持っているのですが、本書の歴史観はやや東洋的な円環的あるいは循環的な歴史観に近いような印象を持ちました。でも、そこまでの歴史観はないような気もします。そして、最終章の日本に対する知的制海権とか、予備戦力とかがかなり強引に歴史的な教訓めいた文脈から導き出されますが、別の方策がいっぱいありそうな気もします。ですので、本書のタイトルになっている「構造的」という点は、むしろ、かなりご都合主義的に歴史上のイベントをつまみ食いしている印象しか残りませんでした。ただ1点だけ、コラプサー的な世界史の終末で人類が快楽カプセルに閉じこもる、というのは、光瀬龍の小説の方ではなく、萩尾望都による『百億の昼と千億の夜』のA級市民のコンパートメントのようなものだとすれば、トランス・ヒューマンの世界ではあり得るような気がします。そこだけは合意します。

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次に、伊坂幸太郎『パズルと天気』(PHP研究所)を読みました。著者は、我が国でも指折りの人気エンタメ作家です。私も多くの作品を読んでおり、ここ10年以内くらいの単行本はほとんど読んでいると思います。本書は5話から編まれた短編集であり、うち、2話は独立の作品ですが、3話は登場人物が重なっているという意味で、緩やかな連作短編とみなすことができます。収録順に、タイトルとあらすじは以下の通りです。「パズル」は、マッチングアプリで名探偵に謎解きを依頼する秀真が主人公で、そのマッチングアプリでマッチングされた相手の女性の不審な行動に考えられ得る解釈をしてもらいますが、真相はまったく別のところにありました。完全数に関する蘊蓄が数多く披露されますが、完全数を取り上げた小説はほかに『博士の愛した数式』しか私は知りません。「竹やぶバーニング」では、酒屋を継ぎながら探偵まがいの仕事も受ける松本が、何と、仙台七夕まつりの竹の中に混入してしまった「かぐや姫」を探す依頼を受け、美女を見つけ出す独特の能力「美女ビジョン」を持つ友人の竹沢とともに、仙台中でかぐや姫を探し回ります。「透明ポーラーベア」では、主人公の優樹は転勤を控えて恋人との関係がギクシャクしていましたが、動物園でのデート中に行方不明になった姉の元恋人の富樫とその婚約者に遭遇します。姉は失恋するたびに自宅を離れて出かけてしまい、時とともに長距離かつ長期間になっていったのですが、富樫との失恋で家を出たきり7年に渡って戻ってきていません。富樫らとともに動物園での花火を見ながら、優樹は姉を思い出したりします。「イヌゲンソーゴ」はイヌ3匹、飼いイヌのムサシとポチ、そして、野良のジョーが主人公なのですが、それぞれに、輪廻転生する前の前世の記憶を保持していたりします。その前世では、渋谷駅前に銅像の残るハチ公の物語だったり、あるいは、昔話の「花咲かじいさん」、「ブレーメンの音楽隊」を思い起こさせるものだったりします。「Weather」では、友人である清水の結婚式に出席した大友が主人公なのですが、結婚式前に新婦から交友関係がド派手だった清水の女性関係を調査してほしいと依頼されます。結婚式でのあらゆるものが怪しく見える中で、結婚式ラストにびっくりする展開が待っています。最後に、短編集ながら、本書はいかにも伊坂幸太郎の小説です。繰り返しになりますが、「竹やぶバーニング」と「イヌゲンソーゴ」以外の3話、すなわち、「パズル」と「透明ポーラーベア」と「Weather」は登場人物が重なるという形で緩やかな連作っぽく仕上げてあります。短編ですので、凝った伏線やその伏線回収などはそれほどでもありませんが、ファンタジーに仕上げてあったり、あるいは、とても意外な終わり方や温かみある物語だったり、私のような伊坂幸太郎のファンだけではなく、広くオススメできる小説です。

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次に、成田悠輔『22世紀の資本主義』(文春新書)を読みました。著者は、米国の大学で経済学の博士号を取っているエコノミストです。私はこの著者が邦訳した『挫折しそうなときは左折しよう』というタイトルの絵本を読んだことがあります。本書のサブタイトルの「やがてお金は絶滅する」が注目されていますが、些末な点だと私は考えています。まず、マクロ経済について重要なポイントは、生産と分配がどのように変化していくかという動向であり、本書では、資本主義が加速すると見通している点が重要であり、技術が進歩し、資本主義があらゆるものを商品化して市場が政府を代替する可能性を示唆しています。すなわち、マクロ経済では、AIとブロックチェーンによって政府の再配分機能が市場で代替される可能性です。同時に、ミクロ経済については、完全情報に基づく市場での資源配分から、ダイナミック・プライシングの活用が進み、個人ごとの信用や行動分析に基づく差別価格が普及して、一物一価が崩壊する可能性も示唆しています。ただ、バックグラウンドの生産についても大きく拡大しているハズであり、その意味では、価格が資源配分の効率性を必ずしも保証するわけではなく、むしろ、資源配分よりも売上や利潤の極大化が容易になる可能性があります。第1章と第2章の基礎的なパートは以上のような感じであり、サブタイトルの「やがてお金は絶滅する」は第3章でフォーカスされて、貨幣に変わって「アートトークン」が経済で使用され、招き猫アルゴリズムで分散的な経済が実現され、データやアクションが価値を示して、例えば、貨幣=稼ぐではなく、アクション=踊るという各個人が自分自身にとって意味のある活動となり、そういった価値観に基づく社会に移行する、という見通しをしています。なかなか、興味深い将来見通しだと思います。私は、本書の著者とは大きく違う視点で将来を考えているのですが、資本主義が突き詰められると、従来のソ連や中国のタイプではなく、マルクス主義的な先進国から移行する共産主義に近づく、と考えています。「稼ぐ」より「踊る」というのは、労働が付加価値で測られるのではなく、社会的な働きかけや影響力により評価されるわけで、その意味でも測度としての貨幣の意味は減少するだけでなく、労働の生み出す価値というものが変容する可能性が大きいと考えるべきです。近代資本主義的で制度学派が重視する所有権ではなく、アクセス権の方が重きをなす経済というのも判る気がします。いずれにせよ、『ゴータ綱領』的な社会主義・共産主義との関係が垣間見える気がするのは私だけでしょうか。

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次に、星友啓『なぜゲームをすると頭が良くなるのか』(PHP新書)を読みました。著者は、スタンフォード大学オンライン・ハイスクールの校長であり、最新の脳科学・心理学に基づいてゲームがもたらす多面的な効果を研究成果に基づきつつ示しています。通常、ゲームは認知能力にはネガな影響を及ぼし、学力低下の要因のひとつと考える向きが一般的な気がしますが、本書ではその真逆な分析結果を示しているわけです。脳科学的には、アクションゲームやシューティングゲームが海馬の活性化や増大、ワーキングメモリー・短期記憶・空間認識能力の向上などに寄与するという研究成果を示すとともに、RPGやパズル、ストラテジーなどのゲームは問題解決能力や創造性=クリエイティビティを高める効果があると指摘し、特に、マインクラフトなどのサンドボックス型ゲームは思考力や表現力を刺激するとの研究成果を引用しています。また、ゲーム一般について、適度な時間でやる限り、メンタルヘルスや人間関係、自己肯定感にも良い影響をもたらすという研究成果を示して、「やらないより、やったほうが良い」と結論しています。私自身のゲーム体験は貧困なもので、海外の大使館勤務を終えて、バブル崩壊後の1990年代なかばに帰国し、パソコンと同じように16bit機から、ゲームのハードウェアも32bit機に移行する中で、セガ・サターンを購入してゲームを楽しんでいた時期があるのですが、ハードウェアではなくソフトウェアでソニーのプレステがセガ・サターンを圧倒し、それ以降はゲームには手を出していません。スマホやタブレットのゲームもしていません。ですから、ゲームの実態にはそれほど詳しくないのですが、少なくとも一時の米国のゲームはひどいものがあったという事実は知っており、ゴン所とは違って、というか、世間一般と同じように、ゲームに関しては必ずしも肯定的には考えていません。ただ、そういった世間一般のゲームに対する評価に一石を投じる意図があるのかもしれません。もちろん、ゲーム依存的な「やりすぎ」には時間のムダを生じて、成績低下などのリスクがあるため、本書でも適切なゲーム時間や無理なく時間を減らす方法、親や教育者がどう向き合えばよいかについて科学的データに基づいた分析結果が示されています。私の総合的な本書の評価としては、本書の結論は疑わしいと受け止めています。すなわち、ゲームがいい効果を持つ可能性を示唆した結論については、「好きなことをやっているから」という面が強く作用している可能性があります。多くの中高生はゲームが好きで、その好きなことを適度にやっている、その結果としていい影響が現れている、というのに過ぎない可能性があります。ですから、ゲームの好き嫌いという2種類の中高生におけるゲームの効果を考えれば、より正確なゲームの影響を理解することができる気がします。ゲームを嫌いな中高生がゲームをした効果について、私は大きな興味を持っています。ゲームが決して好きではない人にもゲームがいい影響を及ぼしているのであれば、ホントにゲームがいい影響を持つという結論が支持されるのではないか、と思います。

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