今週の読書はボリューム豊かな本が多くて計5冊
今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、ジョセフ E. スティグリッツ『スティグリッツ 資本主義と自由』(東洋経済)では、新自由主義を強く批判し、オオカミの自由よりもヒツジの命を守る重要性強調しており、無制限の自由では格差と不公正を招くことになるので、政府の積極的な役割を認め、進歩的な資本主義を目指す重要性を主張しています。島田荘司『伊根の龍神』(原書房)は、石岡が京都府北部の伊根に龍神が出現したという噂を元に、スェーデンにいる御手洗潔の反対を振り切って、女子大生の藤浪麗羅に誘われて現地に赴きますが、自衛隊が出動しており、失踪事件などの不可解な事態が連鎖的に起こります。宮部みゆき『気の毒ばたらき』(PHP研究所)は、2話から成り、「気の毒ばたらき」では主人公の北一が亡き親分の文庫屋の放火事件の謎解きを試み、「化け物屋敷」では28年前の貸本屋を営む治兵衛の妻のおとよの失踪・殺人事件の再捜査を始めます。青山美智子ほか『もの語る一手』(講談社)は、将棋小説の短編集のアンソロジーなのですが、単に将棋そのものではなく、タイトルの「一手」の方を象徴しているような決断も同時に重要なテーマとしている短編もあります。8話から成っています。松岡圭祐『令和中野学校』(角川文庫)は、東大受験に失敗した高校3年生の燈田華南が、諜工員=スパイ要員を養成する特別施設である令和中野学校にスカウトされ、東京都内の異臭騒動、インフラの整備不良による道路陥没、飲酒運転による交通事故、闇バイトによる犯罪の多発など、学校の仲間とともに諜工員活動を展開します。
今年の新刊書読書は1~7月に189冊を読んでレビューし、8月に入って今週の5冊を加えて、合計で194冊となります。今年も年間で300冊に達する可能性があると受け止めています。これらの読書感想文については、Facebookやmixi、mixi2などでシェアしたいと考えています。なお、これら4冊のほかに、星新一『午後の恐竜』(新潮文庫)とイアン・フレミング『007カジノ・ロワイヤル』(創元推理文庫)も読んで、すでにSNSにポストしていますが、新刊書ではないと考えられますので、本日の読書感想文には含めていません。
まず、ジョセフ E. スティグリッツ『スティグリッツ 資本主義と自由』(東洋経済)を読みました。著者は、ノーベル賞経済学者であるとともに、世銀のチーフエコノミストなどの実践的な活動にも熱心です。本書の英語の原題は The Road to Freedom であり、2024年の出版です。一応、私は英語の原書も購入して研究室に置いてあります。邦訳書がありますので、通読することはないと思うものの、論文を書く際などに英語で引用する必要があり、手元に置いています。本書は注を含めると500ページ超の大作です。冒頭でアイザイア・バーリンの有名な箴言「オオカミにとっての自由は、往々にしてヒツジにとっての死を意味する」Freedom for the wolves has often meant death of the sheep. を引用し、誰の、また、何のための自由かを強く読者に意識させるところから始めています。その上で、現在の米国が建国時の理想からかなり離れてしまい、経済面での深刻な格差の拡大、政治面での腐敗、あるいは、大企業の余りに巨大なパワーにより、自由な市場が失われたにもかかわらず、1980年代からの新自由主義により歪められた形での「自由」の拡大を憂慮しています。すなわち、自由市場と経済的自由、さらに、経済的自由と政治的自由を意図的に混同していると指摘しています。例として、1941年のルーズベルト大統領の一般教書演説の4つの自由として、言論や表現の自由、宗教の自由、不足からの自由、恐怖からの自由を上げています。その上で、ハイエクやフリードマンといった新自由主義のイデオローグ、すなわち、規制や束縛のない市場を批判しています。加えて、研究者としてのノーベル賞の貢献に上げられている情報の非対称性、あるいは、外部経済などの議論を展開して、古典的な意味での市場の効率性に対して疑問を投げかけ、進歩的資本主義、あるいは、再生された社会民主主義を提唱しています。すなわち、政府の積極的な役割を認め、格差の是正や社会的な包摂を進め、独占や巨大企業への民主的な規制の拡大を必要な措置として考えているように見えます。特に、政府の役割は決定的に重要で、社会政策、医療・年金をはじめとする社会福祉政策だけでなく、教育はもちろん、環境政策やインフラ整備なども含めた政府の役割の見直しの必要性を論じています。さらに、かなり難しいのですが、市場の失敗がなくても市場の効率性は疑問であると主張しています。私はこれに賛成で、少なくとも市場の効率性とはきわめて短期の現象でしかありえず、気候変動問題などを見ていると化石燃料をはじめとするカーボンの価格付けに市場は明らかに失敗していると考えるエコノミストは私だけではないと思います。いずれにせよ、1980年代の英国サッチャー内閣や米国レーガン政権などの新自由主義政策から、政府は非効率的であり、市場に従う民間企業こそ効率的、というイデオローグは日本では今世紀初頭の小泉内閣のころにピークに達し、おそらく、アベノミクスまで継続していました。経済の面から日本を考え直す本になって欲しいと思います。年末のベスト経済書では、私は本書を推したいと考えています。
次に、島田荘司『伊根の龍神』(原書房)を読みました。著者は、ミステリ作家であり、綾辻行人や法月綸太郎のデビューにも関わった重鎮です。本作はこの作者による御手洗潔シリーズの書下ろし最新刊です。450ページを超える大作です。しかしながら、このシリーズの前作である『ローズマリーのあまき香り』を私も読んだのですが、かなり出来が悪くてノックスの十戒に合致しない作品だという印象を持ちましたので、本作もやや躊躇していたのですが、まあ、腹をくくって図書館で借りました。視点を提供するのは御手洗潔のワトソン役である石岡和己です。スウェーデンのウプサラ大学にいる御手洗潔からは「命を落す」とまで強く止められたにもかかわらず、「大学院」という喫茶店で知り合い、UMA研究会に所属している女子大生の藤浪麗羅に誘われてホームグラウンドの横浜馬車街からタイトルにある京都府北部の伊根に出かけます。船宿の民宿に宿泊して、これまた、タイトルにある「龍神」、あるいは、それ以外のUMAを探し始めます。そして、中盤からは伝説の龍神やUMAを探す冒険談が一転して国際的な陰謀や現代社会の深い闇と結びついた壮大なスケールのストーリーに発展します。最後には、御手洗潔が安楽椅子探偵として、様々な謎、すなわち、龍神によって屋根に乗せられた車、怪物の目撃情報、船乗りが経験した奇妙な出来事、住民などの失踪といった不可解な謎を一気に解き明かします。何といってもミステリの謎解きですから、そのあたりは読んでみてのお楽しみです。御手洗潔の本領発揮の場面なのですが、『アトポス』で最後に白馬に乗って松崎レオナを助けにやって来る御手洗潔を彷彿とさせる場面もあります。最後に、前作の『ローズマリーのあまき香り』ほどひどくはありませんが、ミステリとしての出来はイマイチといわざるを得ません。ハッキリいって、現代的な時事ネタを取り入れているのは悪くない気もしますが、お話としてはつまらないと感じるのは私だけではないと思います。私のようなヒマ人でこの作者の御手洗潔シリーズが好きな読者は押さえておきたいところですが、世の中にはもっと面白いミステリはいっぱいあります。御手洗潔が日本に帰国する伏線っぽい部分は見かけましたが、次回作か、その次あたりで御手洗潔を帰国させて、このシリーズも終幕する、というのも一案ではないかと思います。
次に、宮部みゆき『気の毒ばたらき』(PHP研究所)を読みました。著者は、日本を代表する売れっ子のミステリ作家の1人です。本書は「きたきた捕物帳」の最新刊シリーズ第3作です。500ページ近い大作で、十分に長編といっていいボリュームの2話から成っています。第1話の「気の毒ばたらき」は、主人公北一の育ての親でフグ毒により急死した千吉親分の跡を継いだ万作・おたま夫婦の文庫屋が放火による火事に見舞われます。放火犯は長年千吉親分の女中をしていたお染めが疑われますが、水死体で発見されます。他方で、焼け出された人々の仮住まいでは窃盗事件が起こります。北一と喜多次が捜査に乗り出します。第2話の「化け物屋敷」では、28年前におきた貸本屋を営む治兵衛の妻のおとよの失踪・殺人事件の再捜査を北一が始めます。「おでこ」の記録や各方面の協力を得つつ、北一と喜多次が、表紙画像に見られる野良犬2匹を使って真相解明に挑みます。いくつか、謎解きの本筋とは関係のないうんちくを披露すると、前作で、千吉親分の未亡人のおかみさんにつかえる女中のおみつの恋仲の相手が第1話で登場します。青果問屋の番頭を務める松吉郎で、おみつと結婚しても冬木町のおかみさんの家に住むという段取りまで紹介されます。もうひとつは、第2話で、明示的には登場しませんが、『桜ほうさら』の古橋笙之介に言及があります。すなわち、末三じいさんが治兵衛の妻殺しの一件に関して、治兵衛と深いかかわりのあった浪人が闇討ちにあって死んでしまった一件に言及しますが、この浪人は北一の部屋の前の住人である古橋笙之介その人です。ただし、末三じいさんがいうように、古橋笙之介は死んでしまったのではなく、大怪我を負ったものの死んではおらず、長屋の差配である富勘の計らいにより名前と住まいを変えて生きています。でも、そこまでの言及はありません。今のところ、このシリーズに登場する侍は岡っ引きに手形を与えた八丁堀のお役人、沢井蓮太郎と先代の蓮十郎、さらに、検視役の栗山周五郎のほかは、欅屋敷の用人である青海新兵衛くらいで、基本的に深川の町人・庶民の物語なのですが、名を変えた古橋笙之介もそのうちに登場する可能性が残されていると私は考えています。
次に、青山美智子ほか『もの語る一手』(講談社)を読みました。著者は、多くはエンタメ作家です。基本的に、表紙画像に見るように将棋小説の短編集のアンソロジーなのですが、単に将棋そのものではなく、タイトルの「一手」の方を象徴しているような決断も同時に重要なテーマとしている短編もあります。収録されていうのは作者とともに収録順に、青山美智子「授かり物」は、藤井聡太を思わせるような20歳の天才棋士と同じ誕生日に生まれ、それにしては、ごく普通に育った息子の利樹を持つ母の芳枝を主人公に、息子から東京へ出て漫画家を目指すと告げられたことで、母は自身の価値観や家族観を揺さぶられます。葉真中顕「マルチンゲールの罠」では、将棋道場に通う少年を巡る物語であり、作者自身も語り手となって、「天才」とされる少年を道場から排除するように頼まれながら、毎回引分けに持ち込まれた過去を回想します。白井智之「誰も読めない」は、名人戦5局目の初日を終えた挑戦者の千代倉が夕刻の休憩中に突如拉致され、「ある殺人事件の犯人を見つけてほしい」と依頼されるミステリです。ミステリとしてはとてもいい出来だと思います。橋本長道「なれなかった人」は、かつてもっとも失敗に終わった中学生棋士だった青柳と、当時、その青柳に蹴落とされた相手だった主人公が、30年の時を経て対局が実現します。私自身はこの作品がもっとも好きでした。貴志祐介「王手馬取り」は、結婚式で将棋に深く関係する両家の父親がそろわず、家族に深い謎を抱える井上家なのですが、その謎を解決しようと関与するのは、かつて賭け将棋の真剣師を自称していた老人であり、棋譜に隠された王手馬取りの一手とともに、両家の父親が欠席した理由をはじめとして家族の秘密を解き明かすサスペンスです。芦沢央「おまえレベルの話はしてない(大島)」は、奨励会員の息子を持つ男性が、自己破産申請の際にも息子を巻き込まないよう腐心しつつも、主人公の担当弁護士大島は自身も元奨励会員の経験から深く理解している一方で、その息子の意外な行動から親子と弁護士の関係に将棋的な駆引きが表れる心理ドラマです。綾崎隼「女の戰い」は、女性奨励会員として将棋界で孤高に立つ倉科朱莉を巡るストーリーであり、厳しい男性優位の世界で差別や期待を背負いながら成長を模索する姿が描かれます。なぜか旧漢字にしてあるタイトルが示すように、戦いとしての将棋と、その裏側にある精神的決断、葛藤、そして自らを貫く強さがテーマとなっています。奥泉光「桂跳ね」は、この短編集で唯一の時代小説っぽい仕上がりで、主人公の菅原香帆は現代の高校生で日記を通じて語られるのですが、今でいう郵便将棋の江戸時代版である通信による将棋の棋譜をして語らせています。タイトル通りに、桂跳ねという一手に込められた友人の悲壮な決意が印象的です。
次に、松岡圭祐『令和中野学校』(角川文庫)を読みました。著者は、ミステリ作家ですが、まるで覆面作家のように正体は明らかにされていません。あらすじは、以下の通りです。すなわち、主人公の燈田華南は高校3年生の最後に東大受験に失敗します。その帰り道で静かな住宅に押し入ろうとする強盗4人組に遭遇します。住人の高齢者を助けるべく強盗を阻止しようとするも、鋭いナイフを見て固まり絶体絶命となってしまいます。その時、チェスターコートの細身の男が現れて強盗を撃退してしまいます。そして、華南に対してタイトルとなっている令和中野学校へのスカウトが告げられます。その学校は諜工員=スパイ要員を養成する特別施設であり、椿施設長がトップとなっています。ということで、ミステリの要素もありますので、後は読んでみてのお楽しみとします。全体として、時事ネタがキワモノ的にならない範囲で取り込まれています。すなわち、東京都内の異臭騒動、インフラの整備不良による道路陥没、飲酒運転による交通事故、闇バイトによる犯罪の多発、自動車盗難とヤードでの解体などなど、といった社会問題や犯罪問題です。さらに、何と世界的な関心事である台湾有事などの多彩な社会問題た国際問題が次々と登場し、胡散臭いキワモノ趣味的、あるいは、荒唐無稽なフィクションを突き抜けて読ませる展開となっています。最後に、それほどの強いつながりではありませんが、この作者の同じ出版社からの『タイガー田中』と『続タイガー田中』にビミョーにリンクしています。決して、読み逃しないように。
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