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2025年9月13日 (土)

今週の読書は開発経済学の経済書をはじめ計5冊

今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、高野久紀『開発経済学』(日本評論社)は、開発経済学について、理論とともに実証手法についても詳細な解説がなされています。特に、開発経済学を幅広く、というか、狭義の開発経済学の範囲を超えて一般的なミクロとマクロの経済学の理論や実証にまで及んでいる印象です。片野秀樹『休養学』(東洋経済)では、健康のために重視されるのは栄養・運動・休養なのですが、栄養と運動については学問的な体系化が進んでいる一方で、休養についてだけは学問として確立していないため、疲労を軽減・緩和するため、7つの休養モデルを定義し、取り入れることにより疲労回復の促進を提案しています。横山勲『過疎ビジネス』(集英社新書)は、河北新報のジャーナリストが幅広い取材により、過疎にあえぐ小さな自治体に近づき公金を食い物にする「過疎ビジネス」と、地域の重要施策を企業に丸投げし、問題が発生すると責任逃れに終始する「限界役場」の実態を明らかにしようと試みています。海野和男『不登校を克服する』(文春新書)では、不登校を「克服」した事例が数多く収録されていますが、不登校の原因はさまざまであって、どこまで過去の成功例を語るのに意味があるかは不明でした。また、最近のSNSが何らかの原因となる事例には言及がありません。友井羊ほか『おいしい推理で謎解きを』(双葉文庫)は、表紙画像に見られるように、4人の作家による4話のミステリ短編を編んだアンソロジーです。食べ物やお料理などに関連したお話の謎解きが展開されます。すべて佳作ぞろいですが、食べ物やお料理に関心ある読者はさらに楽しめそうです。
今年2025年の新刊書読書は1~8月に214冊を読んでレビューし、9月に入って先週の6冊と今週の5冊を加えると合計で225冊となります。今年も年間で300冊に達する可能性があると受け止めています。これらの読書感想文については、FacebookやX(昔のツイッタ)、あるいは、mixi、mixi2などでシェアしたいと予定しています。

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まず、高野久紀『開発経済学』(日本評論社)を読みました。著者は、京都大学経済学部准教授です。タイトル通りに、開発経済学について、理論とともに実証手法についても詳細な解説がなされています。特に、本書については開発経済学を幅広く、というだけではなく、狭義の開発経済学の範囲を超えて一般的なミクロとマクロの経済学の理論や実証にまで及んでいる印象です。私も開発経済学の中でもマクロの開発経済学を研究したことはあり、何年か前に "Mathematical Analytics of Lewisian Dual-Economy Model: How Capital Accumulation and Labor Migration Promote Development" なんて紀要論文も書いたりしたのですが、マクロの開発経済学の範囲にとどまっており、例えば、開発政策の案件選択といったマイクロな開発経済学はサッパリです。しかし、本書はランダム化比較試験=Randomized Controlled Trial (RCT)まで踏み込んで取り扱っています。ただし、アフリカが主たる対象とも思いませんが、やや初期の開発段階が意識されている印象があります。というのは、第1章と第2章で開発経済学や実証研究の基礎を解説した後、マイクロな開発経済学としては第3章で医療や衛生、第4章で教育に焦点が当てられています。第5章からは、引き続きマイクロな視点を主としつつも、マクロの開発経済学の要素も入れて、第5章でリスク、第6章でマイクロファイナンス、最後の第7章ではさらにマクロの発展理論などに進んでいます。私が数学的に展開したルイスの2部門モデルなんかは最後の第7章に含まれています。ということで、もう一度繰り返しますが、開発経済学のみならず広くミクロとマクロの経済学、さらに、実証研究までを含んだ幅広い開発経済学ないし経済学のテキストといえます。ただ、初学者や一般ビジネスパーソン向けではなく、相当ハイレベルな大学でも学部3-4年生向け、通常であれば大学院向けのテキストと考えるべきです。しかも、大学院向けのテキストとしても、教える教員のレベルにもよる可能性はありますが、私なんぞであれば、セメスターの14-5回の授業ではすべてをカバーするのはムリで、1年間に渡って30回近い授業回数を必要とすると思います。ただ、それなりのレベルの大学院であれば、自習用のテキストには十分な内容です。最後に、私は最近の経済開発案件で気候変動や地球環境に配慮すべき方向性が打ち出されている点に少し疑問を持っているのですが、本書では気候変動や地球環境にはそれほど大きな力点を置いていません。私が読み通した印象でもそうですし、索引にも、「気候変動」、「環境」、「地球環境」といった用語は現れません。はい、繰り返しになりますが、先進国政府や国際機関では経済開発を進める際に気候変動や地球環境への配慮を重視する傾向を強めていて、特に、国連がSDGsを打ち出してからの最近10年間ではさらにその傾向を強めている気がしている一方で、私は途上国や新興国では環境問題についてはほぼほぼ無視されている印象を持っています。だからこそ、先進国や国際機関が、まあ、何と申しましょうかで、「家父長的」な配慮でもって気候変動や地球環境への配慮の重要性を経済開発政策に盛り込むべき、という議論は理解します。理解しますが、開発経済学のそれほど大きな要素と考える根拠は、私は現時点では見出だせていません。その意味で、気候変動や地球環境への配慮にそれほど大きな重きを置いていない本書の構成にチョッピリ共感しています。逆の見方をするエコノミストが多い点は理解しています。

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次に、片野秀樹『休養学』(東洋経済)を読みました。著者は、たぶん、医師ではないかと思うのですが、日本リカバリー協会の代表理事を務めています。というのも、健康のために重視されるのは栄養・運動・休養なのですが、栄養と運動については学問的な体系化が進んでいる一方で、休養についてだけは学問として確立していない、と主張しています。ということで、本書では、最近25年間で疲れている人が6割から8割に増加し、疲労による経済的損失が1.2兆円に上るという調査結果を基に書き起こしています。日本では他の先進国に比較しても、決して休養が少ないわけではないものの、休み方に違いがあると指摘しています。すなわち、日本では単に睡眠を取るだけでよしとし、運動・スポーツや家族・友人・知人との交流が少ないという主張です。そして、疲労の原因となるストレッサーには5種類あると指摘し、物理的ストレッサー、化学的ストレッサー、心理的ストレッサー、生物学的ストレッサー、社会的ストレッサーを上げています。そして、これらのストレッッサーが引き起こす疲労を軽減・緩和するための休養を生理的休養、心理的休養、社会的休養の3種類に分類し、さらに、その下に7つの休養モデルを定義し、これらを日常的に取り入れることにより疲労回復の促進を提案しています。まず、生理的休養においては、休息タイプ、運動タイプ、栄養タイプのそれぞれのモデルが対応します。次の心理的休養に対しては、親交タイプ、娯楽タイプ、造形・想像タイプの3タイプのモデルがあります。社会的休養については転換タイプのモデルを考えています。まあ、ネーミングである程度の想像はできると思いますが、本書のメインと考えられる第3章で、こういった休養モデルが展開されています。詳細は読んでみてのお楽しみです。そして、第3章の先では補足的に日常の心がけなどを議論しています。はい、私も常識の範囲で知っていることが多かった気がします。例えば、人口に膾炙したところで、食事は「腹八分目」に抑える、といったことです。ですので、問題はそういった常識的にすでに理解していることを、休養のためにいいと見なされていることを、いかにして実行するか、という点が重要です。この実践的な面で課題が残りそうです。例えが悪いのですが、知り合いからゴルフのレッスンに関して文句を聞いたことがあって、「ドライバーを振って250ヤード先のフェアウェイ真ん中にボールを進めて下さい」では、何のレッスンにもなりません。それが出来ないから困っているわけです。

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次に、横山勲『過疎ビジネス』(集英社新書)を読みました。著者は、河北新報のジャーナリストです。出版社のサイトから引用すると、「著者の取材から浮かび上がったのは、過疎にあえぐ小さな自治体に近づき公金を食い物にする『過疎ビジネス』と、地域の重要施策を企業に丸投げし、問題が発生すると責任逃れに終始する『限界役場』の実態だった。」ということになります。出版社のサイトでは、福島県国見町、宮城県亘理町、北海道むかわ町といった地方公共団体名も明らかにされています。その中でもっともボリュームが割かれているのが福島県国見町の事案、というか、事件であり、東洋経済オンラインの記事『過疎ビジネス』にすがった福島・国見町の過ち」で明らかにされているように、企業版ふるさと納税で国見町に寄せられた計4億3200万円を財源に、高規格救急車12台を町で所有し、他の自治体などにリースするという事業を詳細に取材した結果を本書で明らかにしています。この事業は、宮城県の備蓄食品製造のワンテーブルが受託し、救急車ベンチャーのベルリング(東京)が車体製造を担い、そして、大元の匿名で財源を寄付したのは、ベルリングの親会社であるDMM.comとそのグループ2社であると企業名も東洋経済オンラインは明らかにしています。なお、東洋経済オンラインの記事は本書の著者による寄稿です。はい、私は関西出身で、京都大学を卒業した後に東京で国家公務員を60歳の当時の定年まで勤め、定年後に関西に戻って立命館大学の教員をしていますので、やや地域的に馴染みはないのですが、本書で取り上げている事案、というか、事件は東北に限定されるものではないと認識しています。もちろん、地方公共団体に限定されるものでもなく、中央政府、というか、形式的にはオリンピック委員会が舞台でしたが、電通による大きな汚職事件の裁判が進められているのは広く知られているところかと思います。さらに進んで、国際協力、というか、円借款の事業選択が商談ベースで進められている実態も決して見逃すべきではありません。ということで、日本では政府を小さくし過ぎて、地方政府だけではく中央政府まで大きな能力不足に陥り、本誌に登場するようなコンサル、電通などの広告代理店、パソナなどの人材派遣会社、果ては商社や銀行までが地方公共団体や中央政府から事業を丸投げされて、公金ビジネスに群がり、汚職や腐敗が進んだ末期症状すら呈し始めている気がします。何だったのかすっかり忘れましたが、そのうちに、東大卒業生が政府の国家公務員ではなくコンサルへの就職を進め、国家公務員はMARCH卒業生で占められるようになる、という見込みを示していた何かの記事か、本を読んだ記憶があります。たぶん、私の勤務校の立命館大学が国家公務員総合職試験で東大と京大についで3番目にランクインした時の何かだったと思います。はい、そうなったら、ますます公務員はコンサルに依存する可能性が高まるんでしょう。

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次に、海野和男『不登校を克服する』(文春新書)を読みました。著者は、たぶん、福島県内で小学校と中学校の校長を4校務めた教育者であり、臨床心理士・学校心理士・家族心理士などとして教育相談にも従事していたそうです。出版社のサイトでは「不登校問題の解決バイブルの決定版」と宣伝されており、本書のメインとなる部分はⅤ 教師と学校の対処、Ⅵ カウンセリング(教育相談)の実際、の2章における膨大な実例だと思います。実際に、私も大学教員として直前の高校の実態には十分な情報把握の日つ用があると考えています。高校段階では、通信制や単位制の高校が増えていて、学校に通っていない高校生も少なくない、というか、最近は増えている、と聞き及んでいます。ただ、私が勤務しているのは大学であって、18歳以上の成人を対象にした高等教育機関ですので、高校のように、実際には義務教育と大きな違いがなく、ほぼほぼ全入制の学校とは違って、自己責任の部分は決して無視できませんから、大学への不登校というのは、それほど問題視されていないのではないか、と受け止めています。ただ、本書に関して私はいくつか疑問があって、第1に、不登校とは一種の異常な状態であって、本書のタイトル通りに「克服」すべきものかどうかです。私は本書ほど強い判断はしませんが、不登校ではく、投稿して教室で教師や同級生と時間も空間も共有して、いっしょに勉強を進める方が、あくまで一般論ながら、好ましいと考える人が多いのは確かであろうと受け止めています。第2に、不登校の原因を考えるべきなのは当然ですが、本書の事例がどれほど応用されるべきか、私には疑問です。特に、画一的な解決策はムリがあり、かつては、社会問題にもなった戸塚ヨットスクールなんてのが、不登校というよりも、非行や情緒障害を「克服」するのに一定の有効性があると考えられていたような気がしますが、現在では、本書も含めて、少なくとも、不登校に対して「罰」を持って当たることはなくなったと私は考えています。第3に、ゼロではありませんが、何らかの意味で原因の一部をなすケースも少なくないSNSについては、とても言及が少なくなっています。ただ、繰り返しになりますが、私は本書の趣旨や内容にすべて賛成するわけではないものの、少なくとも現時点では学校の必要性が低下したわけではありませんし、学校の場での学習が一般的には望ましい、と考えられていることも事実ですから、不登校を「克服」して、通学して学校で勉強を進める、というのは追求すべきひとつの目的である点は認める必要があります。

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次に、友井羊ほか『おいしい推理で謎解きを』(双葉文庫)を読みました。著者は、小説家であり、本書のタイトル通りに謎解きのミステリ短編集ですので、ミステリ作家も多く含まれています。表紙画像に見られるように、4人の作家による4話のミステリ短編を編んだアンソロジーです。食べ物やお料理などに関連したお話の謎解きが展開されます。収録順に、友井羊「嘘つきなボン・ファム」では、フリーペーパーの編集をしている女性が主人公となり、早朝にひっそりと開店する「スープ屋しずく」を舞台に、主人公がなくした化粧ポーチの盗難事件の謎解きがテーマとなります。ラストでは、結果として、人間関係の誤解が解消され、とても心温まる結末です。矢崎存美「レモンパイの夏」では、連絡の取れない同級生を探す男子高校生が主人公です。友人を探して、入った海近くの店でぶたのぬいぐるみからオススメされたかき氷を食べ、その店の人の協力も得て、SNSに投稿された写真の一部から友人を発見し、無事に連絡が取れますが、友人が行方をくらませた原因が、今どきの社会性や社会問題を感じさせます。深緑野分「大雨とトマト」は、古びた料理店の店主が主人公です。大雨の日に少女が現れてトマトのサラダを注文するシーンから始まります。店主と少女の会話からさまざまな複雑な事情を読み取る読解力を必要とする作品です。近藤史恵「割り切れないチョコレート」は、ビストロ・パ・マルのシリーズであり、ホールを担当する青年が主人公です。客からコース最後のボンボン・オ・ショコラにクレームがつきます。実は、その客が近くに店を開店したばかりのショコラティエであり、なぜか、その店ではチョコレートの詰合せが素数になっていて、割り切れない個数に設定されている謎を解き明かそうと試みます。私の感想としては、読み慣れたシリーズでしたので、最後の近藤史恵「割り切れないチョコレート」がよかったと感じたのですが、それ以外もすべて佳作といえるいい出来のミステリです。ただ、悲しいかな、私は普段から着るものと食べるものにはこだわりがなく、衣類はユニクロで十分、お料理はまったくせず、マクドナルドや吉野家のファストフードで、これまた十分、という不調法な人間ですので、お料理や食べ物に詳しい読者であれば、本書をもっと楽しむことができそうな気がします。

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