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2025年9月20日 (土)

今週の読書は経済書や話題の『Plurality』をはじめ計6冊

今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、石水喜夫『経済学と経済政策』(新評論)は、出版社のサイトで、著者は「行政内部から主流派経済学の誤りを指摘し続けてきた」という紹介で、歴史を解釈して経済理論と政策を考察している経済書ですが、ご自分の考えを延々と書き続けていて根拠となる参考文献などがないのは物足りません。オードリー・タン & E. グレン・ワイル『Plurality』(サイボウズ式ブックス)では、IT技術進歩の否定的な見方である統合テクノクラシー、あるいは、企業リバタリアニズムに対する第3の道としてデジタル民主主義、リーダーを置かずに分散的なメンバーが自発的に協働するDAO=Decentralized Autonomous Organizationを考えます。岡本好貴『電報予告殺人事件』(東京創元社)は、19世紀英国のヴィクトリア朝時代の電信局を舞台に、密室状態の局長室においてウィスキーで毒殺された局長の死について、電信士の女性が知識や技術を駆使して、他局の電信士の協力も得つつ調査を進めますが、警察に事件を予告するかのような電報が届きます。新名智『霊感インテグレーション』(新潮社)では、呪われた家系の末裔である女性を主人公にして、最先端技術であるITテクノロジーとオカルトを組み合わせて、さらに、ホラー的な要素も入れた上でミステリとしての謎解きに仕上げています。読みこなすのにかなりの読解力が必要かもしれません。宇田川敦史『アルゴリズム・AIを疑う』(集英社新書)では、入力=インプットと出力=アウトプットの間をつなぐ処理=プロセッシングであるアルゴリズムについて、もはや国民生活や経済活動に不可欠な一方でブラックボックスとなっており、国民が真に自由な選択を出来ているかについて疑問を呈しています。井上悠宇『あなたが犯人だったらよかったのに』(ハヤカワ文庫JA)は、心臓にあながあいている女子高生が文芸部の先輩と親友となるのですが、その先輩女子高生が自殺した後、生前に手配されていたSDカードに収納されたパスワードで保護された圧縮ファイルを解凍して、真相の解明に挑みます。
今年2025年の新刊書読書は1~8月に214冊を読んでレビューし、9月に入って先週までの11冊と今週の6冊を加えると合計で231冊となります。今年も年間で300冊に達する可能性があると受け止めています。これらの読書感想文については、できる限り、FacebookやX(昔のツイッタ)、あるいは、mixi、mixi2などでシェアしたいと予定しています。

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まず、石水喜夫『経済学と経済政策』(新評論)を読みました。著者は、労働省ご出身で現在は京都橘大学教授です。あとがきに2020年12月に役所を辞めたとの記述がありますので、私から半年余り遅れて官庁を出て関西の大学に職を得ているような印象を受けました。出版社のサイトでは、著者は「行政内部から主流派経済学の誤りを指摘し続けてきた」ということになっています。ただ、本書で著者のご主張はご自分の経済学はケインズ経済学に立脚している、といったような記述も見かけました。それはともかく、本書は3部構成となっているのですが、ハッキリいって、第Ⅰ部を中心に読むべきです。第Ⅱ部と第Ⅲ部は、何を主張したかったのかがやや不明な点が気にかかりました。というか、私の読解力では不明な点が残されてしまいました。第Ⅰ部では、戦後復興から始まって、戦後日本経済の歴史を詳述しており、それなりによく出来た経済書だと思います。繰り返しになりますが、要するに、私の読み方がそうだということなのでしょうが、歴史を解釈して経済理論と政策を考察している、ということなのだろうと思います。私の感覚ではエッセイに分類されるのではないかという気がします。ただ、エッセイは学術書のひとつのカテゴリーですので、本書も学術書と考えるべきです。ただし、ご自分の考えを延々と書き続けている印象で、根拠となる参考文献などがいっさいありません。その点は、学術書としては私には少し物足りない気がします。なお、本書では明確に新自由主義的な経済理論や経済政策を批判しています。特に、1995年の日経連による『新時代の「日本的経営」』に対する見方とアベノミクスの評価には目を見張るものがあります。アベノミクスについては、分配率を労働から資本にシフトさせ賃金の停滞を招いたという主張はまさにその通りです。私が付け加えるに、ですので、アベノミクス期には株価の上昇が見られた、ということになります。いずれにせよ、ここまで明確にアベノミクスを主流派マクロ経済学の観点から批判した経済書は少ないと思います。学術書に限定しなくても、おそらく、アベノミクスの円安に対する経済学的ではない怨嗟の声はいっぱい聞きますが、分配率に着目した議論は少ない気がします。まあ、マルクス主義的な経済学の観点からは、そういったアベノミクス批判がありそうな気がするのですが、不勉強にしてその方面の情報は私はそれほど持ち合わせていません。当然ながら、労働省のご出身ですから、労働や雇用関係に見るべき主張がたくさんあります。ただし、その労働と雇用についても、細かな点ですが、長期雇用が第1次大戦後の工業化過程で始まった、というのはそれはその通りだと思いますが、人手不足の中で高度成長期に完成したわけで、雇用流動化に関する考え方とともに、人手不足に関する認識が私とかなり違っている気がします。雇用流動化については、私はいわゆる高圧経済下で人手不足になれば本来の経済学的な効果が望めると考えています。すなわち、人手不足の前の段階では雇用の流動化とは、典型的に多くの経営者が目指しているように、首切り合理化を進めよう、あるいは、職に必要なレイバーサーチを行おうとする使用者サイドに有利となります。しかし、高圧経済が進んで人手不足になれば、雇用者がスキルに応じた職や給与を目指して流動化した労働市場で、雇用者の意向によるジョブサーチが出来るようになります。現時点では、「雇用流動化」というのは前者のみで考えられているフシがあり、後者の高圧経済下の雇用流動化についてもっと研究の蓄積が必要、と私は考えています。本書はまだ物足りませんが、本書の著者はそういった研究を進める上で積極的な役割が果たせるのではないか、と私は勝手に期待しています。

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次に、オードリー・タン & E. グレン・ワイル『Plurality』(サイボウズ式ブックス)を読みました。著者は、というか、タン&ワイルの2人は、どうも、いわゆる学術論文でいうところのファーストオーサーであり、数多くのスタッフが本書の成立に貢献しているようです。タン氏は台湾のデジタル大臣を務めたことがあり、ワイル博士はマイクロソフトの研究員で、私はポズナー判事との共著である『ラディカル・マーケット』を5年ほど前に読んでいます。集英社新書の李舜志『テクノ専制とコモンへの道』は本書の要約をしている、ということになります。本書は注などを含めれば600ページを大きく超えるボリュームですが、新書の要約ではなく本書を読むことを私は強くオススメします。ということで、本書ではAIやITのテクノロジーがとてつもないスピードで進んでいて、シンギュラリティが近づいている中で、悲観論が強まっていることに対する楽観論からの反論となっています。すなわち、人間労働が不要になって大量の失業が発生したり、あるいは、私も賛成している見方で、人間がAIのペットとなったりするのではないか、はたまた、AIがさまざまな面で能力的に大きく上回って、人間に反旗を翻して社会不安が増大するのではないか、といった否定的な見方などに対して、ひとつの見方を示すものです。すなわち、否定的な見方の一方には、テクノ封建主義やデジタル・レーニン主義といった統合テクノクラシーがあり、他方で、すべてを市場に委ねようとする真逆な思想として企業リバタリアニズムを対置します。しかし、本書では第3の道としてデジタル民主主義、リーダーを置かずに分散的なメンバーが自発的に協働する DAO=Decentralized Autonomous Organization を考えます。詳細については、読んでいただくしかないのですが、中心は7章構成のうち、第3章のプルラリティ(多元性)、第4章の自由、第5章の民主主義、第6章の影響分析などです。私の方から、いくつか補足したい点があります。まず、きわめて細かい点をエコノミストとして指摘すると、第3章の20世紀の科学の進歩について、数学の不確定性定理や物理学の相対性理論とともに、社会科学の代表として経済学のケインズによるマクロ経済学に言及してほしかった気がします。そして、その中心的な影響は単にミクロを足し合わせるというだけではない合成の誤謬にあると私は考えています。より根源的な指摘として、第4章の民主主義では、私が従来から主張しているように、現時点での自由とは質的に次元の異なる自由を本書でも考えています。すなわち、現時点での自由はまだ十分ではない、ということです。私の独特の表現ですが、池井戸潤の小説に登場する花咲舞のような自由です。そして、第5章の民主主義では、現在の官僚制を硬直的としか見なしていませんが、時代背景からして効率性が無視されている気がします。なお、(遠隔)没入型共有現実というのも実によく考えられた概念だという気がします。第6章の影響分析に関しては、生成基盤モデル(GFM)を用いて、分断の修復が期待されているという主張は私も同じです。ただ、悲しいかな、私にはGFMの技術的基礎が十分理解できませんでした。最後の最後に、本書は必ずしも経済書ではないかもしれませんが、私は今年のベスト経済書に推そうかと考えています。

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次に、岡本好貴『電報予告殺人事件』(東京創元社)を読みました。著者は、ミステリ作家であり、一昨年の2023年の第33回鮎川哲也賞を受賞し、受賞作を改題した『帆船軍艦の殺人』でデビューしています。私はデビュー作を読んでいます。本作品が第2作となるのではないかと思います。時代は英国ヴィクトリア朝の1870年代ではないかと思います。タイトルにある電信・電報が世界に普及しつつある時代背景であり、英国では民営で運営されていた電信会社が国営化されて間もなくということになっています。地理的には、たぶん、ロンドンからそれほど遠くない地方都市、首都ロンドンではないものの日帰りができるくらいの距離感ということになります。主人公はその地方都市の電信局に勤務する電信士のローラ・テンパートン、30歳近い独身女性です。当時は女性が職業を持って外で働くことに対する偏見が大きく、ローラの父も同じで結婚して仕事を辞めるよう意見されています。事件は電信局内で起こります。すなわち、ある晩、ローラは電信局を訪れたモンタギュー・アクトン局長の甥ネイト・ホーキンスを局長室に案内するのですが、アクトン局長は施錠されて密室状態となっていた局長室で毒殺されていました。いつも退勤前に飲むウィスキーから毒物が検出されます。警察は遺産がかなりあることから、甥のネイトに疑いをかけます。ネイトはカナダ在住でしたが、両親をなくしてアクトン局長に引き取られて英国に戻っています。いずれにせよ、密室で毒殺されていますので、もしもネイトでないと仮定すれば、電信局内の同僚の犯行の可能性がきわめて高いわけです。ローラはネイトの無実を信じて、電信士としての知識や技術を駆使して、他局の電信士の協力も得つつ調査を進めます。局内には、アクトン局長に人事で先を越された主任電信士のユージン・ギャリバンや競馬にうつつを抜かしているフィリップ・ロックフォード電信士など、動機のありそうな同僚もいます。しかし、事件の翌日、警察に事件を予告するかのような電報が届きます。被害者のアクトン局長だけではなく、別の名も記されており、その人物がアクトンの次に殺害されます。ということで、ミステリですのであらすじはここまでとします。評価については、何ともいえません。主人公のローラの人物造形はとてもすばらしく、魅力的な女性に描かれています。ただ、ミステリとしてはアリバイ、密室、複雑な背景構図などなど、決して魅力的でないことはないのですが、謎解きとしてはやや底が浅い気がします。というのも、かなりの長編であるにもかかわらず、登場人物が少ない上に、各人物の背景が単純きわまりなく、何と申しましょうかで、犯人候補がそれほどおらず、自ずと犯人が誰なのかが判ってしまう構図となってしまっています。前作からの流れで舞台を英国に設定するのはいいのですが、繰り返しになるものの、密室殺人、アリバイトリック、殺人予告電報などなど、王道ミステリの要素をいっぱい詰め込みながら、謎解きが拍子抜けするくらいに単純です。この謎解きなら、ホームズのシリーズくらいの短編でいいんではないか、という気もします。したがって、やや厳しいかもしれませんが、この作者の次回作は読まないかもしれません。

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次に、新名智『霊感インテグレーション』(新潮社)を読みました。著者は、たぶん、ミステリ作家と考えていいのだと思います。本作品は最先端技術であるITテクノロジーとオカルトを組み合わせて、さらに、ホラー的な要素も入れた上でミステリとしての謎解きに仕上げています。私は前作の『雷龍楼の殺人』を読んでいて、本作も読もうという気になりました。本書はプロローグとエピローグのほかに6話の連作短編から編まれています。主人公は、基本的に、多々良カズキです。下の名をカタカナにしているのには理由がありますが、その理由はネタバレに属する情報ですので明らかにはできません。主人公は五反田にあるITベンチャー「ピーエム・ソリューションズ」に勤めています。会社ではITエンジニアではなく、工程管理などの事務職を務めています。もちろん、クライアントのところに出向くことがしばしばあります。ピーエム・ソリューションズの社長は土岐順一郎、CTOはChief Technology Officerではなく、Chief Thaumaturgy Officer=最高魔術責任者を務める羽鳥のほか、ITエンジニアとして奥田とか和泉が勤務しているようです。多々良カズキは呪われて次々と死んでいく多々良家の最後の生き残りであり、ピーエム・ソリューションズの会社は、土岐社長の方針により、オカルトめいた呪い、霊感、あるいは、オカルトに近いマインドフルネス≅瞑想などのITやデジタルとは対局に位置するように見えるコンテンツを、直接開発するのではなく、そういったアプリを開発する企業を支援しています。6話の短編のあらすじ、というかストーリーの最初の部分だけを簡単に収録順に紹介すると、以下の通りです。すなわち、表題作の「霊感インテグレーション」は、幽霊から届くプッシュ通知を売り物にするアプリ開発企業の不具合からストーリーが始まります。多々良カズキの独白も含んでいて、本書の骨格を明らかにするパートがあります。「邪眼コントリビューター」では、インドネシアのとある島に伝わる複雑な幾何学模様をヘルスケア・ビジネスに取り入れた企業のマインドフルネスの画像をチェックしていた和泉が体調を崩すところからストーリーが始まります。「天罰ディペンデンシー」では、東証プライム上場の産業機械会社の情報システム部門で社内ポータルに不具合が生じて、一部スタッフに崇拝されているサーバー神社との関係が緊張感を生み出します。「焦熱ダーティ・リード」では、和泉が主人公となって視点を提供します。和泉は奥田とともに、土岐社長の婚約者が焼死したホテル跡地に土岐社長に代わって献花に出向き、廃墟マニアの動画配信者と出会うところからストーリーが始まり、とても意外な火事の原因に気づきます。「異形スナップショット」では、土岐社長とともにレンタカーで地方に向かった多々良カズキが心霊写真めいた不思議な写真の謎とか、一体だけ動き回る石像の六地蔵の謎に遭遇します。この短編と次の短編は部分的ながら連続しており、短編集の総まとめの位置づけです。最後の短編「怨念インプリメンテーション」は、両親を亡くした10歳の多々良カズキが親戚に引き取られ、次々と周囲の人が亡くなっていくところからストーリーが始まり、最後に、本書の謎が一挙に解き明かされますが、決して、後味のいい読後感ではありません。最後の繰り返しになりますが、ITやデジタル技術と相容れなさそうなオカルトや超常現象を組み合わせて、さらにホラーの味付けをしつつミステリの謎解きに仕立てています。ただ、読者によっては逆にミステリの要素を含めたホラーであると考える人がいても不思議ではありません。ですので、いろんな要素をいっぱい含んでいて、ある意味で複雑なキメラのような構造になっていると感じる読者もいそうですし、私自身はこの作品は高く評価しますが、読後感も含めて評価が分かれる可能性もあるような気がします。私は十分な自信がありませんが、この作品を読みこなせる読者はそう多くないように考えます。最後の最後に、米国のミステリ作家エドワード D. ホックの短編集に『サイモン・アークの事件簿』のシリーズがあって、オカルトめいた不可解な事件ながら、近代物理学に則った科学的な解明がなされるミステリ作品があります。ITやデジタルの21世紀的な科学的要素を導入しつつ、同じ趣向の短編集であると私は考えてます。

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次に、宇田川敦史『アルゴリズム・AIを疑う』(集英社新書)を読みました。著者は、武蔵大学社会学部メディア社会学科の准教授です。ご専門はメディア論、メディア・リテラシーということです。まず、本書でも指摘されているように、アルゴリズムとは入力=インプットと出力=アウトプットの間をつなぐ処理=プロセッシングを指します。条件により分岐したり、ループしたりするわけです。本書でも指摘しているように、アルゴリズムとは決してデジタルやコンピュータに限定されているわけではなく、その昔から考え方としてはあります。本書のタイトルではそのアルゴリズムとAIを並列に並べていますが、これまた、本書で指摘している通り、アルゴリズムはほぼほぼ不変のプロセッシングであり、人間が意図的に変更しない限り同じ入力に対しては同じ出力が得られます。その昔、サンリオのサイトにオセロゲームが置いてあり、とても強かったのですが、ちゃんと棋譜を取って同じ手順で進めれば必ず勝てました。そういうものです。AIはそうではなく何らかの学習をします。ですから、オセロの例を持ち出すと、たぶん、何度も同じ負け方はしません。そして、本書ではプロセッシングがモジュール化されている点を重視しているようですが、そのあたりはすっ飛ばして、このプロセッシングがブラックボックスになっている点が重要だという本書の考えに、私は激しく同意します。もちろん、アルゴリズムが公開されているケースもなくはないのですが、基本的に、我々一般国民が触れるアルゴリズムは、例えば、Amazonのレコメンドなどはブラックボックスである上に、我々の消費者としての効用を最大化するようには設計されていません。逆に、ではないのですが、消費者の財やサービスを供給する企業の利潤を最大化するように設計されていると考えるべきです。当然です。もちろん、さまざまなアルゴリズムの中には我々国民サイドの利便性を最大化するものも含まれているように見えます。例えば、何らかの交通機関の乗継をアルゴリズムによって検索した人は少なくないと思います。決して交通機関の運賃収入を最大化するようにはなっていないと思います。そして、本書ではいわゆる「企業悪玉論」に立脚しているわけではありません。そもそも、本書で対象としているアルゴリズムを離れても、例えば、私がエコノミストとして消費を考える場合、消費者が真に自由な選択を出来ているかどうかは怪しいと考えています。消費行動でもそうなのですから、投票行動なんてのはもっと自由な選択から外れている気がします。ですから、私は古典派ないし新古典派的な市場に対する信頼感については、それほど持ち合わせません。それはともかく、もはやインターネット上のものも含めて、デジタルなアルゴリズムやさらに学習するAIは社会のインフラとなっているわけですので、本書の最終章第5章では、そういったアルゴリズムのメディア・リテラシーを身につけ、さらに向上させる点を力説しています。当然ですが、それが難しいのだろうと思います。

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次に、井上悠宇『あなたが犯人だったらよかったのに』(ハヤカワ文庫JA)を読みました。著者は、ミステリ作家です。本書の舞台は高校であり、主人公は高校1年生の内海夕凪です。心臓にあながあいていて、食事や生活や行動に制限を抱えて生きています。体育の授業なんかが典型です。母親は「心臓をドキドキさせると、止まってしまう」といい、父親は夕凪が高校の写真部に入ると高級一眼レフカメラを買い与えて、他の部員がドン引きする原因を作ります。高校で図書室にいた時、1年上の先輩の文芸部の葛城才華と出会い、太宰の『人間失格』を念頭に、「物語に殺されることってあると思う?」と問われます。夕凪と才華はいつしか親友関係を築くことになります。しかし夏休み明け、才華は自殺してしまいます。当然に、夕凪は才華の自殺の動機・原因、というか、自殺ではなく殺人である可能性も含めて、真相を知りたいと考えるわけですが、そんな夕凪に才華から生前に手配されたものとしてSDカードが届きます。SDカードには、2つのファイル「この物語の作者の名前」と「私と彼の罪」が収録されています。ただし、パスワードで保護された圧縮ファイルになっていて、すぐには読むことが出来ません。夕凪はその圧縮ファイルを開くためにパスワードの手がかりを追いながら、才華の所属していた文芸部の教師や生徒の人間関係、さまざまな会話の断片を探り、才華の残した文芸作品「天使失格」を読み、日々の交流のなかに隠された「罪」とは何か、またその「罰」とは誰が何がもたらすものかを追っていくことになります。そうしているうちに、夕凪と才華の通う高校には独特の都市伝説があり、高校を卒業した作家の渕見央人が高校に残した「読むと死ぬ物語」があることを知り、作者の渕見央人と会ったりもします。タイトルを解題するとネタバレになりますし、何といってもミステリですのであらすじはこのあたりまでとします。ということで、一応、ミステリですし、才華のほかにも何人かの死が取り上げられています。そういう意味で、高校を舞台にした切ない青春ミステリ、という世間的な評価は当てはまる気がします。ただ、単なるミステリの謎解きを超えて、登場人物の心理描写もていねいでストーリに引き込まれてしまう読者が多いのではないか、という気がします。

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