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2025年9月27日 (土)

今週の読書は経済書のほか計6冊

今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、ダニエル・サスキンド『Growth』(みすず書房)は、サブタイトルにあるように、『「脱」でも「親」でもない新成長論』として、いわば第3の道を考えていますが、私が読んだ印象からいうと、脱成長と成長加速を足して2で割ったようで、ややあいまいな結論だったようです。武田淳『コーヒー2050年問題』(東京書籍)では、2050年には気候変動による気温上昇と降雨量の変化のため適作地が半減し、熱帯的気圧の大型化をはじめとする異常気象、さらに、病害虫などの被害により、コーヒー生産が大きく減少して、将来、コーヒー不足に陥る可能性があると指摘しています。笛吹太郎『コージーボーイズ、あるいは消えた居酒屋の謎』と『コージーボーイズ、あるいは四度ドアを開く』(東京創元社)は、アシモフ『黒後家蜘蛛の会』シリーズのように、カフェに集まった仲間やゲストが持ち込んだ謎を、カフェのマスターが安楽椅子探偵として解き明かします。河野龍太郎・唐鎌大輔『世界経済の死角』(幻冬舎新書)は日本経済と世界経済について、きわめて幅広いトピックについて対談形式で分析を試みており、アベノミクスの否定的な評価などはうなずけるものが多々ありますが、きわめて多岐に渡るトピックだけに分析が表面的な気もします。太田肇『日本型組織のドミノ崩壊はなぜ始まったか』(集英社新書)は、絶対君主型・官僚制型・伝統墨守型に分類した日本型組織の崩壊について、共同体的な受容と自治が重要であるにもかかわらず、自治が崩壊して物いわぬ共同体になったと指摘し、新しい組織形態と参加のあり方を考えています。なお、笛吹太郎『コージーボーイズ、あるいは消えた居酒屋の謎』(東京創元社)は2021年刊で新刊書ではないのですが、続編の『コージーボーイズ、あるいは四度ドアを開く』とセットでレビューに含めています。
今年2025年の新刊書読書は1~8月に214冊を読んでレビューし、9月に入って先週までの17冊と今週の6冊を加えると合計で237冊となります。今年も年間で300冊に達する可能性があると受け止めています。これらの読書感想文については、できる限り、FacebookやX(昔のツイッタ)、あるいは、mixi、mixi2などでシェアしたいと予定しています。

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まず、ダニエル・サスキンド『Growth』(みすず書房)を読みました。著者は、ロンドン大学キングス・カレッジ研究教授であるとともに、オクスフォード大学AI倫理研究所シニア研究員やスタンフォード大学デジタル経済研究所デジタル・フェローも務めています。ご専門はテクノロジーの社会へのインパクト、とりわけ、AIの及ぼす影響だそうです。本書のサブタイトルは『「脱」でも「親」でもない新成長論』となっていますが、私が読んだ結論からいうと、脱成長と成長加速を足して2で割ったようで、ややあいまいな結論だったように受け止めました。本書は5部構成となっていて、第Ⅰ部では、産業革命前のいわゆる中世の時代はほとんど成長は見られず、人類が生存水準ギリギリで生き残ってきたと主張しています。はい、それはその通りだと思います。本書では、この長期の経済停滞を long stagnation と名付けています。第Ⅱ部では、GDP統計の成り立ち、すなわち、戦争遂行の観点からケインズ卿がマクロ経済を計測して、どれだけの戦費を調達できるかを考え、戦後の米国でクズネッツ教授がGDP統計を確立した、という歴史を指摘し、ただ、成長の加速によって気候変動や格差の拡大などの問題も同時に生じてきた点が強調されています。第Ⅲ部では、脱成長についての議論が展開され、幸福度などの指標についても言及されています。第Ⅳ部では、ただ脱成長とはいっても、まだまだ経済成長が必要であるとの議論が取り上げられます。そして、最後の第Ⅴ部で、経済成長とほかの経済あるいは経済外の政策目標との間のトレードオフについて議論され、要するに、アセモグル教授のいう「狭い回廊」かもしれないが、成長とトレードオフの関係にあるように見える政策目標の間でトレードオフを緩和するような方策を探る、という結論となります。要するに、いわゆる「第3の道」的な解決策であり、ハッキリいって、画期的なものではありません。今まで散々言い散らかされてきたようなものです。加えて、私が読んだ印象では、脱成長論に対する反論はかなりおざなりで、それほど強く脱成長を支持しているわけではなく、むしろ、成長継続の方に傾斜しているとの見方も出来る気がしています。ただ、資本や労働といった生産要素の蓄積に頼った成長から、本書でいうところの「アイデア」に基づく成長への切換えとそのための政策的なインプリケーション、特に、インセンティブ設計を強調しているのが、本書の大きな特徴のひとつといえるかもしれません。そのあたりの詳細は実際に読んでみてのお楽しみです。

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次に、武田淳『コーヒー2050年問題』(東京書籍)を読みました。著者は、静岡文化芸術大学准教授であり、ご専門は文化人類学だそうで、コーヒー栽培とかの農学ではありません。ただ、フィールドワークでパプアニューギニアやコスタリカなどでコーヒー生産者と生活をともにしてきたご経験があるということです。ということで、本書のタイトル通り、2050年をめどに気候変動が将来のコーヒー生産にどのような影響を及ぼすかについて考えています。結論としては、2050年には気候変動による気温上昇と降雨量の変化のためコーヒーの適作地が半減するとともに、ハリケーンなどの熱帯低気圧の大型化をはじめとする異常気象、さらに、病害虫などの被害により、コーヒー生産が大きく減少しかねず、将来、コーヒー不足に陥る可能性が十分ある、ということです。もちろん、コーヒー生産のためだけでなく、気候変動を緩和するために必要な方策はいっぱいあり、温室効果ガス排出削減などの根本対策は別としても、本書ではコーヒー生産に限定した対応策として、一般的なアラビカ種とロブスター種のほかに、「忘れられたコーヒー」といわれるリベリカ種に注目するなどの論点が議論されています。本書の特徴として、学術書のように詳細な参考文献を引用しつつ、コーヒー生産の将来について議論しているのもさることながら、税抜き2400円という価格にしてはきわめて多数のフルカラーの図版を収録している点も魅力です。もちろん、フィールドワークの結果ですので、供給サイドのコーヒー生産者の声を重視し、また、需要サイドの我々コーヒー愛飲家の間の文化などにも着目して、コーヒーに関するとてもいい情報を提供してくれています。今さらながら、気候変動に対する関心が深まる効果も見逃せません。私も、コーヒー生産はほとんどないながらコーヒー生産の中心地ブラジルに近い南米チリの大使館に勤務し、また、ベトナムに次ぐアジア第2のコーヒー生産国であり、ブラジルを含めても世界第3のコーヒー生産を誇るインドネシアにも3年ほど家族とともに暮らした経験がありますので、こういったコーヒーに関する情報には強い興味があり、本書も高く評価しています。たぶん、2050年には私自身は生きていたとしても90歳を超えますので、命長らえていない可能性が高いですし、気候変動やコーヒー生産に関する予測モデルの正確性にも疑問がないわけではありませんが、そういった観点や批判を考慮しても、多くのコーヒー愛飲家に本書を読んで欲しいと願っています。

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次に、笛吹太郎『『コージーボーイズ、あるいは消えた居酒屋の謎』『コージーボーイズ、あるいは四度ドアを開く』(東京創元社)を読みました。著者は、ミステリ作家であり、『コージーボーイズ、あるいは消えた居酒屋の謎』で本格デビューしています。タイトルからも理解できるように『コージーボーイズ、あるいは消えた居酒屋の謎』と『コージーボーイズ、あるいは四度ドアを開く』はシリーズとなっていて、前者は4年前の2021年の出版で、すでに文庫化されています。後者は今年2025年の出版の新刊です。ミステリとしては、アシモフ『黒後家蜘蛛の会』シリーズとまったく同じ形式を取っていて、荻窪にあるカフェであるアンブルに4人が集まって謎解きに挑むのですが、集まった4人ではなくカフェのマスターである茶畑がすべて解決する、という安楽椅子探偵ミステリです。アンブルに集まる4人は、ミステリ作家の福来晶一、評論家にして古書店2代目の伊佐山春嶽、同人誌主幹の歌山ゆかり、そして、主人公というか、視点を提供する編集者の夏川ツカサ、となります。謎はこの4人から提供される場合もありますが、『黒後家蜘蛛の会』シリーズのように、ゲストが披露する場合もあります。2冊合わせて14話もの短編が収録されていますので、ものすごく大雑把にあらすじを紹介します。まず、1冊目の『コージーボーイズ、あるいは消えた居酒屋の謎』の表題作である「コージーボーイズ、あるいは消えた居酒屋の謎」では、アリバイを証明してくれる居酒屋を探します。「コージーボーイズ、あるいはありえざるアレルギーの謎」では、ナッツを使っていないのにアレルギーが出た謎を解きます。「コージーボーイズ、あるいはコーギー犬とトリカブトの謎」では、30年前に飼い犬がトリカブトで毒殺された謎を解明します。「コージーボーイズ、あるいはロボットはなぜ壊される」では、子供だけで留守番していた際に、おにいちゃんが宝物にしていたロボットが壊されている謎を解明します。「コージーボーイズ、あるいは謎の喪中はがき」では、誰も死んでいないのに姉が喪中ハガキを年末に出した謎に挑戦します。「コージーボーイズ、あるいは見知らぬ十万円の謎」では、作家の仕事場の引出しに入れておいた封筒に入った5万円ほどの現金が、なぜか10万円に増えている謎を解きます。「コージーボーイズ、あるいは郷土史症候群」では、大学生が特段の理由もなく急に郷土史に興味を持ち始める謎を解きます。2冊目の『コージーボーイズ、あるいは四度ドアを開く』の「コージーボーイズ、あるいは笛吹き男の怪」では、中荻で夜中にリコーダを吹く男の正体や目的を探ります。「コージーボーイズ、あるいは猫形クッキーの謎」では、娘が焼いたキャラ・クッキーのひとつをつまみ食いしてしまった父親が、食べてしまったクッキーが何のキャラかを考えます。表題作の「コージーボーイズ、あるいは四度ドアを開く」では、純文学作家の祖父とミステリ作家の父を持つ娘が、父親のデビュー作で4度ドアを開くという意味を探ります。「コージーボーイズ、あるいは屋上庭園の密室」では、事故にあってトリックを忘れてしまった漫画家がいて、密室状態の屋上庭園のトリックを考えます。「コージーボーイズ、あるいはふたたび消えた居酒屋の謎」では、居酒屋チェーン店の経営者から出された謎、すなわち、阿佐ヶ谷商店街にある居酒屋を特定する謎に挑戦します。この短編のみ、アンブルのマスターである茶畑ではなく、アルバイトの黒木が謎解きを披露します。「コージーボーイズ、あるいは予言された最悪の一日」では、湯島にあるスナックのママが予言した「明日は最悪」がなぜ当たったかを解明しようと試みます。「コージーボーイズ、あるいはヤンキー・パズル」では、東京のヤンキー高校生が修学旅行先の京都で現地高校生と乱闘事件を起こした翌日に、なぜかリーダー格の生徒が相手の高校に詫びを入れに行った謎を解きます。ということで、少なからず後味の悪い謎解きがあります。特に、「コージーボーイズ、あるいは笛吹き男の怪」の真相はゾッとしません。でも、中には、「コージーボーイズ、あるいは猫形クッキーの謎」のように、見事などんでん返しが用意されていて、とても読後感がいい短編もあります。ともあれ、短い短編集ですので中途半端な時間潰しにはピッタリです。

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次に、河野龍太郎・唐鎌大輔『世界経済の死角』(幻冬舎新書)を読みました。著者は、BNPパリ場所受けのチーフエコノミストとみずほ銀行のチーフマーケットエコノミストです。本書は、ご著者からご寄贈いただきました。誠に有り難いことです。本書はご著者2人の対談形式で進められていて、序章と最終章を別にして5章構成となっています。第1章では賃金の停滞や雇用労働について論じ、第2章では米国のトランプ政権下での世界経済のについて論じ、第3章で為替、第4章でキャピタルフライトをそれぞれ議論し、第5章で日本の中間層の崩壊についてAIや外国人を言及しています。まず、河野龍太郎『日本経済の死角』もそうだったんですが、アベノミクスについて実に的確な評価を下しています。すなわち、賃金が上がらないのはアベノミクスに起因すると結論していて、アベノミクスでマクロ経済の分配率が労働から資本に大きく傾斜し、要するに、それなりに成長をしたものの、付加価値のうち労働者の取り分が減少した、という結論です。私は少し前までトリクルダウンが少しくらいはあるだろうと考えていたのですが、ほぼほぼなかったことは明らかです。資本分配率が上昇したことを受けて株価も上がったわけで、株式なんてそれほど保有していないにもかかわらず、株価にシンクロする形で国民は安倍内閣を支持したといえます。そして、その労働分配率の低下は雇用の非正規化に起因していることも明らかです。ただし、疑問が残る論点はAIと外国人労働者による中間層の破壊です。私は、現在の技術革新のタイプが、いわゆるスキル偏重型なのが大きな原因と考えていて、本書ではそれを「収奪的なイノベーション」と位置づけ、「包摂的なイノベーション」と対比させています。そういう考えがないとはいえませんが、イノベーションの本質は労働代替あるいは原材料や燃料の節約であり、労働代替については、どういった労働を代替するかを考えるべきです。現在のAIをはじめとしてIT化を進めるイノベーションは、労働者の中間層を切り崩すような形で進んでおり、それを「収奪的」と位置づけることは不可能ではありませんが、おそらく、中間的なスキルを代替するイノベーションというのが正しいのだろうと私は思います。トップスキルが近い将来に代替される可能性は否定しませんが、低スキル労働の代替が起こるかどうかは私には不明です。最後に、著者おふたりはマーケットを見ているエコノミストで、たぶん、2-3ページの短いリポートを高い頻度で提供することが主眼でしょうから、ハッキリいって、多岐にわたるトピックを取り上げているにしても、分析の深みに欠け焦点がボケているきらいがあります。大学生くらい、特に入学したばかりの1-2年生の学生が読む分にはいいでしょうが、ビジネスパーソンには、得意分野の分析に物足りない思いをする人がいそうです。逆に、本書のすべての分析が全部勉強になったと思うようでは、得意分野がない、あるいは、勉強不足といわれかねないような気もします。

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次に、太田肇『日本型組織のドミノ崩壊はなぜ始まったか』(集英社新書)を読みました。著者は、同志社大学政策学部の教授です。組織論・日本人論の第1人者だそうです。著者のご著書の中で、私も『「ネコ型」人間の時代』(平凡社新書)、『同調圧力の正体』(PHP新書)、『何もしないほうが得な日本』(PHP新書)といった新書を拝読しています。まず、最近時点での日本型組織の崩壊を3タイプに分類していて、トップがワンマンの絶対君主型は、ジャニーズ事務所やビッグモーターなどです。組織運営がブラックボックスになってしまった官僚制型は、ダイハツや東芝、自民党の派閥などが相当します。旧来の価値観にしがみつく伝統墨守型は、パワハラで自殺者の出た宝塚歌劇団や白鵬の宮城野部屋など、と判りやすく説明しています。その上で、組織としては自然に集まる基礎集団、町内会や学校のPTAなどがある一方で、特定の目的達成のための目的集団があると分類し、日本固有ではないとしても共同体的要素を考えています。共同体としては、権利と義務の関係に近い受容と自治が車の両輪として重要であるにもかかわらず、自治が崩壊して物いわぬ共同体になってしまっている、と指摘しています。しかも、小さな共同体ほど同質性が高いがゆえに同調圧力が強く、崩壊のリスクも大きいと結論しています。この日本的な組織の崩壊に際して、本書ではタン&ワイルの『Plurality』でも主張されていたDAOなどのインフラ型の組織を考え、そこに加わる個人を企業でいうところのジョブ型でもメンバーシップ型でもない自営型として独立性高く活動する形を考えています。詳細は読んでいただくしかないのですが、私のような大学教員は、まさに本書で指摘している通りの活動をして、大学という組織に参加していると感じました。今までのご著書に比べて、著者ご本人も書いている通り、かなり率直な物いいで明確なお考えを示しています。私は大学院生の修士論文指導をする際には、学術論文なのだから極端な表現は避けるべし、例えば、欠如=lackではなく、不足=shortageと表現する方がいい、といっているのですが、その意味で、本書は学術的というよりも、かなりジャーナリスティックな表現といえます。ただ、どうしても精神論的な部分が多くを占める点は不満が残ります。新書なのですから、「無責任に」とまではいいませんが、単なる組織論の分析に終わるのではなく、もっと実践的な組織運営の指針といった部分まで踏み込んでほしかった気もします。

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