今週の読書はSNA統計の経済書のほか文春文庫をたくさん読んで計6冊
今週の読書感想文は以下の通り計6冊です。
まず、菅幹雄[編著]『GDP推計の新たな展開』(日本評論社)は、SNA統計、すなわち、GDPなどの国民経済計算の推計方法が産業連関表(IO)から供給・使用表(SUT)に変更されるのに合わせて、SNA統計の作成方法を基礎から初学者向けに解説した入門書です。夏木志朋『Nの逸脱』(ポプラ社)では、ほとんど無関係の人の後をつけるという「逸脱」が3話のうちの2話を占め、その逸脱の結果がものすごく印象的なのは最初の第1話だけだと私は感じました。オチを求めるエンタメ小説好きには物足りないかもしれません。宮部みゆき・有栖川有栖・北村薫[編]『清張の牢獄』(文春文庫)は、十手を持った松本清張の表紙画像から理解できる通り、松本清張作品のうち時代小説の短編を9話収録しています。収録短編がすべてミステリというわけではありませんが、「大黒屋」と「蔵の中」は謎解きの要素が強くなっています。深緑野分『スタッフロール』(文春文庫)は、映画の裏方を務める視覚効果の世界に生きる2人の女性アーティスト/クリエイターに着目していて、前半はアナログ技術を用いる米国ハリウッドの特殊造形師マチルダ、後半はデジタル技術に基づくCGを駆使するアニメーターの英国人女性ヴィヴが主人公となります。高瀬乃一『貸本屋おせん』(文春文庫)は、江戸時代の文化年間が舞台となっていて、20代も半ばで千太郎長屋に住んでいて、浅草福井町で和漢貸本の梅鉢屋を営んでいるおせんが主人公となり、武士階層とは異なる江戸下町の庶民の生活を読書を通じて楽しめるとともに、出版界と権力との緊張関係も感じられます。青山文平『本売る日々』(文春文庫)は、江戸時代の文政年間を舞台とし、城下から村々に本を行商して歩く松月堂平助が主人公です。顧客は読書する上層階級であり、しかも、平助は物之本と呼ばれる漢籍や仏書や国学書などの教養書だけを扱っています。開板して出版業にも手を伸ばしたいと考え、「書林」を名乗っています。
今年2025年の新刊書読書は1~8月に214冊を読んでレビューし、9月に入って今週の6冊を加えると合計で220冊となります。今年も年間で300冊に達する可能性があると受け止めています。これらの読書感想文については、FacebookやX(昔のツイッタ)、あるいは、mixi、mixi2などでシェアしたいと予定しています。なお、これらのほかに、瀬尾まいこ『強運のの持ち主』(中文春文庫)も読みましたが、2009年出版で新刊ではないと思いますので、SNSでシェアする予定ながら、本日のレビューには含めていません。
まず、菅幹雄[編著]『GDP推計の新たな展開』(日本評論社)を読みました。編著者は、法政大学経済学部教授であり、政府の統計委員会の委員も務めています。本書は13章から構成されていて、表紙画像のほか、出版社のサイトに各章のタイトルが各チャプターの執筆者一覧とともに明らかにされています。私はこの執筆者の1人から本書を推薦されて読み始めました。基本的には、SNA統計、すなわち、GDPなどの国民経済計算の推計方法が産業連関表(IO)から供給・使用表(SUT)に変更されるのに合わせて、SNA統計の作成方法を基礎から初学者向けに解説した入門書です。各章末尾には演習までついています。本書冒頭のIO表とSUT表の違いをイモリとヤモリに例えているのは、まあ、何と申しましょうかで、判らない人には判らないと思いますが、本書ではごく簡単に、IO表は何らかのインパクトがあった際の経済各部門への波及とその合計を考えるのが産業連関表(IO)であり、経済各部門の算出や付加価値を考えてSNA/GDP統計の基礎となるのが供給・使用表(SUT)ということになっています。SUTの説明はトートロジーなのですが、ほかに説明のしようもない気がします。入門書として、十分な内容を備えていると私は受け止めました。コモディティ・フロー法による推計からSUTを用いた推計への変更がよく解説されています。私は国家公務員として、SUT表作成のごく初期の需要表の作成に段階で研究所の研究官として少しだけ関係しましたが、はい、ものすごく膨大な作業です。SUT表やIO表に限らず統計作成作業というものは、とても手間がかかるものなのですが、特に、国内初の統計を作成する場合は時間も手間もかかります。チャプターごとの執筆者は大学の研究者ばかりではなく、実務者もかなり含まれていますので、そのあたりのご苦労はあったものと推測しています。最後に、2点だけ指摘しておくと、まず、SNA/GSP統計の推計に関しては、国連マニュアル System of National Accounts 2008 とか、内閣府の解説書「国民経済計算推計手法解説書」とかで、学生や研究者には公共財として無料で提供されていたのですが、それなりの価格で市場化されるとすれば、もう少し付加価値が欲しいと考える向きはあるかもしれません。もっとも、私自身は役所の判りにくい表現ではなく、これだけの明快な内容を備えていれば、価格に見合った本だと考えます。もう1点、日本の統計、とういうか、公的統計については、SNA中心主義です。統計委員会の議論などでも、いかにGDP統計を正確に推計するか、という観点から、GDPはいわゆる2次の加工統計ですから、GDP統計で用いられる家計調査や貿易統計といった1次の基礎統計を設計するか、といった眼目で運営されているように私には見受けられました。しかし、世界の先進国ではSNA統計に基づいたGDPの大きさなども重視しつつ、いわゆるwell-beingあるいは幸福度といった指標の作成に取り組み始めているのも事実です。日本政府でも地域幸福度(Well-Being)指標を明らかにしていますが、あくまでデジタル田園都市国家構想実現に向けた地域指標という位置づけかと思います。その意味で、SNAGDP統計とともに、well-being統計についてもさらに調査や研究が必要、と感じてしまいました。
次に、夏木志朋『Nの逸脱』(ポプラ社)を読みました。著者は、作家であり、2019年「Bとの邂逅」によりポプラ社小説新人賞を受賞し、改題された『ニキ』で作家デビューしています。本書は「受賞作なし」で終った第173回直木賞にノミネートされています。ということで、本書は3話の短編ないし中編からなる作品です。小説の舞台が同じ常緑市となっていて、最後の最後に、この3編が緩やかに連作短編・中編となっていることが明らかにされます。簡単に各話のあらすじを振り返ると、まず、「場違いな客」では、爬虫類ペットショップの店員である金本篤が主人公です。店主の喜屋武から爬虫類とは関係なさそうなのに紫外線ライトのみを買っていく客、特に、現金で買う客について注意を受けていて、その紫外線ライトだけ買っていく客が現れて後をつけることにしました。続いて、「スタンドプレイ」では、両親が軽度の知的障害であることなどから、生徒からひどい嫌がらせを受けている高校数学教師の西智子が主人公です。ラッシュアワーの混雑する車内で、西智子の後ろにいた若い女がスマホに夢中で車内の奥の方に詰めもせず、逆に、西智子に肘鉄をくらわしてきます。またまた、西智子はその女の後をつけることになります。これだけが短編くらいのボリュームです。最後の「占い師B」では、霊能力はサッパリだけれど、洞察力と知識や経験によるコールドリーディングによって、よく当たると評判の占い師の坂東イリスが主人公です。秋津という女性が弟子入りを志願してやってきます。見た目はパリッとしているのですが、それほど頭の回転はよくなくて、身の回りの世話などの雑用も満足には出来ません。ですので、坂東イリスはタロットカードなどの占い技術を短期間で教え込んで友人の店に追っ払おうとします。ということで、私の感想ですが、ほとんど無関係の人の後をつけるという「逸脱」、そして、弟子を取らない方針を翻して弟子を取ってしまうという「逸脱」があるにはあるのですが、その逸脱の結果がものすごく印象的なのは最初の「場違いな客」だけだと私は感じました。直木賞にノミネートされるくらいですので、何らの「オチ」のあるエンタメ小説を期待する向きには、それほどの意外性ある「オチ」ではない点は留意すべきかもしれません。すなわち、印象的なオチを求めるエンタメ小説好きには物足りない可能性が残ります。でも、すでに老齢期に入った私にとって、小説の読書は単なる暇つぶしのひとつなのですが、期待値が高い向きにはどうかなという気がして、評価は分かれそうな気がします。
次に、宮部みゆき・有栖川有栖・北村薫[編]『清張の牢獄』(文春文庫)を読みました。編者はミステリ作家3人、著者は、日本でもっとも著名なミステリ作家の1人です。十手を持った松本清張のイラストをあしらった表紙画像から理解できる通り、松本清張作品のうち時代小説の短編を9話収録しています。出版社のサイトに各短編のタイトルなどが明らかにされています。松本清張作品のほかに、というか、冒頭に収録されている松本清張の短編「酒井の刃傷」と読み比べられるように、同じ事件をモチーフにした久生十蘭「無惨やな」と大佛次郎「夕凪」も収録しています。『清張の迷宮』に続く豪華アンソロジーの第2弾となります。9話と多くの短編を収録していますので、中でも松本清張作品に期待されるミステリの謎解きの要素の強い2話、すなわち、「大黒屋」と「蔵の中」だけ簡単にあらすじを紹介します。「大黒屋」は、穀物問屋の大黒屋を舞台に、主人の常右衛門と同郷の留五郎が常右衛門の妻のすてに横恋慕したかのように、何度も大黒屋に泊まりに来た挙げ句、殺されてしまいます。岡っ引きの惣兵衛の手下である幸八が殺人事件前から調べを始めていて、最後は極めて大がかりな犯罪を明らかにします。「蔵の中」は、畳表や花筵の問屋である備前屋が舞台となります。主人の庄兵衛は浄土真宗の信心が篤く、報恩講の夜のお斎の席で1人娘のお露に迎える婿養子を雇い人の手代である猪助とすることをみなに明らかにします。そのお斎の済んだ夜に事件が起こり、翌朝に神田駿河台下の岡っ引き錨屋平蔵親分に知らせが届きます。すなわち、蔵の中で手代の岩吉が絞殺されていて、番頭の半蔵も蔵の横に掘った穴に首を突っ込んで死んでおり、その穴には1人娘のお露が半死半生で横たわっていました。婿養子に選ばれた猪助は行方不明となっています。ということで、ほかの短編がミステリの要素をまったく欠いているというわけではありませんが、ミステリ作家としての松本清張の真骨頂を感じることが出来るのはこの2話だと思います。ちなみに、「大黒屋」は北村薫と宮部みゆきのイチ押し、そして、「蔵の中」は有栖川有栖のイチ押し、となっています。
次に、深緑野分『スタッフロール』(文春文庫)を読みました。著者は、作家であり、私は少なくともデビュー作の『戦場のコックたち』と『ベルリンは晴れているか』については読んだ記憶があります。本書は2022年4月に単行本で出版されており、今年文庫本になっています。単行本で出版された際に、第167回直木賞にノミネートされています。ということで、本書は2部構成であり、いずれも映画の裏方を務める視覚効果の世界に生きる2人の女性アーティスト/クリエイターを主人公にしています。前半は、アナログ技術を用いる特殊造形師の米国女性マチルダ・セジウィック、後半はデジタル技術に基づくCGを駆使するアニメーターの英国人女性ヴィヴィアン(ヴィヴ)・メリルです。それぞれ国籍が違っていて、前半はマチルダの生まれる終戦直後から1980年代半ばのニューヨークないしロサンゼルス/ハリウッドが舞台となり、後半は2017年のロンドンを主にストーリーが展開されます。ただ、前半ではマチルダが誕生から40歳近い年齢を追っている一方で、後半のヴィヴの方は子供時代は追想されるだけです。前半では、マチルダの父親が戦争から復帰し、マチルダは父親の戦友であるロニーから映画の楽しさを教えられ、20歳で大学を中退して映画の特殊造形師を目指し、1970-80年代をハリウッドで過ごします。圧倒的な男性優位の世界で頭角を現すものの、仕事面でも生活面でもパートナーであったリーヴがデジタルのCGの可能性を追う中で別れてしまいます。映画の仕事は、「怪物X」の作品を最後に事実上の引退生活に入ってしまい、行方知れずとなってエンドロール/スタッフロールに名前を出すこともなく、「伝説」の存在となります。後半のロンドンを舞台にしたヴィヴはアニメーターとして、マチルダの最後の仕事の「怪物X」をCGでリメイクすることになります。マチルダと別れたリーヴが英国に渡って来ていてヴィヴの会社の社長となっています。マチルダからリーヴを奪ったCGのパイオニアであるモーリーン・ナイトリーがロンドンに現れて、なぜか、ヴィヴとマチルダの橋渡しをして、ヴィヴをマチルダに会わせようと試みます。ということで、およそ30年余りの断絶した前半と後半で、ともに映画の裏方の特殊造形ながら、アナログとデジタルで、必ずしも共通性のない世界となった特殊造形を舞台とした女性の活動・活躍を描き出そうと試みています。ただ、文庫本最後の著者のあとがきになりますが、作者のようにアカデミー賞視覚効果賞のマニアであれば、技術的な詳細も理解力があるものの、私のような技術系に弱い人間には難しい部分が少なくありません。そのあたりは覚悟して読んだ方がいいような気がします。最後の最後に、どうでもいいことながら、映画のエンドロール/スタッフロールに相当しそうな政府白書の執筆者について、最近入手した今年2025年版の「経済財政白書」には最後に作成担当者名簿があったりします。私が60歳の定年まで国家公務員をしていた際にも、一応、何とか白書の執筆も担当したりしたのですが、このような執筆担当者名簿なんてものはありませんでした。時代は変わって来ているのかもしれません。
次に、高瀬乃一『貸本屋おせん』(文春文庫)を読みました。著者は、もちろん、小説家なのですが、2020年「をりをり よみ耽り」により第100回オール讀物新人賞を受賞し、本書により2022年にデビューしています。本書の単行本の出版は2022年であり、今年文庫化されましたので、読んでみた次第です。表紙・タイトルに見られる貸本屋のおせんが主人公です。おせんは20代も半ばで、千太郎長屋に住んでいて、浅草福井町で和漢貸本の梅鉢屋を営んでいます。幼馴染の豊と恋仲のようです。当時の貸本屋は本を貸すだけではなく、浮世絵を売ったり、写本を作ったりもしています。江戸時代の文化年間が舞台となっています。5話の短編から構成されており、冒頭に収録されている短編が第100回オール讀物新人賞を受賞した「をりをり よみ耽り」ということになります。以下、収録順にあらすじは、まず、「をりをり よみ耽り」では、本書短編集の導入部といえます。おせんの父親の平治は、読み物の挿絵や錦絵の版板を彫る職人でしたが、ご公儀を愚弄する内容の出版に関わった科により版板を廃棄され、職を失って酒浸りになり、女房に逃げられた挙げ句に父親自身も身投げして亡くなり、おせんは生涯孤独の身となってしまいます。第2話の「板木どろぼう」と第3話の「幽霊さわぎ」はややミステリの要素を含む謎解きに仕上げてあります。「板木どろぼう」は、滝沢馬琴の新しい本を出版することになって、今でいう共同出資の形で南場屋と伊勢屋が相板しているところ、南場屋の版木が盗まれてしまう謎をおせんが解こうとがんばります。「幽霊さわぎ」では、団扇問屋の七五三屋の主人の平兵衛が頓死した後、残された妻の志津が手代の新之助と亡骸のそばで浮気しそうになると、平兵衛の死体が目を開いてしまいます。いったい、何が起こったのか、おせんが解き明かそうと試みます。第4話の「松の糸」では、刃物屋のうぶけ八十亀の惣領息子で、とびっきりのイケメンの公之介が、老舗の料理屋の竹膳の出戻り娘のお松に言い寄ったところ、実在するかどうかも不明な『源氏物語』の「雲隠」の帖、「幻」と「匂宮」の間に存在すると伝承されている帖が欲しいといわれて、おせんが探し回ります。最後の第5話の「火付け」は、少しおどろおどろしいストーリーであり、吉原で針子をしている小千代が遊女として客を取らされそうになって足抜けします。連れ戻そうとする遊郭の若衆とともに、おせんも別の目的で小千代を探して、江戸の外に逃がそうと奮闘します。そういった中で、おせんは火事により千太郎長屋から焼け出されてしまいます。最後に、私は浅草近辺はそれなりに土地勘があり、お江戸の下町の雰囲気も知らないではありませんから、十分楽しめました。そういった武士階層とは異なる江戸下町のざっかけない庶民の生活を読書を通じて楽しめます。また、おせんの属する出版界と権力とは、現在だけではなく徳川期にもそれ相応に緊張関係にあったし、現在はもっと緊張感が高くなって然るべき、ということをよく理解できた気がします。本書の続編『往来絵巻 貸本屋おせん』もすでに出版されており、私はできれば読みたいと考えています。
次に、青山文平『本売る日々』(文春文庫)を読みました。著者は、大御所の時代小説作家であり、私はミステリ仕立ての『半席』や『泳ぐ者』などを読んでいます。本書は2023年に単行本が出版されていて、今年2025年に文庫化されています。本書の舞台は江戸時代の文政年間であり、どこかの地方の城下から村々に本を行商して歩く松月堂平助が主人公です。出身は隣国で、その故郷では平助が始めた紙問屋を弟の佐助が継いでいます。本を売って歩いているので、顧客は読書する上層階級であり、しかも、平助は物之本と呼ばれる漢籍や仏書や国学書などの教養書だけを扱っています。浄瑠璃本や草双紙といった娯楽本を扱う草子屋や地本問屋とは違うと自負しています。そのうちに、開板して出版業にも手を伸ばしたいと考え、書肆、書房、書店などと違って、板行の意味が強く感じられる「書林」を名乗っています。弟からは、今をときめく十返舎一九の『東海道中膝栗毛』や曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』を売らないのはおかしいといわれていたりします。本書は3話の短編というよりはやや長めの中編を収録しています。収録順に、まず、表題作の「本売る日々」では、平助は上得意先である小曾根村の名主の惣兵衛を訪れます。70歳を超えた惣兵衛なのですが、最近、17歳の少女を後添えにもらったと聞いて、しかも、惣兵衛から妻の喜びそうな本を見せてやってほしいと依頼され、美しい絵がふんだんに使われた画譜(絵の教則本)を見せて席を外すと、別のところに収める予定であった2冊がなくなっています。第2話の「鬼に喰われた女」では、粉屋の正平は一度死んだものの、誰かに人魚の肉を食べさせてもらい生き返ったといい、平助が行商で行く東の隣国に「八百比丘尼伝説」があると知らされて、平助に相談を持ちかけます。ご当地では、歌学を教える女性と彼女を裏切った武士への復讐譚を聞き出します。第3話の「淇一先生」では、隣国に残って紙問屋の主人となっている弟の佐助が平助を訪ねてきて、平助からは姪に当たる佐助の娘の喘病の名医の紹介を頼まれ、城下の西島清順という医師を聞き出して、姪は快方に向かいます。平助は、西島清順がある時点で立派な医者になりおおせたことを聞き出し、その謎が惣兵衛が名主をしている小曾根村の医師である佐野淇一とのつながりであることを発見し、佐野淇一先生に会いに行きます。さすがに、時代小説の大家の作品だけあって重厚で上品な小説に仕上がっています。特に、最後の「淇一先生」は、佐伯泰英の居眠り磐音シリーズの最後の方の『竹屋ノ渡』で、主人公の坂崎磐音が倅の空也とともに、門人が見ている中で直心影流の奥義を稽古するシーンを思い出してしまいました。
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