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2025年10月11日 (土)

今週の読書はいろいろ読んで計7冊

今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、川村雅則『雇用・労働はいまどうなっているか』(日本経済評論社)は、大学の労働経済学向けのテキストであり、労働や雇用について総務省統計局の労働力調査などを活用してデータも示しながら概観し、もっとも重要な論点のひとつである非正規雇用について、日経連の『新時代の「日本的経営」』を言及し解説しています。高瀬乃一『往来絵巻』(文藝春秋)は、「貸本屋おせん」のシリーズ第2巻であり、火事があって焼け出され、おせんの商売物である貸本もかなり被害にあった後の物語です。5話の連作短編集となっていて、父親の思い出もでてきますが、相変わらず、おせんがちょっとした謎解きに挑みます。柚月裕子『逃亡者は北へ向かう』(新潮社)は、東日本大震災直後の混乱で生じた事件を背景に、逃亡する犯人と追跡する刑事を取り上げたクライム・サスペンスです。逃亡する主人公の何ともいえない運の悪さ、ツキのなさ、自分ではどうしようもないネガな要素に巻き込まれて、逃げ出すすべもない様子に悲しみが募ります。中野円佳『教育にひそむジェンダー』(ちくま新書)では、小学校就学前の段階からすでにおもちゃや服の色などで男の子らしさや女の子らしさが想定されているところから始まって、成長の各段階の教育機関での無意識的な性的役割=マイクロアグレッションに関して考え、批判を加えています。イタイ・ヨナト『認知戦』(文春新書)では、認知戦や影響力工作の基本的な概念を説明し、従来の軍事戦や情報戦とは異なる認知戦、すなわち、感情や行動を操作しようとする軍事作戦について解説した後、実際の中国やロシアの認知戦について言及した後、日本はどのように対抗すればいいのかを論じています。越尾圭『なりすまし』(ハルキ文庫)では、主人公の和泉浩次郎の妻エリカが、ともに経営するブックカフェで殺害され、警察の捜査の過程でアリカが戸籍を偽っていたことが判明します。でも、実は、和泉浩次郎も戸籍を偽った「なりすまし」であり、エリカと戸籍を交換した協力者とともに事件の真相解明に挑みます。杉本昌隆『師匠はつらいよ』(文春文庫)は、藤井聡太七冠の師匠である著者のエッセイであり、「週刊文春」掲載のコラムを取りまとめています。藤井聡太少年との出会いから、「親の七光り」ならぬ「弟子の七光」に助けられる師匠という「自虐ネタ」を含めたユーモラスなエッセイ集に仕上がっています。
今年2025年の新刊書読書は1~9月に242冊を読んでレビューし、10月に入って今週の7冊を加えると合計で249冊となります。来週にも250冊を超えて、今年も年間で300冊に達する可能性があると受け止めています。また、これらの新刊書読書のほかに、鯨統一郎『ミステリアス学園』(カッパノベルズ)も読んでいます。ただ、新刊書ではない20年以上前の出版ので、本日のレビューには含めていません。これらの読書感想文については、できる限り、FacebookやX(昔のツイッタ)、あるいは、mixi、mixi2などでシェアしたいと予定しています。

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まず、川村雅則『雇用・労働はいまどうなっているか』(日本経済評論社)を読みました。著者は、北海学園大学の教授です。ご自身の大学での授業「労働経済論」の教科書として執筆されたもののようです。ですので、大学生が主たるターゲットですが、広くビジネスパーソンやご関心ある向きにも役立ちそうな気がします。ということで、とても幅広く労働経済について大学の教科書としてふさわしい内容となっています。冒頭のいくつかの章で日本の労働や雇用について、総務省統計局の労働力調査などを活用してデータを示しながら概観した後、労働や雇用についてもっとも重要な論点のひとつである非正規雇用について論じています。非正規雇用拡大の直接の要因としてではありませんが、日経連の『新時代の「日本的経営」』について、p.75でキチンとした解説を加え、現在の総合職に相当する「長期蓄積能力活用型グループ」では、その昔の長期的な雇用慣行を維持しつつ、一般職に当たる「高度専門応力活用型グループ」は名ばかりで、特に女性の「寿退職」を前提に思わせる雇用であり、そして、現在の非正規雇用に当たる「雇用柔軟型グループ」はまさに短期の使い捨て労働力に近い位置づけがなされている点がしっかりと学生諸君に理解できるような教科書となっています。非正規雇用に続いて、労使間の分配でも非正規雇用拡大の影響がクローズアップされており、労働への分配である賃金が伸び悩む一方で、企業への分配である内部留保が積み上がっている現状が適切に解説されています。また、労働時間についても我が国の労働時間規制の脆弱さと実際の労働時間の長さを学生に理解しやすい形で対比させていて、続く章ではその結果としての過労死についても正面から向き合っています。人口減少に伴って労働市場参加が増加した女性労働についても、男女格差の観点を含めて解説され、賃金、社会保障、労働組合、最後は政治との関わりまで、実に幅広く労働や雇用について、学生が労働経済学として理解すべき分野を広く解説している印象です。私自身は、オールラウンドな官庁エコノミスト出身ということもあって、専門的な深みのある授業というよりは、「四角い部屋を丸く掃く」ような授業ですから、ここまで幅広く解説を加えるのはムリがありますが、楽しくというよりは、学生がしっかり学べるように工夫されている印象です。そのうえで、1点だけ国際派エコノミストとして追加を考慮するポイントは、何といっても国際比較です。労働時間などで必要最小限の国際比較はなされていますが、せっかく労働時間規制が脆弱といっているのですから、解雇規制をはじめとして、経済協力開発機構(OECD)のEmployment Protectionなども使った国際比較も学生に教えておきたいところです。

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次に、高瀬乃一『往来絵巻』(文藝春秋))を読みました。著者は、小説家であり、本書は前作とともに「貸本屋おせん」のシリーズ第2巻です。ですので、主人公は和漢貸本屋梅鉢屋のおせんです。幼馴染みの振り売りの豊も登場し、南場屋六根堂などから本を仕入れて貸本業を営んでいます。千太郎長屋に住んでいましたが、本書は、前作で火事があって焼け出され、商売物の貸本もかなり被害にあった後の物語で、5話の連作短編集となっています。『オール讀物』で2025年までに発表された4話に、書下ろし1話で構成されています。謎解きのミステリ仕立てになっている短編もいくつかあります。収録順にあらすじは、まず、「らくがき落首」では、北町奉行の不手際を揶揄した小田切落首の張本人として南場屋喜一郎がしょっ引かれます。果たして、真犯人はだれなのかの謎解きが始まります。表題作の「往来絵巻」では、神田祭の絵巻物がおおよそ1年ほどかけて完成したのですが、子供狂言に従う底抜け屋台の囃子方は10人いるはずなのに、絵巻には9人しか描かれていません。町名主の佐柄木与左衛門が怒り出して謎解きが始まります。この短編はアンソロジーの『江戸に花咲く』(文春文庫)にも収録されていて、私は既読でした。「まさかの身投げ」では、薬種問屋信濃屋の旦那ともめて、鑑札の差止めを受けていた船宿奥川の吾平が芸者の菊乃と川に身投げをし、重罪人として処罰されたうえに、内儀が船宿の仕事を再開しようとして申立てをしても、心中を企てて身投げしたため受け付けられず、この心中身投げの真相の謎解きが始まります。「みつぞろえ」では、セドリの隈八十という男が『艶道東国聴聞集』を手に入れますが、「巻之天」と「巻の地」だけで、「巻之人」が欠けており、なぜか、植木職人の信吉が「巻之人」を持っているという謎を解いて、入手しようとします。最後の「道楽本屋」では、南場屋六根堂では、今でいう盗作などに当たる類板や重板の疑いありということで、地本問屋仲間行事から差止をいいわたされて、新春の目玉の読本が完成せずに困っているところ、その行事への訴えがおせんも聞いたことのない弁天堂からなされていると知り、調べを始めます。ということで、年配の絵師であった燕ノ舎がとうとう亡くなってしまう短編もあります。また、最後の短編では、おせんが父親の平治の人生最終盤を思い起こしたりします。私のように、このシリーズのファンであれば、ぜひとも押さえておきたいところです。

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次に、柚月裕子『逃亡者は北へ向かう』(新潮社)を読みました。著者は、小説家であり、私はこの作者の作品としては、『孤狼の血』、『慈雨』、『盤上の向日葵』検事佐方貞人シリーズの『検事の信義』ほか何冊か読んでいます。本書は、明示していませんが、東日本大震災直後の混乱で生じたいくつかの事件を背景にした逃亡する犯人と追跡する刑事を取り上げたクライム・サスペンスといえます。舞台は震災のあった東北であり、主人公の真柴亮は福島県で工員をしていましたが、震災前に職場の仲間と飲みに行って、半グレを相手に暴力事件を起こします。しかし、震災後に釈放され、アパートまでやって来た逆恨みした半グレの殺害容疑を受けて、北に向かってバイクで逃亡を始めます。小さいころに母親と自分を見捨てた父親から手紙を受け取り、入院している岩手県にある病院を目指します。真柴亮は逃亡中に言葉を話さない小学校就学前くらいの年齢の少年と出会い、この少年が間柴亮から離れません。他方、福島県警の所轄署の刑事である陣内康介は、震災で娘が行方不明になりながらも、震災直後の公務多忙で妻の捜索活動に加わることができず、夫婦関係はギクシャクします。また、息子の直人が行方不明になっている漁師の木村圭佑も捜索活動を始め、この間柴亮、陣内康介、木村圭佑の三者の視点からストーリーが展開されます。被災地の震災直後の大混乱、肉親や親しい人を亡くした大きな痛み、などなど、いろんな要素が絡み合ってラストに進みます。主人公の間柴亮の何ともいえない運の悪さ、ツキのなさ、自分ではどうしようもないそういったネガな要素に巻き込まれて、逃げ出すすべもない様子に悲しみが募ります。最初は、大昔のテレビドラマにあリ、その後、ハリソン・フォード主演で映画化もされた「逃亡者」のようなストーリーかと想像していましたが、震災というとてつもない撹乱要因が加わることで、展開が大きく違ってきています。ただ、2点指摘しておくと、まず、途中のストーリーは波乱万丈であり、大きな起伏や変化に富んでいるのですが、ラストはそれほどびっくりするようなどんでん返しが用意されているわけではありません。その意味で、やや尻すぼみで終わる感があります。ラストに至るまでの犯人と刑事の周辺の人間模様も、かなり古い感覚の読者の方がマッチングがいいかもしれません。次に、地理的な情報があまりにも不親切です。県名はさすがに福島県や岩手県などと実在の名称ですが、たぶん、市町村レベルになれば架空の市町村名にしているようです。福島県には会津若松市はありますが、会津市はないと記憶しています。ですので、東北地方にサッパリ土地勘のない私のような読者には読みこなすのが難しく感じます。もっとも、津波や遺体安置所の生々しい描写が満載の重くて暗いストーリーですので、地名は関係なく読み飛ばしておくのが吉かもしれません。

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次に、中野円佳『教育にひそむジェンダー』(ちくま新書)を読みました。著者は、日本経済新聞社でジャーナリストをし、立命館大学大学院先端総合学術研究科で修士を所得した後、少し省略して、現在、東京大学多様性包摂共創センターDEI共創推進戦略室准教授を務めています。本書では、就学前の段階から始めて、成長の各段階の教育機関での無意識的な性的役割に関して考察するとともに、批判を加えています。すなわち、小学校就学前の段階で、すでに、おもちゃや服の色などで男の子らしさや女の子らしさが想定されていて、小学校に入学後は授業をはじめとする学級活動、あるいは授業外のクラブ活動などで無意識的なマイクロアグレッションにさらされると主張しています。思春期に入る中学校・高校でも制服はもとより、進路選択まで性的な役割分担の影響を受け、大学入学後も依然として性差別やジェンダー格差が残り、典型的には女性の理系選択に困難が伴う、などの議論が展開されています。はい、私もまったくその通りであって、何の反論もないのですが、1点だけ、教育の場というのはいくぶんなりとも競争を取り入れており、その意味で、平等ではなく公平を旨としていて、一定の範囲で格差を認めています。例えば、入学試験で合格と不合格の差はありえます。ただ、本書のような合理的な根拠に基づかない男女差も広く見受けられるのも事実です。また、差別や格差一般を考える際に、何らかのグループ分けが行われている点は見逃すべきではないと考えています。本書では女性と男性という性別ですし、今夏の参議院選挙では日本人と外国人というグループ分けがひとつの争点にもなりました。私自身は性別については、合理的な範囲で一定のグループ分けの基準にはなり得る、と考えています。ですから、なんでも男女いっしょににというのは間違っている可能性が高いと考えています。ただ、しばしば、きわめて不適当な性別のグループ分けがなされていることも事実です。たぶん、男女を別にしても、何らかのグループ分けの根拠の合理性や正当性は、何につけあるんだろうと思いますが、その根拠を別のところにも援用する場合は慎重であるべきです。ただ、今はどうか知りませんが、私なんかのころの60年ほど前の小学校では、そもそも、学籍簿が男女別になっていたような気がします。男女の性別であれ、国籍別の日本人と外国人であれ、年齢別であれ、地域別であれ、キチンとグループ分けの趣旨に沿ったものであればいいのですが、そうでない根拠の不確かなグループ分けには懐疑的な見方を持って接する必要があるのかもしれません。

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次に、イタイ・ヨナト『認知戦』(文春新書)を読みました。著者は、イスラエル軍の諜報部員として作戦に加わった後、現在は公開情報を基にするOSINTインテリジェンス企業の創業者CEOだそうです。本書では、章ごとに、まず、認知戦や影響力工作の基本的な概念を説明し、従来の軍事戦や情報戦とは異なる認知戦、すなわち、感情や行動を操作しようとする軍事作戦について解説されます。第2章の著者の個人的背景は飛ばして、第3章で中国、第4章でロシアのそれぞれの認知戦について解説されます。そして、第5章ではまったく認知戦に無防備な日本でこういった認知戦や影響力工作にどのように対抗すればいいのかを論じています。いくつか、ハッとさせられるようなエピソードも含まれています。例えば、タクシー会社の中にはサーバーを中国においているものもある、と指摘しています。その昔、各省大臣をSPが警護していましたが、それほど情報のないころには、SPから大臣がどこにいるのかの連絡を受けるのは、それなりの価値ある情報であった、と私も聞いたことがあります。そういった意味で、位置情報を中国にあるサーバーに蓄積する危険性を本書でも論じているところです。ただ、私が根本的に疑問に感じたのは、クレマンソーのいうところの「戦争は将軍たちに任せておくにはあまりに重要すぎる」という点です。すなわち、本書では、特段の分析なしに中国やロシアを仮想敵国に仕上げていて、中国がどういった認知戦をしかけているかを考えた後に、その対抗策を列挙しているわけです。現時点で、日本は政治・外交・安全保障の各面で、たぶん、経済も、無条件に米国に従属・追随しているわけですが、その大きな基本方針や戦略ではなく、方針ありきで作戦行動を論じているのが本書である、と考えるべきです。ですから、トランプ大統領が政権についた後には、この既定路線がそのままの形で継続されるかどうかは、決して自明ではありません。ただ、もしも、新しく選ばれた高市自民党総裁がそのまま総理大臣になれば、外交や安全保障に関して、本書で展開されているような論調が強まる可能性は十分あると考えられます。

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次に、越尾圭『なりすまし』(ハルキ文庫)を読みました。著者は、作家であり、2019年、第17回『このミステリーがすごい!』大賞・隠し玉としてデビューしています。私は不勉強にして初読の作家さんでした。ということで、主人公は和泉浩次郎であり、妻のエリカとともにブックカフェを経営しています。和泉浩次郎が3歳半になる娘の杏奈をつれてブックカフェに出勤したところ、仕込みをするために先に出かけていた妻のエリカが惨殺されていました。当然、警察の捜査が進みます。警視庁の久保寺と所轄の石神井署の的場が操作を進めます。しかし、この捜査の過程で、妻の和泉エリカは戸籍を偽っていた「なりすまし」であることが明らかにされます。しかも、主人公の和泉浩次郎も実は戸籍を偽る「なりすまし」でした。以前は七瀬堅吾という名でしたが、兄が暴力団幹部を殺害し、戸籍を買ったわけです。果たして、エリカを殺害した犯人が誰なのか、動機は何か、というミステリの謎解きが始まります。和泉浩次郎は、以前の職場である東京城北新聞の先輩だった福浦達彦の協力を得て調査を進めますが、その矢先に、杏奈が保育園からの帰り道で保育師の神崎凛が目を離した隙に行方不明となり、死体で発見されてしまいます。また、妻のエリカが戸籍を交換した加々美咲月が真相解明の協力を申し出てきたりします。そういった協力も得つつ、和泉浩次郎が謎解きに挑戦します。ということで、ミステリですので、あらすじはこのくらいにしておきます。まず、何といっても、私のような一般ピープルからすれば、戸籍を偽っている「なりすまし」がここまで密に集まっているという設定に違和感を覚えます。これは、山口美桜の『禁忌の子』についても同じことを感じました。あれだけ登場人物の中で密に存在しているのはとても違和感を覚えます。戸籍に話を戻せば、例えば、宮部みゆき『火車』では戸籍を偽っている、というか、偽ろうとしているのは1人だけです。それが、このお話では、夫婦して戸籍を偽っているわけで、不自然に感じるのは私だけではないと思います。それから、そこそこのボリュームの長編ミステリにしては登場人物が少なく、怪しい人物が限られるという恨みもあります。殺人事件がそもそも特異な犯罪ですし、その上に戸籍の売買や交換もあるということで、盛り沢山な内容なのですが、その分、消化不良になりかねません。

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次に、杉本昌隆『師匠はつらいよ』(文春文庫)を読みました。著者は、将棋の棋士であり、ご本人の成績やタイトルなどよりも、何といっても藤井聡太七冠のお師匠さんとして有名なのではなかろうか、と思います。藤井聡太七冠は少し前まで八冠だったのですが、叡王を失冠して、今は七冠ではないかと思います。本書は、「週刊文春」に連載されているコラムを単行本に取りまとめて、さらに文庫化されたエッセイであり、もともとのコラムの掲載期間は2021年4月8日号から2023年4月27日号までであり、コロナ禍のさなかのほぼほぼ2年間、ということになります。私が読んだ範囲で、藤井聡太棋士は二冠から始まって、本書の最後の方では五冠となっています。すでに単行本としては続巻が出版されていますが、多分、私は文庫になるまで読まないような気がします。本エッセイの冒頭は著者と藤井聡太少年の出会いから始まります。広く知られている通り、将棋の棋士になるためには奨励会に所属せねばならず、そのためには誰か棋士に弟子入しなければなりません。藤井聡太七冠が著者に弟子入したのは小学生のころですから、藤井聡太七冠ご本人が師匠を選んだ、という部分もなくはないでしょうが、親の影響力も強かったのではないか、と私は勝手に想像しています。そして、本書でも「自虐ネタ」と著者ご本人が自ら認めているように、師匠をアッという間に抜き去って数々のタイトルを手にしたことは、これまた、広く知られている通りかと思います。いわゆる「親の七光り」というのはよく聞きますし、日本の国会議員の無視できない割合が二世議員、三世議員であることも広く知られていることと思いますが、本書の著者は、その意味では、「弟子の七光」を受けているわけです。ご自分でも、本書に収録されている範囲で例を引き出せば、羽生九段に対等で接することができるのは、棋士としての杉本八段ではムリであり、藤井聡太七冠の師匠としてであれば、何とか対等に接することができる、と述懐しています。勝負の世界に生きて、段位やタイトルや順位戦の結果たる級で明確にランクつけされる棋士という存在では、そうかなのもしれません。私も教師の端くれですので、他力本願ながら、誰かを教えた教員として名を挙げられないものかと考えないでもない今日このごろです。

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