今週の読書は経済書のほか計6冊
今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、D. ヒュー・ウィッタカー『新しい日本のつくり方』(東洋経済)では、人口減少と高齢化が進み成熟した日本経済について、現在の停滞を突破し変化する方向性について、金融化、コミュニタリアン、新たな開発国家、の3つを示していますが、「絵に描いた餅」になる可能性も私は感じました。山本英弘[編著]『現代日本の政治的不平等』(明石書店)では、政治参加の不平等と政治代表の不平等に着目し、2020年から何度かのウェブ調査や郵送調査を繰り返しており、とてもサンプル数が小さいので代表性に難点がありそうな気もしますが、それでも大胆に定量的な分析を試みています。恩田陸『珈琲怪談』(幻冬舎)では、中年男性4人、すなわち、音楽プロデューサーの塚崎多聞、作曲家の尾上、外科医の水島、検事の黒田が、京都、大阪、神戸といった関西に加えて、東京や横浜を回って怪談を持ち寄り、仕事上が行き詰まった際にインスピレーションを与えられたりしています。藤岡陽子『僕たちは我慢している』(COMPASS)では、東京にある全国屈指の進学校、男子単学で中央6年間一貫制の進学校の野球部を舞台に、同級生だけでなく、部活の先輩後輩も含めた仲間との友情、家庭における親との微妙な関係、成長期にある個人としての大人への道のりや成長、などが感じられます。菊池正史『自壊する保守』(講談社現代新書)では、戦後政治を吉田内閣から歴史的に振り返り、いわゆる吉田ドクトリンとして語られる対米依存の強い「軽武装と経済重視」であった宏池会こそが保守本流と指摘し、「反戦意識」も含めて、安倍内閣から保守が自壊したと捉えているようです。田所昌幸『世界秩序』(中公新書)では、グローバリゼーションをさらに進めた世界の統合について考え、4条件を示しています。すなわち、構造、権力、制度、文化や規範、であり、将来のシナリオを4つ示すとともに、最後に、仲間を増やして敵を減らし、自立しつつ生き残る日本を模索しています。
今年2025年の新刊書読書は1~10月に261冊を読んでレビューし、11月に入って先週までの18冊と今週の6冊を加えて合計285冊となります。今年も年間で300冊に達する可能性があると受け止めています。これらの読書感想文については、できる限り、FacebookやX(昔のツイッタ)、あるいは、mixi、mixi2などのSNSでシェアしたいと予定しています。
まず、D. ヒュー・ウィッタカー『新しい日本のつくり方』(東洋経済)を読みました。著者は、英国オックスフォード大学日産現代日本研究所の教授です。本書の眼目として、人口減少と高齢化が進み、成熟しきった日本経済について、現在の停滞を突破し変化する方向性を示そうと試みています。その方向性は3つあり、金融化、コミュニタリアン、新たな開発国家、となります。歴史的に戦後日本経済を振り返り、企業と政府と社会が相互補完的に発展を目指す日本型システムが存在したことを確認しつつ、バブル経済の崩壊とも時期的に一致した1990年代からのグローバル化の進展や人口減少に転じる時期なども重なって、日本経済が停滞に陥った事実を明らかにします。その上で、デジタル化やグリーン化の方向性を考え、人口減少下でのスマートシティなどの地域経済を取り上げ、企業構造を論じます。私が印象的であったのは、日本では米国タイプのスタートアップ企業による創造的破壊ではなく、有機体的な形での代謝的刷新に基づくイノベーションが有効、という点です。確かに、その昔は、画期的な新製品を生み出すプロダクト・イノベーションよりも、日本はプロセス・イノベーションの方に優位性がある、といわれていたこともあり、何となく理解できる点だと感じました。また、企業ガバナンスも新自由主義的な株主優位ではなく、ステークホルダー資本主義のいいところを伸ばす方が確実性が高い、との指摘は私も同じように感じています。ただ、雇用については、戦後日本経済の大きな特徴のひとつである安定した雇用、例えば、長期雇用と年功賃金を見直す必要を論じており、私としてはやや疑問に感じます。企業金融でのメインバンク制の崩壊と雇用の安定性の喪失が日本経済の長期低迷につながり、まさにそれが新自由主義的な経済システムへの移行の本質であった、と私は考えています。最後に、本書では、やや小難しいところながら、コントロールされた不均衡を持ち出し、諸制度が米国的な置換えや消耗ではなく、日本では積重ねと切換えのプロセスをたどる、と指摘しています。この指摘と雇用の安定性の見直しとは明らかに矛盾しています。最後に、本書では岸田内閣当時の「ソサエティ5.0」を高く評価しており、それはそれで理解できるのですが、このままではまさに「絵に描いた餅」状態なわけで、政府や経営者団体が方向性を示すことができるのと実際に実行されるのでは大きな差があることを実感します。私の実体験としても、15年ほど前に長崎大学経済学部教授をしていたころ、長崎経済同友会で組織した都市経営戦略策定会議に参加して「みんなでつくろう元気な長崎」という提言を取りまとめたことがあります。しかしながら、その後、長崎経済が元気になったというお話は、不勉強にして聞き及んでいません。
次に、山本英弘[編著]『現代日本の政治的不平等』(明石書店)を読みました。編著者は、筑波大学人文社会系教授です。編著者以外の各チャプターの著者も筑波大学人文社会系の教員や出身者が多くを占めている印象です。タイトル通りに、政治的不平等をテーマにしている本書は2部構成となっていて、第1部で政治参加の不平等、第2部で政治代表の不平等をそれぞれ取り上げています。本書の特徴としては、何度かのウェブ調査や郵送調査を2020年から繰り返しており、とてもサンプル数が小さいので代表性に難点がありそうな気もしますが、それでも大胆に定量的な分析を試みている点です。私はエコノミストですが、経済的な不平等、例えば、所得の不平等と政治的な参加や代表の不平等は、お互いに密接に関係していることは明らかであり、互いに原因や結果になってグルグルと回っているように考えています。ですので、一方的な因果関係を考えることはそれほど意味ないと感じています。経済的な不平等は貧困とともに国民生活を直撃しており、ひどい場合には生活が成り立たないケースも見受けられる一方で、政治的な不平等は国民の間での分断を引き起こしかねない危うさがあります。すなわち、国民は生産や消費といった経済活動に何らかの形で関わっている一方で、政治的には安定した民主主義社会が運営されているように見えて、実は、参加や代表といった政治へのアクセスが、政治的な無関心にも支えられる形で、ごく限られた一部の国民だけに集中し始めているように見えます。本書でも年代別の投票率の差が大きい点を指摘していますし、若年層や低所得者層は政治的にある意味で不利な立場に置かれている、それも、自己責任が主張される各個人の自由な選択の下で、そういった不平等なシステムが大きな抵抗も受け入れられていくように見えます。私が興味深かったもうひとつの点は、こういっ政治的な不平等が政治プロセスの結果として生み出される政策にどのように反映されるか、という点です。政治的に無関心で投票にも行かないと、政策的に不利な影響を受けかねないわけで、その点を鋭く突いているのが「日本人ファースト」というスローガンだと私は考えています。そして、繰り返しになりますが、単純で一方的な因果関係ではなく、年齢や所得などのグループで政治的な不平等をこうむっている国民が、結局のところ、政策面でも不利な立場に置かれる危険があると考えるべきです。高齢者には手厚い社会保障も、子育てや家族には冷たい印象がありますし、政治参加の差が政策の不平等につながり、場合によっては、それらが悪循環を形成するおそれすらあります。政治的な不平等は経済的な、例えば、所得の不平等などと違って定量的に把握しにくく、いわば見えない不平等がある可能性も高いわけですから、本書のような定量的な分析が必要になる、と私は強く感じました。
次に、恩田陸『珈琲怪談』(幻冬舎)を読みました。著者は、ミステリなどのエンタメ小説の作家です。2016年に『蜜蜂と遠雷』で直木賞を受賞しています。本書は、塚崎多聞のシリーズらしいのですが、私は不勉強にしてよく判っていません。登場人物は中年男性4人であり、主人公的な役割をしているのが塚崎多聞であり、音楽プロデューサーをしています。ほかの3人は、作曲家の尾上、外科医の水島、検事の黒田、となります。時折、黒田が欠けたりするんですが、この4人で各地を回って怪談を持ち寄ります。全国各地とはいえ、6話からなる連作短編集となっている本書では、順に、京都、横浜、東京、神戸、大阪、そしてふたたび京都、となります。東海道新幹線のほぼ両端、ということになるわけです。あらすじも何もなく、タイトルも番号になっていますので、季節と繰り返しになる場所は、「珈琲怪談Ⅰ」が真夏の京都なのですが、黒田は欠席しています。それから数か月後の「珈琲怪談Ⅱ」が寒風吹きすさぶ横浜、その次のゴールデンウィーク明けの「珈琲怪談Ⅲ」が東京の神田神保町、「珈琲怪談Ⅳ」は深まる秋の小春日和の神戸で、それから間をおかずに、「珈琲怪談Ⅴ」は大阪の梅田や中之島、そして、最後に、「珈琲怪談Ⅵ」では晩秋の京都、となります。一応、基本は珈琲怪談なのですが、コーヒーではなくビールを飲んで麦酒怪談になったり、最後の京都御所近くの老舗和菓子店の喫茶室では抹茶怪談になったりします。怪談はとりとめのないものですが、尾上の創作活動が行き詰まった際にインスピレーションを与えてくれたり、あるいは、黒田が難事件を解決するきっかけになったりします。このイベントのきっかけがそもそも尾上の気分転換から始まっているようです。それぞれ、生々しく現実的なものから、しばしば「これは怪談ではないかもしれないが...」で始まる怪談もどき、あるいは、はっきりしたオチのないお話など、さまざまです。ただ、怪談自体はほぼ実話であり、作者が体験したものであったり、人から聞いたものであったりする、とあとがきに記されています。同時に、立ち寄るお店もモデルがあるということです。怪談を楽しむ、というよりも、気のおけない間柄が想像される登場人物4人の軽妙なおしゃべりの語り口の方が楽しめるような気がします。
次に、藤岡陽子『僕たちは我慢している』(COMPASS)を読みました。著者は、小説家です。本書は、昨年2024年に旗揚げした文藝復興の出版を目指すCOMPASS社の記念すべき第1弾です。舞台は東京なのですが、全国でも有数の進学校、中高一貫校の征和学院高校の野球部を舞台にしています。東京の山手線の新橋から20分ほど北ということですし、巣鴨や麻布と並ぶご三家の一角だそうですから、明らかに、開成をモデルにしています。関西の進学校として灘にも言及されています。ほかに、女子校の雙葉や桜蔭なども登場しますので、「征和学院高校」以外の高校はほぼほぼ実名だったりします。もちろん、東大・京大をはじめ大学名はすべて実名だと思います。ということで、主要な登場人物は生徒が4人と教師が1人で、まず、千原道人は中学のころは野球部のエースピッチャーでしたが、高校では部活を辞めて勉強に専念します。中小企業経営の父は白血病で入退院を繰り返して健康がすぐれません。穂高英信も野球部員で、曽祖父の代から続く総合病院の院長と小児科医の父母のもとに生まれ、弟も同じ征和学院高校に通う秀才ながら、兄として跡継ぎとなることを期待されています。中森輝一は高校でエースとなり野球部のキャプテンも務めましたが、3年生最後の夏の地方大会を終えて部活を2年生に引き継いだ後、受験勉強に身が入りません。香坂淳平は野球部ではありませんが、これら3人と深く関わりを持ちます。中学から学年400人のトップの成績を維持しています。クラス担任の関先生は数学の教師で、生徒たちの悩みに応えたり、重要な役割を果たします。我が家では、私自身が関西ではそこそこのレベルの中高一貫の男子進学校に通っていましたし、男の子2人は東京でやっぱり中高一貫の男子進学校に通っていましたので、何となくこの小説の雰囲気は理解できます。ただ、本書では4人とも家の跡取りを期待されているのですが、私の場合は父が完全なワーキングクラスでデスクワークなんかほとんど経験もなく、私にはホワイトカラー職についてくれればそれでいい、という感じでしたし、私は国家公務員でしたので、子どもたちが後を継ぐような家業というものがありませんでした。本書では、病気の父親に役立つことをしようとしたり、部活を熱心にやるあまり受験勉強が少し後回しになったり、実に私や子どもたちの世界の出来事になぞらえる事のできる世界観を感じます。また、思春期の難しい時期で、かつ、地理的にもほかの意味でも、一気に世界が広がる年代ですから、同性の男の間での友情などなど、同級生だけでなく、部活の先輩後輩も含めた中学と高校の仲間との友情、家庭における親との微妙な関係、そして、何よりも成長期にある個人としての大人への道のりや成長、そういったものが強く感じられ、今だけでなく将来をいいもの、豊かな方向として捉えられ、大学受験という大きな転機を乗り越え、先に進む意欲を感じる良い小説でした。はい、最後の最後に、こういった我慢する高校時代を経て、私なんぞが教えている大学に入るわけですので、大学ではもっとのびのびと過ごして欲しいと思います。
次に、菊池正史『自壊する保守』(講談社現代新書)を読みました。著者は、日本テレビの政治部のジャーナリストであり、2005年から総理官邸にある記者クラブのキャップも経験しています。最近、裁判が始まった安倍元総理の暗殺事件から3年を経て、今年2025年は東京都議選で「手取りを増やす」をスローガンにした国民民主党が得票を伸ばし、参議院選では「日本人ファースト」を掲げた参政党が躍進しましたし、自民党の総裁選の結果を受けて、政治とカネの問題から公明党が連立与党から離脱し、日本維新の会が連立に加わった、というあたりの政治情勢はまだ記憶に新しいところです。自民党を中心とする連立与党が大きく変容するとともに、参政党という右派ポピュリズム政党の一定の力を持つに至っています。そういった現在の政治情勢を本書では、タイトル通りの「自壊する保守」と考え、さまざまな角度から分析を試みています。その前提に、実に2020年9月まで7年9か月に渡って一強政権を作り上げた安倍内閣を対象に、保守の岩盤支持層の役割を重視しています。現在の高市内閣にもこの岩盤支持層が戻ってきているという報道もあるだけに、この考えは高市政権の将来を考える上にも必要な視点であろうと私は考えています。ただ、その安倍内閣が政権を下りた後、菅内閣は短命でしたし、岸田内閣こそ3年続きましたが、その後の石破内閣も1年という短命でした。本書では、日本の保守政権が長らく継続してきたのは「バラマキポピュリズム」に依拠する部分が小さくなく、その負の遺産が政治とカネという形で表面化し、国民の批判にさらされてきたと指摘しています。そのうえで、戦後政治を吉田内閣から歴史的に振り返り、いわゆる吉田ドクトリンとして語られる対米依存の強い「軽武装と経済重視」であった宏池会こそが保守本流と指摘します。これに関連して、本書では「反戦意識」も重視されています。ですので、岸内閣での安保改定は保守本流ではない内閣での典型のひとつとして取り上げられ、逆に、田中内閣での日本列島改造こそバラマキの保守本流として位置づけられています。21世紀に入って、小泉内閣からの新自由主義的な経済政策が「右派ポピュリズム」台頭の兆しと指摘し、そのあたりから「軽武装と経済重視」を旨とする保守本流の崩壊が始まるという分析です。2009年の政権交代による民主党政権時代が左派ポピュリズムかどうかは別にして、安倍内閣は2つのポピュリズム、すなわち、従来のバラマキポピュリズム、さらに、戦前回帰も想起させかねない保守的なイデオロギーに根ざした右派ポピュリズム、に支えられて来たと主張します。保守本流ではないわけです。その上、これまた、この両方のポピュリズムとも現在の高市内閣に引き継がれている感があります。特に、経済重視ではなく軍事費のGDP比2%を目指す現在の高市内閣は、本書の視点からして、保守の自壊を進めているのだろうと私は考えています。
次に、田所昌幸『世界秩序』(中公新書)を読みました。著者は、防衛大学校教授を経て、長らく慶応義塾大学教授を務め、現在は名誉教授となっています。本書は、副題にあるようにグローバル化を考え、その先の世界統合を考えています。ただ、本書冒頭では国際通貨基金(IMF)のゲオルギエバ専務理事の論文を引きつつ、2008-21年あたりからグローバリゼ^ションの逆転が起こっている可能性も指摘しています。その上で、本書ではグローバル化、あるいは、世界の統合の4条件を示しています。すなわち、、(1) 技術や自然環境などの構造、(2) 国家などの権力基盤、(3) 国際法や通貨制度といった共通ルールとしての制度、(4) 文化や規範、例えば、共通の価値観や宗教など、となります。そして、古典古代のローマ帝国から停滞の中世ヨーロッパを経て、世界を制覇したモンゴル帝国など、近代にいたる前近代の広域秩序の拡大・統合、そして、その後の分解のダイナミクスをたどりますが、何といっても詳しい考察の対象となるのは近代に入ってからの大英帝国と米国です。大英帝はやや軽めに取り上げられ、約100年前の第1次世界対戦後、世界の覇権を握り、帝国となったのは米国こそが中心となる対象です。すなわち、第2次世界大戦後、米国は戦勝国として、国際経済や安全保障や文化などでさまざまな国際制度を構築し、自由民主主義と市場経済を軸に世界を統合しました。しかし、そのグローバル秩序は21世紀に入って限界に近づき、テロの挑戦を受けたり、リベラリズムの理想と現実の矛盾も浮き彫りになる、と指摘しています。そして、広く知られている通り、トランプ政権の登場となるわけです。その上で、世界秩序としては4つの将来シナリオを提示します。(1) 1つの世界では再グローバル化、(2) 3つの世界では米中の新しい冷戦の世界とグローバルサウスからなる3つの世界、(3) 多数の世界では再近代化のような各地域ごとの秩序が近代国家ベースで分散する世界、(4) 無数の世界になってしまうと新しい中世となる可能性すらあります。そして、最後には、日本について考えます。すでに日本は大国ではなくなり、もちろん、小国でもないわけですので、どのようにして仲間を増やし、敵を少なくしていくか、そして、いかに自立して生き残るか、を戦略的に考える必要があると指摘します。もちろん、日本が生き残るために必要となる国家アイデンティティや外交ビジョンなどに示唆に富む方向性が示されていますが、そのあたりは読んでみてのお楽しみです。
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