今週の読書は短編小説をよく読んで計6冊
今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、竹谷多賀子『クリエイティブツーリズム論』(水曜社)では、旅先でクリエイティブな活動に参加するクリエイティブツーリズムについて概説するとともに、金沢での都市型、丹波篠山での農村型、珠洲の過疎地型のそれぞれのクリエイティブツーリズムを、経済効果と合わせて実践的に紹介しています。結城真一郎『どうせ世界は終わるけど』(小学館)では、100年後に直径22キロの小惑星が地球に落下し、多くの生物種が絶滅を迎えるとの設定で、その後に展開される短編を収録しています。ついつい、ネヴィル・シュート『渚にて』と比べてしまい、やや物足りない感想が残るかもしれません。芦沢央『嘘と隣人』(文藝春秋)では、神奈川県警の刑事を定年退官した直後の60歳過ぎの平良正太郎が主人公となって、警察に通報するほどではないが、元刑事にちょっと相談したくなるようなトピックの出来事を収録しているミステリ短編集です。やや読後感の悪いイヤミスも含まれています。谷原つかさ『「ネット世論」の社会学』(NHK出版新書)では、従来の世論、すなわち、社会を代表する普遍的な民意と異なり、往々にして個々人による勝手な心情が表明されたネット世論は、ポジとネガの両極端に分布が偏る特徴があるとし、選挙やジャニーズ事件でネット世論が果たした役割を考えます。リチャード・デミング『私立探偵マニー・ムーン』(新潮文庫)は、終戦直後の米国中西部を舞台に、戦争で右足を失ったハードボイルドな私立探偵のマニー・ムーンが警察と対立しつつも協力し、地元のカジノ組織やギャングの犯罪に立ち向かう、という短編よりもやや長めの中編を収録しています。カーター・ディクスン『爬虫類館の殺人』(創元推理文庫)では、戦時下の英国の首都ロンドンの動物園長が空襲を避けるために閉園を迫られ、さらに園内で密室状態で中から目張りされた自室でガス中毒により死亡します。ヘンリー・メリヴェール卿が自殺ではなく他殺であると真相を明らかにします。
今年2025年の新刊書読書は1~9月に242冊を読んでレビューし、10月に入って先週までの19冊を加えて261冊となります。11月を迎え今週の6冊を加えて合計267冊となります。今年も年間で300冊に達する可能性があると受け止めています。これらの読書感想文については、できる限り、FacebookやX(昔のツイッタ)、あるいは、mixi、mixi2などでシェアしたいと予定しています。
まず、竹谷多賀子『クリエイティブツーリズム論』(水曜社)を読みました。著者は、龍谷大学経営学部の准教授であり、本書は文化とまちづくり叢書の一環として出版されています。タイトルにあるクリエイティブツーリズムというのは、単に受け身で観光を楽しむだけではなく、何らかの地域の活動などに参加し、典型的には、その名の通りに何かをクリエイトする創造的な活動にも携わる観光といえます。本書では、まず冒頭の第1章と第2章で従来の受け身の観光ではないクリエイティブツーリズム、特に、観光客と地域住民などとの間の共創の関係にスポットを当てて解説を加えています。その上で、第3章では都市型クリエイティブツーリズムという観点から、金沢における工芸を取り上げています。金沢における工芸は、観光客を引き付ける役割だけでなく、金沢の多様性や持続可能性を向上させているという結論が得られています。続く第4章では、農村型クリエイティブツーリズムとして丹波篠山の実践活動、丹波焼の陶芸に親しむ「陶泊」という観光活動に着目しています。そして、第5章では、過疎地域におけるクリエイティブツーリズムとして能登半島の「最崖の地」珠洲におけるアートツーリズムや復興活動への参加を取り上げています。珠洲については、観光というだけでなく移住も含めた地域振興が考えられており、さらに、独自調査のデータも収集されています。もちろん、この実践活動に注目した3つの章ではキャッシュフローと経済効果についても示されていて、当然ながら、芸術や何やの創造的な活動だけでなく、それなりの付加価値を生み出す経済活動の側面が強く意識されています。第6章と第7章では日本におけるクリエイティブツーリズムの可能性の広がりや今後の課題などが検討され、終章でクリエイティブツーリズム研究の系譜、とくに、クリエイティブツーリズムに先立つカルチュラルツーリズム(文化観光)の先行研究成果などが示されています。実は、私も観光経済学はマクロ経済学の視点から研究したこともあり、今年の夏休みには "How Tourism Promotes Economic Development: A Case of Cambodia" と題する論文を書き上げて、校正をしているところで、もうすぐ紀要に掲載される運びとなります。でも、おそらく、日本に限らず、途上国や新興国でもこういっ観光資源の拡充が観光収入拡大のみならず、地域の多様性や持続可能性に重要な役割、すなわち、直接的な経済的便益だけではなく、広い意味での外部経済をもたらす活動となり得る観点は重要だと考えています。サステイナビリティの観点からは、観光についてはむしろオーバーツーリズムの方に議論が傾きがちで、確かに、私なんかも京都に出かける折にはそう感じるのですが、逆に、農村型や過疎地型のクリエイティブツーリズムもあるわけですし、金銭的な利益の他に観光が地域にもたらす何らかの利点は、これからもひとつの研究の眼目になるかもしれません。
次に、結城真一郎『どうせ世界は終わるけど』(小学館)を読みました。著者は、ミステリ作家であり、アンソロジーなどに収録されている短編は別として、書籍としては私は『#真相をお話します』と『難問の多い料理店』を読んでいます。本書は連作短編集であり、ある年の6月に直径22キロの小惑星、後に「ホープ」と名付けられる小惑星が100年後の地球に落下して、多くの生物種が絶滅すると予想される、というニュースを思春期、大雑把に高校生のころに接した人を主人公にした短編を収録しています。例外は第4話の「オトナと子供の真ん中で」だけで、ここでは、主人公の小学6年生の親がその年代に該当します。あらすじは収録順に、まず、「たとえ儚い希望でも」では、ニュース発表の直後に高校生、JKだった金井希望が主人公です。高校の友人の吉岡日向が自殺した葬儀のシーンから始まりますが、吉岡日向の企みにより、同級生の鏑木悠馬と付き合うようになった高校のころを回想します。続いて、「ヒーローとやらになれるなら」はニュース発表から7年後を舞台に、大学生で就活中の村井健太郎が主人公で、この世に生きた証を残そうと奮闘しているのですが、同じ高校に通った2年上の諏訪部芹奈のヒーローだったことを知ります。続いて、「友よ逃げるぞどこまでも」はニュース発表から12年後を舞台に、主人公が猫と逃げてきた無人島に、脱獄した受刑者が現れます。主人公と脱獄囚の氏名を書くとネタバレになりますが、この2人の間には浅からぬ因縁があります。続いて、「オトナと子供の真ん中で」はニュース発表から20年後を舞台に、小学6年生の男子児童の蹴斗が主人公で、同級生の山路芽衣とともに、東京へ向かいます。目的地は東京三鷹です。そこに何があるかというと...。続いて、「極秘任務を遂げるべく」はニュース発表から21年後を舞台に、娘に宇宙飛行士だと勘違いされ、しかも、小惑星に対する極秘ミッションに就いていると誤解されている父親が主人公です。この父親の世代は、ゆとり世代、さとり世代に続くみとり世代と呼ばれている、という設定です。最後に、表題作「どうせ世界は終わるけど」はニュース発表から32年後を舞台に、それまでの短編5話をつなぎ合わせる形の総集編的な位置づけとなっています。登場人物はそれまでの短編と、ある意味で、重なります。主人公は「みっくん」と呼ばれていますが、ネタバレを避けると、いずれかの短編に登場した誰かの子供、ということになります。小惑星に対するミッションロケットの打上げが、こういった技術の先進国ではない日本の種子島、というのがやや非現実的な気がしますが、まあ、そのあたりは雰囲気です。最後に、地球最後の日とか、人類の滅亡とかは、私が読んでいるだけでも、あまりに有名なSF小説のネヴィル・シュート『渚にて』とか、日本であれば伊坂幸太郎の『終末のフール』とか、ほかにもいっぱいあるんでしょうが、そういった作品と比較すると本書は少し物足りない読書でした。
次に、芦沢央『嘘と隣人』(文藝春秋)を読みました。著者は、小説家であり、本書は第173回直木賞候補作です。私はこの作家さんの作品は、アンソロジーに収録された短編はいくつか読んだことがありますが、書籍としては初めてだと思います。ということで、神奈川県警の刑事を定年退官した直後の60歳過ぎの平良正太郎が主人公となっているミステリ連作短編集です。中には、やや読後感のよくないイヤミスも含まれています。大雑把に、地域的には川崎市や横浜市が舞台になっていますが、娘の住む東京で展開される短編もあります。タイトル通りに、警察に通報するほどではないが、元刑事だったらちょっと相談したくなるようなトピックの出来事を収録していますが、実はそれが大事件だったりするものも含まれています。私が聞き及んだ範囲では、この作品の主人公がまだ現役の刑事だったころの小説も同じ作者が書いているようです。誠に不勉強ながら、私はソチラは読んでいません。ということで、あらすじは、収録順に、まず、「かくれんぼ」では娘のママ友に出会って自転車を借りパクされるのですが、彼女が別れようとしているDV夫から隠れていたのに、子供を遊ばせていた公園をなぜ突きとめられたのか、の謎を考えます。続いて、「アイランドキッチン」では、8階から飛び降りた女性の謎を考えます。クレーマー女性による鬱に起因する自殺だったのか、それとも、クレーマー女性による他殺だったのか、加えて、ひどく後から発見されたという遺書は本物かどうか、といった謎です。続いて、「祭り」では、主人公の引越にまつわるトピックであり、引越し業者のパワハラめいたやり方から、かつて、引越し業者で働いていたベトナム人と認知症だった高齢男性の2人の遺体が発見された事件の謎について考えます。フィクションですが、外国人労働の実態が垣間見えます。続いて、「最善」では、登戸駅での母親の抱っこ紐のバックル外しと同じタイミングで起こっていた痴漢事件の犯人として、主人公の妻の澄子の友人の夫が逮捕されたところから始まり、登戸駅での2つの事件の真相に迫ります。最後に、表題作の「嘘と隣人」では、SNSで脅迫めいた書込みをされているということで、主人公と同じマンションに住む隣人の知り合いが困っていて、探偵事務所を開いている主人公の先輩を紹介して簡単に書込み主は判明するのですが、別の事案についての真相に考えが至り、何とも後味の悪い結末を迎えます。
次に、谷原つかさ『「ネット世論」の社会学』(NHK出版新書)を読みました。著者は、立命館大学産業社会学部の准教授です。まず、冒頭で、経済学のようにマクロとミクロという表現は取っていませんが、世論という用語について、社会を代表する普遍的な民意と個々人による勝手な心情表明という世論の2面を明らかにしています。第1章でネットに限らない世論を考えた後、第2章と第3章では政治活動に対する世論、ということで、国政選挙と大阪府知事選挙に着目し、第4章では、マスメディアが沈黙したジャニーズ問題でネット世論が果たした役割を考え、最後の第5章でフェイクニュースをはじめとするネット世論が陥りやすい欠点を指摘しています。ネット世論を考える場合、動画や静止画ではなく、テキストベースであれば旧ツイッタのXとFacebook、ということになるのですが、本書ではほとんどXにしか着目していません。たぶん、私の下衆の勘繰りでは、字数制限がありデータ分析がしやすいんだろうと想像しています。そして、従来の世論とネット世論の違いを浮かび上がらせているのは、国際大学の山口准教授が光文社新書の『正義を振りかざす「極端な人」の正体』で示したグラフであす。すなわち、従来の世論が賛成から反対のリッカートスケールで正規分布のようなベルカーブの結果を示すのに対して、ネット世論では反対と賛成の両極に分布が偏るフタコブラクダのようなグラフとなります。要するに、本書でも言及されているように、フィルターバブルやエコーチェンバーのために、自分と同じ意見を表明したポストしかタイムラインに流れないようになってしまい、ネット世論は代表性がない、ということになります。ですから、大阪府知事選挙で現在の吉村知事を支持する意見表明はきわめて少なかったにもかかわらず、投票では違う結果が示されることになってしまいます。ただ、投票結果が文句なしに代表性あるかどうかは、やや疑わしいところではありますが、選挙ではそれ以外に依って立つべき根拠がありません。経済学では、例えば、景気のホントの実体を表す指標は統計などから直接観察できず、その観察不能な景気指標から影響を受けている観察可能なGDPとか、失業率とか、所得とか、消費とかによって状態空間表現したモデルを解いて、その景気実体を表すホントの景気指標を計算する、なんて計量手法があったりします。私も3年前の紀要論文 "Identifying Trough of Recent COVID-19 Recession in Japan: An Application of Dynamic Factor Model" で推計してみたことがあります。最後に、世論やネット世論から少しずれるかもしれませんが、私は経済指標が発表されるごとに学生諸君にニュースに接するように示唆していて、しかも、SNSやweb検索ではなく、ネットでもいいのでニュースサイトとか、紙またはネットの新聞サイトで見るようにアドバイスしています。そうでないと、フィルターバブルかエコーチェンバーか、そういったものに影響されるだけでなく、経済指標の世間的なニュースとしての位置づけが判らないからです。紙の新聞というのは、あるいは、テレビのニュース番組もそうですが、学生諸君がそれほど興味ないかもしれないものの、世間的に重要なニュースをトップで報じてくれます。新聞の1面記事というのはそういう役割もあると考えるべきです。世論を読み解くのも重要ですが、世論を形成するリテラシーも重要だと思います。
次に、リチャード・デミング『私立探偵マニー・ムーン』(新潮文庫)を読みました。著者は、ミステリ作家であり、本書のあとがきの解説によれば、「アメリカ・ミステリ界のオールラウンド・プレイヤー」ということです。本書の時代背景は戦争の終わった後の1950年前後、地理的にはイリノイ州にミシシッピ川で接しているということで、ミズーリ州のセントルイスあたりを想像すれば間違いないと思います。主人公はタイトル通りに私立探偵のマニー・ムーン、ファーストネームを省略しなければマンヴィル・ムーンです。戦争で右足を失い、アルミの義足をつけています。そして、ムーンの婚約者だったファウスタ・モレニはファシストのイタリアから逃れて米国に来て、カジノのディーラーとして結構な稼ぎがあります。いまだに、ムーンに言い寄る女性を敵視します。ジャッキー・モーガンは元金庫破りでムーンに恩義を感じていて、しばしば助力します。ウォーレン・デイは警察の殺人課トップの警視であり、ムーンと対立しつつも協力したりして悪人に立ち向かいます。そして、ハネガン警部補などの部下も登場します。エディ・ダンカンは弁護士であり、ムーンがピンチの際に助けを求めたりします。ということで、基本、マニー・ムーンが地元のギャングやカジノ組織の犯罪に警察とともに立ち向かう、というストーリーですが、いかにも戦争からの帰還兵らしくハードボイルドです。レンジャー仕込みの格闘術を身につけ、ワルサーP38を携帯しています。もちろん、女性にもよくモテます。そのたびに、ファウスタ・モレノが嫉妬の炎を燃やしたりします。本書は7篇の中編から構成されています。各話は大雑把に文庫本のページで100ページくらいのボリュームとなっています。第2話の「悪魔を選んだ男」The Man Who Chose the Devil を別にすれば、本邦初訳だそうです。収録順に、あらすじは、まず、「フアレスのナイフ」The Juarez Knife では、暗黒街の顔役バグネルとつながりがあり、カジノの顧問などをしている評判のよくない弁護士から、ムーンはボディガードの依頼を受けますが、ムーンがオフィスに出向いたところ、その弁護士は密室でナイフにより殺害されてしまいます。続いて、「悪魔を選んだ男」The Man Who Chose the Devil では、男が拳銃で射殺れた事件で、十分な動機があって、殺害に使われた銃の所有者であり、その銃に指紋も残っている人物は警察の留置場に勾留されていた、という鉄壁のアリバイがありました。続いて、「ラスト・ショット」A Shot in the Arm では、ムーンは上流階級の美しい娘の成年後見人となって、大邸宅に住み込んで、モルヒネ中毒からの回復に助力しますが、その女性がムーンの隣の自室で毒物を注射されて殺害されます。続いて、「死人にポケットは要らない」No Pockets in a Shroud では、対立するギャングの両方からムーンはボディガードを依頼されるのですが、密室状態のカジノのオフィスで銃殺事件が起こり、ムーンも命を狙われることになります。ファウスタ・モレノがカジノのディーラーとして本格的に登場し、すべてではありませんが、ムーンのパーソナルヒストリーも明らかになります。続いて、「大物は若くして死す」Big Shots Die Young は前話の続編であり、ムーンが地方検事のアパートに呼び出されると、暗闇からサイレンサー付きの銃で発砲され、応射して殺害することになりますが、同じように呼び出されていた警察のデイ警視などに目撃されます。続いて、「午後五時の死装束」Five O'Clock Shroud では、ギャンブル組織への強硬措置を表明していた市長候補について、実はその人物こそギャンブル組織の裏の大ボスであるとの証拠文書を入手するようムーンは依頼されますが、証拠書類が明らかになった翌日にその市長候補が両手首を切って失血死します。警察は自殺と判断しますが、ムーンは独自に調査を進めます。最後に、「支払いなくば死あるのみ」Pay Up or Die では、魅力的な人気女優から舞台終了後に楽屋を訪ねて欲しいと依頼されて、ムーンが行ってみると、楽屋内で射殺事件が起こり、使用された拳銃はムーンがファウスタにやったものではないか、と疑われます。ということで、文庫本ながら、800ページ近いボリュームですので、ついつい長くなりましたが、いかにも古き良き時代の米国のハードボイルドのミステリです。魅力あふれる探偵と美女とアクションと謎解きがしっかり楽しめます。
次に、カーター・ディクスン『爬虫類館の殺人』(創元推理文庫)を読みました。英語の原題は He Wouldn't Kill Patience であり、1944年の出版です。ですので、本書の前に邦訳は出ていたのだろうと思いますが、今年2025年に新訳として創元推理文庫から出版されています。著者は、戦前からご活躍の古典的なミステリ作家であり、密室ミステリで有名かと思います。このカーター・ディクスン名義とともに、本名のジョン・ディクスン・カーとしても、いくつかミステリ作品を出版しています。本書は、ヘンリー・メリヴェール卿のシリーズであり、ギデオン・フェル博士のシリーズとともに、この作者のミステリの中核のひとつをなしていると思います。作品の舞台は1940年、第2次世界大戦中の英国の首都ロンドンです。もっと狭くは、ロイヤル・アルバート動物園となります。ロイヤル・アルバート動物園というのが実在する、もしくは、実在したのかどうかは私は知りませんが、ロイヤル・アルバート・ホールというのは有名な劇場で、音楽コンサートを収録したアルバムもいろいろとあります。私はエリック・クラプトンによる2枚組を持っていたりします。ジャック・ブルースとジンジャー・ベイカーとともにクリームのメンバーで収録しています。ロイヤル・アルバートというのは、いうまでもなく、大英帝国の最盛期に君臨したヴィクトリア女王の夫であったアルバート公にちなんだ命名です。ということで、繰り返しになりますが、この作品はH.M.ことヘンリー・メリヴェール卿のシリーズであり、ロイヤル・アルバート動物園の園長であるエドワード(ネッド)・ベントンが、ボルネオから樹上性ヘビ、ペイシェンスと名付けられたヘビが届いた日の夕刻に、自宅でガス中毒で亡くなります。部屋は扉と窓すべてが内側から厳重に目張りされた密室でした。ヘビやトカゲを集めた爬虫類館が空襲の脅威により閉園を迫られていたことから、自殺という見方も成り立ちますが、ベントン園長の娘のルイーズはヘビのペイシェンスを道連れに自殺することはありえないと主張し、ヘンリー・メリヴェール卿が謎解きに挑戦する、というストーリーです。事件前には、フーディーニよろしく脱出マジックを得意とする奇術師2人が動物園を訪れていたりします。実に、思わせぶりな2人だったりします。いかにもこの作者らしい密室ミステリがたっぷりと楽しめます。もちろん、十分に近代物理学に耐える解決、しかも、経済学に則った動機に基づく解決が用意されています。
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