今週の読書は経済統計の本をはじめ計8冊
今週の読書感想文は以下の通りです。来年度に2回生向けの授業を何と初めて担当するので、いろいろとデータ処理系の教科書として使えそうな本を買って読んでみて、ついついたくさんの本を読むハメになってしまいました。
まず、櫻本健[編著]『経済系のための情報リテラシー』(実教出版)は、経済学部、経営学部、商学部などの大学の経済系の初学者、1年生で初めて経済学や統計学を学習する学生を読者に想定していて、大学初学年の最初のセメスターでパソコン操作やデータ処理を学ぶため教科書として書かれています。櫻本健[編著]『経済系のための経済統計分析』(実教出版)は、初学者向けの『経済系のための情報リテラシー』の続編と位置づけられています。ですので、経済学部、経営学部、商学部などの大学の経済系の初学者、1-2年生で経済学や統計学を学習する学生を読者に想定した統計情報分析の教科書です。角川総一『経済統計はウソをつく』(三和書籍)では、経済分野に限らず、データ分析をする際に見落としがちな点を投資家やアナリストの視点から取り上げています。政府統計の盲点、あるいは、意図的ではないにせよ、フェイクっぽい部分の指摘もあります。伊坂幸太郎『さよならジャバウォック』(双葉社)は、作家デビュー25周年を記念した書下ろし長編ミステリであり、ヒトの脳に寄生し本来の性格を増幅する役割を果たすジャバウォックをめぐって起こるさまざまな事件を解明・解決することになります。伊与原新『藍を継ぐ海』(新潮社)は、第172回直木賞受賞作で、5話からなる短編集であり、この作者独自の視点が示されています。人間とは、宇宙とはいわずとも、地球の中でもちっぽけな存在であり、ヒトを大きく超える自然の流れを通して、科学によって知りうる範囲の大きさを実感させられます。朝比奈秋『サンショウウオの四十九日』(新潮社)は第171回芥川賞受賞作品であり、結合双生児として生まれた姉妹が主人公ですが、そもそも、父親が兄の体内に胎児として胎児内胎児として兄から遅れて1年半後に出生しています。読んでいて、自分と他人の境界について、また、生と死ついて、考えさせられます。田中世紀『なぜ男女格差はなくならないのか』(講談社現代新書)では、男女間賃金格差に対するメルカリの是正アクションをモチーフにして、男女の賃金格差に限定してさまざまな角度から問い直しています。幅広い範囲の議論ながら、差別と格差の関係に関する議論など、雑な印象を受けました。瀧浪貞子『藤原摂関家の誕生』(岩波新書)では、平安期初期の桓武天皇や平城天皇のころの皇位継承にまつわって、皇太子の地位や役割、また、有力貴族の間での合意形成などから、藤原家北家が権力を握って、古典古代の日本における摂関政治につながる端緒を的確にひも解いています。
今年2025年の新刊書読書は1~10月に261冊を読んでレビューし、11月に入って今週までに24冊、今週の8冊を加えると合計で293冊となります。今年も年間で300冊に達するのはほぼ確実と受け止めています。これらの読書感想文については、できる限り、FacebookやX(昔のツイッタ)、あるいは、mixi、mixi2などでシェアしたいと予定しています。
まず、櫻本健[編著]『経済系のための情報リテラシー』(実教出版)を読みました。編著者は、立教大学経済学部の准教授です。編著者以外のチャプター執筆者6人のうち半分の3人も立教大学経済学部の教授・准教授となっています。本書は、経済学部、経営学部、商学部などの大学の経済系の初学者、1年生で初めて経済学や統計学を学習する学生を読者に想定しています。大学初学年の最初のセメスターでパソコン操作やデータ処理を学ぶため教科書として書かれており、4編13講の構成となっています。冒頭第1編では、経済学や統計学ではなく、そもそも、Windows11のOSの下でOffice2021をベースにして、基本的な操作ができるように工夫されています。たぶん、Office2021をバージョンアップしたMicrosoft36にも応用できるだろうと思います。ワープロソフトのWord、表計算ソフトのExcel、プレゼンスライドを作成するPowerPointのそれぞれの基本的な操作が取りまとめられています。第2編のマクロとミクロの経済を分析する、では、企業や家計、さらに、国内総生産(GDP)などの統計データを取り上げています。第3編の利子と価格の変動を計る、では、ごく簡単な金利のシミュレーションをはじめ、価格や為替レートの変動をデータとして捉える方法を論じています。最後の第4編のデータを整理し集計する、では、政府が提供している地方データのRESASの活用も含めて、幅広いデータの活用に及んでいます。編著者の在籍している立教大学経済学部と私の勤務する立命館大学では、学生の学力的にはそれほど大きな差はないものと思いますが、私の担当する2年生向けの教科書としては、さすがに「初学者向け」を標榜する本書は少し物足りないかもしれない、と受け止めました。最後に、同じ編著者が同じ出版社から本書の続編として、1年生後期ないし2年生向けに『経済系のための経済統計分析』も出版しています。
次に、櫻本健[編著]『経済系のための経済統計分析』(実教出版)を読みました。編著者は、立教大学経済学部の准教授です。編著者以外のチャプター執筆者7人のうちの3人も立教大学経済学部の教授・准教授となっています。本書は同じ出版社、同じ編著者の初学者向けの『経済系のための情報リテラシー』の続編と位置づけられています。ですので、経済学部、経営学部、商学部などの大学の経済系の初学者、1-2年生で経済学や統計学を学習する学生を読者に想定しyた統計分析の教科書となっています。大学初学者の後期のセメスターである秋学期や2年生の最初のセメスターに向けた5編14講の構成となっています。第1編でワープロソフトやプレゼンテーション向けのスライド作成ソフトの応用的な解説をした後、第2編では経済分野への活用として、経済成長、環境指標、消費、不平等度を取り上げ、第3編では経営や会計分野への応用として、企業活動、損益分岐点分析、債権価値の変動、さらに、第4編では、人口と地域経済の分析のため、人口データ、GIS=地理情報システム、そして、なぜか、季節調整に注目しています。季節調整がどうし、この第4編で取り上げられているのかは謎でした。最後の第5編では、財政や政策の応用として、財政や社会保障とともに、そういった政策の波及効果についても考えています。繰り返しになりますが、同じ編著者の同じ出版社からの『経済系のための情報リテラシー』の続編となっており、1年生後期ないし2年生向けのテキストなのですが、両者の間に少しギャップがあるように感じます。1年生前期向けの『経済系のための情報リテラシー』はやや易し過ぎ、1年生後期ないし2年生向けの本書はやや難しい印象です。
次に、角川総一『経済統計はウソをつく』(三和書籍)を読みました。著者は、証券関係専門誌を経て、(株)金融データシステムを設立し、我が国初の投信データベースを開発・運営している、と紹介されています。本書では、経済分野に限らず、データ分析をする際に見落としがちな点を投資家やアナリストの視点から取り上げています。政府統計の盲点、あるいは、意図的ではないにせよ、フェイクっぽい部分の指摘もあります。ただ、経済データというのはかなり特殊な部分があり、それなりの注意を払う必要があることは確かです。本書では何ら言及されていませんが、通常、経済データ、特に、投資家やアナリストが注目している経済データは時系列と呼ばれるものであり、通常は定期的かつ継続的に公表されています。GDP統計は毎四半期、また、失業率や物価指数は毎月、といった公表頻度です。その意味で、本書で取り上げている中で私が注目したのは、前年比という指標の見方です。季節調整は本書ではそれほど重きを置かれていませんが、もともと、消費者物価指数(CPI)などは、季節調整値が公表されているものの、原系列の前年同月比で見るのが、ほぼほぼ世界でデフォルトになっています。ですから、本書でも指摘しているように、その1年間で動学的にどのようなパスを通ったかは無視されますし、1年前に何らかのイレギュラーな要因があった可能性も無視されます。このあたりは重要なポイントです。もうひとつは、経済データに限らず、平均値を用いた誤解があり得るケースです。本書のこの指摘ももっともです。ひとつは分布が無視されるおそれが大きいです。ですので、平均値とともに中央値など集団を代表する他の指標も見ておく必要があります。ただ、本書で章を立てて説明しているものの、実質値と名目値は、まあ、いいんではないかという気もします。最後に、大学の授業でテキストとして用いるには、少し勇気が要りそうです。
次に、伊坂幸太郎『さよならジャバウォック』(双葉社)を読みました。著者は、日本でももっとも人気のあるミステリ作家の1人です。本書はデビュー25周年を記念する書下ろし作品となっています。まず、タイトルにあるジャバウォック=Jabberwockとは、ルイス・キャロルによる『鏡の国のアリス』に登場する、というか、正しくは小説の中の書物の詩で言及されている架空の生物であり、ドラゴンのような形で挿絵に描かれたりする怪物です。はい、私の無教養をさらすと『ふしぎの国のアリス』だと思っていました。私は『ふしぎの国のアリス』は読んでいますが、『鏡の国のアリス』は読んでいません。本書では、ヒトの脳に寄生し本来の性格を増幅する役割を果たす、とされています。あらすじを考えると、主人公は夫の転勤にしたがって仙台に引越した量子であり、翔という幼稚園児の息子とともに3人で暮らしています。しかし、転勤と時を同じくして夫のDVが始まり、とうとう流れで量子は夫を殺害してしまいます。その時、量子の大学時代のサークルの後輩である桂凍朗が現れ、2人で死体を山奥まで運んで処理します。そのあたりで量子の記憶が不確かになり、絵馬と破魔矢と名乗る若い夫婦に起こされます。他方、別の流れのストーリーがあって、斗真がマネージャーをしているミュージシャンの伊藤北斎がいて、かつてSNSでの発言が炎上して活動を長らく停止していたのですが、いろいろあって、活動を再開してコンサート準備を始めます。この量子のパートと斗真のパートが、交互ではないにしても2つの流れを作り出して、もちろん、最後にはいっしょになったりするわけです。ミステリですので、あらすじは適当に切り上げますが、私の気になっているところで、本書で何度か登場する「キャンパス」は、『魔王』だったか、『モダンタイムス』だったかの播磨坂中学校に相当するんだろうか、と考えたりしました。
次に、伊与原新『藍を継ぐ海』(新潮社)を読みました。著者は、科学の視点などを基にした小説を書き続けている作家であり、私はテレビドラマ化もされた『宙わたる教室』を読んでいます。本書により第172回直木賞を受賞しています。本書は5話からなる短編集となっていて、この作者独自の視点が示されており、宇宙とはいわずとも、地球の中でも、人間とはちっぽけな存在であり、ヒトを大きく超える自然の流れを通して、科学によって知りうる範囲の大きさを実感させられます。収録順に各話ごとのあらすじは以下の通りです。すなわち、「夢化けの島」では、地質学の研究者であり、大学の助教をしている30歳過ぎの久保歩美を主人公に、山口県最北端で朝鮮半島にも近い見島を舞台に、江戸期からの伝統ある萩焼の土を探している陶芸家の三浦光平の人となりや行動を描きます。「狼犬ダイアリー」では、東京でうまくいかずに奈良県東吉野村に逃げるように移住して来て、webデザイナーをしている主人公のまひろなのですが、大家の息子の拓己が狼を見たといっていることから、狼の歴史や伝承に興味を持ち、狼という孤独な存在や協力関係の構築などに思いを馳せます。「祈りの破片」では、長崎県長与町の役場に勤める小寺が、空き家から光が漏れているという苦情を聞きつけて調査をすると、長崎への原爆投下後に収集された膨大な量の瓦、石、ガラスの破片といった謎めいた収集物をを発見します。「星隕つ駅逓」では、主人公の信吾は北海道遠軽町白滝地区で郵便局員として働いており、先代が勤めていた野知内駅逓の取壊しが決定した矢先、近くに隕石が落ちたと知って、妊娠していた信吾の妻の様子が少しおかしくなり、隕石の発見場所を偽ったりします。最後の表題作「藍を継ぐ海」では、漁師をしている祖父に引き取られて徳島県阿須町で暮らしている沙月は、浜で産卵したウミガメの卵を盗んで育てようとしますが、カナダの先住民ハイダ族の血を引く青年ティムと出会って、ウミガメと潮の流れ、遠く離れた土地と命の連鎖に思いを馳せます。
次に、朝比奈秋『サンショウウオの四十九日』(新潮社)を読みました。著者は作家であり、本書により第171回芥川賞を受賞しています。本書の主人公は、濱岸杏と濱岸瞬の姉妹なのですが、この2人の主人公は結合双生児として生まれ、瞬は誕生後5年を経過してから「発見」されます。それまでは、杏だけが両親とかの周囲に認識されていたわけです。ひとつの身体を共有しつつも、それぞれが別の意識と人格を持っているわけで、外から見れば1人だけれども、内側では2人が共存している、といった複雑な存在として描かれています。パート・パートによって2人の視点が入れ代わり、「私」と「わたし」の主語で区別されています。 実は、この姉妹の父親も双子であり、同様に、複雑な出生の経緯があります。すなわち、父親の濱岸若彦は兄の濱岸勝彦の体内に胎児、正確には、胎児内胎児としてどまっていて、兄から遅れて1年半後に出生します。兄の濱岸勝彦が病弱であったのに対して、姉妹の父親の濱岸若彦は健康に問題ありません。姉妹は、看護関係の大学を出ていますが、今は両親とは別のところに住まいし工場で働いています。そして、タイトルに関連して、姉妹の叔父である濱岸勝彦が亡くなり、その49日をめぐる時間をきっかけにして、濱岸杏と濱岸瞬の姉妹は自分たちの存在、意識、生死、片方の1人が死んだらどうなるのか、といった問題を深く考えたりします。読んでいて、自分と他人の境界は決して自明ではないとか、生きることや死ぬことについて、いろいろと考えさせられました。
次に、田中世紀『なぜ男女格差はなくならないのか』(講談社現代新書)を読みました。著者は、オランダ王国フローニンゲン大学助教授であり、ご専門は政治学や国際関係論だそうです。本書では、日本で根強く残されている男女の格差について、メルカリが2023年11月にwebサイトで明らかにした「『説明できない格差』を埋めてより良い社会にしていきたい - 男女間賃金格差に対する、メルカリが考える是正アクション」の記事をモチーフにして、男女の賃金格差に限定してさまざまな角度から問い直しています。タイトルからして経済、所得や賃金以外のさまざまな格差を論じていると期待していたのですが、その点はやや期待外れでした。男女の賃金格差だけに焦点を当てるのであれば、もっとふさわしいエコノミストを何人も私は知っています。ただ、女性に対するアファーマティブアクションとして、さまざまな場面でのクォータ制、あるいは、身近な女性専用車両に対する反対意見、副作用や社会的な分断などについて論じているところは目新しく感じました。私のようなエコノミストから考えると、まず、格差すべてが悪いというわけではありません。ただ、本人の責任範囲外の要因に基づく格差はできる限り排除すべきであり、そのもっとも大きな要因のひとつは性的な格差です。もちろん、人種や親ガチャなどもそうです。他方で、本人の努力による格差はある程度は許容される、とも考えるべきです。勉強したのでいい成績が取れて、いい学校に進学できて、いい就職先で高収入を得られる、などです。もちろん、この格差も程度問題であって、社会的に容認できないほどの大きな格差は是正されるべきといえます。もうひとつの視点は、本書でも最後の方で言及されている点であり、格差が差別に結びついているかどうかです。統計的差別は本書では言及されていませんが、差別的な何かが格差を生じている原因であれば、それは是正されるべきだと多くのエコノミストは考えていると思います。そのあたりの差別と格差の議論が本書ではややゴッチャにされているような気がして、とても幅広い範囲の議論ながら、少し雑な印象を受けました。
次に、瀧浪貞子『藤原摂関家の誕生』(岩波新書)を読みました。著者は京都女子大学の名誉教授であり、ご専門は日本古代史です。平安京や桓武天皇などに関するご著書がいくつかあって、そのあたりがご専門家という印象があります。本書では、タイトル通りに、日本の古典古代の平安期に絶大なる勢力を誇った藤原北家の摂関政治がどのように形成され、制度化され、その支配構造を固めていったのかについて歴史的に跡付けています。要するに、一言でいえば、当時は天皇の即位に3つの条件があり、第1に、天皇の即位と皇太子の立太子がセットであって、皇太子が決まっていないと即位できず、第2に、その皇太子は一定の年齢に達していることが必要で、天皇を補佐する能力があるとみなされなければならず、第3に、天皇家だけの意向では即位できず、貴族層のそれなりの広範な合意を必要とした、ということです。加えて、皇后は天皇家出身者に限定されていたようです。その上で、桓武天皇が亡くなって皇太子の平城天皇が即位する際に、平城天皇が後継として即位することは既定路線であった一方で、桓武天皇は平城天皇が皇太子を選ぶように選択を任せたにもかかわらず、なかなか選べずに、結局、藤原氏の権力を大きくさせたわけです。すなわち、平城天皇の皇太子に嵯峨天皇が立太子した際に、藤原内麻呂の次男である藤原冬嗣が東宮亮となり、その後も権力を振るった、ということです。アッサリ表現するとこうなりますが、実際のところは読んでみてのお楽しみ、ということになります。専門外の私の知る限りでも、日本の古典古代の中でも平安初期の桓武天皇から次の次の嵯峨天皇のあたりは天皇の権限が強かった時期です。でも、そのころに、藤原摂関家の勢力勃興の兆しが生じ始めていたのは興味深いところでした。私のような古典古代の歴史に興味ある向きはぜひオススメです。
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