今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、亀田啓悟・井深陽子[編]『「不安」の解析』(慶應義塾大学出版会)では、慶應義塾大学経済学部の嘉治佐保子研究会の門下生が、経済学の方法論に基づいて国民の閉塞感や不安について解明を試みています。3部構成となっており、企業の不安、家計の不安、政策の不安を各部で論じています。塩田武士『踊りつかれて』(文藝春秋)では、音楽プロデューサーが自分のブログで宣戦布告し、不倫報道で自殺に追い込まれたお笑い芸人の天童ショージ、週刊誌の記事としつこい取材に誘発された暴言で姿を消した歌手の奥田美月、この2人に誹謗中傷した者など93人の氏名を明らかにします。川口元気『8番出口』(水鈴社)は、世界的大ヒットゲーム「8番出口」を基にノベライズした小説であり、小説についてはホラーそのものでした。地下道を歩き回って、それでも出られない、という無限ループは、イーグルスが歌った「ホテル・カリフォルニア」と似ています。三宅香帆『考察する若者たち』(PHP新書)では、平成から令和への時代の流れの中で、ひとつの大きな変化として批評から考察、というのを捉えて、何らかの謎を解き明かし正解を得ようとする行為を令和の特徴としています。しかし、前著の『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』に比べて物足りない印象です。佐高信・前川喜平『だまされない力』(平凡社新書)では、評論家と元文部科学事務次官の対談集であり、タイトル通りに、だまされない力について議論しています。日本人はその昔はガバナイリティが高く、お上に従順、といわれ続けてきましたが、政府や権力に対する批判的な受け止めが必要だと感じます。高野和明『踏切の幽霊』(文春文庫)は、小田急線の下北沢3号踏切の幽霊について、新聞記者だった女性週刊誌のジャーナリストがカメラマンとともに殺された女性の正体を突き止め、その背景も明らかにします。超常現象のホラー小説と政界も巻き込んだスキャンダルという社会派ミステリが合体した小説です。ジェーン・スー『ひとまず上出来』(文春文庫)では、我々のような一般ピープルが接することの出来ない世界の情報を持ちつつも、我々一般ピープルの感覚も同時に持ち合わせている著者が、セレブの世界の覗き見趣味よりも、フツーの人々のあるある感を満足させてくれます。トピックも日常的な話題が多い印象です。柊サナカ『喫茶ガクブチ 思い出買い取ります』(文春文庫)では、美咲兄妹のうち、額装を担当する兄の伸也が2階の額縁店を切り盛りし、妹の真日留は1階のカフェにいます。高円寺にあるお店で、さまざまな絵画や写真ほかを額装して売る中で、心温まる連作短編が6話収録されています。
今年2025年の新刊書読書は~11月に293冊を読んでレビューし、12月に入って先週までに304冊、今週の8冊を加えると合計で312冊となります。昨年に続いて、今年も年間で300冊に達しています。これらの読書感想文については、できる限り、FacebookやX(昔のツイッタ)、あるいは、mixi、mixi2などでシェアしたいと予定しています。
![亀田啓悟・井深陽子[編]『「不安」の解析』(慶應義塾大学出版会) photo](http://economist.cocolog-nifty.com/dummy.gif)
まず、亀田啓悟・井深陽子[編]『「不安」の解析』(慶應義塾大学出版会)を読みました。編者2人は、それぞれ、関西学院大学総合政策学部教授と慶応義塾大学経済学部教授です。本書の編者はもちろん、執筆陣は慶應義塾大学経済学部教授を2025年3月末で退任した嘉治佐保子研究会の門下生だそうです。タイトル通り、1990年代初頭にバブル経済が崩壊してから、日本経済は長く停滞を続け、その中でいわゆる閉塞感や本書のタイトルにも取られている「不安」を多くの国民が感じている中、経済学の方法論に基づいてこういった閉塞感や不安について解明を試みています。本書は3部構成であり、企業の不安、家計の不安、政策の不安を各部で論じています。企業の不安については、カルテル・談合の課徴金減免制度とマクロ経済の不確実性を取り上げ、家計の不安では中央銀行デジタル通貨(CBDC)と富裕税と景気変動の健康への影響を論じています。しかし、やっぱり、最大の不安は政策の不安、特に、財政赤字や公的債務残高、あるいは、政府や民間における債務残高の累増ではなかろうかと思います。私は一昨年の紀要論文で "An Essay on Public Debt Sustainability: Why Japanese Government Does Not Go Bankrupt?" とのタイトルで公的債務のサステイナビリティを概観したこともありますので、政府の財政赤字=毎年のフローと公的債務残高=ストック、に焦点を絞ってレビューしておきたいと思います。まず、私自身の考えでは、日本政府の公的債務残高は着実に安定化に向かっているし、少なくとも、日本政府が国債のデフォルトに陥ることはとても可能性が低いと考えています。本書でも言及されている現代貨幣理論(MMT)的な無条件でのサステイナビリティは認めませんが、実務的にそんなことはほぼほぼあり得ないと考えているわけです。世代間で後に生まれる世代に借金がつけ送りされるとも考えていません。ただし、第1に、民間投資をクラウディングアウトする可能性は否定できません。第2に、国民のマインドや金融市場に影響する可能性です。いわゆる「野獣を飢えさせろ」Starve the Beast 的な政策運営の原因となる可能性がありますし、英国のトラス・ショックも、まだ記憶に新しいところです。第3に、可能性としては極めて小さいといえますが、財政がいわゆる「雪だるま式」に赤字を増大させて発散する可能性もなくはないといえます。ですので、私は緊縮的な財政で債務残高を縮小させるのは得策ではないと考える一方で、いくらでも赤字を垂れ流してもいいとまでは思いません。その時々の国民の判断にもよりますが、適切な範囲で財政赤字をとどめて、金融市場や国民のマインドを悪化させることのない財政運営は必要だと考えています。

次に、塩田武士『踊りつかれて』(文藝春秋)を読みました。著者は、ミステリも含めたエンタメ小説家であり、私は前作の『存在のすべてを』を含めて、ある程度はこの作者の作品を読んでいると自負しています。簡単にストーリを振り返っておくと、後に裁判の被告となる瀬尾政夫が「枯葉」というハンドルネームで管理しているブログ「踊りつかれて」に、宣戦布告と題して、記事が投稿されます。すなわち、不倫報道がきっかっけでネットメディアやSNSで誹謗中傷を含めて批判され、自殺に追い込まれた令和のお笑い芸人の天童ショージ、さらに、週刊誌全盛の時代に、でっち上げの記事としつこい取材に誘発された暴言が原因で芸能界から姿を消した伝説の歌姫である歌手の奥田美月、この2人に対して、匿名性を隠れ蓑にネット上でバッシングした者やいいかげんな記事を書いた記者など93人の氏名はもちろん、年齢、住所、会社や学校、その他の個人情報がその罵詈雑言とともに、リストアップされた投稿です。瀬尾政夫はリストアップされたうちの1人から名誉毀損で告発されて裁判となり、京都在住の30代の弁護士である久代奏が弁護を依頼されます。その久代奏が大雑把に主人公となって視点を提供しますが、別の視点が提供される部分もいっぱいあります。要するに、久代奏が弁護士として事件の全容を調査し、その中身が小説になっているわけです。瀬尾政夫は音楽プロデューサーであり、一時は奥田美月の担当もしていたことは当初から明らかでしたが、不明だった天童ショージとの関係を解明します。そして、壮絶だったのが後半の奥田美月のデビュー前の幼少期の生活です。このあたりは読んでいただくしかありません。私が読んだ前作の『存在のすべてを』が、隠された人生のポジな要素満載であったのに対し、本作品は逆に隠されたネガな要素が満載です。最後に、今月2025年12月10日からオーストラリアで16歳未満にSNSが禁止されたこともあって、私が学生諸君にSNSや動画配信についてお話していることを書いておしまいにします。すなわち、私は30-50年先にはSNSは現在の酒・タバコのようにみなされる可能性がある、と学生諸君にお話しています。私自身の人生は残り10年くらいで、これから先20年生きる自信がないので見届けることが出来ませんが、20歳前後の学生諸君であれば、50年先のSNSの末路も経験できると思います。日本でも50年前には酒はもちろん、タバコもまったく抵抗なく喫煙していたような気がしますが、現時点でのタバコの扱いについては広く感じられている通りです。たぶん、タバコだけではなくお酒も含めて、現在のSNSはそういった見方がなされるようになる可能性が十分ある、というのが私の見立てです。まあ、何と申しましょうかで、雰囲気でご理解ください。

次に、川村元気『8番出口』(水鈴社)を読みました。著者は、映画の制作や小説の執筆などの活動をしています。私は『世界から猫が消えたなら』を読んだ記憶があります。本書は、ゲームクリエイターであるKOTAKE CREATE氏によって2023年に制作され、累計180万ダウンロードを記録した世界的大ヒットゲーム「8番出口」を基にノベライズした小説であり、別途、実写映画化もされています。無限ループですので、あらすじはほとんどないに等しいのですが、地下鉄を降りた若いサラリーマン男性が地上に出ようと地下道を歩き回るが、8番出口が見つからず、ホームレス男性や小学生と歩き回り続ける、というものです。本書冒頭には、【ご案内 Information】として、5点、すなわち、(1) 異変を見逃さないこと Do not overlook any anomalies. (2) 映画を先に楽しみたければ、引き返すこと If you would like to experience the film first, turn back immediately. (3) 小説を先に楽しみたければ、引き返さないこと If you would like to experience the novel first, do not turn back. (4) 小説で明かされる秘密を、決して他人には言わないこと Do not reveal the secret unveiled in the novel. (5) 8番出口から外に出ること Go out from Exit 8. が上げられています。そして、ゲームそのままに歩き回っても、8番出口から外には出られないわけで、私はゲームの方も、映画の方も知りませんが、少なくとも小説については無限ループのホラーそのものでした。入ったけど出られない、というのは、イーグルスが歌った「ホテル・カリフォルニア」と同じであり、"You can checkout any time you like, but you can never leave!" なわけだと思います。

次に、三宅香帆『考察する若者たち』(PHP新書)を読みました。著者は、私も読んだ前著の『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書)で話題になった評論家です。ただ、本書は、結論からして、少し物足りない読書でした。2020年から始まったコロナ禍あたりで切り替わった平成から令和への時代の流れの中で、ひとつの大きな変化として批評から考察、というのを捉えて、何らかの謎を解き明かし正解を得ようとする行為を令和の特徴としています。とても怪しいと感じるのは私だけではないと思います。本書では、例えば、映画化もされたウェブライター雨穴による小説『変な家』について、何らかの正解がある「考察小説」、あるいは、読者が考察して正解を得ることを著者が期待している、と捉えています。単独でそう考えることにムリはありませんが、平成から令和への時代の流れの中で社会の多くがそうなっていると考えるのはムリがあります。この第1章の批評から考察へ、で始まって、第2章では萌えから推しへ、第3章と第4章は飛ばして、第5章でやりがいから成長へ、となると、さらに怪しくなります。何らかのブランドや組織や行動に対するエンゲージメントから、自分の満足への目標の変化、という意味なのだろうと思いますが、そこまで日本社会は成熟していない気がします。いくつかのSNSやYouTubeなどでの動画配信がますます多様化し、本書でいうようなwebプラットフォーム上での「正解」という最大公約数を浮かび上がらせるような現象というものはまだ現れておらず、将来はともかく、現時点では社会的な分断が進んでいるだけであり、将来的なコンバージェンスに至る成熟化は、まだ見られない。と私は考えています。そして、アチコチで何度か繰り返していますが、20-30年から50年くらい先では、私はSNSや動画の配信などは現時点での酒・タバコと同じような見方をされる、と考えていて、反社会的とまではいわないものの、「決して賢い人のすることではない」あるいは、「やり過ぎず、ほどほどに」と受け止める人が少なくないような社会が到来する可能性があると考えています。ただ、それまでの長い長い期間、最大公約数的な「正解」ではなく、自分や自分が属するグループの考える「正解」を追い求める分断の方が表立って観察されるのではないか、と私は考えています。ですので、考察というよりも正解を求めるというのは、令和ではなく、令和のさらに先の時代のことかもしれません。

次に、佐高信・前川喜平『だまされない力』(平凡社新書)を読みました。著者、というか、対談者2人は、評論家と元職ながら文部科学事務次官だった人物です。本書冒頭では、「開運! なんでも鑑定団」に出演している古美術鑑定家のお話として、ニセモノに引っかかる時というのは、欲が目をくらませる、使えるカネがある、不勉強、という3要素を上げています。そういった観点から、教育と学び、宗教と道徳、SNSなどを対談で論じています。はい、高校までの初等中等教育ではなく、大学という高等教育機関まで進学した大学生に対して、批判的な学習を勧める教員は私だけではなく、決して少なくないことと思っています。すなわち、教科書に書いてあることや教師が言ったことを鵜呑みにせずに、自らリサーチして学習する必要です。ただ、最近では、その「学習」がネット検索やAIならまだしもいい方で、YouTubeの動画の方を見るのがリサーチとなってしまって、YouTuberを大学教授よりも信頼されてはたまったものではありません。そういった「学習」っぽいメディアが溢れていて、それらの多くが無料で提供されている点を私はむしろ危惧しています。お金を出して買う本よりも、ネットに無料でアップロードされているpdfファイルに書いてあることの方に信頼を置くという学生も少なくないのではないか、と心配しています。ただ、だまされないために勉強、学習するというのはそれなりに重要なポイントであり、英国のエコノミストであったジョーン・ロビンソン女史は、"The purpose of studying economics is not to acquire a set of ready-made answers to economic questions, but to learn how to avoid being deceived by economists." すなわち、「経済学を学ぶ目的は、経済問題に対する一連のありきたりな解答を得ることではなく、いかにして経済学者にだまされないようにするかを知ることである。」というよく引用される名言があります。私も授業中に難解とも思えない経済の真理、例えば、国債価格と金利は逆方向に動く、とか、為替の変動とはオーバーオールの国際収支尻をゼロにする方向に動く、とか、経済というよりもやや金融に近い分野の動向を説明すると、どう見ても理解しておらず、闇雲に暗記しようとする学生がいることに気づいていますが、たぶん、教員である私に騙されたような気分になっている可能性があると受け止めています。学問的な考えだけでなく、日本人はその昔はガバナイリティが高い、すなわち、お上に従順、といわれ続けてきましたが、政府見解などについても批判的な受け止めができるような成熟した態度が必要になのだろうと思います。

次に、高野和明『踏切の幽霊』(文春文庫)を読みました。著者は、小説家であり、本書は第169回直木賞の候補作としてノミネートされています。私はこの作者の最高傑作の一つである『ジェノサイド』が大好きだったりします。あらすじは、小田急線下北沢3号踏切における深夜の都市伝説のような幽霊をめぐる物語です。舞台は1990年代なかばの東京、下北沢の踏切を中心とする地域であり、主人公は50過ぎで中年に差しかかりながら、新聞記者から女性週刊誌に転じたジャーナリストの松田です。この中年記者が若いカメラマンとともに踏切に現れる幽霊について調査を行います。怪談、というか、ホラーとしては、近代物理学では考えられないような物体が写真に写り込んだり、そもそも、死んでいるはずの若い女性が自力で殺害現場から踏切まで移動したりします。しかし、その女性が死んだ、というか、殺害されたのは心中事件であったと警察では考えていた一方で、記者とカメラマンが真実解明に立ち向かい、ついには、名前すら警察では判明できなかった死亡した女性の正体を突き止め、さらに、政界も巻き込んだスキャンダルの可能性が示唆される、という結末を迎えます。すなわち、決して近代物理学を超えた超常現象ではなく、合理的な説明がつけられる事件と、近代物理学では説明ができない超常現象とが混在します。前者の方は、社会派のミステリのような要素を強く含んでいます。単純な超常現象だけで構成されたホラーや怪談と社会派ミステリが合体している印象です。

次に、ジェーン・スー『ひとまず上出来』(文春文庫)を読みました。著者は、ラジオパーソナリティ、コラムニストであり、本書は『CREA』ほかに連載されていたエッセイを2021年に単行本として出版され、さらに、今年2025年9月に単行本化されています。エッセイとして収録されていた雑誌の性格からして、それほど若い世代ではない女性を読者に想定しているのだと思います。したがって、著者と同じような年代性別の読者が想定されているようで、私が入らないカテゴリーかもしれない、という気はします。たぶん、あくまで、たぶん、ながら、発表順は出版順くらいでソートされていて、特にテーマ別のカテゴリーも設けられていません。ただ、著者は、もちろん、有名人だし、特別感ある人物なのでしょうが、とびっきりのセレブとかではなく、我々のような一般ピープルが接することの出来ない世界の情報を持ちつつも、我々一般ピープルの感覚も同時に持ち合わせていて、セレブの世界の覗き見趣味よりも、フツーの人々のあるある感を満足させてくれるような気がします。取り上げられているトピックも日常的な出来事が少なくなく、タイトルから示唆されているように、中身のコラムやエッセイからも肯定的な世界の捉え方を感じることが出来ます。肩肘張らず、決してセレブ的な一般ピープルにはマネの出来ない世界ではなく、地に足ついたエッセイに仕上がっている気がします。ただ、逆に、一般ピープルには接することが出来ない世界の覗き見趣味、というか、特別感が希薄なので、そのあたりに不満を感じる読者がいるかもしれません。そういった特別な情報に接したいのであれば、別のエッセイを探すことになるのかもしれません。

次に、柊サナカ『喫茶ガクブチ 思い出買い取ります』(文春文庫)を読みました。著者は、作家なのですが、10年以上も前に「このミス!」大賞・隠し玉として、『婚活島戦記』でデビューしているらしいです。私には初読の作家さんでした。舞台、というか、喫茶ガクブチがあるのは東京は高円寺であり、父親の跡を継いだ美咲兄妹が主人公です。額装を担当する兄の伸也が2階の額縁店を切り盛りし、妹の真日留は1階のカフェにいます。さまざまな絵画や写真ほかを額装して売るわけです。もちろん、持ち込んだご本人が買う場合もあります。6話の短編が収録されています。順にあらすじは、まず、第1話の「旅の空と今日の空」では、大学卒業後に就職もせずに海外旅行を楽しみながらも、今は親の介護に明け暮れている50台女性が旅の写真を持ち込みます。続いて、第2話の「最初で最後の写真展」では、夫をなくした妻が残された写真20枚を額装して写真展を開催することになります。写真展に集まった人から、亡き夫の意外な面を知らされます。さらに、第3話の「ポイ捨ての果てに」では、使い終わったカップが喫茶ガクブチの前にポイ捨てされるようになり、妹の真日留が犯人を突き止めようとします。続いて、第4話の「婚活UFO」では、婚活成功のために相手女性の意図に従って処分しようと、男性が古いブリキのおもちゃのUFOを持ち込みます。続いて、第5話の「夜歩く息子」では、兄妹の叔父の離婚後に高校生の従兄弟が引きこもりになって、一般家屋への覗きで補導された後、真黒く塗られた15センチ角くらいの紙を叔父が発見します。最後の第6話の「おじいちゃんの絵」では、中学生の男子生徒が祖父の絵を額装して欲しいと持ち込んできます。第5話には、少しだけミステリのような謎解きの要素がありますが、それ以外はミステリの要素はほとんど感じられません。さまざま思い出を基に額装し、心温まる連作短編集に仕上がっています。
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