今週の読書は新刊書読書少なく計4冊
今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、ヘンリー・サンダーソン『電気自動車は本当にエコなのか』(原書房)では、電気自動車(EV)などに広く用いられているバッテリー生産のために、リチウムやコバルトといった鉱物資源が自然環境や労働条件を考えることなく乱掘されており、環境破壊や労働者の健康被害を起こしている実態に着目しています。町田章『AI時代になぜ英語を学ぶのか』(文春新書)では、言葉が持つ機能は決してコミュニケーションだけではなく、そのバックグラウンドとなる文化や体験も含めて、人間らしい思考力を身につけるために外国語学習が必要であり、自分の生まれ育った環境以外の経験も重要と指摘しています。レオ・マレ『探偵はパリへ還る』(新潮文庫)は、フランスのハードボイルド・ミステリ小説であり、第2次世界大戦下のドイツで捕虜として収容所の病院で働く探偵ビュルマは、瀕死の男から「エレーヌに伝えてくれ、駅前通り120番地」と謎の言葉を残され、釈放後フランスへ戻ると探偵助手が死の間際に同じ住所を告げます。大山誠一郎『死の絆』(文春文庫)では、赤い博物館と通称される警視庁付属犯罪資料館の館長である緋色冴子が助手の寺田聡とともに30年以上も前の事件も含めて、資料館に送られてくる事件の真相解明のために再捜査に挑みます。
今年2026年の最初の新刊書読書はこの4冊となります。これらの新刊書読書のほかに、新刊書ではないので取り上げていない年末年始の読書もかなりあります。麻根重次『赤の女王の殺人』(講談社)は同じ作者の最新作である『千年のフーダニット』への準備を兼ねて読みましたし、碧野圭『凜として弓を引く』(講談社文庫)のシリーズ計5冊も読んで、すでに、SNSでシェアしていたりします。また、本日レビューしている大山誠一郎『死の絆』(文春文庫)のシリーズ前2作『赤い博物館』と『記憶の中の誘拐』も読んでいます。加えて、シリーズ外ながら、大山誠一郎『蜜室蒐集家』(文春文庫)も読みました。ただ、新刊書ではないので、本日のレビューには含めていません。これらの読書感想文については、できる限り、FacebookやX(昔のツイッタ)、あるいは、mixi、mixi2などのSNSでシェアしたいと予定しています。
まず、ヘンリー・サンダーソン『電気自動車は本当にエコなのか』(原書房)を読みました。著者は、ファイナンシャル・タイムズ紙のジャーナリストです。英語の原題は Volt Rush であり、2022年の出版です。私がタイトルから期待した内容と少し違って、電気自動車に限定せずにスマートフォンなどでも広く使われている蓄電池のためにリチウムやコバルトをはじめとする各種鉱物が環境負荷を考えずに乱掘されている実態を告発しています。最初に取り上げられている金属はリチウムであり、私くらいの専門外のエコノミストでもリチウム電池は聞いたことがあります。次がコバルトであり、こういった金属あるいは鉱物資源について、周囲の自然環境や労働条件を考えることなく乱掘されており、環境を破壊するとともに、労働者の健康被害なども着目しています。その上で、典型的な環境破壊・健康被害をもたらしているのが中国企業である点が強調されている気がします。たぶん、その通りなのだろうと思いますが、何分、米国でトランプ政権が成立する前の出版ですので、今後、環境問題を無視する政権下で米国企業も名を連ねる可能性がある点は忘れるべきではありません。最後に、私が期待した内容と違っている点を書きとめておきたいと思います。すなわち、私はトヨタなんぞと同じように、現在の日本では、電気自動車(EV)が輸送部門のカーボン・ニュートラルの決め手になるとは考えていません。なぜなら、EVが走行中に二酸化炭素を排出しないのは明らかであり、製造や廃棄まで含めたライフサイクル・アセスメントでもEVの二酸化炭素排出が小さい点は確認されているのですが、そもそも、EVに充電する電力が化石燃料で発電されていれば、結局、カーボンニュートラルへの貢献が限定的になるからです。資源エネルギー庁のパンフレット「日本のエネルギー」などを見る限り、水力発電を含む再エネ比率がドイツ、英国、スペインなどで40%を超えている一方で、日本の場合、まだその半分の20%そこそこにしか過ぎません。二酸化炭素を発生させない再エネで発電された電力をEVに充電するのでないと、カーボンニュートラルは進みません。発電段階で化石燃料を使って二酸化炭素を排出していたのでは何にもなりません。その意味で、本書の内容は私の期待通りではありませんでした。
次に、町田章『AI時代になぜ英語を学ぶのか』(文春新書)を読みました。著者は、日本大学法学部教授であり、ご専門は認知言語学だそうです。AIを持ち出す前にも、とっても有能な機械翻訳サービスが始まっており、私自身はそれほど英語については苦労していません。ですので、本書でも指摘しているように、言葉が持つ機能は決してコミュニケーションだけではなく、そのバックグラウンドとなる文化や体験も含めて、人間らしい思考力を身につけるために外国語学習が必要、という結論なのだと思います。その点は同意します。ただし、そういった異文化体験というか、自分の生まれ育った環境以外の経験のために視野を広げるのは、本書では何ら言及ありませんが、読書やズバリ海外生活なんかも大いに役立つわけで、外国語の学習以外にも手段や方法はいっぱいあります。そのうちのひとつ、という理解で私はいいと思います。本種の著者はもっとも有効な手段のひとつ、と考えているかもしれません。加えて、機械翻訳がここまで発達すればOKなのかもしれませんが、母語をしっかり理解するという役目も、私は外国語学習に期待していて、その観点も本書では抜けています。機械翻訳が今ほど発達していなかったころ、英語に翻訳しやすい日本語で考えて表現する、という作業が重要であったのを記憶している人も少なくないものと思います。そういった外国語の表現を頭に入れて母語の表現を考える、というのも有効かと私は考えています。最後に、本書はタイトル通りに「英語」の学習に特化した観点で議論を進めていますが、お示しした観点も含めて、たぶん、英語よりもスペイン語の方が論理的で本書の視点には合致しそうな気がします。例えば、ということでいえば、スペイン語には過去形が2種類あり、一定の継続性を伴う行為を示す線過去と一時的な過去の表現をする点過去です。本書では、英語の現在完了形で have gone to と have been to で苦しい言い訳めいた違いの説明をしていますが、スペイン語であればこういった説明が不要になる可能性がある、と私は考えています。ただ、pax Britanica や pax Americana の時代が長らく続いて、英語が事実上の世界標準言語の地位をしっかり占めている現在では、やっぱり、英語学習が外国語教育の中でももっとも重要になるんだろうということは理解しています。
次に、レオ・マレ『探偵はパリへ還る』(新潮文庫)を読みました。著者は、フランスの小説家なのですが、第2次世界大戦中に国家反逆罪で収監されドイツの収容所に送られ、フランスに帰還した後、ハードボイルド小説を書き始めています。本書のフランス語の原題は 120, rue de la Gare であり、1943年の出版です。本書は本邦初訳だそうです。主人公はフィアット・リュクス探偵事務所の所長であるネストール・ビュルマであり、私立探偵と考えるべきです。ハードボイルドなミステリなのですが、ホームズに対するワトソン役は見当たりません。ストーリーは場所により2部構成となっていて、リヨン編とパリ編に分かれます。ストーリの冒頭は第2次世界大戦下のドイツで、主人公のビュルマは捕虜として収容所の病院で働いています。その病院で、記憶を喪失し瀕死の状態の男から謎の言葉を告げられます。「エレーヌに伝えてくれ、駅前通り120番地」です。その「駅前通り120番地」がフランス語の原題となっているわけです。ビュルマは収容所から釈放されて、リヨンに着いたところで、探偵事務所の助手のロベール・コロメルが射殺されます。その際に、何と、同じように「所長、駅前通り120番地」という言葉を残して死んで行きます。なお、どうでもいいことながら、文庫本の後ろカバーや出版社の紹介文で、なぜか、この助手が射殺されるのがパリであるかのような言及がなされていますが、ドイツで釈放されてスイスを横断してリヨンに到着した矢先の出来事ですので、パリではあり得ないと思います。さらに、コトを複雑にしているのが、ビュルマの秘書がエレーヌ・シャトランという名で、メッセージを伝えるべき相手と同じファーストネームなものですから、警察は彼女を尾行したりします。そして、ビュルマはパリに帰還し、いろいろと、いかにもハードボイルドな調査を実行して謎を解明し、助手の射殺犯を突き止めます。なにぶん、1943年というドイツに占領されていた当時のパリですので、科学捜査などの時代的な制約とともに、交通の不便さもありますし、まったくドイツや占領軍批判は現れません。底意地の悪いドイツ軍将校に調査の邪魔をされる、といった場面もありません。繰返しになりますが、捜査の進め方はハードボイルドですし、謎解きはとても明快です。今まで邦訳されていなかったのが不思議なくらいです。
次に、大山誠一郎『死の絆』(文春文庫)を読みました。著者は、ミステリ作家であり、京都大学ミステリ研究会のご出身です。今まで私はまとまった本としては、この著者の作品を読んだことがありませんでしたので、初読の作家さんといえます。ただ、短編ミステリの名手ですので、どこかのアンソロジーで短編作品を読んでいるのではないかという気がします。本書は、三鷹にある警視庁付属犯罪資料館「赤い博物館」の館長である緋色冴子警視と助手の寺田聡の2人が、すでに時効となった事件などの古い犯罪について、ほぼほぼ勝手に再捜査して真実を突き止める、というシリーズ第3作です。本書以前の『赤い博物館』と『記憶の中の誘拐』についても、本書に先立って読んでいて、シリーズを順番で読書しています。館長の緋色冴子はキャリアの警察官ながら、コミュニケーション能力に問題があって無愛想で、閑職に追いやられています。表情にも乏しいので、本書では時折「雪女」と表現されていたりします。助手の寺田聡は警視庁捜査1課の敏腕刑事だったのですが、捜査資料を現場に置き忘れるという大失態があって、これまた、閑職に追いやられています。シリーズはすべて短編ミステリであり、第1作の『赤い博物館』では、緋色冴子はまったく館外には出かけず、寺田聡に捜査を任せっきりにして安楽椅子探偵の役割を務めています。逆に、第2作の『記憶の中の誘拐』では、緋色冴子は必ず資料館の外部に出かけていって、寺田聡とともに捜査活動をしています。そして、このあたりが作者のシリーズの進め方の上手なところなのですが、この第3作では、とうとう公式・非公式に警視庁捜査1課から再捜査の依頼を受ける事件も出始めています。ただ、30年くらい前の事件もあ含まれていて、関係者の記憶については作者の都合で鮮やかに蘇らせることは可能としても、いわゆる科学捜査の技術的な限界があったりするのは当然です。本書に収録sれているのは6話の短編であり、まず、「30年目の自首」では、時効が成立した殺人事件の真犯人だと男が名乗り出てきます。続いて、「名前のない脅迫者」では、飲酒運転の取締りから逃走した自動車が炎上します。続いて、「3匹の子ヤギ」では、深夜のコンビニに押し入った強盗犯がウォークイン冷蔵庫で自殺してしまいます。続いて、「掘り出された罪」では、社員寮の解体の際にコンクリートからナイフが発見され、昔の殺人事件の再捜査が始まります。続いて、表題作の「死の絆」では、衆議院議員とホームレスが、多摩川沿いの小屋で野球のバットで殴り殺された未解決事件の真相に挑みます。最後に、「春は紺色」は、前日譚であり、警視庁の兵頭英介警視と寺田聡が偶然出会って、兵頭英介と同期の緋色冴子が入庁当初に警察学校に通っていたころの謎解きの思い出を語ります。私は、このシリーズ3作だけでなく、同じ作者の短編集『蜜室蒐集家』も年末年始休みに読みましたが、いずれもとてもレベルの高い短編ミステリです。ただ、なりすまし、というか、入替りがトリックに多用されているように感じました。その点で、好みが分かれるかもしれません。
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