今週の読書は為替に関するノンフィクションのほか計5冊
今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、河浪武史『円ドル戦争40年秘史』(日本経済新聞出版社)は、40年に渡る日米の通貨、すなわち、円ドル関係の「攻防」を日米の政策当局、日本の大蔵省・財務省や日本銀行、また、米国の連邦準備制度理事会(FED)や財務省の当局者にインタビューした結果などを基にしたノンフィクションです。ダニエル・チャンドラー『自由と平等』(早川書房)は、ロールズの政治哲学を解説し、それに基づいて、自由と平等を論じています。2部構成となっており、第1部でロールズの政治哲学をひも解いた後、第2部でその実践、政策としての実現策を模索しています。阿津川辰海『ルーカスのいうとおり』(幻冬舎)は、ホラーミステリであり、近代物理学に反するかのような現象を基にする特殊設定ミステリです。どろぼうルーカスという30センチほどのぬいぐるみが、主人公のタケシを守護するような振舞いを見せ、殺人に至ったりもします。内山由紀子『日本人の幸せ』(中公新書)では、個人の瞬間的な幸せに加えて、持続的で周囲の環境も含むウェルビーイングについて、文化心理学の観点から、国際比較も含めて、日本人的な特徴的を解明しようと試み、調和的な志向や行動が、ウェルビーイングの重要な基盤、と指摘しています。朝宮運河『日本ホラー小説史』(平凡社新書)は、戦後から現在までの80年間のホラー小説の歴史を後づけています。終戦直後に、ミステリだけでなくホラー小説でも江戸川乱歩の果たした役割を改めて知るとともに、黄金期の1980-90年代に出版された『リング』や『パラサイト・イヴ』についても再認識しました。
今年2026年の新刊書読書は、1月中に24冊、2月に入って先週までに20冊、今週の5冊を加えて合計49冊となります。また、これらの新刊書読書のほかに、今さらながら、ですが、芥川賞受賞の村田沙耶香『コンビニ人間』も読んでいます。ただ、新刊書ではないので、本日のレビューには含めていません。これらの読書感想文については、できる限り、FacebookやX(昔のツイッタ)、あるいは、mixi、mixi2などでシェアしたいと予定しています。
まず、河浪武史『円ドル戦争40年秘史』(日本経済新聞出版社)を読みました。著者は、日経新聞のジャーナリストであり、現在はワシントン支局長です。本書は、1970年代にいわゆるブレトン-ウッズ体制が崩壊して、為替が世界的に変動相場制に移行した後、タイトルからすれば約40年に渡る日米の通貨、すなわち、円ドル関係の「攻防」を日米の政策当局、日本の大蔵省・財務省や日本銀行、また、米国の連邦準備制度理事会(FED)や財務省の当局者にインタビューした結果などを基にしたノンフィクションです。繰返しになりますが、タイトルは「40年秘史」ということになっているのですが、目次ではコロナ禍後の2023年までをカバーしていて、いわゆるニクソン・ショックなら1971年、為替が一気にフロートに移行したのなら1973年から数えれば50年になるのですが、タイトルと中身の違いは謎です。ついでに、表紙画像の1万円札の肖像も古そうな気がします。編集者はどう考えていたのでしょうか。実は、私自身は1980年代の前半から2020年まで経済官庁に勤務していますので、かなりの部分は重なります。ただ、1970年代のニクソン・ショックや1973年8月の変動相場制移行はさすがに歴史の中でしか知りません。本書でもクローズアップされているイベントのひとつ、1985年のプラザ合意から始まった円高についてはよく記憶しています。1980年代後半に円高が進んだにもかかわらず、一向に日本の経常黒字が縮小しなかった謎をマクロ計量経済モデルをシミュレーションして解明しようと試みていた記憶は特に鮮明です。ともかく、プラザ合意から時々のテンポの速さは別にして、2012年のアベノミクス開始まで、ほぼほぼ一本調子で円ドル関係は円高が進んだのは歴史的事実です。もちろん、本書で解明しようと試みているように、それぞれのイベントにより要因は異なるわけで、プラザ合意後は実にブルータルにも政策当局は為替市場に直接に介入してドル高修正に努めたわけですし、1990年代初頭のバブル崩壊以降はいわゆる「安全通貨」としての円が選好され、危機時の円買いにより円高が進みました。リーマン・ショック後の円高局面がそうですし、「安全通貨」ではないとしても、神戸・淡路大震災や東日本大震災後の円高は、いわゆるレパトリの本国送金増による円高でした。また、本書を読めば、ほぼほぼ日本の政策当局が米国の政策方向に追従しているのがよく理解できます。現在のトランプ政権と同じで、ドル安=円高は米国の輸出を促進することから、決して米国にとって悪いことではなかった点が理解できます。ただ、本書では政策動向について詳細にインタビューなどであとづけていますが、同時に、直接市場に介入する政策は別にして、金融政策が為替相場に割り当てられていた、とまではいわないとしても、少なくとも政策当局者の意識としては、金融政策が為替相場の動向に対して極めてコンシャスに対応していたのがよく判ります。最後に、本書は決してマクロ経済政策の理論から為替を理解しようとするものではありません。そうではなくて、日米両国における為替に対する政策の決定過程の記録に重点が置かれています。その意味で、理論面を重視すると物足りないかもしれません。例えば、ケースバイケースで円ドル相場を名目で考えたり、円の実質実効為替レートで考えたり、アドホックな部分もあります。アベノミクス以降、現在まで続く円安の理論的解明はなされていません。しかし、米国大統領が日本の閣僚の更迭を求めていた、といった部分もあったりして、ある意味で、一級の歴史的資料だと私は受け止めています。
次に、ダニエル・チャンドラー『自由と平等』(早川書房)を読みました。著者は、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)を本拠とする経済学者・哲学者です。LSEの結束資本主義プログラムの研究部長も務めています。本書は、ロールズの政治哲学を解説し、それに基づいて、自由と平等を論じています。2部構成となっており、第1部でロールズの政治哲学をひも解いた後、第2部でその実践、政策としての実現策を模索しています。まず、第1章冒頭p.41でロールズの正義の2つの原理を示しています。これ自体が、本書でも指摘しているように十分難解なのですが、特に重要な第2の原理を「格差原理」と呼んでいて、要するに、社会的および経済的不平等は公正な機会均等の下で、社会で最も恵まれないメンバーの最大の利益をもたらす必要がある、ということで、後者はマキシミン原理です。そして、続く第1部と第2部で広範なテーマについて議論が展開されています。少し私の専門外の部分もありますので端折って、いくつかの論点だけに集中してみたいと思います。まず、軽く想像されるところですが、現在の日本を含む欧米先進国で「機会の平等」とされているものは不徹底であると結論しています。当然です。ただ、教育の機会の平等について、私は少し異論があります。すなわち、著者は英国人ですので、私の想像ながら、英国的なパブリックスクールを念頭に置いた有償学校に対して、少なくとも公的補助はやめて、むしろ禁止すべきと結論しています。私は逆の方策もあり得ると考えます。すなわち、有償学校と同等の教育を可能とするために、有償学校以外の学校に潤沢な公的補助を提供する、という考えです。実は、私の地元からほど近い大津市は待機児童数が全国ワーストなのですが、何と、市立幼稚園教員の給与を保育士水準に合わせて賃金引下げを行うことを決定しています。私が見たのは毎日新聞の記事「幼稚園教員、賃下げへ 保育士と均衡図る 大津市が給与見直し条例案」と、それを基にした集英社オンラインの記事「『違う。逆。保育士の給与を上げるんだ』待機児童数全国ワーストの大津『幼稚園教員"賃下げ"で炎上』市の狙いは人材流動化も…現場は離職危機」なのですが、本書の有償学校に関する主張は大津市と同じです。集英社オンラインの記事のタイトル通りであり、逆の方向が望まれます。ただし、本書の独自の主張ではありませんが、市場経済における分配の結果については興味深い議論を展開しています。すなわち、累進課税などで平等化を図るとともに、ロールズの財産私有制資本主義を基にして、貧しい人に対して事後分配を実施するのではなく、事前の分配を実行する、というものです。アトキンソン教授などが『21世紀の不平等』で資産提供を論じていますし、同じラインの議論だと思います。もちろん、本書では、ストックとしての資産だけではなく、ユニバーサル・ベーシックインカム(UBI)の必要性も論じています。極めて多岐に渡る議論が展開されていますし、私の専門外の分野も少なくありませんので、ぜひとも多くの方が手に取って読むことを願っています。最後に、こういったテーマの本ですので、本書を読むことなく、ひょっとしたら、私のこのレビューすらも適当に流し読んだだけで、延々と自説を展開するコメントが付くことを予想しています。許容しますが、適切な返信をしたいと思います。
次に、阿津川辰海『ルーカスのいうとおり』(幻冬舎)を読みました。著者は、ミステリ作家であり、私はアンソロジーに収録された短編作品はいくつか読んだ記憶がありますが、長編作品は初読だと思います。本書は、一言でいえば、ホラーミステリといえます。近代物理学に反するかのような現象を基にする特殊設定ミステリです。割と最近では、例えば、私も方丈貴恵のタイムトラベルしてパラドックスを引き起こすミステリとか、時空の割れ目から姿形を変えられる怪物が出現するミステリとか、いくつか読んでいます。方丈貴恵以外にもあるかと思います。本書の主人公は、小学5年生の沢城タケシです。出版社の編集者だった母親は2年前に交通事故で亡くなり、市役所勤務の父親と暮らしています。同じ小学校のクラスのシゲ、ビャク、カンタの3人からイジメにあっています。転校生の森くんと仲良くなるのですが、森くんの父親は心霊探偵として事件解決に当たっており、森くんの父親は霊感がないものの、同級生の森くんは霊感があって「視える」体質だったりします。母親が編集を担当した絵本の出版記念でわずかに100個だけ限定配布されたぬいぐるみが、表紙画像に見えるどろぼうルーカスです。そのルーカスのぬいぐるみ、わずか30センチほどの小さなぬいぐるみがタケシを守護するかのように振る舞う、殺人事件まで起こってしまう、というミステリです。タケシが「死ねばいいのに」とか、「いなくなればいいのに」といった趣旨の発言をすると、まるでルーカスが聞き届けて実行するかのように、近隣に住んで迷惑行為を繰り返す隣人が2階から転落したり、イジメを繰り返すクラスメートに怪我を負わせたりした上に、段々とエスカレートして、イジメを見て見ぬふりをする小学校の単に教師が刺殺されたり、父親が再婚を予定している市役所の同僚の女性がタケシの家で襲われたりするわけです。霊感がある森くんによれば、ルーカスには何かが取り憑いているといいますし、果たして、ぬいぐるみのルーカスがタケシを守るためにやっているのか、もしそうだとすれば、誰の怨念が取り憑いているのか、あるいは、ぬいぐるみが動くはずもなく、近代物理学で説明のつくミステリなのか、第1部で展開されたこういった事実関係に対して、第2部から警察も交え、第3部では解決に至ります。当然です。ミステリですから、あらすじはこれくらいにします。1点だけ、藤崎翔によるお梅のシリーズと違って、少なくともルーカスは自分の意志ではなく、動いているとしても、誰かの怨念で、あるいは、別の何かの物理力で動いています。これは大きいな違いです。ただ、お梅と同じで30センチほどのぬいぐるみという物理的な存在としての限界はあります。
次に、内山由紀子『日本人の幸せ』(中公新書)を読みました。著者は、京都大学人と社会の未来研究院教授であり、ご専門は社会心理学、文化心理学だそうです。私の子どもが心理学を大学で勉強していたのですが、経済学と同じように心理学にもミクロとマクロがあり、臨床心理学がミクロで、社会心理学はマクロだと聞き及んだ記憶があります。それはともかく、本書では幸せや幸福に対して、ウェルビーイングを眼目としています。私は専門外なのでよく判らなかったのですが、ウェルビーイングというのは個人の瞬間的な幸せに加えて、もっと持続的で周囲の環境も含む、と説明しています。その上で、表紙画像にあるように国際比較を考え、文化心理学の観点から日本人に特徴的なウェルビーイングを解明しようと試みています。ただ、常識的にも理解できますが、国際比較や国別ランキングなどにどこまで意味があるかは懐疑的な見方を示しています。日本だけに限られた特徴ではありませんが、『孤独なボウリング』のパットナム教授のいう社会関係資本の重要性を指摘します。加えて、日本的な特徴を考える場合、欧米では個人的な達成感や自己実現などが重視されるのに対して、日本では対人関係やいろいろと調和的な志向や行動が、おそらく、幸福感やウェルビーイングの重要な基盤となる、という指摘をしています。そうかもしれません。したがって、地域コミュニティや学校・職場といった所属する組織を「場」という言葉で表現し、その重要な基盤的役割を強調しています。ただ、日本でもしばしば見られますが、この「場」に対する同調圧力が強い、というのも日本的な特徴のひとつといえます。そういった学校の学風、職場の企業風土などに対して、日本的な特徴を示すとともに、特に後者の企業風土が国際化、グローバリゼーションによって変化しつつある点を指摘しています。具体的には自己の2階建てモデルとして。第6章、p.134で図解しつつ示しています。そのあたりは読んでみてのお楽しみです。最後に、私は経済政策の目標を個人の幸福度の上昇に置くことは懐疑的です。すなわち、物価を抑制したり、失業率を引き下げたりするよりも、ドーパミンだか、セロトニンだかの幸福ホルモンを国民に配布するのが経済政策として重要かといえば、否定的な意見が多いと考えています。ただ、本書で示されているような幸福やウェルビーイングの基礎をなすような経済社会的の諸条件を整備することは経済政策の重要な役割である、と考えています。
次に、朝宮運河『日本ホラー小説史』(平凡社新書)を読みました。著者は、ホラー、怪談、怪奇幻想小説を専門とするライター、書評家だそうです。本書は、戦後から現在までの80年間のホラー小説の歴史を後づけています。まあ、タイトル通りなわけです。序章として前史を取り上げ、日本の戦後史からはみ出す中世文学の「雨月物語」とか、あるいは、日本ならざる英語圏のホラー小説などを軽くおさらいした後、章別の構成は編年体となっています。すなわち、第1章で終戦直後の1950年くらいまで、第2章で高度成長期の1950-60年代、第3章が1960-70年代、第4章が黄金期の1980-90年代、第5章は停滞から令和のブームとなった2000年から2020年代、という時代区分です。私自身はそれほど好んでホラー小説を読むわけではありませんが、ミステリやSFなどとともに、エンタメ小説のひとつのジャンルとしてホラー小説の読書を楽しんでいます。もうひとつは、子どもがホラー小説を好きでよく読んでいて、親として子どもの読んでいるホラー小説は十分把握し、教育上の悪影響が出ないようにすべき、と考えてせっせと読んでいたこともあります。そのきっかけは2010年の貴志祐介『悪の教典』ではなかったか、と記憶しています。私の個人的な事情はともかく、やはり、日本のホラー小説、特に、戦後ホラー小説史で重要な人物は江戸川乱歩であったと確認できました。1948年雑誌『宝石』に掲載された江戸川乱歩の「怪談入門」と題するエッセイを本書でも取り上げています。日本以外では、ホラー小説の帝王ともいわれるスティーヴン・キングが歴史的にも重要な役割を果たしている点は衆目の一致するところです。そして、本書でも日本ホラー小説の黄金期としている1980-90年代の金字塔は鈴木光司『リング』です。ただ、小説としてよりも映画としてヒットしたような気もします。「貞子」へと続くシリーズです。『リング』に続いて、1990年代半ばには瀬名秀明『パラサイト・イヴ』もスケールの大きな作品として、本書でも特筆されています。そして、最近時点では、いろいろとホラー小説も広がりを見せています。もちろん、本書でもホラー小説の隣接領域としてミステリやSFへの言及も少なくありません。停滞期ながら、21世紀では綾辻行人の『Another』のシリーズについても、映画とともに私も楽しみました。ホラー小説としては、奥様の小野不由美よりも綾辻行人の方を読んでいるかもしれません。最近の注目点として、本書では創元ホラー長編賞を受賞した上條一輝『深淵のテレパス』について、超常現象を心霊調査チームに調査を依頼するという形で、単なる超常現象の描写に加えて、科学的な装いを持った新しいジャンルに踏み出した可能性を指摘しています。『深淵のテレパス』はもちろん、同じ作者の次作『ポルターガイストの囚人』も私は読みましたが、その科学的な裏付けめいた部分が強化されていると感じました。最後に個人的な感想を1点、2015年第22回日本ホラー小説大賞受賞の『ぼぎわんが、来る』でデビューした澤村伊智が、一時の停滞期を脱する推進役として指摘されています。実は、このころに角川書店ではモニター制度をというのがあり、出版前のゲラ刷りの段階で一般読者に感想を聞くという制度がありました。この『ぼぎわんが、来る』の事前評価版に私は当選して読んで、もちろん、私なりの評価をフィードバックした記憶があります。何回か引越を繰り返して紛失していますが、あの事前評価版を良好な状態で保存しておけば、ひょっとしたら、いい「お宝」になっていたのかもしれない、と考えないでもありません。



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