今週の読書はいろいろ読んで計7冊
今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、藤川清史・渡邉隆俊『産業連関分析入門』(日本評論社)では、産業連関表に基づくマクロ経済の分析手法を学ぶことを主眼としています。マクロ経済学に関する基礎知識があって、BASICのプログラムコードの理解があれば、なおよいのですが、BASICのコードについてはサンプルが豊富に収録されています。トマ・ピケティ『エコロジー社会主義に向けて』(みすず書房)では、カーボンニュートラルは達成できないとしても、エコロジーを重視する方向を目指さないと、最悪の場合は人類文明が大きく後退することにもなりかねませんから、脱商品化や累進課税の強化による不平等是正の必要性を強調しています。マイケル・マン『ファシストたちの肖像』(白水社)では、極端なナショナリズム、権威主義的な国家主義、階級闘争の超越、政治・民族・宗教などの面での敵の浄化、の4つの主要なイデオロギー的要素の結合、という観点からファシズムを定義し、戦間期大陸欧州のファシズム運動について統計的な把握を試みます。平尾清『ビジネス経験を活かしきる「40代から大学教授」という最高の働き方』(青春出版社)は、バラ色のお話で終始していて、学歴・学位、研究業績、教育経験がなくても、大学教員=研究者ではなく、プロジェクト調整員のような形で、教員と職員の中間的な存在としての大学教授への転職をオススメしているような気がします。金子玲介『クイーンと殺人とアリス』(講談社)では、クイズとアイドルを2つの軸にして、ミステリ仕立てにしてあります。アイドル候補と運営の十数名が孤島に渡ってクイズなどのオーディションを進める中で殺人事件が起き、アイドル候補の1人の主人公がクイズのメタ分析で犯人を解明しようと試みます。岡崎琢磨ほか『猫で窒息したい人に贈る25のショートミステリー』(宝島社文庫)は、猫にまつわるミステリのショートショート25作品を収録しています。作品の出来は当たり外れがありますし、短いだけにミステリとして不十分な面もありますが、数ページのショートショートだけにスキマ時間のヒマつぶしにピッタリです。福井健太[編]『新・黄色い部屋』(創元推理文庫)は、「読者への挑戦」ミステリを中心に精選されたアンソロジーであり、10話の短編を収録しています。冒頭に収録された高木彬光「妖婦の宿」は、神津恭介のシリーズですし、本格的なミステリも数多く収録されています。
今年2026年の新刊書読書は先週までの1月中に24冊、2月に入って今週の7冊を加えると合計で31冊となります。また、これらの新刊書読書のほかに、佐藤紅[編著]『京都文具大全』(光村推古書院)も読んでいます。ただ、10年前の出版であり新刊書ではないので、本日のレビューには含めていません。これらの読書感想文については、できる限り、FacebookやX(昔のツイッタ)、あるいは、mixi、mixi2などでシェアしたいと予定しています。
まず、藤川清史・渡邉隆俊『産業連関分析入門』(日本評論社)を読みました。著者は、いずれも愛知学院大学経済学部の教授です。タイトル通りの本です。産業連関表とかIO表と呼ばれるマクロ経済の分析手法を学ぶことを主眼としています。ある程度のマクロ経済学に関する基礎知識があって、BASICのプログラムコードの理解があれば、なおよいのですが、BASICのコードについてはサンプルが豊富に収録されていますので、初心者でも十分取り組みやすいように工夫されています。ものすごく基本的な産業連関表の使い方は、何らかのショックがあった際に、レオンティエフ逆行列からマクロ経済全体への波及効果を計算することです。基本は行列式の計算ですから、高校の数学で習っているはずですが、私の経験上、我が立命館大学クラスであっても、高校レベルの行列に関して十分な理解を持っている経済学部生はそれほど多くありません。私は高校の数学の先生ではありませんので、高校の数学に関して教えられる範囲は限定的であり、本書についても、基礎学習を終えた段階の大学生を対象にしているようですが、そのあたりの数学的な基礎がないと苦しいかもしれません。ただ、本書では図解をいくつか工夫していて、例えば、第8章では需要曲線が垂直で、供給曲線が水平、なんてグラフを持ち出して、均衡価格決定モデルを説明しています。なるほど、と思いました。最後に2点だけ本書に関連して、産業連関分析についての私の感想です。第1に、本書のp.114にもあるのですが、ショックの波及に関して、ケインズ的な乗数分析では無限の波及を想定して限界消費性向の逆数だけの大きさの乗数を考える一方で、産業連関分析では波及は1回限りと見なす向きがありますが、これは正しくありません。産業連関分析ではケインズ的な無限の波及を終えた段階でのショックの広がり=総和を考えているのであって、決して1回限りの波及というわけではないと私は考えています。第2に、産業連関分析は固定係数ですから、生産関数が同じという条件での分析です。ですから、それほど長期の分析には向かないと考えるべきです。20年も30年も固定係数=技術革新がなく同じ生産関数のまま、と想定するのはムリがあります。だからこそ、産業連関表はおおむね5年毎に改定されているわけです。阪神タイガース優勝の経済効果ぐらいでしたらともかく、日本の人口減少や高齢化の未来を考えるに当たって、どこまで長期に適用するかは十分に見定めて使うべきだと私は考えています。
次に、トマ・ピケティ『エコロジー社会主義に向けて』(みすず書房)を読みました。著者は、2013年の『21世紀の資本』がベストセラーになったフランスのエコノミストであり、パリ経済学校経済学教授・社会科学高等研究院経済学教授です。本書のフランス語の原題は Vers le Socialisme Écologique であり、2024年の出版です。書下ろしの論考とともに、フランスの夕刊紙 Le Monde に掲載されたコラムを収録しています。まず、冒頭で、「20世紀は社会民主主義の世紀であった。21世紀は民主的かつ参加型のエコロジー社会主義の世紀となるだろう。」との見通しを明らかにしています。はい、私もまったく同意します。現時点での足元は米国のトランプ政権をはじめとして、欧州でもポピュリズム政党が勢力を伸ばしていますし、日本でもかなり右派に偏った高市内閣が成立し、明日の総選挙でも与党が議席を伸ばすという予想が広く報じられていますので、時代の流れは社会民主主義とか社会主義から逆行しているのではないか、と見る向きもあるのでしょうが、大きな時代の流れ、ここ100年ほどを見るとピケティ教授の指摘する通りとなっています。1930年代の大恐慌からケインズ政策を援用した福祉国家建設が進み、20世紀半ばの終戦直後からその方向は確たるものとなっています。21世紀がエコロジーを中心とする社会を目指すかどうかはもう少し先のお話ですが、21世紀半ばのカーボンニュートラルは達成できないとしても、少なくともエコロジーを重視する方向を目指さないことには、最悪の場合は人類文明が大きく後退することにもなりかねません。そのために、本書では脱商品化や累進課税の強化による不平等の是正の必要性を強調しています。本書では日本はまったく対象外の扱いのようですので、私の考えを展開すれば、現在でも日本では医療をはじめとする社会保障と教育とが大きく脱商品化されていることは明らかで、おそらく、エネルギーや通信・交通といった分野にも脱商品化の動きが広がり、さらに、農業や食料生産にも拡大し、一歩一歩社会主義に近づいていくプロセスが進むのだろう、と私は期待しています。最後に、本書は新聞のコラムが大きな部分を締めており、一見すると統一的なテーマがないように見えかねませんが、そこはピケティ教授の見識をいろんな論考から読み取る題材として考えるべきではないか、という気がします。例えば、フランスのマクロン大統領がよく使う表現に "première de cordée" というのがあります。私の理解でもほぼトリックルダウン理論に近いものであり、本書ではピケティ教授が何度も持ち出して強く批判しています。
次に、マイケル・マン『ファシストたちの肖像』(白水社)を読みました。著者は、英国出身のようで、米国カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)社会学部教授を務めた後、現在は名誉教授となっています。本書の英語の原題は Fascists であり、いささか古くて2004年の出版です。邦訳タイトルは英語の原題に引っ張られてしまったようですが、「肖像」というのはややミスリードかもしれません。というのは、ファシズム運動を進めたファシストといえば、イタリアのムソリーニやドイツのヒトラー、と私のような専門外のシロートの頭に浮かぶわけですが、決して、個人を取り上げてパーソナリティを論じたりしているわけではなく、戦間期の大陸欧州のファシズム運動について統計的な把握を試みようとしています。ですので、巻末にいくつか付表が掲載されており、例えば、最初のテーブルのタイトルは「付表3.1 イタリア・ファシスト党員の職業的背景」ですし、2番目は同じように「付表4.1 ドイツ・ナチ党員の職業的背景」だったりします。本書冒頭の第1章でも何点かの重点のうちのひとつはファシズム運動の社会的支持層について真剣に考える必要を論じています。繰返しになりますが、まず、本書の歴史的地理的なスコープは戦間期1930-40年代の大陸欧州です。ですから、日本は対象に入っていません。そして、本書の著者の従来からの見方として、古典的ファシズムの運動と体制について、極端なナショナリズム、権威主義的な国家主義、階級闘争の超越、政治・民族・宗教などの面での浄化、の4つの主要なイデオロギー的要素の結合、という観点から定義しています。私のような専門外のシロートには最初の2点がついつい強調されますが、後の階級闘争の超越や民族などの浄化もファシズムの重要な要素であり、いわれてみればその通り、という気がします。本書では冒頭2章でファシズム運動について広く議論した後、第3章からは国別にファシストの統計的な分析を試みています。元祖ともいうべきイタリア、そして、ドイツの2国が最初で、続いて、オーストリア、ハンガリー、ルーマニア、スペインとなり、最終章で結論を提示しています。詳細は読んでみてのお楽しみというところですが、運動や体制としてのファシズムですから、個人としてサディストやサイコパスだけで構成されているわけでもなく、通常の一般国民と変わることなく、「高邁な理想を掲げた運動」であることを信じ込ませた点を強調しています。その意味で、よく引用されるハンナ・アーレント教授(Hannah Arendt)の代表作『全体主義の起源』The Origins of Totalitarianism の次の文章を思い出しました。すなわち、"The ideal subject of totalitarian rule is not the convinced Nazi or the convinced Communist, but people for whom the distinction between fact and fiction (i.e., the reality of experience) and the distinction between true and false (i.e., the standards of thought) no longer exist." です。明日の総選挙の投票には、心して臨むべき、という気がします。
次に、平尾清『ビジネス経験を活かしきる「40代から大学教授」という最高の働き方』(青春出版社)を読みました。著者は、岩手大学特任教授、青山学院大学非常勤講師、酒田市政策参与だそうです。リーマンショックにより失業した後、43歳で山形大学教授へと転身されているようです。まず、本書のいいところは著者の自慢話ではない点です。ただ、常識的に考えて、万人に適用できる本ではありません。私自身は60代で大学教授に転職=再就職しましたが、通常のサラリーマンは、本書でも指摘しているように、第1に、学歴・学位がありませんし、第2に、研究業績がありませんし、第3に、教育経験もありません。実は、私も学歴・学位はありません。フツーに大学4年間で学士の学位を取得して終わっています。博士号は持っていません。ただ、公務員をしている際に長崎大学経済学部に出向する機会がありましたので、紀要論文は2年間で10本以上書きましたし、教育経験も積みました。立命館大学への応募要件は著書1冊または公刊論文3本以上だったと記憶していて、フツーのサラリーマンにはハードルが高いかもしれません。ただ、本書はバラ色のお話で終始していて、学歴・学位も、研究業績も、教育経験も何もなくても、大学教員=研究者ではなく、プロジェクト調整員のようなかたちで、教員と職員の中間的な存在としての大学教授への転職が可能であり、したがって、オススメしているような気がします。まあ、それならアリかもしれませんが、本書で強調しているように、ローカルに展開する、すなわち、地方大学を主眼とすることになる気がします。地方私大の中には、学生の定員充足率が低くて、経営が必ずしも盤石ではない大学があります。加えて、かつての就職氷河期の大学生の就活なんかと同じで、本書でも大学教授への転職の際の重点は、志望書の書き方や面接に終止しています。最後の接点での努力よりもバックグラウンドでの経験値を無視しているようで少し怖い気がします。研究論文を書かないまでも、せめて、研究論文を読むことくらいは推奨しておいた方がいいと私は考えます。大昔の米国のゴールドラッシュの時代、もっともいいビジネスをしたのは金鉱を掘り当てた人もさることながら、金鉱を探す人にツルハシを売った人である、といいます。本書も最後の方のp.164から実務家教員の養成機関とマッチングサポートが紹介されていて、40代で大学教授になる人よりも、それをサポートする人のビジネスの方がいいビジネスそうな気がします。私も今の大学を辞めたら、サラリーマンから大学教授になった経験を活かして、こういった方面のコンサルでもしようかしらん、と思わせる内容でした。
次に、金子玲介『クイーンと殺人とアリス』(講談社)を読みました。著者は、小説家なのですが、私は前作の『死んだ山田と教室』をそれなりに評価しているので、次作となる本書も読んでみました。本書のひとつのテーマはクイズで、もうひとつはアイドルです。それを軸に少しミステリ仕立てにしてあります。まず、謎解きアイドル Queen & Alice のオーディションがあり、予選を勝ち抜いた候補生が、運営サイドの7人とともに帽子島という孤島に渡ります。そこで3泊4日のオーディションが行われ、総合プロデューサーの鯨井玄二のお眼鏡にかなった女性がアイドルとしてデビューすることになる、というわけです。失格者は毎日夜8時に来る船で帽子島を離れます。候補生は8人いて、高校3年生の同級生の麻木想空と佐藤七色のうちの麻木想空がひとつの視点を提供し、フリーター最年長でアイドルのオーディションに100連敗中と称する石崎真昼がもうひとつの視点を提供し、交互に語り手となってストーリーが進みます。少し前に私も読んで、今年映画化される小川哲『君のクイズ』と少し似たところがあります。必ずしも本格的なミステリではないので、殺人事件は中盤を過ぎたあたりでようやく起こります。その犯人探しでクイズのメタ分析が行われます。このあたりは、しっかり読ませどころです。前に読んだ『死んだ山田と教室』もそうだったのですが、会話のテンポがよくて、文体もいいのでスラスラと読み進むことが出来ます。ただ、人名が凝りすぎていて、なかなか頭に入らず、その割には、謎解きアイドル Queen & Alice なんて、明らかに、元ネタはエラリー・クイーンと有栖川有栖というあまりにも安直なネーミングだったりするギャップを感じます。繰返しになりますが、謎解きはクイズのメタ分析から始まりますが、決して、本格的、あるいは、論理的というわけではなく、やや雑に感じる読者もいそうな気がします。
次に、岡崎琢磨ほか『猫で窒息したい人に贈る25のショートミステリー』(宝島社文庫)を読みました。著者は、ミステリ作家が多いんでしょうが、収録されているショートショートが必ずしもミステリとはいえないものもあるような気がします。というか、ミステリよりはホラーに近いものも散見されます。なお、本書は2025年4月の出版ですが、少し後に『猫に蹂躙されたい人に贈る25のショートホラー』というシリーズに近い位置づけの文庫も出ています。私はミステリとともにホラーも読みますので、「ぜひとも」とまでは思いませんが、機会があれば読んでみたい気がしています。タイトル通りに25のショートショートが収録されていますので、全部取り上げるのは骨ですし、2作品、猫とコミュニケーションを取るというミステリを2つだけ取り上げておきます。まず、猫森夏希「キャットーク」では、猫との会話が可能になるアプリが開発され、主人公がそれを使うと、猫が殺人犯を知っていることが判ります。貴戸湊太「猫又警部と猫のいる殺人現場」では、猫と会話できる刑事が猫から事情聴取して殺人犯を解明します。猫の知能が高くて、しかも、アチコチに出没していろんなものを見ているわけですから、猫が言葉をしゃべれたらブラックな結果を引き起こす、というのはサキの短編「トバモリー」で世界中に知れ渡っています。取り上げた2作品以外にも、そういった猫の知能と行動をフィーチャーした作品がいくつかあります。もちろん、ミステリとはいいつつ、ホッコリと心が暖かくなるような作品もあります。各作品はショートショートでわずかに数ページですので、スマホをいじって時間潰しするよりは、ひょっとしたら、本書を読む方が知的な印象を周囲にもたらすかもしれません。もっとも、作品の出来はバラツキ、というか、当たり外れがありますし、短いだけにミステリとして不完全、というか、深みやひねりに欠ける面もあります。ただ、バラエティに富んだ短編集ですので、その意味からは十分楽しめます。
次に、福井健太[編]『新・黄色い部屋』(創元推理文庫)を読みました。編者は、書評家であり、ワセダミステリクラブのご出身です。本書は、昨年2025年に創元推理文庫から出版されたアンソロジーの第1弾であり、「読者への挑戦」ミステリを中心に精選されています。同じ編者による『横丁の名探偵』が第2弾となり、すでに出版されていて、私は先週のうちにレビューを済ませています。なお、シリーズは全3巻を予定しているようで、次巻は2月末に同じ編者により『以外な犯人』の出版が予定されています。本書は10話の短編を収録しています。本格ミステリを中心に、いくつかピックアップすると、まず、冒頭に収録された高木彬光「妖婦の宿」は、一応、というか、何というか、神津恭介のシリーズです。ホテルの密室殺人事件を題材にした本格的なミステリ短編です。ラストに大きなどんでん返しが待っています。飛鳥高「車中の人」は刑事が追う人物を突き止めるミステリです。誰が犯人か、と同時に、刑事が追っているのは誰か、の二重の謎を解き明かそうとします。車中という限られた時間と空間をたくみに利用して論理を積み重ねる本格ミステリです。山村正夫「高原荘事件」では、東京で起きた強盗事件の犯人が逃げ込んだ高原の職泊施設で、客や従業員から聞き込んだ情報を基に、謎解きが進みます。戯曲のような構成ですので、読者が順を追って犯人解明を試みることが出来ます。すでに読んだ次作の『横丁の名探偵』も含めて、どうしても1950-70年代の、いわば時代ミステリですので、金額の桁が少し今とは感覚が違ってきます。ただ、そのあたりは仕方ないものと諦めるしかないような気がします。取り上げた短編のほかも、本格的なミステリが収録されています。私はまだ出版されていない次作の『以外な犯人』も読みたいと思います。
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